ヤマさんの ここに注目!('07)
とさ・ピクかわら版掲載
[発行:とさりゅうピクチャーズ


『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』
 カンヌ映画祭で国際批評家連盟賞に輝いた『EUREKA ユリイカ』以上に、前作レイクサイド マーダーケースで唸らされた青山真治監督の作品だ。今回は、極端に少ない台詞のなかで音楽と映像にこだわって二時間近くの映画にしてあることの“映像と音楽の緊密度”が一番の注目どころ。
 浅野忠信・宮崎あおい・筒井康隆・川津祐介・岡田茉莉子といったキャスティングもなかなかの魅力だ。とりわけ今をときめく宮崎あおいは、視覚伝染して自殺を促す“レミング病”を引き起こすウィルスなどという、時代的にもやけに暗示的で象徴的な代物に感染するハナを演じていて、キャビネを観ても、目隠しをして彷徨う姿が絵になっていることが窺える。語られるドラマを受け取るのではなく、目と耳に訴えてくる刺激のなかにドラマを感じ取る類の映画だと思われるので、またしても、激しく賛否が分かれそうだ。
 十字架に磔にされたイエスの最後の言葉として著名な「神よ、神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」を映画タイトルにしていることの意味を自分なりに見出せることができれば、ちょっとニンマリできるんじゃないだろうか。どっちに転ぶか、今から観るのが楽しみだ。('07. 1.12/13.号)


かもめ食堂
 僕は荻上直子監督作品を苦手にしていて、最初に観た『バーバー吉野』('03)の後、『恋は五・七・五!』('04)、『星ノくん・夢ノくん』('00)と、ほぼ全作品を観てるのだけど、妙に運びにあざとさを感じたりして、素直に笑えなくて相性が悪いと感じている。ところが今回の物語は、初めての原作もので少し風味が異なっているようで、その塩梅加減が僕にとっての一番の注目どころだ。
 小林聡美・片桐はいり・もたいまさこという個性派女優の取り合わせも楽しみだが、フィンランドに舞台を構えてアキ・カウリスマキを意識したらしい作品のオフ・ビートな笑いが本家にどこまで迫れているのかが大いに楽しみなところ。しかも、最後にはカウリスマキ作品とはむしろ対極にあるような幸福感が待っているとも聞こえてきている。何とも不思議な映画のようだが、これで僕との相性の悪さが払拭されることになれば、嬉しいところだ。それにしても、ヘルシンキの“おにぎり食堂”だなんて、何ともトボけてるよな〜。('07. 2.16/17.号)


酒井家のしあわせ
 ほとんど情報らしき情報を得ずしてきている作品のうえに、原作・脚本・監督ともに担った呉美保についても何も知らないから、注目どころも何もあったものではないが、このところ随分と増えてきている女性の監督・脚本作品という点が心惹かれるところだ。これまでに「とさ・ピク」が取り上げてきた唯野未歩子や安田真奈、荻上直子、あるいはゆれるで強烈な印象を残してくれた西川美和などと、どう異なった個性を見せてくれるのかが、現時点での僕の一番の注目どころだ。
 邦画ブームの火付け役だったように思える世界の中心で、愛をさけぶの大ヒットの後、昭和レトロを流行らせたALLWAYS 三丁目の夕日のヒットは、もう一つ、家族もの映画の流行をも後押ししたような気がするが、この作品は、その流れのうえにもあるように思える。そして、その主題は、とりわけ女性作家の目に留まりやすいようだ。思えば、唯野未歩子監督作品も安田真奈監督作品も、そうだった。呉美保が、どのような家族観のもとに『酒井家のしあわせ』を語っているのか、楽しみだ。('07. 3.20/21.号)


『そうかもしれない』
 私小説作家の耕治人が老妻の認知症介護を綴った作品とのことだが、老いは誰にでも訪れるものであり、認知症は誰にでも訪れるわけでもないなかで、芸能歴を重ねた芸人がむずかしい役どころを演じている映画のようだ。本業は役者ではなかった歌手雪村いづみと落語家三代目桂春團治の年季と年輪が僕にとっての一番の注目どころだ。
 子供のいない老夫婦での老々介護は少子高齢化をひた走る日本において、ごくごく当たり前の光景となっていくことなのだろうが、「老い」と「病」をネガティヴに描くのではなく、そこにある生の証を夫婦の年季として描き出している作品のようだ。五十歳前の夫が認知症に見舞われた明日の記憶は、自分と同年代であるがゆえのホラー映画ばりの怖さを感じたが、二回り上の世代になる『そうかもしれない』の夫婦像を観て、自分の胸の内に去来するものは、なんであろう。怖さとは異なる神妙さのようなものかもしれないとの予感がある。('07. 5.11/12.号)


『きみにしか聞こえない』
 拾ったおもちゃのケータイから始まる会話のなかでスローに進みゆくラブストーリーのせつなさに見所のある作品のようだ。さればこそ『きみにしか聞こえない』とのタイトルは、おそらくは“言葉”に係る修飾語であって、「特別な」という意味なのだろう。主演の成海璃子が「一つ一つの言葉を大切に演じました」と語り、原作者の作家乙一が「身体と声がはなればなれになっているような感覚はこの映画独特である」としつつ、「原作ファンすべてが納得するだろう完成度」とコメントを寄せた作品のなかで、言葉がどういうふうに響いてくるのかが、僕にとっての一番の注目どころだ。
 近頃はTVのアナウンサーですらまともに言葉を知らず、あまりにもひどい誤った使い方や読み方をしたまま電波を垂れ流しているが、十代に人気のある作家の小説を元に、言葉を大切にした作品が撮られているとすれば、実に嬉しい限りだ。映画のなかに出てくるらしい谷川俊太郎の有名な詩『二十億光年の孤独』の一節がどのように響いてくるのかも、楽しみだ。('07. 9. 7/ 8.号)


カインの末裔
 特異なビジュアル感覚で衝撃的な作品を送り出すとの噂を耳にしながら、一度も観る機会を得られなかった奥秀太郎監督作品の、ベルリン国際映画祭フォーラム部門への正式出品作だ。「善良そうな人間に潜む醜さや当たり前の日常を支える不条理が次々と浮き彫りになっていく」物語を「グロテスクなユーモアとダークな幻想」によって綴っているらしい映画作品のビジュアルセンスが、僕にとっての一番の注目どころ。
 ハードコア・ファンタジーと銘打たれているだけに、ある種のわけのわからなさと共に挑発的なイメージが繰り出されるような気がしている。また、渡辺一志・田口トモロヲ・古田新太・内田春菊といった、いかにも怪演が似合いそうな配役陣にも心惹かれる。
 思いのほか深みのある世界観が構築されているとの風評も聞こえてきており、僕の目にはどのように映ってくるのか、今から楽しみだ。('07. 9. 7/ 8.号)


『夕凪の街 桜の国』
 痛切で忘れがたい映画だった父と暮せば(黒木和雄監督)同様に、被害者でありながら生き残ったことに罪悪感を覚えている被爆女性を描いた作品のようだ。そこに『父と暮せば』には描かれていなかった現代に繋がる部分として“桜の国”のパートが加わっているのがポイントで、これがどう効果をあげているかが、僕にとっての一番の注目どころだ。
 こうの史代の原作漫画は読んでないけれど、官民の名だたる賞を受賞した秀作のようだし、昭和33年の女性を麻生久美子が演じ、平成19年の女性を田中麗奈が演じている、うまい配役の対照も興味深い。原爆の被災そのものよりも、それが生みだした悲劇とその影響というものを描いているようだ。半落ちチルソクの夏『カーテンコール』を撮った佐々部清監督作品らしく、おそらくは、情緒や情感に訴えることに重きを置いて綴っているような気がしている。原爆被災を今に繋がっている出来事として明確に語ろうとする姿勢が窺える作品だが、そのことについては大いに共感を誘われた。('07.10.19.号/12.16.号外)
by ヤマ

'07年. とさ・ピクかわら版「ヤマさんの ここに注目!」



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