京洛諸本山の現況

天文5年(1536)天文法華の法難により、法華宗21本山は本寺を焼失、堺の各々の末寺に避難する。
天文11年前後に洛内遷住が勅許され、各々旧地あるいは寺地を拡大して、法華宗15本山(後16本山)として再興される。

それから450年余り、豊臣・徳川の時代(寛文の法難、寶永の大火、天明の大火)・ 明治維新(元治の兵火・廃仏)・第二次世界大戦を経て 京洛の法華宗16本山の現況(2000年5月25日現在)は大雑把には凡そ以下の状態である。

時代の変遷は早く、今記録しておかなければ、失われるものが、特に、京洛の法華宗諸山にはあるだろう。
そして、 過去、過酷な時代を生きてきた法華宗の上人たちの生きてきた「証し」あるいは 微かな「気配」と言うようなものが法華宗諸山には残されているだろう。

京洛の諸本山の現況を一言でいえば、残念ながら、諸山が活動してきた痕跡はすでに崩落しつつあるあるいは崩落1歩手前であり、 このまま放置すれば、 やがていつの日にかは、今ある痕跡すらなくなるであろうということであろう。
(例えば本圀寺の旧伽藍地・六条は、本圀寺本寺はすでに無く跡地は本願寺に摂取されたような形であり、西側や北側の塔頭が辛うじて存続している状況であるが、ここが本圀寺跡とは想像できない「崩落」ぶりである。また妙満寺跡地は駐車場や京都市施設になり全くその存在を覗わせるものはない状態である。)
情緒的な表現をすれば、
「ただいたずらに広大な境内を有し」、 「すでに人々の信仰の対象とはなり得てはいず」、 「堂塔は荒れ果て」、 「大半の諸山は時代の趨勢あるいは市街地化のためとはいえ<駐車場>と化し」
・・・・・とはいえ
「しかし仔細にみれば偉大な上人たちの足跡と息吹を感じとることが出来る諸山」・・・・といった表現が思い浮かぶ。

京洛本山の概要及び現況は下記の通り。・・・・・※洛内法華宗21ヶ本山(創建順)

01.妙顕寺(日像、元亨元年1321) **.要法寺(02.上行院 日尊、暦応2年1339・04.住本寺 日大、貞和2年1346頃)
03.大妙寺(日行 暦応3年1340) 05.本圀寺(日静、延文2年1357頃) 06.弘経寺(日誉、永和元年1375)
07.妙覚寺(日実、永和4年1378) 08.妙満寺(日什、元中6年1389) 09.宝国寺(日善、応永8年1401頃)
10.本禅寺(日陣、応永13年1406) 11.本満寺(日秀、応永16年1409) 12.本能寺(日隆、応永22年1415)
13.立本寺(具円、応永23年1416) 14.妙蓮寺(日慶、応永30年1423頃) 15.学養寺(日讃、応永34年1427)
16.妙泉寺(日舜、永享3年1431) 17.本覚寺(日延、文安元年1444) 18.本法寺(日親、寛正4年1463)
19.頂妙寺(日祝、文明5年1473頃) 20.妙傳寺(日意、文明7年1475) 21.本隆寺(日真、延徳元年1489) 

番外

 寂光寺・・・近世には妙泉寺を寺中に迎え、洛中16ヶ本山に数えられる。
 宥清寺・・・江戸末期成立・本門仏立宗本山・・・新興本山
 宝塔寺・・・妙顕寺末寺、現在も法華宗の伽藍構成(諸堂配置・一山多院制)を良く残す。

 文献上の塔婆・伽藍

2023/08/02追加:
 参考:
  弘経寺 宝国寺 学養寺 本覚寺 大妙寺 (京都21本山の内)


2006年以前作成:2023/08/02更新:ホームページ日本の塔婆