趣味の経済学
地産地消という保護貿易政策
食糧自給とは江戸時代の鎖国が理想なのか?

アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します     If you are not a liberal at age 20, you have no heart. If you are not a conservative at age 40, you have no brain.――Winston Churchill  30才前に社会主義者でない者は、ハートがない。30才過ぎても社会主義者である者は、頭がない。――ウィンストン・チャーチル      日曜エコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します    アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦するとです    好奇心と遊び心いっぱいの TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します    TANAKA1942bです。「王様は裸だ!」と叫んでみたいとです      アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します    アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します

Yahoo ! のカテゴリー 社会科学>経済学>経済理論・経済思想 及び社会科学>政治学>政治理論・政治思想に登録されました(2004.07.21)
BIGLOBEサーチ ビジネス・経済・産業 > 経済学 >経済評論に登録されました(2004.10.17)

地産地消という保護貿易政策  食糧自給とは江戸時代の鎖国が理想なの?
(1) 食料自給率40%の内訳は? 米・麦・大豆などの自給率UP政策は? ( 2007年2月5日 )
(2) 世界各国が地産地消を進めたら? その時、日本への経済封鎖が始まった ( 2007年2月12日 )
(3) 鎖国をすれば自給率100% 日本列島で養えるのは江戸時代の人口  ( 2007年2月19日 )
(4) 安定供給には関税率の工夫を 供給地を増やし、リスクを分散すること ( 2007年2月26日 )
(5) 農業に他業種からの参入自由化を 自家不和合性にならないためにも ( 2007年3月5日 )
(6) 育種学の用語を易しく解説すると 雑種強勢・一代雑種・自家不和合性 ( 2007年3月12日 )

趣味の経済学 アマチュアエコノミストのすすめ Index
2%インフレ目標政策失敗への途 量的緩和政策はひびの入った骨董品
(2013年5月8日)
FX、お客が損すりゃ業者は儲かる 仕組みの解明と適切な後始末を (2011年11月1日)
コメ自由化への試案 Index

(1)食料自給率40%の内訳は?
米・麦・大豆などの自給率UP政策は?
……はじめに…… 農水省が、地産地消を推進しようとしている。食料の輸出を推進しようという政策と反対の政策を採用し始めた。 日本が「地産地消」を推進して、諸外国もそれを見習って「地産地消」を推進したら、日本からの食料輸出は拒否される。「わが国も地産地消を進める。従って日本からの食料輸出は拒否する」そして、「食料輸出国は、他国の地産地消政策を阻害している。 直ちに食料輸出を制限すべきだ。そうすることによって、他国の地産地消を支援することになる」という主張が聞かれることになるだろう。
 農水省のホーム・ページでは次のように説明している。
 地産地消は、もともと、地域で生産されたものをその地域で消費することを意味する言葉である。新たな基本計画では、単に地域で生産するという側面も加え、「地域の消費者ニーズに即応した農業生産と、生産された農産物・食品を購入する機会を提供するとともに、地域の農業と関連産業の活性化を図る」と位置付けている。
 さらに次のように説明は進んでいく。
 しかしながら、1億2千万人を超える国民に食料を安定供給する必要があるとの観点に立てば、その、すべてを地場産の農産物により供給することは困難である。したがって、地産地消の活動は地場の消費者・実需者ニーズに応えるものとして、地場の生産技術条件や市場条件に見合った可能な方法で経験を積み重ねながら段階的に広げていくことが重要と考えられる。
 その場合、地産地消の概念は、必ずしも狭い地域に限定する必要はない。できるだけ近くのものを優先するのが原則であるが、周年販売や品目・品質上の品揃えを考えると、産地の地域的な範囲は柔軟な拡がりをもって考えた方がよい。最終的には我が国の全域すなわち国産農産物の全体までも射程に置くことの出来る概念だと考えられる。
 したがって、国産品を優先的に消費することを通じて、食料自給率の向上にもつながっていく考えである。このような視点に立って、行政においては、強いニーズがある地産地消を広げていくため、特に、取組が円滑に進められるようにするため、支援を行うべきである。
 (農水省のホーム・ページから)
 「地産地消」とは「国産品愛用運動」に他ならないことがハッキリした。このホーム・ページでは、この「国産愛用運動」が実はかつて大日本帝国がアジア侵略の道を歩み始めたことと大きな関係があるということを説明しようと思う。 かつて「ABCDライン(アメリカ=America・イギリス=Britain・中国=China・オランダ=Dutch)」と呼ばれた日本への経済封鎖と「国産愛用運動」「地産地消」とが、経済学的観点からは大変似ている、ということを書いていくことにした。「身近な所で栽培された農産物を食べるようにしよう」という素朴な運動が「ABCDなどの経済封鎖と同様な経済的影響がある」と言うと「そんな大袈裟な」と言いたくなるかも知れない。 しかし、美食評論家が言うのは、単に趣味・嗜好・主義の問題であってあってどうでもいいことだが、農水省が推進するとなるとこれは国家政策となるので無視するわけにはいかない。
 @「日本株式会社」との表現とはまるで違った、比較的政府の干渉の少ない自由経済であり、A戦前に比べ世界全体が自由貿易であったために、戦後の日本が、同じ戦災を被ったヨーロッパ諸国=フランス、ドイツ、イギリスなどが驚くほどの経済復興をなしとげたのは間違いない。これに関しては <官に逆らった経営者たち><戦後復興政策 ヨーロッパ 西も東も社会主義>を参照のこと。この2つの「経済的自由」とは反対の「地産地消」が経済にどのような影響を与えるのか?それをこのシリーズで書いていこうと思う。 いつもながら、右へ左へのダッチロールを繰り返しながらの進行になると思いますが、最後までお付き合いのほど、よろしくお願い致します。
米                         米                         米
<食料自給率はどの程度なのか?>  「地産地消」という言葉が抵抗なく受け入れられるのは、「食料自給率が40%と大変低いので、食糧安保の面からも海外からの食料に頼らないようにすべきだ」、との主張がアピールするからだろう。 では、その「食料自給率40%」の実態とはどのようなものなのだろう。それほど食料安保の面から危険なのだろうか?そこで、個々の品目について注目してみよう。 日本の食料自給率の最新の数字を拾ってみよう。
食料自給率(平成16年・概算)%   米95%、(うち主食用)100% 小麦14% かんしょ94% ばれいしょ80% 大豆3% 野菜80% みかん99% りんご53% 果実全体39% 牛肉44% 豚肉51% 鶏肉69% 鶏卵95%  牛乳・乳製品67% 食用魚介類55% 海藻65% 砂糖34% 油脂類13% きのこ類78%
 飼料用を含む穀物全体の自給率28% 主食用穀物自給率60% 供給熱量ベース総合食料自給率40% 生産額ベース総合食料自給率70% 飼料自給率25% (農水省・最新食糧自給率表  から)
 ところで「食料自給率が40%と低い。自給率を上げなくてはならない」との声の、40%という数字は「供給熱量ベース総合食料自給率」であって、この数字を上げるには、個々の品目の自給率を上げなくてはならない。 つまり、「自給率を上げる」ということは「個々の農水畜産物の生産性を上げて、品質向上とコストダウンに努めよう」ということになるはずなのだが、個々の農水畜産物の生産性向上については、具体的な提案がされていない。 「国産品を愛用しましょう」とのスローガンになってしまう。
 「個々の農水畜産物の生産性を上げて、品質向上とコストダウンに努めよう」とのスローガンを掲げると、「農水畜産物生産者は何をしている?努力しているのか?」となる。 ところが「国産品愛用」とのスローガンなら、「消費者よ意識せよ」となり、責任が生産者側から消費者側に転化される。これによって生産者側の責任は回避されることになる。
 「食料自給率が40%と低い。自給率を上げなくてはならない」と言うならば、「小麦の自給率はこのように引き上げよう」とか「大豆はこうすれば生産性が向上し、価格が低下し、加工業者・消費者が米国産よりも国産を選択し、自給率を上げることができる」などの具体的な提案をしていかなければならない。
 このように考えていくと、本当に食料安保の面から危機感を持っているのだろうか?と疑問になってくる。
<食料の完全自給は不可能>  農水畜産物個々の生産性向上を目指しても、食料自給率100%は不可能だ。農産物に関して言えば、この狭い日本列島という限定された区域内では、食料の完全自給はできない。 その根拠は農水省のホーム・ページに書かれている。<食料自給率の低下と食料安全保障の重要性>を見て頂きましょう。 <国内500万haに加え、海外に1,200万haの農地が必要>と題されたところに次のように書かれたいる。
 このような私たちの食生活は、国内農地面積(476万ha(平成14年度))とその約2.5倍に相当する1,200万haの海外の農地面積により支えられています。 このため、農産物の輸入が行われなくなってしまうような場合には、大幅な食料の不足がひき起こされることとなります。
 これがどのようなことを意味しているかと言うと、日本列島の土地では、現在の3.4分の1の人口しか養えない、ということを言っていることになる。 別の表現をするならば、@食料自給率100%を達成するには人口を3,600万人程度に減らさなければならない。つまり、江戸時代の人口に減らさなければ完全自給は達成されない。 A生産性を3.4倍にしなければならない。B現在の1億2000万人の人口を維持するには、国民が現在の3.4分の1の食料で我慢しなければならない。
 農水省のこのホーム・ページを読んで、その行間の意を推測するならば「食料自給率100%を目指すなんてことが不可能なのだから止めましょうよ」「農水省の事務方として、そのような正直なことを言うと、農水省にいられなくなる。 まだ、国家公務員を退職したくないので、誰か意を汲んで下さい」「誰か、食料自給率100%を目指すなんてことが不可能だ、とハッキリ言って下さい」と言いたいのだと推測することになる。 <農水省事務方の苦悩>を参照のこと。
<海外からの食料輸入が止まったらどうなるか?>  農水省・最新食糧自給率表から予測されること──海外からの食料輸入がストップしたら、安定的に供給されるものは「米」だけ。毎食白米ばかりの食事、おかずが少なくなり「おにぎり」中心になる(納豆・豆腐・味噌・醤油は超贅沢品になる=大豆の自給率は3%)。米の供給に関しては、減反政策を止めれば十分米不足は起きない。 それよりも作りすぎて外国に輸出するとなると、他国の食糧自給率を引き下げることになるので、「自給自足論者」はこれを非難することになるだろう。もっとも食料自給率100%以上の国に対して「食料を外国に輸出して、他国の自給率を低下させている。輸出を自粛しなさい」との非難は起きないのは不思議なのだが……。 米以外では、飼料自給率が低いので、牛肉・豚肉・鶏肉・鶏卵の供給は減少し価格が高騰する。このように考えていくと、「いざという時」に備えるには、主食=米に関しては心配ないので、家畜用の飼料(トウモロコシ、グレーンソルガム=コウリャン)の安定供給システムを作ることが必要になる。
 「食料自給率が40%と低い。自給率を上げなくてはならない」との主張は「もしも、外国が日本に食料を輸出させなくなったら大変だ」が根拠になっている。 もっとも、そのように危機感を煽る人たちが「もしも、食料輸入がストップしたらこうなる」とのシミュレーションを発表したという話は聞かない。「国産品愛用運動」が少し言葉を変えた、農産物生産者とその周辺の利益集団のレント・シーキングと見るのが正解のようだ。
<農業は産業なのか?公共事業なのか?>  「地産地消」「食料自給率」「後継者不足」などをテーマに考える場合、「農業は産業なのか?公共事業なのか?」の視点がハッキリしていないと論点がボケてしまう。 農業を産業として捉えると次のようになる。
 日本農業が直面している高価格、過剰供給(生産調整)、低自給率等の諸困難は、解決可能な課題だと考える。さらに、諸外国の農業者にわが国市場へのフリー・アクセスを与えることも可能だと考える。 農業は先進国で比較優位をもちうる産業である。日本は先進国であり、農産物の輸出国にさえなれる潜在的条件をもっている。この条件をいかに生かすかが重要である。技術革新と規模の利益を実現させるシステムを設計することが肝要である。(中略)
 農業をいかなる産業と把握するかで、農業に対する政策体系は異なる。農業を「後進的な産業」ととらえた場合、国内の自給体制の維持をめざす限り、過保護農政に走ることになる。われわれは、農業は研究開発ならびにヒューマン・キャピタル(人的資本)の蓄積が他産業以上に重要であると考える。 それ故、農業は本来なら先進国で比較優位をもちうる産業であり、最も「先進国型」の産業であると考える。輸入制限がなくても、わが国で農業が発達する条件が潜在的にはあると考える。 (叶芳和『農業自立戦略の研究』から)
 上記『NIRA報告書』に書かれた叶芳和氏の考えは、農業を産業として捉えている。それとは違って、農業を公共事業として捉えるのはヨーロッパの行政機関で普及しているようだ。 ここでは、2003年2月3日と4日にNHKテレビ「ETV2003」で「EU21世紀の農村再生」という番組があったので、そこで放送された中での発言を引用しよう。
 ドイツの消費者保護・食糧。農林省局長=ヘルマン・シュラーベック氏のコメント
 農家が果たす役割は益々重要になってきています。国民のために食糧を生産することにとどまらず、地域を活き活きと健全に維持し続けているのです。又、農村に雇用を作り出す役割も果たしています。今我々は農業に対する助成を、現状を守ったり自然を守ったりする分野で強化しています。さらに農村を活性化させるための助成も増やしています。こうした助成を徹底させていくことが必要だと考えています。
 欧州委員会農業担当委員=フランツ・フィシュラー氏のコメント
 農業の役割は牛乳や肉、麦などを生産することにとどまりません。景観を守り、高い品質の食品を生産し、そして自然環境を維持していく役割のあるのです。
 欧州委員会農業総局前副局長=ディビット・ロバーツ氏のコメント
 農業は地域の活性化を維持する役割を果たしています。私たちは地域政策の中で農業を効率化しすぎないように、細心の注意を払わなければなりません。農業の効率化によって、地方に住む人が減ってしまうことになってしまえば、基本的な地方行政を維持していくうえでの人口が保てなくなるために、その地方は衰退していかざるを得ないからです。 我々は地域に雇用機会を様々なかたちで保証し、農村を活性化しようとしているのです。
 <農業は産業?それとも公共事業?>から
 EUの農業の捉え方は、「利益を出し、農家が豊になることを目指す」のではなく、「公共事業として、コストは税金で負担し、農家の所得格差が出ないようにする」 つまり、「乏しきを憂えず、等しからざるを嘆き悲しむ社会」を目指すことになる。
 日本でも「農業の環境保全効果を高く評価すべきだ。水田のダム効果も無視できない」として、農業を、産業としてではなく、環境保全の公共事業として捉える人たちもいる。 この2つの捉え方は別の面でも違った考え方になってくる。
「儲かる農業を目指すべきだ。そうすれば若い人も将来に不安を持たずに農業に参入し、後継者不足は解消される」VS
「地域政策の中で農業を効率化しすぎないように、細心の注意を払わなければなりません。一部の人が利益追求に走り、所得格差が広がれば農村の共同体としての社会が崩れてしまいます」
米                         米                         米
<農業分野の一番弱者を救う「地産地消」=格差原理(the Difference Principle)>  「地産地消」によって利益を得られそうなのは、農業界の一番の弱者であろう。積極的に県外・海外にまで販路を拡げようとする農家・生産販売業者にとって、地産地消のスローガンは邪魔になる。 「一番の弱者が救われる制度」というと、ジョン・ロールズの『正義論』が頭に浮かぶ。地産地消は『正義論』の「格差原理」を具体化した政策と考えると分かりやすい。 「最大多数の最大幸福」という「功利主義」を採用した資本主義、これに批判的な『正義論』の立場からの政策と言える。この「地産地消」を採用した農水省のお役人さん、『正義論』をよくお勉強しているようだ。 隠れコミュニストとしてなかなかの才能の持ち主と見た。
 現代日本は「最大多数の、最大幸福」を暗黙の目標にしていると考えて良い。マルクス主義は「最大多数の」ではなくて、「プロレタリア階級の」であった。そしてジョン・ロールズの『正義論』は「最も弱者である階層の」と考えているらしい。 そこで、これらの考え方を並べてみよう。
 「最大多数の、最大幸福」=資本主義
 「プロレタリア階級の、最大幸福」=マルクス主義
 「最も弱者である階層の、最大幸福」=ジョン・ロールズの『正義論』
<「先に豊になれる者から豊になる」VS「乏しきを憂えず、等しからざるを嘆き悲しむ」>  農業を産業として捉え、農業が儲かるように、農家が豊になるように、農業政策を定め、農家も「儲かるのは良いことだ」との意識を持つことが大切だと思う。 「所得格差」という言葉を持ち出し、農業は儲かってはいけない、というような考えが広まってはいけないと思う。 ヨーロッパでの農業従事者は、環境保全公共事業体のサラリーマンになり、自営農家として利潤追求は農業政策に反することになり、ベンチャー精神をもった若者は農業に参入し難くなる。日本では、こうした社会主義政策は一部の隠れコミュニストを除き、多くの人の支持は得られないし、日本の経済システムには馴染まない。 「農家は生かさぬよう殺さぬよう」との考えや「百姓と胡麻の油は絞れば絞るほど出るものなり」という神尾若狭守春央のような考え方は止めましょうよ。「利潤を追求し、豊になろう」が自然でしょう。
 このホームページでは「農業は産業である」「工夫して儲かるなら、金持ちが増えてきても大いに結構」「農業で利益が上がるようになれば、後継者不足も解消され、農産物の生産量も上がるはずだ」 「その中から世界市場に通用するような農産物が登場し、農産物の輸出が伸びれば、さらに産業として発展するに違いない」「地産地消という狭い地域に拘らず、世界市場を目指す農業産業が育つことを目標とすべきだ」
 このように考え、「地産地消」を考えていきます。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『農業自立戦略の研究』(通称「NIRA報告書」)                  叶芳和 総合研究開発機構 1981. 8. 1
『正義論』                         ジョン・ロールズ 矢島鈞次監訳 紀伊國屋書店   1979. 8.31
『公正としての正義再説』 ジョン・ロールズ エリン・ケリー編 田中成明・亀本洋・平井亮輔訳 岩波書店     2004. 8.26
『ロールズ』     チャンドラン・クカサス/フィリップ・ペティット 山田八千子・嶋津格訳 勁草書房     1996.10. 1
( 2007年2月5日 TANAKA1942b )
▲top
(2)世界各国が地産地消を進めたら?
その時、日本への経済封鎖が始まった
<日本が地産地消を進めるなら、相手国も地産地消を進める> 地産地消を進める農水省は農林水産物等の輸出促進も進めている。「日本国民の皆さん、身近な所で生産された食料を食べましょう」「外国の皆さん、地産地消とは言わずに、日本の食料を食べてください」 と矛盾したことを言っている。日本政府は日本国民の生命と財産を守ることを主要な任務とする。だから、日本国政府は、日本国民には「国産愛用」を訴え、外国には「日本製品愛用」を勧める。 それでこそ、日本国民のために仕事をしていると言えるようだ。
 それはともかく、「食料自給率が40%と低い。自給率を上げなくてはならない」と警告を発する人は、「もしも、外国が日本に食料を輸出しなくなったら大変だ」と言う。 経済学的な観点から言えば、「諸外国が日本への輸出を規制するより、諸外国が日本商品を買わなくなった方が、日本経済に大きな打撃を与えることになる」となるのだが、こうした観点からの意見は聞かれない。
 日本政府が、日本国民の利益確保の面から「地産地消」を進めるのは良しとして、諸外国も自国民の利益確保の面から「地産地消」を進めることを、日本政府は容認しなければならない。
 このように考えてくると、日本政府は「地産地消」=「保護貿易」を進めるのか?食料の輸出入自由化=「自由貿易」を進めるのか?基本政策をハッキリさせなければならない。
<暗黒の木曜日以降、各国が地産地消を進めた> 「暗黒の木曜日(ブラックサースデー)」と呼ばれる1929年10月24日、ニューヨーク株式市場で、ジェネラルモーターズ株価が80セント下落したのをきっかけに、株式市場は売り一色となり、株価は大暴落した。 これをきっかけとして、アメリカの金融政策の失敗もあって、世界的な不況・恐慌が始まった。
 アメリカから始まったこの大恐慌、ヨーロッパへも広がり、1931年8月25日に成立したイギリスのマクドナルド挙国一致内閣は年9月21日に金本位制を廃止した。1932年7月21日から8月21日、カナダのオタワでイギリス帝国経済会議を開き、オタワ協定を締結した。(会議に参加したのはイギリス本国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、アイルランドの各自治領、インド、南ローデシアの植民地) これはイギリス連邦を世界恐慌から救出する方策として、イギリス連邦以外の国の製品に対して高い関税を賦課し、連邦諸国内の製品の関税は低くするという特恵制度をより完備・徹底したのもだった。「イギリス連邦の皆さんは、イギリス連邦で生産されたものを買いましょう」「連邦内の顔の見える生産者のものを買いましょう」「東洋には『地産地消』とか『身土不二』という言葉があります。これを見習いましょう」という事だった。
 イギリス連邦ほどの広さなら自給自足も可能であったが、日本列島だけでは無理だった。朝鮮半島、満州帝国を含めて自給自足体制を作ろうとしたが、エネルギー源としての石油が足りなかった。このため仏領インドシナを制圧し、さらに南方へ自給地を広げようとして「大東亜共栄圏」なる幻想を設計した。大日本帝国があの時代に知恵を絞った挙げ句の「自給自足」政策であり、「地産地消」政策でもあった。もしも大東亜共栄圏ができていたら、石油は大日本帝国南アジア自治領から自給し、畜産業の飼料としてのグレーンソルガム(コウリャン)は同盟国の満州帝国の顔の見える生産者から買えばいいことになっていただろう。イタリアは1935年にエチオピアに侵略しここを自給地とし、1939年にはアルバニアを占領する。 ドイツは1938年 3月13日オーストリア併合 を皮切りに、1939年9月1日に、ドイツ軍(兵員150万人、戦車2000両、航空機1600機)はポーランドへ侵攻し、 東ヨーロッパへ自給地を広げていった。この時代「地産地消」「身土不二」を徹底するには自国の領土を広げることが政策となった。特にイギリス、フランスは植民地という自給地を持っていたし、アメリカは自国だけで自給自足ができた。後発先進国のドイツ、イタリア、日本は先輩先進国のいじめに遭いながら手付かずの自給地を作らなければならなかった。
<出る杭=日本はとことん打たれた> この時代の「自給自足政策」「地産地消政策」はあまり研究されていない。資料を捜して、『対日経済封鎖 日本を追いつめた12年』という本を見つけた。そこから一部引用することにしよう。
 戦間期までには欧米先進諸国の殖民地獲得競争はすでに過去のものとなっていた。 また世界経済も第1次世界大戦後の反動不況から立ち直りつつあった。戦前の秩序にそのまま復帰することは夢でしかなかった。世界の既成の秩序はその根底から揺らぎ、大きな変革へと胎動しつつあった。 そのような歴史過程の中で、日本は急速に世界市場へ参入し、当時の世界のダイナミックな変革へ、さらに拍車をかけていく。
 当時の日本は、努力の集積の結果、先進の欧米諸国に「追いつき」つつあった相対的経済後発国であった。日本の経済的な「追いつき」は、海外市場への輸出の競争力として現れた。 しかも、東洋の一小国の世界市場への挑戦的参入は、欧米諸国がかつて経験したことのないものであった、特に発展途上国へ工業製品を輸出していた先進諸国にとっては、日本の登場はその市場への"侵略"と見なされた。 先進諸国のうち世界のその時点での現状維持(スティタスクオ)こそ「正しい」と信じる国の眼には、日本は暗黙裡に既得権益と市場の秩序を破壊する"侵略者"と感じられた。 日本は既存の市場の均衡を破り、不当な廉価販売によって先入者達の富を略奪すると思われた。
 かくて欧米諸国の海外市場とその殖民地および属領などは、日本からの輸出品に対して厳しい規制をかけていく。差別的規制もあった。 日本側の対応もあって、それらは当時の国際的諸条件のもとで瞬く間に世界を覆っていく。当時の日本は特に貿易を規制されては生き延びていけなかった。 言い換えれば、日本は勤勉な労働力に頼って、資源の乏しい国土の不利益性を国際交易によって代替し、産業化を進展させ、世界市場と共存してきたからとも言える。 日本経済の発展は、日本自身にとっても初めての世界市場への大規模な参入となって現れ、先進諸国をはじめとするほぼ全世界から厳しい通商摩擦の十字砲火の中にさらされた。 激しさを加える対日輸入規制は日本経済に深い影響を与え、それに基づく日本側からの通商相手国への反応は、相手国側からのリアクションを招き、波及的な相互作用をうながしたのである。 それはまた国際経済の性質上、決して2国間のみに留まることはできなかった。そのいずれかの国と交易をしている第3国へも波及し、そこでもまた相互反応を生み出した。 ひいては保護主義の悪循環を招いた。そして世界貿易は、縮小の渦の中へと陥ったのである。 (『対日経済封鎖』から)
<保護貿易主義の加害者と被害者> 上記文章は、「日本が保護貿易によって経済的被害を受けた」と主張している。欧米経済的・植民地主義的先進国が保護貿易主義を採用し、それによって、後発工業国・日本が被害を被った、という文脈になっている。 これは世界恐慌時のことであって、現代のことではない。この保護貿易主義が世界経済に大きな悪影響を及ぼしたことを反省して、「ガット」がそして「WTO」が創設され、自由貿易を進めようと世界は努力している。 ウルグアイラウンドでは各国の国内事情もあって、進み方はゆっくりではあるが、自由貿易を目指し進んでいる。
 保護貿易の被害者であった日本は、自給自足・地産地消を進めなければならなくなり、自給地を拡げようとした。その結果がアジアへの侵略であり、先進諸国との経済摩擦であった。 その保護貿易の被害者であった日本が、今度は地産地消・自給自足を進めようとしている。かつての被害者が今度は加害者になろうとしている。あの「大東亜共栄圏」の反省は何だったのだろうか? 関東軍など、一部軍部の独走だけが原因だったのだろうか?その程度の反省の深さなのだろうか?
 先進技術を持たない発展途上国が人件費の安さや、勤勉さを武器に世界市場に参入しようとする。繊維製品・軽工業品・精密機器の部品、その土地の気候条件などを生かした農産物などを先進国などに売り込もうとする。その時先進諸国との経済摩擦が起こる。 しかし、そのとき保護主義を取らないようにと「ガット」や「WTO」ができたのだが、かつて保護貿易の被害者だった日本が、今度は保護貿易を取ろうと、加害者になりつつある。 そのことに気づかずに「地産地消」を進めようとしている。 <自由貿易はゼロサムゲームではない> レスター・C. サロー著『ゼロ・サム社会』が出版されてから、「ゼロサムゲーム」という言葉が意識されるようになった。勝者と敗者の利益と損失を合計すると、結局はプラス・マイナスがゼロになるゲームのことだ。 例えば株式の取引で、短期的に見れば勝者と敗者の利益と損失の合計はゼロになることが多い。けれども平均株価が上がっていれば、合計がプラスになることもある。
 貿易ではどうであろうか?各国の、経常収支=貿易収支を合計すればプラス・マイナスはゼロになる。けれども、各国の国民の厚生という面からみれば、プラスになる。 ただし、各国の国内の合計であって、国内を見ればプラスの部分とマイナスの部分が出る。経常収支赤字国では、一部の産業が輸出不振になるのでこの部分はマイナス。しかし、外国から安い商品が輸入されたので多くの消費者にとってはプラス。 このマイナスの部分とプラスの部分を合計すれば、結果的には、この国の厚生にとって貿易はプラスとして働く。ただし。この場合輸出不振になる産業が政府に強く働きかけると、政府は国内産業保護の名目で輸入規制をするかも知れない。 そして、それを大きく宣伝することにより、国民は貿易赤字は自国にとって経済的にマイナス要因であるかのように思ってしまう。
 貿易赤字は一部の人にとってマイナスであり、多くの人にとってプラス。この場合、利益を得ている多くの人は何も言わないが、被害を受ける一部の人は、大きな声で被害を訴える。 国会議員はあまり発言しない多数の有権者よりも、たとえ少数でも大声で訴える有権者の意見を採用しがちになる。 このためもあって、貿易赤字は自国にとって良くないことであり、黒字に転換するよう政策を転換しなければならない、と誤解してしまう。
米                         米                         米
<地産地消=東京都民はコメを自給すべきだ> 「地産地消は、もともと、地域で生産されたものをその地域で消費することを意味する言葉である」これが 「国産品を優先的に消費することを通じて、食料自給率の向上にもつながっていく考えである」へと変わっていく。
 結局のところは「国産品愛用運動」に他ならないのだが、それでも「地産地消」という言葉に拘れば「東京都民はコメを自給すべきだ」となる。
 そのコメの生産量はどのようになっているのだろうか?農水省のホーム・ページから数字を拾ってみた。さらに、人口数も表にしてみた。
 「地域で生産されたものをその地域で消費する」ということは「消費者はその地域で生産されたものを消費する」であり、食料で考えれば、コメの消費が多いので、コメで「地産地消」を実行すべき、ということになる。 つまり、「地産地消」の精神を尊重するならば「東京都民はコメを自給すべきだ」となる。表を見れば、東京都民がいかに「反地産地消」の生活をしているかがわかる。
 そこで、「東京都民はコメを自給すべきだ」という公約で都知事が当選したらどうなるだろうか?」ということが問題になる。 もし、東京都民がコメを自給しようとしたらどうなるか?それは<自給自足の神話>を参照のこと。
平成16・17・18年産水陸稲の収穫量
地 域  16年収穫量 t   17年収穫量 t   18年収穫量 t   17年人口 千人
全 国 8,730,000 9,074,000 8,556,000 127,757
北海道 623,900 682,600 643,900 5,627
新 潟 594,700 652,200 650,800 2,431
秋 田 456,300 544,000 540,100 1,145
福 島 455,700 449,100 433,700 2,091
宮 城 447,500 423,700 399,300 2,365
茨 城 436,100 425,200 400,500 2,975
山 形 396,600 429,500 419,000 1,216
栃 木 392,900 375,200 340,900 2,016
千 葉 352,400 339,400 318,900 6,056
岩 手 328,000 326,000 312,000 1,386
青 森 315,200 322,800 309,700 1,437
東 京 910 888 809 12,571
<地産地消は誰にとって利益があるのか?> 「経済学とは損得勘定を科学する学問である」がTANAKAの考え方だ。好き嫌いの「感情」は人によって違いがあるけれど、損得「勘定」はあまり違いがない。 いろんな人がいても「公正な第三者が見れば」損得勘定に違いが出ない。そこで「地産地消はだれにとって利益があるのか?」と「地産地消の損得勘定」を考えてみることにした。
 生産者にとっては、近くの消費者がお得意さまになるので、「地産地消は大いに歓迎」となるだろう。しかし、市場を拡げて、遠くの消費者にもアピールしようとすると、遠くの消費者は「地産地消です。近くで生産されたものを買います」と言ってお得意さまにはならない。 つまり、生産を拡大することなしに、現状維持を目的とする生産者にとって「地産地消のスローガンは大いに歓迎」であるが、生産を拡大し、海外へ輸出しようと考えているような、意欲的な生産者にとってはイヤなスローガンになる。
 農水省は、地産地消を推し進める一方、農産物の輸出も振興しようとしている。 輸出振興で、意欲的な生産者を支援し、地産地消で衰退ぎみの生産者を保護しようとしている。<農林水産物等の輸出促進対策> このように2つの顔を使い分けている。2つの矛盾した顔を理解しないと、結局矛盾した政策をとっている、と不信感を募らせることになる。
 地産地消は消費者にとってプラスかマイナスか?答えは簡単、選ぶ自由さえ保証されるなら、どちらでも良い。近くで生産されたものが良いなら、近くで生産されたものを買えば良い。 遠くで生産されたものでも、美味しかったり、安かったり、気に入ったものがあればそれを買えば良い。一々、生産者や農水省や消費者団体から指示されたり、「教育」される必要はない。
 「地産地消」とは衰退する日本農業の中で、いずれ撤退するであろう農家に対する保護政策に他ならない。市場経済のもと、「農業は産業である」とハッキリ意識し、市場で消費者にアピールし生産を拡大しようとする生産者にとっては邪魔なスローガンであるが、反対するには、支持者の抵抗が怖いので黙っている。 また、「地産地消」と言う言葉の響きがよいので、時間その他に余裕のできた人たちが、「日本の農業を守ろう」と「地産地消」をスローガンに市民運動に参入することになる。 こちらはせっぱ詰まった運動ではないので、たとえ支持者が増えなくても、自分たちの気持ちが満たされるなら止めることはない。ということで、「地産地消」は直接利害関係のない人たちによって支持・運営されていくことになるのだろう。 かつての、対日経済封鎖によって「大東亜共栄圏」という誤った道を歩んでいったことなどは、そこまでは考えることなく、運動に身を投じることになるのだろう。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『対日経済封鎖』日本を追いつめた12年            池田美智子 日本経済新聞社  1992. 3.25
『ガットからWTOへ』貿易摩擦の現代史            池田美智子 ちくま新書    1996. 8.20
『米・欧農業交渉』関税削減交渉から農政改革交渉へ        遠藤保雄 農林統計協会   1999. 8.31
( 2007年2月12日 TANAKA1942b )
▲top
(3)鎖国をすれば自給率100%
日本列島で養えるのは江戸時代の人口
 「大江戸経済学」シリーズを立ち上げたとき、<はじめに>と題して次のように書いた。 21世紀の現代、「地産地消」といいう言葉が日本国内で、 農水省のお墨付きを得て農産物生産者の間で聞かれるようになった。「地産地消」が「国産品を優先的に消費すること」ならば、江戸時代のように鎖国をすれば良い (「江戸時代は鎖国ではなく、単に、外国との窓口を長崎に限定していただけだ」との見方が現代の主流であるが、ここではあまり突っ込まないことにする)。
<はじめに>
GDPが3倍になった秘密 このごろTANAKA1942bのこのHPで江戸時代のことが度々登場する。米帳合取引・荻原重秀・新井白石・田沼意次・松平定信・海保青陵・山片蟠桃・本多利明・平賀源内・杉田玄白。江戸時代は面白い時代だと思うようになってきた。 1640年から1853年まで鎖国をしていて、ほぼ完全に自給自足の時代。そしてそれは「コメ自由化反対」を主張する「尊農攘夷」信仰者が憧れる、自給自足の社会だった。その自給自足の時代にあって、1600年ごろの人口が1,000万台、1720年を2,600万台とすると120年間で2.6倍の増加があり、これが幕末には約3,000万人になっている。 日本列島でこのように人口が増加したということは、大雑把に言えば国内総生産GDPが3倍になった、ということだ。
 幕藩体制とは、各藩が独立主権国家のような政治体制だった。「地方の時代」とか「道州制度」を主張する人にとっても憧れの時代なのだろう。 しかもコメの流通制度や田沼意次の経済構造改革は現代でも、これを理解できない人がいるくらい進んだものだった。まだまだ探せば秘密があるに違いない。 あの時代に経済規模を3倍にした秘密とそれに伴う社会・文化の変化が。そのような思いから「大江戸経済学」とのタイトルを立ち上げてみた。江戸時代をタテにヨコに切ってみようと思う。 切り方と切った後の処理が勝負になる。「趣味の経済学」を基本にユニークな論法を展開しようと思う。 いつもながら、私の個人的な趣味へのお付き合い、よろしくお願い致します。 ( 2002年2月11日 TANAKA1942b )
米                         米                         米
<野生動物の生息数は食料供給量に依存する=人間も食料供給量に依存する> 食料自給率40%を心配する人がいる。では100%にするにはどうすればいいのか? 農水省のHPによると、「私たちの食生活は、国内農地面積(476万ha(平成14年度))とその約2.5倍に相当する1,200万haの海外の農地面積により支えられています」ということだ。 その意味することは、@国内農地面積を3.4倍にする。A生産性を3.4倍に、つまり単位あたりの収穫を3.4倍にする。B消費量を3.4分の1にする。C人口を3.4分の1にする。 このどれかを選ぶことになる。
 戦前の日本政府の政策は、@農地面積を拡げるために、朝鮮半島・中国東北部(満州国)を日本の食料供給地にしようとした。ただし、あからさまに、「日本人のための食料供給地を増やす」とは言えないから「大東亜共栄圏」という表現を使った。
 戦後日本の政策は。この農水省の発想とは違う。「食料自給のための4つの施策はどれも不可能である。それならば、海外から輸入すれば良い。そのための資金は工業製品を輸出して稼げば良い」となった。 つまり、食料自給率が低いのは、それを容認して、政策を立案する。その政策は期待通りの成果を上げている。こうした状況を理解していない人が、「食糧安保」という言葉を使って危機感を煽っている。 その煽りが「国産品を優先的に消費する」との「国産品愛用運動」を支援することになり、衰退する農家と農協がこれにのって、助成金増額要求の材料にしている。
 自給率100%策の中、C人口を3.4分の1にする。とはどういうことか?答えは:江戸時代の人口にすれば良い、だ。
 江戸時代の人口とは、生産される=供給される食糧の多さに依存していた。けれどもここでは違った例を持ち出して、「自給自足地域の人口は、食料供給量に依存する」を説明してみよう。
 1492年10月12日、クリストファー・コロンブスと彼の部下たちがインドや東インド諸島への近道を探しているうちに、カリブ諸島に到着した。アジアの一部と思い込んでいたアメリカ大陸を発見してしまったコロンブスの後、多くの冒険家が新大陸を目指し、帰りには金や銀や、そして野菜を持ち帰った。 ヨーロッパ人が知らなかった多くの野菜が長い時間をかけて、ヨーロッパ人に、アジア人に、日本人に受け入れられていった。 それは「新大陸からの金銀以上の宝物」であった。
 新大陸からは、トマト、ジャガイモ、トウガラシ、トウモロコシ、インゲンマメ、 ピーマン、シシトウ、パプリカ、パイナップル、カボチャ、サツマイモがヨーロッパに持ち込まれた。 これらの中すぐにヨーロッパ人に受け入れられたものもあるし、かなりの時間が掛かったものもある。ここでは「ジャガイモ」について説明しよう。 <ジャガイモには毒がある?> 新大陸から持ち込まれた植物の内、トマト、ジャガイモには毒があると信じられていた。 迷信は長く信じられたが、次第に実用的な特徴に気がつき始めた。 栽培が簡単である。 北ヨーロッパの寒い地方でもよく育つ。 収穫量が多い。 苗を植えてから3ヶ月もすれば収穫できる。 同じ広さの土地から、コムギはもちろんトウモロコシの5倍の収穫がある。 炭水化物はじめビタミン類など栄養面で優れている。 地下に育つため強風や雹の影響を受けない。
 プロイセンでは1600年代後半、何度か凶作に見舞われた。このためプロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルムは、すべての小作人にジャガイモを栽培するよう命令した。プロイセンで広く栽培されるようになった結果、1700年代後半におこった戦争でジャガイモは重要な役割を果たした。1780年プロイセンのフリードリッヒ大王は隣国オーストリアと一戦を交えたが、両軍はたがいに敵国のジャガイモ畑を徹底的に荒らした。この戦略のせいでこの戦いは「カルトフェルクリーク(Kartoffelkrieg) 」、つまり「ジャガイモ戦争」(正式名称は「バイエルン継承戦争」)としてひろく知られるようになった。
 もう一つヨーロッパ人がジャガイモを食べるきっかけを作った戦争がある。1756年から1763年まで続いた7年戦争中に、フランス軍に従軍していた薬剤師アントワープ・パルマンティエはプロイセン軍に捕らえられて3年間投獄された。牢獄でジャガイモ料理をあてがわれたパルマンティエはこのアメリカからきた地下茎はフランスの農民にとって理想的な作物になる、と確信した。そして1771年、栄養豊富なジャガイモは「緊急時には普通の食物の代用品になる」と、栽培を推薦する学術論文を書いて賞を受けた。パルマンティエのジャガイモ推進運動は王室の関心も捉える。1785年バスケットいっぱいのジャガイモをルイ16世に、ジャガイモの花で作ったブーケをマリー・アントワネットに贈って好印象を得た。
 1700年代後半になってパルマンティエの努力が実を結ぶ。農民はジャガイモを栽培し始め、多くの料理が工夫され、「フライドポテト」(フレンチフライ)の世に生み出されるようになった。1765年、ロシアではエカテリーナ2世がジャガイモの栽培を国民に奨励する。ポーランド、オランダ、ベルギー、スカンジナヴィア諸国でもジャガイモのお陰で、栄養のある安定した食生活が送れるようになった。
<アイルランドのジャガイモ> アイルランドでは1754年から1845年までに人口が320万人から820万人に増加した。ジャガイモのおかげで増加した人口、しかし1845年ジャガイモの凶作が訪れた。 1848年にもジャガイモ凶作になる。1849年までに150万人が死に(200万人との説もある)、年間20万人、計100万人がわずかなたねイモをもって北アメリカに渡った。 アメリカ東北部にアイルランドからの移民が多いのは、このことに関係がある。このジャガイモ凶作からの移民から、後に2人の大統領、ケネディとレーガンが選出された。 <アイルランドのジャガイモ>を参照のこと。
米                         米                         米
<アフリカ経済ホットケナイ> 日本列島では、その土地で養える人口の3.4倍の人口が栄養失調にもならずに生活している。それは日本の農家が生産するよりも多くの食料を海外から輸入しているからだ。 それができるのは、工業製品などを輸出してドルを稼いでいるから、言い換えれば「日本の食料の60%は、工業労働者が稼ぐ金で海外から買ってきている」。食事前に「農家の皆さん、今日もお食事をありがとうございます」というなら「工場労働者の皆さん、外国からの食料、ありがとうございます」と言うべきだろう。
 日本ではこのように工業製品を輸出して、その資金で海外から食料を輸入・供給している。これが市場経済システム内で行われている。ではアフリカ、サブ・サハラと言われる南部アフリカではどうか? サブ・サハラでは経済成長が0%で、人口が毎年2%ずつ増えている。つまり毎年人々は2%ずつ貧しくなっている。経済成長が0%ということは、食料増産も0%、扶養可能な食糧増産が0%で、人口が2%増加している、 本来ならば、食料が増えないのだから人口も増えないはずなのに、サブ・サハラでは、こうした異常な状態が続いている。上に書いた「自給自足地域の人口は、食料供給量に依存する」とは違った現象が起きている。何故だろうか?
 日本では、工業製品を輸出してその資金で海外から食料を買ってきている。経常収支赤字=貿易収支赤字のサブ・サハラでは外国から食料を買ってくる資金がない。それなのに人口が増えている。 資金がなくても外部から食料が移入されている。市場経済のシステムでは考えられないことだ。何故そうなるのか?それは、先進国からの「顔の見える援助」によって食料が持ち込まれているからだ。 このため、経済は成長しない、食料は増産されない、それなのに人口は増加する。こうした異常な現象が続いている。
 あるべき姿というのは、先進国からの援助により、インフラが整備され、そこで経済が自立に向かい、成長し、食料が増産され、それにより人口が増加する、ということが望まれる。 サブ・サハラをはじめとする最貧国(後発開発途上国=LLDC)・重債務国(HIPC)の経済・社会政策をどのように考え・対策を採れば良いのか、経済学者からの説得力ある提案は聞かれない。 よく発言しているのは、ジュビリー2000の「先進国は重債務国の債券を放棄せよ」と、社会派ロックバンドU2のリードボーカル=ボノ=Bono (Paul David Hewson, 1960年5月10日 -) の「ほっとけない 世界のまずしさ」などだろう。
 TANAKAの考えは「フェアトレードは最貧国の自立を支援するか?」に書いたのでそちらを参照のこと。
 地産地消との関係で言うならば、地産地消をやめて、自由貿易を促進させ、人件費の安さなどで勝負してくる最貧国からの製品を輸入しやすくすることだ。農産物でも軽工業製品でも良い、日本の消費者にとっても安い商品が手に入るのは喜ぶべきことだ。 そして、日本の企業がサブ・サハラに進出するようになると良い。雇用が促進され経済が活性化され、現地の人々が市場経済での企業経営を経験すれば、将来に希望が持てる。ジュビリー2000が主張する「債権放棄」を行うと、今後企業進出が難しくなり、投資意欲が削がれる。 債権放棄とは、松平定信の「棄捐令」と同じことで、根本的な解決にはならない。
 棄捐令(きえんれい)江戸時代、幕府や諸藩が家臣団の財政窮乏を救うため、高利貸商人の札差に一方的に命じた借金帳消し・軽減令。寛政改革の一環として1789(寛政1)年9月に発布された。 (中略)松平定信ら当時の幕閣はこの改革で1784年以前の札差借財はすべて帳消し(棄捐)、89年夏までの残余は年6%の年賦返済とし、以後の新規借り入れは年利18%を12%と引き下げさした。棄捐となった札差債権は118万両余に達し、旗本らの債務は一挙に軽減されたが新規の金融を拒否され、かえって恐慌状態に陥るほどであった(平凡社 大百科事典から)。 どなたか勇気ある人は日本の歴史を教えてあげてください。
 もう一つ、河野和男著『自殺する種子』に次のように書かれていることが印象的だ。
 「ビル・ゲイツが指摘するように、組み換え遺伝子を使ってイネのベータカロチン含有量を増大させ、熱帯の消費者の体内でビタミンA不足を解消させる可能性の追求や、損害を被っている人の数では目下地球上最大の作物病害ではないかとも言われるアフリカのキャッサバモザイクウィルス病を組み換え遺伝子を使って解決できたら、人類史的貢献になるだろう。 こうした研究開発が具体化すれば、世界の食糧危機を救う可能性が高まったと言える」
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『世界を変えた野菜読本』   シルヴィア・ジョンソン 金原端人訳 晶文社  1999.10.10  
『世界を変えた作物』              藤巻宏・鵜飼保雄 培風館  1985. 4.30
『じゃがいもの旅の物語』                杉田房子 人間社  1996.11. 7  
『自殺する種子』遺伝資源は誰のもの?          河野和男 新思索社 2001.12.30
( 2007年2月19日 TANAKA1942b )
▲top
(4)安定供給には関税率の工夫を
供給地を増やし、リスクを分散すること
 領土の割に人口が多く、資源に乏しい日本は自由貿易でこそ豊かさを維持できるのであって、保護貿易になれば、国民の厚生は低下する。 その程度の激しかったのが、戦前の、ABCDラインと呼ばれた、アメリカ、イギリス、中国、オランダなどによる輸入規制など対日経済封鎖による締めつけであった。 現代の日本にとって諸外国の対日輸出規制があれば、それは日本経済に打撃を与えることになるが、それ以上に大きな打撃を与えるのは日本からの輸入規制だ。 貿易立国日本は経常収支黒字が続いている。経済関係のニュースでも輸出額の大小の方が輸入額の大小よりも話題になる。「もしも、外国が日本に売ってくれなくなったら?」との心配は不要。 それよりも、「日本からは何も買わないよ」と言われないようにすることが大切だ。日本が「地産地消」と言って、「国産品愛用」をスローガンにすれば、外国の「日本からは買わないよ」に反論しにくくなる。
 食料自給率40%の日本が食料の輸入自由化を実施して、それでもなおかつコメの安定供給を確保するにはどうしたら良いか?それは、リスクを分散すること。すなわち、供給地・供給国を多くすることだ。 以前にもこの趣旨で書いた。<関税率の工夫とノブレス・オブリージュ 特定の国からの輸入に頼らない制度 ( 2001年5月21日 )>だ。同じ趣旨でここでも書くことにしよう。
米                         米                         米
<コメ関税化の工夫> コメの安定供給には供給地と流通経路を多くすることだ。自給率を高めることは安定供給にはならない。一国に頼らず多くの国から安定的に輸入できるように、コメの輸入を自由化し、その上で関税率を工夫する。TANAKA1942bが提案する試案は国別の輸入実績を基に関税率を決めようというものだ。
 まず米の輸入を関税化する。例えば、平成19年度(平成19年4月〜平成20年3月)までは全ての国からの輸入関税を500%とする。以後、
 平成20年度(平成20年4月〜平成21年3月)までは400%とする
 平成21年度(平成21年4月〜平成22年3月)までは300%とする
 平成22年度(平成22年4月〜平成23年3月)までは200%とする
 平成23年度(平成23年4月〜平成24年3月)までは100%とする
 平成24年度からは、前年の輸入実績によって国別に決められる。つまり、ある国からの、平成23年1月〜平成23年12月の輸入実績が、全輸入量の何%かによって決まる。
 A国からの平成23年1月〜平成23年12月の輸入実績が、全輸入量の50%だったとすると、 平成24年度の関税率は50%、
 B国からの平成23年1月〜平成23年12月の輸入実績が、全輸入量の30%だったとすると、 平成24年度の関税率は30%、
 C国からの平成23年1月〜平成23年12月の輸入実績が、全輸入量の10%だったとすると、 平成24年度の関税率は10%、
 D国からの平成23年1月〜平成23年12月の輸入実績が、全輸入量の3%だったとすると、 平成24年度の関税率は3%、
 E国からの平成23年1月〜平成23年12月の輸入実績が0であると、平成24年度の関税率は0%、とする。
 平成24年度米輸入に関して、A国は50%の関税がかけられ、D国には関税がかけられない。当然輸入業者は関税率の低い国から輸入しようとする。それによって平成24年度の輸入は前年とは違ってくる。 A国からに輸入が減り、C国からの輸入が増え、D国からの輸入されるかも知れない。そしてA国からの輸入が35%になったとすると、平成25年度A国からの輸入関税率は35%になる。 D国からの輸入が開始され10%の輸入があれば、平成25年度D国からの輸入関税率は10%になる。
 このようにして毎年関税率を調整することによって、特定の国からの輸入に頼ることがなくなる。
 日本市場へコメを売り込もうとしている代表はアメリカ・カリフォルニアのコメ生産者だろう。アリフォルニア米は日本産のジャポニカと比較しても味は劣らない。 生産コストは安いし、日本の農家にとっては脅威に違いない。けれども、このような関税制度を採用すれば、日本市場でプライス・メーカーにはなれない。 アメリカの農家に独占される恐れはない。中国・オーストラリア・タイなどの他に、ベトナムをはじめアジア諸国の中から日本にコメを輸出しようとする国が出てくるに違いない。 生産地・生産国が多くなることによってリスクが分散される。天候・気候などの影響による、日本国内での価格変動がヘッジされる。 食料安保とはこうした対策を練ることだ。
 ところでこのような関税率、国別に税率が違うのは最恵国条約に反することになる。いずれはこうした制度は廃止して関税率は一律にするのがいい。一律にしても供給が不安定になることはないだろうが、今は自由化反対の声が大きいのでこうした関税率を採用するのがいい。日本の市場が開放されコメの貿易量が多くなれば、つまり世界のコメ市場の取扱量が多くなれば、このような特別な関税率を適応しなくても安心だということが理解されるであろう。
米                         米                         米
<価格安定には先物取引を> リスク分散と言えば価格安定のための先物取引が考えられる。ここでは国内のコメの取引について書いてみよう。 以前に<農家はプットを生かそう=江戸時代の大阪堂島の商人に負けるな><キャベツ帳合取引所はいかがでしょうか?><帳合取引所はカジノなのか?>として書いた。 先物取引と書いたが、厳密に言えば「先渡し取引=Forward」であって「先物取引=Futures」とは少し違う。 江戸時代大坂堂島で行われていた「帳合い取引」とは「先物取引=Futures」で、現代の「日経先物取引」のような、現物を扱わない取引だった。これについては<大坂堂島米会所>を参考のこと。
<農家はプットを生かそう 江戸時代の大阪堂島の商人に負けるな>  今様米帳合取引所ができて、さあコメ作り農家はどのようにこのマネーゲームに参加するのだろうか?需要と供給のバランスをとること、価格の安定が主要な目的だ。それならば生産者米価の安定にも役立つのだろう。そうでなかったらコメ作り農家には必要ない無用の長物になる。この文はコメ作り農家がどのようにこの「今様米帳合取引所」を活用するか?の具体的な試案を提言するものである。コメ作り農家=田中さん、毎年農協を通してコメ1俵=60Kgを400口、すなわち24トン出荷していた。価格は1俵=60Kgで1万5千円。売上代金は 600万円。 コメも市場経済の荒波にもまれ始め「自己責任」の名の下に、自分で市場に出荷する時代になってしまった。「米価は農水省と全中あたりで決めてくれるのがいい」と考えていた田中さん、もう政府は何も決めてくれなくなってしまった。すべて「市場」に任せる、 と言う無責任ぶり。と怒りを露わにしても、結局自分で何とかしなければならなくなった。遠い海の向こうからもコメがやってくる時代になってしまった。生産者米価は幾らになるか分からない。秋になってみないと分からない。大方の予想は1万4千円から1万6千円だと言う。「その位の予想なら俺だって言えるよ」と文句を言っても、とにかく大損をしないようにしたい。大儲けはできなくても、大損はしたくない。そこでインターネットを使って、米帳合取引所のことを研究した。そしていくつかの戦略を立ててみた。これからその戦略について検討することにしよう。
<与件> コメ1俵=60Kgを1単位=1枚と表現する。田中さんは400枚売るつもり。田中さんの予想は1枚1万5千円。 いくつかの戦略を計画し、米価が1万3千円、1万4千円、1万5千円、1万6千円、1万7千円、の場合田中さんの収入を計算する。
<第1の戦略>  全て現物取引にする。この場合、米価が
13,000円の場合は 520万円。
14,000円の場合は 560万円。
15,000円の場合は 600万円。
16,000円の場合は 640万円。
17,000円の場合は 680万円。
<第2の戦略>  春に200枚=200俵(60Kgx200=12トン)を14,500円で先渡しで売っておく。14,500円x200=2,900,000円。 残り200枚は秋に現物取引する。この場合の収入はどうなるか?米価が
13,000円の場合、先渡し分2,900,000円。現物取引分13,000円X200=2,600,000円。両方で5,500,000円。
14,000円の場合、先渡し分2,900,000円。現物取引分14,000円X200=2,800,000円。両方で5,700,000円。
15,000円の場合。先渡し分2,900,000円。現物取引分15,000円X200=3,000,000円。両方で5,900,000円。
16,000円の場合。先渡し分2,900,000円。現物取引分16,000円X200=3,200,000円。両方で6,100,000円。
17,000円の場合。先渡し分2,900,000円。現物取引分17,000円X200=3,400,000円。両方で6,300,000円。
<第3の戦略>  200枚を14,500円で先渡し売り。100枚を14,200円でプットを買っておく。(14,200円で売る権利を買っておく)この場合の手数料=プレミアムを10万円と仮定する。
13,000円の場合。先渡し分2,900,000円。現物取引分1,300,000円。プットを行使して1,320,000円。全部で5,520,000円。
14,000円の場合。先渡し分2,900,000円。現物取引分1,400,000円。プットを行使して1,320,000円。全部で5,620,000円。
15,000円の場合。先渡し分2,900,000円。プットを行使せず現物取引分2,900,000円(手数料10万円)全部で5,800,000円。
16,000円の場合。先渡し分2,900,000円。プットを行使せず現物取引分3,100,000円(手数料10万円)全部で6,000,000円。
17,000円の場合。先渡し分2,900,000円。プットを行使せず現物取引分3,300,000円(手数料10万円)全部で6,200,000円。
<各戦略の検討>
   米価 13,000円  14,000円  15,000円  16,000円  17,000円  高低差
第1の戦略 520万円  560万円  600万円  640万円  680万円  160万円
第2の戦略 550万円  570万円  590万円  610万円  630万円  80万円
第3の戦略 552万円  562万円  580万円  600万円  620万円  68万円
<第1の戦略>  2001年現在日本での取引はこのケース。現先もオプションもできない。従って政府の関与が少なくなり、市場のメカニズムに任せるようになると、価格変動が大きくなる。全中が価格操作しようとこのマネーゲームに参加してきても、市場が大きくなれば相対的な影響力が小さくなり、無駄な抵抗で終わるだろう。後には市場介入に対する非難だけが残る。
<第2の戦略>  江戸時代大阪堂島のコメ商人が世界に先駆けて生み出した制度=米帳合い取引はこのケースよりも抽象的。日経225の取引が江戸時代の帳合い取引に相当する。コメの先物取引は江戸時代から少しづつ変化しながらも続き、統制経済の時代になくなった。 今はその統制経済のままの姿が残り、先渡し取引も先物取引も行わない、単なる現物取引だけの現在の制度を改革しようとしない。全農は「先物取引は生産農家にメリットはない」と主張する。コメの価格安定化よりも、日本の文化、ダム効果、環境保全、地域社会の要の方が大切のようだ。それも生産者以外の傍観者が言うなら分かるが、生産者も収入の安定よりもそれ以外の効果を重視するようだ。収入の安定が考慮されないなら、若い人の農業志望者が減るのは当然だ。尊農攘夷論者よりも、江戸時代の大阪商人の方が市場のメカニズムを効果的に活用していたようだ。
<第3の戦略>  21世紀の農家は最低この程度の戦略は採るようになるだろう。個々の農家にとって戦略選択が難しくても、コメ集荷業者がおすすめプランを作成するだろうからだ。農協の隙間を縫って参入する業者のウリは手数料の安さと付帯サービスになり、積極的に農家の相談役になろうとする。当然こうした市場のメカニズムに対する知識も十分身につけて参入するはずだ。せいぜい利用するのがいい。通常はコメ作り農家にとって消費者がお客様・神様だがこの場合は、コメ集荷業者にとってコメ作り農家がお客様・神様だ。うんと我が儘を言うがいい。これでやっと江戸時代の経済よりも進化したことになる。
<リスクの分散>  食糧の安定供給には「供給地を多くする」「流通経路を多くする」と主張してきた。つまり「リスクを分散する」ということだ。この今様米帳合取引も価格の変動というリスクを分散させようとの意図で運営される。「農業は工業と違って天候に左右される。」だから自給してリスクを一カ所で管理するか?それとも分散させるか?で考えは違ってくる。リスクを一カ所で管理するのがいいか?分散させるのがいいか?インターネットを利用している人なら答えは簡単。「パソコン通信がいいか?」「WWW インターネットがいいか?」好奇心の旺盛な人にはこの違いを研究して頂きましょう。そうするとコメの供給地を日本だけに限定して自給する制度と、日本だけでなく多くの国を供給地としてリスクを分散させる制度、この違いとそっくりなことに気づくはずだ。
 パソコン通信型のコメ経済は、供給地を管理しやすい日本だけにする、流通経路を農協だけにする、米取引を現物取引だけにする、そしてリスク負担は政府が負うという名目で、国民の税金に反映させる。つまりこれは統制経済を続行させようとの考えなのだ。人はそれを「社会主義経済」とか「国家独占資本主義」とか、あるいは「設計主義」と呼ぶようだ。
米                         米                         米
<農林中金総研は先物取引に否定的> 国内農産物の価格変動リスクを緩和するには、農産物の先物取引が有効である、というのがTANAKAの主張なのだが、農協関係者はそのようには見ていない。では、どのように考えているのか、農林中金総合研究所がまとめた『国内農産物の先物取引』の最初の部分と最後の部分から引用しよう。
<価格変動リスクを回避する先物取引> 商品先物取引、農産物先物取引の用語は新聞等で時折見かけるようにはなったが、まだまだ一般大衆にとっての馴染みは薄い。先物取引という言葉にいくぶんかのいかがわしさを嗅ぎ取るむきがあることも事実である。 しかしながら、現在、我が国には東京穀物商品取引所をはじめとして7つもの商品取引所が存在するとともに、1999年度の出来高は8865万枚、106兆円に及んでいる。商品別の出来高をみると、貴金属の39.8%に次いで農産物が27.5%をも占めている。 したがって、先物取引についての好き嫌いはさておいて、先物取引の実態についての性格な認識と基礎的な知識をもっておくことが必要な時代が到来しつつあるわけで、本書のねらいも、まさにここにある。
 先物取引は現物先物取引、現金決済取引、指数先物取引、オプション取引の4つもの取引形態があるが、要は市場を通じて価格変動リスクを低コストで他者に移転する仕組みが中心であり、ヘッジ機能を有しているところに最大の特徴があるということができる。 あわせて先物取引は人工的・抽象的につくられた派生的取引であるものの、一般の現物取引抜きにしては存在し得ないものであるとともに、現物の受け渡しに対する関心の有無とは関係なく価格変動リスクを負って利益を上げることを目的とする投資家が多数存在することによって成り立っていることも踏まえておくことが必要であろう。
 ところで、現在の先物取引の原型は1848年のシカゴ商品取引所の設立によって開始されている。収穫期に暴落、端境期に高騰する穀物価格の変動に悩まされていた関係者が、業者間で事前に販売契約を結んで価格を安定させるために考え出したのが、この先物取引なのである。
 我が国での先物取引は大坂堂島(江戸時代)の米会所に端を発し、こでが世界で最初の先物取引であると言われいる。1893年には取引所法が公布されされて米穀、綿糸、綿花、蚕糸、砂糖など各種の商品取引所が全国各地に設けられたが、戦後の1950年に新しい商品取引所法が制定公布され、その後数次にわたる改正を経て今日に至っている。 直近の98年の商品取引所法改正では鶏卵、ブロイラー等が新規に上場されるようになるとろもに、2000年5月には非遺伝子組み換え大豆の上場も開始されている。 また、業務規制の緩和、委託手数料の自由化等が促進されるなど自由化・市場化の流れに対応して体制整備がはかられてきた。 (『国内農産物の先物取引』はじめの部分から)
<先物の可能性と将来展望> 我が国においても、WTO体制下において農政が保護政策から市場重視へと転換しており、直接所得補償政策とは別途に、市場におけるリスク管理の導入が必要となるであろう。 ところが、現実には先物市場どころか現物市場さえも十分に整備されていない。コメでさえも現物市場の形成は未成熟段階であり、乳製品については緒についたばかりである。 また、野菜など卸売市場経由の流通にしても、市場外取引が増えてきており、その役割は低下している。いずれにしても、先物市場の指標となる現物価格の形成が求められる。
 さらに、我が国の場合には、小規模・兼業の生産者が大半であり、個人が自らリスクをとるとは考えにくい。また、そのようなやり方が効果的であるとは考えられない。 したがって、日本の場合には既存の農協系統の共販を含めた、より効率的かつ効果的な手法が求められる。本書では基本的には生産者を念頭において調査を進めてくたが、流通業者や加工業者等のニーズを含めて、さらなる検討が必要であろう。
 当初、農産物の先物取引の調査を始めたとき、生産者側からみて、リスク管理の一環として先物取引が利用される可能性があるのかという問題意識をもっていた。 その後、調査を進める過程で、農産物の生産・流通機構、価格決定方式、農家の零細性等から判断して、現状では生産者のリスク管理のための先物取引の役割は限定されるという認識に至った。
 しかしながら、生産者のリスク管理という観点に立てば、現在導入が検討されている直接所得補償制度を含めた総合的な対応策が必要であり、先物取引についても、市場における価格変動リスクを多少なりとも緩和するという観点から、リスク管理の一手法として位置づけて改善していくことが重要であると考える。 (『国内農産物の先物取引』終わりの部分から)
 この本では、はじめの部分で、先物取引が価格変動リスク回避に有効であるかのように書き出して、最後の結論では「先物取引は有効ではないので、直接所得補償制度を採用すべき」と言って、先物取引に否定的な態度を取っている。 柔らかい言い方で、反対派を刺激ししないように気を配りながら、反市場経済的な姿勢をとっている。江戸時代の大坂堂島の米商人たちよりも市場のメカニズムに不信感を表している。
 ところで、どのような穀物を例に取って検討しているのか?と言うと、「ブロイラー」「鶏卵」「ジャガイモ」を例に取って検討し、輸入穀物として、「トウモロコシ」「コーヒー生豆」を例に取って検討している。 この本でも指摘しているのだが、先物取引に適した穀物とは、@品質が均等で大量取引に適していること、A価格変動が激しい商品であること、B十分な市場規模があること、C現物取引における独占・寡占がないこと、が要件となる。 しかし、「ブロイラー」「鶏卵」「ジャガイモ」は先物取引に適した商品とは言えない。先物取引に不適な商品を取り上げて「先物取引は価格変動リスク回避に不適である」と結論づけている。 「リスク管理手法としての可能性」を検討すると言いながら、実は「先物取引よりも直接所得補償制度を」と訴えることを主眼として書かれている。この本を読んだ読者は「先物取引は農産物取引に不適だ」と思い込んでしまう。 江戸時代、大坂堂島で米先物取引を始めた大坂商人を見習う必要があると感じた。
米                         米                         米
<卵は一つのカゴに盛るな> マネーゲームに夢中になっている人ならピンとくるでしょう。「リスク管理の大原則、自分の大切な卵を一つのカゴに入れておくと、もしもカゴを落としたら、卵はみんな割れてしまう。 だから、いくつかのカゴに分けて入れておけば、どれか1つを落としても、全部が割れることはない」との例え話ですね。
 新しい事業を始めようとして、その資金をどうするか?だれかに投資して貰わなくてはならない。そんなとき「Aさんに頼もう。でも、もし断られたらBさんにも声をかけよう。Bさんに断られたらCさんに声をかけよう」と考えるでしょう。 そして実際は、Aさんにも、Bさんにも、Cさんにも同時に声をかけておくでしょう。
 食料の安定供給には供給地=生産地を多くすること。実に当たり前のこと。でも、「自給率向上」とは「なるべく供給地を日本だけに絞っておこう」という、リスク管理の原則に反する姿勢だ、と言える。
 農業政策を考える人たち、マネーゲームに参加して、リスク管理を学ぶといいでしょう。1人くらいデイトレーダーになっても良い。そうして資本主義経済での、実態経済の動きに敏感になると良いでしょう。損得勘定が苦手で農業政策を立案するから、「農業は儲からなくても良い」 「環境保全のためにこそ農業がある」「農家は環境保全公共事業体のサラリーマンになりなさい」との考えになってしまう。「農業をやっても豊になれませんよ」と言っておいて、それでも、「農業後継者不足が深刻だ。何とか対策を考えよう」はピントが外れている。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『国内農産物の先物取引』リスク管理手法としての可能性   農林中金総合研究所 家の光協会  2001. 4. 1
( 2007年2月26日 TANAKA1942b )
▲top
(5)農業に他業種からの参入自由化を
自家不和合性にならないためにも
 TANAKAは「農業は先進国型産業」だと考える。それは農産物の品種改良を見ればわかる。 <日本人が作りだした農産物 品種改良にみる農業先進国型産業論> を書いていて気づいたこと、 「品種改良は異質の種を掛け合わせた雑種から始まる」ということだ。育種学で使われる言葉には、他の分野にでも使いたくなる言葉がある。 交雑育種法、雑種強勢、一代雑種= F1ハイブリッド、自家不和合性など。
 農業関係の科学=育種学の発想は一般社会でも有効だ。組織の倫理観が欠落し、不祥事を起こすようになったらどうするか? たとえば不二家のような組織的な賞味期限ごまかしが行われていたら、どうしたらいいのか?朝日新聞の社説に次のような文章があったので引用しよう。 2007年1月13日、朝日新聞朝刊、社説「不二家 ペコちゃんが泣いている」から最後の部分だ。
 95年から社長の座にある藤井林太郎氏は創業者の孫にあたる。不二家は藤井一族が経営権を握っており、前社長は林太郎氏のいとこだった。
 こうした身内による経営が、社内の緊張感を緩め、食品会社にとって何よりも大切な品質管理をおろそかにした面はなかったか。
 消費者の信頼を取り戻そうとするなら、社外の厳しい目で経営を洗い直し、トップの交代を含む荒療治から逃げてはならない。このままでは、貴重な財産であるブランド力も完全に失われる。 (『朝日新聞 2007年1月13日朝刊』から)
 朝日新聞社説の趣旨は「不二家は自家不和合性に陥っている」ということだ。
 不二家では雪印のようなことにならないように、と心配していたらしい。消費者に知られたら、売り上げが落ち会社が危機に瀕する、と心配して不祥事を公表しなかったとのことだ。 しかし、それが違うのであって、早い時期に公表し対策を発表すれば消費者離れは起きない。<消費者主権に変わりつつある日本経済 学んだ企業、学ばなかった企業>を参照のこと。
 食品偽装事件を起こした日本ハムは、事件をきっかけに外部有識者による「企業倫理委員会」を設置し、委員会の指導のもと企業風土改革に取組むようになった。その特徴の1つは、ここに外部から識者を入れたこと。「食品業界の匂いにしない者」を入れて、企業倫理をグローバルな観点から見直そうとしたことだ。こうした場合、業界の内情をよく知らないど素人を入れることによって、視野狭窄・自家不和合性に陥るのを防いでいる。
 大手企業の中に、外国人役員を入れることによって自家不和合性に陥るのを防いでいる企業もある。
 企業の不祥事を少なくするには「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損する社会」であることを社員に徹底すること。それと部外者を非常勤でもいいから取締役に入れること。同じ業界の人間ばかりでは消費者の気持ちの変化に気づかない。日本ハムが食肉偽装事件のあと「企業倫理委員会」をつくり、学者・ジャーナリスト・消費者団体。労組などの企業経営部外者から意見を聞く姿勢をとった。異端な意見が出ることによって狭い社会での倫理観から広い社会の倫理観に変われる。狭い社会の仲間だけだと、土木・建築業界の談合のように、経済学者業界のように神話にとわられた、「土の匂いのしない者の意見は聞かない」農業界のようになる。
 つまり農業の活性化には「土の匂いのしない、ど素人」の意見を積極的に聞くことだ。
米                         米                         米
<自家不和合性を予防する工夫> 「土の匂いのしない、ど素人」の意見を積極的に聞くことが自家不和合性を予防することになる。植物の中にはそうした予防システムが組み込まれているものがある。 前にも<自家不和合性と雑種強勢 >として取り上げたのだが、ここの話題にも関係あるので、再度書くことにしよう。
近親結婚はしないよ 「直系血族又は親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない」という定めがある。これは、民法第743条の「近親婚の制限」である。私たちは法律で、近親間の結婚を禁じられているのだ。その理由は、「同じ性質を持つ近縁なもの同士の有性生殖は、性質の組み換えが起こりにくく、生物には利益がない。利益が無いばかりでなく、隠されていた悪い性質が発現する可能性があり、生物種にとっては、むしろ害である場合が多い」からである。
 多くの植物の花の中には、オシベとメシベがある。オシベとメシベはそれぞれ、オスとメスの生殖器官である。だから、自分の花粉を自分のメシベにつけて、一人で生殖することができる。しかし、植物が自分の花粉を自分のメシベにつけ、一人で生殖することは、近親結婚の典型である。 この場合、個体数は増えるが、親のもつ性質の分身が生じるに過ぎない。「暑さに弱い」「寒さに弱い」「病気になりやすい」などの遺伝的な性質がまったく変化することなく、親から子へ伝わるだけである。生物にとって、これは好ましくない。 生物が子孫をつくる意義は、個体数を増やすことだけではない。オスとメスという2つの個体の性質を混ぜ合わせ、多様な性質の子孫をつくり出すことである。同じ性質のものばかりでは、それらに都合の悪い環境変化が起きた場合、その生物種は全滅してしまう。
 いろいろな性質の個体がいれば、いろいろな環境に耐えて、その中のどれかが生き残る可能性がある。つまり、多様な性質の個体が存在すれば、その生物種の環境への適応能力が幅広くなる。その種族が生き残るのに役立ち、地球上に存続していくことができる。 子孫が多様な性質を獲得する方法が、性の分化に基づく生殖(有性生殖)である。有性生殖では、オスの精子とメスの卵が合体する。その結果、オスとメスの遺伝的な性質が混ぜ合わされる。親の性質が混ぜ合わされ、組み合わせが変えられ、生まれる個体は、それぞれの親とは異なった性質を身につける。 植物にもオスとメスに分かれているものがある。メシベのない雄花だけを咲かせる雄株、オシベのない雌花だけを咲かせる雌株が別々の植物がいる。イチョウ、サンショウ、キーウイ、アスパラガスやホウレンソウなどである。これらは、動物と同じように、オスとメスの区別があることになる。この場合、自分の花粉が自分のメシベにつくことはない。 しかし、多くの植物は、一つの花の中にオシベ、メシベをもっている。このような植物たちも、自分の花粉を自分のメシベにつけて、種子を残すことを望んではあない。だから、植物たちは、工夫を凝らし巧妙はしくみを身につけて、自分の花粉が自分のメシベについて子孫(種子)ができることを避けている。
 花を見れば、オシベとメシベは離れている。「もっと仲良く、くっついていればいいのに」と思うが、1つの花の中で、オシベはメシベを避けるように、そっぽを向いている。そっぽを向くだけでなく、高さ、長さを変えているものも多い。オシベがメシベより長かったり、逆に、メシベがオシベより長かったりする。花を1つの家族とすれば、夫婦が接触することを避けあっている「家庭内別居」の状態といえる。 もっと、巧妙なしくみを身につけた植物もいり。1つの花の中にあるオシベとメシベの熟す時期をずらすのだ。たとえば、モクレンやオオバコのメシベは、オシベより先に熟し、オシベが花粉を出すころには萎えてしまう。逆に、キキョウ、ユキノシタやホウセンカのオシベはメシベより先に熟して花粉を放出する。メシベが熟すときには、まわりのオシベに花粉はない。だから、同じ花の中で、種子はできない。その性質は、「雌雄異熟(しゆういじゅく)」というむつかしい語で呼ぶが、私たち人間でいえば、「すれ違い夫婦」の様な状態である。  (『ふしぎの植物学』から)
米                         米                         米
<グローバリゼーションによって社会は進化する> 野生動物は生まれてからしばらくの間は母親の保護のもとに成長していく。やがて親離れ・子離れの時期になり、一人前の個として生きていき、やがて親として自分のテリトリーを持つことになる。 人間も子どもの時は親の保護のもとに生きていき、やがて自立する。戦後の日本経済も子どもの成長に似ていた。終戦直後は外国貿易もできず、戦争で使い切った、それでも残っていた資源で生産・消費していた。 やがて外国貿易が始まるが、資本も、商品も自由に輸入することはできなかった。外貨準備金も少なく、外国から特許を買って新商品を開発するこも自由にはできなかった。
米                         米                         米
<自由化が先進国仲間入りへのパスポート> 1967年の第一次自由化以降つぎつぎと進んだ自由化、自由化に反対した攘夷論者が懸念した「外国資本による日本経済支配」は起きなかった。むしろ外貨は技術の伝播に貢献した。 それでも反対派は言うかもしれない、「アメリカの多国籍企業は日本企業の乗っ取りを狙っている」「日本に自由化の圧力をかけたアメリカは、逆に産業の空洞化を起こしてしまった」などの意見は、経済学とは関係のない一種の新興宗教なのでここでは取り上げない。
 第一次資本自由化当時、ある座談会で松下幸之助は次のように言っている。「ひとたび外国の会社が日本に工場を建てれば、もはや簡単に本国に持って帰ることはできない。売ろうとしたら、値を安く売らないかんことになる」「外国企業が日本にやってくれば、それはもう日本のもんや、こうなるわけやね(笑)」(「東洋経済」1967年9月28日臨時号) ケインズは1924年の論文で「外資系企業の進出失敗・撤退は、その事業資産が本来の価値以下で処分されるので、受入国にとって有利」と言っている。
 第二の黒船来襲と騒がれた資本自由化であったが、日本の経営者は「官に逆らった経営者」なども登場して、このドラマ「悲劇に終わる」との予想とは逆に、高度成長への体力作りのトレーニングにして乗り切って行った。 日本経済は、グローバル化・開放経済をバネに逞しく育っていった。貿易自由化・資本自由化は先進国への仲間入りのためのパスポートであったと言える。そして日本の産業人の知恵と努力によって日本は先進国の仲間入りを果たしたのだった。
<成長痛を怖れ、大人になるのをいやがり、駄々をこねる>
現代のラダイト運動(Luddite movement)はその主役が、社会の進化によって被害を受ける弱者ではなく、余裕のある傍観者である、という点で1810年代の運動とは違っている。現代のネッド・ラッド(Ned Ludd)(ネッド将軍ともいう)も架空の人物で、だから誰もが社会批判はするが、自分は非難されないように、言質を取られないように気を使っている。
 駄々をこねる評論家・エコノミストがいても経済のグローバル化は進む。@日本の文化=コメが広くアジアで受け入れられ、「ビッグ3の下請けになる」と怖れられた資本の自由化を乗り越え、日本経済は成長した。 Aドルが金の束縛から開放され、世界の成長通貨が供給されるようになった。Bアジア諸国は変動相場制に移行しさらに大きく成長する道が開けた。C国債償還の停止(モラトリアム)を経験しながら、大国ロシアは総身に知恵が回りかね。D社会主義から市場経済にソフト・ランディングした国もあれば、ミロシェビッツのような指導者を選んでしまった国もあった。 E天安門事件後、南巡講話で息を吹き返した白黒猫、人民元切り上げの圧力が感じられるこの頃、それでも日本のすぐそばに巨大な消費市場が生まれそうだ。期待しよう。Fアダム・スミスのような理論家は出なかったが、三貨制度のもと、一分銀は管理通貨制度、金と銀は変動相場制を操っていた江戸幕府の進んだ通貨制度。G空想社会主義のような「地産地消」を実験したアルバニア。
 「グローバル化」という言葉を使い、外国にも開かれた経済体制に移行するのを怖れ、「狭い社会に閉じ隠りたい」と駄々をこねる評論家・エコノミストが危機感を煽るが、経済は確実に進化する。今回取り上げたケース、いろんな形のショックがあったが、前に進もうとしているのは間違いない。
米                         米                         米
<農地売買の自由化を> ポイントは農地売買を自由化することだ。規制を撤廃し、誰でも農地を買うことができるようにすること。農地売買を自由化すると、多くの人が買い手として登場する。買い手が多くなれば売買価格は上昇する。 「自分こそがこの土地を一番有効に活用する自信がある」「この土地から維持分が一番利益を上げる自信がある」という人・または企業が一番高い価格を提示する。そして土地は有効に活用されるに違いない。 その企業が購入して採算不良になりなったら、土地を放ったらかしにするのではなく、一刻も早く売って現金を手にしようとするだろう。「企業が買うと、事業がうまくいかなったとき、土地が手入れされずに荒れてしまう」との懸念はハズレ。 利益追求の企業が折角買った土地を放っておく手はない。次に買ったものは、最初の者ほどでないにしても、土地を有効に使う自信があって購入する。こうして、土地売買を自由化することによって農地は有効に利用される。
 土地を売った農家にも大きなメリットがある。高く売れればそれを元手に新規事業を始めることもできるし、あるいは老後の蓄えとして貯蓄するのもいい。
 売らなくても、それを担保に多くの資金が借りられるのだから運転資金にしても良いし、設備投資に活用しても良い。
 こうして農村部に現金を多く持つ者が誕生する。それは農村部のマネーサプライが増大するということ。インフレ・ターゲットを主張するエコノミストをはじめとするリフレ派エコノミストがその理論の根拠にしているのが「貨幣数量説」、つまり、「デフレスパイラル時に通貨流通量が増えれば景気は回復する」との主張になる。 このように農村部の通貨流通量が増えるのは農村部の経済活性化に有効なのだが、「乏しきを憂えず、等しからざるを嘆き悲しむ」人たちは「格差が拡大した」と嫉妬心丸出しで非難するかも知れない。 そのような反対者がいても、土地売買自由化によって農村部では「先に豊になれる者から豊になる社会」へと進化していくに違いない。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『ふしぎの植物学』身近な緑の知恵と仕事              田中修 中公新書   2003. 7.25
( 2007年3月5日 TANAKA1942b )
▲top
(6)育種学の用語を易しく解説すると
雑種強勢・一代雑種・自家不和合性
 「地産地消」をテーマとして扱っているこのシリーズ、育種学での用語が幾つか出てきた。そこで、それらの用語を易しく説明することにしよう。 このホーム・ページでは本来の意味から飛躍して、独特の使い方をしていることもあるので、ここで本来の意味をハッキリさせておこう。 育種学の用語ということで、農業関係者にはよく知られた言葉でも、一般人には馴染みがないかも知れない。ここで、本来の意味から飛躍した使い方をしていても、 このHPでのTANAKAの趣旨は理解合いやすくなると思う。農業関係者には余計なお世話かも知れないが、農業問題に新規参入する人のために、ここに取り上げることにした。 品種改良についてもっと詳しく知りたい人は <日本人が作りだした農産物 品種改良にみる農業先進国型産業論>を参照のこと。
米                         米                         米
農産物の育種法 農産物は品種改良によって消費者に気に入られるように変化・改良されていく。その方法を簡単にまとめてみた。
選抜育種法 は気に入らない品種を捨てていく育種法。自然界では強いものだけが子孫を残せる。ダーウィンの仮説によれば「生物は自然選択によって環境に適応するように進化する」との表現になる。育種では自然のままでは生きていけないような弱い品種でも、人間に気に入られれば子孫を残すことになる。コシヒカリは人間が栽培しなければ、自然のままでは、自分だけでは子孫を繁栄させることができず、やがて絶滅する。ただし、この育種法では突然変異でもなければ急激な改良はできない。
 メンデル以前の品種改良方法。江戸時代には武士、町人が花の品種改良を道楽としていた。ポイントはいいものをさらに育て、いらないものを捨てていく。この捨てることができず、もったいないと思っていると品種は改良されない。分離育種法、集団選抜法、循環選抜法などの言葉がこれに関係している。
交雑育種法 は2つの品種の良いところを生かした子孫を作る。両親の良い点が現れている。何代かに渡って品種を固定するので、固定種又は在来種となっていく。コシヒカリを始め、日本のイネはこの方法に依るものが多い。自家採種ができる。植物の混血児を作るようなこと。 突然変異利用、純系選抜法、系統育種法、集団育種法、派生系統育種法、合成品種育種法などの言葉がこれに関係している。
導入育種法  は「ただよそから持って来ただけだ」として育種法として取り上げてない文献もある。南北アメリカからヨーロッパに導入され、それが日本にまで伝えられた作物は多い。白菜のようにまるで日本に古くからあるように馴染んでしまった野菜も多い。アブラナ科の野菜には、露地栽培しているとミツバチなどによって他のアブラナ科の植物と自然交配され、代が進むごとに野生種に近くなり、野菜としての商品価値がなくなるものが多い。
一代雑種育種法 は2つの品種の隠れていた良いところを生かした子孫をつくる。潜在的には持っていたが現実には現れていなかった両親のよい性格が受け継がれている。よい性格は一代目だけ、代が進むと平凡な品種になる。「鳶が鷹を生んだ」とはこのこと。
 F1ハイブリッドという言葉によって全く新しい、アメリカから導入されたハイテクのように思う人もいるかも知れない。しかしメンデルの法則の第1実用化者は日本人、外山亀太郎博士が1915(大正4)年に蚕のハイブリッド品種を実用化し、 そのとき育成された「日1号X支4号」は好評で、以後20年間、全国各地で広く市域された。 野菜の一代雑種は埼玉県農試の柿崎洋一が大正13年に、埼交茄と玉交茄の2品種を育成し、その種子を農家に配布した。これが日本で最初で世界で最初の野菜の一代雑種だった。
細胞育種法 はポマト(ポテトXトマト)の誕生で一時大きな期待が持たれたが、全く新しい植物の誕生は期待出来ないとなった。現在ではウィルスフリーなど、性質の一部を変える技術として利用されている。特定の品種にある性質を加えたり、あるいは取り除いたり、その利用方法は遺伝子組み換えに受け継がれていく。 葯を培養する方法と細胞を培養する方法がある。花よりも野菜に多く利用されている。組織培養技術利用、半数体育種法、胚培養、花粉培養、細胞融合、バイオテクノロジーなどの言葉が関係している。
遺伝子組み換え育種法 はある品種に他の品種又は、他の植物の持っている良い性質を加えた子孫を作る。ポマトのような新品種は期待できない。親の欠点をカバーした子、または良い性質が加えられた子が生まれる。 他の品種からとった遺伝子のDNAを染色体に導入し、その遺伝子を働かせ、品種改良を行う方法。@アグロバクテリウム感染法、Aパーティクルガン法(遺伝子銃法)、Bエレクトロボーレーション法(電気穿孔法)、などの手法がある。

雑種強勢 hybrid vigor
ヘテローシス heterosis ともいう。生物の種間または品種間の交雑を行うと、その一代雑種はしばしば両親のいずれよりも体質が強健で発育がよいという現象がみられる。これを雑種強勢といい、農作物、家畜の品種改良にしばしば利用される。最初トウモロコシで発見され、ついで動物でもモルモットで認められた。
 一方、異なった個体間の受精のよって繁殖することを常態とする他殖性作物(トウモロコシなど)を、強制的に自殖(同一個体内で受精させる)させたり、近親間の交配を繰り返したりすると、子孫(後代)の生育がしだいに劣ってくる例が多い。これを自殖劣勢といい、雑種強勢と逆の関係になる。また、特定の遺伝子的な効果によって雑種第1代の生育がまれに弱勢化することがある。こらは雑種弱勢 hybrid weakness といわれる。
(平凡社『大百科事典』から)
雑種が純系よりも生育が旺盛なこと。両親の組合せによって雑種強勢が強く現れる場合と、そうでない場合があり、種内では一般に、特性が大きく異なる両親間で雑種強勢が顕著である。(『花の品種改良入門』から)
多くの作物の種子は自家受粉によってつくられ、純系と呼ばれる。これに対して父親と母親が別の個体から由来したものは雑種(ハイブリッド)と呼ばれる。かつては農産物を均一にするという観点から純系をつくることが中心に行われてきた。一方、雑種のなかには両親よりはるかに優れた性能を示すものがしばしば見られる。このような現象は昔から雑種強勢と呼ばれている。特にこの現象はトウモロコシで顕著に見られ、純系に比べ背が高く収量がはるかに多くなる。 現在世界で取引されているトウモロコシの種子の大半が雑種である。ダイコン、キャベツ、ブロッコリー、ニンジン、トマトなどその他の多くの作物でも雑種強勢を利用した種子が利用されており、この雑種強勢の性質は両親の関係が遠いほど出やすいという傾向がある。
 イネでは従来この雑種強勢の性質は利用されていなかった。その最も大きな理由は、現在利用されているイネは確実に種をとるために、野生種のもっている他家受粉受粉する性質を捨て自家受粉する性質を強くもっているため、雑種を作りにくいことにある。そして、それゆえ雑種強勢の性質があることは一部で知られていたが、あまり注目されなかった。(『夢の植物を育てる』から)
一代雑種 F1hybrid 稲の品種改良は雑種何代目かを固定させる。ところが「一代雑種」と言われる品種改良は違う。固定する前のF1、つまり1代目の雑種を使う。これはメンデルの法則を知っていると理解できる。
メンデルの法則
「優劣の法則」 第一代目雑種には優性な形質だけが各個体に現れ、劣性な形質は潜在する(現れないが情報として遺伝している)。
「分離の法則」 雑種第二代では、優性形質を現す個体と劣性形質を現す個体に分かれる。両形質が渾然と混ざり合うことはない。
「独立の法則」 遺伝型がそれぞれ独立して子孫に遺伝することを「独立の法則」と言う。
 一代雑種についてもう少し詳しく、文献から引用しよう。
 ある程度性質の違う、縁の遠い品種の間で交雑させると、その間に生まれた雑種は両方の親品種に比べて草勢が強く、生育が旺盛で、不良環境に対する抵抗性が強く、収量も多い場合が多い。このように雑種の草勢が旺盛になる現象を雑種強勢と呼んでいる。植物は大抵の場合、自家(花)受精を続けていわゆる純系に近い状態になると、草勢が弱くなる。このためもあってか、植物は元来自家受精をさけるような特性をもっていることが多い。
 交配して得られた雑種は、遺伝的な特性を両親からうけ継いでいる。そこで両親のすぐれた特性を併せもつような組合せを計画的に行なうと、雑種は作物として優れた性質を表現するはずである。そしてもし交配をする親系統が、それぞれ遺伝的に比較的斉一なものであれば、両品種間の雑種普通の品種以上に特性がよく揃う。但しこの雑種は、形質の違う両親の遺伝質を併せもっているので、この雑種から種子をとると、次の世代ではメンデルの法則に示されているように分離し、雌親に似たもの、花粉親に似たもの、中間的なものなど種々雑多の形質のものが生じ、非常に不揃いになることが多い。 そこで雑種第一世代だけを作物や家畜として栽培。飼育することが考案され、これを一般に「一代雑種」と呼んでいる。一代雑種は現在野菜や花、トウモロコシなど多くの作物や、家畜、家禽、蚕から材木まで、多くの動植物で実用化されている。野菜の場合は1924年に世界に先がけてわが国で初めてナスの一代雑種の利用が実用化された。近年は多くの果菜類やハクサイ、キャベツなどの主要な野菜では、栽培品種の大部分が一代雑種になっている。(中略)
 一代雑種の利用は、一回の交配でたくさんの種子が得られるウリ類、ナス類などの果菜類や、交配の手間の省ける雌雄異株のホウレンソウとか、雌花と雄花が別のトウモロコシなどでまず実用化された。ホウレンソウではタネをとろうとする系統と花粉親にする系統とを並べてまいておき、花茎が伸び出して来て雄株と雌株とが判別できる時期になった頃、採種しようとする系統の雄株を開花する前に全株抜き去る。すると隣に植えてあった雄系統の株の花粉が風の働きで運ばれて授粉が行なわれ、人の手で交配する必要もなく一代雑種のタネが得られる。 (『野菜』から)
 F1ハイブリッドという言葉によって全く新しい、アメリカから導入されたハイテクのように思う人もいるかも知れない。しかしメンデルの法則の第1実用化者は日本人、外山亀太郎博士が1915(大正4)年に蚕のハイブリッド品種を実用化し、そのとき育成された「日1号X支4号」は好評で、以後20年間、全国各地で広く飼育された。野菜の一代雑種は埼玉県農試の柿崎洋一が大正13年に、埼交茄と玉交茄の2品種を育成し、その種子を農家に配布した。これが日本で最初で世界で最初の野菜の一代雑種だった。  私たちが日頃食べている野菜はアブラナ科の野菜(だいこん、ラディッシュ、かぶ、クレソン、はくさい、キャベツ、芽キャベツ、ケール、こまつな、きょうな、カリフラワー、ブロッコリー)を始め、そのほとんどがハイブリッドになっている。もしも農家が種子会社に頼らず、消費者に喜ばれる野菜の種を取ろうとしたら、とてつもなく大変な作業で、このためには種子会社と生産農家との分業しか方法がない。「種子会社に支配されるのは良くないので、F1をやめて、在来種などの種子を農家が採るべきだ」などと農家にとって無茶な要求をしないこと。
 野菜はどうかと言うと、ほとんどが一代雑種=F1ハイブリッドになっている。これは戦前にはなかったものだ。野菜に関しても消費者はあまりこうした品種改良を問題にしない。そうした無関心を問題にして「消費者教育が必要だ」と主張する人たちがいるようだ。しかし消費者にしてみれば価格があまり高くならず、そこそこの味ならば、あまり神経を使いたくない、と考えているのだろう。別の言い方をすれば、「日本の農業は消費者ニーズに応えてきた」と言えるかもしれない。コシヒカリとその改良品種がこれほどまでに高い作付面積を誇っているのは、消費者が支持しているからだ。消費者ニーズに応えて農家は作付品種を選んでいる。「消費者は神様」の市場経済のあるべき姿を示している。野菜が一代雑種中心になっていったのも、消費者ニーズに応えたものと考えられる。一部で「在来種を護ろう」との声があがっているが、もし消費者が異常に出回っている一代雑種よりも在来種を望んでいるならば、「在来種を護ろう」と呼びかけなくても、在来種は売れる。「一代雑種ばかり売れて、在来種が無くなっていく」との不安は、別の方法で解決すべきだ。種子会社は品種改良のためにはなるべく多くの親品種、純系を必要とする。これは市販するために必要なのではなくて、交配するのに少ししか親品種がなければ、新しい品種の可能性の少ししかない。種子会社は世界中から純系を探してきて、それを保存、育成し、品種改良のために使おうとする。在来種が少なくなるのは、種子会社にとっても困ることなのだ。一般人が「自然をあまり大きく変化させないために、在来種を護ろう」というよりも切実なことなのだ。かつてはあまりそのようなことに種子会社も気づかなかった。しかし今では、種子会社にとって在来種を保存することは、会社存続のための必要な事業の一つになっている。
自家不和合性 self-incompatibility 雌雄同花で正常な機能をもつ雌雄両配偶子が同時に形成されるにもかかわらず、受粉が行われても花粉の不発芽、花粉管の花柱への進入不能、花粉管の伸長速度低下または停止などにより、自家受粉が妨げられる現象。この現象は高等植物に広く見いだされ、明らかに他殖性 allogamy を維持、促進する繁殖様式の一つと考えられている。(以下略) (平凡社『大百科事典』から)
アブラナ科の植物には、自家不和合性と呼ばれる性質をもつものがあります。これは、受粉したときに雌しべと花粉のあいだで自己と非自己の認識反応がおきて、自分でない(=非自己の)花粉で受精して種子をつくります。いろいろな植物がこの自家不和合性の性質をもっており、アブラナ科植物や野生のタバコ、野生のペチュニアなどを使って最近に研究が展開されています。(『菜の花からのたより』から)
他家受粉では種子が出来るが、自家受粉では種子が出来ない特性。自家不和合性を示す植物は多く、近交弱勢による子孫の生存力低下を防いでいる。(『花の品種改良入門』から)
自家不和合性をもつ植物では、それを利用してF1採種ができる。自家不和合性とは自己と非自己の花粉を識別し、非自己の花粉で受精する性質である。自家不和合性といってもその性質が強いものや弱いもの、条件によって変動する系統もあるので、その性質を充分に吟味しながら使わなければならない。アブラナ科の野菜では、自家不和合性を利用したF1採種がわが国で実用化された。 雌雄異株のものではF1採種が簡単なように考えられるが必ずしもそうではない。植物では、両性花が同一個体に混じることがよくあるから、完全な雌系統を育種必要がある。ホウレンソウでは、雌性系統に雄花をつける条件を見出して自家受精させ、完全雌性系統を育成し、それを母胎として用いることによって成功した。(『植物の育種学』から)
19世紀、アメリカで、セイヨウナシのある品種が2万3000本も植えられた大果樹園がつくられた。ところが、花は咲いたが、不思議なことに、ほとんど実がならなかった。調べてみると、果樹園の一部分にだけ、実がなっているところがあった。そこには、別の品種のセイヨウナシが1本だけ誤って植えられていた。そこで、「同じ品種の花粉では実がならず、別の品種の花粉がつくと実がなるのではないか」と考えられた。 さっそく、別の品種の花粉をメシベにつける試みがなされた。すると、果実が実った。
 この現象は、「自分の花粉が自分のメシベについても、受精が成立せず、種子ができない」という性質を示している。この性質を「自家不和合性」と呼ぶ。自分の花粉を自分のメシベにつけて種子をつくることを避ける工夫である。セイヨウナシだけでなく、多くの果樹や、アブラナ科、キク科、ナス科やマメ科などの植物も、この性質を持っている。 この性質を持つ植物では、メシベに自分の花粉が付着しても、受精が成立しない。しかし、同じ仲間の他の植物体の花粉がついた場合には、受精が成立し、種子ができる。植物たちは、自分の花粉と他の花粉を識別する能力があるのだ。(『ふしぎの植物学』から)
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献> このシリーズで参考にしたり引用した文献を列挙することにしよう。
『農業自立戦略の研究』(通称「NIRA報告書」)                 叶芳和 総合研究開発機構 1981. 8. 1
『正義論』                        ジョン・ロールズ 矢島鈞次監訳 紀伊國屋書店   1979. 8.31
『公正としての正義再説』ジョン・ロールズ エリン・ケリー編 田中成明・亀本洋・平井亮輔訳 岩波書店     2004. 8.26
『ロールズ』    チャンドラン・クカサス/フィリップ・ペティット 山田八千子・嶋津格訳 勁草書房     1996.10. 1
『対日経済封鎖』日本を追いつめた12年                    池田美智子 日本経済新聞社  1992. 3.25
『ガットからWTOへ』貿易摩擦の現代史                    池田美智子 ちくま新書    1996. 8.20
『米・欧農業交渉』関税削減交渉から農政改革交渉へ                遠藤保雄 農林統計協会   1999. 8.31
『世界を変えた野菜読本』               シルヴィア・ジョンソン 金原端人訳 晶文社      1999.10.10
『世界を変えた作物』                          藤巻宏・鵜飼保雄 培風館      1985. 4.30
『じゃがいもの旅の物語』                            杉田房子 人間社      1996.11. 7
『自殺する種子』遺伝資源は誰のもの?                      河野和男 新思索社     2001.12.30
『国内農産物の先物取引』                       農林中金総合研究所 家の光協会    2001. 4. 1
『ふしぎの植物学』身近な緑の知恵と仕事                      田中修 中公新書     2003. 7.25
『大百科事典』                                      平凡社      1984.11. 2
『花の品種改良入門』初歩からバイテクまで                西尾剛・岡崎桂一 誠文堂新光社   2001. 6.15
『夢の植物を育てる』                           鎌田博・堀秀隆 日本経済評論社  1995. 7. 1
『野菜』在来品種の系譜                              青葉高 法政大学出版局  1981. 4.10
『菜の花からのたより』農業と品種改良と分子生物学                日向康吉 裳華房      1998.11.25
『植物の育種学』                                日向康吉 朝倉書店     1997. 3. 1
( 2007年3月12日 TANAKA1942b )
▲top
趣味の経済学
地産地消という保護貿易政策
食糧自給とは江戸時代の鎖国が理想なの?