議員日記  2005年7月
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   2005 年 7 月 2 日(土)                                                                            
 都議会議員選挙  明日は投票日

   もう1年の半分が終わってしまいました。各地で水不足と集中豪雨という、気まぐれな梅雨模様が続いていますが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。

 いよいよ都議選は明日が投票日となりました。期日前投票は前回に比べてかなり増えているそうですが、実際の投票率はどうでしょうか。どうも前回2001年の数字(50・08%)までは届かないような気がします。

   国政選挙と違い、新聞各紙は大々的な情勢分析、議席予想はやらないようですが、毎日新聞による各選挙区の終盤情勢がHPにありました。
  その1(武蔵野市は激戦としています)
  その2
  その3
  その4(全般情勢)

   勿論、有権者の方々には是非権利を行使してもらいたいと思います。特に政治に無関心と言われる、「無党派」の人たちには、投票所に足を運んでいただくよう願っています。



                                             

   2005 年 7 月 5 日(火)                                                                            
 武蔵野市選出都議会議員もリニューアルされました!

   皆様ご承知の通り、武蔵野市では菅VS土屋の代理戦争と言われた今回の都議会議員選挙、松下玲子さんが当選しました(開票結果      7/5朝日新聞武蔵野版)。一人区なので、自民と民主の増減が「行ってこい」となり、選挙結果全体への影響も少なくなかったと思います。

   私も大野まさき市議会議員とともに、会派「むさしのリニューアル」のメンバーとして、微力ながらお手伝いをしてきました。選挙戦の最中、街頭での手応えは悪くないように感じていましたが、投票率も前回から大きく下がり、開票直前には浮動票頼みの民主党候補は不利かとも思っていました。
   そうでなくても、強固な組織を誇り、選挙戦術では一枚も二枚も上手な小美濃=土屋陣営に対して、善戦はできても、あと一歩のところで届かないという、これまで何度か見てきたパターンが再現さ
れる可能性が高いのではと密かに予測していましたが、見事に外れてしまいました。自分なりの結果分析は次回以降少し記してみたいと思っています。 

   それはともかく、現在民主党都議には「石原都知事に対してものが言えない」議員が相当数いるようで、内紛も伝えられていますが、松下さんには新人議員の一人として数の力で彼等をねじ伏せ、公約通り都知事に対して「ものを言う」都議会民主党にしてほしいものです。
   また市長と武蔵野市選出都議との関係は、これまで通りには行かないのは当然です。しかし、様々な場面で接点も多いと思います。キャリアには象とアリほどの差があっても、お互い政治家同士として、変なシコリを残さず、淡々と市民のために仕事を進めていただけるものと考えています。


 
                                             

   2005 年 7 月 7 日(木)                                                                            
 都議選  私なりの分析(1)・・・武蔵野選挙区の場合

   松下候補の勝因を考えてみます。
1)共産党を除き野党候補を一本化できたこと
   過去3回の選挙では2、3位の野党候補の得票合計は1位の自民系候補の投票を上回っていて、計算上は一本化したことで勝てる可能性が高まりました。しかし市長選挙では、共産を含む一本化に成功したときでさえ、土屋現市長に敗れているので、簡単な足し算というわけには行きません。
2)候補者がよかったこと
   民主党は玉石混交で、結構石も多いというのが私の持論ですが、松下玲子さんは磨けば光る素材だと感じました。いわゆる「落下傘候補」そのものでしたが、若さ、行動力、柔軟性があり、支持の輪が広がり易い候補者でした。それに松下政経塾や早稲田大学などのつながりで、多くの先輩・若手議員やボランティアが応援にやって来てくれたことも、大変プラスになったと思います。
3)菅直人前代表露出効果
   
菅前民主党代表が、殆ど連日街頭に立ち支持を訴えました。過去の都議選では例がなかったことのようです。特に最終日には市内をくまなく回りました。聴く側にしっかりと気持ちを届けるしゃべり方はさすがで、意気込みも十分に伝わりました。
4)土屋市長露出逆効果?
 
土屋市長が表でも裏でも総司令官であり、連日のように露出も多かったことで、熱心な土屋ファンの間では大いに盛り上がったのでしょうが、支持がそれ程強くない人たちには
「小美濃候補は、やはり市長と都の間のメッセンジャーに過ぎないのでは?」という印象が残った面もあったと思います。同候補の選挙公報や後援会のチラシの内容でも、市長が日頃言っていることとダブっていることが多く、独自性が不足していました。
5)相手側の油断 ?
 
 告示直前の野党候補一本化で、それまで楽勝ムードだった相手候補陣営のエンジンがなかなかパワー全開とならなかったのではないかとか、個人情報保護法施行の影響で組織の名簿が使いにくくなったのではないかとか、公明党から正式な推薦をもらわなかったのが響いたのではないかとか、土屋後援会の高齢化とか、いろいろなことが言われますが、推測の域を出ません。
6)パークシティー放送中止事件の影響
 
 前代未聞の公開討論会放送中止の経緯については、6/23の日記や読売新聞の記事をお読み下さい。この件は松下候補にはマイナスにはならなかった筈です。具体的に票にどう響いたかは到底分かりませんが、正直なところ、パークシティーを見ている人はそんなに多くはないと思われるので、当落に影響するほどのことはなかったでしょう。

      

   時々松下選挙事務所に顔を出しただけの範囲で気がついたことは、選挙全体を仕切る人がいないということでした。菅さんは気軽に街頭に立つものの、陣頭指揮はせず、細かいことは地元市議などに任せていたようでした。人数も足りなかったためでしょうが、選対では有名・無名の国会議員のスケジュールなどを確保するのが精一杯で、現場で何を話してもらうのか、どう動いてもらうのかなど殆ど詰めてはいないようでした。また実際にやって来てくれた応援弁士は、一部の例外を除いて、皆さん大変真面目な人が多く、堅い話が中心で、行き交う一般の人々に対するインパクトはイマイチのように感じました。
  そのほか、数十人が名簿をもとに、フル回転で電話作戦を展開していると噂された相手方に比べて、電話掛けなども不十分のようでした(この件では私は全くお手伝いしなかったので、ひとごとのようで恐縮です)。相手側は、告示後連日大小さまざまの「演説会」を開催し、組織固めをしていましたが、こちら側にはそんなものはなく、訴えるのは街頭のみで、相手方の動向も十分に把握していませんでした。
   選挙中何度も発行された「小美濃候補選対ニュース」を読むと、「着々と打つべき手を打っている様子の相手陣営は凄い」というのが正直な感想でした。例えば、チラシの市内全戸配布(約6万戸)にしても、ボランティアの力だけで3日間でやってしまうという組織の力は想像を絶します。
   振り返ってみて、低投票率の中で勝てたのは幸運だったと言う他ありません。結局、選挙は蓋を開けてみないと分からないという平凡な結論になるかも知れませんが、同時に、よく考えて判断してくれる有権者は決して少なくないと信じるべきで、軽率な先入観を持ってはいけないと、改めて思いました。



   菅前代表が多摩地区で応援した候補は、僅差で届かなかった三鷹以外はほぼ全員が当選し、これで自らの存在感も大きく回復し、都知事選出馬待望論が高まるのは確実です。もっともその前に総選挙もありそうで、確かなことは何も言えません。
   NHKの選挙特番で、今回の都議選では「土屋市長は自らの組織を総動員し、自分の選挙のような力の入れようだ」と紹介されていましたが、この敗北で危機感を強め、2年後に備え徹底的な引き締めを図るのは確実です。反土屋側としては、民主党主導で、というより菅さんが本気で前面に出て、能力も魅力もある候補者を引っぱり出さないと、市長選の勝ち目はないと思います。
   土屋市長は街頭で盛んに「菅の時代は終わった」と叫んでおられましたが、今後の展開次第で、その言葉は市長自身にも跳ね返ってこないとも限らないのではないでしょうか。


                                             

   2005 年 7 月 9 日(土)                                                                            
 都議選  私なりの分析(2)・・・東京都全体

   同時爆弾テロ勃発で、G8サミットもかすんでしまいました。1週間前の都議選のことなど、多くの人々には忘却の彼方の出来事になりつつありますが、もう少し選挙を振り返ってみたいと思います。


1)自民は微減だったか?

   自民は改選前の51から48議席で、微減だったという報道が一般的ですが、詳しく見てみると、前回2001年には公認53人+今回自民党公認で立候補した、保守系無所属2(武蔵野、西多摩)の計55人が当選していて、保守系無所属1(江戸川)を加えた49人にとどまった今回は、「自民敗北」とした東京新聞の聞の見出しは間違いではないと思います(小泉ブームと言われた前回は上位当選が多かったものの、当選者数は前々回と殆ど変わりませんでした)。
   公明党からの出馬がなかった選挙区では、自民党公認候補は19勝2敗と圧倒的な好成績で、公明党が自民党を下支えしていることもハッキリ見て取れます。


2)民主党について

   民主党は国政レベルで争点を全く作ることが出来なくて存在感が薄いのみならず、都議会では浜渦問題では逃げてばかり(百条委員会での証言を拒否した政調会長は落選)で内部分裂、都知事には無批判、中には教育長(次期副知事)にヨイショ質問して、学校での日の丸・君が代の徹底、類を見ない厳しい処分政策を後押しするような議員もいたり(残念ながら土屋というこの議員は再選 )、ハレンチ事件を起こして逮捕される都議がいたりするなど、無残なありさまでした。数を減らす材料には事欠かなかったのに、この低投票率のもとで、倍近くに増やせたのは、一つには都選出の国会議員が増え、中には長妻昭議員のように、誰の目にも見える実績を上げている人もいることで、民主党に対する一定の支持基盤が出来つつあること、もう一つは政府税調会長が、選挙告示直前になって給与所得控除の縮小廃止など、サラリーマンを直撃する増税案を発表したことが格好の自民党攻撃材料になったのでは、と思っています。
   しかしながら、例えば都議の政務調査費(年720万円)について、党として領収書添付に反対していたのに、立候補者アンケートでは、世間の見る目が厳しいと感じたのか、殆ど全員が「領収書添付必要」と答えるなど、見え透いたやり方を続けています。これではすぐにしっぺ返しを受けるでしょう。

[ 7/10追加 ]
   小沢一郎さんやそのグループの人たちが「自民党より少なかったのだから負けは負けだ」などと言っているようですが、それはやっかみでしょう。そして鳩山由紀夫元代表を復活させる、幻のクーデター計画があったというのですが、鳩山さんの名前が出るとは噴飯ものです。小沢さんの頭の中はどうなっているのか、サッパリ分かりません。


3)公明党は?
   
全国的に目立った選挙がないこの時期、全国から学会マシンが発祥の地東京に駆けつけてフル稼働したことは容易に察することができます。低投票率ともなればトップ当選続出というのも当然です。(投票率を巡っては「投票に行かない無関心層」対「公明党」の戦いという側面があります。三鷹市議の増田仁さんが、無関心層を政党に見立てて面白い意見を発表しています)。


4)共産党への2つの疑問
 
共産党は少数野党として一定の存在意義があると思います。国会でも佐々木憲昭衆院議員などがいなくなれば、論戦がますますつまらなくなること必至です。今回の都議選では微減でしたが、現状に不満な無党派層からそれなりの支持を集めるという体質に変化しつつあるようにも見受けられます。しかし、これまで長い間全国で続けてきた原則全選挙区で候補者を立てるやり方は、人的にも物的にも資源の無駄で、結果的に自民党を利するだけだと思います。天敵の公明党を見習って、見込みのあるところにエネルギーを集中した方がよいのは明白だと思いますが、なぜそれができないのでしょうか。
   また今回都議会議員の海外視察費用について、高額な費用を使ってやる意味があるのかと、党を挙げて主張していました。私も公費視察はやめるべきだと思いますが、都議の海外視察については6〜7年前、前文京区議の若林ひとみさんが、独自の調査で不正支出を追求し、裁判でも勝訴して、水増し費用を都に返還させたケースがありました(この後2001年まで、都議の海外視察は中止されていました)。この時共産党は特に声を上げていたという記憶はなく、若林さんの功績には一切触れないで、海外視察の問題を選挙の材料に使っていたのは、ちょっとフェアでないような気がしました。


5)
その他
 
 生活者ネットは登場してきた頃の鮮度が薄れてきた上に、民主と支持層が競合するのが響いたのでしょうか。恵まれた専業主婦の集まりで、切実感が足りないという声も聞きました。
   社民党はもう終わっているのかも知れません。世田谷区から出ているただ一人の候補者の応援に福島瑞穂党首が駆けつけて演説をしているのを聞きましたが、全く迫力を感じませんでした。

   私が応援してきた「行革110番」の後藤雄一さん(世田谷選挙区)が当選したのには大きな意味があります。今回、民主党などが「税金の無駄遣いを許さない!」とキャンペーンを行っていましたが、これは長年にわたって後藤さんが主張してきたことです。後藤さんが20年前頃にオンブズマン活動を始めた時にはどの政党も見向きもしなかったテーマを、政党が後追いするようになった訳で、たった一人の市民の活動に大きな意味が生まれたと感じます。後藤さんにはちょっと変り者のところがありますが、地域の中で独自に活動を続けるその存在そのものが、今の政党や議員のあり方に大きな問題提起をしていて大変貴重です。


   上にも書いたように、政党は個人の成果を安易に利用する傾向があります。武蔵野市議会でも、私が市議になる前、裁判で勝訴した「市長・市役所交際費」問題について、何人もの議員が質問などでよく利用しています。政党を名乗っているなら、もっと組織力を生かし、自分たち独自の視点で問題の掘り起しをしてほしいものです。例えば最近急に大問題になったアスベストの被害について、政党は、労働組合は、医師会は、マスコミは、そして厚労省は、今まで一体何をやってきたのでしょうか。
   議員もしっかり働かないと、それこそ、税金を食いつぶして何をやっているのか? ということになるのではないでしょうか。


                                             

   2005 年 7 月 13 日(水)                                                                            
 都議選  こぼれ話(その1)

   今回の都議選では短い期間でしたが、民主党の松下玲子さんの選挙のお手伝いをしました。次々と応援に来てくれた、普段会う機会のない有名人を間近で見ることができ、ミーハー的には大変興味深い経験ができました。私なりの国会議員観察記録を少しお伝えします。

1)岡田代表には不思議な力を感じた。
   今回武蔵野市に数回応援に入った岡田民主党代表は、正直言って「演説」はそれ程上手いとは感じませんでしたが、どこかどっしりした落ち着きと、人を惹きつける雰囲気があり、若手議員からも慕われているようでした(親分肌という訳ではありません)。隠れた一面が窺い知れたのは7/1の夕方、吉祥寺駅北口で演説をした後のことです。岡田代表が、一人でドンドン練り歩きをしてしまい、後からSPの人たちが慌てて追いかけました。ロンロンの正面入り口あたりで、岡田代表が人相のあまり良くない上背のある2人組みとにらみ合いました(その筋の人達に見えました)。こんなところで喧嘩になったらどうしようと心配しましたが、岡田代表は全く慌てずに、彼等とにらみ合った後、自分からさっと手を差し出したのです。2人組もちょっと間をおいて岡田代表の手を握りました。腰が据わっているのか何なのか、とにかく迫力があったことは確かです。私はデジカメは持っていたものの、この場面を冷や冷やして眺めていただけで、シャッターを押すことを忘れていました。テレビで見ているだけではわからない、岡田代表のちょっとしたエピソードでした。
7/1 吉祥寺駅北口で  岡田民主党代表 同左  中央が岡田代表

7/2 武蔵境南口で 蓮舫参議院議員

2)早口の蓮舫(れんほう)参議院議員
  蓮舫さんは元タレントであり、キャスターでもあり、スタイルもセンスも抜群で、応援演説にはいつも人垣ができました。すごい早口で演説します。7/2の投票日前日、武蔵境駅南口のイトーヨーカ堂の前で、3回くらい演説をこなしていた時のことです。彼女は「子育て支援」をテーマにしているので、通りかかる若い家族連れに上手にアプローチしていたのですが、声を掛けられた子どもから「もっとゆっくり話した方がいいよ。」と言われたのです。集まった観衆からはドッと笑いが起こりました。しかし、彼女は慌てずに「ア・ド・バ・イ・ス あ・り・が・と・う」とゆっくりと答えました。実生活では双子のお子さんを育てているとのことで、子どもへの対応は慣れているとは言え、この辺の機転は天性のものだと感じました。他の選挙区でも連日応援演説を続けている中、このようなアドリブで反応できる国会議員はそれ程数は多くないかもしれません。



   選挙演説では、きれいごとばかり並べる議員が相変わらず多いようですが、多くの有権者はその辺の「嘘」をかなり見抜いているようです。今回も駅頭演説に協力して、演説する側が「自己満足」に浸れば浸るほど、聴く側はかえって白けてしまうと実感しました。聴き手が何を感じているか、空気を敏感にキャッチすることこそ、議員にとっての大切なコミュニケーション能力かもしれません。

                                             

   2005 年 7 月 17 日(日)                                                                            
農水省跡地(武蔵境駅南口)に建設予定の多目的施設について説明会がありましたが・・・
 於:スイングホール    7月14日(木)午後7時〜9時    参加者約60名

   「農水省跡地利用施設建設基本計画策定委員会」という長い名前の委員会がまとめた、多目的施設「(仮称)武蔵野プレイス」の報告書の中身について、市民に向けて初めての(そしておそらく最後の)説明会が開催されました。前段階の「新公共施設基本計画策定委員会」で基本構想を練り、H16年2月に開催された市の設計プロポーザルコンペで、建築家の川原田康子さんが最優秀に選ばれたあと、今回の委員会ができ、市側の委員(教育長・助役・部長等)8名と、デザイナーの川原田さん、外部の委員3名の合計12名で討議が重ねられ、今年3月に報告書が出たというのがこれまでの流れです。前段階の委員会では会議の傍聴を認めていましたが、今回の委員会は傍聴を認めず、一切非公開で、議事録も要録だけ、発言者の氏名も伏せたものでした(会議を非公開とし、発言者氏名も出さない理由は「発言者の自由な発言を担保するため」という、いつもながらの陳腐なものです)。選考後に市民からの意見を聴く場も一度もなく、今回が市民との初めての対話の機会で、座席はほぼ一杯でした。TBSテレビ「NEWS23」のカメラ取材も入り(いつ放送するのかは不明)、各新聞社の記者も来ていました。
   説明会は、まず午後8時頃まで担当の課長から今回の建設基本計画の概要説明、次に川原田さんから設計コンセプトの説明があり、その後約1時間が市民からの意見を聞く場となりました。批判的な意見が圧倒的でしたが、市側は「きちんと手順を踏んできた」というような反論しかできず、答になっていませんでした。また、こんな重要な場になぜ市長が出てこないのか解せませんでした。以下私が見聞きした具体的な内容をお知らせします。

1)建設費61億円と維持費に対する市民の厳しい意見
  何人もの方から、建設予算約61億円(建物54億円+公園整備他7億円)は本当に妥当なのか?という声が出ました。行政側の答弁は「あくまでも粗々(アラアラ)の予算に過ぎない」というものでしたが、61億円もの巨額な予算が粗々で決められることこそ大きな問題ではないでしょうか?  また、
61億円の財源についても質問が出ましたが、本来こういった点は、事前に説明するべき最重要な項目のはずです。市民から質問が出てやっと、「起債」で充当します、と大雑把な説明があっただけでした。市民には市の財政について説明してもわからないと思っているとしたらとんでもない思い上がりです。市民はコスト対効果に対して行政側が考えている以上にシビアになっています。毎年負担になる維持費、運営費についてもそうです。
   また、こういった「ハコモノ」の建設コストは、必ず予算オーバーするというのが、全国的に当たり前のようになっています。今後も厳しい監視が必要です。
2)「貸し室」は6つも必要か?
   3階の「市民オフィス」にある6つの貸室については「すぐ近くに同じ貸室機能があるスイングビルがあるので、必要性を感じない」との声がありました。さらに、スイングビルの貸室の稼働率についての質問がありましたが、市側はデータを準備していないとのことで明確な答弁がありませんでした。こういった関連質問は当然予想されることなのですから、正確な数字を用意するべきです。ずいぶん市民を低く見ているな、と思いました。   
3)川原田さんへ市民からの質問次々
@なぜ低層建築からハコモノへなったのか?
   川原田さんがプロポーザルコンペで選ばれた時は「低層」のプランでしたが(週刊きちじょうじから)、選考後の基本計画では行政側から押し切られた形で、延面積約10,000u、4階建てのごく一般的な建物に変更になったと受け止められても仕方ありません。この点について、「コンペで落選したアイディアに似たプランになってしまったがどうしてか?(他の応募者の提案はこちらから)」との質問がありましたが、川原田さんからは説得力ある説明はありませんでした。不本意なプランを押し付けられ、苦しい胸の内だと思います。
A市民不在のプランではないか?
   報告書では「市民の主体性を重視する」となっているが、「この計画をまとめるプロセスが非公開で、市民からの意見が聞く場も持たなかったのはどうしてか?」との質問がありましたが、明快な回答はありませんでした。
B報告書の中身が何を言っているのかがわからない。
   この報告書「武蔵野プレイス(知の森へ誘う)」の中身が横文字が多くて、具体的に何を意味するのかがわからない。これに対する説明も繰り返しに過ぎず、抽象的でよくわかりませんでし
た。

   一番の問題は、この計画策定過程の不透明さです。デザイナーの川原田さんと市民の意見交換は報告書が出来上がって、設計も大筋が固まった今回のこの場だけです。今年1月に非常に短期間「市民意見」を市報で募集し、それでも39件の意見が寄せられた(こちらのページの資料5、 私も提出しました)ということがあり、この中でも大型施設に批判的な意見が多かったにも拘わらず、市長の市議会での見解は「ずっと反対してきた特定のグループからのものが多いことは想定の範囲」というような頑ななものでした。利用する市民の意見がプロセスに反映されずに、いくらきれいごとの言葉を報告書で並べても説得力は持ち得ません。非公開の委員会の中でこの計画をまとめた理由を問われ、担当室長からは論理だった説明はありませんでした(答弁者はH企画政策室長・K助役・川原田さんだけで、担当課長は全く質問に答えませんでした)。

   市民不在のまま、プロセスが進んできたことついて、7/15の読売新聞でも大きく疑問が指摘されました。同日の東京新聞でも、この日の説明会のことは記事になりました。しかし2紙以外では、7月17日現在、全く取り上げられていません。
   次回は武蔵野市におけるマスメディアの現状について書いてみます。根深い問題が横たわっていると思います。

                                             

   2005 年 7 月 23 日(土)                                                                            
 武蔵野市の言論の自由について考える

1)ヒット連発! 読売新聞
   これまで何度かお伝えしてきたように、このところ読売新聞武蔵野版では、5/27「作家で武蔵野市名誉市民の丹羽文雄氏遺族に弔慰金100万円」(議員日記では6/5)、6/24「ケーブルテレビによる都議選立候補者予定者公開討論会を突然放映中止」(同じく日記6/23)、7/15「武蔵境駅前多目的施設の具体化会議がずっと非公開」(日記7/17)など、かなり大きな扱いで、武蔵野市で起きた出来事について、疑問又は問題を提起する記事を次々に掲載してきました。
   ところでこういった記事が出たあと、読売の支局には数日間、市の課長や匿名の市民(しばらく話をすると市の関係者ということがすぐ分かるそうです)から、「感想」という、実態は抗議や嫌がらせの電話が沢山掛かってくるそうです。支局に問合わせて分かりました。
   一連の状況を眺めると、読売が単独でスクープを連発中と言えなくもありませんが、他紙は知らんぷりを決め込んでほとんど記事にしないようです。これは一体どうしたことでしょうか ?

2)武蔵野市に言論の自由はあるか
   狭義に武蔵野市と言えば市役所のことを指すと考えますが、市役所内に「言論の自由」はあります。但し一人だけに与えられています。幹部も含め職員が自由に物が言える雰囲気はありません。先の6月市議会で、大野まさき議員が一般質問の中で、JR西日本の事故の背景に組織の体質の問題があるのではないかと言われていることに関連して「(武蔵野市役所には)何か問題が発生したときに、部下が上司に対して問題提起できる環境はあるか」と訊いたのに対し、市長は「武蔵野市役所は風通しがいいと思う」などと答えましたが、その時議場に鎮座している大勢の幹部職員の間には、一瞬シラけたムードが漂っていたように感じました。また中堅の職員の中には「(上から厳しく言われることもたまにあるが、自分で考える必要がなく、指示されたことをやっていれば済むので)仕事としては楽な面がある」という人もいます。これを聞いてガッカリすると同時に、「市役所の中は下から物が言いやすい環境ではない」と言っているようなものだとも思いました。


   武蔵野市をカバーする新聞各紙やテレビ局、それに地元のケーブルテレビなどはまともな報道をしているでしょうか。注意して見るようになったのは6〜7年位前からですが、いくつかの問題事例を見てきました。

1)「千川小学校の地域開放の遅れ」(毎日新聞武蔵野版1998年10月)
2)「3市の情報公開制度を比較  武蔵野市には問題が多い」(朝日新聞武蔵野版 2000年1月)
3)「 前市長死去で高額弔慰金を支出」(読売新聞全国版朝日新聞全国版 2002年2月)
4)「ムーバス路線新設に住民反発」(※アサヒタウンズ 2002年3月)
5)「パークシティー中学校給食特集放映中止」(2003年8月)・・・'03/9/22の日記等参照  
6)「パークシティー公開討論会を突然放映中止」(2005年6月)・・・6/23の日記参照
   ※アサヒタウンズ・・・朝日系列の多摩地区のローカル紙で、週1回朝日新聞夕刊に折り込み配布される

   1)〜 4)の新聞記事については市から執拗な抗議があったと聞きました。新聞各紙をくまなくチェックしている訳ではありませんが、記事掲載後、各紙では武蔵野市に批判的な記事は殆ど見あたらなくなりました(最近の読売は例外です)。1)の毎日、2)の朝日、3)の読売の記事を書いた各記者は、掲載後しばらくして転勤になりました。勿論表向きは通常の人事異動とされています。
   5)、6)について、毎年、市からの番組制作の委託(年間予算約1,800万)を受けているパークシティー(武蔵野三鷹ケーブルテレビ)は武蔵野市から抗議があったとは言っておらず、自主的な判断で放映を中止したとしています。

   メディアとの関係では、数年前武蔵野市の食糧費を情報公開請求した方がいて、開示された資料を見ると、個別の新聞社や記者クラブのメンバーと、年に何度か税金を支出して市長や市幹部との懇談が持たれているのが分かりました。
   行政とメディアは多くの場面で協力・協調関係にあり、情報交換を円滑に進めることは必要ですが、同時にメディアの側では常に緊張関係を維持しているかどうかも問われている筈です。料亭での密談のようなことが常態化していいとは思えません。それも税金を遣ってとは言語同断です。
   近年、市の行政の問題点や市役所内部の不祥事などが報道されることの少ない武蔵野市ですが、実際にそんなことがないから報道されないのか、それとも、キチンと報道し責任の所在も明らかにすべき事件が見逃されていないかどうか(たまたま市議会でひっそりと報告されて分かった、昨年3/16のところで書いたようなケースです)、メディアには本来の力を発揮して、市民に真実を伝えてほしいものです。

3)全戸配布される怪文書
   6/22にも触れましたが、選挙の度に野党候補を攻撃する文書が、市内全戸にポスティングされることは恒例の行事のようになっています。保守系市議の署名があったり、全く正体不明の団体名のものだったり、いろいろで、どこで作り誰がばらまくのか、これまで追求されたことはありませんが、こういうものは武蔵野市にはふさわしくありません。

   以上、多くの事例を並べてみて、「武蔵野市の言論は重大な危機に瀕している」「武蔵野市に真の言論の自由はない」というのが私なりの結論です。こんな状況には早く終止符を打たねばならないと考えます。


                                             

   2005 年 7 月 26 日(火)                                                                            
 「市民の党」のこと

   大野まさき議員と議会内会派「むさしのリニューアル」を結成して約2ヶ月経ちました。その間市民の方から「市民の党と一緒に組むことにしたのか?」とか、逆に「市民の党とは一緒に活動しないのか?」という質問を何度か受けました。私自身はこれまでと同様に、政党には属さず、無所属であることに変わりはありません。
   一方「市民の党」には、綱領や党則、党組織などはなく、法的には政党に該当しないということで、大野まさき議員の立場も元々「無所属」であり、議会内会派としてのみ「市民の党」に属していました。また、前回の自身の選挙では独自に選挙運動し、当選後も専ら個人として活動をしてきたそうですが、個人的に親しくしてきた、何人かの各地の「市民の党」の議員や革新系の議員との協力関係は現在も保っていると聞いています。
   正確には政党ではないとしても、市民の党は一定の主義主張を持ち、首都圏を中心に各地で運動や選挙応援を展開してきたことは事実です。これまで「市民の党」に属した経歴があり、今も多少の関係のある人と会派を組む以上、ここで私自身が市民の党についてどう考えるか、明らかにする必要があると思い以下に記します。

1。 武蔵野市の市民の党について
   武蔵野市民の間では「市民の党」に対して、熱心な支持者、強い拒否反応を示す人、市政に関心がないのでよく知らないかどうでもいいと思っているその他大部分の人、に分かれると思います。
   武蔵野市議会で「市民の党」を身近で見聞きしてきて、一部に共感するところと、何点かの疑問がありました。

1) 共感できるのは、行政側の問題点を批判する姿勢がはっきりしている点です。他の会派に比べて山本議員や大野議員は共にスタンスが明快で、率直に問題提起をすることが多いと感じてきました。過去の武蔵野市議会の議事録を見てもそうです。また、実際に数年前の武蔵野市の情報公開条例の改正に向けては、市民の党の議員は行政側に突っ込んだ質問をしていました。また過去には武蔵野市土地開発公社の問題点や疑惑の追求、最近では入札制度の問題などについてかなり中身の濃い質問(山本議員)をしていました。こういった点は評価できます。
2) 自分の所属する委員会以外の傍聴はあまりしないせいか、個々の案件について、状況が変わっているにも拘わらず、以前と同じ質問を繰り返すということが何度かありました。
3) 市政に対する批判が一本調子でストレートすぎ、「どうすれば少しでも状況を改善させられるか、自分たちの要望を取り入れさせられるか」という戦略がなさそうなのが気になりました。
4) 「市民の力で政治を変えた」という具合に、「市民」という言葉を特別な意味に使っているようですが、保守候補を支持した人も勿論「市民」の訳で、個人的にはこういう表現の仕方には違和感があります。

2.市民の党全般について
1) 各地の首長選挙や国政選挙で、革新系無所属候補などを勝手連的に熱心に応援することが多い。仲間を増やそうとする意図かも知れないが、所属する自治体議会での活動とのバランスに疑問があり、選挙で当選させることが目的化して、それに活動を集中する傾向が気になる。
2) 都心に事務所を構えているようだが、活動資金はどうしているのか。・・・これについては、各地の現職議員がかなり多額の寄付して賄っているとを聞き、一応納得できました。
3) いくつもの名前の変遷を経て、現在「市民の党」となっていますが、過去についてはインターネットなどで多くの情報が流れています。しかし、責任者がキチンと説明するのを聞いたことがありません。
4) 何よりも「市民の党」の政治的な目的は何なのか。今なおマルクス主義が正しいと信じて運動しているのか。もし、そうであればあまりに現実離れしています。

   都議選終了後、聞いたことのない名前の「市民の党の真実を知らせる会」から『市民の党を知っていますか?』 という、A4で4ページのチラシが市内に配布されています。このタイミングで配られるのも奇妙な話で、保管や処分に困ったのかも知れません。中身は過去の市議会での議事録や決議、意見書などを詳細に調べ上げて作ってあるところから、出どころは容易に推察できる、というよりバレバレです。
   この中には「異常なまでに北朝鮮を擁護」「個人情報を不法入手未遂」など、仰々しく悪意に満ちた、誇張やすり替え、嘘が充満しています。私も「まず国交回復を」などという、北朝鮮に対する市民の党の甘い姿勢は全く容認できませんが、チラシのように「市民の党は金正日の代弁者」とまでは思いません。
   しかも、このチラシで特に問題なのは「予算・決算に毎年反対」と非難していることで、これは市議会でも、ことあるたびに市長が野党を批判して言っていることと同じです。国会で首相が野党に向かって、こんなことを言ったことはない筈です。予算・決算に反対することがいけないのなら、野党不在の翼賛政治が理想とでも言うのでしょうか。理解に苦しみます。
   このチラシでは全体として、市民の党を「恐ろしいマルクス・レーニン主義者集団」と捕らえているようですが、これは過大評価で「まだ政党にもなれない左派グループ」「今後成長するのか消滅するか分からない存在」だと考えています。



   大野議員は、「市民の党」の前身が、自治体選挙に多数の候補者を送り出すようになってから参加したので、昔のことは殆ど知らないということです。また、私が2年前に当選した後、「パークシティー放映中止事件」の取り上げ方など、市議会内で助言やサポートをしてもらいました。今回会派を組むという決断は決して急に思いついた訳ではなく、十分やっていけると判断した結果です。これからは、1+1が2以上になるように、それぞれが持ち味を発揮してやっていきたいと思っています。


                                             

   2005 年 7 月 30 日(土)                                                                            
 「市民の党」のことについて追加と一部訂正

   前回7月26日に書いた「市民の党のこと」について、昨日幹部の一人から一部事実と違うという抗議の電話がありました。その内容は
1) 大野まさき議員は、1期目は「市民の党」の前身の政治団体(政治団体は政党とは違い、構成要件は緩やかです)「護憲リベラル」から、2期目は 同じく政治団体「市民の党」から立候補した。3期目は前回書いたように、無所属で立候補、当選後議会内会派としての「市民の党」に属していた・・というのが正確のようですので、このように訂正します。  
またまた訂正ですが「護憲リベラル」は、国会議員5名以上など、政党の要件を満たしていたことが分かりました。細川内閣〜村山内閣にかけて政党の離合集散が盛んだった時期、社民連の田英夫、社会党の国弘正雄などの国会議員を中心に結成されましたが、ごく短命に終わりました。(2005/8/01 記)
2) 大野議員は3期目の選挙でも、事前ポスターでは市民の党幹部とのツーショットのものを作り、市民の党支持者のところに貼らせてもらった、市民の党の名簿も使った。

ということでした。2)の「市民の党の名簿を使った」という事については、大野さんがその地域の市議として活動してきたことから、自身で開拓した人達が少なからずいるわけで、上から与えられた名簿をそのまま使ったわけではない・・・こういう反論も一応成り立つと思います。

   この幹部の方には、以前「多摩地区に突然現れるまで何をしていたのですか」と直接電話で聞いたことがありますが、具体的な説明はありませんでした。それはともかく、自分達がスカウトし、面倒をみてきたのに、離れていった議員に対して、怒りや恨みがつのるというのは理解できますが、「市民の党」のことを余程よく知っている人以外、誰も気にしないような随分些末なことにこだわるのだなあ
・・・というのが、抗議を聞いての率直な感想です。

   今、市民の党が何より急いでやらなければならないのは、先日バラまかれた怪文書(こちらで触れました)に対して、ホームページででも何でも、直ちに反撃することではないでしょうか。「あんなものは相手にしない」という態度では、今後もあることないことを材料にして、同じようなことが繰り返されるのは間違いないと思います。