『世界の中心で、愛をさけぶ』
監督 行定 勲


 本作が高知市文化祭参加作品にエントリーしていた関係で作品鑑賞を試写会当日に指定されたのはいいけれど、それが化粧品メーカー協賛のレディース試写会であったために、満場女性客に埋め尽くされたなかでの鑑賞となった。ただでさえ居住まいが悪かったのだが、作品の性質上予想されたこととはいえ、肩を並べる席から漏れ聞こえ続ける見知らぬ若い女性の啜り泣きに、身の置き所がないような落ち着かない気分にさせられ、困った。普段、隣の席に誰もいない状態で観ることが習慣化しているために、妙に気になって仕方がない。いつものように両脇に手を伸ばすことは無論かなわず、窮屈このうえなかった。

 成績優秀でスポーツ万能、モデルスカウトに写真撮りも求められるという才色兼備にて一際目立った存在のアキ(長澤まさみ)。大口開けて焼きそばパンを頬張り、校則違反のスクーター通学をするだけでさしたる取柄もないようなサク(森山未來)。こんな二人の眩しいほどにピュアでプラトニックな恋の物語が、テープに吹き込まれた声の交換日記のみならず、ささやかな小道具からエピソードの細部に至るまで、おそらく気恥ずかしくなるほどにメロメロに作り込まれているのであろう原作を確かに偲ばせるような筆致で綴られる。そんな16歳の純愛物語を原作に得て、作り手がその味を損なわないようにしつつも、安っぽく流れない演出に注意を払いつつ、誠実な工夫を凝らしたことが窺える出来栄えだと思う。きっかり17年間で生涯を終えた亜紀と、彼女が「キミが生まれてきて今まで、この世に私がいなかったことはないんだからね」という六日遅れの誕生日の朔太郎とが、“世界の中心”と思えるウルルの地を目指しながら、台風29号による飛行便欠航で高松空港までしか行けなかった1986年の秋のちょうど17年後に、同じく台風29号による欠航で高松空港に足留めされ、アキの想い出の“後片付け”をすることを確かめ合う朔太郎(大沢たかお)と律子(柴咲コウ)の姿を後日談として準備したのは、いかにも原作に見合った意匠のアンサームービーだという気がする。

 だが、観応えは、やはり往年のミドル・ティーンのどこまでも清潔な恋愛の描出にあった。郷里に残してあったテープを朔太郎が17年ぶりに聴きながら、細部に至るまで忘れようにも忘れられないと感じていた日々のいくつもの大切な事々を案外忘れていることに気づかされつつ辿る回想であることが、とことん美化された物語であることの不自然さを補っているのだが、そのように偶像化された亜紀を見事に体現し得た長澤まさみの存在感は大したものだと思う。ロボコン以上のものだった。また、あの年頃なれば、同い年なら間違いなく男の子のほうが幼いものなのだが、そのことも含め、性行為の介在いかんによらず女の子と付き合うことで男へと目覚めていく男の子の姿というものを繊細に演じ得た森山未來に感心した。それがあったからこそ、どうしようもなくなって頭上を仰ぎ、「助けて下さい!」と叫ぶサクの声にグッときたのだと思う。

 彼らにそのように演じさせ得た行定勲は、今とても勢いに乗っているということもあるが、やはり若い俳優に存在感を与えることに非常に長けているような気がする。1969年生まれのアキとサクは、僕からは、ほぼ一回り下の世代だが、彼らと世代的に重なる人たちには格別の思いを抱かせそうな雰囲気を備えていたようにも思った。二度に渡ってその名の出てくる『智恵子抄』の1967年の映画化作品を観たのは、たまたま二日前だったが、美化された純愛物語という点では、その『智恵子抄』にも優るとも劣らない徹底ぶりだった。



参照テクスト:掲示板談義過去ログ編集採録


推薦テクスト:「シネマ・サルベージ」より
http://www.ceres.dti.ne.jp/~kwgch/kanso_2004.html#sekachuu
推薦テクスト:「飽きっぽい女のブログトライアスロン実験」より
http://blog.goo.ne.jp/tanminowa/e/b4a37fa2f68610fe8ea64aaef6784d11
by ヤマ

'04. 4.27. 東宝2



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