『半落ち』をめぐる往復書簡編集採録
チネチッタ高知」:お茶屋さん
ヤマ(管理人)


  (ヤマ)
 お茶屋さん、こんばんは。
 今日、『半落ち』を観てきたがやけんど、日誌を書くほどの思いも湧かんかって(ドライヤー書いたとこやいうこともあったし)、そっちのを拝見。そしたら、面白いこと書いちょったき、『青の炎』の再現でもしよかと(笑)。



[お茶屋さんの疑問点とその解釈1]
死ぬつもりだった梶は、なぜ、新宿に行った後にでも死ななかったのか。
 →息子とも思える少年を見守りたい、
 それが妻の遺志でもあると思い直した・・・・・・・・、ということにしておこう。


(ヤマ)
 うん、映画では、というような感じで仄めかされちょったね。植村弁護士の法廷発言として「五十一歳になったら後を追う考えだったのでしょ」との問い掛けもあったけんど、ドナー登録の有効期限まで猶予させることに変えたゆうがは、亡き妻の遺した日記を読んで、いくら骨髄バンクへの思い入れを新たにしたゆうても、ちょっと苦しいよねぇ(笑)。まぁ、あれは法廷戦術での便法っちゅうことやろけど。
 僕的に、最も落ち着きがええ解釈は、鴨居に掛けた紐に首を通そうとして、手で係り具合を確かめたとき(あの程度の力加減で志木指導官が発見したような跡が残るとは思えんけんど(笑))、ふと見慣れんノートを見つけてタイミング外されたことで、後がずるずる行って、義姉にノートを託して、棺桶に入れるよう話までして、亡妻の心残りの青年の消息を訊ねまでしちゃあ、自殺決行への勢いは失っちゃうとしたもんだろうってのが、むしろ普通って感じやけどね。


(お茶屋さん)
 まあ、そうかもしれませんねえ。
 自殺する人は、精神的に健康な状態とは言えないので、自殺以外のことを考える余裕がないと思いますが、梶の場合、いろいろやってるうちに考える余裕を取り戻したのでしょうか。


(ヤマ)
 そうそう、そんな感じ。


(お茶屋さん)
 それか、自殺するに及んでも実は余裕があったのかも。そうでなければ、妻のノートに気がつかなかったでしょうし。


(ヤマ)
 ドキっ(笑)。


(お茶屋さん)
 本当に自殺するような精神状態だったら、たとえノートに気がついても、そのまま首をくくっていたような気がします。(実は実は、私は、梶がノートに興味を示した時点で、自殺しようとしている人の行動ではないと違和感がありました。)


(ヤマ)
 ふむふむ、確かに。手厳しくも鋭い指摘やな~(感心)。


(お茶屋さん)
 えへへ、感心されたか f(^_^;。ちょっと嬉しい。


(ヤマ)
 観客の同情を得るためにも、鴨居に「証拠」を残すことで志木に気づかせるためにも、作り手は、梶に一旦は自殺を実際に試みさせんといかんし、尚且つ、それを自発的に「誰もが知り得ぬ形で」やめさせにゃいかんから、あんな形になっちゅうわけやけんど、そこまで勢いがついちょった者がノートが目に留まってやめるかえってことやね。
 そう突っ込んだら、ちょっと窮するところやねぇ、確かに(笑)。
 あ、そうや!元敏腕刑事の身に染みついた習性で反射的にって、どぉ?(笑)


(お茶屋さん)
 う~ん、職業病ですね~(笑)。



[お茶屋さんの疑問点とその解釈2]
梶が最後まで新宿に行った理由を言わないわけ。
 →少年のために、骨髄提供者が人殺しだということを
 少年や少年の周りの人に知らせたくなかった・・・・・・・・、ということにしておこう。


(ヤマ)
 これが実は、僕も一番悩ましいところやった(笑)。けんど、これは人殺しやゆうことを知らせとうなかったがやとは、僕は思わざった。亡妻が亡き息子への思いを託するほどに同一視した青年を事件に 巻き込みとうなかったがやと思うで。そっとしちょいてほしかったがやろ。


(お茶屋さん)
 それは、私もそう思います。


(ヤマ)
 僕が悩ましかったがは、巻き込みとうない思いの強さが、なんであそこまで強情やったかということやったがやけんど、考えてみたら、梶警部は教養課へ配属願いを出すまでは、捜査部きっての敏腕刑事やったがよね(石橋蓮司が言いよった)。捜査のことも警察組織のことも知り抜いちゅうわけよ。
 そやから供述の時、空白の二日間のことを正直にゆうたら、警察は世間が情状を汲み取ってくれる格好の事実として、やっきになって証拠固めにはいることが見えちょったと思うがよ。
 けんど、映画のなかでも出てきたように、カウンターに座って店内で働く池上青年の姿を見よっただけで言葉も交わしてないやろうき、歌舞伎町に行ったことの状況証拠までは出てきても、池上青年と会うた証拠は出てくるわけないことが判っちょったと思うがよ。
 そんなら、警察が池上青年に何を迫るかは明白やろ? 偽証やね。


(お茶屋さん)
 そこまでは考えんかったけど(^_^;。映画で描いてもなかったし。


(ヤマ)
 うん。映画でここんとこに触れちょらんのが、うんと苦しいとこながよ。作品としても、勝手に補うてそう解する僕の側にしても(苦笑)。
 けんど、名誉という名の保身に汲々とする警察上層部の体質を告発しょうというがが第一の趣旨という作品じゃないき、こっちへ焦点を向けとうなかったがかもしれんね。
 ほんで映画では描いちゃあせんかったけんど、元敏腕刑事の梶は、そういうことを考えたろうという気がするがよ。事実、自分がラーメン屋に行っちょったにしても、おそらく池上青年の記憶にないものを、記憶がある、見覚えがあると言わす方向に警察が持っていくやろうと。なにせ警察不祥事という一大事が係っちゅうわけやから、そのダメージを少しでも軽減するためには容赦がないはずやもね。
 梶警部は、それが忍びがたかったがやろうと思うで。それは、殺せるほどに愛しちょった奥さんの遺志には絶対に沿わんことやも。
 奥さんのアルツハイマーの進行自体は、まだ特別にひどい状態にまでは行っちょらざったように見えたに、それでも梶が奥さんから頼まれて殺しちゃる決心をしたがは、彼女の場合、最愛の一人息子を亡くすという何よりもツライ体験をアルツハイマーのせいで何回も何回も繰り返させられるわけで、それが何とも不憫やったというががイチバン大きい理由やったろうと思うがよ。奥さんにそんなむごい思いをさせるばぁやったら、殺人の罪もいとわんほどに愛しちょったということやろね。
 あのラーメン屋が、よりによって新宿歌舞伎町みたいな雑踏的な街のラーメン屋やのうて常連客が主体の店やったら、一見さんでも気に留めることはあるかもしれんけど、そんな可能性は0に等しいことが梶には判っちょったんやろうね。それと同時に警察が全力で池上青年の証言を得ようとする可能性が限りなく100%に近いことも。
 そやから言えんかったがやと思うで。法廷で既に状況証拠的に池上青年の処まで迫られても、頑として認めんのは、彼を証人喚問させちゃならんという一心やろ。殺した啓子に申し訳が立たんなるって。
 法廷証言で歌舞伎町のラーメン屋に行ったことが事実認定され、それで情状酌量を得たいなんちゅう思いはハナからないんやも。


(お茶屋さん)
 よう考えたねー。偉い!


(ヤマ)
 ありがと。
 けんど、半分呆れちゅう風情があるけんど(苦笑)。


(お茶屋さん)
 いやいや、そんな。でも、下の話にも通じますが(笑)。



[お茶屋さんの疑問点とその解釈3]
志木(柴田恭兵)が少年に骨髄提供者を教えたわけ。
 →少年が感謝していることを梶に伝え、梶に生きてほしかったし、
 少年とは「提供者が誰だか知りたい?」「はい、例えその人が人殺しであっても
 お礼が言いたいです。」という会話があった・・・・・・・・、ということにしておこう(汗×汗)。


(ヤマ)
 これは、全くの同感やね。
 あの車窓を通じての見送りは、池上青年からの意志表示によって、志木指導官が段取ったがやろうね。


(お茶屋さん)
 「(汗×汗)」までも同感ですか?(笑)


(ヤマ)
 この汗って、どういう意味?
 うえの話にも通じる「勝手に補うてそう解する」ゆうことやろか(笑)。
 想像の範囲を超える妄想、さらには捏造(笑)。このへんの境界線ってむずかしいよねぇ。想像抜きの解釈はありえんけんど、あまりに想像が過ぎたら解釈の域を越えるもねぇ(笑)。


(お茶屋さん)
 そうそう。そういうことです。
 補うというより作ってるって感じですよね(^_^;。


(ヤマ)
 けんど、梶が奥さんを殺すに至った理由らぁについては、うえに書いたように補うことができる「俊哉は二回殺された、最初は白血病で二度目はアルツハイマーで」ってゆう台詞があったよねぇ。


(お茶屋さん)
 そうやったっけ。もう、忘れたよ(^_^;。


(ヤマ)
 池上青年の証言誘導にまで思いが至っちょったことについては、梶が元敏腕刑事やったゆう話もあったわけやし、「作り」とまで言うのは酷な気せん?(笑)
 そやないと、なんで、敢えて敏腕刑事やないといかんかったのん?
 あ、そーか、嘱望を袖にして教養課配属を希望してまでもってことでも必要なキャリアではあったわねぇ(苦笑)。


(お茶屋さん)
 あ、また自分でツッコミしてる(笑)。



[お茶屋さんの疑問点とその解釈4]
で、どうしてもわからない点というのは、新宿に行った理由を言えば刑罰が軽くなるという(風に見える)話の展開です。
 まさか、骨髄を提供したから減刑されるというわけではないでしょうし、空白の二日間を自供しないから刑が重くなるというわけでもないでしょう。
 新宿に行った理由(空白の二日間を自供しない理由)と刑罰の軽減は、切り離して描くべきじゃないかなあ。
 このあたり釈然としないまま泣いていましたね、わたくし(苦笑)。


(ヤマ)
 これについては、情状酌量による執行猶予を付けるに足る事実認定を何によって何処までするのかっていうことにおいて、後追い自殺をしようとして死にきれんとに、さまよいよったという事実認定と殺した妻の遺志を汲んで池上青年の元気な姿を確かめに行ったことを事実認定するがでは、嘱託殺人自体はそれを認めても、情状判断に影響が出るとは思うで。


(お茶屋さん)
 こうしてまとめてもらうと、ようわかるわ(^_^)。


(ヤマ)
 このへんは、今の仕事柄、かなり重要なポイントやゆうことがわかる(笑)。
 例えば、証拠書類に価格調書が添付されちゃあせんかった場合、作ってないがか、紛失したがか、作ったうえで具合が悪うなって処分したがか、証拠書類に残っちゃあせんという事実は明白でも、事情はさまざま考えれるわね。ほんで、そうなってしもうちゅう事情の説明が、辻褄の合うことかどうかいうがは、相手の口頭説明だけやのうて、前後の文書や手続きの取り方やらで、何を何処まで事実として認定するかゆうことで決めていかざるをえん。
 そこが悩ましいんよ(苦笑)。


(お茶屋さん)
 一般的に情状酌量は、殺すに至った理由と殺した後の悔恨の度合いによって判断されるとは思うけど・・・。死にきれんことと、妻の遺志を汲んでということのあいだに、あんまり差があるとは私は思えんけどね。ネガティブな悔恨とポジティブな悔恨という差はあると思うけど。(「悔恨」と言うより妻への思いと言った方がしっくりくるかな。)


(ヤマ)
 この差はね、殺すに至った理由をどういう形でどこまで事実認定するかということにおいて、梶の自白というか、証言の信憑性に関わってくると思うがやけんど、どぉ?
 観客には、梶自身が否定し、他には誰もが語らず知らんはずの、池上青年を梶が見つけたかどうかということについて、啓子が懸命に探しても見つけれんかったにもかかわらず「カウンターに腰掛けて池上青年を見つめる梶の姿」をスクリーンに映すという形で、そのことが梶の胸の内にだけある事実映像として示されるき、梶の自身についての法廷証言は、殺すに至った理由が事実で、歌舞伎町に行かんかったとの発言が虚偽やと思えるがやけんど、法廷ではどっちも証拠によって事実証明されたことじゃないやろ?


(お茶屋さん)
 そうそう。


(ヤマ)
 啓子の日記には、自分が歌舞伎町に池上青年を探しに行ったことは書いちょっても、梶が探しに行ったことは死後のことやから書きようがないし、梶のポケットから出てきたポケットティッシュは警察が証拠提出しちゅうはずがない。警察の供述調書では、歌舞伎町には行ってないことになっちゅうがやき。
 ウソもホントも全部、肝心なところは物証がないわけよね。


(お茶屋さん)
 そうそう。
 空白の二日間は(法廷ではあんまり問題にされてなかったですが)、この間、梶が何をしていたかわからなかったため、梶が真犯人をかばっているのではとか憶測されたわけで、新宿へ行ったとわかってからは、何のために行ったのか、他に女がいて彼女に会いに行ったのか? とかも憶測されたわけで、


(ヤマ)
 梶の新宿行きは、警察が掴んじゅうだけで、法廷で事実認定できる状況にはないわね。
 事実認定できるがは、池上青年が歌舞伎町のラーメン屋で働きゆうことを梶夫妻が知っちょったこと。梶があの日新幹線ホームにいて東京方面に向かった形跡があること。法廷では、ここまでやも。
 ポケットティッシュの押収に伴う自白があって、それが供述調書に書かれて、ティッシュが証拠提出されちょったとしても、それでもホントに歌舞伎町に行ったかどうかの事実認定はむずかしいくらいやのに、本人さえもが否定しゆうのやから、事実認定のしようがないわね。


(お茶屋さん)
 うん、そう。でも、「死にきれん+妻の遺志を汲む」は、真犯人をかばうとか他に女がいることと比較すると、十分情状酌量の余地があると私は思ったのでしたが・・・・。


(ヤマ)
 事実認定されたら、ね。けんど、そうはならんからこそ、傍聴人からは厳しすぎると溜息が漏れる「四年の実刑」という判決にしかなりようがないわけよ。
 そうなっちゅうところが、この映画の大事なとこながやけんど、それをきちんと説明できてないところがイチバンの弱みやろね。あ、ここで事実認定できんいうがは、本人が否定しゆうことが決定的なわけじゃあないで。


(お茶屋さん)
 そうやろぉ~!

(ヤマ)
 物証も証人もない事実やから、事実認定できんがやも。
 そやから、けっきょく法廷で事実認定されたがは、頼まれて思い余って殺してしもうた、後を追おうと思うたけんど、死ぬのが怖うなって、死にきれんと自首をしたっていうことやろ。
 アルツハイマーへの介護苦ゆうたって、期間的にも(二年やったかね)病状の進行具合からゆうても、特別にひどい状態やなかったも。あの進行度からしたら、藤林裁判官の親父さんのほうが進行しちゅうよね。
 ただ啓子さんの場合は、アルツハイマーのせいで最愛の一人息子を亡くすというツライ体験を何回も何回も繰り返させられるわけで、それを見るに忍びんかったというがが梶にはイチバン大きいがやけんど、哀しいことに、彼女が心的体験としての息子の喪失を繰り返しよったことを事実認定するに足る証拠も証言もないわけで、それこそ被告の証言だけやも。息子が死んじゅうことをたびたび忘れちょったことは姉も証言しよったけんど、肝心の部分は、夫の梶しか知らんことよね。
 日記には、亡き息子の代わりとしての認知を池上青年に託しちゅうことは書いちょっても、俊哉が死んだ、俊哉がまた死んだ、とは出てきてないはずよね。それは正気を失うちゅうときに経験しゆうことやから、日記には書けんはずやし。
 法廷証言や提出証拠からは、新宿に行ったことの事実認定は、しちゃりとうても、できんと思うがよ。本人も否定しゆうし。


(お茶屋さん)
 これですよ、これ! 私が言いたかったのは。
 検察官や弁護人が、いくら梶のためを思ってノート出して来たり、いろいろ言っても、そんなことで情状酌量にはならんでしょ。仮に梶本人が肯定していたら証拠として通用していたんでしょうか? 証拠として通用するものなら、梶の肯定も否定も必要ないはずなのに。


(ヤマ)
 そのとおりやね。けんど、ノートは証拠採用されちゅうはず。弁護士が義理姉から預かってきたわけやきね。けど、そこに梶の歌舞伎町行きの証拠はあるはずもないわね。


(お茶屋さん)
 それに空白の二日間は、争点でもなんでもなかったし。それをあたかも、検察官や弁護人があのように言ったりしたことで、梶が肯定さえすれば情状酌量されるかのように描いているように見えるのは、なんかとっても変な感じでした。変な感じというのは、うまいこと丸め込まれているような、核心を外されているような、釈然としない感じと言ったらいいのかな。(しつこいけど、梶の返答如何は、情状酌量には関係ないでしょ?)


(ヤマ)
 そう。
 梶の肯定否定に関わらず、池上青年か誰かが証言せんかったら、骨髄バンクで生きながらえることができた青年に梶が会いに行ったとゆう事実認定は、されにくいと思うね。


(お茶屋さん)
 そう思いますね。
 事実認定はされにくい=情状酌量されにくい、それなのに梶が肯定したら情状酌量されるというふうに見える作り方をしているのが、私は解せなかったんだけど、要は梶は罪が重くなっても新宿に行ったことを隠すことによって少年を守りとおしたということを強調するための演出上の方便なんでしょうね。


(ヤマ)
 そうやろうけんど、説明不足によって、梶が認めさえしたら、情状酌量になるゆうて思われる作りにしちゃあ、作品的には、かなりマズイんやないろうかとゆう感じもあるねぇ、確かに(笑)。


(お茶屋さん)
 自分の感想を書いているときは、もやもやしていましたが、ヤマちゃんとの遣り取りで、その辺がハッキリしてきたように思います。どうも私の感想では、自分の言いたいことをうまく書けてなかったようで、このメールでの遣り取りを「間借り人」サイトにアップしてもらったら、すっきりできてありがたいことです(笑)。


(ヤマ)
 こりゃこりゃ、ありがたや。



[お茶屋さんの疑問点とその解釈5]
*それとこの映画は、警察が充分な真相解明(というか証拠集め)をしない理由を「警察の威信を保つ」ということに重きを置いているので、自白についての映画でありながら、自白偏重に対する批判がどうしても薄くなるのが残念でした。


(ヤマ)
 警察が空白の二日間の捜査を歌舞伎町向けてせんかったがは、墓穴を掘りとうない思いが先に立っちょったから手出しできざったがやろうね(笑)。捜査不充分は、証拠隠滅や隠蔽よりゃましやから、歌舞伎町ゆう名前に怖じ気づいて「知りとうない」が優先されたがやろうね。けんど、供述調書に空白のままでは送検できんき、半落ちのままじゃダメやったんやろうと思うで。
 梶にとって有利な事実すなわち警察にとって有利な事実が隠されちゅうとの確信があったら、捜査に力を入れちょったろうと思うけんどね(笑)。なにせ、新幹線ホームにおったことが事実として報道されただけでも、出入りのネクタイ業者は干されるってな話になりゆうくらいやったもんね(笑)。
 んで、池上青年のことが警察のほうにも判ったがは送検後やから、警察捜査はもう及ばんなっちゅうわけやきね。ほんで、検察がどこまでどう捜査するかは、検察側の判断になるわけやけど、検察はそれが梶警部にとって有利になることやったにしても、その事実の如何より、警察が送検してきた供述調書が意図的に作成された調書やいうことのほうが大きい問題になるわけやから(まして被告に有利な事実を隠蔽した形になっちゅうから、よけ始末が悪い)、例の裏取引からして、捜査の進めようがないなるわけよねぇ。


(お茶屋さん)
 これについてのヤマちゃんの意見には、異議なしです。
 私の書いたことへの反論でもないですよね?


(ヤマ)
 うん、関連していろいろ触発された自分の考えを書いただけやよ。
 けんど、ここらへんの事情実情をきちんと説明できちゅうようには思えん作品やったね。


(お茶屋さん)
  うん、そうそう。同感です。


(ヤマ)
 そのへんを全部あいまいにしたまま情で流していくような造りで物足りんかったね。


(お茶屋さん)
 私はたっぷり泣いたので(トイレで洟を2、3回かみました。)、物足りんと言ったら怒られそう(^_^;。←だれに怒られるかはわからんけど。


(ヤマ)
 もちろんダメな作品やないし、むしろエエ映画やと思うけど、せっかくの好材を情だけで流してしまうがは、もったいないでねぇ。


(お茶屋さん)
 ここも同感です。


(ヤマ)
 たぶん原作は、そこらあたりの事情実情がきっちり書き込まれちゅうと思うけんど。


(お茶屋さん)
 しかし、こんな論理的に穴がある映画(と言っては言いすぎでしょうか)


(ヤマ)
 ちょっと言い過ぎっぽいかな?(笑)


(お茶屋さん)
 ありゃ、やっぱり(笑)?
 この遣り取りでは、苦言を呈すみたいになったけど、私はおもしろく見たので人にもすすめたりしました。ほころびはあっても、がんばった日本映画だったと思います。


(ヤマ)
 穴とゆうことでは、あの判決からしたら、論理的には穴がないと観ちゃらんといかんと思うがよ。あれで、執行猶予が付いたら論理的に穴があるとゆうことになるがであって、あれは、情状酌量で執行猶予を付けれんことを映画がじょうずに説明できちゃあせんところに穴があるとゆうか、弱みがあるがやろうね。


(お茶屋さん)
 そういう弱みのある映画で大勢の人が泣いて満足するようでは(私も泣いたけど)、裁判員制度は考えものですね~。


(ヤマ)
 これは、ほんまにそうやろうね。
 じょうずに喋るもん勝ちみたいなアメリカ風になるろうね。



推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2004hacinemaindex.html#anchor001056
by ヤマ(編集採録)

'04. 2.11. 高知東映



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―