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●延宝2年(1674)
●延宝4年(1676)
●天和2年(1682)
●貞享3年(1686)
●貞享4年(1687)
松平光通が自殺し、弟の吉江藩主昌親が五代福井藩主となり、吉江藩は廃藩となる。
松平綱昌、六代福井藩主となり、前藩主昌親が後見となる。
土井利勝の子である土井利房が大野藩に入り、以後、土井氏が定着する。
閏3月6日−幕府が福井藩47万5,000石六代藩主松平綱昌を乱心により
改易。養父昌親(まさちか)に新知25万石が与えられる(貞享の大法)。そのため多数の
藩士が召し放たれ、城下がさびれる。幕府領27万石となる。
三国湊「沖ノ口定(おきのくちさだめ)」を発する。