趣味の経済学
「お客様は神様」の現代資本主義社会
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「お客様は神様」の現代資本主義社会
● 「消費者は王様」を認めさせた消費者運動 大企業独占告発への矢文 (2006年4月3日)
● 戦後の消費者運動を振り返る 主流は主婦の値上げ反対運動だった (2006年4月10日)
● 日本消費者連盟の誕生 竹内直一の経歴と運動に対する考え方 (2006年4月17日)
● 最初に取り組んだのは、コーラの有毒性 以後大企業への「矢文」が追求する (2006年4月24日)
● 果汁が入ってなくてもジュース? 消費者も果樹生産者も困ってしまう (2006年5月1日)
● チクロ問題と創立委員会 『消費者リポート』とNHK『日本の消費者運動』 (2006年5月8日)
● 消費者軽視の企業体質を批判 三越・住友生命・共栄生命──ほか (2006年6月19日)
● 学研百科辞典の誤りと校内販売を批判 連盟に刃向かう唯一の大企業 (2006年6月26日)
● ラルフ・ネーダーの内部告発のすすめ 倫理のグローバリゼーション (2006年7月24日)
● カラーテレビ不買運動と松下訴訟 オープン価格という新しい制度 (2006年7月31日)
● 欠陥車問題追求が大きな節目 ユニオン幹部の逮捕という大きなショック (2006年8月21日)
● 薬品問題・公害自主講座・消費者運動 高橋晄正・宇井純・竹内直一 (2006年8月28日)
● 消費者主権に変わりつつある日本経済 学んだ企業、学ばなかった企業 (2006年9月4日)
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趣味の経済学
アマチュアエコノミストのすすめ
Index
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2%インフレ目標政策失敗への途
量的緩和政策はひびの入った骨董品
(2013年5月8日)
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FX、お客が損すりゃ業者は儲かる
仕組みの解明と適切な後始末を
(2011年11月1日)
「消費者は王様」を認めさせた消費者運動
大企業独占告発への矢文
<総会屋の嫌がらせと間違えられた消費者運動>
私達の活動を総会屋の類と誤解するむきがある。以下、その一例をあげておこう。
45年6月、ちっともゴキブリの捕れない東芝の「ゴキトール」を欠陥商品だとしてヤリ玉にあげたときのことである。
最初は担当社員が「欠陥ではない」と弁明にきたが、私たちがこれを公取委に不当表示で告発すると、パタリと連絡が途絶えたのである。
それからはいくら催促しても回答は出されなかった。46年1月までに3回も矢文が出された。やっと1月中旬、担当部長から文書回答がきて「回収中だ」といってきたが、こちらの質問のポイントには、答えていなかった。
私たちは「ミスはミスとしてフェアに認める態度こそ消費者の信用をかちとるゆえんではないか」と詰問した。
3月22日になって、はじめて東芝商事の消費者部長と担当の乾電池事業部長が顔を出した。以下はそのときのやりとりである。
東芝 今日はおわびと報告に来た。早く連盟にお目にかかるべきだったが、なかなかすぐに会社全体がそういう雰囲気にはならなかったので遅れて申し訳ない。
ゴキトールにしても、確かに捕れるという実験もしている。皆さんの予測されたほど効果が上がらなかったのだ、ということもわかった。
━━こちらではいろんな条件の違うところで実験したが、ダメだった。かりに入っても大きいのは逃げ出す。そういうものを「欠陥商品じゃない」と言い張っているのがいけない。これはどう考えてもゴキブリ「取り」とは言えない。
東芝 誘引剤(エサ)と一緒に発売していればよかったかも知れない。私どもの実験では、入ると言う人があるのだ。2匹入るとしばらく途絶える。1週間ほど経つとまた入る。事前の実験で、ゴキブリが入ったことを嬉しがって宣伝したことについてはシャッポを脱ぐ。
━━商品のことだから、当初の見込みと違って、思わぬ欠陥がでることもあるかも知れない。しかし、ゴキトールの場合は、欠陥であることが分かってから後の処置が全然なっていないのを問題にしているのだ。大会社らしからぬやり口ではないか。
東芝 会社のメンツということではなく、9月末の謝罪広告という珍しい処置をとったことだし、これからは今までと違って、本当に消費者サイドに立ったマーケティングに徹していきたい。
━━企業はウソをつくべきではない。非常なイメージダウンになる。
東芝 きれいごとに片づけようとする意識は、確かにあったかも知れない。消費者の声は非常に素朴かつ根深い。だから決して軽く扱ってはならないことを知った。姿勢を正し、行動に表さなければダメだと思う。
━━あっさりと、悪かったと言えばよいのだ。それをなぜこだわるのか。
東芝 消費者連盟が総会屋的な動きでないことがハッキリしたのなら、謝るべきだという姿勢になるまで時間がかかった。
━━それほど社内で大問題になったというのに、これまでに来たのは、一番初めに担当課長だけだ。それも、なかば抗議の通告のようなもので、絶対に欠陥でないと言い張った。
東芝 申し訳なかった。
* * *
東芝商事が大揺れに揺れた末、消費者部を新設、機構改革をやったのも、この事件が原因であるらしい。消費者を見くびって小手先細工を使い、メンツにこだわったことがとんでもない大事件にまで発展したあげく、イメージダウンになったのである。
しかし、考えようによっては、東芝がこの高い授業料を払ったおかげで名実ともに「消費者志向」の企業姿勢に徹することができるなら、企業にとっても幸いなことになるだろう。
それにしても私たちを”総会屋”と見立てて「相手にするかしないか」と1年近くも小田原評定をしていたとは、図太い企業の弱点をよく暴露しているではないか。
(『消費者運動宣言』から)
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<今までになかった告発型の消費者運動>
上の文章は1969(昭和44)年に発足した「日本消費者連盟準備委員会」が行った告発型の消費者運動の1つの成果を『消費者運動宣言』から抜き出して引用したもの。
竹内直一などが始めた運動は新しい消費者運動であったし、その運動によって企業の消費者に対する姿勢は大きく変わり、「お客様は神様」は企業の経営姿勢の基本とするようになった。
実際はどのようなことをやっていたのか、『消費者運動宣言』からもう少し引用することにしよう。
告発の方法──トップ企業をねらえ
私たちはこれまで実に多くの企業の不正を摘発してきた。その件数は1千件余にのぼる。これらの成果は『消費者リポート』(旬刊・月刊とも)に逐一くわしく報告されている。
また、連盟、連盟編著の形で出版された『不良商品一覧表』『不良商品を斬る』『消費者手帖』『消費者パワー』(いずれも三一書房刊)などの単行本にもまとめられている。本書の巻末の”年表”によっても概略を知ることができる。
私たちの活動が”告発型”だと称されるゆえんは私たちのやり方が、これまでの消費者運動のパターンと違うからである。私たちは「トップをねらえ」を合言葉にしている。
トップ企業といえば消費者の絶大な信頼感を得ているし、業界をリードする象徴的存在である。私たちはこのトップ企業がいい加減なことをやっている点を暴露し、「トップは無条件に信用できる」という神話をくずすために、またトップの姿勢を正せることによって、業界全体をまっとうな道に引き戻すために、告発活動を続けてきた。
私たちの警告、制裁にトップ企業が耳をかさないときは、決定的な打撃を受けることを身をもって知るまでは、追求の手をゆるめなかった。そして、かなりの成果をあげることができた。
私たちの告発の方法を紹介しよう。消費者から苦情の申し出がある。あるいは独自の調査によってある企業の不正を発券する。この事実を示して「どう処理するか」という質問文書を必ず企業の責任者──代表取締役に送る。
私たちはこれを戦国時代のならわしにあやかって「矢文」(やぶみ)と呼んでいる。担当者とは直接交渉しない。これはいかに小さなトラブルであろうとも、消費者に対しては、企業経営のトップが全責任を負うべきだ、との考えに基づく。
また、担当者のもみ消しを封じるためでもある。この矢文はすべて手書きのコピー紙製の粗末きわまるものだが、年間数百通に達する。
企業に矢文が届くと直ちに反応が現れる。普通の案件である場合は文書で回答が来る。重大なものあるいは火急を要するものは、社長、担当重役、幹部社員が事務局を訪れる。逐一処理経緯を電話、来訪などによって報告してくる。
もし、企業の処理に納得いかないことがあつ場合は、何回でも矢文を出し責任を追及する。
なぜこのように企業が積極的に動くのか。彼らが私たちを恐れるのは、私たちはただ企業にもの申し、相対の話し合いをしているだけでないことを承知しているからだ。私たちは、企業に直接問題をぶっけるだけでなく、監督官庁、警察、検察当局、国会などに遠慮なくこれを持ち込み、
同時に新聞発表をし、私たちの機関紙『消費者リポート』にあからさまにするからである。自社の製品の欠陥や不当表示が新聞、テレビに報道されれば、たちまち売上げにひびくことを十分知っているからである。
現に私たちが告発すると「どうか新聞にだけは発表しねいでくれ」「もう発表したのなら取り下げるよう新聞社に言ってくれないか」など泣き声をはり上げてくる企業もいる。あるいは『消費者リポート』に掲載しないよう「ご配慮お願します」と真剣に頼んでくる企業もある。
(T注 この頃から大企業では「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損するよ」と分かっていたようだ)
それほど社会的に知名度の高くない地方の中小企業でもほとんどが生真面目に回答してくるし、徹底的な調査もする。ある場合には中小企業のほうが真剣でさえある。
こうした私たちのやり方は、もしかじ取りを誤ったら大変なことになる両刃の剣である。現に企業側では私たちの告発活動をきわめて反社会的で危険なものとみて、盛んにアジっている一派もいるのだ。
そのような企業の術策に陥らないよう、最大の神経を使わなければならないことは言うまでもない。スキあらばと、私たちの一挙手一投足を見守る企業陣営を前に、やり直しの許されない真剣勝負の繰り返しを覚悟しなければならない。
私たちはただの一度でも切り返されたら、それでおしまいである。絶対不敗の戦いを挑まなければならない宿命を負い、文字通り日々、白刃の下をかいくぐる心境の連続である。
(『消費者運動宣言』から)
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<消費者運動に対する認識の、当時と現代の違い>
新しいシリーズ<「お客様は神様」を認めさせた消費者運動>を始めることにした。TANAKAがこのホームページで書いているように、「お客様は神様」であり、「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損するよ」はかなり企業も意識してきていると思う。
しかし、これの見方が定着するのはそれほど古いことではない。そして、それを企業が認めるようになったのには、告発型の消費者運動=「日本消費者連盟」があったことを忘れてはいけない、と思う。
ところで、当時の消費者運動、消費者保護に対する認識はどうであったのか、参考になりそうな文章があったので、ここに引用することにしよう。
* * *
中谷哲也委員 「そうすると、消費者は王様だという言葉がありますね。いま1つは消費者は裸の王様だという言葉もあるが、大臣はそういうふうな言葉について、一体どういうふうにお考えになるでしょうか。
この点について1つお答えを頂きたいと思います」
椎名通産大臣 「消費者は王様であるなんていう言葉は、寡聞にして、まだ聞いたことがない。初めてあなたから承ったようなわけでございまして、従って、どう考えるかというようなことも何も考えはございません」
中谷哲也委員 「大臣、本当に消費者は王様という言葉をお聞きになったことはないのですか。そうすると、消費者主権という言葉はご存じでしょうか」
椎名通産大臣 「それも聞いたことがございません」
消費者行政について責任の一端を負っている通産大臣と社会党議員のやり取り──衆議院商工委員会、昭和43年4月26日の議事録からの抜粋である。
おとぼけと皮肉で鳴らした椎名悦三郎氏のこと、「消費者は王様なり」は言葉の上だけにのことで、実態はとてもそこまではいってませんよと言いたかったのかも知れないが、今日であったら委員会審議が中断しけねない内容の答弁である。
消費者保護基本法の公布を間近に控えてはいたが、消費者問題に対する行政当局の関心はうすく、消費者運動の盛り上がりもいまひとつといった当時の状況を、象徴的に示す発言と言える。
(『日本の消費者運動』から)
<主な参考文献・引用文献>
『消費者運動宣言』 1億人が告発人に 竹内直一 現代評論社 1972.11.30
『日本の消費者運動』 日本放送出版協会編 日本放送出版協会 1980. 5.20
( 2006年4月3日 TANAKA1942b )
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戦後の消費者運動を振り返る
主流は主婦の値上げ反対運動だった
<現代資本主義==消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損する社会>
TANAKAがこのホームページで何度も主張しているのは「現代資本主義社会は、消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損する社会」ということだ。
その例として、<企業・市場・法・そして消費者>▲ で雪印食品、日本食品、日本ハムなどがいかに食肉偽装で消費者を裏切ったおかげて莫大な損失を被ったか、を書いた。
市場経済ではコントロール・センターが一国の経済をコントロールするわけではない。経済が成長せず、物価水準が低下するデフレになると「日銀は何をしているのか?デフレから脱却する対策を採るべきだ」と経済のコントロールセンターとしての中央銀行に期待するエコノミストもいる。
たしかに「市場の動きに任せておくと、市場の失敗が起きる」とか「日銀がマネーサプライをコントロールできないと言うのは、中央銀行としての責任放棄だ」と強力な管制塔(たとえば「平成の鬼平」)の出現を期待する論者もいるようだ。
結局、社会主義経済は破綻したが「社会主義の理念は正しいが、それを実行しようとした指導者がミスを犯した」と、社会主義経済に対する夢を捨てきれない「隠れコミュニスト」が多くいるということだ。
ところで、そうした「隠れコミュニスト」は「大企業の横暴」を警告する。たしかに大企業は社会に大きな影響力を持っているし、消費者を軽んじる行動もとってきた。それが徐々に変わってきて、現代では「お客様は神様」「消費者は王様」「消費者を裏切ってヤバイことすると結局は損する社会」
になってきている。企業経営者の意識が変わってきた。そして、そのきっかけを作ったのが「告発型の消費者運動」=「日本消費者連盟創立委員会」であったとTANAKAは主張する。このシリーズはそうした竹内直一を中心とする消費者運動を検証することにする。では、その時代、消費者運動はどうであったのか?
企業の消費者に対する態度はどのようなものであったのか?それに対する消費者運動はどのようであったのか?そして日本経済はどのような状況であったのか?そうした点から時代を振り返ってみることにしよう。
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<戦後のインフレ経済>
昭和20年、戦争が終わった日本の経済は、混乱そのものだった。生産工場では、軍需産業のために用意されていた材料を使って鍋・釜などを生産したが、それも半年で材料を使い果たす有様だった。一方、戦争のために国債が多く発行され、貨幣流通量が経済取引が必要とする以上の量になったために、インフレが起こり、国民生活は苦しくなった。
外地からは引揚者が続々日本列島に戻ってくる。食料生産が間に合わない。上野駅では到着する列車で、地方から主食であるサツマイモをリュックにいっぱい詰めた乗客が降りてくる。コメの売買は統制されていたので、警察はそうした乗客がやみ米を持ち込んでいないか目を光らしていた。コメは配給制なので人々は外食券食堂で、配給になった食券を使って外食を楽しんだ(?)。
TANAKAは一度だけ山手線のガード下にあった外食券食堂へ行ったのだけど、何を食べたかは子どもの頃にことで覚えていない。
1946(昭和21)年12月27日に閣議で「傾斜生産方式」が決定され、翌1947年から実施された。これは石炭・鉄鋼・肥料の生産に限られた資材と資金を投入するという政策。金利は低く抑えられ、インフレ率よりも預入金利が低い、という異常な状況だった。
さらに1946年2月に新円切り替えが行われた。これは 第二次大戦直後のインフレ進行を阻止するために、政府は昭和21年(1946年)2月、金融緊急措置令および日本銀行券預入令を公布し、5円以上の日本銀行券を預金、あるいは貯金、金銭信託として強制的に金融機関に預入させ、「既存の預金とともに封鎖のうえ、生活費や事業費などに限って新銀行券による払出しを認める」という非常措置を実施しました。これが、いわゆる「新円切り替え」と呼ばれているものです。
(日銀ホームページから)
つまりこういうことだ「今の紙幣は使えなくなります。銀行へ預金しなさい。引き出すときには新しい紙幣を渡します。ただし、生活費の引き出しは世帯主月額300円、のちに100円、世帯員ひとり月額100円以内が限度で、それ以上は引き出すことはできません」つまり「1月を1人100円で生活しなさい」ということだった。「たけのこ生活」という言葉はその頃生まれた。
<不良マッチ退治から始まった「おしゃもじ主婦連」>
敗戦で混乱した日本経済はありとあらゆる面で、物不足が激しかった。コメは当然配給で、魚の配給もあったし、マッチさえ配給であった。そのマッチ、不良品が多く、不満続出であった。
その不満を訴えようと、1948(昭和23)年9月に「不良マッチ退治主婦大会」が開催された。これがきっかけとなって、10月に「主婦連合会(主婦連)」が結成され、各地で主婦の海を開催し、物価値下げ運動を呼びかけ、12月には「物価値下げ運動全国主婦総決起大会」を開催した。初代会長奥むめおは参議院選挙に当選した。
その後の主婦連は、「値上げ反対運動」「不良品追放運動」を実施していく。「女性が中心で、物価を問題にする」という点で、戦後消費者運動の1つの典型になった。
<大阪主婦の「米よこせ風呂敷デモ」>
戦後の物不足の昭和20年10月、大阪で「米よこせ風呂敷デモ」が行われた。これは、遅配・欠配の続く主食の配給に業を煮やした比嘉正子などが中心になって大阪・鴻の池の主婦たち15人が風呂敷を持って布施(現東大阪市)の米穀配給公団支所に対して抗議した事件。
これがきっかけとなって、昭和20年10月9日、「大阪府中河内郡盾津村鴻池新田主婦の会」(通称「主婦の会」)ができ、さらに「大阪主婦の会」、
「関西主婦連合会」が結成されることになる。
「主婦の会」は、主婦の店をつくり、これが消費共同組合主婦の店に変わっていく。こうした主婦の運動はGHQも評価していて、敗戦直後の関西における物価引き下げ運動に大きな影響を与えた。
<生産性本部主導の「(財)日本消費者協会」>
1961(昭和36)年7月、銀座東急ホテルで「(財)日本消費者協会」の設立発起人会が開催され、9月に「(財)日本消費者協会」が設立された。
発起人代表は、郷司浩平(生産性本部専務理事)、吉田英雄(東京商工会議所商業部会長)、滝田実(全労会議議長)、山高しげり(全地婦連会長)、奥むめお(主婦連会長)、氏家寿子(日本家政学会副会長)の6氏。
そして、初代会長は、生産性本部会長の足立正、理事長は野田信夫、専務理事には山崎進が就任した。
設立に当たって日本消費者協会は、次のような「消費者宣言」を発表した。
消 費 者 宣 言
経済活動は究極において消費生活の発展と、それによる人間能力の向上とを目的とする。したがって経済の基盤は、生産の終局の担い手である消費者の意志に支えられなければならない。
しかもいまわれわれは、新しい技術革新によって豊富な社会を迎えようとしている。この豊富な社会も良い品質と適切な機能を備えた商品やサービスが妥当な価格と正しい量目とで提供された時にはじめて理想的な姿において実現する。
それには経済の主権者としての消費者の発言と、構成な競争とが確保されなければならないことは言うまでもない。
ところが、主権者であるべきわれわれ消費者は、生産者や労働者にの団結力に比べれば、いまなお甚だしく微力であり、したがって未組織であり、ときには消費生活が不健全化し、その声はともすれば社会の底辺にかき消されがちである。
日本消費者協会はこの弱い消費者の声を代弁し、同時に消費者が主権者としての資格と権威とを確保するために全力を尽くすものである。
われわれは、ここに新しい力を呼び起こし、今後の運動の方向をつぎのように定め、消費者運動に邁進することを宣言する。
1、われわれは、正しい商品選択のための情報を消費者に提供するとともに、商品に対する苦情の処理に当たる。
2、われわれは、消費者の声を結集して生産者および販売者に伝え、消費者と生産者との間の疎隔を改め、わが国における消費生活の健全化をはかる。
3、われわれは、政府および地方行政機関に対し適切な焼死者行政の確立を要求する。
4、われわれは、消費者のための、消費者の声による消費社会の確立を期し、消費者主権の確立に邁進する。
5、われわれは、海外諸国の消費者団体との連帯を密にし、消費者の国際的団結を強化する。
日本消費者協会のホームページにはつぎのような説明がある。
財団法人日本消費者協会は、昭和36年9月に設立された、新しい時代の新しい消費者運動の推進機関です。一人一人の消費者にかわって、中立公正な立場で商品テストを行い、その結果を『月刊消費者』に掲載して、消費者の商品選択に役立たせます。また、消費者のために教育活動を行う一方、日常の苦情相談などを通じ、消費者を代表して生産者や流通業者、行政、業界団体等にその声を伝えます。私たちの活動をご理解のうえご支援ご協力をお願いいたします。
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<戦後の主要な消費者運動関係出来事>
1945(20) 10月・大阪鴻池の主婦「米よこせ風呂敷デモ」。11月・市川房枝などの新日本婦人同盟設立。
1946(21) 1月・鴻池主婦の会「主婦の店」開く。3月・松岡洋子委員長の婦人民主クラブ発足。5月・食料メーデー。
1947(22) 7月・独占禁止法施行、構成取引委員会発足。8月・皇居前で食糧確保国民大会。
1948(23) 7月・消費生活協同組合法公布。9月・不良マッチ退治主婦大会。「暮らしの手帖」創刊。10月・主婦連合会結成。
1949(24) 11月・主婦連が新橋駅前で「不良品追放デー」実施。12月・蛭つま会長の関西主婦連合会結成。
1950(25) 7月・日本労働総評議会結成。
1951(26) 3月・賀川豊彦会長の日本生活協同組合連合結成。
1952(27) 5月・血のメーデー。7月・山高しげり会長の全国地域婦人団体連絡協議会結成。
1953(28) 4月・平塚らいてふ会長の日本婦人団体連合会結成。9月・米価値上げ反対消費者大会。
1954(29) 8月・原水爆禁止署名運動全国協議会(原水禁)結成。
1955(30) 6月・第1回日本母親大会開催。9月・原水爆禁止日本協議会(原水協)結成。
1956(31) 12月・日生協、主婦連、婦人民主クラブ、総評、新産別などで全国消費者団体連絡会(全国消団連)結成。
1957(32) 2月・第1回全国消費者大会「消費者宣言」採択。7月・主婦連は不当表示ジュース追放運動始める。
1958(33) 1月・大日本製薬はイソミン(サリドマイド)大量販売。
1959(34) 1月・消団連、物価値上げ反対消費者団体連絡会議開催。3月・主婦連、第1回消費者ゼミナール開催。
1960(35) 1月・日本生産性本部「消費者教育室」開設。8月・主婦連「苦情処理の窓口」開設。
1961(36) 9月・日本消費者協会(日消協)発足。11月・主婦連、苦情相談窓口を35ヶ所に設置。
1962(37) 5月・大日本製薬イソミンによるサリドマイド事件発生。9月・サリドマイド系睡眠薬販売禁止。
1963(38) 10月・徳島地裁、森永ヒ素ミルク事件で、森永乳業に無罪判決。
1964(39) 4月・厚生省、合成着色料赤色1号と101号を使用禁止。9月・阿賀野川有機水銀被害者の会結成。
1965(40) 5月・第1回物価メーデー。
1966(41) 8月・主婦連、ユリア樹脂製食器からホルマリン検出等発表。
1967(42) 4月・全国的に牛乳値上げ反対運動起こる。7月・地婦連、千円化粧品と百円化粧品の効果に差はないと発表。
1968(43) 1月・水俣病対策市民会議結成。イタイイタイ病対策会議結成。5月・厚生省、イタイイタイ病を公害病と認定。
1969(44) 4月・日本消費者連盟創立委員会結成。
1970(45) 4月・日本自動車ユーザーユニオン結成。9月・消費者5団体、カラーテレビの買い控え運動開始。
1971(46) 3月・松下電器、公取委のヤミ再販審決成立。11月・自動車ユーザーユニオン幹部恐喝容疑で逮捕。
1972(47) 9月・消費者8団体、公取委に再販制度廃止を要望。11月・公取委、果実飲料表示に無果汁表示を義務づけ。
1973(48) 2月・石油タンパクの禁止を求める連絡会(石禁連)発足。
1974(49) 5月・創立委員会を解消、日本消費者連盟発足。10月・サリドマイド訴訟終結。
1975(50) 4月・厚生省、OPP使用の米国産グレープフルーツの流通・販売禁止。
1976(51) 6月・訪問販売等に関する法律(訪販法)公布。
1977(52) 6月・独禁法改正。10月・カネミ油症訴訟全面勝訴(福岡地裁)。
1978(53) 3月・スモン訴訟、金沢地裁で制約会社、国の賠償責任を求める判決。
1979(54) 9月・米スリーマイル島で原発事故発生。10月・金の先物取引で被害続出。
1980(55) 10月・東京都環境アセスメント条例成立。
1981(56) 4月・セールスマン登録制度発足。
1982(57) 5月・全国サラ金被害者連絡協議会結成。
1983(58) 5月・東北地方中心に新型ねずみ講発生。
1984(59) 5月・割賦販売法改正。
1985(60) 7月・全国豊田商事被害対策弁護団連絡会議結成。
1986(61) 3月・海外先物取引会社の破産相次ぐ。4月・ソ連でチェルノブイリ原発事故。
1987(62) 1月・農水省、特別栽培米制度導入。5月・全国霊感商法対策弁護士連合結成。
1988(63)