趣味の経済学 
「お客様は神様」の現代資本主義社会 

アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します     If you are not a liberal at age 20, you have no heart. If you are not a conservative at age 40, you have no brain.――Winston Churchill  30才前に社会主義者でない者は、ハートがない。30才過ぎても社会主義者である者は、頭がない。――ウィンストン・チャーチル      日曜エコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します    アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦するとです    好奇心と遊び心いっぱいの TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します    TANAKA1942bです。「王様は裸だ!」と叫んでみたいとです      アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します    アマチュアエコノミスト TANAKA1942b が経済学の神話に挑戦します
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「お客様は神様」の現代資本主義社会
 「消費者は王様」を認めさせた消費者運動 大企業独占告発への矢文 (2006年4月3日)
 戦後の消費者運動を振り返る 主流は主婦の値上げ反対運動だった (2006年4月10日)
 日本消費者連盟の誕生 竹内直一の経歴と運動に対する考え方 (2006年4月17日)
 最初に取り組んだのは、コーラの有毒性 以後大企業への「矢文」が追求する (2006年4月24日)
 果汁が入ってなくてもジュース? 消費者も果樹生産者も困ってしまう (2006年5月1日)
 チクロ問題と創立委員会 『消費者リポート』とNHK『日本の消費者運動』 (2006年5月8日)
 消費者軽視の企業体質を批判 三越・住友生命・共栄生命──ほか (2006年6月19日)
 学研百科辞典の誤りと校内販売を批判 連盟に刃向かう唯一の大企業 (2006年6月26日)
 ラルフ・ネーダーの内部告発のすすめ 倫理のグローバリゼーション (2006年7月24日)
 カラーテレビ不買運動と松下訴訟 オープン価格という新しい制度 (2006年7月31日)
 欠陥車問題追求が大きな節目 ユニオン幹部の逮捕という大きなショック (2006年8月21日)
 薬品問題・公害自主講座・消費者運動 高橋晄正・宇井純・竹内直一 (2006年8月28日)
 消費者主権に変わりつつある日本経済 学んだ企業、学ばなかった企業 (2006年9月4日)

趣味の経済学 アマチュアエコノミストのすすめ Index
2%インフレ目標政策失敗への途 量的緩和政策はひびの入った骨董品
(2013年5月8日)

FX、お客が損すりゃ業者は儲かる 仕組みの解明と適切な後始末を (2011年11月1日)

「消費者は王様」を認めさせた消費者運動
大企業独占告発への矢文
<総会屋の嫌がらせと間違えられた消費者運動> 私達の活動を総会屋の類と誤解するむきがある。以下、その一例をあげておこう。
 45年6月、ちっともゴキブリの捕れない東芝の「ゴキトール」を欠陥商品だとしてヤリ玉にあげたときのことである。 最初は担当社員が「欠陥ではない」と弁明にきたが、私たちがこれを公取委に不当表示で告発すると、パタリと連絡が途絶えたのである。 それからはいくら催促しても回答は出されなかった。46年1月までに3回も矢文が出された。やっと1月中旬、担当部長から文書回答がきて「回収中だ」といってきたが、こちらの質問のポイントには、答えていなかった。 私たちは「ミスはミスとしてフェアに認める態度こそ消費者の信用をかちとるゆえんではないか」と詰問した。
 3月22日になって、はじめて東芝商事の消費者部長と担当の乾電池事業部長が顔を出した。以下はそのときのやりとりである。
東芝 今日はおわびと報告に来た。早く連盟にお目にかかるべきだったが、なかなかすぐに会社全体がそういう雰囲気にはならなかったので遅れて申し訳ない。 
 ゴキトールにしても、確かに捕れるという実験もしている。皆さんの予測されたほど効果が上がらなかったのだ、ということもわかった。
━━こちらではいろんな条件の違うところで実験したが、ダメだった。かりに入っても大きいのは逃げ出す。そういうものを「欠陥商品じゃない」と言い張っているのがいけない。これはどう考えてもゴキブリ「取り」とは言えない。
東芝 誘引剤(エサ)と一緒に発売していればよかったかも知れない。私どもの実験では、入ると言う人があるのだ。2匹入るとしばらく途絶える。1週間ほど経つとまた入る。事前の実験で、ゴキブリが入ったことを嬉しがって宣伝したことについてはシャッポを脱ぐ。 
━━商品のことだから、当初の見込みと違って、思わぬ欠陥がでることもあるかも知れない。しかし、ゴキトールの場合は、欠陥であることが分かってから後の処置が全然なっていないのを問題にしているのだ。大会社らしからぬやり口ではないか。 
東芝 会社のメンツということではなく、9月末の謝罪広告という珍しい処置をとったことだし、これからは今までと違って、本当に消費者サイドに立ったマーケティングに徹していきたい。 
━━企業はウソをつくべきではない。非常なイメージダウンになる。 
東芝 きれいごとに片づけようとする意識は、確かにあったかも知れない。消費者の声は非常に素朴かつ根深い。だから決して軽く扱ってはならないことを知った。姿勢を正し、行動に表さなければダメだと思う。
━━あっさりと、悪かったと言えばよいのだ。それをなぜこだわるのか。 
東芝 消費者連盟が総会屋的な動きでないことがハッキリしたのなら、謝るべきだという姿勢になるまで時間がかかった。
━━それほど社内で大問題になったというのに、これまでに来たのは、一番初めに担当課長だけだ。それも、なかば抗議の通告のようなもので、絶対に欠陥でないと言い張った。 
東芝 申し訳なかった。
*                   *                    *
 東芝商事が大揺れに揺れた末、消費者部を新設、機構改革をやったのも、この事件が原因であるらしい。消費者を見くびって小手先細工を使い、メンツにこだわったことがとんでもない大事件にまで発展したあげく、イメージダウンになったのである。 しかし、考えようによっては、東芝がこの高い授業料を払ったおかげで名実ともに「消費者志向」の企業姿勢に徹することができるなら、企業にとっても幸いなことになるだろう。 それにしても私たちを”総会屋”と見立てて「相手にするかしないか」と1年近くも小田原評定をしていたとは、図太い企業の弱点をよく暴露しているではないか。 (『消費者運動宣言』から)
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<今までになかった告発型の消費者運動> 上の文章は1969(昭和44)年に発足した「日本消費者連盟準備委員会」が行った告発型の消費者運動の1つの成果を『消費者運動宣言』から抜き出して引用したもの。 竹内直一などが始めた運動は新しい消費者運動であったし、その運動によって企業の消費者に対する姿勢は大きく変わり、「お客様は神様」は企業の経営姿勢の基本とするようになった。 実際はどのようなことをやっていたのか、『消費者運動宣言』からもう少し引用することにしよう。
告発の方法──トップ企業をねらえ 私たちはこれまで実に多くの企業の不正を摘発してきた。その件数は1千件余にのぼる。これらの成果は『消費者リポート』(旬刊・月刊とも)に逐一くわしく報告されている。 また、連盟、連盟編著の形で出版された『不良商品一覧表』『不良商品を斬る』『消費者手帖』『消費者パワー』(いずれも三一書房刊)などの単行本にもまとめられている。本書の巻末の”年表”によっても概略を知ることができる。
 私たちの活動が”告発型”だと称されるゆえんは私たちのやり方が、これまでの消費者運動のパターンと違うからである。私たちは「トップをねらえ」を合言葉にしている。 トップ企業といえば消費者の絶大な信頼感を得ているし、業界をリードする象徴的存在である。私たちはこのトップ企業がいい加減なことをやっている点を暴露し、「トップは無条件に信用できる」という神話をくずすために、またトップの姿勢を正せることによって、業界全体をまっとうな道に引き戻すために、告発活動を続けてきた。 私たちの警告、制裁にトップ企業が耳をかさないときは、決定的な打撃を受けることを身をもって知るまでは、追求の手をゆるめなかった。そして、かなりの成果をあげることができた。
 私たちの告発の方法を紹介しよう。消費者から苦情の申し出がある。あるいは独自の調査によってある企業の不正を発券する。この事実を示して「どう処理するか」という質問文書を必ず企業の責任者──代表取締役に送る。 私たちはこれを戦国時代のならわしにあやかって「矢文」(やぶみ)と呼んでいる。担当者とは直接交渉しない。これはいかに小さなトラブルであろうとも、消費者に対しては、企業経営のトップが全責任を負うべきだ、との考えに基づく。 また、担当者のもみ消しを封じるためでもある。この矢文はすべて手書きのコピー紙製の粗末きわまるものだが、年間数百通に達する。
 企業に矢文が届くと直ちに反応が現れる。普通の案件である場合は文書で回答が来る。重大なものあるいは火急を要するものは、社長、担当重役、幹部社員が事務局を訪れる。逐一処理経緯を電話、来訪などによって報告してくる。 もし、企業の処理に納得いかないことがあつ場合は、何回でも矢文を出し責任を追及する。
 なぜこのように企業が積極的に動くのか。彼らが私たちを恐れるのは、私たちはただ企業にもの申し、相対の話し合いをしているだけでないことを承知しているからだ。私たちは、企業に直接問題をぶっけるだけでなく、監督官庁、警察、検察当局、国会などに遠慮なくこれを持ち込み、 同時に新聞発表をし、私たちの機関紙『消費者リポート』にあからさまにするからである。自社の製品の欠陥や不当表示が新聞、テレビに報道されれば、たちまち売上げにひびくことを十分知っているからである。 現に私たちが告発すると「どうか新聞にだけは発表しねいでくれ」「もう発表したのなら取り下げるよう新聞社に言ってくれないか」など泣き声をはり上げてくる企業もいる。あるいは『消費者リポート』に掲載しないよう「ご配慮お願します」と真剣に頼んでくる企業もある。 (T注 この頃から大企業では「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損するよ」と分かっていたようだ)
 それほど社会的に知名度の高くない地方の中小企業でもほとんどが生真面目に回答してくるし、徹底的な調査もする。ある場合には中小企業のほうが真剣でさえある。
 こうした私たちのやり方は、もしかじ取りを誤ったら大変なことになる両刃の剣である。現に企業側では私たちの告発活動をきわめて反社会的で危険なものとみて、盛んにアジっている一派もいるのだ。 そのような企業の術策に陥らないよう、最大の神経を使わなければならないことは言うまでもない。スキあらばと、私たちの一挙手一投足を見守る企業陣営を前に、やり直しの許されない真剣勝負の繰り返しを覚悟しなければならない。
 私たちはただの一度でも切り返されたら、それでおしまいである。絶対不敗の戦いを挑まなければならない宿命を負い、文字通り日々、白刃の下をかいくぐる心境の連続である。 (『消費者運動宣言』から)
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<消費者運動に対する認識の、当時と現代の違い> 新しいシリーズ<「お客様は神様」を認めさせた消費者運動>を始めることにした。TANAKAがこのホームページで書いているように、「お客様は神様」であり、「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損するよ」はかなり企業も意識してきていると思う。 しかし、これの見方が定着するのはそれほど古いことではない。そして、それを企業が認めるようになったのには、告発型の消費者運動=「日本消費者連盟」があったことを忘れてはいけない、と思う。
 ところで、当時の消費者運動、消費者保護に対する認識はどうであったのか、参考になりそうな文章があったので、ここに引用することにしよう。
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中谷哲也委員 「そうすると、消費者は王様だという言葉がありますね。いま1つは消費者は裸の王様だという言葉もあるが、大臣はそういうふうな言葉について、一体どういうふうにお考えになるでしょうか。 この点について1つお答えを頂きたいと思います」
椎名通産大臣 「消費者は王様であるなんていう言葉は、寡聞にして、まだ聞いたことがない。初めてあなたから承ったようなわけでございまして、従って、どう考えるかというようなことも何も考えはございません」
中谷哲也委員 「大臣、本当に消費者は王様という言葉をお聞きになったことはないのですか。そうすると、消費者主権という言葉はご存じでしょうか」
椎名通産大臣 「それも聞いたことがございません」
 消費者行政について責任の一端を負っている通産大臣と社会党議員のやり取り──衆議院商工委員会、昭和43年4月26日の議事録からの抜粋である。 おとぼけと皮肉で鳴らした椎名悦三郎氏のこと、「消費者は王様なり」は言葉の上だけにのことで、実態はとてもそこまではいってませんよと言いたかったのかも知れないが、今日であったら委員会審議が中断しけねない内容の答弁である。 消費者保護基本法の公布を間近に控えてはいたが、消費者問題に対する行政当局の関心はうすく、消費者運動の盛り上がりもいまひとつといった当時の状況を、象徴的に示す発言と言える。 (『日本の消費者運動』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『消費者運動宣言』 1億人が告発人に       竹内直一 現代評論社     1972.11.30  
『日本の消費者運動』          日本放送出版協会編 日本放送出版協会  1980. 5.20 
( 2006年4月3日 TANAKA1942b )
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戦後の消費者運動を振り返る
主流は主婦の値上げ反対運動だった
<現代資本主義==消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損する社会> TANAKAがこのホームページで何度も主張しているのは「現代資本主義社会は、消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損する社会」ということだ。 その例として、<企業・市場・法・そして消費者>▲ で雪印食品、日本食品、日本ハムなどがいかに食肉偽装で消費者を裏切ったおかげて莫大な損失を被ったか、を書いた。
 市場経済ではコントロール・センターが一国の経済をコントロールするわけではない。経済が成長せず、物価水準が低下するデフレになると「日銀は何をしているのか?デフレから脱却する対策を採るべきだ」と経済のコントロールセンターとしての中央銀行に期待するエコノミストもいる。 たしかに「市場の動きに任せておくと、市場の失敗が起きる」とか「日銀がマネーサプライをコントロールできないと言うのは、中央銀行としての責任放棄だ」と強力な管制塔(たとえば「平成の鬼平」)の出現を期待する論者もいるようだ。 結局、社会主義経済は破綻したが「社会主義の理念は正しいが、それを実行しようとした指導者がミスを犯した」と、社会主義経済に対する夢を捨てきれない「隠れコミュニスト」が多くいるということだ。
 ところで、そうした「隠れコミュニスト」は「大企業の横暴」を警告する。たしかに大企業は社会に大きな影響力を持っているし、消費者を軽んじる行動もとってきた。それが徐々に変わってきて、現代では「お客様は神様」「消費者は王様」「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損する社会」 になってきている。企業経営者の意識が変わってきた。そして、そのきっかけを作ったのが「告発型の消費者運動」=「日本消費者連盟創立委員会」であったとTANAKAは主張する。このシリーズはそうした竹内直一を中心とする消費者運動を検証することにする。では、その時代、消費者運動はどうであったのか? 企業の消費者に対する態度はどのようなものであったのか?それに対する消費者運動はどのようであったのか?そして日本経済はどのような状況であったのか?そうした点から時代を振り返ってみることにしよう。
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<戦後のインフレ経済> 昭和20年、戦争が終わった日本の経済は、混乱そのものだった。生産工場では、軍需産業のために用意されていた材料を使って鍋・釜などを生産したが、それも半年で材料を使い果たす有様だった。一方、戦争のために国債が多く発行され、貨幣流通量が経済取引が必要とする以上の量になったために、インフレが起こり、国民生活は苦しくなった。 外地からは引揚者が続々日本列島に戻ってくる。食料生産が間に合わない。上野駅では到着する列車で、地方から主食であるサツマイモをリュックにいっぱい詰めた乗客が降りてくる。コメの売買は統制されていたので、警察はそうした乗客がやみ米を持ち込んでいないか目を光らしていた。コメは配給制なので人々は外食券食堂で、配給になった食券を使って外食を楽しんだ(?)。 TANAKAは一度だけ山手線のガード下にあった外食券食堂へ行ったのだけど、何を食べたかは子どもの頃にことで覚えていない。
 1946(昭和21)年12月27日に閣議で「傾斜生産方式」が決定され、翌1947年から実施された。これは石炭・鉄鋼・肥料の生産に限られた資材と資金を投入するという政策。金利は低く抑えられ、インフレ率よりも預入金利が低い、という異常な状況だった。 さらに1946年2月に新円切り替えが行われた。これは 第二次大戦直後のインフレ進行を阻止するために、政府は昭和21年(1946年)2月、金融緊急措置令および日本銀行券預入令を公布し、5円以上の日本銀行券を預金、あるいは貯金、金銭信託として強制的に金融機関に預入させ、「既存の預金とともに封鎖のうえ、生活費や事業費などに限って新銀行券による払出しを認める」という非常措置を実施しました。これが、いわゆる「新円切り替え」と呼ばれているものです。 (日銀ホームページから)
 つまりこういうことだ「今の紙幣は使えなくなります。銀行へ預金しなさい。引き出すときには新しい紙幣を渡します。ただし、生活費の引き出しは世帯主月額300円、のちに100円、世帯員ひとり月額100円以内が限度で、それ以上は引き出すことはできません」つまり「1月を1人100円で生活しなさい」ということだった。「たけのこ生活」という言葉はその頃生まれた。
<不良マッチ退治から始まった「おしゃもじ主婦連」> 敗戦で混乱した日本経済はありとあらゆる面で、物不足が激しかった。コメは当然配給で、魚の配給もあったし、マッチさえ配給であった。そのマッチ、不良品が多く、不満続出であった。 その不満を訴えようと、1948(昭和23)年9月に「不良マッチ退治主婦大会」が開催された。これがきっかけとなって、10月に「主婦連合会(主婦連)」が結成され、各地で主婦の海を開催し、物価値下げ運動を呼びかけ、12月には「物価値下げ運動全国主婦総決起大会」を開催した。初代会長奥むめおは参議院選挙に当選した。
 その後の主婦連は、「値上げ反対運動」「不良品追放運動」を実施していく。「女性が中心で、物価を問題にする」という点で、戦後消費者運動の1つの典型になった。
<大阪主婦の「米よこせ風呂敷デモ」> 戦後の物不足の昭和20年10月、大阪で「米よこせ風呂敷デモ」が行われた。これは、遅配・欠配の続く主食の配給に業を煮やした比嘉正子などが中心になって大阪・鴻の池の主婦たち15人が風呂敷を持って布施(現東大阪市)の米穀配給公団支所に対して抗議した事件。 これがきっかけとなって、昭和20年10月9日、「大阪府中河内郡盾津村鴻池新田主婦の会」(通称「主婦の会」)ができ、さらに「大阪主婦の会」、 「関西主婦連合会」が結成されることになる。
 「主婦の会」は、主婦の店をつくり、これが消費共同組合主婦の店に変わっていく。こうした主婦の運動はGHQも評価していて、敗戦直後の関西における物価引き下げ運動に大きな影響を与えた。
<生産性本部主導の「(財)日本消費者協会」> 1961(昭和36)年7月、銀座東急ホテルで「(財)日本消費者協会」の設立発起人会が開催され、9月に「(財)日本消費者協会」が設立された。 発起人代表は、郷司浩平(生産性本部専務理事)、吉田英雄(東京商工会議所商業部会長)、滝田実(全労会議議長)、山高しげり(全地婦連会長)、奥むめお(主婦連会長)、氏家寿子(日本家政学会副会長)の6氏。 そして、初代会長は、生産性本部会長の足立正、理事長は野田信夫、専務理事には山崎進が就任した。
 設立に当たって日本消費者協会は、次のような「消費者宣言」を発表した。
消 費 者 宣 言
 経済活動は究極において消費生活の発展と、それによる人間能力の向上とを目的とする。したがって経済の基盤は、生産の終局の担い手である消費者の意志に支えられなければならない。 しかもいまわれわれは、新しい技術革新によって豊富な社会を迎えようとしている。この豊富な社会も良い品質と適切な機能を備えた商品やサービスが妥当な価格と正しい量目とで提供された時にはじめて理想的な姿において実現する。 それには経済の主権者としての消費者の発言と、構成な競争とが確保されなければならないことは言うまでもない。
 ところが、主権者であるべきわれわれ消費者は、生産者や労働者にの団結力に比べれば、いまなお甚だしく微力であり、したがって未組織であり、ときには消費生活が不健全化し、その声はともすれば社会の底辺にかき消されがちである。 日本消費者協会はこの弱い消費者の声を代弁し、同時に消費者が主権者としての資格と権威とを確保するために全力を尽くすものである。
 われわれは、ここに新しい力を呼び起こし、今後の運動の方向をつぎのように定め、消費者運動に邁進することを宣言する。
1、われわれは、正しい商品選択のための情報を消費者に提供するとともに、商品に対する苦情の処理に当たる。
2、われわれは、消費者の声を結集して生産者および販売者に伝え、消費者と生産者との間の疎隔を改め、わが国における消費生活の健全化をはかる。
3、われわれは、政府および地方行政機関に対し適切な焼死者行政の確立を要求する。
4、われわれは、消費者のための、消費者の声による消費社会の確立を期し、消費者主権の確立に邁進する。
5、われわれは、海外諸国の消費者団体との連帯を密にし、消費者の国際的団結を強化する。
 日本消費者協会のホームページにはつぎのような説明がある。
 財団法人日本消費者協会は、昭和36年9月に設立された、新しい時代の新しい消費者運動の推進機関です。一人一人の消費者にかわって、中立公正な立場で商品テストを行い、その結果を『月刊消費者』に掲載して、消費者の商品選択に役立たせます。また、消費者のために教育活動を行う一方、日常の苦情相談などを通じ、消費者を代表して生産者や流通業者、行政、業界団体等にその声を伝えます。私たちの活動をご理解のうえご支援ご協力をお願いいたします。
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<戦後の主要な消費者運動関係出来事>
1945(20) 10月・大阪鴻池の主婦「米よこせ風呂敷デモ」。11月・市川房枝などの新日本婦人同盟設立。
1946(21) 1月・鴻池主婦の会「主婦の店」開く。3月・松岡洋子委員長の婦人民主クラブ発足。5月・食料メーデー。
1947(22) 7月・独占禁止法施行、構成取引委員会発足。8月・皇居前で食糧確保国民大会。
1948(23) 7月・消費生活協同組合法公布。9月・不良マッチ退治主婦大会。「暮らしの手帖」創刊。10月・主婦連合会結成。
1949(24) 11月・主婦連が新橋駅前で「不良品追放デー」実施。12月・蛭つま会長の関西主婦連合会結成。
1950(25) 7月・日本労働総評議会結成。
1951(26) 3月・賀川豊彦会長の日本生活協同組合連合結成。
1952(27) 5月・血のメーデー。7月・山高しげり会長の全国地域婦人団体連絡協議会結成。
1953(28) 4月・平塚らいてふ会長の日本婦人団体連合会結成。9月・米価値上げ反対消費者大会。
1954(29) 8月・原水爆禁止署名運動全国協議会(原水禁)結成。
1955(30) 6月・第1回日本母親大会開催。9月・原水爆禁止日本協議会(原水協)結成。
1956(31) 12月・日生協、主婦連、婦人民主クラブ、総評、新産別などで全国消費者団体連絡会(全国消団連)結成。
1957(32) 2月・第1回全国消費者大会「消費者宣言」採択。7月・主婦連は不当表示ジュース追放運動始める。
1958(33) 1月・大日本製薬はイソミン(サリドマイド)大量販売。
1959(34) 1月・消団連、物価値上げ反対消費者団体連絡会議開催。3月・主婦連、第1回消費者ゼミナール開催。
1960(35) 1月・日本生産性本部「消費者教育室」開設。8月・主婦連「苦情処理の窓口」開設。
1961(36) 9月・日本消費者協会(日消協)発足。11月・主婦連、苦情相談窓口を35ヶ所に設置。
1962(37) 5月・大日本製薬イソミンによるサリドマイド事件発生。9月・サリドマイド系睡眠薬販売禁止。
1963(38) 10月・徳島地裁、森永ヒ素ミルク事件で、森永乳業に無罪判決。
1964(39) 4月・厚生省、合成着色料赤色1号と101号を使用禁止。9月・阿賀野川有機水銀被害者の会結成。
1965(40) 5月・第1回物価メーデー。
1966(41) 8月・主婦連、ユリア樹脂製食器からホルマリン検出等発表。
1967(42) 4月・全国的に牛乳値上げ反対運動起こる。7月・地婦連、千円化粧品と百円化粧品の効果に差はないと発表。
1968(43) 1月・水俣病対策市民会議結成。イタイイタイ病対策会議結成。5月・厚生省、イタイイタイ病を公害病と認定。
1969(44) 4月・日本消費者連盟創立委員会結成。
1970(45) 4月・日本自動車ユーザーユニオン結成。9月・消費者5団体、カラーテレビの買い控え運動開始。
1971(46) 3月・松下電器、公取委のヤミ再販審決成立。11月・自動車ユーザーユニオン幹部恐喝容疑で逮捕。
1972(47) 9月・消費者8団体、公取委に再販制度廃止を要望。11月・公取委、果実飲料表示に無果汁表示を義務づけ。
1973(48) 2月・石油タンパクの禁止を求める連絡会(石禁連)発足。
1974(49) 5月・創立委員会を解消、日本消費者連盟発足。10月・サリドマイド訴訟終結。
1975(50) 4月・厚生省、OPP使用の米国産グレープフルーツの流通・販売禁止。
1976(51) 6月・訪問販売等に関する法律(訪販法)公布。
1977(52) 6月・独禁法改正。10月・カネミ油症訴訟全面勝訴(福岡地裁)。
1978(53) 3月・スモン訴訟、金沢地裁で制約会社、国の賠償責任を求める判決。
1979(54) 9月・米スリーマイル島で原発事故発生。10月・金の先物取引で被害続出。
1980(55) 10月・東京都環境アセスメント条例成立。
1981(56) 4月・セールスマン登録制度発足。
1982(57) 5月・全国サラ金被害者連絡協議会結成。
1983(58) 5月・東北地方中心に新型ねずみ講発生。
1984(59) 5月・割賦販売法改正。
1985(60) 7月・全国豊田商事被害対策弁護団連絡会議結成。
1986(61) 3月・海外先物取引会社の破産相次ぐ。4月・ソ連でチェルノブイリ原発事故。
1987(62) 1月・農水省、特別栽培米制度導入。5月・全国霊感商法対策弁護士連合結成。
1988(63) 12月・一般消費税成立。
(『戦後消費者運動史』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『戦後消費者運動史』          国民生活センター編 大蔵省印刷局    1997. 3.30 
( 2006年4月10日 TANAKA1942b )
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日本消費者連盟の誕生
竹内直一の経歴と運動に対する考え方  
<日本消費者連盟と竹内直一> このシリーズでは、「消費者は王様」を認めさせた消費者運動、として竹内直一の始めた「日本消費者連盟」を取り上げている。 その消費者連盟を始めた竹内直一とはどのような人だったのか、まず日本放送出版協会編『日本の消費者運動』の文章を紹介しよう。
 「ただ単に『かしこい消費者』であるというばかりでなく、さらに進んで、不当なことには何ごとにも物言いのつけられる『きびしい消費消費者』へと成長しなければなりません。」
 日本消費者連盟の機関紙「消費者リポート第1号」からの抜き書きである。
 日本消費者連盟(日消連)は昭和44年4月、東京目黒区のめぐみ幼稚園の2階に事務局を構えて、創立委員会という形で産声をあげた。それは企業の行動を監視し、その悪徳を追求、摘発する、いわゆる告発型の消費者運動の誕生を告げるものであった。
 ”告発”の時代が生まれるには、それなりの背景がある。日本消費者連盟創立委員会の発足の前年、43年には「消費者保護基本法」が制定されたが、そのころ町には危険な商品、欠陥商品があふれ、消費者の間に生命の安全に対する不安が頭をもたげていた。 主婦連による危険なヘア・スプレーの摘発(40年)、同じく主婦連の検査でユリア樹脂から人体に有害なホルマリンが検出された(41年)。さらには公正取引委員会によるポッカレモンの不当表示の摘発(42年)、カネミ油症事件(43年)が起こり、この間、サリドマイド訴訟(40年)、 イタイイタイ病訴訟(43年)も提起された。大量生産、大量消費で見せかけの繁栄に浮かれた高度経済成長のとがめが、広い範囲にわたって表面化し始めていたのだ。
 設立発起人の1人であり、いまなお代表委員として日商連を背負って立つ竹内直一に聞いてみよう。
 「消費者は王様なりと言うのは嘘っぱちで、実際は企業の横暴につねに泣き寝入りだ。起票には消費者のことなど頭にない。政府は企業べったり、官僚もまた縄張り争いと思い上がりで全く頼りにならない。 集会を開いて決議したり、チラシを配ったり、デモ、陳情、署名運動といった、それまでの形の消費者運動ではまるっきりパンチが効かないことを、痛切に感じていた。 それが私自身に消費者のために何かやってやろうという気持ちを起こさせ、消費者連盟を生む原動力になったのだ」
 竹内直一(大正7年生まれ)、消費者運動に身を投じる前は、農林省のエリート官僚の1人であった。しかし、竹内本人の表現を借りれば、「素人臭い」いくつかの行動が彼をエリートの座から追いやることになる。 彼が農林省から経済企画庁に出向して、発足したばかりの国民生活局の参事官として物価、消費者行政を担当していたとき、牛乳を安く飲もうという消費者の運動を経済企画庁が支持して、牛乳を値切って買うことを呼びかけた。 呼びかけから、時には消費者への作戦指導にまで進む。それは牛乳の小売価格引き上げを図ろうとしていた農林省や乳業メーカーの神経を逆なでするものであった。43年6月、追われるようにして官僚生活に終止符を打つ。
 大会で気勢をあげ、決議文を配って歩くそれまでの消費者運動の限界を、国民生活局時代の消費者団体との接触を通じて肌で知った。 組織が大きくなると、メンバー相互が仲間に寄りかかるようになり、また、組織を守ることにエネルギーを多く費やして、本来の活動については小回りがきかなくなる。 自分たちが身近に考えている消費者の問題について、誰にももたれかからずに自分たちのやり方で取り組んでみよう。消費者を食いものにしている政治家や官僚、それに企業の行動を改めさせよう、効果のあるパンチを放つためには、表面的な活動ではいけない。 ゲリラ活動が必要だ──こうして生まれたのが日本消費者連盟であった。
 炭鉱労働者から生協運動に飛び込んだ岩田友和(現在内外消費者問題研究所代表)が、創立委員として竹内と腕を組んだ。岩田はバプテスト教団の役員をしており、その関係で協会付属の幼稚園の2階を、月5,000円の家賃で借りることができた。
 日消連を支える3原則は、政治的中立、財政的自主独立、個人加入であり、男性参加者が多いという点にも既存の消費者団体との違いがあった。 政治的には特定政党との結びつきをはいしながら、委員会審議等を通じて問題をしばしば国会に持ち込んでいる。国会議員をうまく利用することについては、竹内の役人時代の経験が物をいっている。 (『日本の消費者運動』から)
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<厚生官僚の犯罪と竹内直一の官僚告発運動> ここでは『官僚帝国を撃つ』から、日本消費者連盟副運営委員長の久慈力の文章を引用することにしよう。
 竹内直一は、日本消費者連盟の代表としてのはなばなしい活躍で知られている。その数奇にみちた人生は、本書の序論で展開されているが、まず、彼の略歴を簡単に紹介しておこう。
 竹内が京都に生まれたのは、1918(大正7)年、ロシア革命の翌年で、大正デモクラシーはなやかなりし時代であった。と同時に、この年、米価が暴騰し、善行各地で米騒動が起きた、混乱の時代でもあった。
 京都一中、第三高等学校、東京帝国大学法学部と、超エリートコースを歩み、同大学を卒業したのが、1941(昭和16)年、第二次世界大戦の真っ只中であった。彼の青春時代は、戦争の軍靴の足音と共に過ごさざるを得なかった。 と同時に、国の内外の民衆が、権力と軍国主義の抑圧のもとで、いかに呻吟・苦闘してきたかをつぶさに見ることができた。
 灯台卒業の翌年1月、農林省に入省、食糧管理局、食品局、統計調査部などに勤務、続いて経済企画庁では、物価・消費者行政を担当した。まさに、食品行政、消費者行政の第一線の担い手であった。 農林省では、大臣官房、大臣秘書官など農林行政トップの下で、官僚や政治家の悪業の数々を注視してきた。
 このようなエリートコースを歩みながら、官僚帝国の安逸に染まることはなかった。1968年、牛乳一斉値上げ反対運動を先導したとして乳業各社の要求で退職を余儀なくされた。これをきっかけに、彼は、人生をまさに百八十度転換することになる。
 翌69年4月には、日本消費者連盟創立委員会を結成し、代表委員に就任、次々に大企業の不正を摘発し、消費者運動の旗手として活躍することになる。 60年代から70年代前半は、日本経済が高度成長を果たしたが、その一方で、食品禍、薬品禍、公害事件が頻発した。1970年は「安保の年」であるとともに「公害元年」と呼ばれた。
 1974年5月には、日本消費者連盟が発足し、代表委員に選出され、食品添加物追放、合成洗剤追放、企業犯罪告発、行政犯罪告発などの運動の戦闘に立った。 消費者運動でも農林省時代の体験、法制度の知識を十二分に生かしたことが、大きな成果を生み出すことにつながった。 (『官僚帝国を撃つ』から)
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<怒れ! 消費者──体験的消費者運動論> エリート官僚から消費者運動に転換した竹内直一、その考え方を著書から引用することにしよう。
生産は何のためにある? 敗戦の荒廃と窮乏は日本国民の生活観に大きな転換を要求した。あらゆる生活資材が動員され活用された。 いかに”物”がわれわれの生活に大切なものであるかを痛いほど知らしめた。「日本の復興は産業から」が合言葉となり、国民のエネルギーのすべてはこの1点に集中された。 その甲斐あって、いまや世界きっての”経済大国”の地位をほしいままにし、国民は”豊かな消費水準”を謳歌するにいたった。
 ところで、ここでいわゆる”豊かな消費”とは、一定の計算方式によって表される量による評価である。かつては”3種の神器”と名づけられたテレビや電気洗濯機などの耐久消費財も、いまでは粗大ゴミの代表になった。 また、有産階級のステイタス・シンボルといわれた自動車も、いまは文字どおり”下駄代わり”に使われるようになった。たしかに現代の日本は、欲しい物はなんでもたやすく手に入る社会になった。 しかし、一見はなやかに見える私たちの消費の中身に立ち入って見るならば、つまり消費の質という側面から私たちの生活を見るならば、あまりにも問題が多きことに気づかざるを得ないのである。
 洪水のように市場に氾濫する商品の中には、私たちの生命さえ脅かす危険な商品、善良な消費者を欺まんするウソつき商品、企業によってその価格と耐用年数が自由に操作される商品等々が横行かっ歩しているのである。 その実態に一端は本書によって明るみに出されているが、私たち消費者が「まさか」と思うようなビッグビジネス、有名ブランド商品ですらその例外ではないのである。私たちは企業経営というものは、”誇り高き紳士の業”と信じ、紳士は偽らずと信じていた。 その聖域にひとたび踏み入れるや、恐るべき欺まんと邪悪と横暴に満ち満ちていることを発見し、がく然としたのである。
 なぜ、このような邪悪、横暴がまかり通ようになったのか。いったいこれが、現代社会の運命(さだめ)、文明社会の必然の代償なのだろうか。否である。
 私たち消費者は、ここで私たちが行っている消費行動が、私たちにとってどのような意味を持っているのか、についてまず考えをめぐらせる必要があろう。言い換えるならば、私たち人間にとって「経済とは何ぞや」ということである。
 私たち人類の祖先が最初に経済行動を営んだのは、生命を維持するための食糧を確保することであった。とれたものを保存して食いのばすという行為が、その第1歩であった。進んでは、農作物をつくり、家畜を飼うという生産活動を営むようになった。 その場合、それはあくまでも「実様なだけ」という範囲に限定されていた。消費するに必要な限度において生産活動が営まれるという自給自足の経済であった。言い換えるならば、生産は消費のために行われた。生産は手段であり、消費が目的であった。
 経済が進歩すると、分業が行われ、交換経済の時代に移っていった。生産と消費の距離は次第に離れていった。さらに、資本主義の高度化につれて、経済化rすどうの目的は利潤追求へとその比重を移していった。そのためには大量生産、大量販売が必要となった。 もっと積極的に」”高圧販売””押し込み販売”戦略を採らざるを得なくなった。”消費は美徳”というキャッチフレーズがもてはやされ、そうした働きかけが、手をかえ品をかえて行われるようになった。 商品のライフサイクルをできるだけ短くし、多様化をねらい、”使い捨て時代”の到来となった。人びとはますます消費欲望をかきたてられ、ガツガツと商品の洪水の間を泳ぎ回って買うようにし向けられていった。
 企業は営利のために生産し、営利のために消費させるという経済関係がここにでき上がってしまったのである。本来、目的であったはずの消費が、いまや営利のための手段となるという、秩序の倒錯が生じたのである。
 このような社会では、産業の発展が目的となり消費はこれに規定され、手段と化してしまう。かつて池田内閣は所得倍増計画のもとに、消費者の分け前を論じる前に、まずパイ──経済の規模──を大きくすることだ、といった名分を打ち出し、高度経済成長政策を強行した。 その結果、わが国は物価高と公害でその”勇名”をとどろかせてしまったが、それも経済が成長するための”代償”だとして当然視された。そして、いまなお国家目標の第1順位にGNPの拡大が置かれている。
 戦時中「欲しがりません、勝つまでは」のスローガンが風びしたが、現在の政策の基調も戦時中の軍事予算優先を、経済成長のための設備投資優先にとって代えただけで、国民大衆の生活は依然として犠牲に供されている。つまるところ「生産は消費のためにある」という経済社会の本来の秩序が逆転し、消費は生産に隷属している。 (『費者運動宣言』から)
消費者の王権奪還を 企業はその販売戦略を有利に展開させるため「消費者は王様である」とたくみに消費者を持ち上げ、財布のひもを緩めさせることに成功した。 消費者はこれに踊らされた。その結果、消費者追求は”裸の王様”いやそれどころか、まるで奴隷のように踏んだり蹴ったりの扱いを受けている。”消費は美徳””いまは使い捨て時代”のキャッチフレーズのもとに、あの手此の手で迫る企業の商法は、消費者こそ金に卵なのであって、カネをしぼり取るための道具にすぎないと考えている証左だ。 消費者はハイエナのごとき企業のあまなき利潤のエジキにされつつある。
 そこで私たちは決意する。生産は消費の手段であり、経済は生活の手段である、という自然の原理を再認識し、その秩序回復を宣言する。 そもそも生産活動の究極の目標が消費にあるとするならば、消費の主体である消費者は、経済の社会においては”王様”でなければならない。 つまり企業は、消費者に奉仕する家臣でなければならないのである。現実には”家臣”であるべき企業が、その野望をむき出しにお人よしでおとなしい王様を追い落として、王権をさん奪しているのだ!
 消費者と企業との関係をこのように位置付けるならば、消費者が王権を奪還することは当然の行為である。言い換えれば、経済の社会においては本来、消費者が主権者なのであるこのを消費者自身が強く自覚して、自らの手によって、その主権を奪還しようとする。 これがほかならぬ消費者運動の哲学である。そこにはイデオロギーもいわゆる政治的意図も介在する余地はない。人間が人間らしく生きるための当然の権利の主張があるだけである。 その意味において、消費者運動とは、人間回復運動、人間保全運動であると言って差しつかえない。コンシューマリズムの名によって呼ばれる思想の意味するところは、まさにここにある。
 一部の経済学者が唱えるように、消費者運動の理念を現代経済社会における対抗力として認識しようとしたり、「売り手と買い手の均衡回復運動」と定義づけるだけでは、その深い社会思想意義を説明することはできないのである。 (『費者運動宣言』から)
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<くさいものにフタ──消費者をごまかす苦情相談> ここでは機関紙である『消費者リポート』に書いた竹内の文章を紹介することにしよう。
 前号では、買い手たる消費者は不審の点があった場合には遠慮会釈なく勇猛果敢にクレームをつけるべきだということを述べましたが、たしかに近頃そういう風潮がわずかずつ盛りあがりつつあることは結構なことです。 あちこちの県庁や市役所などで消費者行政を店開きするのにまず手がけるのが苦情相談と相場がきまっているようですし、業界の団体でも同じような窓口を作りはじめました。 また個々の企業でも”女王蜂”や”王様”のご機嫌を取り結ぶために飛び切り愛想の良い社員を張り付けて大いに”前垂れがけ精神”を発揮するようになってきました。
菓子折持参で最敬礼のメーカー まず会社側のやっている苦情処理のやり方はどうでしょう。会社といっても掃いて捨てるほどあるのですから、もちろん木で鼻をくくったようなサービス精神、 起業家精神ゼロのひどい扱いに腹を立てられた経験者もゴマンとあるでしょう。こんなのは論外で、これこそ声を大にして悪徳業者追放を叫ばなければなりなせん。ところが、まことに心地よく苦情処理をしてくれる企業も数多くあらわれました。 たとえば消費者が買ってきた品物に欠陥があることを発見したとします。少し元気のある書油飛車が、買った店か本社へ電話をして苦情を申し立てます。 早速、会社からは課長代理か主任クラスの肩書きが刷り込まれた名刺を差し出して、玄関口で最敬礼をし、このような事故は会社始まって以来のことでまったく合点がいかぬことをクドクドと説明したあげく、新品とお取り替えさせていただきますと菓子折などといっしょに置いて帰ります。 あとで工場長か支店長かの名入りの手紙が届けられるという寸法です。一旦は柳眉をサカ立てた女王様もこれでヘナヘナとなってしまわれます。そしてこ丁寧にも「○○株式会社ほど良心的なメーカーは珍しい。すべての企業がこの○○社のようになってくれたらどんなにいいことでしょう」と感激のあまり新聞なんかに投書をなさいますのを時おり拝見します。
もみ消しが目当て ここでひとつ「はてな?」と思いかえしてみませんか。この消費者は一体何に感激しているのでしょうか。 それは、大会社など私の苦情なんか聞いてくれっこないわと頭から決め込んで、最悪の場合は「運が悪かったんだ」と泣き寝入りの覚悟を決めていたところへ、一流メーカーの役付の社員がわざわざ新品と名刺代わりのお菓子まで持参に及んだのですから、ポーッとされたものと推察いたします。 たしかにその消費者にとってはまさに禍を転じて福となったのですからご同慶のいたりです。しかし会社の方はホントに申し訳なかったと思ってそのような手の込んだことをしているのでしょうか。 「ノー」だと思いますね。 もしその苦情が世間に広がってしまったら、場合によっては会社にとってはそれこそ”御家断絶”ほどの重大事態になりかねません。 それが怖いから菓子折片手にすっ飛んで来るんだと推理するのはあまりにヤブにらみだとおっしゃいますか?それなら最近大きな話題になった自動車や電気製品の”欠陥商品”の回収のやり方はどうでしょう。 消費者にはできるだけ知られないようにと最大限の神経を使っていたえあけですが、とうとう隠しきれずに新聞広告で大っぴらに白状することになりました。恐らく会社にとっては大変な損害になるでしょう。 実はこれが怖いからお人のいい”女王様”や”王様”をもみ手でコロリとまいらせようとするわけです。
 次ぎに役所の苦情相談はどうでしょう。特に商品に対する苦情は、せいぜいのところメーカーに取り次ぎするのだ関の山です。とすると本質的には会社が直接受ける苦情処理と少しも変わりません。
 「役所だからもっとシャキッとしたことができないか」と考えられるでしょうか。ご存じのとおり」役所と業界とは内輪の関係にあることを考えれば、かりに役所の窓口の係官がいくら正義心に燃えてハッスルしてもとうてい及ぶものではありません。
 苦情処理ということは消費者保護のためには大切なことなのですが、それがいわゆる「クサイものにフタ」をするために利用され、逆に”企業保護”の隠れ蓑に使われるとしたら、これほど人を馬鹿にした話はありません。 (『草の根運動10年』消費者リポート8号 から)
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<主な参考文献・引用文献>
『日本の消費者運動』          日本放送出版協会編 日本放送出版協会  1980. 5.20
『官僚帝国を撃つ』                竹内直一 三一書房      1997. 4.30
『消費者運動宣言』 1億人が告発人に       竹内直一 現代評論社     1972.11.30
『草の根運動10年』 消費者リポート      編集・発行 日本消費者連盟   1979.12. 1
( 2006年4月17日 TANAKA1942b )
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最初に取り組んだのは、コーラの有毒性
以後大企業への「矢文」が追求する
 竹内直一が始めた日本消費者連盟創立委員会が行ったのは、集会、デモ、署名といった従来の市民運動とは違っていた。 問題を発見すると企業に手紙を出す。企業のトップに「御社の製品は次のような理由で欠陥商品と思われる。回答を頂きたい」「御社の営業の仕方は消費者保護の立場から認められない」というような内容で、これを「矢文」と呼んでいた。 こうした内容で矢文を出し、解決できない場合には国会での審議に持ち込むこともしばしばあった。こうした連盟の活動、具体的にどのような問題を扱っていたのか、幾つか例を挙げてみよう。
<衆議院特別委員会で、コーラの有毒性について論議> 日本消費者連盟が最初に取り組んだのは、コーラ飲料の有毒性の問題であった。衆議院の物価問題等に関する特別委員会では、昭和44年5月から数回にわたってコーラ飲料の問題が取り上げられ、カフェイン、リン酸を含んだコーラ飲料がジン他に与える影響にたういて、 社会党の武部文らが厚生省に迫ったが、そのきびしい追求の背後には、日消連と国会議員の緊密な連携プレーがあった。問題の解明が進まない9月1日、日消連は日本コカコーラ株式会社を外資法違反の事実があるとして告発した。 外資法では必要とされている農林大臣の認可を受けずにコカ・コーラの商標権を使用し製造販売していたというのである。 世界的大企業の法律違反と、これを微罪として始末書を取っただけの監督官庁の責任を追及するとともに、これをきっかけに日本コカ・コーラ社の経理内容と業務の実態を解明し、有害な添加物を摘発、規制させようという狙いを含んでいた。告発第1号である。
 日本消費者連盟が創立委員会としてスタートを切ってから昭和45年3月まで、1年間のおもな活動の中には、前記コーラ飲料をはじめ乳酸菌飲料の不当表示など、告発深刻が13件、大正は81社に及んだ。 メーカーに対する警告や質問は洗剤、酢など113件、計126件を取り上げ、半数近い58件を解決している。 国会にもち込んでの追求はこの間延べ30回に及んだ。 (『日本の消費者運動』から)
<大企業告発第1号として大きな反響> 創立委員会の発足とともに、企業の違法行為の摘発活動に取り組んだ。最初の取組は、コーラ飲料の有害性の問題である。 これは、1969年5月、衆議院物価問題等に関する特別委員会(物特委・帆足計委員長)で、社会党の武部文委員が厚生省の環境衛生局長に対し、コーラ飲料の成分の分析結果を公表せよと迫ったのが発端だが、 この時の時の資料等も日消連が丹念に調べあげたものであった。
 物特委では、その後もコーラ飲料に含まれるカフェイン、リン酸等が成長期の子供に与える影響等について厚生省を厳しく追及した。 国会での議論の過程で、厚生省側は、発育期の子供には望ましくないと認めながらも、カフェイン添加は違法ではない、立ち入り検査は困難、などと誠意のない答弁に終始したため、 日消連は、9月17日、日本消費者連盟創立委員会岩田友和名義で、日本コカコーラ株式会社を外資法違反の事実ありとして告発した。
 告発の内容は、同社が外資法に基づく技術援助契約に関する農林大臣の許可を受けずに、コカ・コーラなどの商標権の使用とコーラ飲料等の製造販売を続けたことが外資法違反に当たるというもの。 正解的巨大企業が法律を無視して営業活動を行っていたことだけでなく、監督官庁たる農林省が、この法律違反を」微罪として始末書を受け取っただけで済ませた事実も指摘した。 なお、告発状には@日本コカコーラ社の経理の解明、A食品衛生法との関連で同社の製品の分析調査の2点が希望事項とすて盛り込まれた。 この告発は、その後公訴時効により不起訴になったものの、日消連の大企業告発第1号として大きな反響を呼んだ。 (『戦後消費者運動史』から)
<『消費者リポート』でのコーラ問題の扱い> 日本消費者連盟創立委員会の機関紙『消費者リポート』では、創刊号(1969年6月7日号)から「コカ・コーラ」を取り上げている。 創刊号では「歯をとかす?コーラは果たして無害か」「厚生省 国会質問にもスカッとしない答弁」といった見出しが並び、国会での質疑が取り上げられている。
 第2号(1969.6.17)では「やっぱり子供には害 国会でコーラ論議」「厚生省しぶしぶ認む」との見出しがあり、さらに「コーラのカフェイン コーヒーと同じ量」「コーラの原料は企業の秘密」「コーラには厳しい諸外国」 「企業の政治力に押しつぶされる国民の健康」といった見出しが続く。第4号には「企業秘密が法に優先? コーラ工場、臨検できぬ厚生省」「核心に入った国会論議」「カフェイン 子供の脳に障害」といった大見出しがあり、小見出しとして「コーラの原料はお茶?」 「臨検しり込みする厚生省」「厚生省が珍説 リン酸は必要栄養なり」が続く。その後『消費者リポート』では第8号で「ポツリポツリ非を認める厚生省」、第12号で「連盟創立委がコーラ告発」、第13号で「コーラなどに使用の甘味料チクロは有害」、 第15号で「農相が厚生に要請」、第17号で「外資系コーラ飲料メーカーを独禁法違反で告発」、第19号で「売れゆき落ち目のコーラ」とコーラ批判の内容が続く。
 コーラ問題では企業の違法性が証明出来たわけではないし、企業が被害者に慰謝料を払ったというわけでも、企業のトップが記者会見で「世間を騒がせて申し訳有りません」と謝ったわけでもない。 しかし、その後の企業活動に大きな影響を与えたはずだ。消費者の中には企業の言いなりになる者ばかりではないこと、そして、消費者の気持ちを無視すると、手痛いしっぺ返しを受けることもある、という異を意識し始めたはずだ。 それは「消費者は王様」「お客様は神様」「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損する」ということを意識し始めた、ということでもあった。
 「広告・宣伝に金をかけ、消費者の好みや意識を企業の思う通りに変えられる」と思っていた企業が「そうではなさそうだ。消費者を無視すると、結局は損するようだ」と思い始めた。一部の業界では、消費者を無視して談合を重ねたり、 「永田町の論理」と言って一般人とは違ったモラルで行動したり、あるいは「食の安全性や自給率の問題について、消費者教育が必要だ」とサプライサイドの方が賢いかのように発言する人がいる。 一部では、「お客様は神様」の現代資本主義社会を理解していない人もいるが、竹内直一等の活動によって、日本コカ・コーラ株式会社だけでなく多くの大企業が「消費者を無視してはいけない」と思うようになった。
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<百科辞典ブリタニカを詐欺罪で告発> 理論武装した日本消費者連盟の活動は、その後も休むことを知らない。昭和45年11月には、百科辞典ブリタニカの販売に消費者をだます行為があったとして、 詐欺罪で東京知見に告発、最終的には1700人に及ぶ被害者が名乗りをあげて、総額1億9700万円にのぼる代金の返還を勝ち取った。日消連の会員自らがブリタニカのセールスマンに応募して講習を受け、 身をもって体験するという離れ技もやってのけたが、告発に至るまでには、当のブリタニカの元セールスマンの情報提供が物をいったと言われる。 (『日本の消費者運動』から)
<ブリタニカの内部告発> 1970年7月、『不良商品一覧表』を出版。この本を読んだ英文百科辞典のブリタニカ社のセールスマンが、「あの本を読んで連盟を信用し資料を全部提供するから、 悪徳商法で消費者を収奪しているブ社を告発してほしい」と訴えてきた。日消連では、「証拠固めのために、若い事務局員をブ社のセールスマンに応募させ、 詐欺商法の講習を全部録音したり、前記の内部告発者から詳しい実態を聞き」、1970年11月2日、同社を詐欺容疑で東京地検に告発した。
 これがマスコミで報道されると、次々と被害者が名乗り出、最終的には2,000人からなる「被害者の会」を結成、2年にわたる集団交渉の末、支払った金額プラス10%の損害賠償金約2億円を勝ち取った。 この事件は、72年6月の割賦販売法改正の際、クーリングオフ(冷却期間)という消費者保護制度の導入につながった。 その意味でもこの事件は、消費者運動の歴史に残る大事件であった。 (『戦後消費者運動史』から)
<『消費者リポート』でのブリタニカ社の扱い> 日本消費者連盟創立委員会の機関紙『消費者リポート』では、1970年4月7日の第31号から取り上げ、以後第52,53,54,55,56,57号と連続して取り上げている。
 訪問販売とは、経済学者が好んで使う表現をすれば「情報の非対称性」を利用した、セールスマン優位な販売方式だ。消費者は限られた情報しか与えられていない。セールスマンの言う言葉を一方的に信じるほかない。 セールスマンは自社に不利な情報は消費者に提供しないようにする。消費者が知ったとき、セールスマンは会社に帰ってしまっている。こうしたことを考慮して「クーリングオフ制度」が導入された。消費者保護にとって大きな一歩であった。
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<「消費者を裏切ってヤバイことして、結局は損した」アイフル> 2006年4月15日の新聞報道によると、金融庁は4月14日、消費者金融大手アイフルに対し、悪質な取り立てなど貸金業規制法違反が5店舗あったとして、国内の約1900店(06年3月末現在)全店の業務を5月8日から3〜25日間停止させる行政処分を出した。 消費者金融の大手に対し、全店の業務停止を命じたのは過去に例がない。福田吉孝アイフル社長は記者会見して陳謝するとともに、自らを含む役員の減給処分や社員教育実施、テレビCMなど広告宣伝の2カ月間自粛を発表した。
 消費者金融大手アイフルの好調さの裏には、強引な取り立てなど数々の違法行為があった。高い金利と厳しい取り立てという「サラ金」の印象が強かった消費者金融業界は、動物や女性タレントを使った広告と独自の審査や回収ノウハウとで急拡大してきたが、 銀行業界からの参入や相次ぐ規制強化で曲がり角を迎えている。金融庁の厳しい行政処分をきっかけに、業界全体のイメージが逆戻りするのは避けられそうもない。
 「成果主義が行き過ぎた。反省して撤廃する」
 全店での業務停止という異例の処分を受け、4月14日の記者会見で頭を深く下げアイフルの福田吉孝社長は、違法な取り立てや契約を生んだ原因についてこう話した。
 竹内直一が消費者連盟創立委員会で行ったことによる成果の1つは「消費者は王様」「お客様は神様」「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損する社会」に変えたことだ。
 企業の不祥事が起こると「成果主義の行き過ぎ」とか「利潤追求の行き過ぎ」との反省の言葉が聞かれる。なるべく頭を下げ、謝って、早く世間で忘れてもらおう。そのためには無難なこと、世間を刺激しないことを言おうとする。 その結果が「利潤追求」とか「業績重視」などの表現になる。しかし、本当は違う。利潤追求なら「消費者は神様」を意識し、「消費者を裏切ったり、ヤバイことしないよう注意すること」が大切なはずだ。 もし、アイフル社長が「成果主義の行き過ぎ」と考えるならば、今後は「成果主義を捨てて、成果を重視せず、業績が悪化する」か「世間への建前はそうでも、実際は成果主義を貫き、再び消費者を裏切りヤバイことすることになる」だろう。
 こうした企業の不祥事を少なくするには「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損する社会」であることを社員に徹底すること。それと部外者を非常勤でもいいから取締役に入れること。 同じ業界の人間ばかりでは消費者の気持ちの変化に気づかない。日本ハムが食肉偽装事件のあと「企業倫理委員会」をつくり、学者・ジャーナリスト・消費者団体。労組などの企業経営部外者から意見を聞く姿勢をとった。 異端な意見が出ることによって狭い社会での倫理観から広い社会の倫理観に変われる。狭い社会の仲間だけだと、土木・建築業界の談合のように、経済学者業界のように神話にとわられた、「土の匂いのしない者の意見は聞かない」農業界のようになる。
 消費者金融では武富士とアイフルが銀行と提携せず独自路線を進んできた。他の業者は銀行と提携し、消費者金融業界とは違った倫理観の人間が経営に参加している。こうしたところでは 雑種強勢・一代雑種▲ が期待できる。武富士もアイフルも自家不和合性に陥る危険性がある。 今後アイフルが変われるかどうか、「成果主義を捨てて、成果を重視せず、業績が悪化する」か「世間への建前はそうでも、実際は成果主義を貫き、再び消費者を裏切りヤバイことすることになる」との危険性は拭いきれない。
 竹内直一が生きていたら、厳しい矢文を発しただろう。現在、竹内直一のような先頭に立つリーダーはいないが、一般国民が賢くなっている。先頭に立つリーダーがいなくても「消費者を裏切ってヤバイことする企業は許さない」と行動するようになってきている。 「お客様は神様」の現代資本主義社会になりつつある。
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<「クボタ、住民に最高4600万円 石綿救済で合意> 2006年4月18日の新聞報道によると、大手機械メーカー「クボタ」(本社・大阪市)の旧神崎工場(兵庫県尼崎市)の周辺住民にアスベスト(石綿)による健康被害が広がっている問題で、 同社は17日、周辺住民の患者と遺族に「救済金」として1人最高4,600万円を支払う制度を創設したと発表した。 健康被害との因果関係は認めないながらも、石綿を扱ってきた企業の社会的責任があるとした。患者・遺族団体と合意し、まず88人に計32億1,700万円を支払う。 対象から外れる被害者への対応などを協議するため、同社と患者・遺族らによる「救済金運営協議会」も新設する。
 「企業の社会的責任」という面から評価することも出来るだろうが、もっと単純に「利潤追求」という面からも評価できる。「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損する社会」である日本では、 「クボタ旧神崎工場の周辺住民の被害が表面化してから10カ月足らず。時間がかかる訴訟に至らないうちに、クボタ側が「企業の社会的責任」を認める形で患者側に歩み寄ったことは被害者救済の観点から大きな意味をもつ」 と、新聞で書かれることは、企業のイメージアップに大きく貢献する。それだけのイメージアップ作戦にどの程度の広告宣伝費がかかるか考えれば分かる。それは、そうした企業の社会的責任を全うする姿勢を、国民がキチンと評価社会になっているからだ。それは「豊かな社会」の大きな特徴と言える。竹内直一が目指した「企業は社会的責任をとるべきだ」との倫理基準が浸透して来たと言える。
 アイフルとクボタ、社会的評価が違い、社員のモラルにも大きな影響の違いが生まれる。企業がどのような態度を取るべきか、「機会費用」という概念を使って考えると答えは容易に出てくる。これについては 企業・市場・法・そして消費者(中)偽装表示の損益計算書 を参照のこと。
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<主な参考文献・引用文献>
『日本の消費者運動』          日本放送出版協会編 日本放送出版協会  1980. 5.20
『消費者運動宣言』 1億人が告発人に       竹内直一 現代評論社     1972.11.30
『戦後消費者運動史』          国民生活センター編 大蔵省印刷局    1997. 3.30 
『草の根運動10年』 消費者リポート      編集・発行 日本消費者連盟   1979.12. 1
( 2006年4月24日 TANAKA1942b )
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果汁が入ってなくてもジュース?
消費者も果樹生産者も困ってしまう
 日本消費者連盟創立委の機関紙『消費者リポート』第1号からコーラの有毒性を取り上げていた(第1号の前に創刊準備号が2回出たが『草の根運動10年』には掲載されていない)。その次ぎに取り上げた大きな問題は「ジュース」問題だった。 そしてその取り上げ方は従来の市民運動とは違っていた。一般に市民運動は政府とか大企業とかを批判し、市民に訴え、もし自分たちが間違っていても責任をとらなければならない、という危険性は少ない。 しかし、日本消費者連盟創立委のやり方は、ちょっとした小さな間違えがあっても運動自身が立ち行かなくなる。真剣勝負の運動だった。
 そうした真剣勝負の厳しさについては 告発の方法──トップ企業をねらえ▲ で次のように言っていた。 
 それほど社会的に知名度の高くない地方の中小企業でもほとんどが生真面目に回答してくるし、徹底的な調査もする。ある場合には中小企業のほうが真剣でさえある。
 こうした私たちのやり方は、もしかじ取りを誤ったら大変なことになる両刃の剣である。現に企業側では私たちの告発活動をきわめて反社会的で危険なものとみて、盛んにアジっている一派もいるのだ。 そのような企業の術策に陥らないよう、最大の神経を使わなければならないことは言うまでもない。スキあらばと、私たちの一挙手一投足を見守る企業陣営を前に、やり直しの許されない真剣勝負の繰り返しを覚悟しなければならない。
 私たちはただの一度でも切り返されたら、それでおしまいである。絶対不敗の戦いを挑まなければならない宿命を負い、文字通り日々、白刃の下をかいくぐる心境の連続である。 (『消費者運動宣言』から)
 従来の市民運動になかった運動様式、それは今回取り上げる「ジュース問題」のように公取委に告発する、という方法だ。今週はこのジュース問題について取り上げることにしよう。
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<日本消費者連盟創立委が放つ第二弾──インチキ”生ジュース”>
 1969年9月26日、日本消費者連盟創立委員岩田友和は、公正取引委員会山田精一郎委員長に対し、天然果汁まがい飲料の不当表示について、つぎのような申告書を提出した。
 『左記飲料は、いずれも不当表示及び不当表示防止法第4条に違反するものと思料いたしますので、申告以外の類似ケースをも含め、早急にご調査のうえ、厳重に取り締まられるようお願いいたします。
 なお、昨年来、果実飲料の不当表示問題に関連して、公正競争規約案をご検討中と聞き及びますが消費者の立場からは、100%天然果汁相当以外は「ジュース」の表示をさせるべきでないという主張をしておりますにもかかわらず、果実飲料業界が理由もなく、頑固に反対しているため、いまだに結論が出ないまま放置されています。
 公正取引委員会は、法違反をきびしく取り締まる行政責任を有していられると考えますが、消費者の日々こうむる不利益を早急に排除するため、法規に従い、厳正果断な処置を執られるよう特に要望いたします。
  
明治パンピー・オレンジ(乳酸菌飲料)
明治りんごジュース(果汁飲料)
森永オレンジ(乳酸菌飲料)
雪印ピュア・オレンジ(乳酸菌飲料)
雪印リンゴ果汁(清涼飲料)
雪印ピュア・トマト(乳酸菌飲料)
ミルシャン(果汁入り清涼飲料)
プラッシー(果汁入り清涼飲料)
 不当景品類及び不当表示防止法第4条に違反する事実 (以下略)
*                   *                    *
 申告書提出後、岩田委員は記者会見し、つぎのような談話を発表した。
 本日別紙申告書の通り天然果汁であるかのように消費者を誤認させる飲料を不当表示防止法違反として、厳重に取り締まるよう公正取引委員会に申し入れました。
 これらの飲料は、いずれも国内有数のメーカー製品であり、消費者が、これら一流メーカーに寄せている信頼感を逆用して、不当表示商品を売りつけようとすることは、著しく企業モラルに反する行為であると考えますので、申告に踏み切りました。
 一流の乳業、薬品メーカーがこれら不当表示の飲料を、あたかも天然食品であるかのような印象を与えて大々的に販売することにより、特に子供や老人、病人等が栄養飲料と誤認して引用している現状は、国民保険上ゆゆしきことと思いますので、早急にこのような食品を一掃されんことを要望します。
 われわれ消費者は、真に栄養的価値のある飲料が豊富に、しかし安価に供給されるような施策が講ぜられるよう政府当局に強く要望いたします。 (『消費者リポート』13号から)
*                   *                    *
ジュースとは天然果汁のことではないのか  今回の申告書の本分のなお書き触れている果汁飲料の公正競争規約のことについて簡単に説明しておこう。
 果実飲料、つまりジュースと名づけられて売られているものは、実は人工甘味料で味つけされた色つき水なんだ。これはウソつき食品であるということで公取委が問題にしているケースだ。 この点について、消費者側は、ジュースと呼ぶことができるのは、100%天然果汁のものだけにせよという強い要求を出している。 ところが業界側では、ジュースという名は戦後20年間使いなれて、一般消費者の間に定着してしまっているから、いまさらこの名をとっぱらえと言うのはそりゃ聞こえませぬ、とういう主張をして譲らない。
 果樹生産農家は、リンゴもミカンもシーズンに生で消化しきれないほど増産したので、これをカン入り天然ジュースにして大いに飲んでもらおうと工場を作り始めたところが、色付き水や添加物入りの粉末がジュースと呼ばれて大々的に売られていて、消費者がホン物と思って飲むのだから、天然ジュースのカゲが薄くなってしまう。 だから生産農家も100%天然ものだけをジュースと呼ぶべきだ、と要求しているのだ。
 このように、消費者も生産者も一致して要求しているスジの通った要求を、業界がなぜこれほど頑固にはねつけるのだろうか。業界の言い分は、果汁を混入した割合をパーセンテージで標示すればそれでいいのではないか、と言うのだが、今のJAS規格で決められている分析方法では天然果汁の混合割合をほんとにハッキリ識別できないのだから、こんな案は実はナンセンスなのだ。 横車を押してくる理由は、大企業が”ジュース”を売っているからだ。ビール会社や大手乳業メーカーが色付き水を○○ジュースと言って打っている。 こういうところは、消費者の意向なんか眼中にない連中だから、「しろうとは黙ってろ」式に押しまくっているわけだ。
 では監督官庁の農林省はどうか、それがおかしいことに、業界案を後押ししている気配がある。農林省だから、果樹農家の味方をするのかと思ったら、さにあらず。消費者の味方になってくれないはよく分かるが、農家の味方にならないで、リンゴやミカンの木を引っこ抜けと内面指導していることは、あきれたお役所ではないか。
 消費者はもっと果物や天然ジュースを摂りたいと思っているし、生産者も、お米つくりの替わりに畜産や果樹農業をやっていこうと望んでいる。そういう希望が実現しない邪魔ものになっているのが、有害飲料やうそつきをやっつけることにどうして役所は尻込みするのだろうか。 業者の高姿勢をどうしてへこまさないのだろうか。どこかが狂っているに違いない。 (『消費者リポート』13号から)
*                   *                    *
反省の色見せぬ業界──ウソつきジュース”告発”のその後  前号で紹介した大手乳業、薬品メーカーのインチキ生ジュース”告発”の1件は、意外なほど大きな波紋を描いている。 それは一流大手企業が予想もしなかった点を突かれてショックを受けたということであり、また一般消費者が、まさかと思って信用してきた有名ブランドが軒並み法違反の疑いが濃厚な商品をヌケヌケと販売していることに対する怒りが高まったということである。
 不当表示告発を掲載した『消費者リポート』13号に続いて、14号ではその反響の大きさを書いている。上記リード文に続き、業界側の反論や抵抗するさまが記事になっているので、その様子をまとめてみよう。
”営業妨害”とネジ込むメーカー  まず、業界の反応は鋭敏だった。あるメーカーは、社員をつかって次ぎのような抗議をさせてきた。それは「あの新聞記事が出てからは系列の小売店からつぎつぎに取扱拒否の通告をされて甚だ迷惑している。 ある商品はビタミンを強化した栄養飲料として販売しているので、そのために人工着色料は使わず、ベーターカロチンというタール系でない色素を使っている。 だからJASマークも取り、法律に違反など全然意識していないつもりだ。いったいどこが不当表示なのか」というきつい言い方だった。
 事務局では 「あの中に入れてあるモロモロしたものは、人工的に添加したみかんバルブだが、一般の消費者は、王冠に標示してある「果汁入り清涼飲料」とか、「かんきつ果実飲料果汁10」といった虫ねがねでないと読めないような字を見ないでびんに書いてある標示と中味の姿を見て判断して、これは天然果汁だと信じている。
 消費者ばかりでなく、これを扱っている小売店までがホンものの天延果汁と思って販売していたということも言ってきている。一見して天然果汁と「誤認」させていることが不当表示防止法に違反することになるのだ」 と反論した。
不当表示のホントの意味は  メーカー側ではどうしても不当表示の意味が飲み込めぬらしい。王冠に申し訳的な標示があればそれで免罪だという解釈であるらしい。
 ここで消費者側も不当表示の意味をしっかり頭にたたき込んでおく必要がありそうだ。
 不当表示にはいろいろのかたちのものがある。中味とは違った名前を付けるのはいちばんハッキリした不当表示だが、かりに正しい標示がしてあってもそれが消費者の眼につきにくいかたちであるために、 それ以外の絵や中味の姿で消費者が誤認してしまうというのも不当表示になる場合がある。とにかく普通の消費者が端的にその商品の名称や内容や量目について誤認するようなことになれば、これが不当表示なんだ、ということは消費者の方でもよく認識しておいて厳しい監視の眼を光らせ、 さっきのマーカーのようないい加減な弁解に騙されないことが肝要だ。 (『消費者リポート』14号から)
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<2年かかってもこの調子──こじれたジュースの標示論争>  果汁が少ししか入っていない”人工化学飲料”がジュースとしてまかり通っているという訴えが消費者からあったのが今から2年も前の43年春。 それ以来公取委の警告や指導で、中味にふさわしい表示のルールを決める公正競争規約の案が何度かつくられては議論された。消費者が「ジュースというのはオール天然果汁のホンモノだけにつけるべき名前」と主張すれば、片や業者側は「終戦後20年以上も今のような飲みものをジュースと呼んで不思議に思わなくなっている」と頑張ってにらみ合いのままちっとも話は進まなかった。
 ところが昨年秋、世論の力に押されてとうとう業界は「100%果汁のもの以外は一切ジュースという名前は使いません」と公取委に申し入れてきた。
 以上がこれまでのいきさつのあらましであるが、1970年3月17日、久しぶりにジュースの表示連絡会が開かれた。 問題の発端からまる2年かかってやっと業界と消費者が同じ土俵に乗っかることができたという気の長い話なのである。
表示連絡会開かる 公取委事務局で開かれた表示連絡会は、役所側からは、公取委表示課をはじめ経済企画庁、農林省、厚生省、東京都、神奈川県など、消費者側は、主婦連、地婦連、日本生協連、消費科学連、消費者連盟の常連のほかに公取委のモニターも参加、 業界は果汁協会缶詰協会、清涼飲料工業界、果汁農協連等が出席して討議された。
 この席上、業界がつくってきた「果実飲料等の表示に関する公正競争規約(案)」が示された。
 まず定義。「この規約で果実飲料とは、果汁、果実飲料、ジュース等果実の搾汁を原料とする飲料、商品名中に果実の名称を使用する飲料及び色等によって果実の搾汁を使用すると印象づける飲料をいう」とある。
「ジュース」は果汁100%だけ 次は「必要な標示事項」@果汁含有率を10%から10%きざみで「果汁○○%」と標示、A果汁含有率の標示のないもの(10%未満のもの)は清涼飲料水と標示、 B原料名、食品添加物、事業者名と住所、内容量などの標示をすることが義務づけられる。
 第3に、禁止される不当標示。ここに「天然果汁以外のものにあっては、その商品名又は説明文書等にジュースの名称を使用してはならない」と書かれることになった。
 そのほかは、公正競争規約一般に入れられる事項となっている。
 業界としては”忍びがたきを忍んで”つくった案であるから、もう消費者も文句のつけようはないはず、といった顔つきで説明を行った。
 『消費者リポート』ではこの後、内容検討ということで、質疑応答が記載されているが、それは省いて、このページの終わりの方から引用しよう。
すっきりしない業界案  この日の連絡会ではっきりしたことは、業界が消費者の意向に従ったという触れ込みでつくってきた公正競争規約の内容が、実は”不当表示”の疑いが濃いということである。
 100%天然果汁だけをジュースと名付けるという点では消費者の意見に沿ってはいるが、それ以外の果汁分の少ないものにはやっぱりジュース・ドリンクだのオレンジ・エードだのといった消費者にとっては紛らわしい名称を付けようということであることがハッキリした。 それどころか、果汁分が5%しか入っていないものにまで果汁が入っているような名称を使おうというのだから、業界としては名を捨てて実を取ろうという作戦であるらしい。 業界としては必至の巻き返しを狙っての規約案とみられる。
 われわれ消費者は、ジュース問題でもずいぶん時間とエネルギーを使ってきた。業界も次第に認識してきたようでもあるが、しかしここで気を抜くと中途半端な結末に終わってしまう可能性もある。 せっかくここまでもんできたのであるから、食酢でみせたような粘りを発揮して初志を貫徹したいものだ。最後の胸突き八丁にさしかかってきたようである。
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<ジュース、理想の濃度は20%?それとも10%?> 日本消費者連盟創立委の運動によって業界は「消費者は王様」を意識してきたようであった。しかし、それでも次のような独り合点の広告もあった。企業の内部で「消費者は王様」を意識し始めた部署と昔と同じで意識していない部署があったようだ。
果汁20%で理想の濃度……明治製菓 1971年2月の末、日本食糧新聞という業界紙に明治オレンジドリンク(グレープ、パインもあり)の広告が載った。これはケッサクな内容であった。
 「天然果汁はそのままでは飲料には適しませんが、明治はあらゆる角度から研究して、最も飲みやすい濃度を追求しています」
 「理想の濃度(注20%)に仕上げました」
 「新鮮度……をもぎ立ての時と同じに保つ努力も重ねています」
 誰が見ても明らかに、果汁20%の果汁入清涼飲料が天然果汁よりすぐれているという不当表示だ。天然果汁が飲めないというに至っては、悪質営業妨害になりかねない。
 明治製菓に矢文を出したところ、しばらくしてやってきた。
 
 天然果汁はそのままでは飲料に適さないというのは、のどをうるおす飲みのもとしては嗜好に合わないという意味だ。 天然果汁はあくまで食卓のもので、外出先で水がわりに飲むものではないというつもりだが、仰せの通り非常な誤解を与え、勇み足だから今後は削る。出てしまったものは勘弁してくれ。
 
 果汁20%が理想の濃度というのはちゃんとした根拠がある。当社では毎年シーズン前に、モニターにいろんな濃度のものを飲ませ、その結果を集計して、一番人気のある濃度あお決めるえわけだ。 今年は20%のものがトップだった。しかし、これも固定したものではなく、毎年変わるものだ。去年のトップは45%だった。以上の次第で、この数次は決してでたらめなものではない。
 
 もぎ立ての時と同じに保つというのは、缶詰にするんだから当然だろう。
 まあ大企業らしくもない。品のない広告を出したもんだ。これは完璧に不当表示だから、公取委に告発したことはもちろんである。 公取委さんがどんな処分をなさるか、とくと拝見するとしよう。
果汁10%がいちばん……キリンビール 昨年はキリンジュースの派手な車内広告で男?をあげたキリンビールが、こんどはキリンオレンジエードと名前だけは自粛と相なったが、まだまだ改しゅんの情が見られない広告をやってのけた。
 東京私鉄の電車吊り広告がこれだ。その中身を見ると──。
 「自然な飲みものの自然な色」
 「果汁10%──いちばんおいしい比率です」
 「気になる混ざりものはいっさい入っていません」
 御覧になっていかが思召す?だいぶん”気になる”文句があります。早速会社に質問したところ、次のような返事が戻ってきた。
 
 『自然な飲みもの』というのは化学的合成品を使っていないという意味だ。 『自然な色』というのもベーターカロチンという化学合成品でない着色剤を使っているからだ。
 
 当社では果汁10%の飲みものがいちばんおいしいということは長年の経験から確立していることだ。
 
 「気になる混ざりもの」というのは、防腐剤やタール色素などが入っていないという意味だ。
 メーカーの人たちというのは、どうしてこんなに非常識なんだろう。私たち消費者は「自然な飲みもの」と言ったら、天然果汁に決まっている。「自然な色」と言ったら天然のオレンジの色そのものと信じるに決まっている。 果汁10%との清涼飲料水が”いちばんおいしい”などと誰が思うものですか。明治は20%が理想と言い、キリンは10%が最高。いったいどっちがホントなの?
 あまりに慇懃無礼な返答なので、サイドいちゃもんをつけたら、こんどは「広告表現につき調査・検討を加えたいと考えており、貴見も十分参考にさせて頂きます」と、どちらとも取れそうな答えを返してよこした。ビール業界の”高一点”キリンさんの心意気や壮なるものがある。下界のうじ虫どもなどクソ食らえということなのだろう。 (『消費者リポート』76号から)
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<主な参考文献・引用文献>
『消費者運動宣言』 1億人が告発人に       竹内直一 現代評論社     1972.11.30
『草の根運動10年』 消費者リポート      編集・発行 日本消費者連盟   1979.12. 1
( 2006年5月1日 TANAKA1942b )
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チクロ問題と創立委員会
『消費者リポート』とNHK『日本の消費者運動』
 今週は「チクロ問題」を扱う。多くの消費者団体が「チクロの即時使用禁止」を訴え、厚生省は一度は消費者の意向に合った措置を取ったように思えたが、回収延期を発表した。これには消費者団体が反対し抗議行動を起こした。 結局厚生省は回収延期を取り消さなかった。しかし、それだからこそ消費者団体は一致して抗議行動を起こした。消費者団体が団結した。
 ここで2つの見方ができる。@日頃、独自の行動を起こしている消費者団体が、この回収延期反対運動で協力し、協同歩調を取り、団結した。 A抗議行動を起こしたが、結局は厚生省の決定を覆すことはできなかった。一致団結しての抗議行動とは、参加者の自己満足でしかない。
 いろんな見方があるはずだが、ここでは、「消費者は王様」という社会へ近づいた、という点で1つの記憶すべき出来事であった、として取り上げることにした。
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<降ってわいたチクロ騒動──ついに政府も禁止に踏みきる> 1969年10月20日、日本消費者連盟創立委員会は、斎藤厚生大臣あての「人工甘味料チクロ使用禁止に関する要望書」を提出した。その内容は次ぎのようなものである。
連盟創立委、公正大臣に即時禁止を要求 かねてから、人工甘味料チクロ(サイクラミン酸ナトリウム)が人の健康を害する恐れがSるとする学説が唱えられておりましたところ、アメリカ合衆国保険教育福祉省長官は、チクロの有毒性を認め、これを食品に添加することを禁止する措置を取ることを決定したと伝えられます。 またイギリスにおいて近く禁止の措置をとる旨報ぜられています。
 わが国においては、チクロは無制限に使用が認められ、つけもの、佃煮、清涼飲料はもちろん、いわゆるジュース類、乳酸菌飲料、乳飲料、アイスクリームシャーベット類等幼少児向け食品にも多量に添加され、その影響は甚大なものがあります。
 以上の状況にかんがみ、国民保険の見地から、勇断をもってチクロの食品への添加を禁止されたく左記事項の実施を要望いたします。
    
1、「疑わしきは使用せず」の原則のうえに立って、チクロの製造、販売ならびぬこれが食品への添加を即時禁止すること。
2、チクロの有害性についての徹底的な調査研究を行い、早急に科学的な結論を出すこと。
 岩田代表委員は、この日厚生省に熊崎事務次官を訪ね、要望の趣旨を説明し、誠意ある答えを求めたところ、同時間は「要望の趣旨はすべてもっともである。担当事務当局を督励して、できるだけ早く結論を出したい」と前向きの答えをした。
 このあと岩田委員は記者会見し、なぜわれわれがこのような主張をするのか、について理解を求めた。
マスコミ期間も要望の趣旨を理解 その趣旨は以下の通り。
 「諸外国では、佐藤を食べることを禁じられている病人や太りすぎを直す必要のある人びとのための特殊食品に限っており、またその添加量も、法律で厳重に制限されている。 ところがわが国では、どんな食品にも、自由に添加して良いという建前になっている。
 奈良漬、福神漬、花らっきょう、べったら漬などの漬物類、ジャム、佃煮、酢、ソース、ケチャップ、ジュース、サイダー、コーヒー牛乳、ヨーグルト、アイスクリーム類、シャーベット、アイスキャンデー、 かき氷、粉末ジュース等々数え上げればきりがないほど。特に小さい子供が日常口にする食品に多く使われていることは問題である。
 従来から、チクロは生殖細胞の染色体を破壊し奇形児の原因となるとか、発ガン性があるとか言われてきたが、今回アメリカ等で政府が禁止に踏みきった以上、わが国でも即時禁止の措置をとるべきだ。 同じ発ガン物質のズルチンがアメリカで禁止になってから17年も経ってからやっと今年から禁止になったというような非常識は、2度と繰り返してはならないと考えるので、厚生省の果断な処置を強く申し入れた」
 これに対し、記者クラブの連中は、われわれの主張を理解してくれ、直ちに新聞、テレビ、ラジオで報道されたのだが、たったひとり、われわれの行動を誤解し 「チクロが有害と言うなら科学的根拠を自分で示せ。砂糖業界から金でも貰っているのか。それとも売名のためか。アメリカがやったからと言ってすぐ尻馬に乗るのは自主性がない」 と言わんがばかりの意地の悪い反問をした記者があったことは、身に覚えのないことだけに残念なことだった。
食品、医薬品業界、前代未聞の騒ぎ われわれの動きと時を同じくして、社会党、共産党もチクロ禁止要求の声明を発表した。(中略)
 これらの動きに対して、厚生省は20日(1969.10.20)、米国から関係史料を至急取り寄せ、11月早々に食品衛生調査会毒性部門を開き、チクロの取扱についての緊急対策を協議する方針を決めたが、翌21日、斎藤厚生大臣は記者会見で、 「チクロの安全性については、国立衛生試験所で試験中だ。しかし、今回米政府が全面使用禁止の措置を取ったので、その関係資料を取り寄せている。 国内の研究結果を待たなくても、米穀の思料から危険であるとの確信が得られるなら食品衛生調査会(厚生大臣の諮問機関)などにはかって使用禁止などの措置を取る。11月初めには方針が出せるだろう」 と語った。
 他方食品業界の主管官庁である農林省は、チクロを使っている関係業界を呼び、厚生省が禁止措置をとるのを待つことなく、それぞれ業界が自発的にチクロの使用を取りやめるよう要望した。 各業界も、その線で実施するよう努力することを約束した。そしてつぎつぎに、自発的にチクロの使用を止めることを申し合わせた。この動きは24日までに36団体と食品関係の全業界に及んでいる。
 なかでもサッポロビールは、リボンシトロンのうちチクロを使用している全製品を直ちに回収することを決めた。製品回収の動きは朝日麦酒の三ツ矢サイダーにも及び、今後これに追従する業者が出てくる見込みだ。
 他方チクロメーカーの大手、吉富製薬、第一製薬は自発的にチクロの製造を全面的に中止することを決めたが、煮え切らない態度を取っていた厚生省もやっと動き出し、チクロメーカーを呼び、チクロの製造販売を結論が出るまで自主的に中止するよう強く要請し、メーカーはこれに応じることになった。 厚生省はこれと併行して、製薬業界に対しても、糖衣錠、ドリンク剤、ハミガキなど医薬品や医薬部外品に甘みをつけるためにチクロを添加することを自粛するよう申し入れ、業界もこれを了承した。
 その他デパートのなかにもチクロ含有商品を一切排除することを決めた店もあらわれた。
 そして24日、政府はついにチクロの製造と使用を全面的に禁止することに踏みきり、閣議で決定した。すなわち、今月末に食品衛生調査会、薬事審議会、に禁止の可否を諮問、 その答申を待って直ちに禁止の法的手続きをとる。実施後は市場に出回っている製品の回収も義務づけることになる模様。 (『消費者リポート』15号から)
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<チクロ回収延期──許せぬ政府のハレンチ行為> 1970年1月13日、厚生省は抜き打ち的にチクロ入り食品の回収延期を決めました。
 9日の閣議でこのことが農林、厚生両大臣の間で話題になったというニュースが流れたと思ったら、まさに電光石火。その間消費者団体は相次いで抗議に向かいました。 また新聞各紙も反対の論陣を張りました。しかし、このような世論には全く耳をかさず、一部の業者が倒産するからということを理由に押し切ってしまったのです。
 消費者団体は、これに反発して不買運動を計画しています。
 以上の経過はすでに知られていることなのですが、ここで、私たち消費者として、なぜこのような無茶なことが政府の名において白昼公然と行われるのか、またこれに対して消費者はどうすべきであるか、という点について考えてみたいと思います。
 第1に、先日の閣議の席上、農林大臣から回収期限を延期してもしいと申し出たとき、厚生大臣は何の抵抗もなくこれに応じ、私たちをアッと驚かせました。 選挙が終わった途端の出来ごとです。どこかで新聞報道によれば、厚生省事務当局はこんな朝令暮改はやりたくなかったようですが、鶴の一声で延期決定。
 最近の役所は民主的になったと言いますが、業者の方には民主的であっても、消費者の方にはきわめて一方的です。 世論を大切にするというのが民主主義だと思いますが、一部の業界の言い分を聞くだけでは非民主的と言わなければなりますまい。
 いや事務当局は政府首脳に押し切られたのだ、という意見もありましょう。しかし、消費者の立場からは断じてこのような態度は許すことはできません。 なぜなら、公務員は一部への奉仕者ではなく、全体への奉仕者なのですからあくまでスジを通すべきであり、そのためには職を投げうってでも、という厳しい態度を持つべきだと思います。
 それより悪いのは、何と言っても政府首脳でしょう。業界からどのような働きかけがあったかは知りませんが、一度決めたことを根拠もなくひっくり返す、しかも選挙中は伏せておいて、というやり口は、図々しいというか、国民を馬鹿にするにもホドがあります。 国民はこぞって、「畜生!だまされたッ」と歯ぎしりしています。こういうことがどれほど政治不信をかき立てたか、恐ろしくなります。
 業界の苦しいことはよく分かります。しかし、その尻拭いを罪もない一般消費者が、健康とひきかえになぜしなければならないのでしょうか。
 「人の噂も75日」、こんなことは消費者は10日もすれば忘れてしまう、という国民をナメた政治姿勢がハレンチな事件の根本原因だと思います。
消費者の対抗手段 ではこのようなことを2度とやらせないためにはどうすべきでしょうか。
 直接的な対抗手段と言えば、いやしくも政府が健康上問題ありと認めた食品は一切食卓に乗せないことをすべての消費者が決心することです。 この際王様であるべき消費者が虫けら同様に扱われた怒りを端的にぶつけて、その威力を政府に示すことです。延期しても売れないという現実を見せつけられれば、政府も痛切に反省せざるを得なくなるでしょう。
 こうした地盤の上に立って、国民の声明と健康がいかなるものにも優先させるべきであるという原則を政府に認めさせることです。 この原則を現実のものとするためには、法制の整備も必要でしょう。試験や監視のための機構の強化や予算を増やすことも必要でしょう。 これらのことを政府が具体的にやるかやらないか、このことを私たち消費者が世論として政府に要求し、100%実現させるまで追求の手をゆるめないという強い態度がどうしても必要になります。
 日本人は熱しやすく冷めやすいと言われますが、今回のようなひどい仕打ちを受けてもすぐ忘れてしまうようでは永久に浮かばれないでしょう。
 私たち創立委員会は、抗議にも行きました。不買の集まりにも参加します。そして一番力を入れていきたいのは、今回のののよう新しい食品法制を今の国会でぜひとも作ってもらうことです。 (『消費者リポート』23号から)
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 上に引用したのは日本消費者連盟創立委員会の機関紙『消費者リポート』の文章、それと同じ問題を違った本から引用してみよう。当事者である消費者団体からの見方と、 それを報道するNHKの見方と、両方を読むことによって、より客観的にみることができる。
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<チクロ問題の発生>  昭和45年(1970)、経済企画庁は前年のGDP=国民総生産が西ドイツを抜き、アメリカについで自由世界第2位となったことを発表した。
 大阪の千里丘陵では、万国博覧会が世界各国のパビリオンとコンパニオンを集めて、にぎやかに開催された。あたかも”経済大国・日本”の記念パーティーとでもいうように。
 だが、この年は、日本の消費者運動にとっても記念すべき年となった。
 正月気分がまださめやらない1月10日、東京の主婦連や地婦連の事務局は、朝から鳴り続ける電話に、職員たちは手を休める暇さえないほどだった。「政府に強く抗議してほしい」「中央団体はしっかりせよ」など、抗議や激励の電話が全国から相次いだのである。
 というのは、前日の1月9日、厚生省が、わずか2カ月余り前に決めたチクロ入り食品の回収延期を発表したことにあった。
 44年10月18日、アメリカのフィンチ保険教育厚生省長官は、人工甘味料チクロ(サイクラミン酸塩)を含むすべての食物、飲料を翌年2月1日までに店頭から回収するよう指示するとともに、あらゆる種類の食品の製造にチクロの使用を禁止すると発表した。 チクロに発ガン性があることが、動物実験の結果明らかになったというのである。
 ”チクロ禁止”は、日本の食品業界を痛撃した。チクロの国内生産高は年間800万キログラム、人工甘味料の80%以上はチクロだった。菓子、ジュース、アイスクリーム、佃煮など、たいていの甘い食品にはチクロが使われていた。
わが国も禁止へ アメリカのチクロ禁止から3日後の10月21日の閣議では、斎藤邦吉厚相が「米国のデータを取り寄せ、必要ならわが国でも措置する」と報告だけで、いつもながら伸張な姿勢だったが、翌22日には農林省が、 食品メーカー団体にチクロ使用の自粛を要望、これに引きずられた形で23日には厚生省も、チクロ製造販売の8社に自主的な製造、販売の中止を要請した。チクロ製造の大手製薬メーカーはただちに生産の全面中止を発表し、加工宿品メーカー団体にも自粛の動きが広がっていった。
 各省や業界の反応の早さに、厚生省は29日、チクロの使用即時禁止を決定、店頭などに出回ってういるチクロを含んだ食品については、清涼飲料は45年1月末、その他の食品は2月末、医薬品は6月末までに回収することを指示した。
 アメリカでチクロ禁止が発表されてから10日目であった。やはり発ガンの危険が指摘された人工甘味料ズルチンが、アメリカの禁止措置に遅れること13年、WHO(世界保健機構)などの再三の勧告で、やっとこの年の1月から禁止となったのに比べて異例のスピード行政であった。 氾濫する有害食品に対する国民の関心の高まりや、その前年に成立した消費者保護基本法が消費者に対する行政の重い腰を上げさせた形で、消費者団体からは評価する声さえ聞かれた。
チクロ回収延期 ところが、年が明けて45年1月9日、斎藤厚相は缶詰、びん詰などのチクロ入り食品の回収期限を、2月から9月末に延期する方針を決めたのである。 アメリカがチクロ入り食品の回収期限を半年間延ばしたこともあったが、大量の在庫を抱える缶詰業者など加工食品業界が、44年暮れに行われた衆議院選挙を利用して政界を中心に猛烈な巻き返しを行い、役所もこれに屈してしまったのだった。
 回収延期の決定は”世論の勝利”を信じていた消費者にとって”青天のへきれき”のような衝撃であった。冒頭のような怒りが、激しい渦となって消費者の中に広がっていった。
消費者団体チクロ追放へ 主婦連、日生協、日本婦人有権者同盟などの代表は、ただちに厚生省に抗議した。1月14日には、これらの団体を中心にチクロ食品不買同盟を結成して、全校的に不買運動を展開する方針を決め、21日には東京四谷の主婦会館で主婦連、地婦連、日生協、日本婦人有権者同盟、文京区消費者の買いの5団体の提唱で 「チクロ不買消費者大会」を開いた。それまでにも全国消費者大会などを通じて各団体の代表が顔を合わせる器械はあったが、このように協同して行動することはあまりなかった。 ”チクロの回収延期”が各消費者団体を1つの輪に結びつけるきっかけになったのである。大会には、各団体の会員ら約400人が集まり、足並みを揃えてチクロ食品の不買と回収延期に抗議することを決議した。 こうした消費者団体の抗議行動も厚生省の方針を変えることはできなかったが、消費者5団体はチクロ食品に対して厳しい監視を続けた。 回収期限が過ぎたのにチクロ食品が店頭に並んでいないか調査するとともに、厚生省に対しては再三にわたってり締まりの強化を要望した。
 半年以上にわたる協同行動は、消費者団体をがっちりと結びつけた。チクロ追放では収穫は少なかったが、このスクラムが、つづいて起こったカラーテレビの2重価格問題では、大きな成果を上げるのである。 (『日本の消費者運動』から)
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<「竹内直一」という反逆官僚@> 日本消費者連盟創立委員会をつくった竹内直一、その経歴を『官僚帝国を撃つ』から少しずつ引用することにしよう。
序論 官僚帝国へ”反乱”を起こして破門させられる @なぜ、あえて日の当たらない農林省を選んだか 私は、京都という大都会のど真ん中で生まれ育った人間である。それが役所といっても農林省という一般向きでないところになぜ入ったか、と奇異に感じる向きが多い。
 もともと私は、生きものが好きであった、子供のころからイヌやネコ、ウサギから小鳥、金魚、はてはお蚕まで飼い、草花もつくり、中学では博物同好会に籍を置き、山歩きに熱をあげた。 しかし、一方で小学校のころから将来の職業として役人か政治家と心に決めていた。旧制高校までは京都で過ごし、役人になるには東大法学部、というわけで状況したわけである。
 さて、大学に入っていよいよ、役人といってもどの道を選ぶかを決めなければならない。当時(昭和14〜16年)、官僚として誰もが目指したのは、内務、大蔵、商工の各省であった。 権力、統制の牙城である。内務省に入った先輩から「警察権をにぎり、地方自治体に君臨する内務省以外の役所は役所じゃない」と勧誘を受けた。また司法関係の先輩に招待を受け、当時の司法省を見学し、法曹会館で判検事の先輩から「司法省は神の代わり」と説得され、心が動いたこともあった。
 商工省の先輩からも誘いがかかった。しかし、阪急電鉄の小林一三氏が商工大臣になったのをみて、感覚的に反発し、全く問題にしなかった。 それに当時始まった物資の統制に違和感を抱いた。私の心境としては、営利資本の”走狗”になることは、自殺行為に等しい、と若気の至りながら、真剣に思いつめていたのである。
 一時、内蒙古にできた日本軍のカイライ政権、蒙古自治政府の役人になろうと決心したこともあった。しかし、高校陸上競技部の先輩で蒙古政府に勤務していた西田狷之助──この人は京大哲学の出身で私が尊敬する人の一人── という人が、「生やさしいものではないし、血気にはやるな」と押さえてくれたので思いとどまった。西田氏は間もなく現地で没した。
 ではなぜ、私が農林省を選んだか。偶然の機会に本郷の古本屋で『農村青年報告』という本を見付けたことがキッカケなのだ。これは信濃毎日新聞社が、若い農村青年の奮闘する手記を連載したものをまとめたものであって、私は初めて当時の農村の実相と農民の苦しみを知り、深い感動を覚えた。 それからは、農業問題を体系的に勉強しだした。農業関係の本を手当たり次第に読みあさり、講義も農業政策を聞き、高等試験(俗に言う高文)の選択科目にも農業政策をとった。
 高文には幸いにもパスした。いよいよ入省の願書を出す時になった。一般には第1、第2、第3志望ぐらいを決め手出すしきたりであったが、私は農林省1省にしぼり、事前に秘書課長に単独面接を求め、農林省以外には志望しない旨を告げ、予約をとることに成功し、面接試験には形式的に顔を出すだけで採用となった。
 私達の年次の大学生は、太平洋戦争開戦と同時に1941(昭和16)年12月に繰上卒業となり、農林省に就職1週間目に海軍の短期現役主計科士官(主計中尉)として南方戦線にやられた。 私は勤務地について南支か南方での陸上勤務、それも食料関係を希望しておいたところ、南西方面艦隊海軍軍需部に配属され、希望どおり食料の現地自給の仕事に没頭できたことは幸いであった。
 したがって、私の農林省役人生活は戦後1945(昭和20)年10月復員後から始まるのである。若手事務官時代の私は比較的順調であったが、私にとって1つの大きなまずきがあった。 1953年、FAO(国連食糧農業機構)の総会へ日本代表の随員としてローマへ派遣されたことがあった。首席代表は大先輩I氏だった。ところが、I氏は現地で外務省の連中と何かにつけて意見が合わず、私は間にはさまって困った。 結果として私は外務省側の肩を持つハメになって首席代表との間が気まずくなったのである。帰ってからI氏からも農林省幹部からもひどく叱られ、「補佐役が勝手な行動をとるとはないごと」と決め付けられ、私に対する評価が変わったようだ。 「視野が狭く偏狭で融通性がない」と。 (『日本の消費者運動』から)以下次回へ
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<主な参考文献・引用文献>
『草の根運動10年』 消費者リポート      編集・発行 日本消費者連盟   1979.12. 1
『日本の消費者運動』          日本放送出版協会編 日本放送出版協会  1980. 5.20
『官僚帝国を撃つ』                竹内直一 三一書房      1997. 4.30
( 2006年5月8日 TANAKA1942b )
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消費者軽視の企業体質を批判
三越・住友生命・共栄生命──ほか
 日本消費者連盟創立委員会の矢文は大企業を目標に絶えず飛んでいく。ここでは三越・住友生命・共栄生命などの大企業の反消費者体質を告発する活動を取り上げる。
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<インチキ洗剤販売==三越> 昭和47年4月、ただの台所用洗剤や洗濯用洗剤が「無公害、無毒性、夢の万能クリーナー」として売られているのを、不当表示として告発した。 これは米国シャクリープロダクト(株)という化粧品、洗剤会社の製品で、セールスマンによる訪問販売方式でこの1年間に急速に伸びつつあった。 公害に神経質になっている日本の主婦は、アメリカ製であるということと、「植物性を注意深く調合した」というインチキ宣伝にすっかり騙されたのだった。
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 昭和47年1月、ある主婦から「三越で買ったが、ほんとうに無公害か」という問い合わせがあった。 連盟では早速、東京都の消費者センターに分析依頼をするとともに、三越に対しその成分を確かめた。
 すると三越は「ABSも高級アルコールも検出しない」という分析データを持ってきて「成分はメーカーが企業の秘密だといって教えないが、従来の合成洗剤ではないと思う」と釈明した。 連盟が「よく内容のわからないものを店頭で販売するのはよくないのではないか」と暗に販売自粛を示唆したにもかかわらず、なお「しばらく様子を見る」と言って販売を続けた。
 47年4月、東京都消費者センターから分析結果を知らせてきた。通産省工業品検査所の分析結果で、これは「高級アルコール系合成洗剤」とはっきり書かれていた。ただの台所洗剤だったのである。
 私たちは4月11日、三越に対してその社会的責任を追及して「……一般消費者は、貴社において販売する商品であるために、その表示を全面的に信用し、購買してきました。 貴社が当該品を販売するに当たり、表示の内容が真実であるかどうかの確認を怠り、当方がえん曲に自粛を示唆したのもかかわらず、依然として従来のままの不当表示販売を続けていられることは、多数の消費者に損害を与え、その社会的責任は少なからざるものがあります……」 と販売中止と新聞謝罪広告とを要求した。
 さっそく三越担当者が訪れ「全国8店の販売は取り止めた。商品の分析テストに手落ちがあった。売り場に販売中止のはり紙を出した」と報告し、「あまり数多く売れていないものだから新聞広告だけは勘弁してくれ。 今年は三越創業300年の記念事業もあることだから……」と泣きついてくた。私たちは「スジが通らない」とつっぱねたところ担当者は「私の首を切れば気がすむとでもおっしゃるのですか」と居直った。
 メンツにこだわる、しにせトップ企業のこの”古風”な体質が日本の消費者を毒していると言えよう。 (『消費者運動宣言』から)
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<保険会社の悪徳==住友生命・共栄生命> 生命保険会社といえば、堅いことでは右翼に位すると信じられているが、果たしてそうか。
住友生命 住友生命の上野支社の外務員が「生命保険は銀行預金より有利」と言って契約させ、また、架空の「運用預かり」の制度(投資信託のようなもので、銀行預金よりも有利な利殖法と説明していた)をでっちあげて、 数回にわたり1千900万円の現金を詐取した、という被害者の主婦Tさんの訴えがあった。
 住友生命を信じきっていたこの主婦は、なんの疑いもなく「有利確実な運用預かり」にひっかかった。だまされたと知ってからは、しつこく返還を要求したが、1円も戻ってこなかった。 住友生命は事故処理のためと称し、担当者まで決めて何回か折衝したが、一方的に理由も知らさずTさんとの生命保険契約の解約を通告してきた。 生命保険のほうから突然解約を申し出てくることは普通考えられないことである。事情がわからないままこれに応じたTさんに対して住友の担当者は「あなたはお人よしですね。これでホッとしましたよ」と意味深長な言葉をはいた。
 犯人である外務員は、なんのかんのといっては賠償を引き伸ばした。あるときは住友生命上野支社に呼び出されTさんは、その外務員父子からののしられ、聞くに堪えないことをいわれ、軟禁状態にされた、と訴えている。もちろん、住友生命の支社幹部も同席していた。
 Tさんの女婿は大阪の住友生命本社まで抗議に出かけた。ところが、人事関係の担当者から「あれは外務員個人のやった詐欺で、住友とはなんの関係もないことだ。だいたい何万人といる外務員のやることにいちいち本社が責任負っていられるか。 外務員をうのみに信用する消費者が悪い」とすさまじい暴言をはいたという。
 この訴えを聞いた連盟は、警視庁に捜査を要請するとともに大蔵省にも厳重取締りを申し入れた。
協栄生命 昭和46年(1971)10月、「新聞広告で公益法人の職員募集といあるので応募したら、生命保険会社の外務員だった」 という苦情が持ち込まれた。まさかそんなバカな話が……と半信半疑で新聞広告を調べてみると出るわ、出るわ、いろんな団体の名前をかたって人集めをやっている生命保険会社を発見した。 その名は協栄生命である。かたられた団体は、財団法人東京都教育公務員弘済会、社団法人東京都食品衛生協会、日本盲人会連合会などのほか各地の商店連合会、なかには架空の団体名もある。
 この新聞広告はれっきとした団体の職員募集でありながら、履歴書送付先がいずれも「協栄ビル」つまり協栄生命の出先営業所であった。 なにも知らない応募者は面接、身体検査をすませ、さて契約という段階になって、やっと実は保険外務員募集だとわかる詐欺手法なのである。 しかも、身体検査のレントゲン写真が生命保険契約のために使われ、採用の交換条件として一方的強制的に保険契約をさせられる。
 協栄生命を問責すると、同社幹部は「あからさまに『保険外務員募集』をやっても応募してくれないので、現場でつい悪いと知りつつやりました。 弁解の余地はありません」とあやまったが、同社のこのやり口は恒常的であったようだ。私たちは、監督官庁である大蔵省に厳重制裁を申し入れたがなんの反応もなかった。 (『消費者運動宣言』から)
生命保険協会に矢文 昭和46年(1971)8月9日、生命保険協会に対し、外務員の詐欺行為による契約について、業界としての考えを質した。 その内容は@外務員が違法行為をやったことが発覚したら即座に職務停止をすべきではないかA不正行為をやった外務員は外務員の登録取消措置を直ちにやるべきB不正行為でなされた契約は取消しが当然だ C会社当局は外務員に対し不正行為防止措置をとっていないD外務員募集広告に「幹部社員」「営業部員」など本格的社員の募集のように見せかけているのは虚偽広告だ、など。
 これに対し、8月21日、生命協会から常務理事ほかが、回答文書を持って来訪、種々弁明めいた内容の話があった。要するに、これらは各会社の問題で、業界団体としては会社に指示するようなことはできないが、意向はよく伝えますといったものだ。 しかし、業界内部では、今回の事件を契機に自粛措置を検討中であるとのことだったから、一応は前向きに考えていると見ていいだろう。
事件てん末報告 9月6日、第一生命の常務と担当部長ら事件の処理報告に来訪。@セールスマン3人中直接関係した2名は懲戒免職、他の1名は依願免職の処分を終わったA高嶋さんの契約の”復元”は第一生命の分は完了、他社の分も了承を取ったので1週間以内に手続きを終える B精神的な苦悩に対する慰謝の問題を全部の手続完了後、誠意をもって処理するC以上の経過を大蔵省に報告したが、なお、前記懲戒処分者は外務員募集の資格を剥奪すると共に、同業会社にもその旨通報、3年間業界から締め出すことを決めた、など。
 常務らの話によれば、このうちの1人は、以前にも事故を起こした経歴の持ち主であったので、しばらくは無事であったので、もう会心したのかと思っていた矢先のことで驚いた由。 事故を起こすほどのセールスマンはやはり契約も多く取ってくるというから、会社としても手放すことをためらうのであろう。また、こういった事故は、セールスマンの組織である支部限りでもみ消し、あるいはかばわれる場合が多いため発見されにくいこともあるという。
業界紙も動きを重視 生命保険の業界紙「保険毎日新聞」に事件の経緯が詳しく報道され、業界をギョッとさせたが、同紙は次のように記している。
 「いよいよ生保界にもコンシューマリズムの火の粉が──と今回の消費者連盟の告発で生保業界はギョッとした表情、日本の生命保険会社とコンシューマリズムはどのような猛攻をたどるのだろうか──、」 そして解約返戻金が払込金に対して少ない──特に早期解約に対してはほとんど支払われない点が最も問題だと指摘している。
 なお、被害者の高嶋さんからは「おかげさまで全部片づき、こんなうれしいことはありません」とはずんだ声で電話がかかってきた。 あとは、慰謝料を第一生命がどの程度「誠意を示す」かだ。
 とにかく、人騒がせな一件ではあったが、これを機に生保業界が真剣に浄化の努力をすることを望むや切である。 (『草の根運動10年』消費者リポート から)
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<日付ナシのカップラーメン> 日付なしの「サッポロ一番」を出したサンヨー食品から矢文に対する返事を持って重役がやってきた。同社が考えた改善策は──。
 @箱詰めの前の段階でチェックする(インクの付けすぎや薄いものなども)A自動車を10台チャーターして都内の小売店を総点検し、古いものがあれば回収する B小売店に対し、直接日光に当てないことと、新規仕入品は積荷の下に置き積置き品が出ないようにすることなどを教育する。
出前一丁の場合 東光ストアのほうはちょっとしたいきさつがあった。
 矢文の返事を持ってきたのはよかったがその言い分がふるっている。
 「箱そのものの日付を見るのが精々のところだ。中身をいちいち点検せよとおっしゃるが、これはちょうどたばこの1本1本を調べろと言うのと同じで、不可能だ。 これはやはりメーカーの責任のあることだから、日新食品に口頭で申し入れた」
 ひどい小売店感覚だ。そこで、再び東光ストアに抗議。「@貴社では販売商品の表示について、メーカーの責任であるとの態度とるのか Aいちいち店頭ではチェックできないとのことだが、中目黒店で1日10箱の販売数量でどうしてできないのか」
 こんどは青菜に塩の顔でやってきて平身低頭。「今後、すべての商品の日付をチェックするよう商品部長が各店長を集めて注意した。 小売店の責任は十分感じている。メーカーにもやかましく言い、場合によっては取引停止も考える」
 なお、厚生省は5月31日、次のような通達を出した。
 「……食品衛生法で規定された標示事項は食品衛生上重要な意味を有するものであるので、今回の事件を契機に、各食品につき、製造年月日のみならず標示全般について、店頭での検査、製造工場への立入検査による監視を一層厳に行い、 所定の標示事項が見やすい場所に読みやすく理解しやすい用語により性格に標示されるよう指導取締りの徹底を期されたい」 (『草の根運動10年』消費者リポート から)
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<「竹内直一」という反逆官僚A> 日本消費者連盟創立委員会をつくった竹内直一、その経歴を『官僚帝国を撃つ』から少しずつ引用することにしよう。
吉田茂──河野一朗体制で利権あさり ところで、私たちが入省したころの農林省は、いわゆる政治的中立ということが比較的守られ、いい意味での”一家意識”があり、また自由な雰囲気もあった。 ところが、吉田茂ワンマン体制が強固になるにつれ、新興政治派閥が官僚と行政を政治の泥くささに巻き込むようになった。 農林省もその例外ではなかった。吉田ワンマンに巧みに取り入り、一時は側近の座にのし上がった広川弘禅氏が農林大臣になって急速に”農政の政治化”──端的にいえば行政が利権あさりの具に供せられ、黒い霧を発生される下地をつくったし、 官僚がその間隙をぬって地位の確保に血道をあげて、あるいは選挙に打って出ることを大きな目標とするようになっていった。
 当時の広川邸は、早朝から陳情客やカネもらいの議員の来訪でゴッタがえしていた。そこで私は、想像もつかない事実を目撃した。 広川氏は次々と応対する間に、わきに積んである新聞包みのものをホイホイと渡しているではないか。それが札束であることに気がついた時のショックは大きかった。 役人同席のところで”堂々と”やれるところが、いかにも戦後派の成り上がり政治屋らしいやり口であったが、われわれ役人に対する一種の示威行為として計算ずくで演出していたのかも知れない。
 このすう勢は、河野一郎氏が農林大臣として乗り込んで来てから一挙にエスカレートしていったのである。 河野氏は、人事でもって役人をひれ伏すようにしむけるというポイントをついたやり口で、農林省をアゴ一つで自由に動かす体制を急速に作りあげた。 そのために自分の側近となることを誓ったY氏を重用し、Y氏の言う通りに省内の人事を動かそうとした。当時、農林官僚の誰もがY氏に正面きってタテつくことができず、ついにはこの虎の威をかりるキツネ的存在のY氏にこびへつらう者すら出てきて、Y氏は肩で風を切る存在であった。 そして河野氏やY氏に忠誠を誓ったエリート官僚は、河野派の集まりである春秋会の例会に出席し、政治家たちとちぎりを結ぶことを許された。 かけ出しの課長クラスでも目をかけられた者は、しっぽをふりふり参上したものである。私ごときには一度もお呼びがかからなかったことはもちろんである。(中略)
 権力者ににらまれた役人は、徹底的に疎外される。私はある日「愛知用水公団の東京事務所長に出向しろ」と言われた。しかし、実質的には農林省からの追放の意図があると聞かされ、人事責任者に「必ず農林省にもどす」と約束させるといったことをしなければならなかった。 ここから「あいつは人事のたびにゴネる」という噂がパッと広がった。そういえばこの少し前にモスクワの大使館へ行け、と言われて、断ったこともあった。(中略)
消費者に味方して左遷させられる 私は官僚の縄張り根性を十分に理解せず、しろうとくさい行動をとったため、クビを切られるハメとなる。いきさつは、こうだ、1967年春のこと、農林省から牛乳の小売価格を1本2円値上げしたい、と申し入れてきた。 それまでは、農林省は行政指導で牛乳価格を1円上げる、2円上げると各県に通達していた。だから実質的に公定価格で、全国一律、一斉値上げがまかり通っていた。 経企庁としては、このような慣行は許されないと反対した。国会でも農林大臣はきびしく追求された結果、しぶしぶこれを撤回した。
 一方で経企庁は、消費者に向かって「牛乳は自由価格だから値切りましょう」と呼びかけた。団地では集団飲用が流行し、1円安く飲むためにずいぶんママさんたちは努力した。 私たちは、牛乳業者とのトラブルに手を焼くママさんたちに作戦指導(?)もした。さみだれ値上げが全国的に行きわたり、乳業メーカーはそろばんが狂ったとしてあわてた。 そして「農林省出身の竹内という男が消費者を扇動して業界に大損害を与えた。クビをきれ」と農林省にどなり込んで行った。当時、運悪く、農林事務次官から森永乳業副社長に天下りしたW氏がいたものだから、ひとたまりもない。 私は事務次官から「やめて民間に行け」と宣告された。
 私は、かねがねマスコミ関係者から「注意しろ。妙なウワサが立ってるぞと忠告されていたから、もう農林省は私を引き取らないと覚悟していた。そして行くところまでやってやれ、とハラを決めていた。だから来るものが来た、というわけで、何の抵抗もなく応じた。 あとで聞いたことだが、私がどんなにわめき立てるか、農林省首脳は、ハラハラしていたという。 (『官僚帝国を撃つ』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『消費者運動宣言』 1億人が告発人に       竹内直一 現代評論社     1972.11.30
『草の根運動10年』 消費者リポート      編集・発行 日本消費者連盟   1979.12. 1
『官僚帝国を撃つ』                竹内直一 三一書房      1997. 4.30
( 2006年6月19日 TANAKA1942b )
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学研百科辞典の誤りと校内販売を批判
連盟に刃向かう唯一の大企業
 連盟の矢文は出版業にも向かう。今週は学習研究社への矢文を扱う。  
<告発型の消費者運動の旗手> 理論武装した日本消費者連盟の活動は、その後も休むことを知らない。昭和45年11月には、百科辞典ブリタニカの販売に消費者をだます行為があったとして、詐欺罪で東京地検に告発、最終的には1,700人に及ぶ被害者が名乗りをあげて、総額1億9,700万円にのぼる代金の返還を勝ち取った。 日消連の会員自らがブリタニカのセールスマンに応募して講習を受け、セールスの実態を身をもって体験するという離れ技もやってのけたが、告発に至るまでには、当のブリタニカの元セールスマンの情報提供が物をいったといわれる。
 大和ハウスの詐欺的商法の告発(46年7月)も同じくセールスマンの通報がきっかけとなっており、日消連の活動には企業に働く人たちからの通報、内部告発がアンテナの役割を果たすことが多い。
 また、その活動の大正も、詐欺的商法から不当表示の糾弾、さらにはさっぱり効き目のないゴキブリ獲り器・東芝の「ゴキトール」などをはじめとする欠陥商品の摘発へと広がり、 この流れは最近でも「プレハブ住宅をよくする会」や「マンション問題を考える会」など欠陥住宅を追求するグループの活動に受け継がれている。 さらに豆腐の防腐剤AF2の使用禁止要求(48年10月)、赤色剤の使用禁止要求(49年10月)などから始まって、化粧品、合成洗剤、プラスティック製品、遺伝毒性、原発に至るまで、有害なものを追求し、生命と暮らしの安全を求める運動へと発展していく。 最近でも情報公開法の制定を求める市民運動の戦闘に立っている。必要な専門知識は男性参加の運動の中で培養され、日消連の活動を支持する学者や研究者が積極的に協力した。
 49年4月には「奪られたものを取り返す消費者の会」を発足させた。企業の不法な行為を追求し、やめさせるだけでなく、その不法な行為によって受けた消費者の損害を企業に賠償させようという趣旨である。 そこには消費者主権の確立を目指す誇りと執念がみられる。
 告発型の消費者運動の旗手として発足した日本消費者連盟創立委員会は、こうして10年余の間に多くの実績を重ねて消費者運動の歴史にその名を刻み、運動に重みを加えた。 ほかの消費者団体の間には、日消連に対し、スタンドプレーが目立って共同歩調が取りにくい、はげし過ぎてついていけない、企業の存在そのものを否定するようなやり方は非現実的だ、などの声もあるが、 告発型の消費者運動の核としての自負とそのバイタリティは、企業や政府から一筋縄ではいかないグループとして恐れられている。 (『日本の消費者運動』から)
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<教育を食う学研商法> いま私たちの矢文作戦に公然と刃向かってきている大手企業は、日本の全業種、全企業を通じて、出版業のトップ企業、株式会社学習研究社ただ1社である。 このどす黒い企業体質は現代日本の企業活動の底に沈澱する”あるもの”を象徴しているようでもある。
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 昭和46年(1971)7月21日、竹内代表と大阪府立大吉田幸夫助教授は、通産省クラブで記者会見し、学研雑誌の校内販売、雑誌内容の誤り、学習年鑑の不当表示、学習百科辞典(数学編)の膨大なミスなど数々の問題点について発表した。 これよりさき、公取委に対し、不当表示防止法違反で申告していたことは言うまでもない。
 その内容の要点はこうである。
 @学研発行の小学生向け学年別学習雑誌(『○年の学習』『○年の科学』)の販売斡旋を小学校教師がしたり、校内で業者に売らせたりしていることは、弊害が大きいから取止めること。
 A学習雑誌の中身に誤りが多い。(例、鳥の数を”なんわ”、”三わ”とあるが正しくは”なんば”、”三ば”。”イグアノドン”なる恐竜は草食であるのに、その歯形が肉食のように書かれている)。 また「コーラのあわはどうして出るの?」(東大教授中村純二氏指導)は「協力日本コカコーラ株式会社」とあり、「冷たいビールとあたたかいコーラというテーマで、あたたかくするとあわが出る。冷たくすると、あわが出にくい」としている。 このような実験を学童がしたら危険。また、成長期の子供に、コーラの飲用を勧めるような内容も問題。
 B『○年の科学』の付録教材に欠陥教材が多い。(例、「はるのたねまきせっせと」、指導どおりにやったがほとんど芽がでなかった)。 また学校で教える1ヶ月半も前に教材が渡るので、授業に興味を持たなくなる。多数の児童は本誌よりも付録につられて購読するという不健全な傾向がある。
 C『学研版学習年鑑』には「新指導要領準拠は学研だけ」と標示しているが、これは不当表示。
 D『学研学習百科大事典』『学研版標準学習カラー百科』は「小学校1年から……高校受験まで使えます!」「この学習カラー百科で勉強すれば、きみはクラスでいちばんになれるぞ!」 と広告しているが不当表示。また、数学の部で「新指導要領準拠」とうたっているが、実際は全く準拠していないし、誤りや理解しにくい表現も多い。 (例、1234……と並んだ数を自然数という。小数とは、1より小さく0より大きい数を言う)。
 E学研は、両事典の欠陥に気づき、総差替え版の発行を企画しているが、読者に対しては、それが欠陥商品であることをカモフラージュしている。
 F最近、新聞広告をもって「別冊数学編改訂新版購読者の方に無料贈呈」と発表したが、この広告の内容も、あたかも原本に欠陥がないかのような表現を使い、サービスで配布するものであるといった印象を与えている。 だから、この広告を取消し、謝罪せよ。
 Gこれまでの詐欺的行為については謝罪広告を出せ。また、欠陥商品は全品回収し、完全に内容を新たにした新本を既購読者に配布せよ。
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 記者発表が終わってひと息つく間もなく、記者クラブへ呼ばれて行ってきた学研の中川浩取締役が、あたふたと事務局へ駆け込んできた。興奮しての抗議であった。
 中川 消費者連盟の誤りの指摘の仕方はちょっと理解に苦しむ。何か意図的なアラ探しのようだ。
(『消費者運動宣言』から)
 学研は「連盟の指摘は意図的である」と反論し、謝罪は行わない。”天下の学研”をヤリ玉にあげたことが全国に報道されると数多くの反響が連盟に寄せられた。
 学研の元販売員 学校の先生に対するリベートは絶対にある。そのほか運動会などに寄付する、させられる。大抵の学校は寄付をもらう。 リベートは先生個人に対するもの。高学年では個人で受け取る先生とクラス費に入れる先生と半々くらい。低学年は全部個人。東京、千葉、大阪市内などリベートはほとんど1割だ。
 元学研社員 私は学研で百科辞典もらったけど、あんな間違ったもの、子供に使わせられませんよ。
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 連盟では『学研学習百科大事典』、『学研版標準学習カラー百科』(数学の部)の編集責任者である東京工業大学教授、矢野健太郎氏に、「当方の指摘した誤謬事項についてどのような処理をとられるご所存ですか」という旨の質問状を出したところ、次のような回答がきた。
 矢野健太郎教授の回答 お手紙拝見しました。(2つの百科辞典の)内容について数々のご注意、誠にありがとうございました。 小生の不注意から、これらの不備の点を見逃したことを申し訳なく思っております。
 学研は、これらのご意見を参考にして、現在改訂版を作りつつあります。これには小生もできるだけの努力をいたしております。
 連盟は厚生大臣あて要望書を出す。厚生省は”シャボン玉”の回収を学研に命じ、廃棄処分をとらせた。
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 学研摘発の直後、学研は常務取締役の名で直販店あてに次のような手紙を出したことが、某書店からの知らせで判明した。盗人たけだけしい、とはこのことを指すものらしい。
 「学研に関する一連のマスコミの不安解消についてお知らせとお願い」と題する文書は「昨今、日本消費者連盟創立委員会の名において、学校直販、シャボン玉液、百科等、学研を中傷、ひぼうする一連の記事がマスコミに報道されて、 皆様に少なからずご迷惑をおかけし、恐縮しております」という書き出しで連盟が指摘した諸点について手前勝手な反論をしたあげく、
「……その他ミスプリント、誤解しやすい意味不明、不適当、文章がおかしい等かずかずの指摘があるが殆どが先方のあやまりによるものとか、どうとも言えない(天文に関しては、色々の学説がある)ものが多く、ミスプリントは若干あるが、増販の都度修正されている。
 問題は、部分的自称をあげつらい、学研百科の信用失墜を意図しているかに見えるが、百科全般の批評としては婦人倶楽部5月号に掲載されているように、識者、第三者の評価では、最適、最高のものとして賞賛をうけていることに信頼を寄せていただきたい。
 以上で大体お判りいただけるかと存じますが、見出しその他で、社会の動揺を誘い学研を不利な立場に追い込もうとする作為は名作であり、 本社においては、ケースバイケース、適切な処置をとり、顧客へのサービスに努めておりますので、皆様も毅然とした態度で、学校内外でのいささかの不信、動揺感をも払拭いただきますよう切にお願い申し上げます」 と説得にやっきとなっている。
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 学研の百科辞典がデパートや有名書店で売られていては、被害者が増えるばかりなので、連盟では、即時売場から引き揚げるようデパート、大型書店あて要望したところさっそく、小田急、西武、松屋デパートなどから販売停止の返事が続々ときた。
 さらに、学研の小学生向け『○年の科学』の監修者として名を出している湯川秀樹、茅誠司、岡田要氏らに「欠陥雑誌に名前だけ利用させていいのか」と申し入れると、湯川博士たは「監修者を辞退する」と学研に通告したもよう。 また、百科辞典の執筆者にもせれぞれ責任を問う文書を送ったが、大学の先生方は学研に対し、「執筆者に校正刷りも見せないで出版するとはなにごとか」と強く抗議しており、 学研幹部は汗をふきふき、なだめに回った、との話。
 学研は「47年3月までに校内販売をやめていく」と公約していたはずなのに、新学期を当て込んで再び校内販売の宣伝をしている、というニュースが伝わってきた。 私たちは先手をうって国会でたたいておこうと作戦をたて、土井たか子議員(社会)に依頼した。土井議員は47年3月21日、衆議院予算委第一分科会で高見文部大臣以下を追求した。
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 昭和47年5月18日に都道府県教職員組合と教育委員会に出した質問状に対する回答は、1,2の教育委員会からきただけであったし、県教祖にいたってはゼロ回答であった。
 7月6日、日教組の教宣部長会議が東京で開かれるという情報が入った。そこで改めて槇枝日教組委員長あてに次のような質問状を出し、教宣部長会議にその写しを配ってくれと依頼した。
 質問状はこれまでのいきさつを述べたあと、次のように申し入れた。それは「新学期に入っても依然として校内販売を続けている学校が多く、父兄からの苦情が数多く持ち込まれております。
 学研の雑誌に限らず、授業に必要のない参考書などの校内販売は買えない子の問題を生ずるなど、差別教育につながり、さらに企業による義務教育の支配といった事態も予測されます。
 この問題は現場の教職員の強い施政によって教育の場から商業主義を追放する以外に根本的解決の道はないと考えますので、貴組合においても本問題に対する基本方針を打ち出され、具体的な活動を開始されることを強く要請いたします。 つきましては、貴組合においていかなる措置をお取りになりますか。おうかがい致します」という内容であった。
 この時のテーマは、テストぺーおあー追放であったのだから、同じ副教材類似の学習雑誌についても当然議論されると思ってわざわざ質問状を出したのであるが、 あとで聞くと、「連盟から預かった質問状のコピーは確かに受け取っているが、行方がわからなくなって会議には配布しなかった」とまことに見え透いた答えが返ってきた。 なぜ日教組は学研問題には口をつぐんでいるのか。まことに納得のいかないことである。
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 学研に対する闘いは以上の通りであって、まだ完全に決着はついていない。学研のように徹底して挑戦的に出てくる企業に対しては消費者が同社の製品をボイコットするほかあるまい。 まだまだ尾を引きそうな形勢である。 (『消費者運動宣言』から)
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<「竹内直一」という反逆官僚B> 日本消費者連盟創立委員会をつくった竹内直一、その経歴を『官僚帝国を撃つ』から少しずつ引用することにしよう。
農林官僚から一転、消費者運動へ さて、私は経企庁から農林省に連れ戻され、「農林大臣官房付」というヒラ役人の辞令をもらうこととなった。 部屋も机もない。給料日に来るだけでよろしい、という生活を送ること2カ月半、ようやく退官である。官僚機構の秩序を乱す者は、このような目にあうぞ、という見せしめの典型であった。 その証拠に、私の後任としてやはり農林省からやって来たM君が、不用意に口走った言葉は端的だ。「ボクはこのポストにいる間、牛乳の問題にはノータッチといきますからネ。 だって私にもかわいい妻子がいますから、竹内さんのようになってはネ。ハッハッハッ」。効き目十分であった。
 しかし、これで無罪放免ではなかった。退官後、消費者運動を始めた直後のできごと。農林省は、1968年5月に成立した消費者保護基本法にもとづいて「消費者保護のため」というふれこみで、農林物資規格法の改正案を国会に提出した。 要するに食品類の品質規格や表示について農林省の権限を大幅に増やそうという縄張り根性丸出し法案なのだ。消費者団体は一斉に反対した。国会審議も荒れたのは当然で、最終段階になって、社会党の農林水産委員が私の意見を聞こうということになって呼び出された。 私に率直に反対意見を述べた。ところが、議員のなかに農林省に同調して通そうという人がいて、直ちに農林省幹部に”密告”したから早速事務次官に呼びつけられたのである。 ちなみに私の主張が原因かどうか知らないが、この時はこの法案は流れてしまった。
 O事務次官に厳しい口調で、「キミは農林一家の一人として20数年同じ釜のメシを食って来た。その人間が、農林省提出の法案に反対の言動をし、妨害するとは、反逆行為だ。キミは消費者運動をやるそうだが、どうせうまくいかないのじゃないか。 その時になって、どこか身柄の面倒を見てくれと頼りたいなら、今後一切このようなことをするな。言いたいことを言いたいと言うなら、この際、農林一家から除籍するしかないが、それでもよければ自由に行動していい」と引導を渡されては、けっこうですと答えざるを得まい。それで破門決定となった。 以来、農林省との間にオフィシャルな関係は全くない。「法学学士」名簿に載っているだけだ。
いい加減はお役所人事 役所ほど人事がいい加減に行われているところはない。エリート族、技術者、事務屋の3階級の人事は、それぞれのボスによって取り仕切られ、相互不干渉なのだ。 だから、人事権をにぎっている者の歓心を買うことができれば栄進できる。業界にコネをつけて宴席を設けることに長じた者、ゴシップを仕入れてきては耳打ちすることが平気でできる者、プライベートにわたる諸事──家探し、入学、就職の世話、レジャーの手引き等々──にサービスといとわない者が合格なのである。
 役所の人事は、一杯飲みながらの「人物月旦」によって大体決まるといってよい。女性週刊誌的ゴシップほどでなくても、いったんこうしたウワサで関係者に間違ったイメージを持たれようなものなら、致命的だ。 同年次のライバル追い落としにこの手が使われ、”間引き”の災難にあう人は多い。農林省を例にとれば、口がうまくて、目先がきいて、 耳学問だけで権力者にとり入るタイプの実のない人間、大蔵省の役人を手玉にとり、予算取りのうまい人間が出世し、まじめに勉強するタイプ、ゴマスリができない人間は「政治力がない」として疎外される傾向にある、
 役所の採用試験も、公務員制度の建前から大きくはずれ、東大オンリーに近い。たまに私学出が局長になると新聞ダネになる。学閥が最初からできるようになっているのだ。
エリートと非エリートの身分社会 以上ながながと私の体験をつづってきたのは、わが国の官僚機構の実態を具体的に示す1つの方法と考えたからである。序論のまとめとして、わたしの「官僚論」をメモ式に列挙する。
 一握りのエリート官僚と彼らのために下積みになって「事務」を引き受ける非エリート階級の間に歴然とした身分格差が厳存していることはよく知られており、このことが、官庁の無気力と下積み役人の汚職の最大の原因になっている。 現在の公務員制度では、こうしたことを封じているのに、人事院自身が官学出と私学出、大学卒とそれ以外に昇進上の差をつけるという違反を犯している。 一方、エリート族は、これほど膨大な組織の管理にはほとんど関心を持たず、いわば無管理の状態に放置されていることが重大だ。
 戦後、占領軍はアメリカの近代的公務員制度を導入し、このような身分制を打破する法制を与えたが、官僚は必死に抵抗し、これを棚上げにしてしまったのである。 だから日本の官僚制度は、マッカーサーが見落とした最大の穴であった。いまでも「天皇の官吏」制はりっぱに生きている。 また、このことに国民は気づかない。わが国の民主化を妨げている最大の最強の勢力である。 (『官僚帝国を撃つ』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『日本の消費者運動』          日本放送出版協会編 日本放送出版協会  1980. 5.20
『消費者運動宣言』 1億人が告発人に       竹内直一 現代評論社     1972.11.30
『草の根運動10年』 消費者リポート      編集・発行 日本消費者連盟   1979.12. 1
『官僚帝国を撃つ』                竹内直一 三一書房      1997. 4.30
( 2006年6月26日 TANAKA1942b )
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ラルフ・ネーダーの内部告発のすすめ
倫理のグローバリゼーション
 竹内直一の消費者運動に大きな影響を与えたのがラルフ・ネーダーであった。今週はラルフ・ネーダーと竹内直一との接点、そしてアメリカでのラルフ・ネーダーについて扱うことにする。 なお、自動車問題について日本人の文章としては、宇沢弘文の <自動車の社会的費用>▲ がよく知られている。
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<内部告発(ホイッスル・ブロゥイング)のすすめ> 昭和46年1月、ラルフ・ネーダーが来日して私たち日本の消費者に訴えたことは数多くあったが、なかでも強烈な印象を与えたものは「内部告発のすすめ」 (ホイッスル・ブロゥイング=笛吹き運動)であった。彼は現代企業の”暴虐”を阻止する最も有力な武器としてこれを提唱したのである。
 最近、日本でも翻訳された『ネーダー──大衆の弁護士』(R・F・バックホーン著、巻正平訳)という本のなかでも彼は繰り返しこのことを強調している。「密告の倫理」というタイトルをつけられた1章においてである。
 GMの一車体工場の検査係をしているブルー・カラー労働者が車の欠陥を発見し、上司に進言すると敬遠され、迫害される。 たまりかねてネーダーに通報し、ネーダーは会社を攻撃し、車の回収に成功する。彼は労働者を英雄だとし、このような勇気ある人間が全国の科学者、エンジニア、弁護士、経理士など専門知識人の間から出てくることを期待している。
 しかし、現実には社会的に重大な問題を知っているこれら専門知識人は何も言わずに黙っていいる。ネーダーは彼らの勇気の欠如を厳しく告発する。 「何百人もの人びと、ときには何千人もの人びとがこうしたことを知っていながら、沈黙を守る方を選んできたことは明白である。その沈黙によって、彼らは事実上、公益に反し、環境を破壊し、納税者を欺く私的、公的ポリシーの手先となってきたのであった」と。
 バックホーンは「歴史的にみても、告発者は大事件で重要な役割を演じている。マルチン・ルッターがウィッテンベルヒ教会の門扉に95条提題を掲げたとき、彼はヴァチカンの行きすぎを告発したのだった。 合衆国は、英国のキング・ジョージ3世を告発したアメリカ人たちによって建設された」と前置きし、『告発者たちは、実際は英雄的人物であることが多いはずなのに、格下げされたり、追放されたり、排斥されたり、弾圧されたりする場合が非常に多かった』 というネーダーの言葉を引用する。このことはGMの会長のジェームズ・M・ローチェの「ビジネスの敵側にあるものは、現在、従業員たちに企業を裏切るようにすすめています。 彼らは、疑惑と混乱を作り出し、企業の収益に探りを入れたがっています。これはどう呼ばれようと──産業スパイであれ、密告であれ、専門知識人の背任であれ──分裂をはかり、混乱をつくり出す策略の1つなのです」という発言によって裏打ちされる。 ネーダーによれば「専門知識人が企業の鎖を断ち切るとき、そのインパクトは強力なものとなる。だからこそ企業はなんとかして専門知識人を配下に引き入れておこうとがんばるのだ」ということになる。とすれば、 そして「私は雇用者に、雇い主を裏切れとかやっつけろと言っているのではない。もしある専門知識人が、彼の上役が消費者をだましてカネをまき上げようとしたり、危険に陥れようとしたりしていることを知ったそういう場合その上役は社会に忠誠心のない雇用者であり、密告されてしかるできである」と主張する。
 ネーダーは「われわれは密告の倫理を開発しなければならない。密告の慣習法を開発しなければならない」と言い、彼自身、彼独特のアイディアで「専門知識人の責任のための情報交換所」をつくり密告者からの情報を集めつつある。 (『消費者運動宣言』から)
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<ラルフ・ネーダーとの出会い> 1971年1月、ラルフ・ネーダーが初めて来日した。その機会をとらえ、連盟は彼を囲んでシンポジウムを持った。 この集いは、充実した、そして、これまでどちらかと言えば現象面だけを追っかけてきた日本の消費者運動にものごとの根源を追求するという新たなエネルギーを注入するきっかけとなった。
 そして、ここで確認された主要な点を摘記すれば、@プロの企業としろうとの消費者との契約関係について、ハンディキャップをつけて、力の格差が大きい両者の力のバランスをとるための立法が、消費者保護のために必要である(連盟提案)  A企業内部に、企業がどんなにいい加減なことをやっているかをわれわれに通報してくれるようなホイッスル・ブロゥアー(内部告発者)を数多くつくることが、消費者運動にとって最も強力な手だてである(ネーダー提案)の2点であった。
 事実、その後プレハブ住宅などに注目された告発運動のなかには、内部告発者によるものが現れるようになったし、現在の連盟運動方針にも、「”社会的両親への忠誠は、雇い主への忠誠に優先する”という意識を持って、企業・行政の不正に警鐘を打ち鳴らす”ホイッスル・ブロゥワー”(正義の通報者)の倫理性を高く評価し、その活動を盛んにする」とうたわれている。
 なお、つけ加えるならば、この時に連盟とネーダー・グループとは、@相互の情報交換と連帯行動を緊密にする A相互の出版物の翻訳権を保証する、という協定を結び、今日まで親交を続けているのである。 (『草の根運動10年』消費者リポート から)
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 日本の側からラルフ・ネーダーを捉えてきたが、ここでラルフ・ネーダーについての文献からの引用を紹介しよう。
<欠陥車を作らせないために> 最終的には、基本的な目標──すなわち、品質の良い車を手に入れること──は、ユーザーが自動車市場で正当な立場を獲得したときに、はじめて完全に達成されるといってよい。
 自動車産業は経済、環境、交通事故など、あらゆる面に大きな影響を持っているので、これに対してユーザー側も、大きな監視の眼を向ける必要がある。たとえば、昨年だけでも、米国内で約5万6,000人の人命がハイウェーで失われ、450万人を越す人々が傷ついている。 実用的で金のそうかからない、安全装置のついた安全車ができたていたら、この死傷事故の半数以上が防がれていただろう。同様にして、自動車による大気汚染という問題も、メーカーが知ってはいても知らぬふりをしている簡単な技術を、自動車のエンジンに適用してさえいれば、数年前に解消していたことだろう。
 それだけではない。馬鹿げたほどもろいバンパーや、ごたごたしたデザインや、まやかしの装置類のおかげで、自動車の修理費がぐんぐんと引き上げられ、何十億ドルものユーザーの金が無駄に使われている。 このようなメーカー、ディーラー側の暴挙をどうにかすることが、消費者運動のいま直面している問題なのである。それに、消費者運動というものは、消費者が強くならないことには、運動も強力にはなり得ない──この本がユーザーのために書かれた理由は、そこにあるのである。 (『ラルフ・ネーダー・レポート』死を招く欠陥車 から)
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<ラルフ・ネーダー・ネットワーク> ラルフ・ネーダーが登場し、どのようなテーマに関してでも、また誰とでも馬上試合を演ずるようになった1966年は、まさに時代を画する年であった。 若冠32歳の弁護士ラルフ・ネーダーは、そのエネルギーと洞察によって、消費者の意識に新しい次元を与え、消費者運動の活動量に飛躍的増加をもたらした。
 10年も経たない間に、ネーダーの名前は多くの消費者問題と関連づけられるようになった。まず慈ふぉうしゃの安全性に始まり、保険料率の規制、大気汚染問題、さらには放射能汚染や農薬問題等々さまざまな問題に驚くべき数の新しい視野を作り出した。 過去10年の間(訳者注:1966〜1976年)に、社会変化を加速し、これらさまざまな分野において効果的な市民の活動を実施するために、ネーダーは広範囲な消費者ネットワークを構築した。 消費者活動プログラムの一部は、ネーダー自身によって資金が出され、一部は財団からかなりの支持を得たが、どれもネーダーのエネルギッシュな人格に惹かれた低賃金で働く信奉者に相当部分頼っていた。 ネーダーは、時のスター・パフォーマーになり、何百人ものエネルギッシュで能力のある大学生に、消費者運動の担い手となるよう刺激を与えた。
 熱狂的なアシスタント達とともに、彼は高さ5フィート(訳者注:約150cm)にもおよぶ量の消費者問題あるいはネーダー自身を取り上げた本、パンフレットと証言の数々を世に送り出した。 雑誌は、この極めて刺激的な人物に冠する記事で溢れた。アメリカだけでなく、世界中に知られ、彼の献身ぶりは世界中で議論を、巻き起こし、彼の辛辣な言葉を受けたものには激しく嫌われ、彼の哲学の信奉者となった者からは非常に尊敬されている。 ネーダーの関しては、誰も中立で」いることはできないのである。
 ネーダーは、9年間コンシューマーズ・ユニオンの理事を務めた。我々は彼を知るようになり、彼の貢献および人間としてあるであろう限界を公平に評価できればと願っている。 ネーダーの運動を目録化しようとする試みが、親しい消費者ジャーナリストA.E.ローズによってなされた。ネーダーの運動軍団には次のようなものがあるが、このリストはけっして全部を網羅しているわけでなない。 (『アメリカ消費者運動の50年』から)
ラルフ・ネーダー運動軍団 上記『アメリカ消費者運動の50年』からラルフ・ネーダー・ネットワークにはどのようなものがあるのか、詳しい内容は省略して、グループ名をここに引用することにしよう。
 市民のための法律研究センター(The Center for Studl of Responsive Law)、一般市民の利益・権利を守る調査研究グループ(Public Interest Research Groups)、市民行動グループ(The Citizen ASction Group)、 米国公益事業市民監視グループ(The United States Public Interest Research Group)、公的市民法人(Pblic Citizen ,Inc.)、訴訟グループ(The Litigation Group)、 保険調査グループ(The Heslth Research Group)、税制改革調査グループ(The Tax Research Group)、議会監視(Congress Watch)、公的市民刊行センター(Public Citizen Visitoes Center)、 反原発市民運動(The Citizens Movement to Stop Nuclear Power)、航空問題消費者行動プロジェクト(The Aviation Consumer Action Project)、身障者の権利を守るセンター(Public Interest Satelite Association)、 年金生活者の権利を守るセンター(Retired Professionals Action Group)、企業責任調査グループ(The Corporate Assountability Research Group)
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<市場のメカニズムが消費者を守る> ラルフ・ネーダーの運動については、次のような批判があることも付け加えておこう。<市場のメカニズムが消費者を守る> でも書いたことだが、市場のメカニズムと現代の消費者の力を信じればこのようになる。つまり「消費者を裏切ってヤバイことすれば、結局は損する社会になっている」ということだ。そしてそれには、ここで取り上げている竹内直一の運動の影響が大きい、ということでもある。
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<倫理のグローバリゼーション> 内部告発を正当化する根拠、それは「倫理のグローバリゼーション」ということだ。閉鎖的な社会にはそこだけで通用する倫理がある。土木・建設業界では談合は業界全体の安定のためには当然のシステムだし、「素人さんには手を出さない」怖いお兄さんたちの社会にはそれなりのタブー・規律があるし、 政治家の社会には「永田町の倫理」があるらしいし、農業界には「土の匂いのしない者の意見は聞かない」との風習があるらしい。しかし、一般社会の常識とはどれも違っている。 談合に至っては法律で禁じられている。狭い社会でのルールよりも、より広い社会のルールを優先させる。これが社会の常識、言い換えれば「倫理のグローバリゼーション」となる。
 会社のルールと国の法律、どちらを優先させるか、となれば、法律優先であることは明白だ。ローカル・ルールが生きていることにより利益を得ている者がいる場合があるし、ルールの変更は生活の不安定化にあるとの意識から、狭い社会でのルールに拘る人は多い。 仲間内だけの気心の知れた者だけで運営していた社会に、よそ者が入ってきて秩序を乱すとなると、たとえ社会全体の発展になるとしてもそれに反対する既得権者はいるものだ。それでも、建前として「広い社会のルール優先」は認められつつあるように思える。
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<公益通報者保護法> 平成16年6月14日に「公益通報者保護法」が成立し、同18日に公布された。法の成立を受け、政府は対象法律を定める政令及び施行日を平成18年4月1日とする政令を平成17年4月1日に公布した。 また、内閣府は、民間事業者や国の行政機関における通報処理の仕組みの基本的事項を定めた3つのガイドラインを同年7月19日に公表した。
 この法律の目的は次のように書かれている。 
 【第1条 (目的)】
 第1条
 この法律は、公益通報をしたことを理由とする公益通報者の解雇の無効並びに公益通報に関し事業者及び行政機関がとるべき措置を定めることにより、公益通報者の保護を図るとともに、 国民に生命、身体、財産その他の利益の保護にかかわる法令の規定遵守を図り、もって国民生活の安定及び社会経済の健全は発展に資することを目的とする。
 竹内直一たちが「内部告発のすすめ」 (ホイッスル・ブロゥイング=笛吹き運動)を提唱したのが1971年。その考え方が社会で認められたのは35年後のことであった。
 この「公益通報者保護法」に関しては幾つかの評価がある。@内部告発が正当と認められた。良いことだ。Aこうしたことにまで権力が介入する必要はない。市場のメカニズムに任せておけばいい。B企業秘密が守られない怖れがあるので、良くない法律だ。
 最近の企業不祥事を考えれば、Bは多くの人に支持されることはないだろう。多くの人は@を支持するだろう。それでも中にはAを主張する人もいるかも知れない。徹底した自由主義者、「リバータリアン」と称する人はAを主張するに違いない。そこで、このことについて考えてみよう。
 徹底した自由主義者は独禁法さえ「余計なお世話だ」と拒否する。「国家が余計な干渉する必要はない」と言う。そして、ロバート・ノージックの「最小国家論」が登場する。  けれども日本では、独禁法や公益通報者保護法がなければ、閉鎖的な社会のルールが優先し、談合体質はいつまでも生き続けることになる。「土の匂いのしない者の意見は聞かない」し、永田町の倫理は生き続け、怖いお兄さんたちの集団も根強く生き延びる。 存在してはならない「最小国家」が裏社会に存在し、表社会をも支配する。倫理のグローバリゼーションは夢物語になる。
 日本における自生的秩序はまだ生命力が弱い。市場のメカニズムを十分生かすためにも、この公益通報者保護法の公布を歓迎することにしよう。
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<「竹内直一」という反逆官僚C> 日本消費者連盟創立委員会をつくった竹内直一、その経歴を『官僚帝国を撃つ』から少しずつ引用することにしよう。
農林省をやめて日消連を設立 日本消費者連盟も1969年に創立委員会として発足してから数えれば、はや28年になる。この年月のあいだにいろいろのことがあった。 事務所は目黒の恵泉パブテスト協会付属幼稚園の先生の寮に一室に電話を1本引いて、常勤者3人で店開き。
 ところで、どういういきさつで、どういう考えで創立委員会ができたのか。このことは現在の連盟の性格を知るうえで大変重用な意味をもっている。
 まず、私が経済企画庁の役人として消費者行政に携わっていたとき、当時の消費者運動を役所の窓から見ていて歯がゆく思ったことがあった。 役所がタジタジとなるような行動がなかったのである。全然”脅威”を感じるようなことはなかった。「こんなことでいいのか?」と思ったものである。 というのは、消費者団体が大会決議や要望書を持って面会に来るが、型どおりの説明が終わると、「では一つよろしくお願いします」でお引き取りになる。 また、1年経つと同じような”儀式”である。聞く方では、まことに気楽だけれど……。
 消費者運動をやっている人が、共通に持っている一種のコンプレックスとでもいうか、役所の人間に対する遠慮の気持ちがある。 よくこんな言葉が出てくる。「役人さんを怒らしてしまったら運動ができなくなるんじゃない?」
 こういう姿勢では、言うべきことも言わなくなって、ちっとも前進しない。たしかに、権力を持っている役人は”民間人”から図星をさされると怒る。 しかし、私たちは主権者の立場で役所にもの申すのだから、スジ道の通ったことを冷静に主張し、役所の答えを求めるべきである。 はじめはハラを立てても、役人はスジ論には弱い。2回、3回アタックしていけば、必ず胸を開く。自信を持ってめばり強くやろう。
 いまでも「要請行動」という名前が残っているが、これじゃ”負け犬”運動と言われても仕方がない。
ラルフ・ネーダーに触発されて 私の役人時代の消費者運動についての知識はきわめてお粗末であった。運動というものは、マンモス組織をもって、力ずくで押しまくらなくちゃダメだ、と思いこんでいた。
 ところが、らまらまアメリカの週刊雑誌『ニューズウィーク』に”消費者守護の十字軍騎士”というタイトルでラルフ・ネーダーの活動が紹介されていたのを読んだ時、私は思わず「これならやれる」とヒザをたたいた。 ネーダーは、法律家としての識見をフルに活用して、連邦議会に働きかけては、自動車や食肉などの安全性を守る立法に成功した。 ひとにぎりの有能なグループによって全米にセンセーションをまき起こすような活動をやっているのである。
 でも、現役の役人ではおおっぴらにできない。そこで、具体的な問題を野党の国会議員にひそかに持ち込んで、想定問答メモを用意して、国会の委員会で政府を追及してもらうというテを案出した。 役所にはあらゆる情報が入るから、これをもとにした議員の追求は、すべてツボにはまる。アブラ汗をタラタラ流して答弁する政府委員席のうしえおに”仕掛人”である私が神妙な顔をして控えているのである。 うまくことが運んだときの”快感”(?)はいまでも忘れられない(ほんとうは公務員としてはエチケットに反することなのだろうが……)。
 こうして、色もの牛乳、化粧品、米価、タクシー料金、八幡富士合併、再販などで話題をまいた。
想定問答作戦 今から思えば、この想定問答作戦、全く奇跡的にバレずにすんだものの、あぶない橋を渡ったものである。 とにかく政府の役人が、野党の議員さんに政府追及のネタを持ち込み、国会で想定問答どおりに質問してもらうという前代未聞のことを始めたんだから。
 これがみごとにうまくいき、マスコミが取り上げるものだから、議員さんにとってもこたえられないうま味のある国会活動になったわけである。 注文殺到という事態とあいなった。
 この作戦は、私が経済企画庁参事官(局次長格)時代に編み出し、連盟創立委員会時代にもずいぶん活用したものである。 毎日のように議員会館へ通った。いまその想定問答の原稿が、リコピー用箋約1,200枚ほど残っている。なかなかおもしろい内容である。
 これは各地域の地方議会でも是非やられることをお奨めする。誘導尋問式に追い込んでいく手法をとる。このやり方だと、質問者は非常に楽である。 自分で資料を集め、質問項目をつくりあげる手間がかからず、しかも図星をさすことができる、という一石二鳥の妙案である。 (『官僚帝国を撃つ』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『消費者運動宣言』1億人が告発人に                 竹内直一 現代評論社   1972.11.30
『ラルフ・ネーダー・レポート』死を招く欠陥車       ラルフ・ネーダー他 青井寛訳 講談社     1971. 5.20
『アメリカ消費者運動の50年』    リチャード・L・D・モース 小野信夸訳 批評社     1996.10.23
『アダム・スミス、モスクワへ行く』 W・アダムス、J・W・ブロック 川端望訳 創風社     2000.12.25
『詳説 公益通報者保護法』              内閣府国民生活局企画課 ぎょうせい   2006. 3.20
『内部告発と公益通報』会社のためか、社会のためか           櫻井稔 中公新書    2006. 3.25
『草の根運動10年』消費者リポート                編集・発行 日本消費者連盟 1979.12. 1
『官僚帝国を撃つ』                         竹内直一 三一書房    1997. 4.30
( 2006年7月24日 TANAKA1942b )
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カラーテレビ不買運動と松下訴訟
オープン価格という新しい制度
 戦後の消費者運動の中で大きな成果を上げたものの中の1つに「カラーテレビ不買運動」がある。この運動が松下電器訴訟へと発展し、メーカーが販売価格を決めていたのが販売店が販売価格を決めるようになった。 消費者が決めるわけではないが、サプライサイド主導の経済からディマンドサイド主導の経済に変わり、オープン価格という新しい制度が誕生した、大きな転換期であったと言える。
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<誇らしげな終結宣言> 「昨年秋から始めたカラーテレビの不当な二重価格に抗議する消費者5団体の買い控え運動は、全国の会員ばかりでなく、一般消費者の共鳴と積極的な参加を得て日本中に広がり、今日までに大きな成果を収めることができました。 ……運動の威力に屈服した12社は、今年1月に至りついに新機種から価格引き下げを発表しました。これは経済史上まれに見る成果と評価されております。……(以下略)
運動の発端 運動のきっかけは、昭和45年、地婦連が公正取引委員会の委託でカラーテレビなどの二重価格表示の実態調査をしたことからだった。
 同年8月7日に発表された調査結果によると、「定価」と「実売価格」との差が大きく、カラーテレビの40%以上が3割以上割り引いて売られており、平均の割引率は28%にも達していた。
 とくに、この当時国内の需要が多かった19インチ型の割引率の大きいのが目立ち、なかには定価16万5,000円の品が8万5,000円と49%引きのものもあった。
 地婦連はこの調査結果に基づいて、公正取引委員会に対し、「つねに割引率が高いものについては、定価そのものが不当と思われるので定価のあり方を再検討すべきである」と要望した。
 公取委も「この結果に驚き、定価そのものが妥当かどうか実態調査に乗り出すことになった。定価が高すぎるとわかれば価格を引き下げさせるという」(45.8.8「朝日」)
 一方、メーカーの業界団体である電子機会工業会は、このころアメリカから、日本製カラーテレビについてダンピングの疑いをかけられていた。
 「通産省やジェトロの流通調査によると、アメリカへの輸出価格は、港渡しで19型平均6万5,000円で、これに対し国内の販売業者への卸売価格は9万6,000円と約3万円の価格差があった」(45.8.2「朝日」)という。
 つまり、カラーテレビの輸出価格が国内価格に比べて安すぎるという二重価格が問題になっていたが、今度は国内価格についても「定価」と実際の「販売かかく」との差が大きすぎるという二重価格の実態が指摘されたのである。
 電子機会工業会は、アメリカと国内の消費者の双方から不信を招いたため、45年8月26日、カラーテレビのモデル価格を公表した。この発表では、19型卓上タイプのカラーテレビについて価格構成を示し、国内完売価格は14万8,000円、 輸出価格は14万9,410円で、価格差は小さいとしている。ところが、ここで取り上げられたモデル価格は、輸出向けの主力であって も、国内で一番売れている18─19万円の19インチのコンソール型でなかったことから、消費者団体からはかえって反発を招く結果となった。 地婦連は9月7日、常任理事会で、メーカーが消費者無視の姿勢を改め、定価を引き下げるまで「カラーテレビ1年間買い控え運動」を実施することを決めた。
 つづいて9月11日には、参議院議員会館で開かれた消費者5団体の物価対策打ち合わせ会の席上で「カラーテレビの値下げ要求と1年間の買い控え運動」を進めることが決まり、不買運動は5団体の共同運動となったのである。
松下電器と対決 10月1日公取委は、松下電器に対し家電製品のヤミ再販事件に審決案を示した。これは松下電器が同社製品の卸売業者に対し、卸売価格を指示するとともに、 安売りをしている小売業者に同社製品を下ろしてはならないと指示したとして、公取委がこうした「ヤミ再販」を撤回するよう求めたものである。 カラーテレビの買い控えと直接の関係はなかったが、この公取委の審決案に対して松下側が「再販類似の行為はしていない」と異論の申し立てをしたほか、二重価格問題についても「現金正価は引き下げない」との意向を明らかにしたことから、消費者5団体は強い非難を浴びせた。(中略)
 10月末に発表された大手家電メーカーの9月決算は、カラーテレビの売れ行き不振を反映して減益になったり、利益率が鈍化した。カラーテレビの在庫も増え続けた。
 11月に敗って家電メーカーと通産省との話し合いで「現行機種の現金正価をはずす」方針が打ち出されるなど、メーカー側の高姿勢もしだいに変わってきた。一方、松下電器は、消費者5団体との2回目の話し合いで「現金正価を10%、約2万円引き下げた新機種を発売する」ことを明らかにした。 しかし、消費者団体はこれに満足せず、運動を継続している。
運動大詰めへ 11月中旬以後、メーカー側にとって情勢はしだいに不利になってきた。
 まず公取委は13日、自らの調査でも、カラーテレビの正価と実売価格には22%の価格差があるとの見解を示した。そして、27日、電子機械工業会に対し「正価と実売価格が15%以上離れた場合は、不当標示防止法によって排除命令を出す」と警告した。
 また、このころ、大手スーパーのダイエーが「13インチ型オールトランジスタ・カラーテレビを5万9,800円で25日から発売する」と発表し、値下げを渋る家電メーカーに挑戦する形となった。
 すでに「カラーテレビの在庫は、あわせて160万台(推定)に達した」(45.11.13「朝日」)といわれ、年末商戦を控えて、メーカーはますます苦しい立場に追い込まれていた。(中略)
 46年1月10日、松下電器の松下幸之助会長(当時)は「今年は徹底的に反省し、感謝する年にしたい、消費者運動は尊重する」と同社の経営方針を明らかにした。
 これを受けて翌11日、通産省は、業界レーダーとしての松下電器に対し「今後発表する新機種については、少なくとも現行機種の価格より15%引き下げた小売希望価格で発売してほしい」と、異例の行政指導をしている。 裁定15%の引き下げを行政指導することについては公取委も支持した。ここまできて、メーカー側も完全に折れた。値下げ発表のトップを切ったのはシャープで、19型コンソールのオールトランジスタ・カラーテレビの新機種を15万9,800円で、16日から売り出すと発表した。 従来の同型のものに比べて20〜22%の値引き率になってなってなって裁定15%値下げするよう求めた通産省の行政指導を大幅に上回る値引きになっている。 値下げの理由として会社側は、メーカーの利益削減、生産の合理化、それに小売店へのリベートの整理を挙げている。
 消費者5団体も、この値下げを歓迎して他のメーカーの出方を注目したが、松下電器も21日発売の3旗手について15〜20%値下げを発表した。値下げ発表はサンヨー、ソニーと続き、残る関東8社には、消費者団体から「値下げ要請の督促状」が送られたが、2月8日までに全メーカーの値下げが実現した。
運動が始まってから、ちょうど半年の歳月が流れていた。誇らしげは運動終結宣言は、こうした経路を経て生まれたものである。 (『日本の消費者運動』から)
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<企業告発の高揚と企業の対応> 1971年の連盟活動、とくに企業告発は、高揚期を迎えた。
 まず、カラーテレビのヤミ再販行為で公正取引委員会から独禁法違反の審決を受けた松下電器に対し、不当に高く買わされたことを理由に独禁法第25条を援用して、消費者側から損害賠償請求訴訟を起こしたことである。 消費者が、独禁法違反にもとづく損害賠償を求めるのは、これが初めてのケースであった。
 この訴訟は、法律家の間では強い関心が持たれたが、後年、結局のところ、損害額の算定根拠があいまい、との理由で訴求は退けられた。 しかし、裁判所が、ヤミ再販をやった企業には、本来消費者に対する賠償責任がある。独禁法違反があったと事実上推定できる、との判断を示したことは、収穫であった。 (『草の根運動10年』消費者リポート から)
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<メーカー主導から消費者主導の価格決定へ> この頃ダイエーと松下電器が対立し、ダイエーの値引き販売に対し松下電器は自社製品をダイエーに卸さないようにした。 これに対しダイエーは「ブブ」と名付けた自社ブランドのカラーテレビを発売した。この「ブブ」はダイエーにとって失敗だった、との評価が多いが、これも松下電器の軟化につながったと思われる。 <希望小売価格・オープン価格> <損益勘定に大きな影響力を持つ消費者パワー> に書いたように、このことをきっかけにオープン価格という新しい制度が誕生し、メーカーの価格支配力が衰えていった。
二重価格の定義
公正取引委員会では、標準価格よりも「15%以上値引きしている店」が「全国で半数以上」になった場合には、標準価格を撤廃、オープン価格にするように指導している。
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<「竹内直一」という反逆官僚D> 日本消費者連盟創立委員会をつくった竹内直一、その経歴を『官僚帝国を撃つ』から少しずつ引用することにしよう。
牛乳値切り運動を勧めてクビ 1967年の春のことである。農林省が牛乳の消費者価格を1本2円値上げするよう行政指導したいと、と申し入れてきた。 経済企画庁としては反対。国会でも政治問題化し、時の倉石農林大臣はしぶしぶ悪名高い行政指導カルテルを撤回した。
 一方、経企庁は、全国の消費者に向かって「牛乳は自由商品だから大いに値切りましょう」と呼びかけた。これに応えて各地で集団飲用などの運動が起こり、これまでの一斉値上げはまかり通らなくなった。 役所からこの運動に助言をしていた私たちは、日本の主婦たちも案外がんばるな、と心強く思った。
 ところが、あとがいけない。大手乳業会社は、予定通り値上げができないので、カンカンに怒った。「農林省から出向している役人でありながら、値切り運動をそそのかす奴のために、業界は数十億円の損害をこうむった。 竹内の首を切れ」と農林省首脳にどなり込んだ。その結果、退官の申し渡しを受けたのである。
 実は、農林省の幹部からもこの件でにらまれていたものだから、渡りに舟とあいなった。そして、私の1年後輩が農林省から私の上司である局長としてやってきた、私は約1年間、後輩局長に仕える身となった。 「遊んどれ」というわけである。やっと翌年4月、農林省に呼び戻され、官房付という仕事なし、机もなしの身分で2ヶ月半勤めた後、退官となった。かなり露骨な”さらし首”人事であった。
 この牛乳値上げ騒動は、非常にドラマティックな出来事であった。
 まず、農水省の行政指導による価格カルテルが、同じ政府部内の経済企画庁と公正取引委員会の連合によってつぶされてしまった。これは国会でも大きな政治問題となり、マスコミも連日のように報道した。
 第2に、経済企画庁が、全国の消費者に向かって「値切りましょう」という運動の旗振り役を買って出た。そして、タイミングよく全国の消費者が立ち上がった。
 毎日のように「どういう手を打ったらうまくいくか」といった相談が舞い込むし、現地へ来てほしいといった要求も来て、ほんとうにテンヤワンヤであった。 団地では、主婦が1階から5階までの運び上げの努力を肩代わりするかわりに1円安くさせる、といった涙ぐましい努力がなされたりした。 保守的な日本の主婦にもこんなエネルギーがあったのかと驚き、かつ感激したものである。実は、この運動を体験した結果、私自身、消費者運動に身を投じる決心をしたのであった。 わたしの人生にとっては、天下分け目の大事件であったわけである。
 第3に、この事件のために私の首が飛ぶ結果とあいなった。この事件が盛んに燃えている真っ最中に、親しいマスコミ人から電話があった。「ヤバイぞ。首のことに気をつけろよ」と。 私もその時点でハラを決めていたから、ここまでやったら切りにくるかな、といった調子で次第にエスカレートしていった。案の定やってきた。以来、大手乳業メーカーは、私を「敵」と呼んだ。
冒険主義では? さて、安定した役人の地位を簡単にふって、不安定な消費者運動に足を突っ込むなんて、向こう見ずじゃなかったのか?妻子はほんとうに納得したのか? といったおたずねを受けることがある。当時を振り返って、率直に申せば、なりゆきで、また、一種の意地っ張りも手伝って「なるようになるサ」式の冒険主義から出た行為だったと思う。 慎重に考えるたちの人なら「お前は大分おっちょこちょいだゾ」冷やかされるだろう。
 家族が納得したか、というおたずねに対しては、本当のところは分からなくて、私が自分で選んだ道だから、というので別に文句は出なかった。収入は落ちることははっきりしていたから、子供たちに”自活”を求め、家庭教師などで学費を得るようにさせた。
 しかし、私としては、今の世の中では、身体さえ丈夫であれば、どんな仕事でもできるし、飢え死にはしないはずだ、という気持ちだったことも事実である。 (『官僚帝国を撃つ』から)
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<主な参考文献・引用文献>
『消費者運動宣言』 1億人が告発人に       竹内直一 現代評論社     1972.11.30
『草の根運動10年』 消費者リポート      編集・発行 日本消費者連盟   1979.12. 1
『官僚帝国を撃つ』                竹内直一 三一書房      1997. 4.30
( 2006年7月31日 TANAKA1942b )
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欠陥車問題追求が大きな節目
ユニオン幹部の逮捕という大きなショック
 戦後「物価値上げ反対」運動の消費者運動が竹内直一らの告発型消費者運動に刺激を受けて大きく変わってきた。ところで、この時代1970年代は大きく社会が変革する時代でもあった。 この時代の大きな出来事を思い起こしてみよう。
 1968年10月21日、新宿騒乱事件が起きる。60年安保は「民主制度を守れ」の運動であったが、70年安保は「民主制度はうまく機能しない。体制を破壊し、新しい制度を生み出そう」の運動であった。
 東大紛争は1968年から1969年にかけて起き、1969年1月19日の安田講堂陥落で終結。 東大紛争と同じ時期=1968年には、日大でも学生運動が起きた。
 海外でも大きな社会の動きがあった。1969年には、フランスで学生運動が盛んになり、ドゴール大統領が退陣。 中国では、中国共産党9全大会で、毛沢東後継者に林彪氏指名。その中国とソ連が国境を巡って紛争をおこし、武力衝突を起こす。東ヨーロッパでは、チェコで「プラハの春」がソ連の武力介入により終結し、ドブチェク氏ら追放される。アポロ11号,人類初の月着陸がこの年。ベトナムではホーチミンが死去。
 1970年には、日航よど号ハイジャック事件が起き、日本万国博開催が開催されたのもこの年。同じ年に「三島事件」が起きた。コメの減反政策が始まったのもこの年。
 1971年には、ニクソン大統領がドル緊急防衛対策を発表し、ここにブレトンウッズ体制が崩壊し、世界的に通貨が「金本位制」から「管理通貨制度」に変わった。
 日本では、戦後民主制度に疑問が投げかけられ、体制破壊の学生運動が起き、フランスでは学生運動がドゴール退陣にまで進み、東ヨーロッパでは民主化の動きがソ連によって潰され、ブレトンウッズ体制崩壊により、世界の金融市場は自由化に進ことになった。 このように1970年は社会が大きく変革した時代であった。
 こうした激動の時代に告発型消費者運動が生まれ、企業主導の消費経済から、消費者主導の消費経済に変わりつつあった。そして、消費者を無視した企業体質の現れの一つとして欠陥車問題が登場する。 自動車メーカーがその商品である自動車に欠陥があるにも拘わらず、それを隠して販売していたことがハッキリした。そしてそれを追求する運動が起き、その運動がつまずき、それをきっかけに消費者運動が大きく変わることになった。
 今週はこの「欠陥車問題」を扱う。
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<マスコミに暴かれた欠陥車問題> 1969(昭和44)年5月12日付け「ニューヨーク・タイムス」は、「アメリカで車を売っている日本のトヨタ、日産をはじめ外国メーカーは、欠陥車を公表せず、回収率も悪い」と報道した。
 アメリカではすでに4年前の1965年、ラルフ・ネーダーの著書『どんなスピードでも自動車は危険だ』(ダイヤモンド社、昭和44年刊)によって、欠陥車が大きな社会問題になっていた。 ところが、日本では、欠陥という言い方はあっても欠陥車という言葉自体がまだなじみのないものであった。伊藤正孝著『欠陥車と企業犯罪』(三一書房、昭和47年刊)によれば、朝日新聞が6月6日付けの見出しに”こっそり欠陥車回収”とつけたのが日本語として定着したという。
 欠陥車というのは、車の構造や装置に不良な点があり、事故を起こすおそれのあるものと定義できよう。
 「ニューヨーク・タイムス」の報道から半月余りたった、6月1日、朝日新聞がこれを転載する形をとって、日本の欠陥車問題を大々的に取り上げ、「自動車メーカーは車の欠陥をひた隠しにしている」と暴いた。
 この記事では、具体例としてアメリカで火災事故を起こして回収措置がとられている日産ブルーバードと、ブレーキの欠陥が出てきた43年型コロナを紹介し、「(日本の)国内では、同型の車が走っているのに、メーカーは手紙で知らせるどころか、社員にも車の欠陥はひた隠し。 (中略)事情を知っているのは運輸省とメーカーだけ。運転者、乗客の安全性はそっちのけで、販売政策が読誦していると言えそうだ」と決め付けている。
 また、同じ記事に出てくる運輸省自動車局長の話は「米国では、日本のような車体検査制度がない。日本でが定期的な車検でチェックが行われているだけ、安全に気を配っている」と平然としたものだった。
 しかし、日本でもモータリゼーションは急速に進んでおり、この44年3月現在の車の保有台数は1,341万台と、国民8人に1台の割で普及していた。それだけに、マスコミによって天下された欠陥車問題は大きな反響を呼び、追求の火の手はますます広がった。
メーカーの自主公表へ ついに運輸省もこの問題を放置できなくなり、6月5日、トヨタ、日産の2大メーカーと日本自動車工業会に対し、「欠陥のある車種を明らかにするとともに、至急総点検し、修理せよ」と指示している。
 翌6日の朝日新聞は、再び特ダネの欠陥車の記事を掲載した。「こっそり欠陥車回収」「日産のマイクロバス」「シャフト折れ死傷」「迷信で2度、通告は系列社だけ」という見出しで書かれたものだった。この記事を書いた1人、朝日新聞記者伊藤正孝著の『欠陥車と企業犯罪』によると。 最初このニュースを持ち込んできたのが、翌年「日本自動車ユーザー・ユニオン」を組織する松田文雄だったという。
 ついで国会でも欠陥車問題が取り上げられた。参議院交通安全対策特別委員会が運輸省の担当課長を呼び、11日には、参議院運輸委員会がトヨタ自動車工業の豊田英二社長、日産自動車の川又克二社長(当時)から事情を聞き、対策を質問した。
 また、トヨタ、日産は、同じ11日、先の欠陥車に対する通達に対して会頭し、両者の欠陥車を記者会見で発表した。
 その数は、すでに問題となっていたコロナ、ブルーバードのほかに、19車種47万台(トヨタ=9車種17万台、日産=10車種30万台)となっている。わが国で初めての欠陥車公表であったが、その数の大きさに、当時取材に当たった筆者も驚かされた記憶が残っている。
 一方、警視庁も12日、トヨタ、日産から事情を聞くとともに、翌13日の全国警察本部交通課長会議で欠陥車による事故の点検を指示し、場合によっては刑事責任追及の構えをみせた(もっとも、この問題で刑事責任追及には至らなかった)。
 そして、6月16日、自動車メーカー12社の欠陥車が出そろった。欠陥車の台数は58件、245万6,544台。このうち47.1%はすでに回収せて修理を終えているが、残りの130万台弱は、まだ部品の交換や修理が行われていないと「いうものだった。 当時の保有台数からみると、10台に1台の割合で、危険な欠陥車が走っていた勘定になる。
 新聞はその後も、公表されていない車にも欠陥車があるといった報道を続けた。この問題は、ラルフ・ネーダーのような運動家でもなければ、消費者団体でもない、マスコミの手によって暴かれたというところに、大きな特色がある。
ユーザーユニオン誕生 「マイカー族団結せよ」の旗印のもとに、日本で初めての自動車所有者の組織「日本自動車ユーザー・ユニオン」ができた。45年4月20日のことでことである。
 「全国で薬100万人といわれる自動車所有者(ユーザー)を消費者として組織し、役所に注文をつける圧力団体化をめざして」(45・4・21「朝日」)スタートしたのである。
 「メーカーの知識に対抗するには、ユーザーの数の力しかない。だまっていれば、メーカーは膨大な利益を上げる一方で、欠陥車を売り続けるだろう。 通産省も消費者保護の立場から協力してくれることになっている」(前述「朝日」松田文雄事務局長談)
 ユーザー・ユニオンの誕生は、日本にもラルフ・ネーダー型の消費者運動の始まりと受け取られ、大きな反響を呼んだ。発起人の中には、山高しげり地婦連会長、下飯坂潤夫元最高裁判事、大久保柔彦科学警察研究所交通部長といった人たちも名を連ねていた(あとでふれるように、これらの人々は、松田事務局長らが検察当局から恐喝で訴えられたため、ユーザー・ユニオンから手を引く)。
 松田文雄は、前年(44年)の欠陥車騒動のとき、欠陥がメーカーの自主的公表にまかされていたことなから「あの程度では物足らない。あれでは欠陥隠しはなくならない」という気持ちから立ち上がったという。 とくに「緊急を要する被害者の救済を第1に考え、それには、ユーザーの強力な組織を作らなければならないと思った」と語っている。
 会員は1,200人でスタートし、1人年間3,600円の会費と機関誌「ジャック」の販売代金をもとにし、自動車の苦情相談、商品テストなどを事業内容にしていた。 最盛期には、会員5,000人を擁し、鉛公害防止のため、車のハイオクタンガソリンの使用禁止を訴えたり、欠陥車の調査を国の手で行うよう陳情した。
 しかし、実際のユーザー・ユニオンの活動は、被害者の救済が大きなウェートを占めた。「戦闘的消費者団体」とも呼ばれ、メーカー側の反発も強く、予想外の方向に進んでいく。
ユニオン幹部の逮捕・起訴・実刑判決 46年11月2日、東京恵比寿西にある日本ユーザー・ユニオンの事務所は、東京地検に踏み込まれ、ユニオンの松田文雄代表(専務理事、事務局長を兼ねる)が連行されたほか、ユニオン監事の安倍治夫弁護士も逮捕された。
 2人は、奈良県桜井市の県道で「ホンダN360」が横転し1家3人が死亡した事故について、N360の欠陥による事故であるとして、遺族の依頼を受けて本田技研工業から8,000万円の賠償金を取ったが、これが「欠陥車問題で四面楚歌の状態にあった自動車メーカーの弱みにつけ込んで金をおどし取った」(52・3・15「日経」)とされたものである。
 このほかにも、賠償金をめぐる似たような事例があり、検察側からは、計7件、19億9,604万円を脅し取ろうとしたとして、恐喝、同未遂罪で起訴されている。
 求刑は、松田被告に懲役3年、安倍被告に懲役5年であったが、昭和52年8月12日に東京地裁で開かれた判決公判では、7つの起訴事実すべてについて有罪と認定され、松田被告に懲役2年、安倍被告に懲役3年の実刑判決が言い渡された。
 大久保太郎裁判官は判決の中で「欠陥車であることを客観的に裏付ける証拠もなく、一方的に高額の示談金を要求したもので、健全な消費者活動を逸脱している」(52・8・12「朝日」)と述べたが、消費者団体などからは、有効な調査手段をもたない消費者側に、客観的な裏付けを求めることは無理、消費者裁判の流れに逆行するもの、という意見も強く出た。
 いずれにしても、ユーザー・ユニオンの運動は、この事件でブレーキをかけられる結果になった。 (『日本の消費者運動』 から)
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<消費者側から見た「ユーザーユニオン事件」> 70年から71年の後半にかけて、連盟以外の諸団体が取り組んだカラーテレビ二重価格追求運動や自動車ユーザーユニオンによる欠陥自動車告発運動などを含め、70年代最初の消費者運動高揚期を迎えたのであるが、企業側は決して消費者運動を手をこまねいて見てはいなかった。 企業防衛ののろしを上げて巻き返しに出たのである。
 その最大のものは、本田技研によるユーザーユニオン幹部の恐喝告訴と逮捕、起訴事件であった。マスコミは一斉に犯罪者扱いをし、多くの消費者団体も批判した。そしてマスコミは一転、「消費者運動の曲がり角」「消費者運動冬の時代」という論調で特に告発型消費者運動を批判した。
 この他にも、「日本消費者連盟はブリタニカ社からカネを脅し取った」という怪文書がマスコミにばらまかれるという事件もあった。
 また、企業側では消費者運動を露骨に中傷する風潮が出てきたのである。連盟へのそれが最も激しかった。「あんなプロの示談屋」「日本のカポネ」「あんなものは自然消滅」「暴力タイプの消費者運動」等々である。 (『草の根運動10年』消費者リポート から)
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<事件をどのように見るか?> 欠陥車問題とは、生産者がその欠陥商品に欠陥を消費者に隠して販売し、それを消費者運動が告発し、その告発・追求が社会秩序を乱すとして、逆に企業側から告発された事件であった。
 消費者側が企業を厳しく追及した、という点でそれまでに無かったものであると同時に、企業がその追及の仕方が違法であると告発した点でも異例であった。こうした今までになかった事件であるだけに、どのように評価するかは立場に依って大きく変わる。 伊藤正孝著『欠陥車と企業犯罪』ではユーザーユニオン側を一方的に悪いとは決め付けていない。むしろ企業側に隠れた意図があったかのように書かれている。そうした企業側に対する不信感があったとしても、それまでの総会屋を使って「臭い物に蓋」する企業の体質よりもスッキリしてことは間違いない。 それでもこうした事件があっても、企業が総会屋を使って「臭い物に蓋」をする体質がなくなったわけではなかった。そして欠陥車問題がこれほど大きな社会問題になりながら、これ以後も欠陥車隠しは後を絶たない。それでも「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損する社会」になっている。 これには当時の告発型消費者運動が大きく影響したことは間違いない。
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<「竹内直一」という反逆官僚E> 日本消費者連盟創立委員会をつくった竹内直一、その経歴を『官僚帝国を撃つ』から少しずつ引用することにしよう。
連盟創立委員会発足前夜 連盟創立委員会が発足するまでに約10ヶ月の準備期間があったが、この間いろんな人たちと話し合いが持たれた。生協マン、労組幹部、婦人運動家、消費者問題の専門家、消費者運動家、宗教家などなど。
 話し合いの内容は、消費者運動と名付ける運動体は、何を目指して、どういう組織で、どういう活動方法でその目標を達成するか、ということであった。 この頃は、消費者運動そのものに付いてハッキリしたお手本もなく、その上に消費者運動に中でもユニークなことをやろうじゃないか、というのだから雲を掴むような話である。
 しかし、ああでもない。こうでもないと討論を重ねているうちに次第にイメージが浮かび上がってきた。
 第1に、人間の生命と健康を守り、産業偏重主義によって奪われた人間性の復興をはかることを基本理念とする、ということ。
 第2に、「人間らしい生活をとりもどす」ため、これを妨げているいっさいの障害を排除するための共通の広場をつくり、孤立無援の消費者の集団をつくりあげること。
 第3に、政治的には党派にこだわらず、実証的に問題を追求し、「知らせ合い」運動を柱とすること。
 第4に、男性も参加できる運動にし、個人会員の原則をとること。
 第5に、ヒモつき資金の排除。
 そして第6に、組織は”量より質”を重んじよう、ということである。
 この5つの柱は、当時としては消費者運動の原則としては、新鮮で目新しいものであった。この頃の消費者運動といえば、何よりも物価値上げ反対運動が主流であった。 その中にあって「人間の生命と健康を守り」「人間性の復興をはかる」ことを理念としてかかげたことはユニークだったと思う。1970年代の消費者運動に1つの新しい潮流をつくるきっかけになったと思う。
 そして、5年後の新発足に当たり、「すこやかないのちを子や孫へつなごう」という合言葉となって受け継がれることとなる。その歴史的意義は大きいと思う。
4つの柱の社会的背景 連盟創立委員会で立てたいくつかの柱の社会的背景について話してみよう。
 まず、生命尊重ということだが、その頃までは消費者運動といえば値上げ反対運動だと一般に思われていたので、経済問題も大切だが、いのちの安全を最終目的としようという考えを打ち出したわけである。
 第2には、消費者運動は、ただお役所に陳情するだけでなく、加害者である企業に対して直接もの申す、という姿勢を打ち出したもn だが、このいわゆる”告発型”運動という言葉がわが国で使われたのは初めてであった。
 第3に、政治的超党派の変則というのも、当時としてはずいぶん誤解を受けた。「あの連中は各党を廊下とんびして回る節操のない輩だ」というわけである。 たいていの団体が特定の政党とだけくっつくのが常識であったから。しかし、最近はもう誰も何も言わない。
 第4に、男性も参加できる消費者運動というのも、考えてみればあたりまえのことだが、わが国では、消費者運動といえば”全日制運動”である主婦の専業のように思われていたから、珍しがられた。
 また、個人会員制の全国組織というのも「あれは組織を知らない手合いの非現実的な案だ」と非難された。当時は、ピラミッド式の中央集権的な組織が、たいがいの全国組織に通用していたからである。
告発型の運動 「告発型の消費者運動が誕生した」と当時のマスコミは、大きく取り上げた。実際、それまでの消費者運動は、大体役所への「要請型」であったから、驚かされたのだろう。
 しかし、半面、うさんくさいぞ、という受けとめ方もあった。例の総会屋的な動きじゃないか、という疑いである。というのは、あることがらについて”告発”をすると、必ずマスコミに発表するという方式をとったのであるが、これが当時のマスコミ人には理解しにくかったようである。 「あんたらは、一流企業を告発して記者クラブに来て発表するけれど、これは総会屋的じゃないか?また。売名行為としてやってるんじゃないか?」とか「竹内が参議院全国区から立候補するための事前工作じゃないの?」といった中傷も浴びせられた。 そして、消費者運動というのは地道に調査活動をやってデータを公にするといった性質のものだ、と決め付けるのであった。
 しかし、その後、かずかずの大企業告発行動を行うことによって、大変な社会的衝撃を与えたことは、ご承知のとおりで、これが連盟の”お家芸”としてすっかり定着した。
男性も参加できる運動 男性も参加できるというのも、物珍しがられたものである。一般的にいって日本では、消費者運動といえば「エプロンママさんのヒステリックな運動」とやや軽べつ気味の目で見られがちであったから。
 そして一方では、やはり警戒された。「主婦の運動なら無害だけれど、男性が本気でやるとなれば、こいつは何をされるかわからんぞ!」といったところである。
 たしかに、初期のころは男性は敬遠気味であった。つまり、男性の職業は多く消費者運動が批判する対象──企業や行政──にあるのだから無理もない。だから「匿名にしてくれ」という向きもあった。 しかし、今はそういう懸念はほとんどなくなり、男性参加型の連盟ができあがっている。
個人会員制 これも不思議がられた。個人会員で全国的な団体なんて、少なくとも運動団体ではなかったからである。なぜそんな奇妙なやり方を選んだのか、というわけはこうである。
 私たちは、草の根消費者運動を目指すのだから、中央集権主義になりがちな、いわゆるピラミッド方式の団体になることになじまない、と考えた。そうではなくて、地域地域でお互いの顔が見える間で、思い思いに自由な発想で活動し、その実績をお互いに知らせ合って、全国的な広がりをもった運動にしていこうというものである。 つまり、草の根運動の全国的なネットワーク(網の目)を作りあげるのが連盟の仕事なんだ、ということになった。
 だから、団体加入は認められないし、本部支部といった関係も持たない、とした。
 政治の組織になぞらえていえば、直接民主主義型であって、代議員制民主主義ではない。「そんなノンキなことことを言ってるから、連盟の会員は増えないし、組織に対する帰属意識も生まれない、フワフワした連盟しかできないんだ」と批判する向きもある。 これは恐らく永遠の論争点だろうと思う。 (『官僚帝国を撃つ』から)
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『日本の消費者運動』          日本放送出版協会編 日本放送出版協会  1980. 5.20
『欠陥車と企業犯罪』ユーザーユニオン事件の背景  伊藤正孝 社会思想社     1993. 3.30 
『草の根運動10年』消費者リポート       編集・発行 日本消費者連盟   1979.12. 1
『官僚帝国を撃つ』                竹内直一 三一書房      1997. 4.30
( 2006年8月21日 TANAKA1942b )
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薬品問題・公害自主講座・消費者運動
高橋晄正・宇井純・竹内直一
 今週は今までと少し趣向を変えて、薬品問題・公害自主講座などについて扱うことにした。 この時代を振り返って見ると大きな出来事が多かった。1968年には東大紛争・日大紛争があり、1969年にはアポロ11号月着陸・ドゴール退陣・プラハの春事件、 1970年には日航よど号ハイジャック事件・日本万国博開催・三島事件、1971年にはニクソンショックがあった。こうした激動の時代、 日本ではサプライサイド主導の消費経済から、「消費者は王様」「お客さまは神様」と言ったディマンドサイド、市民サイド主導の消費経済に変わりつつあり、こうした動きが市民権を得始めていた。 そして、この時代のこうした動きの中心にいたのが、高橋晄正・宇井純・竹内直一であった。今週はこの3人を中心に話を進めてみることにした。
高橋晄正(1918〜2004)          (^_^)               (^_^)                (^_^)
 1941年東京帝国大学医学部卒。同年東大物療内科入局。海軍徴用軍医、秋田赤十字病院内科医員を経て、1948年東大物療内科へ復帰。1959年東京大学医学部講師となり、講師のまま1974年定年。1970年、「薬を監視する国民運動の会」を発足させ、代表となる。機関誌『薬のひろば』を1989年100号まで発行した。 廃刊後も、薬害・食品公害への警鐘を鳴らし続けた。ここでは、 『消費者リポート』76号から<アリナミンの売上げ>、『アリナミン』、それに『薬品食品公害の二〇年』『薬のひろば』活動の記録からの文章を紹介しよう。
<アリナミンの売上げ> 大衆保険薬と言えば、ビタミン剤と強肝剤が両横綱ですが、東京大学の高橋晄正さん等が『保険薬を診断する』という本を書いて、これらのものは効かないと主張して世の薬信者にショックを与えました。 最近、高橋さんは第2弾として『アリナミン』という本を出して、効かないどころか危険だと指摘しました。この本の帯には「この反医学的な薬の販売を禁止せよ」と書かれています。
 メーカーの武田薬品は、とんでもないぬれ衣だと言わんばかりに長文の社長「謹告」を新聞広告に出し、安全で効くことを繰り返し強調しました。
 ところが最近、街の薬局で異変が起こっているというのです。消息筋の語るところによれば、これまで1日にアリナミンを10箱も20箱も売っていた店ですら、ピタリと売れ行きがストップしたという話です。 薬局のほうでも「これほど騒がれては、お勧めすることもできませんよ」と嘆きますし、同業の某医薬品メーカーも「もうアリナミンの時代は過ぎましたな。武田さんも新規のドル箱商品を開発しないと、人ごとながら心配ですね」と、悲しいのやら嬉しいのやら分からない複雑な表情です。
 私たちは今武田薬品と高橋氏両者の論争の仲だちをしています。1日も早く真実が究明されることが望まれます。 (『消費者リポート』76号 1971.7.7 から)
<アリナミンへの疑惑> 昭和45年のはじめ、わたしは『保険薬を診断する』のなかで触れられていないアリナミンの基礎実験データの分析をおこなおうと考えた。 アリナミンの売上げは、昭和41年をピークとして次第に下降線をたどっていたが、テレビ・新聞・ラジオは相変わらず「飲んでますか」という論理抜きの心理作戦で国民に消費を強いていた。 いまさら基礎実験のデータを調べてみても、それが有効であるということになる可能性はないのだが、やはりそれを分析しないで放置しておくことは気にかかることであった。
 だが、分析が進むにつれて、わたくしの心の底には次第に「アリナミンは有害なのではないだろうか」という疑念が濃くなってきた。もしそうだとするなら、その膨大な消費量からして、それが国民に与えている被害は計り知れない大きなものに違いない……。
 アリナミン批判の口火を切ってから、わたくしのところにはぞくぞくとその害作用と思われるものについての体験が寄せられてきている。 わたくしが世界中の文献をほぼ調べ終わったいま、それらはすべてB1ないしそれにつけられたニンニク成分の害作用として必然性をもつものである。
 わたくしにとって、薬としてのアリナミンはもはや問題ではない。残されているのは、ビタミンB1の発見以後の歴史のあとを振り返り、それがアリナミンに変換され、大量治療へとエスカレートする過程において、ビタミン研究委員会に群がる学者たちがおこなってきた研究のあとを辿って、それが正しく展開されてきたかどうかを国民とともに検討することである。 (『アリナミン』から)
<『薬のひろば』活動の記録> 本書は、1971年に創刊号を世に送ってから1989年5月までに発行した100号までの『薬のひろば』(「薬を監視する国民運動の会」の機関誌)の内容を部門別に分類し、その内容のあらましを紹介したものである。
 『薬のひろば』が活動したのは、わが国の高度経済成長が極点に達し、その生産至上主義の矛盾が薬害・食品公害・環境破壊として噴出した時期である。 その1つひとつに科学的に対応してくた本誌に内容は、科学時代に突入した企業社会がいかに自然と人間を破壊するかを生なましく物語る貴重な資料と言える。
 このような科学の名において自然と人間の破壊の事実には、緊急に個別対応が要求されるのであるが、この20年間にほとんどの領域において一再ならず発生しているのを前にして、私たちはそれらが企業社会の本質にねざしたものではないかという課題にも取り組まなければならないように思う。 そのような研究において、本誌の内容の流れはそうした分析のための重要な資料となるものである。
 一方、本誌は、それぞれの薬害、食品公害などの因果関係の分析において、行政、企業、学者たちがどのようにして科学的真実をゆがめていたかを丹念に追求しているので、それらを分類整理してみると、彼らのごまかしの手口集ができるはずである。
 なかでも、国が予防行政の名において30年前から国民に奨励し、のちに義務づけをしてきたインフルエンザ予防接種の手の込んだ産学協同のからくりの綿密さには、心底から驚かされるのである。
 世界保健機構(WHO)といえば、国際的な科学の殿堂として高く評価されているものであるが、コバルト60照射食品が無条件に安全と評価されたプロセスに、どのような人たちが、どのように拘わっているかという人脈の流れを分析しているうちに、 数年がかりで科学的真実をゆがめていくことが可能な仕組みが浮かび上がってきて、私たちはWHOもまた多国籍産業の一環に組み込まれている姿にがっかりしなければならなかった。
 むし歯予防用にフッ素を応用することに対するWHOによる権威づけにも、新甘味料アスパルテームに不当に高い安全水準を設定したことにも、WHO の同様の仕組みが関与しているのである。
 ところが、私たちが企業社会のそうした科学的真実をゆがめている実態を明らかにすればするほど、消費者のなかに科学技術はすべてダメであって、科学のなかった自然に戻るのが正しいのだとする素朴な自然志向が発生し、それらの人びとは自然食産業の餌食となる危険性が拡大してきた。
 だが、ガス、水道、電気、冷蔵庫といった近代科学技術のすべてを否定して、私たちにどの程度の文化的水準の生活が保証されるかは、慎重に検討されなければならないであろう。
 本書の内容の大部分は、私が講義にいっていた東京都町田市和光大学で「社会と医学」として講義したものだが、学生たちとの討論の末提出されたリポート「もはや帰るべき自然はなく」(第X部)は、そのような風潮に対する一応の見解である。
 私が1989年5月『薬のひろば』100号をもって終刊としようと決意したのは、高度経済成長の頂点で発足し、激動の十数年の間に、本誌は一通りその使命を果たしたと考えるからである。
 しかし、「生活のなかの科学」で批判されなければならない問題はまだまだ沢山残っている。その中でも、核廃棄物、塩素系農薬、プラスティックの3者は、人類の存亡に深くかかわる大きな課題である。そうした課題についても明確な科学的根拠に基づいた視点を確立するよう私たちは努力しなければならないものと思う。
 そうして、素朴自然主義の内包する思想欠陥を解明し、さらに科学との対決を拒否して動物的感覚を主座とする密教思想の復活を阻止する一方で、私たちが全面的には脱出できない近代科学社会の中にあることを自覚したうえで、「拒否すべき科学」と「受容すべき科学」を選別する視点を確立するのが私たちのおもむくべき方向ではないかと思う。 それが、私にとっては、『薬のひろば』活動の、技術論でもなく、社会学的でもなく、もう1つの思想史的な総括になると思う。
 本書の刊行に当たって、何よりもまず、20年にわたって本会を支援してくれた会員各位と、私の科学活動を蔭で支援してくれた数知れない知人友人ならびに、本書を刊行するのに援助していただいたトヨタ財団に心から謝辞を捧げたいと思う。
   1992年5月10日  高橋晄正 (『薬品食品公害の二〇年』から)
宇井純(1932〜2006)          (^_^)                 (^_^)                  (^_^)
 1932(昭和7)年、東京・新宿区大久保百人町で生まれる。1951年 東京大学工学部入学。1956年、東京大学工学部応用化学科卒業。日本ゼオンに勤務した後、1959年に東京大学大学院工学系研究科に戻り、応用化学科、土木工学科に所属し、1965年に新設の都市工学科助手となる。 以後15年にわたって講座を続け、公害問題に関する住民運動などに強い影響を与えた。1986年、21年間にわたった東大助手の職を辞し、沖縄大学法経学部教授に就任。2003年、沖縄大学を退職し名誉教授の称号を授与された。
 宇井純の公害原論自主講座が始まったのが1970年10月12日。当時の公害問題がどのようであったか、歴史を振り返ってみよう。引用するのは『公害原論』から初めの部分。 「まえがき」は以前に引用したのでそちら http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/yabunirami.html#2-15"target="link">▲を参照のこと。
 イタイイタイ病 1972年8月9日に名古屋高等裁判所金沢支部における裁判で患者側が勝訴したことにより、1973年度からは原因企業において患者、要観察者に対する全ての医療費が負担されることになった。
 新潟水俣病 第1次訴訟が1971年に原告勝訴で結審。
 四日市ぜんそく 四日市市は公害病と認定した市民に対し、市費で治療費を補償する制度を1965年に開始。当時は国側にも公害患者を公費で救済する制度はなく、市の試みは全国初だった。認定患者の数は同年5月に行われた第一回の審査の時は18人だったが、1967年6月末には381人、1970年9月末には544人と急増。患者の増加に市だけでは治療費を負担できなくなり、国や企業も分担金を出すようになった。
 川崎大気汚染公害 川崎市が1972年に認定した小児喘息の患者数は839人。1989年5月末には5,125人。
 水俣病 1968年年9月26日、厚生省は熊本の水俣病はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物が原因であると発表した。
<夜間自主講座となる理由> 私がこれからこの自主講座を用意いたします宇井です。まずこの自主講座をここまで用意をしたのは工学部の助手会なのですが、なぜ工学部の助手会でこのような自主講座を考えるにいたったか、それから私がそれを準備するにいたったかということをお話ししようと思います。
 最初に大体1時間位ここで私の方から講義の形をとって状況の説明、あるいは事実の定時を皆さんにお話しをすることになります。それから15分程度、毎回休憩をおきまして、その間に討論を用意していただきます。それで後の1時間が討論になる場合もあれば、私の方からまたお話しをする場合もあると思いますが、それはそのときそのときの状況で進めるつもりです。
 それからこの部屋(東大工学部82番教室、第3回から工学部大講堂に変更した)を自主講座で使うまでにも大分いろいろな迂余曲折がございまして、学園闘争を経験された方はご存知と思いますが、東京大学の建物は国民のものではございません。 大学当局の管理下にありまして、いろいろ窮屈な条件を呑まないと借りられないという事情があります。この部屋を借りるについての条件は、8時半位までに会合を終わって、9時までにはきれいに掃除をして管理部門には迷惑をかけないこと、この中での乱闘はやらないこと(笑)。 これはわれわれにとっては笑いごとなのですが、先生方にとっては必ずしも笑いごとではないらしくて、たとえばこの部屋を毎週月曜日の夜に特定の党派が占領して、そこを根城にされてはたまらんという危惧が、実際に私の方にかなり強く寄せられましたので、それに対する私の方の返事として、特定の党派に対してこの部屋を提供するつもりはないし、この中で棒で殴り合いをやらないように皆さんにお願いする、というのが一番最初の約束になるだろう、そういう話をしておきました。 ですからこれから討論の中でかなりエキサイトする場面があるかもしれませんが、この中では殴り合いをやらないことを、一応皆さんと私の約束としてすすめていただきます。
 工学部の助手会というものは、現在、大学の制度の根本になっています講座制──教授1人、助教授1人、助手1〜3名という組織の中で、助手はいつも教授および助教授を助けるという職務規定にしばられまして、たとえば私は学生実験を自分の責任で担当していますが、時間割には私の名前はなくて、衛生工学科各教官というふうに書いてあります。 ですから自主的に助手が講義するということは、現在の制度では認められておりません。また一方、助手の職務は、教授および助教授の仕事を助く、ですから、代講を命ぜられたら、それをやらなければいかんのです。 そういう事情がありまして、今年の春から東大のあちこちに公害の講義が入るようになりまして、この都市工学でも公害の講義を教養学部の学生のためのゼミナールとして5月頃から開くことになりました。
 そこで私に代講するようにとの話がありましたので、内容について聞きましたところ、価値判断の入らない公害の技術的な対策を話すように、ということだったので、これはお断り致しました。
 そこで私の責任で、現在までに10年ほどかかってぼつぼつと調べてきた公害のことをまとめて話をするとすれば、このような自主講座という形しかございません。助手が勝手に開講することは、現在の規則では違反といえば違反になりますが、それは規則をある程度破っても話さなければならないことであります。 そしてこれから申しますように、公害を出す側と受ける側に整理してみれば、これまでの東京大学における科学・技術というものは、大体出す側の科学・技術であった以上、どうしても受ける側の学問がなければなるまい、そういうことで助手会の皆さんと相談して、私が比較的に落ち着いているこの10月12日からの半年間、自主講座を開くことになりました。
 それからこういう時間(毎会午後6時開講)を選びましたのは、1つは昼間勤めをもっておられる方にも、自由に聞いていただきたいということがあります。 それは東大の職員も含めまして、現在、昼間働いている人が夜勉強する機会はいくつかありますけれども、この東京大学の中ではそういうことはまったくない。 それから市民の皆さんに、今公害を受けている側から私がお話しすることが、どの程度お役に立つかということは、初めまるで私にも見当がつかないことであります。 ですからやはり私一人がこの講座を作るのではなくて、ここへ来ておられる皆さんが、できるだけ私と同じような努力をして、この夜の講座を作っていくことを考えて頂きたい。 学生の諸君の場合には、今まで授業というものは文字どおり業を授けるものであって、教授から一方的に話しを教わる、あるいはウソを教わるものが授業であったのですが、ここで今から私たちがやろうとしているものは、そういう一方的な授業ではない、ということを最初に申し上げておきます。 (『公害原論』から)
竹内直一(1918〜2001)          (^_^)               (^_^)                (^_^)
 1918(大正7)年、京都で生まれる。1941(昭和16)年、東大法学部を卒業し農林省に入省。1968(昭和43)年6月、農林省を退職。1969(昭和44)4月、日本消費者連盟創立委員会結成。 以後告発型消費者運動の中心人物として活躍。
 その活動に関してはこのシリーズで詳しく取り上げたので、ここでは氏が農林省に入省したことも考えて<つぶすな日本の農業>と題する、農業に関する考え方を紹介しよう。農産物の自由化に関しては多くの考え方があるが、ここでは論評を加えず、そのまま掲載することにした。
<つぶすな日本の農業> 日米貿易摩擦といえば、オレンジ、牛肉など農産物の自由化が焦点となってきた。連盟はこの問題が本格化してきた1982年4月、ほかの消費者団体にさきがけて「農産物自由化絶対反対、穀物の完全自給」を打ち出し、各政党や農業団体に申し入れた。
 これに対し農業団体は初めて「連帯して運動しよう」と応えてきたが、マスコミの中には「消費者団体にあるまじき時代錯誤」と酷評する向きもあり、新聞の投書でも賛否入り乱れて混乱の呈となった。
 連盟はこの運動を広めるために、同時に運動パンフ『つぶすな日本の農業』を出したところ、これが全国の農業関係者の注目の的となった。 「こういう考えを持っている消費者団体があると知って感激した」というわけで、各地の「決起大会」などによばれて講演する機会も増えた。
 そして連盟は、農業団体とこれからの日本農業をどうするか、について具体的に話し合おうと申し入れた。何度かの話し合いをしたり、公開質問状を送って、コメの減反政策を即時止めさせよう、有機農法でやろう、有害な農薬をやめよう、流通にメスを入れようというようにな内容で、農業団体に公開質問状を送ったりした。
 大変な問題なのだが、私たちのいのちに直結するものだから、連盟の運動の中で一番大きな柱である。ところが、いざつき合わせてみると、農業団体との間にかなり隔たりがあるのが今後の問題なのだ。
こういうわけで自由化反対 連盟が農産物の自由化に反対する理由を要約すれば、次の通りである。
 1、国民の食料は、その国土を極力活用して自給をはかり、自立することが、国際社会の一員としての責務である。
 2、飢餓線上をさまよう多数の人類に一粒でも多くの「命の糧」を供給することが、国際社会の一員としての責務である。わが国が輸入を減らせば、その分だけ同朋が救われることになる。
 3、牛肉やオレンジなどの自由化をすれば、アメリカはその次ぎには、牛乳、コメの門戸開放を要求してくるに違いない。 すでに米国では常温で長期保存のきく完全滅菌牛乳(いわゆるロングライフミルク)の日本語表示の紙容器が用意されている。また、コメの生産は700万トン近くになり、現在の4倍の作付可能面積があると伝えられる。
 4、わが国の農産物輸入依存度が最も高い米国の農業は、略奪農法の結果、土壌浸食、農業用水枯渇、農地の砂漠化などにより、その崩壊の危険さえ論じられている。 このような米国農業に1億2,000万人の命を預けるわけにはいかない。
 5、工業生産と異なり、農業生産は一旦衰えれば再生は不可能に近い。農業生産は、市場原理に委ねることなく、何ものにも優先して維持すべきものである。
 6、農産物を海外から長距離輸送すれば、必ず防カビ剤、くん蒸剤その他有害な食品添加物や薬剤を使うことになるので、食べ物の安全の点からも認めるべきでない。 (『官僚帝国を撃つ』から)
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<市民運動、井戸を掘った人たち> 現代日本は「お客様は神様の資本主義社会」になっている。これに関しては異論もあるかも知れない。けれども戦争直後の日本と比べてみれば消費者の力が強くなったことが分かるはずだ。 そして、「お客様は神様の資本主義社会」への変化を促進した市民運動は、前述3人に負うところが多い。3人共に東大を卒業し、大きな組織に入り、組織の望む勤務姿勢をとっていれば、安定した社会生活を送っていたはずだった。 初めから大きな目標を持って運動に取り組んだ、というよりも、だんだんに周りの状況からその道以外に歩んでいく道がなくなってしまったようだった。
 現代の消費社会を論じる場合、その成り立ち、歴史を知ることによってより深く理解することができる。現代の消費経済、市民運動を語る場合、市民運動という井戸を掘った人たちを忘れてはならないと思いここに取り上げてみた。
 現代の市民運動はどうなのだろうか?あの当時のエネルギーはあるのだろうか。3人に比べられるリーダーはいるのだろうか?過去の遺産に寄りかかっているのではないだろうか?そのような危惧を持ちながらも、これは別なテーマとしてここでは扱わないことにしよう。
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<主な参考文献・引用文献>
『草の根運動10年』消費者リポート       編集・発行 日本消費者連盟   1979.12. 1
『アリナミン』                  高橋晄正 三一書房      1971. 4.15 
『薬品食品公害の二〇年』『薬のひろば』活動の記録 高橋晄正 松籟社       1993. 3.15
『公害原論』                    宇井純 亜紀書房      1971. 3. 1
『官僚帝国を撃つ』                竹内直一 三一書房      1997. 4.30
( 2006年8月28日 TANAKA1942b )
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宇井純  2006年11月11日、沖縄大学名誉教授の宇井純さんが都内の病院で、胸部大動脈りゅう破裂のため亡くなりました。謹んでご冥福を祈ります。
消費者主権に変わりつつある日本経済
学んだ企業、学ばなかった企業
 消費者主権になり大きく変わったことは、商品の価格表示が変わったことだ。以前は見せかけの定価を設定し、いかにも安売りしているかのようにしていた。 ほとんどの商品が値引きしているなら、定価とは意味のないものになってしまう。そこで「オープン価格」という言葉が使われるようになった。これについては「一体いくらなのか分からない。定価があった方が分かりやすい」との意見もあるが、 メーカーが決めていた売値を、販売会社が消費者の顔色を窺いながら決めるようになったわけだ。メーカーも小売店も消費者の顔色を気にし始めた、ということになる。 この過程で松下電器が大きく拘わっていた。派生的にダイエーの「ブブ」も登場する。これに関しては 「カラーテレビ不買運動と松下訴訟」 を参照。
 「オープン価格」という制度と共に「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損する社会」になったことも大きな変化だ。しかしこの変化に気づいていない企業、消費者の顔色を気にしない企業もある。こうした企業はひとたびヤバイことすると消費者から手痛いしっぺ返しを受けることになる。 松下電気は早い時期から消費者に睨まれていたので、「消費者を裏切ってヤバイことすることのないように」と気を使っている。消費者を裏切って大きな損失を出した企業については <企業・市場・法・そして消費者><最近のできごとを考える> で書いたのでそちらを参照のこと。
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<パロマと松下と日本ハムの例> 最近「消費者を裏切ってヤバイことして、結局損をした企業」として印象にあるのは、パロマと松下と日本ハムの例だ。
 パロマは瞬間湯沸かし器で問題を起こした。しかし、早くからヤバイと認識していながら対策を取らなかった。通商産業省も重く見ている。「早くから対策を打っておけばこれほど費用はかからなかったのに」と後悔しても遅すぎる。
 一方松下はと言うと、石油ストーブの欠陥に対してマスコミを通じて対策を公開してきた。当然費用はかかっている。しかし消費者はその対策にを好感を持っている。消費者へのアピールは成功した。これは今までさんざん消費者運動から非難され、学んだ成果だ。
 日本ハムの例は、これらよりも前のこと。食肉偽装事件のことだ。この時日本ハムは1,000万円の不正利益を出そうとして、それが発覚し、結局200億円の損失を被った。発覚する確率がたった 0.1%(1000件の不正行為の内発覚するのが1件)としても、その機会費用は2000万円。「悪いことをした」と非難するより、「バカなことをしたもんだ」と笑う方が合っている。 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/file-5-kigyou.html"target="link">▲ 日本ハムはこの事件をきっかけに外部有識者による「企業倫理委員会」を設置し、委員会の指導のもと企業風土改革に取組むようになった。その特徴の1つは、ここに外部から識者を入れたこと。 「食品業界の匂いにしない者」を入れて、企業倫理をグローバルな観点から見直そうとしたことだ。こうした場合、業界の事を余りよく知らないどしろうとを入れることによって、視野狭窄になるのを防いでいる。
 食肉偽装事件ではこの他に、雪印食品、スターゼン、全農系チキンフーズも不正行為を働き、それが発覚し大きな損失を出している。
 パロマ、松下、日本ハムなどを含む業界では「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損をする業界」になっている。市場の力、消費者パワーが強くなっている。けれども、ATM障害を出した銀行業界では消費者パワーの影響は少なかった。竹内直一の影響は銀行業界にまでは及ばなかった。ということは、銀行業界は家電業界などに比べて市場化が進んでいないということになる。 官庁は消費者パワーが影響しにくい、ということも「市場化」というキーワードを考えれば理解できることだ。
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<倫理問題を損得勘定で考える> 企業不祥事が起きると、倫理の問題として企業を批判することが多い。これを「損得勘定」で批判すると結構単純になる。 「やっても良いか?、悪いか?」ではなくて「やったら得か?損か?」で判断すると誰でも同じ答えになりやすい。TANAKAがこのHPで度々指摘しているのそういうことだ。 経済学用語の「機会費用」をキーワードに事前評価をする。「接待汚職は得か?損か?」「食肉偽装は得か?損か?」「クレーム隠しは得か?損か?」「保険金不払いは得か?損か?」。不祥事の後、「営業成績を追う余り、不祥事を起こしてしまいました」との弁解が多い。 しかし、これは違う。営業成績を真剣に追求すれば、「不正を行えば、結局は損する」との結論が出るはずだ。不正を行うのは、真剣に営業成績を追求していないからだ。日本では、そのような社会システムになっている。 「お客様は神様」の現代資本主義社会になっていることに気づかないと、思い違いして不祥事を起こしてしまう。企業の姿勢としては「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損をする社会だ」ということを、社員に衆知徹底することが大切になってくる。コンプライアンスとはそういうことだ。
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<告発型消費者運動は時代遅れなのか?> 竹内直一の始めた告発型消費者運動が先頭に立って企業の不祥事を告発してきた。その成果が「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損をする社会」になったことだ。 しかし、その損得勘定が働かない業界が未だ多くあり、そうした社会の変化を理解しない企業・社員が多くいる。1970年代、政治・経済の分野で大きな変化が起き、消費者主権・市民パワーの影響力増大がみられた。 しかし、ある程度その成果が出てしまうと、それ以上の運動が進まなくなってしまった。「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損をする社会」になったにもかかわらず、過去の経験が生かされていない。 企業の利益追求を真剣に考えれば、ヤバイことすると結局は損するのに、過去の失敗例を学ばず同じ様な失敗を繰り返す企業がある。せっかく竹内らが築き上げてきた消費者主権の体制が揺らぎ始めているかのように思えてくる。 高橋晄正・宇井純・竹内直一らの努力の成果が逆戻りしているかのようにさえ思えてくる。監督官庁も鈍感になっているし、不祥事を起こした企業への消費者の反発もかつてのような厳しさが感じられない。 社会保険庁の不祥事などは消費者パワーが全く影響していない。 「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損をする社会」と言いながらも、TANAKAには消費者が大人しくなりすぎたように思えてくる。
 「ハングリー精神」という言葉がある。ハングリー精神旺盛な国では、スポーツも国際大会で好成績を出し、国家がそれを奨励するし、国民はそれによって愛国心を向上させる。 経済の分野でも「追いつき、追い越せ」を国家的な合言葉に、企業では国際競争力向上に努める。その成果が出て、国民が豊にかってくると、国家的な目標よりも個人的な目標優先になり、ハングリー精神は薄れてくる。 消費者を裏切ってヤバイことする企業に対しても、ハングリー精神旺盛な時代には厳しい対応をしていたが、豊になってくると、その対応も厳しさが薄れてくる。最近の企業不祥事を見ていると、このように感じる。 つまり、企業不祥事の多さは、消費者が豊になり、ハングリー精神が薄れ、企業不祥事に対して厳しい態度を取らなくなったからなのだろう。
 東大を出て、大きな組織に入り、組織の要求する仕事をしていれば安定した生活がおくれる。それを承知であえて組織を飛び出し社会正義の運動に身を投じる、などという生き方は現代では流行らないのだろう。 それでも、現代の消費社会が高橋晄正・宇井純・竹内直一らの努力でうまく機能していることを忘れてはならないと思う。「お客様は神様」の現代資本主義社会、さらにこれを進化させるリーダーを求めても難しい状況であることを認めたうえで、それでも先人たちの努力を忘れてはならない、と思う。 このシリーズを終わるにあたって、TANAKAの考えはこのようなものです。
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<主な参考文献・引用文献>
『消費者運動宣言』1億人が告発人に                 竹内直一 現代評論社    1972.11.30
『日本の消費者運動』                   日本放送出版協会編 日本放送出版協会 1980. 5.20
『戦後消費者運動史』                   国民生活センター編 大蔵省印刷局   1997. 3.30
『官僚帝国を撃つ』                         竹内直一 三一書房     1997. 4.30
『草の根運動10年』消費者リポート                編集・発行 日本消費者連盟  1979.12. 1
『消費者運動宣言』1億人が告発人に                 竹内直一 現代評論社    1972.11.30
『日本消費者問題基礎資料集成』2 日本消費者連盟資料 別冊解題  編集・発行 すいれん舎    2005. 5.11
『ラルフ・ネーダー・レポート』死を招く欠陥車  ラルフ・ネーダー他 青井寛訳 講談社      1971. 5.20
『アメリカ消費者運動の50年』    リチャード・L・D・モース 小野信夸訳 批評社      1996.10.23
『アダム・スミス、モスクワへ行く』 W・アダムス、J・W・ブロック 川端望訳 創風社      2000.12.25
『詳説 公益通報者保護法』              内閣府国民生活局企画課 ぎょうせい    2006. 3.20
『内部告発と公益通報』会社のためか、社会のためか           櫻井稔 中公新書     2006. 3.25
『欠陥車と企業犯罪』ユーザーユニオン事件の背景           伊藤正孝 社会思想社    1993. 3.30
『アリナミン』                           高橋晄正 三一書房     1971. 4.15
『薬品食品公害の二〇年』『薬のひろば』活動の記録          高橋晄正 松籟社      1993. 3.15
『公害原論』                             宇井純 亜紀書房     1971. 3. 1
( 2006年9月4日 TANAKA1942b )
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「お客様は神様」の現代資本主義社会 完

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