『ゆれる』をめぐって
映画通信」:(ケイケイさん)
(TAOさん)
Somewhere Before」:(タンミノワさん)
(イノセントさん)
(灰兎さん)
K UMON OS 」:(シューテツさん)
ヤマ(管理人)


  No.6843から(2006/09/20)

(ケイケイさん)
 ヤマさん、こんにちは。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、ケイケイさん。

(ケイケイさん)
 『ゆれる』拝読しました。

ヤマ(管理人)
 早速に、ありがとうございます。

(ケイケイさん)
 書き方は違いますが、大筋は私も似たような感想(ヤマさん「罪悪感」私「後ろ暗さ」)ですが、細部がゆれているようで(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうですねー。ケイケイさんの映画日記には「全てを兄に押し付け自分はしたい放題している後ろ暗さ」と書いておいででしたね。僕のほうは、智恵子を寝取った罪悪感、なんかケイケイさんの“後ろ暗さ”のほうが、一夜のことと違って、積年の重みがあるような(たはは)。

(ケイケイさん)
 ウチの夫が次男でしょう? 怨みではないんですが、次男の不遇はよく聞かされたので(笑)。

ヤマ(管理人)
 僕は長男ですが、次男のそれについては亡父から聞かされたものでした(笑)。そのせいでウチは、兄弟同士でも名前で呼び合うよう育てられたので、僕は弟から兄さんとか兄ちゃんって言われたことないんですよ(笑)。

(ケイケイさん)
 ウチの夫の場合、下に妹二人がいたし、うちも息子三人でしょ? 微妙に違うものがあるなぁと、この作品を観て感じました。二人姉妹にはない緊張感や閉塞感が、男二人だとあるなぁと。三男がいるお陰で、うちもぐんと兄弟間の風通しがいいんですよ。三人目産んで良かったと、この作品を観てつくづく思いました。ヤマさんちも、お嬢さんのお陰で、そんな気しません?(^^)。

ヤマ(管理人)
 亡父は男三人兄弟で、僕は男二人の兄弟。僕の子どもは、兄二人に末の妹という三人構成。自分の状況と比較しても、妹が一人いることでの違いというのは、確かにあるような気がします。でも、僕ら兄弟で言えば、特に緊張感や閉塞感は感じたことないんですが、弟の側がどうだったかは聞いてみないと判らないけど、そんなふうでもありませんよ。

(ケイケイさん)
 うちの息子たちはぶつぶつお互いの不満を私に言いますね。ちゃんと聞いてないけど(笑)。真剣に聞いてアドバイスが欲しいというより、聞いてもらうだけでいいみたい。

ヤマ(管理人)
 男の子にもそういうパターンってあるんですか(驚)。ふーん、なるほどねー。母親に甘えてるんですね~。たいしたもんや、ケイケイさん!(拍手) 僕には、自分自身にそういう「真剣にではなくただ聞いてもらいたい」っていう感覚がないんで、ついつい男の子にはそういうのってあまりないように思いがちなんですが、そんなことないですよね。僕も含め、男はだいたい甘えん坊としたもんだし。僕の女性への甘え方にそういうのがないってだけのことだな、きっと(苦笑)。
 それはともかく、ケイケイさんと僕の細部のゆれの一番大きな違いは、“兄・弟の物語と観る眼差し”と“出た者と残った者に分かれた兄弟と観る眼差し”の違いかなぁ。

(ケイケイさん)
 これはそうかも。監督は、両方含みを持たせたのだと、ヤマさんの感想で感じています。

ヤマ(管理人)
 親の世代と子の世代で、敢えて入れ替えてましたからね。ご賛同いただけて嬉しく思います。

(ケイケイさん)
 私もこの辺の意味も探ろうとしていました。私は、親同士の因縁は子供の代にまで続くんだと感じただけだったんで、ヤマさんの説には、すごく納得出来ましたね。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。僕のほうも、ケイケイさんの日記を読むと「何でも長男が一番、弟は二番。兄は新品、弟はお古。そのことにコンプレックスを抱いていた」猛と「何もかも自分より眩しい弟に、智恵子と食事するようお金を渡す」ところに「兄としての思いやりと同時に、俺が兄貴なんだぞ、お前には施す存在なのだとの、虚勢も見え隠れする」稔という対比も、もっともな図だと納得しちゃいます(笑)。


-------兄稔の薄気味悪さ-------

(ケイケイさん)
 智恵子は、猛が現れる前は、あきらめの気持ちで稔と結婚するつもりだったと私も感じました。

ヤマ(管理人)
 「もしかして兄嫁になるかも知れない人」とお書きでしたよね。母の死に際しても帰郷しなかった猛を、一周忌に稔が恐らくは強く誘ったことには、智恵子とのそのあたりの事情を弟に見せつけたい想いが密かに働いていたのかもしれませんね。

(ケイケイさん)
 兄らしい“弟を想う善人”なだけの人じゃなかったですね。

ヤマ(管理人)
 少なくともね。
 で、弟の側にしても、単純な兄想いで法廷に臨んだのではないと思いました。

(ケイケイさん)
 私も、それだけではなかったと思います。日記にも書いた通り、後ろ暗さや僻みなど、ない交ぜになった複雑な感情があったように思います。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんの日記の「二人は容姿・性格、何もかもが対象的~」から始まるここんとこ、特に秀逸ですよね~。TAOさんがmixiに書いておいでた「たぶんある程度以上親しい人間関係になら起こりうる心と心の化学作用が大胆に繊細に描かれてい」るってことの化学作用を引き起こす元というのが、ここんとこなんですよね。

(ケイケイさん)
 兄の稔は、最初法事のシーンで、幼児をあやしていたでしょう? 彼の子供だと思ったら、違ってた。ああやって“ちょっと薹の立った好青年”風の描写が随所にあるのに、少し気持ち悪い人みたいに、私は感じたんですよ。

ヤマ(管理人)
 僕は、子どもあやしでそれを気取るには至りませんでした。
 やはりあの鎌かけですね~(笑)。

(ケイケイさん)
 私も子供の件では直接的には思わなかったんですけど、やはり、あの渓谷での様子ですね。

ヤマ(管理人)
 ん? 法事のシーンで幼児をあやしてる姿の奥に少し気持ち悪さを感じたんじゃありませんでしたっけ?

(ケイケイさん)
 いえ、あやすシーンや、父と猛のけんかの仲裁のシーンくらいまでは感じませんでした。

ヤマ(管理人)
 あ、それなら納得しやすいなぁ。
 ここで“女の勘”ってな水戸の御老公の印籠みたいなものが出てきたらどーしようかと内心狼狽してました(笑)。

(ケイケイさん)
 それが智恵子も誘って、あの渓谷に行こうと誘う時くらいから、徐々に粘着質というか、まとわりつくベタベタ感を感じたんです。

ヤマ(管理人)
 了解了解。これなら僕も全く同じですねー。“見せつけ”であれ、“試し”であれ、“確認”であれ、ちっともスッキリさっぱりしてませんよねぇ、ベタベタの粘着感ありですよね。もっとも、恋愛などというものは、身体的にも精神的にも、全身がベタベタと粘着質に包まれるってのが相場のようにも思います(笑)。

(ケイケイさん)
 普通最初に好感を持ったら、そのまま持続してもいいのになぁと、ちょっと不思議だったんで。これは香川照之の演技力ですね。

ヤマ(管理人)
 この段々と怪しくなってくる感じっていうのは、ホント凄かったですねー。対照的に、しようがねぇ奴だなぁで始まった猛のほうは、次第に好感ポイント上げていってましたが、作り手は明らかに狙ってましたよね。

(ケイケイさん)
 あの渓谷での稔は、妙にはしゃいで、子供の頃に帰ったというのではない、薄気味悪さがあったんですよ。
 で、法事のシーンでも鎌かけが表現されてたんですかね?(笑)

ヤマ(管理人)
 いえ、僕が「あの鎌かけ」っていうのは、例の洗濯物を折り畳みながらの「智恵ちゃん、あれで…」っていうのしかありません(あは)。僕が、気持ち悪さというか不気味さを感じた最初が、あの洗濯物を折り畳みながらの稔の姿だったということですよ。

(ケイケイさん)
 稔に対する私の観方がいじわるなのかと思っていたんですが(笑)。でも、拘留されてからの稔には、一切気持ち悪さは感じませんでした。

ヤマ(管理人)
 僕も気持ち悪いとは思いませんでしたが、妄執のようなものは感じました。凄みがありましたよ。だからこそ、智恵子の死に対する罪悪感以上に、弟への怒りと復讐というようなものを僕が受け止めるに至ったのだと思います。

(ケイケイさん)
 別人みたいでしたよね。私は家から離れたからなのかと思ったんです。一気に今までの押さえつけていたもの、噴出したのかと。

ヤマ(管理人)
 おぉ~、智恵子を死なせた罪悪感でも、猛への復讐心でもなく、家の桎梏から解かれたことで噴出した積年の澱だというわけですね。うん、確かにここんとこは大きく違いますねー。正反対っていうのでもなく、ただ大きく違うってことですねぇ。ものすごく“家”の要素に重きを感じておいでですねー。
 とってもケイケイさんらしくて納得なんだけど(笑)。


-------智恵子と稔猛兄弟との性関係についての受け止め方-------

(ケイケイさん)
 ヤマさんの日誌の「そもそもそれが狡猾な鎌かけとして稔の頭に浮かぶのは、紛れもなく彼が智恵子のセックスの激しさを知っていればこそだという気がする。」というのは、私は全然感じなかったんで、ちょっと新鮮です(笑)。

ヤマ(管理人)
 あ、そーでしたか(笑)。
 まぁ特にセックスのことに限定しなくても、「あれでなかなかしつこいだろう?」などという言い草は、いわゆる昵懇ぶりを気取らせる物言いであって、鎌かけなどという狡猾さではなく、ちょっと得意気な見せつけのつもりが、稔にとっても思いがけないものが掛かってきたってな次第だったのかもしれませんね(自分が日誌に綴った解釈とは異なりますが)。

(ケイケイさん)
 私はあの「舌出せよ」というのは、セックスしていて、智恵子はあんまり面白みのある相手じゃなかったから、猛が刺激を求めて促したのかと思っていました。だから猛が激しくさせたのかと思ったんです。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。ちょうど反対だなぁ(苦笑)。むしろ僕は、智恵子の激しさが猛にああいうワイルドさを昂揚のなかでもたらしたように思いましたから(笑)。猛、東京でのセックスシーンでは、なんか淡々系じゃありませんでした?(笑)

(ケイケイさん)
 最初のほうで、あの事務所の子に、「君もついてくる?」とか何とか言いながら、キスしてたでしょう?

ヤマ(管理人)
 キスだけでしたっけ(たは)。

(ケイケイさん)
 田舎に帰るまでのシーンですよね?

ヤマ(管理人)
 そうです、そうです。

(ケイケイさん)
 キスだけだったと記憶してます。最近怪しいもんでわかりませんが(笑)。

ヤマ(管理人)
 僕なんかもう、怪しいどころか累犯実績に暇がない昨今ですから(苦笑)、明日の記憶度では、疑念なくケイケイさんを上回っている自信アリ!(笑) きっと、キスだけだったんでしょう。

(ケイケイさん)
 どっちにしてもセックスの関係も匂わしていたのは確かですから、それなのに、あっさり智恵子とも関係を結んだんで、あぁ猛は誰も愛しちゃいないんだなと思いました。彼にとっては、セックスは愛じゃなくて、快楽とか気まぐれだったんだと思います。だから、気分転換に事務所の子とセックスしても、気は晴れない様子を映してたのかなと。

ヤマ(管理人)
 う~ん、猛にとっては、ケイケイさんがおっしゃるようなものでもないように僕は思いますが(僕が男だからかなぁ)。愛か快楽か気まぐれかといったことを取り立てて意識すらしない形での“欲求”みたいなものだったんじゃないでしょうかね。

(ケイケイさん)
 いや男性のヤマさんが仰るんですから、そのほうが当たってるんじゃないですか? 欲求では感覚が掴めにくいですけど、衝動みたいな感じですか?

ヤマ(管理人)
“衝動”とか“気まぐれ”というような一時性の度合いが強いことじゃありません。まぁ、女性は概ねそういうのを以て“気まぐれ”のように感じることが多いんでしょうが、男にとって、その欲求自体は“気まぐれ”のように不定型なものではなくて、若いときはむしろ“常態”とも言うべきことかと(苦笑)。ただし、あやつのようにホイホイとかなえられる奴ばかりじゃあ、ないんですが(笑)。

(ケイケイさん)
 常態!う~ん、ますますわからんようになってきた(笑)。

ヤマ(管理人)
 一時的なものではなくて、基本的な欲求として常に持っているものということですよ。

(ケイケイさん)
 若い頃にね、「男の下半身に理性はないと思え」って、男性から言われたことがあるんですが、それとは違いますよね?(笑)。

ヤマ(管理人)
 うん。だって、それってもっともらしい口実みたいなものだもの(笑)。
 そりゃ、脳みそは頭にあって下半身の袋には味噌は詰まってませんから、下半身に理性などあろうはずはないのですが、下半身を活躍させるのもまた頭のなかにある脳みそであって、脳みそにはやっぱ理性もあるわけです。下半身のせいにして理性や自制から解放することができれば都合のいい場合が男女ともにありますよね(笑)。その都合の良さを示した言葉であると同時に、理性や自制よりも欲求のほうを優先させる男が少なくないことを諭す場合もあります。
 でも、欲求として常に持っていることが直ちにそれを最優先させずにいられないことを意味するものではありませんよね。だから、「それとは違う」わけです。
 ところで、智恵子が激しいほうだったのか否かということでは、あの映画では、彼女の死後にも猛の回想のような形で、何度かあの夜の智恵子とのセックスの場面が出てきますよね。そのたびに体位を変えて、お盛んな風情で…(笑)。まぁ、でも、そのことは「猛が激しくさせた」のでも、アリなわけですけどね。

(ケイケイさん)
 私の受け止めは、猛からすれば、智恵子はどっちかいうと、おくてで性的にはあんまり面白味のある相手じゃないと見てたところへ兄から「ああ見えて・・・」と来たから、猛がドキッとしたのかなと。

ヤマ(管理人)
 寝取ったことを見透かされたうえに、その中身の展開まで見透かされたかと、ですって?(笑)
 さすがにそこまでは…(苦笑)。

(ケイケイさん)
 いえ、あのシーンは、昔の二人の関係を稔が知っていたので、わざと二人きりにして、智恵子の気持ちを確かめようとして裏目に出たんだと思いました。

ヤマ(管理人)
 うん、それはあったでしょうね。でも、稔が智恵子の気持ちを確かめたいと思うのは、稔との間でのセックスのあるなしとは関わりなくあり得ることのような気が僕はします。

(ケイケイさん)
 稔にすれば、わざと二人きりにしても、猛との間のセックスまでは想定していなかったと思います。そこまで猛が手が早いとは、思っていなかったと思うし。単に智恵子が猛に「ゆれる」かどうか、試したかったのかと。

ヤマ(管理人)
 “見せつけ”よりも“試し”のほうが強かったのでしょうかね。でも、そうであれば、試そうとしたのは、ケイケイさん御指摘の「智恵子の気持ち」に対してのもののほうが強くて、猛の「ゆれ」のほうは、オマケみたいなものだったんでしょうね。

(ケイケイさん)
 それで猛と二人きりにしてみたら、思いのほか帰りが遅かったから、勘付いたんでしょうね。

ヤマ(管理人)
 帰りの遅さ以上に、鎌かけたときに猛が見せた反応のほうでしょう(笑)。なかなかに怖い場面でしたよ。

(ケイケイさん)
 怖かったです! それも丁寧に洗濯物畳みながらでしたから。私あんなに丁寧に畳みませんから(笑)。あの辺もね、女性の嫉妬みたいでした。

ヤマ(管理人)
 やっぱ、怖さを演出すると、どうしても女性性が付与されますね(笑)。

(ケイケイさん)
 ともあれ、あの「ああ見えて…」という台詞については、私は稔と智恵子の間にはまだ性的な関係はないと感じたので、自分が智恵子とセックスしたら、きっとそうだろうと稔が妄想していたから「しつこい」と思ったことを、猛にぶつけただけとか思います(笑)。それに、猛が「兄貴も家に上げたことあるの?」と言った時、猛然と智恵子が「ないわ!」と言ったでしょう?

ヤマ(管理人)
 確かに。

(ケイケイさん)
 智恵子は、不器用な正直な人だと感じたんで、これは何もないなと踏みました(笑)。

ヤマ(管理人)
 母を置いて出られなかった彼女は、確かに不器用で正直な人なのかもしれませんが、女性のこういうときの言葉は、一点の疑念もなく信じられるものだとは思えませんよ(たは)。

(ケイケイさん)
 わはははは、わが身を振り返っても、それは確かに(笑)。こういう時、上手に嘘が言えるのは女性だと思いますね(^▽^)。

ヤマ(管理人)
 でしょ?(笑)
 嘘は絶対に女性のほうが上手としたモンですって(笑)。苦手なフリするのまで上手ですし(あは)。

(ケイケイさん)
 それにまぁ、セックスは、家じゃなくても出来ますけどね(笑)。

ヤマ(管理人)
 ごもっとも(笑)。

(ケイケイさん)
 それはともかく、智恵子が死んでからの猛の回想は、「自分は智恵子にとって、どんな存在だったんだろう?」と反芻していたのかなあと…。

ヤマ(管理人)
 ほぅ。これは全く逆で「自分が彼女にとってどういう存在だったか」というよりも、「あのときの彼女は何者だったのだろう」という反芻だと僕は思いました。

(ケイケイさん)
 あっ、これも思いましたよ。でも、猛とのあのことがなければ、智恵子はそのままの生活を送っていたと思いません?

ヤマ(管理人)
 そうなんですよ。猛もそう思ったはずです。だからこそ、兄とそういうことだったのなら何故にっていう思いが強かっただろうと思います。

(ケイケイさん)
 それは智恵子が断ってくれたら、こうならなかった、ということですか?

ヤマ(管理人)
 そう。ですから、拙日誌に「自分が転嫁できることでもないけれど、あのとき、智恵子が断ってくれてたらとの想いが猛に訪れなかったとは思えない。」と綴ったんですが、それは「高いところも揺れるところも苦手な兄が、なぜあの吊り橋を渡ったんだろうと思いを巡らせていた猛が、智恵子と兄との間にそういうことを考えてもおかしくはないような気がする」からなんですよ。

(ケイケイさん)
 なるほどねぇ。
 たったこれだけのシーンでゆらすなんて、さすがだ>西川監督(笑)。

ヤマ(管理人)
 智恵子が激しかったのか、猛が激しくさせたのか、確かにギシギシと大揺れ(笑)。


-------智恵子の女としての哀しみ-------

(ケイケイさん)
 今の自分とはかけ離れた世界に住む昔の恋人も、自分と同じ気持ちだと思い込んでしまう、智恵子のあの厚かましさは、私もすごくわかるんです。

ヤマ(管理人)
 そうですか、そういうものなんですかねぇ、女性って。どちらかというと「同じ気持ちだと思い込んでしまう」というよりも、そうなってほしい願望への執着としての思い込みって感じが僕にはあって、内実のところは、同じ気持ちだと思いたいけど、そうではないことも知ってるような気がするっていうのが、僕のなかにある女性のイメージなんですが(たは)。

(ケイケイさん)
 その通りだと思います。智恵子は、猛が自分に気がないのは、わかっていたと思います。食事の用意をしていたのに、猛は帰って行ったでしょう? ああいう事の後、さっさと帰られると、女性はすごく寂しいもんだと思います。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。だから、なかなかああは振る舞えないとしたものなんですが、図太くそれをやれちゃう奴らもこの世には割といるようですね。なんでそんなに強気に出られるのかなぁ(笑)。

(ケイケイさん)
 だから気まぐれかなと思ったんです。マッチポイントでも、結局ノラはクリスとはセックスしかしなかったでしょう? 欲望の類子と能勢も。セックスまで辿りついたら、女性はそれ以外の部分で愛情を確かめたくなるもんじゃないかなぁ。

ヤマ(管理人)
 それはそうだろうと思うのですが、それに応えなかったら即ち男の“気まぐれ”というものでもないんじゃないですかね。配慮が足りないとか、女性を分かってないとか、“気まぐれ”以外の理由もたくさんありえそうに思うのですが。ただ勿論“気まぐれ”の場合だってあるんでしょうから、ケイケイさんには、猛の智恵子へのセックスの誘いは“気まぐれ”に映ったってことなんですよね。

(ケイケイさん)
 智恵子にしてみれば、気まぐれのセックスだけが目的だったんだなとわかっているのに、「セックスしたのはやっぱり私のことが好きだからなんだ」と思い込むことで、自分が救われたいんですね。

ヤマ(管理人)
 自分が救われたいという智恵子の思いについては、僕も同感ですが、上にも書いたように、猛の誘いは“気まぐれ”でもなく、“セックスだけが目的”だったわけではないと、男の僕は確信を持って思います。ですが、ああいう行動と態度が、女性にはそのように受け取られるものであるのは間違いないことだとも思います。

(ケイケイさん)
 客観性のないバカな女心を、切捨ててバカだと言えない、必死のいじらしさでもって監督は描いたのだと感じました。真木よう子も良かったです。

ヤマ(管理人)
 そうですね~。僕も拙日誌に「むろん悪とか何とかではなく」と綴りましたが、…

(ケイケイさん)
 そうなんですよ、私はこの辺に女性監督らしい細やかな優しさを感じました。

ヤマ(管理人)
 智恵子の母が「あの子は、殺されるような悪いことを何かしたのでしょうか?」と猛に問い掛ける台詞を敢えて設えてあるのが利いてますよね。

(ケイケイさん)
 ここ良かったですよね。お母さんは何か感じてたんでしょうか?

ヤマ(管理人)
 普通に納得できないでいる以上のことは、僕は感じませんでしたが、作り手にとっては、台詞に持たせた意味の面での思惑ありかと。
 ところで、ケイケイさんのおっしゃる“バカな女心”についてですが、女性は「同じ気持ちではないことも知っているからこそ、自分の願望の側に向けて引き寄せようという力の発揮をみせる」わけで、そこんとこは、時として、ある種捨て身の潔ささえ引き出すような“賭”として現れてくるように思うんですよ。ですから拙日誌では、「最後の足掻きを試みて」などと記したりしているんでしょうね(笑)。
 で、智恵子の足掻き自体は功を奏しなかったけど、猛は、やっぱり智恵子を好いていたとは思うんですよ。

(ケイケイさん)
 これは涙が出るほど嬉しいです(^^)。男性のヤマさんが観てそう思うなら、智恵子は本当に救われますよ。

ヤマ(管理人)
 一応、兄の想いのことは察して確かめているわけですから、ただの“気まぐれ”ってことはないじゃろーと思いますよ。ただそれが、智恵子の望むような“引き受け”を伴ったものではなかったということです。

(ケイケイさん)
 「女を抱く」ということは、そういう面倒なことと、二個一のことも多いのじゃないかなぁ。

ヤマ(管理人)
 多い少ないで言えば、かつて多かったのは間違いないように思います。現在の実際がどうかは、ちょっと最前線に出ていない僕は掴みにくいところですが、いわゆる“重たい○○”ってことでは、近頃は女性よりも男のほうが“重たい”と言われがちな逆転現象が目に付くようになってきているらしい気がしますね。

(ケイケイさん)
 身持ちの固い人ほど、二個一のことが多いのじゃないかと。猛は、尻軽女とばっかり遊んでたんですよ(笑)。稔とはセックスなしと思ったのは、こういう思いもあるからなんです。あの豹変の仕方は、セックスが日常にある女のそれではないと感じました。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。確かに旧来的な“重たい女”っていうふうにも見えますね。僕には思い掛けない解釈でしたが(礼)。稔には身持ちが固く、猛には三顧にも及ばず一顧でOKっちゅうのは、智恵子はずっとずっと猛を想い続けてきたからってことですよね。ふーむ、なるほどねぇ(笑)。正反対とは思いませんが、かなりイメージ違ってきますよね。
 それはそうと、引き受けの覚悟の話に戻しますと、それをもたらすものの多くが、強い“好きという感情”であるのは確かですが、“好きという感情”以外のもので引き受けの覚悟をもたらすこともありますし、逆に“好きという感情”があっても引き受けの覚悟をもたらすとは限りませんよね。
 男女を入れ替えても、そういうことは言えるんじゃないでしょうか?

(ケイケイさん)
 うん、それは同感です。1回、強い“好きという感情”での引き受けというの、経験してみたかったなぁ(笑)。
 それはそうと、彼女の痛々しさは、ヤマさんがお書きのように、母親の再婚がきっかけだと、私も思いました。猛が故郷を出るとき誘ってくれたのに、ついていかなかったのは、母を一人に出来なかったからと思いましたので。

ヤマ(管理人)
 これは、全く同感です。

(ケイケイさん)
 あの時ついて行っていたら、今のくすんだ自分ではないのにと思ったんでしょうね。

ヤマ(管理人)
 一度も出ることなく残った者のなかに巣くいがちな想いですよね。

(ケイケイさん)
 これは都会と田舎だけではなく、家から出たか出なかったかも含まれますよね。普遍的だ(笑)。

ヤマ(管理人)
 全くです(笑)。


-------稔にとっての自由とは-------

(ケイケイさん)
 最初稔が自首したのは、智恵子がいなくなりヤケになった気持ちと、ここで裁判によって無罪になれば、お墨付きが得られて元の生活に戻れるという、それこそ狡猾な考えがあったように感じました。それには猛が奔走するだろうし。事実、弟はそうしましたよね。でも、拘置所での数々の挑発は、稔があえて有罪になりたかったからかなと、感じました。そうでもしなければ家を出ることが出来ないでしょう? 刑務所暮らしになってまでも自由になりたい、稔の心がそうさせたのかと。だからあのラストの笑顔が観られたかと感じました。

ヤマ(管理人)
 ということは、ケイケイさんは、稔があのバスには乗ったと解しておいでなんですね。

(ケイケイさん)
 はい、そう思いました。本当は家に帰って欲しかったですが。

ヤマ(管理人)
 僕もそう思ってます。稔は去ったと思います。
 だって、稔は亡母の残したフィルムを観てませんからね。

(ケイケイさん)
 あっ、違う(笑)。私はフィルムを観ていても、稔は帰らなかったと思います。もう家にし残したことは、彼にはないと思うから。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。“家の桎梏”という観点からすると、そうなりますね。いずれにしても、バスに乗ったという点では同じですから、やっぱり正反対じゃあありませんよ(笑)。
 こちらにも時々訪ねてくださるイノセントさんとこでのコメントのやり取りで、西川監督がノベライズも手がけていることを知ったのですが、その西川監督の思いは「ラストで兄はバスに乗らない」だったとのことで、それには、いささか驚きました。何か思惑あって敢えてそう発言しているだけであって、本心は違うんじゃないのかとの疑いさえ僕は抱いております(笑)。映画の作り手が画面を離れて語る言葉って韜晦に満ちていることがままありますからねぇ(苦笑)。そして、ケイケイさんには“兄らしい温かい笑顔”に映ったようですが、僕の目には、稔のあの笑いには屈託が満ちているように映りましたし(たは)。

(ケイケイさん)
 私はやっとあの幼い時の渓谷の稔に戻ったと思いました。違うなぁー(笑)。

ヤマ(管理人)
 ここは確かに正反対ですね~(笑)。そーか、家の桎梏から解放されたら、亡母の遺品フィルムを見ずしても、幼い時の渓谷の稔に戻れるわけですね。かほどに家の桎梏は重い!と。
 でもね、猛はあの後、去った稔を追い、探すと思うんですよ。亡母の遺品が彼に与えてくれた“取り戻し”には、それだけの力があることを偲ばせていましたもの。拙日誌に綴った“奇跡のような浄化”というのは、そういうことなのです、僕にとっては。

(ケイケイさん)
 なるほどねー。
 全然ありの考察だと思いますよ。亡くなった母の力が偉大だというところは、一致してますね。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんにとっては、弟の出迎え程度では翻意するはずのない“念願”でもあったということですね。

(ケイケイさん)
 日記にも書いたんですが、しがらみでがんじらがめになっていた稔にとって、智恵子が唯一光明だったんだと思うんです。何もなくなり、自暴自棄のなかで、彼が生まれ変わるために必死で考えだした哀しい願いだったかなと、今感じています。

ヤマ(管理人)
 僕は、ケイケイさんがおっしゃる“家”の部分をあまり意識してなかったので、ケイケイさんの日記のそこのところは、とりわけ新鮮でしたし、納得でした。

(ケイケイさん)
 新井浩文の演じた従業員が、稔の帰りをみんなは待っていると言ってたでしょう? 私は本当の稔の姿は、そこにあるんだと監督が教えてくれているんだと思いました。

ヤマ(管理人)
 この「そこ」というのは、「しがらみでがんじがらめ」っていうとこですか?
 それに苦しんでいたというのが稔の一番の真実であって、弟との関係とか、智恵子を死なせたこととか以上の問題だったということかな?

(ケイケイさん)
 いえいえ、単純に稔は、従業員から慕われていた人だったということです。新井浩文の演じた従業員、事件の時はヤンキーの若造だったのが、結婚して父親になって、安定した風でしたよね。それは時の流れもありますが、従業員の成長も表現していたと思います。
 “家”というしがらみから離れた位置で接していた人は、例えムショ帰りでも、稔の下で働きたいと思えるほど、稔は素晴らしい人なんだと言いたいのかと思ったんです。それを兄弟であるがため、曇った目で見ている猛に伝えたかったのかと思いました。この辺にも非常に監督の優しさを感じました。

ヤマ(管理人)
 「そこ」というのは、従業員から慕われる人柄ってことでしたか。なるほど。お伺いしてよかった。
 でも、それなら猛もそのことは知っていたと思うんですよ。だから、「取り戻す」と言っていたのでしょうから。

(ケイケイさん)
 本当の兄を知っていたら、あの時あの証言はしなかったと思います。

ヤマ(管理人)
 “自分の知っている兄”と“恐ろしい兄”というとこで、揺れての証言ですからね。もしかしたら、「恐ろしい兄が本当の兄なのかも」くらいは感じてたかもしれません。でも、“取り戻し”という言葉を使っていたのは、そうではない兄が本当の兄だと信じたい気持ちからであって、憎悪から決定的な反証をしてしまうための言い訳の言葉でもないように僕は思いました。このへん微妙ですよね~、あのとき猛には強い怒りがありましたからねー。

(ケイケイさん)
 あの証言をしたときの猛は、愛憎の憎のほうが勝っていたと感じました。

ヤマ(管理人)
 それは僕もそう思います。だからこそ、自分の知っている兄が失われたように感じていたのだと思います。“取り戻し”たいのは、失ったからですものねー。

(ケイケイさん)
 稔のコンプレックスや孤独の辛さは、猛よりずっと間近で父と稔を見ていた、あの従業員のほうが知っていたのではないかなと。

ヤマ(管理人)
 あぁ、これは全く以ておっしゃるように、そういうものなんでしょうねぇ。近親の距離ゆえに、見えにくくなるものって多いですよねー(用心用心)。

(ケイケイさん)
 でも本当に取り戻すには、やはり他人の自分ではなく、弟の猛だと思ったんだと感じました。

ヤマ(管理人)
 岡島クンはね。彼は既に子持ちでしたもんね。年嵩では下でも、そこんとこでは、稔や猛よりも一日の長がありますからねー(笑)。

(ケイケイさん)
 こんなふうにして監督が稔の本当の姿をあの従業員を通じて伝えてくれてたから、あの笑顔と、家には戻らないと思っても、あまり暗い気持ちにはなりませんでした。

ヤマ(管理人)
 ようやくそこから解放されたわけですからね。

(ケイケイさん)
 一ヶ月以上も前に観たのに、よく覚えてんな(笑)。私にとっては特別な作品だったんでしょうね。

ヤマ(管理人)
 ええ、おかげさまで、たくさん食いつきたくなる論点や解釈をいただいて、わくわくしています(礼)。

(ケイケイさん)
 まだ食いついてもらえます?(^^)。

ヤマ(管理人)
 そりゃあ、もう。しゃぶりついてます(笑)。


-------ひと工夫凝らされた兄・弟の物語-------

(ケイケイさん)
 ヤマさんの日誌の「兄弟の物語となると、得てして兄だから弟だからとの観点から見られがちなのだが、残るのが兄というものではない提示を併せてすることで、兄・弟ではなく、出た者と残った者に分かれた兄弟との視点を明確にしようとする意図が働いているように思った。」というのはそうだなぁと、すごく納得。私は単純に兄・弟の話と思って観ていましたから。これは東京でも暮らした経験があり、また故郷の高知に戻られたヤマさんならではの鋭い視点ですよね。わざわざ設定を甲府にした意味は、ここにあるんですね。

ヤマ(管理人)
 ずっと都会で生まれ育っているわけでなければ、出る、残る、出戻る、いずれにしても、都会と田舎にまつわる思いは、けっこう普遍的なものを持っているように思いますよ。智恵子や稔の屈託の根元は、ここにあるわけですからねぇ。

(ケイケイさん)
 同感です。けど、衝撃やなぁ(笑)。何が衝撃かって、こんなに感想が正反対の作品、初めてですよ。お互い当たりはずれはあっても(東京タワーとか・笑)、両方手応えがあって、尚感想がこれだけ違うというのは、なんという奥の深さ! まだまだゆれそうや(笑)。

ヤマ(管理人)
 正反対ゆうほど違うてます?(笑)
 稔と智恵子との間にセックスがあったかなかったかってのと、稔の最後の笑いが、家の桎梏から抜け出した温かい笑顔か屈託に満ちた笑顔かってことのふたつくらいしか違ってないように思うんですが(たは)。


-------“稔と智恵子の間のセックス問題”再び(TAOさん編)-------

(TAOさん)
 ヤマさん、ケイケイさん、こんにちは。お呼びでしょうか(笑)。
 ヤマさんがお忙しそうなので、柄にもなく遠慮してましたが、お呼びがかかったような気がするので、参上しました(笑)。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。引用してましたしね、僕(笑)。

(TAOさん)
 さて“稔と智恵子との間にセックスがあったかなかったか”ですが、これはね、私は「ない」と確信してますよ。

ヤマ(管理人)
 確信ですか!(笑)

(TAOさん)
 根拠は、たぶんケイケイさんも同じだと思いますが、女の勘です。オヤジ度高いですが(笑)。

ヤマ(管理人)
 “女の勘”と来ましたか。葵の御紋の印籠みたいなものが出てきたな(笑)。平伏するしかないじゃないですか(笑)。

(TAOさん)
 まずふたりの親しげな様子が自然すぎるんですよ。ふつう同じ職場でセックスの関係があるとしたら、もっとよそよそしいか、あからさまにべたべたするか(依存心の強い智恵子のような性格だと)、どちらかではないかと。

ヤマ(管理人)
 なるほど、なるほど、ごもっとも。「依存心の強い智恵子のような性格だと」というとこがミソですね。同じ職場でセックスの関係があっても、さして不自然な様子を出さない場合も多々あるとは思うのですが、依存心の強いタイプでは、おっしゃるように稀なんでしょうね。
 でも、僕の目には、智恵子はそんなに依存心の強いタイプとも映ってなかったんですよね。むしろ、意外と強かなとこあり、と(笑)。だって、僕は、稔と智恵子の間柄を「将来を約せるところ」と見てますから、そのような状況にあってなお“田舎での二十九歳独身女性”最後の賭けに打って出られる意志とか、かつての猛の誘いにやすやすとは流されずに、都会に出たい自分の思いを押し殺しても残った意志とかに“流されタイプ”とか“唯々諾々タイプ”とは異なるものを感じてますもの。

(TAOさん)
 あ、それはそうですねー。依存心が強いという言い方は撤回します(笑)。
 でもね、猛のような男に惹かれる女って面食いなんですよ~。好みのタイプには溺れても、タイプでない男との関係には慎重。

ヤマ(管理人)
 うーん、なるほどね~。それはそーだよな~、面食いかぁ。

(TAOさん)
 理性では、稔さんっていい人だし、将来を託すのも悪くないかもと思っていても、本来の好みであるフェロモンむんむんの元カレが現れたら家に上げちゃうのは道理。そこは“勝負”なんかではなく、ただ流されたんだと思いますよ。

ヤマ(管理人)
 自分には流せた経験ないんで(苦笑)、思い掛けなかったんですが、なんかとってもリアルな気がしますねぇ。そういう男の存在って、何だか癪に障るけど(笑)。

(TAOさん)
 あるいは、あーもうしょうがないわ、と流されることを自分に許した。

ヤマ(管理人)
 ますますリアルだな~。なんか、覚えあるんでしょ(笑)。

(TAOさん)
 そして、本来の好みの相手とよりを戻した(と彼女は思ったわけで)ら、いちどは将来を考えた相手といえども、顔も見るのもイヤになるのは、女にはとてもよくあることで、相手がイヤというより、そんな男に身を任せてもいいと考えた自分は血迷っていたと思うわけで、べつに猛に勝負をかけたとかではなく、やっぱり私はこっちが好み!としがみついているだけじゃないかなあ。

ヤマ(管理人)
 うん。「顔も見るのもイヤになるのは、女にはとてもよくあること」みたいなとこのリアルさは、解説抜きでも僕に伝わってきてましたよ(笑)。「意思ではなく反応として生じてしまうあたりの生々しさ」には唸らされましたね。
 「勝負掛けではなくしがみつき」とおっしゃる点については、僕が日誌に“最後の足掻き”と書き、この談義で“最後の賭け”と書いてる趣旨を補足しておきたいと思います。僕の受け止めでは、智恵子が、猛という“男”に勝負をかけたというよりも、三十歳直前に思い掛けなく訪れた“機会”に勝負をかけたという意味合いのほうが強く、猛へのこだわりってのは、それほどに強くはなかったのではないかという感じでした。ところが、TAOさん説では、“好みの男”っていう要素のほうがむしろ強かったのだろうということですね。なるほどねー。わりとそういうものなのかもしれませんねー。

(TAOさん)
 それに、根は真面目で、強情なところもある智恵子が、ひと言も抵抗しなかったことが、稔と約束をしていなかった証拠だと思うのですが、どうですか?

ヤマ(管理人)
 智恵子が一言も抵抗しなかったことがその証拠だと僕が思えないのは、いくら根は真面目で強情なところがあったとしても、智恵子は、やっぱ女性ですから、そうは一筋縄ではいかない気がするわけですよ(笑)。でも僕も、稔と智恵子の間には、きちんとした約束までは整ってなかったと思います。拙日誌にも綴ったように「ようやく自分との将来を約せるところにまで持って来ていた」段階であって、いよいよこれからっていう言わば、稔としては最も昂揚した時期だったろうと思ってます。
 智恵子との間のセックスも、そうそう回を重ねているわけでもなく、その“しつこさ”が思い掛けなく、心地よい鮮度として、まだまだ嬉しくてたまらない時期(笑)。

(TAOさん)
 ふふ、ヤマさん、なんだか実感こもってません?(笑)

ヤマ(管理人)
 おぉ、そう返してきたか~。「なんか、覚えあるんでしょ(笑)。」って振ってタダでは済まなかったな~。さすが、TAOさん(笑)。

(TAOさん)
 「まだまだ嬉しくてたまらない」という男としての高揚感とエプロン姿が、私にはどうも結びつかないなあ…。

ヤマ(管理人)
 ふむ、なるほど。そう言われてみれば、そんな気もする(笑)。
 でもね、稔のあのエプロン姿って、言わば、長年の習慣みたいなものだから、習い性となっていることって侮れませんよ(笑)。昨日今日の「ようやく」みたいなことで仮に浮ついてはいても、家事に向かうときは何気にいつもの構えにしちゃってるってこと、いわゆる主婦的な日常茶飯に携わってると、ありがちな気もしてね。そこがまた実に主婦っぽいと思いません?(笑)
 そうして家事してるとこに、あら?なんかヘンって感じで猛が帰宅したら、あんなふうな鎌かけ会話にならないとも限らないような…(たは)。

(TAOさん)
 それと、もしそうなら、智恵子にとって稔はしつこく求めたくなる相手だったわけで、温度差はあるにしても、彼女もうれし恥ずかしい日々を送っていたことになりますよね。それよりは、好青年だけど手も出さない稔とぬるい毎日を送っていたという設定のほうが、猛に乗り換える動機として説得力がある気がするんですよねえ。

ヤマ(管理人)
 ここんとこではね、勿論それも大いにありだと思うんだけど、僕は、そのときの状態については、智恵子のほうにしても、特に稔だからってことでそうだったわけでもないのではないかと思う部分がありますね。稔本人の比重が実はあまり重くはなく、同様に乗り換える動機にしても、猛本人の比重はわりあい軽くて、田舎を出られるかもしれない最後のチャンスみたいなところのほうが潜在的には大きかったのかもしれないって(たは)。
 そして、“もてない確信”というものに囚われていた稔が、幽かに自信のようなものを掴みかけていた時期だったように思うのです。だからこそ、吊り橋のほうに向かってしまう智恵子に「なんでそっちのほうに行っちゃうの?」と半ば呆然としていたのだと見ました。
 おっしゃるように、根は真面目で、強情なところもある智恵子なれば、きちんと約束にまで至っていれば、猛に“流され”なかったのかもしれませんよね。稔と智恵子の間というのは、まだまだ微妙に“ゆれ”得る絶妙のタイミングでの状態だったろうと思います。
 そんな時期だからこそ、稔の“見せつけ”とも“試し”とも映るような有頂天気味に上滑りな状態が浮かび上がってくるのだろうし、そこのところでの思惑違いには、とてつもない落胆と絶望からの逆上や弟への憎悪がたぎってきたのだろうな、ということです。
 揺れどきに揺れて墜ちたということでは、稔もそうだったわけですね。三者三様の墜落というここんとこ、あんまり強く意識してなかったのですが、談義のなかで改めて思い至ることができました(礼)。


-------ケイケイさんとのその他の論点についてのTAOさんの見解-------

(TAOさん)
 私は、稔と智恵子との間にセックスはなかったと見ていますから、稔の鎌かけは、性的に満足していない人特有の少し悪趣味な発言と受け取りました。

ヤマ(管理人)
 確かにね。これはそうも言えますねー。“見せつけ”でも“試し”でもなく、“悪趣味”ですか(笑)。
 まぁ、直ちに性的不満足に直結するものとも限らないようには思いますが、悪趣味なのは間違いないし、性的不満と繋がってることの多そうなタイプの物言いではあります(笑)。

(TAOさん)
 この種の発言は、私の知るところでは、男嫌いだったり、男性やセックスに恐怖と好奇心を感じていたりする女性から発せられることが多いような気がしますが、あのときの稔はエプロン姿でしんねりと女性的だったので、あの発言も似つかわしいと思いました。

ヤマ(管理人)
 このへんは、作り手の西川監督、そうとう意識してますよね。でなきゃ、エプロン姿にまではしてません、絶対!(笑)

(TAOさん)
 猛が智恵子を誘ったのはきまぐれではないという見解は、ヤマさんに同意ですね。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。

(TAOさん)
 兄との仲の良さに嫉妬したことが焼けぼっくいに火を付けたとはいえ、若い頃、いっしょに東京へ出ようと誘った女性のことを男の人が忘れるわけはないですもんね。

ヤマ(管理人)
 ジョゼと虎と魚たちの日誌にリンクしてあるお茶屋さんとの談義でも、僕、断言してますが(苦笑)、過去との訣別は、男のほうが絶対に不得手ですもんね。

(TAOさん)
 でも女をまるごと引き受けようとする純粋さはとっくに失っているのですが。

ヤマ(管理人)
 そーなんです、都会で揉まれてますから、尚更に、です(苦笑)。

(TAOさん)
 「稔の最後の笑いが、家の桎梏から抜け出した温かい笑顔か屈託に満ちた笑顔か」というのは、ケイケイさんに賛成。

ヤマ(管理人)
 ほぅ(意外)。
 これは、後者のほうがTAOさんっぽく思ってましたが、いやぁ、まだまだ掴めてませんなぁ、僕(たは)。やっぱ女性は、奥が深いですわ(笑)。

(TAOさん)
 ただし、家の桎梏からの解放だけでなく、兄に対する弟からの無条件の愛情と信頼というものを再び確認できたことによって、稔の屈託も消滅したのだろうと見ました。

ヤマ(管理人)
 ならば、バスには乗らないとの観方かな?とも思ったのですが、「だけでなく」とあるので、そうでもないのかな。TAOさんは、最後に稔は、バスに乗ったと解してます?

(TAOさん)
 ええ、バスに乗ったと思ってます。

ヤマ(管理人)
 ここんとこはみんな、ガッツリ一致してますなぁ(笑)。あれでホイホイとバスをやり過ごしちゃったりしては、脱力しますよねー。

(TAOさん)
 バスに乗ることこそが、結果的にですが、彼が弟を焚きつけ、自らを有罪にするという犠牲を払って得たご褒美ですから。

ヤマ(管理人)
 出立ってのは、かほどのものなんですねー。

(TAOさん)
 稔は、弟がはなから兄は有罪だと思い込んでいたことや、罪悪感やら優越感やらが入り交じった弟の哀れみに耐えきれず、家の桎梏からくる積年の鬱屈を爆発させたと思ったので。

ヤマ(管理人)
 確かに猛が苛立たせてましたよね、稔を。で、それを沈静化させる“奇跡の浄化”のほうは、特に稔に訪れるチャンスがあったようには思えませんでした。ひょっとすると稔には、積極的な復讐心すらあり得ると見ていたくらいです。

(TAOさん)
 え~復讐ですか!! それは思ってもみませんでした。

ヤマ(管理人)
 智恵子を失った原因は猛にあるって思いそうやないですか。昔ながらのエプロンなんか付けちゃう稔って(笑)。

(TAOさん)
 私はケイケイさんと同じく家の桎梏を重視してますから、刑務所の中でさえ、彼は生まれた初めて得た自由をしみじみと噛みしめていたと思いますよ。

ヤマ(管理人)
 なるほどねー。拘置所では“罪悪感”や“復讐心”よりもむしろ“自由の噛みしめ”ですか。ここんとこは、かなり違いますねー。家の桎梏って凄い重圧なんですねぇ。

(TAOさん)
 最初は弟への憎しみもあったかもしれませんが、自分が大きな犠牲を払って得た自由に思い至ったとき、素直に挑発に乗って、自分を有罪にすることに手を貸してくれた弟に、へたすりゃ感謝したかったくらいでは。

ヤマ(管理人)
 おぉ~、そこまで来るとは!(笑)

(TAOさん)
 むろん、そのことを弟に伝えるほどお人好しではないでしょうけどね。

ヤマ(管理人)
 鎌かけタイプには、できない相談ですよ、それ(笑)。

(TAOさん)
 でも、あのときの猛の顔をひと目見たら、そんなかすかな鬱屈すらも吹っ飛んで、じゃあオレは行くからと、晴れ晴れとした気持ちでバスに乗ったのだと思ってました。

ヤマ(管理人)
 これはもう、正反対と言っていいかも(笑)。
 晴れ晴れですかー、あの笑顔が…(驚)。うーん、観客によって最も見解や解釈が異なりそうなのは、実は、稔の殺人か事故かとか、猛が目撃していたか否かとか、バスに乗ったか否かではなくて、最後の稔の笑顔をどう観るかってとこのような気がしてきました。
 いやぁ、面白いなぁ、ここんとこ。ほかの皆さんは、どうなんでしょうねー。

(TAOさん)
 だから、復讐なんて思いもよりませんでしたよ。人間が甘いのかも!!(苦笑)

ヤマ(管理人)
 いやいや、家が重たいだけです(笑)。

ヤマ(管理人)
 七年の時をかけても、亡母の遺品フィルムを観るまで“取り戻し”の果たせなかった猛と同様に、“奇跡の浄化”抜きでは、稔もまた「兄に対する弟からの無条件の愛情と信頼というものを再び確認できた」りはしなかったように、僕には思えます。


-------稔の人物像とバス停での笑顔に宿っていたもの-------

(ケイケイさん)
 俄然盛り上がってますやん(^^)。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます、嬉しいことです(礼)。

(ケイケイさん)
 TAOさんと視点が似ているのは嬉しい限り(^^)。やっぱり女同士ですよねー。

ヤマ(管理人)
 印籠が出て来ちゃったもんなぁ(笑)。あれには勝てないとしたもんですが、時に往生際悪く白洲の場で暴れたりもするでしょ(笑)。

(ケイケイさん)
 洗濯物のシーン、皆さん強烈に印象づいてるんですよね。

ヤマ(管理人)
 だって「智恵ちゃん、あれでなかなかしつこいだろう?」だなんて、弟への声掛けとして、フツー、あり得ないですもん(笑)。なんじゃ?こやつ!ってなるでしょ。しかもエプロンだし(笑)。

(ケイケイさん)
 映画友達の方が、あの兄弟にホモセクシャルな雰囲気を感じるって書いてらしたんです。年配の男性です。四季さんは母性愛でしたでしょう? 取り合えず真っ当な「男」は、どなたも感じなかったんですね。

ヤマ(管理人)
 母親が亡くなって後は、稔が母親代わりを務めた部分もあったのでしょうから、同性愛というよりは母子関係的なものだろうと思いますね。でも、母子関係には性愛に繋がる部分は濃厚にありがちですから、ホモセクシュアルな雰囲気というのも、それゆえなんでしょう。僕は、特に強くは感じていませんでしたが、言われてみると、なるほどなーって思えますね。

(ケイケイさん)
 私は、智恵子があの時OKしたのは、猛をずっと想い続けていたということではないと思います。

ヤマ(管理人)
 ええ、僕もそう思います。でも、かつての記憶が“遠からぬ人的な馴れ”をすぐさま呼び起こしたようには思いました。そこに加えて、TAOさんのおっしゃる面食い心を刺激する、都会で磨きを掛けたイケ面ぶりにってことなのかもしれませんね。

(ケイケイさん)
 ずっと「このままでいいのか? このまま何となく稔と結婚していいのか?」と思っていたと思うんですよ。そこへ想い出の人だった猛が現れた。それも信じられないくらい素敵になって。もちろん稔と天秤にかければ、猛なんでしょうが、それよりあの町から出る糸口が欲しかったんじゃないかな? 自分が生まれ変わるために。

ヤマ(管理人)
 TAOさんへのレスにも書いたのですが、まさしく僕もそう思ってました。

(ケイケイさん)
 男と女って、縁とかタイミングとかで、本当に変わってくると思いません? 愛とか恋とか言う以前に、私は男女の仲を持続させるのは、こっちだと思います。

ヤマ(管理人)
 ホントにそうですよね~。縁とタイミング! 人為を超えてますよねー。

(ケイケイさん)
 稔が猛に、智恵子との情事を鎌かけてぶつけた理由というのは、「性的に満足していない人特有の少し悪趣味な発言」というTAOさんにも似てるけど、私は、稔はもしかしたら女性経験がないのかな?とも感じたんです。あってもすごくわずか。だから自分より弟のほうが、智恵子はこうなるだろう、ああなるだろうと、想像しやすかったのかなと。家の長男としての自分には自信があったでしょうが、男としての自分には自信がない人だと思いました。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、だとしてもというか、だとしたら尚更に、当の相手の弟にそれをぶつけたりできるとは思えないなぁ、いくらなんでも(笑)。

(ケイケイさん)
 稔みたいな人が、自分を守ってもくれている家から飛び出すのは、本当はすごく勇気がいることだと思うんですよ。だから、最初は本当に罪の意識を感じての自首だったのが、拘留中にこれは千載一遇のチャンスだと考え始めたのだと思いました。脱出の糸口ということでは、ある意味、智恵子と同じですね。

ヤマ(管理人)
 最後となるかもしれないチャンスに賭けたわけですか。またしても、家の重さかぁ、なるほどね~。

(ケイケイさん)
 だからTAOさんの「でも、あのときの猛の顔をひと目見たら、そんなかすかな鬱屈すらも吹っ飛んで、じゃあオレは行くからと、晴れ晴れとした気持ちでバスに乗ったのだと思ってました。だから、復讐なんて思いもよりませんでしたよ。人間が甘いのかも!!(苦笑)」は、激しく同意(笑)。

ヤマ(管理人)
 そーですか、晴れ晴れ説は、印籠二つの“目に入らぬか~”状態になってきましたね(笑)。

(ケイケイさん)
 稔自身、この出来事で兄弟の絆は切れたと思っていたと思います。そういう覚悟も出来ていたはず。

ヤマ(管理人)
 これは猛も同じだったでしょうね。GS従業員の岡島クンが説得に来ても、亡母の遺品フィルムを観るまでは、気持ちが動いてませんでしたものね。

(ケイケイさん)
 でも、わだかまりを持ったまま暮らすより、もう縁は限りなく切れても、心のどこかでは弟と繋がりを持っていたかったはずです。だから涙を流しながらの「兄ちゃん、帰ろう!」には、稔も幼い頃守ってやっていた猛を見たと感じました。だから「兄らしい笑顔」だと感じました。

ヤマ(管理人)
 なるほどー。フィルムを観なくても、あのときの猛の姿を観て、猛と同じ“奇跡の浄化”を果たし得ていたというわけですね。僕も、そのときはいずれきっと来るように感じましたが、それは猛が稔を追って行ってから後の話だと思っていました。で、あの時点では、猛の想いは稔にはまだ届いていないように受け止めてましたね。
 そもそも僕は、稔は「出ていきたいという思いを抱きつつ残っていたいが本音」みたいな人物像で受け止めてて、本当に出ていきたいのであれば、出ていけなくもなかったのではないかと思ってます。で、あの出所時点では、帰るに帰れなくなっていることで「実は残ってもいたかった自分の本音」に刑務所のなかで向き合わされもした挙げ句の屈託が潜んでいるように思いました。それと、弟に対して向けた憎悪なり復讐心の記憶のもたらす屈託。
 そのようなものが、いささか頼りなく幾分の諦念を伺わせた笑顔という形で、あのときの稔の表情に宿っていたように感じます。もう昔の俺たち兄弟には戻れないよってね。
 でも、観客である僕は、猛の側に起こった“奇跡の浄化”を目撃しているわけで、稔にもそれが訪れないとは言えないはずだって強く思いました。だから、この後、猛が追い探して、和解の時が来る予感を抱くことができたんでしょうね。ほんと、ここんとこは正反対ですねー。


-------三たび“稔と智恵子の間のセックス問題”(タンミノワさん編)-------

(タンミノワさん)
 いや~やっと参戦できます。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、タンミノワさん、いらっしゃーい(笑)。

(タンミノワさん)
 昼休み、職場のプリンタでヤマさんのレビューを印刷して読み下し、こちらの掲示板をよみくだし…

ヤマ(管理人)
 そこまで手厚い準備をしてくださっての御参加とは!(感激) 

(タンミノワさん)
 ええ。オフィスでヤマさんのレビュー印刷したのをデスクにパラっと置いてて「セックス」の文字があったので、ちょっと慌てましたが(笑)。

ヤマ(管理人)
 うーん、そりゃまぁオフィス向きじゃありませんよね(苦笑)。それだけに、本当に、ありがたいかぎりです(礼)。

(タンミノワさん)
 さて「稔と智恵子、したか、してなかったか」(即物的ですみません)ですが、映画を見ている間の己の記憶中の感覚をたどれば、私は「稔と智恵子はまだ肉体的には無関係」と思いながら見ていました。

ヤマ(管理人)
 タンミノワさんもそうでしたか。女性陣は三人とも一致なんですねぇ(たは)。

(タンミノワさん)
 これ、結構不思議ですよね。やはり見え方に性差があるのだろうか…。

ヤマ(管理人)
 どーでしょう、性差に関係なく、単に僕の受け止め方が少数派ってだけかも(笑)。他の男性票、なんも確認できてませんからね(たは)。

(タンミノワさん)
 なぜ「まだ肉体的には無関係」かっていうと、TAOさんも書いてましたけど、職場での二人の雰囲気とかやりとりだとかは、まだ関係性の発展への期待感のある男女のものだな、という感じを無意識に受け取っていたからだと思いますし、…

ヤマ(管理人)
 これはね、僕もそうだったんですよ。「ようやく自分との将来を約せるところにまで持って来ていた」段階であって、まだきちんと約束を交わすところにまでは至ってなくて双方のなかに予感のような形で宿り始めた段階って感じです、僕の解釈も。で、いくら田舎だって言っても、その段階において二人がセックスをしてないってことは今時ないだろうってね(笑)。いい歳なんだし、二人とも(笑)。

(タンミノワさん)
 いい歳なんだけど、するべき事してない、出来ないっていうのが稔の病的な生真面目さの一つかも…という気もしたりしてました。

ヤマ(管理人)
 うん、確かに、それもあり得るからね。だから、他の作品のこれまでの談義でも繰り返してきたように、どっちが正解ってのとは違って、各人にどう見え、どう映るのかってとこが面白いんだよね。人は観たいものを観るわけだから(笑)。

(TAOさん)
 そうそう、ミノさん、私もそう思いました。あまりに好青年(トウは立っても)すぎて、そこに持ち込めない。女のほうも内心ヘンだなと思いながら、自分から押し倒すほど気分が盛り上がってはいない。そんな感じです。

ヤマ(管理人)
 TAOさんも、タンミノワさんと同意見なんですよね。稔、何か形無しだなぁ(苦笑)。

(タンミノワさん)
 でも、これもまた揺れるのでわかんないですね。常識的にはヤマさんの見解のほうが絶対正しいですから。

ヤマ(管理人)
 そーとは限らないんじゃないかねぇ~。

(タンミノワさん)
 稔のあの粘着質の気持ち悪い感じ(ひどいなあ)は、一人の女性を心身ともに得ている男性だったら、もっと自信に満ちた表情をしているはずなので、ああいう雰囲気は出ないだろう、と思ったのでした。

ヤマ(管理人)
 ごもっとも、ごもっとも。ですが、“得ている”っていうことで言えば、実は最も中途半端で揺れてる時期ですよね。“モテない確信”に囚われ続けてきた稔にとって、ここまで来てたら尚のこと、きちんとした約束に至る手前という不確かさって、実は最も危ういような気がしますよ。

(タンミノワさん)
 でも、ヤマさんの解釈を読むと、「あ、男性はそう見えるのか」って思って、「そうかも」と揺れます。私余り確固たる意見がないもので・・

ヤマ(管理人)
 いや、僕も“女の勘”という印籠の前に、けっこう揺れてたりしてます。でも、ゆらゆら、ゆら~りと、そこんとこが楽しく心地よいのですが(笑)。

(タンミノワさん)
 でも、稔と智恵子がしていても、してなくても大筋にはそんなに関係しないのかも?ですよね。とにかく、稔は智恵子に執着していた、それを猛があっさり心身ともに奪った、というのが大事なのであって…。

ヤマ(管理人)
 そうそう、そりゃもう、大筋には大差ナシです。でも、僕の興味は大筋のほうではなく、ケイケイさんの目、TAOさんの目、ミノさんの目にどう映るかなんですよね。

(タンミノワさん)
 「稔と智恵子、したか、してなかったか」と同じく、「稔は智恵子を殺したのか、殺してないのか」も藪の中にしてありますが、そっちも事実を解明するのがこの映画の本筋ではないわけですもんね。

ヤマ(管理人)
 同感ですねー。いろいろな見解を伺いながら、ゆらゆらと楽しみつつ、自分にとっていちばん納得感の持てる解釈に辿り着きたいものですね。


-------“家”からの脱出劇としての『ゆれる』-------

(タンミノワさん)
 殺しについても、私は映画を見ながらは「あ、やっぱりやってないのか」と思いましたが、冷静に俯瞰で見ると、やはり殺してるんですよね。これは。

ヤマ(管理人)
 御自身のなかだけでも、時間とともに揺れたというわけですか(笑)。

(タンミノワさん)
 でも、それよりも大事なのは、稔の魂が、結果救済されたのか否かの部分で。

ヤマ(管理人)
 そーですねー、さまざまに見解が異なってくるなかでも、確かに一番の重要ポイントは、ここのところがどう映ってくるかっていうことでしょうね。

(タンミノワさん)
 その意味でも、ラストの「稔がバスに乗ったか。乗らないか」は、「乗った」と思いました。

ヤマ(管理人)
 おおー、ここでもまた一票! これだけは全員一致だなぁ。それはそれで、乗らない説の見解を聞いてみたくなるのが、我ながら欲張りですが(笑)。

(タンミノワさん)
 彼が、あの家から脱出するまでの、脱出劇という風に見えましたから…

ヤマ(管理人)
 タンミノワさんもそうでしたか。女性陣、なんか結束、固いぞ(笑)。ある意味、それだけ女性たちは“家”意識を強く受け継いでいるってことなんでしょうかね。

(タンミノワさん)
 うーん。そうですね。そう意識もしてないですが、言われてみるとそうですね。家制度というか、田舎のあの独特の人を縛る風土を、否定するでもなく、かといって肯定するというわけでも決してないというのが映画そのものからヒシヒシと伝わってきてて、相当に息苦しかったので、…

ヤマ(管理人)
 ほぅ、そんなにまでねぇ(感心)。僕はちょっと智恵子に囚われすぎですかねぇ(たは)。

(タンミノワさん)
 稔にはあの土地(家)から脱出して欲しいと思って感情移入してたので、そう見えたのかもしれないですね。見たいように見るんですよ。

ヤマ(管理人)
 あばたもえくぼと言いますし(笑)。まぁ、すべからく人の眼差しというのは、そうしたものでありまする(あは)。

(タンミノワさん)
 それにしても、これだけ揺れても後味がいいというのは、やはりあの“取り戻し”の奇跡の浄化のおかげですね。あそこから最後まで、のためにネチネチと作り込まれてきたといいますか。(笑)

ヤマ(管理人)
 まぁ、僕自身は内容的にゆっさゆっさ揺れてる作品自体が好きなんで(笑)、そのことで後味が悪くなることはないんですが、この作品の後味のよさに猛の帰郷と兄への出迎えが影響しているのは間違いないでしょうね。
 そして、おっしゃるように、そこんとこのために全編が綴られてきたような作品ではありました。

(タンミノワさん)
 私がこの映画を見ながらちょっと怖いなと思ったのは、家という実体のないモノでも、維持したり存続させるためには、生贄のようなものが必要なんだなあということで、…

ヤマ(管理人)
 稔にしてもそうだったと思うんですが、生贄的な“犠牲”一辺倒ではなかったはず。甲斐であったり、誇りでもあったり、部分的には実利でもあったり…。伯父の修が父勇に言い返していたことに一部の理があるのも事実なんです。しかも、単に“理”ではなく、心情的にもそういうとこあるから、だからこそ、突かれる当の相手からすれば、言われ指摘されたくない部分なんですよね。
 ほらほら、育児っていうのもそうでしょ? 生贄とか犠牲とかって言えば、そういう部分抜きには維持存続のできないことなんだけど、それだけじゃないよね。

(タンミノワさん)
 都市部ではどんどんそういったものが捨て去られていくなかで、残されその役割を果たしている人の鬱積した姿、つまりあの洗濯物をたたむ後姿、アレがとても恐ろしかったわけです。

ヤマ(管理人)
 都市部でも“家”じゃなく“家庭”ってことでの守り手みたいなのが、分業というか、稼ぎ手というものとの間で分断されていることでのきしみっていうのがあって、そこんとこは捨て去ろうにも捨て去れませんよね。あの洗濯物をたたむ後姿の演出は、ほんとにもう出色でしたね(笑)。誰のアイデアだったのかなぁ。
 脚本で既に書き込んでいたのか、ひょっとして現場で出てきたアイデアだったのか。何の根拠もなく、印籠にもならない“男の勘”で、僕は後者のような気がしてます。

(タンミノワさん)
 飛び立とう、離れようとしなかったのは、確かにその人自身の選択と言われてしまうのですが、それ以上に選択さえさせない土地なり、家なりといった拘束力の強い属性。私はそういったものが生理的にえらく恐ろしいと思ってしまいました。

ヤマ(管理人)
 目に見えない拘束力って、やっぱり僕らの年代では、何かにつけ女性のほうにより強く働いているような気がしますからねー。ほぼ同年代の女性お三方が、それぞれの個性としては、かなりキャラを異にしながらも、お三方一致で、稔の囚われについては、智恵子のこと以上に“家の問題”と受け止めておいでなのが、僕にはとても興味深く思われましたねぇ。

(タンミノワさん)
 私自身が、都市部に住んでいるので、そういった見えないものへの恐れがあるのかもしれないですが、どうもあの田舎社会の閉塞した雰囲気と、どこどこまでも刹那的な東京の街の乖離っぷりがものすごく寂しい光景やなという気がしたのですよ。

ヤマ(管理人)
 ミノさんおっしゃるように、どっちが是非かの問題ではなく、乖離っていうことでは、やっぱり都会と田舎は違ってますね。田舎も都会にお住まいの方が思っている以上に都市化してはいるのですが、それでも、地方出身者にとっての東京は、やはり別格のような気がします。

(タンミノワさん)
 えらく話それましたね(笑)。すみません。本題に戻してください。

ヤマ(管理人)
 全然それてないように思うのですが(笑)。もしかして、ミノさん、ここの掲示板ではセックスの話をしなきゃいけないって強迫感あるの?(笑)
 ってことはないですよね、長らくお訪ねくださってますものね~(笑)。

(TAOさん)
 ヤマさんが「ある意味、それだけ女性たちは“家”意識を強く受け継いでいるってことなんでしょうかね。」とおっしゃったことについては、女性は結婚によって他の家に嫁ぐという経験をするので、かえって“家”を意識させられる機会が多いのかもしれませんね。

ヤマ(管理人)
 そうですね、なんかそんな気がしますよ。


-------兄弟相克における三角関係での女性の存在の重み-------

(TAOさん)
 それともうひとつ。稔と猛と智恵子の三角関係は、男性二人の三角関係にありがちですが、女性の比重がじつは軽いんじゃないかと思っています。女性本人よりも、その女性を介して、より強くライバルを意識してる。

ヤマ(管理人)
 あ、これは面白いな。僕の発想にはなかった部分だ!
 僕はなにせ、稔と猛のこの顛末において、何よりも智恵子の存在の重要さを鍵に受け止めていましたからねー。
 それと、面白いのは、先の“しつこさ”において、僕が“男の存在自体の比重の軽さ”を仄かに感じていたのと呼応するように、TAOさんは、ここんとこで“女の存在自体の比重の軽さ”を想起してますよね。男の僕は、女にとっての男の重みを軽く見がちで、女性のTAOさんは、男にとっての女の重みを軽く見がちってことになります。いわゆる身贔屓みたいなのと反対の心情が、お互いに何気なく影を差しているように感じられるのが、とても興味深いところだなぁ(笑)。

(TAOさん)
 ふふ、ほんと。それはね、お互い相対化に重きを置くところがあるので、自分の性を過大評価しないように抑制するクセがあるのかもしれません(笑)。

ヤマ(管理人)
 うん、僕もそう思います。それにTAOさんはともかく、僕の場合、現実に、女性にとっての重みというかアピール度ということにおいて、思春期に長らく不遇の時代を過ごした心的外傷が…(苦笑)。

(TAOさん)
 互いの相対化傾向の件を割り引いても、猛は言うまでもないですが、稔にしても、深層意識では、猛の昔の恋人だからこそ、自分のものにしたかったところがあるんじゃないかな。

ヤマ(管理人)
 兄と弟の相克をそこまでに観て取りますか!(笑)
 僕は現実に弟を持つ兄の身ですから、さすがにそういうのは想起しなかったけど、そういうこともあり得なくないとは思うものの、実感は湧きません、幸いにして(笑)。まぁ、我が事でも深層意識までは責任持てないですがね。

(TAOさん)
 つまり、猛が自由と引き替えに失ったもの=智恵子を得ることで、家に残り地道な家業を継いだ自分を肯定し、猛にも見せつけたいと思った。

ヤマ(管理人)
 構図的には鮮やかに決まりますね(感心)。無意識のうちにも“見せつけ欲”を秘めていた可能性は、僕も強く受け止めていましたから、そこにはそういう意識が働いていたというのは納得です。ただし「猛の昔の恋人だからこそ、自分のものにしたかった」というほどに一番の狙いのようなものではなくて、智恵子を得られそうに思える状況になってきたことで付随的に生じてきたもののような気がします。兄弟間の相克に対して、ちょっと人間が甘いのかも(笑)。

(TAOさん)
 あ、そうですそうです。一番の狙いのようなものではありません。私が言っているのは、あくまで深層意識ですから。意識的にはまったくそのとおりだと思います。そう考えると、ますます智恵子が哀れなのですが。

ヤマ(管理人)
 確かにね。
 そんなふうに考えちゃうと「智恵子」であることに意味がなくなり、「猛の元恋人」という意味しかなくなっちゃいますものね。それで死にまで追い遣られちゃ哀れの極みですよ。事故でも殺人でも、やっぱ「智恵子」への執着でなきゃ、あまりにも可哀想だ。

(TAOさん)
 ヤマさんがそうお考えになるのはとてもわかりますとも!

ヤマ(管理人)
 監督が女性であるが故に、智恵子を汲み取らないということなら、僕が汲んでやりますとも(笑)。

(TAOさん)
 だけど、稔にとっては、罪の意識は別として、智恵子を失った痛手よりも、これまでの人生に意味が見いだせなくなってしまったことのほうが耐え難かったのでは、と思うのです。

ヤマ(管理人)
 男にとって、心を寄せた女性の存在は、そんなにも軽いものじゃあ、ありませんよ。とりわけ稔のように“もてない確信”に囚われ続けてきた男にとっては(断言)。やっぱり「智恵子を失ったことでこれからの人生に意味を見出せなくなった」のだと思うなぁ。


-------『ゆれる』談義に待望の男性参加-------

(イノセントさん)
 『ゆれる』に対する皆さんのレス興味深く拝見していました。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます、イノセントさん、お久しぶりですね。

(イノセントさん)
 僕がこの映画で感じたものは、TAOさんの最後の感想にほぼ重なります。

ヤマ(管理人)
 最後の感想ってことは「稔にとっては、…智恵子を失った痛手よりも、これまでの人生に意味が見いだせなくなってしまったことのほうが耐え難かったのでは、と思う」という部分ですね?

(イノセントさん)
 はい、そこですね。

ヤマ(管理人)
 やはりそうでしたか。じゃあ「智恵子を失ったことでこれからの人生に意味を見出せなくなった」のではなく、稔にとっての重みは、「智恵子<己が人生」という形になるわけですね。TAOさんがおっしゃってるように、女の存在、実は軽いってことか…(たは)。
 それと、併せて「好青年だけど手も出さない稔とぬるい毎日を送っていた」ともTAOさんはお書きですから、智恵子と稔の間にセックスはなかったとの見解に重なるということも含んでいるんでしょうかね?

(イノセントさん)
 セックスがあったかどうかはまでは考えませんでしたが、「好青年だけど手も出さない稔とぬるい毎日を送っていた」というTAOさんの意見に賛同します。

ヤマ(管理人)
 ということは、この談義への参加メンバーでは、男女交えても僕だけか…(たは)。まぁでも、やっぱり僕は、酒があまり飲めない智恵子について、猛に敢えて「あれでなかなかしつこいだろう?…………お酒。」と鎌かけるには、それなりの根拠がないと、全然鎌かけにもならなくなるわけですから、鎌かけと解する以上、二人の肉体関係は前提のように思えて仕方ないですよ(笑)。酒を飲みに行ったのかどうかを探るだけなら、そんな鎌をかけるような訊き方をする必要はありませんし、ね。


-------第三の“しつこさ”の提起-------

(イノセントさん)
 稔が言った「あれでなかなかしつこいだろう?」というのは、「つつましいように見えて、結構彼女は執念深いだろう? いつまでもお前に未練を持っていて。猛もそんな智恵子が重いだろ?」という意味だとは考えられませんか?

ヤマ(管理人)
 おぉ~、酒でもセックスでもなく、想いのしつこさですか。なるほど。
 これは考えもしなかったですが、納得の解釈ですねー。

(イノセントさん)
 稔はそんなことを聞いてしまった自分をごまかすために「酒」と言った。猛はセックスのことだと思い込んで慌てる。結果的に稔は「やったんだな」と気づいてしまった。

ヤマ(管理人)
 はいはい、整合性とれてます。なるほどなー。

(イノセントさん)
 これなら「しつこい」と問う理由になりえるだろうし、僕が鎌かけではないといったことも一応成立する様に思うのですが。

ヤマ(管理人)
 ええ、確かに鎌かけにもなりませんね。面白いなぁ! 直感的に鎌かけと感じた僕は、僕なりに納得できる背景を想像したわけですが、同様に、鎌かけだとはついぞ思わなかったイノセントさんには、それに見合った形で納得のできる背景が想像できるわけですよね、当然ながら。智恵子が猛に想いを抱き続けてて、稔との間に特別な関係はなかったという形で。

(イノセントさん)
 つまり稔は、智恵子に恋心を抱きつつも、智恵子の心に今だ猛がくすぶっていることを感じ取っていた。

ヤマ(管理人)
 そういうことですね。“田舎での二十九歳独身女性という言わば観念のしどころ”みたいなとこで、これまでとは違って幽かに可能性を期待できる状況になっていると感じつつも、ここんとこで“揺れてて”具体的にはまだアクションを掛けるに至ってない稔だったというわけですね。
 だから、鎌かけなどという計略じみたことではなく、素朴に自分が智恵子に対してこれからアクションを掛けるか否かを決断するうえでの判断材料にしたくて猛に訊ねてみたのかもしれませんね。
 ちょっと訊き方がいやらしいとは思いますが、“モテない確信”に囚われた自信のなさからすれば、いかにもって気もします(あは)。

(イノセントさん)
 智恵子の部屋には猛の撮影した写真集がありましたよね。猛に対する密かな未練があったということです。

ヤマ(管理人)
 あぁ、密かな未練はあったんでしょうね。智恵子の猛への“想いのしつこさ”と“写真集”が、ここで符合するわけですね。でも、久しぶりに郷里に戻ってきて自分に誘いをかけてくれるまでは、多少の未練はあっても、現実的には既に遠い“過去の人”だったとも言えましょうし…。

(イノセントさん)
 智恵子にとって猛はいまだ、遠い人では決してなかったように思いますよ。

ヤマ(管理人)
 ええ。イノセントさんが想いを馳せた背景からすれば、当然そうなりますよね。

(イノセントさん)
 タダそれは恋人としてよりは、都会へ出ることへの未練とともにくすぶっていたものかもしれません。これは皆さんの意見にもありましたよね。

(TAOさん)
 そうですねえ。私もイノセントさんに同感です。

ヤマ(管理人)
 くすぶりって感じも、けっこうリアリティありますよねー。

(TAOさん)
 そして、その二重のくすぶり具合が私たち同性から見ると歯がゆいから、智恵子に対して必要以上に冷淡になっちゃうんでしょうね。女性は、男性よりもはるかに”女々しさ”に関して過敏で、自分のなかにも確実に存在する女々しさをできれば抹殺したいと思っているからでしょうか。

ヤマ(管理人)
 “女々しさ”に限らず、そういうときって、おっしゃるように、実はわりと自分のなかの痛いとこだったりすることが多いものです、女性だけでなく。

(TAOさん)
 イノセントさんが「しつこさ」の意味を「つつましいように見えて、結構彼女は執念深いだろう? いつまでもお前に未練を持っていて。猛もそんな智恵子が重いだろ?」とした解釈にはハッとさせられます。

ヤマ(管理人)
 そうですね。イノセントさんへのレスにも書いたように、僕も同感です。

(TAOさん)
 そういえば、稔は後に、「智恵子が重いだろうから、オレが殺してやったんだ」というようなこと猛に言いましたよね。

ヤマ(管理人)
 え? そんなことも言ってました?(おろおろ、おろ(笑)。)12月になると、こちらのシネコンでの上映が始まるから、再見してみようかなぁ(苦笑)。

(イノセントさん)
 だいたい人って勝手なもので、次に素敵な人が現れると過去の人は一瞬にして忘れられるけど、あるいは思い出に昇華できるけれど、一人の時はいつまでもくすぶっているものじゃないですかね。

ヤマ(管理人)
 このへんは、かなり個人差ありで、ダメならダメって潔くなれる人も、未練がましい人も、共にいますよね。でもって、未練がましいほうに想いの深さを受け取る方がわりといますが、僕は必ずしもそれには繋がらないことのように感じてます。むしろ気質の違いだと思っているのですが、もちろん想いの深さが未練がましさに繋がっている場合も多々あるとは思います。つまり、逆は言えないってことで、想いが深ければ、必ず未練がましくなるというわけではないんですよね。

(イノセントさん)
 確かに個人差はありますね。これは僕のパターンを智恵子に当てはめてみました(僕は執念深いんです、でも次が見つかったら瞬時に過去を整理できます)。

ヤマ(管理人)
 未練がましいのは、男の…。

(イノセントさん)
 こういうくすぶりは、男だから女だからという問題ではないと思います。

ヤマ(管理人)
 はい、そうですね(反省)。
 僕は何かにつけ、男は女に敵わないとか、女は潔く男は未練がましいと零しては『ジョゼと虎と魚たち』でのお茶屋さんとの談義のように、たしなめられています(たは)。
 でもねー、実感なんだもの~(懲りてない!(苦笑))。


(イノセントさん)
 智恵子にとっての稔は、猛とあまりに対照的で、むしろ猛を思い出させてしまう存在だったかもしれません。

ヤマ(管理人)
 されば、なおのこと、智恵子にとって稔は対象外ってことですね。いかな“田舎での二十九歳独身女性という言わば観念のしどころ”に至ろうとも、稔だけはあり得ない!って心境なわけですか。それも考えられますよね。

(TAOさん)
 いえいえ、そうではないと思われます。


ヤマ(管理人)
 ふむ、違うんですか…。

(TAOさん)
 猛を思い出すからイヤでもあり、猛と少しでも縁がつながるのがうれしくもあり、そんな自分がいじらしくもみじめに感じたり、ただ稔本人に対しての感情が二の次になるのではないか、と。

ヤマ(管理人)
 なるほど。対象外とかあり得ない!とかって強いものではなく、そもそもが「稔」当人のとこが軽いってことなんですね(笑)。でもって、そんな相手と特段の関係に踏み込もうはずがないってことか…。確かにね。

(イノセントさん)
 登場人物それぞれの心情を考えていくと、皆さん違った御意見は、それぞれに納得のいくものだと思います。


ヤマ(管理人)
 ええ、僕もそう思います。軸足の置き場が少し異なるだけで見え方変わってきますよね。風景でもそうですもん。観る位置や天気が変われば、違ってくるのですが、どれも歴然とその風景であって、当否正誤の問題ではありませんもの。


-------女性意見に限らなかった“家の重み”-------

(イノセントさん)
 ただ、「監督が何を描きたかったのか」ということになると、智恵子は二人の心を揺らす【きっかけ】として重要ではあるけれども、むしろそれによって表面化してしまった“兄弟の確執”と確執の根源にある“家の重さ”だったと思います。

ヤマ(管理人)
 イノセントさんも“家”派ですか。女性に限らないわけですね~。

(イノセントさん)
 そうですね。mixiでも書いたように、これは僕の個人的体験が大きく影響しています。“家”というものを居心地の良い場所と考えるか、あるいは足かせと考えるか、それは個人の体験で大きく違ってくるものだと思います。

ヤマ(管理人)
 そのとおりですね。特に、家業や資産のあるなしって大きいですよね。

(イノセントさん)
 僕にとって“家”に残ることは、自分の人生を放棄することに匹敵することでしたから、なおさらこの点については敏感になり、この映画に対する僕の感情は随分と偏ったものになっているとは思っています。

ヤマ(管理人)
 偏りというか御自身の体験や歴史が反映されるからこそ各人の感想を伺うのが興味深いのであって、個性もないただの解説ならば、パンフを読めば充分な話で、そのパンフにも近頃はとんと興味を持てないでいる僕が伺い、交わしたい感想は、やっぱり自身の体験や歴史の反映によって“偏ったもの”なんですよ(あは)。
 それにしても、ようやく僕以外の男性票が入りましたが、“家”のほうか~(たは)。僕は、拙日誌に綴ったように、田舎に残った者と東京に出ていった者との対比のほうが強いように感じたのですが…。

(イノセントさん)
 これは、“家”に執着するのと同じ視点だと思うのですが、ヤマさんのなかでは別の問題なのでしょうか?

ヤマ(管理人)
 そうですね、かなり問題点が違ってきます。田舎っていうのは、僕にとっては足かせやしがらみというよりも、世間の狭さや退屈さを意味する面が強く、重圧感とかはありません。気楽さは与えてくれても気安さを与えてはくれない都会のほうが、生きるうえでのプレッシャー的なものは、むしろ強く働くような気がします。田舎では、あまり競り合う必要ないじゃないですか(笑)。

(イノセントさん)
 そうですね。でも、世間の狭さが逆に大きなプレッシャーになる時があるじゃないですか。

ヤマ(管理人)
 もちろんありますよね。息が詰まりそうな窮屈さとかね。

(イノセントさん)
 その狭い人間関係が良好なときは心地いいけど、一端自分にとって不都合なうわさが広がりでもしたら、近所の人たち全員が一瞬にして敵になったりするでしょ。

ヤマ(管理人)
 はい。よく起こりますよね。イノセントさんから「ヤマさんのなかでは…」と訊かれたので、僕のなかでは「かなり問題点が違ってきます」と答えましたが、一般的には、家にも田舎にも共通して受け取るものが多い傾向にあるとは思います。

(イノセントさん)
 稔も言いましたよね。「こんなことになって田舎で暮らせると思うか?」(事故だろうが事件だろうが、智恵子の死に自分が隣り合わせていたことに近所の人たちは勝手なうわさをたてるにちがいない)

ヤマ(管理人)
 極めて常識的な判断ですよね。まぁでも、それって田舎に限らず都会だって同じで、住まいを変えざるを得なくなるはずなんですけどね。
 とにかくまぁ、この作品の主題は、いちばんには先ず“兄弟の確執”だと僕も思ってますが、実際に監督自身がどう思っていたのかは定かではないけれども、そのように見えるということでは“兄弟の確執”の部分に異論のある人は、ほとんどいないように思いますよねー。

(イノセントさん)
 刑期を終えたラストシーン、監督は兄弟の心に智恵子を存在させず、幼い時の家族の映像を見せたわけですから。

ヤマ(管理人)
 “家族”だから“家”なわけですね(なるほど)。もっともラストシーンってことでの正確性で言えば、東京から山梨に車を駆って戻ってきた猛とバスに乗って山梨を出るのかもしれない稔だとも言えるのですが、それにしたって、猛は兄に“家”に帰ろうって迎えに来たのだから“家”でもあるわけですよねー。

(イノセントさん)
 “家”というよりは、むしろしがらみですかね。しがらみから逃れられなかった稔、しがらみを捨てて自由に生きる猛。

ヤマ(管理人)
 そうですね。ここでの“家”派のみなさんが“家”について着目している要点は、まさしくそれなんでしょうね。

(タンミノワさん)
 イノセントさんの「智恵子は二人の心を揺らす【きっかけ】として重要ではあるけれども、監督は兄弟の心に智恵子を存在させず、幼い時の家族の映像を見せたわけですから」というのに、うなずいてしまいました。

ヤマ(管理人)
 “家”派ですし、ねー。

(タンミノワさん)
 私もこの映画、ずーーーーーっと、「智恵子」という女性の存在感の薄さを感じてました。

ヤマ(管理人)
 あんなに激しかったのに…(笑)。

(タンミノワさん)
 「気の毒になあ。なんか薄いまんま映画から消えちゃって・・」とか(笑)。

ヤマ(管理人)
 そら、ほんま気の毒や。でも僕は、彼女の存在を鍵に観てたんで、少数派かもしれないけれど、智恵子の“浮かぶ瀬”として供養の一つにでもしてあげようっと(笑)。

(タンミノワさん)
 あの兄弟にとっては、火種になりましたが、なんか智恵子は、稔の救済のために現れ、死んでいくはめになったような(ひどいなそれ)。

ヤマ(管理人)
 彼女自身の人生は問題にされない存在だとなれば、確かにひどい話(苦笑)。なんでそんなに存在感、薄くお感じになったんでしょうねぇ。

(タンミノワさん)
 気の毒だけど、全然かわいそうに思えない女。私も女なのに、なぜだか全然かわいそうに思えず「まずいとこに居合わせちゃいましたねえ」とか思ってしまう。そんな役どころなんです。私にとって智恵子って。身から出たサビとまではいきませんけど。

ヤマ(管理人)
 いやいや、身から出たサビを認めてあげるほうが、遥かに存在感ありじゃないですかねぇ(笑)。


-------四たび“稔と智恵子の間のセックス問題”(イノセントさん編)-------

(イノセントさん)
 稔を軸に考えると、監督が描きたかったのは、あるいは「自分で納得して選択した人生か否か」だったとも思えます。

ヤマ(管理人)
 そうそう。“納得”も“選択”も、人生のキーワードですからねー。

(イノセントさん)
 智恵子との交際は(実際交際していたかは疑問ですが)、稔にとっては、田舎から出るわけではないけれど、初めて自分の意思で自分の人生を切り開くチャンスだと思ったのではないでしょうか?

ヤマ(管理人)
 同感です。だから、執着したんでしょうね。そこへもってきて「触らないで!」と、事もあろうに生理的嫌悪を示すような反応を示されては、思わず逆上してしまうのも無理からぬものがあるように思うのですが、そこにもやはり稔がそうなるに足るだけの既成事実の一つくらいはないと、トンデモ妄想男みたいなことになって、死んだ智恵子も死なせた稔も、あまりにも哀れじゃござんせんか(笑)。

(イノセントさん)
 恋の始まりは、互いの温度差があったりするものだから、それが妄想でも致し方ないんじゃないですか?

ヤマ(管理人)
 それはそうですが、妄想にも程があって、そうなるに足るだけの既成事実の一つさえないトンデモ妄想ってのは、やっぱり哀れに過ぎるし、智恵子も浮かばれないじゃないですか。

(イノセントさん)
 でも、ちょっとした優しさに恋心が芽生えたりするんですから。

ヤマ(管理人)
 だけど、その程度の段階で恋心がはぐらかされたからって殺しにまで至ると、逸脱度が激しすぎませんかね。

(イノセントさん)
 吊橋で智恵子を突き落とした理由。あの場面は恋愛感情だけではなく、もっと複雑な感情が稔の心にあったと僕は思うんですよ。

ヤマ(管理人)
 それはもう、僕にしてもそうですよ。ベースのところに、後に面会室で稔がブチ撒け挑発する弟への恨み言みたいなのがあってこその、この事件の勃発なんですものね。

(イノセントさん)
 まず、智恵子に対する恋心と智恵子の反発はご覧の通りです。そして、幼い頃の記憶が蘇る。猛はいつも吊橋を渡り、高所恐怖症の稔はいつも渡れなかった。大人になっても状況は変わらず、猛は吊橋を渡り稔は渡れない。さらには、二人の間でゆれている智恵子までもが吊橋を渡ると言い出すと、またもや一人取り残される稔は、いたたまれなくなった。

ヤマ(管理人)
 そうそう。ここんとこが底流として横たわっているからこそ、智恵子の反応が引き金となって猛と智恵子への怒りという形で噴き出すんでしょうからね。

(イノセントさん)
 あの時の吊橋には、幼時の思い出に引きずられて、田舎と都会、束縛と自由、恋愛と失恋、あの映画で考えられるいろんな相反するテーマが乗っかっていたように感じました。

ヤマ(管理人)
 観た当座はそんなふうにも思ってませんでしたが、こうして振り返ってみると、まさしくいろんな対称軸で揺れてたんですねぇ、あの吊り橋。

(イノセントさん)
 橋を渡ろうと思った稔にとって、それは人生を賭けた思いだったはずですよ。これは稔の思考のなかでというよりは、むしろ監督が稔に託した思いと言うほうがいいのかもしれません。それが橋のど真ん中で智恵子に思いも寄らぬ仕打ちをされて、頭のなかが真っ白になり、次の瞬間激情したのだと思います。

ヤマ(管理人)
 それだけの反応の引き金に智恵子がなり得るには、それなりのイキサツが必要な気がするんですけどねー。あの吊り橋のうえに乗っかって揺れていた、イノセントさん御指摘のたくさんの事々というのは、言わば“火薬”ですよね。だから、引火すると大爆発します。でも、火薬それ自体では発火はしませんよね。あれだけの火薬を大爆発させるだけの引火をもたらした引き金が智恵子からの“触らないで!”なんですよ。
 やっぱ、僕は、それに見合っただけの事情が彼ら二人の間にあった気がしてならないなぁ。

(イノセントさん)
 確かに、ヤマさんのおっしゃりたいことはよくわかります。二人の間に交わりがあったと考えるほうが説得力あると僕も思います。ただ、セックスがあった状況を探すとするならば、猛が車のなかで、兄を部屋に上げたことがあるのか?と聞いて「ないわよ!」と語調を荒げた場面。ここは、「あった」と思わせますよね。でも、部屋の写真集は、僕にはどう考えてもなかった証。TAOさんと同じです。

ヤマ(管理人)
 いや、どっちが説得力があるかって話じゃないと思うんですよ。前にレスしたように「直感的に鎌かけと感じた僕は、僕なりに納得できる背景を想像したわけですが、同様に、鎌かけだとはついぞ思わなかったイノセントさんにはそれに見合った形で納得のできる背景が想像できるわけですよね、当然ながら。」ということであって、それぞれに対して、「えぇ~なんで~?」ってな不可解さが解け「あぁ、そういうことなのか、なるほどねー」っていう納得感が得られたら、面白いなぁと観方の幅を広げられるわけで、互いの収穫ですもんね。写真集の件にしても、TAOさんやイノセントさんが、智恵子が田舎脱出の未練とともに猛への未練を持ち続けていた証だと受け止めることに、何ら違和感はありません。

(イノセントさん)
 もしも智恵子が猛の写真を「作品」として心底気に入ってるならば、別です。でも、智恵子にはそんな感性があったようには感じません。それ以上に、赤の他人ならともかく、弟と付きあった過去があって次に兄と付きあうならば、普通何らかの後ろめたさを感じるはずです。絶対に部屋に弟を思わせるものは置かないと思うんですけど。そういう神経質なところがないのであれば、逆に吊橋での生理的な拒絶が不自然に思えてきます。あえて状況を考えるなら、ラブホに行ったか、車の中でキスを交わしたか。キスぐらいならありえるかも。

ヤマ(管理人)
 なるほどねー。要は「普通何らかの後ろめたさを感じるはずです。絶対に部屋に弟を思わせるものは置かない」ってとこですよね。僕は拙日誌にも綴ってあるように、この作品のキーワードは“罪悪感”いうなれば“後ろめたさ”だと感じていますから、稔と智恵子の間においても、こういうところが潜んでいると観るほうがさらに深みが増してくるような気がしました。
 智恵子の“気遣い”“エチケット”っていう面もむろんあるのでしょうが、それより“後ろめたさ”のほうが、この作品には似合ってるような気がしますね。
 で、イノセントさんのおっしゃる智恵子像というのは、もちろん全然ありと言いますか、「直感的に鎌かけと感じた僕は、僕なりに納得できる背景を想像したわけですが、同様に、鎌かけだとはついぞ思わなかったイノセントさんにはそれに見合った形で納得のできる背景が想像できるわけですよね、当然ながら。」と思うなかでの納得感に満ちています。

(イノセントさん)
 説得力の件は、突き落としの動機だけをピックアップして考えたら、確かにヤマさんの意見は説得力あるなって思ったのですよ。ただ、僕はセックスの場所を智恵子の部屋だと想定できないので、ラブホだの想定してみたわけです。そして、やっぱり僕には全体の流れから、セックスなしと想定するのが自然だと思い、セックスなしでの突き落としの動機を改めて考えてみたわけです。

ヤマ(管理人)
 そんなふうに丁寧に沿ってみてくださったうえでのことですから、やはりそれなりの動機というか背景に、イノセントさんの想像が及んだのでしょうね。あれこれ反芻するのは楽しいものなんですが、やっぱそうしてみたくなる動機づけといいますか、きっかけがないと自分だけでは、なかなかしにくいものですもんね。ここがそういう場になることは、管理人としても嬉しい限りです。
 僕らがここで談義している事々は、直接的には映画には描かれていない背景ですから、映画に映し出されたものの何をどう受け止めてどう想像したかの話ですよね。智恵子がセンシティヴな女性なのか、タフな女性なのか、うぶな女性なのか、強かな女性なのか、そんなのは明示をしていないわけで、他の男の登場人物たち以上に、その人物像が受け手の想像に委ねられているように思います。
 僕が拙日誌に「智恵子の母が“あの子は、殺されるような悪いことを何かしたのでしょうか?”と猛に問い掛ける台詞を設えてあるのが利いている。」と綴ったのは、そういうことです。

(イノセントさん)
 ちょっと僕も興奮して、根拠も挙げないままに自分の意見を押し付けたり、あやふやなところをすっ飛ばしたりしていましたね。すいません。

ヤマ(管理人)
 いえいえ、とんでもありません。こうしてきちんと互いの論点や立脚点を確かめ合って談義を進められるのですから、これ以上のものはありませんよ。その範囲のなかで白熱することは、とても刺激的ですし、また自分だけではとうてい辿り着けない新鮮な視点や解釈が得られ、楽しいものです。

(イノセントさん)
 で、智恵子の突き飛ばしですが、智恵子だって兄弟二人から求められたら、稔が肩を触っただけで生理的に拒絶するには十分な理由だと思いますよ。

ヤマ(管理人)
 それはそうです。だから、智恵子が生理的に拒絶した反応には、僕も何の違和感も覚えてないし、むしろ、あの描き方には感心してますよ。

(イノセントさん)
 高所恐怖症の稔が、智恵子を支えるふりしながら、その実情けなく智恵子にしがみついている時、あんな風に生理的に拒絶されたら、衝動的に突き落としてしまうことは十分あり得るでしょう。すでに頭真っ白でしょうから。理由をつけて拒絶されるより生理的に拒絶されるほうがよほどショックは大きいと思います。

ヤマ(管理人)
 そのとおりですね。

(イノセントさん)
 恋愛経験の少ないと思われる稔にとってはなおさら。

ヤマ(管理人)
 はい、同感です。

(イノセントさん)
 仮にセックスに至ってなかったとしてもあり得ると思うんですけどねぇ。

ヤマ(管理人)
 将来を見据えるような部分を秘めたマジメな男女関係として、智恵子と稔の間に付き合いがあったのか、また、その付き合いのなかにセックスが介在していたのか、などということは、直接的には何も描かれておりませんから、そもそも、そういう付き合い自体が想定できないと考える人もいれば、付き合ってたんじゃないかと思うけど、セックスにまでは至ってなかったはずと思う人や二人の間にはセックスもあっただろうと思う人がいて、なんら不都合はなく、そのそれぞれの受け止めにおいて納得感が得られれば、僕は満足なんですが、イノセントさんのおっしゃる、稔のあの言葉がそもそも鎌かけではないとする観方からの一連の解釈というのは、僕にとって納得感がとてもあり、かつ、そう解するならば、そりゃあ、稔と智恵子との間にはセックスなんか介在してないよなぁと同意してます。
 ただ“好みの問題”として、稔も智恵子もあまりに浮かばれない気がして、自分が自分なりに揺れつつも納得できている解釈に相変わらず立っているに過ぎません。

(イノセントさん)
 先に書いたように、吊橋を渡る稔にいろんな意味を含めて「人生の賭け」だと考えることが許されるなら、智恵子の生理的拒絶はその「全面否定」と例えてもいいんじゃないでしょうか?

ヤマ(管理人)
 智恵子にとっては、ほとんど生理的反応ですから、そんな意図もないでしょうが、稔にとっては、まさしく「全面否定」されたように映るでしょうね。異存なしですよ。

(TAOさん)
 突き落としの動機については、イノセントさんの「人生の賭け」説に同意します。

ヤマ(管理人)
 稔にとっては、まさしくそうですよね。イノセントさんへのレスにも「異存なしですよ」と返したところです。拙日誌にも「稔の味わった絶望感と怒りには想定外の激しいものがあったことだろう。物理的に突き落とされた智恵子同様に、人生から突き落とされたようなものだ。」と綴っている箇所でもありますし。

(TAOさん)
 男女間のことで付け加えるとすると、智恵子の拒絶で、「長い間音信不通で不誠実きわまりない弟には即やらせて、オレには指一本ふれさせないのか!」と思ったとすれば、むしろセックスなしのほうが説得力があるかと思うのですが。

ヤマ(管理人)
 なるほど、なるほど(感心)。というか、そういう憤り方は、セックスなしでなければ、成立しませんよね。こういうふうに補足していただけると随分と納得感もあがってきます(礼)。
 もっとも既に納得感自体は与えていただいてるんですけどね、セックスなしのほうにも(笑)。ただ、させてもらえなかったっていうのは所詮“不満”であって、“裏切り”ってのと比べると引火に及ぼす発火力が今イチ弱く感じられますけど(笑)。もう一押し、何か出てきませんかね?(たは) “不満の怒り”でもそれなりに起爆力があるとは思うんですけどね~。


-------智恵子の部屋にあった猛の写真集の持つ重み-------

(TAOさん)
 ヤマさん、写真集の件、しつこいようですが、もう少し細かく申し上げますね。

ヤマ(管理人)
 はいはい、ありがとうございます(笑)。

(TAOさん)
 けっして無神経ではないごくふつうの女性なら、新しい男性とつきあいはじめたときに、本心はどうあれ、元カレとの関係を示すグッズは、新しいカレの目にふれないように始末するか隠すのがエチケットです。

ヤマ(管理人)
 確かに。女性は特にこういう面には抜かりがないとしたものですよね、男と違って(笑)。

(TAOさん)
 それゆえ、智恵子は稔を自宅に上げる予定がまるでなかった、つまり本格的につきあう予定がなかったと思うのですが…。

ヤマ(管理人)
 それも、当然にしてありだと思いますよ。でも、僕の目にはそう映らなかった。その立場からすれば、二人で写した記念写真のポートレイトだとかではなく、あれが公に出版された写真集なれば、取り立てて“元カレとの関係を示すグッズ”とも思えないわけで、例えば、拙著を買って手元に置いてくれてる女性の友人たちが決して僕の元カノとは限らないようなものだと僕は思ったりするわけですよ(笑)。
 猛が一周忌で帰ってきて誘われるまでは、ある意味、遠い人になってたとすれば、なおのこと、おっしゃるような意味でのエチケットを働かせるまでもないわけで、逆に、猛の写真集を無頓着に置いていられるのは、既に終わったこととして“終いのついていた証”とも言えるわけです。ポートレイトだったら、そうは言えなくなると思いますが。

(TAOさん)
 写真集の件は私の言い方が通じにくかったようです。

ヤマ(管理人)
 恐れ入ります。

(TAOさん)
 智恵子と猛が過去につきあっていたことを知っていた稔が、猛の写真集を現在の彼女の部屋で見たとき、少なくともいい印象は受けないであろう、ということが智恵子には想像できるはずなので、稔にあらぬ誤解を受けないためにも、あらかじめ処分するなり隠すなりするのがふつうだろうと思う、と言いたかったのでした。でも、ヤマさんは、稔がそれを見てもなんとも思わないとお思いなのかな? あるいは、稔がふたりの過去の関係に気づいてなかったと?

ヤマ(管理人)
 これは、もしも稔を部屋に上げるとするならば、あらぬ誤解(いまだに猛を想ってるとの)を招かないよう、そして、不快感を招かないよう、智恵子は配慮するはずだから、そうしてなかったのは、稔を部屋に上げたりしてないからだという御指摘なんですよね。それなら、前回もそのように受け取ったうえでレスを返していたのですが、違ってました?(たは)
 兄稔が智恵子の部屋で弟の写真集をもし見たときにどう思うかということについては、僕は「公に出版された写真集なれば、取り立てて“元カレとの関係を示すグッズ”とも思えない」と書いてるように、TAOさんがおっしゃるようには、気にしないように思うのですが、なんとも思わないと思うのかと念押しされると、やや怯みます(笑)。大して気に病まないとは思うものの、あれ?持ってるんだってなことぐらいは、そりゃ、思うと想像しますが、その程度のように思ってました(たは)。
 僕の想像では、二人の間にセックスありなんで、稔にすれば、そのとき写真集を気にするよか目が向くパーツは他にいくらでもって状態なのが、その部屋にいるときの真情かと(笑)。
 でもねー、稔がもし、既成事実の一つさえないままに“妄想”的な激情で発作的に殺人を犯してしまうようなキャラクターならば、大して気に病まないなどとは決して言えなくなるような気はしますし、稔がどうであれ、智恵子がそんなふうに写真集さえも気にしてしまうはずだというのは、女性なれば、やっぱそんなもんかなぁと思ったりはします。
 ですから、TAOさんやイノセントさんのなかでは、そういう形で写真集が意味を持ち、智恵子が田舎脱出の未練とともに猛への未練を持ち続けていた証だと受け止めることに、何ら違和感はありませんよ。でも、それよりも、稔の逆上についての納得感が僕のなかで得られやすい背景のほうをやっぱ採っちゃうんですけどね、僕は(たは)。
 で、稔がふたりの過去の関係に気づいてなかったとは思ってません。鎌かけであるか否かを抜きにしても「ああ見えてしつこい」うんぬんを稔が猛に投げ掛ける大前提ですもの。ただ、単に写真集くらいじゃあ、そこまでいかんじゃろうってな感じですね、僕がさほど写真集を重視しないのは。

(TAOさん)
 写真集の件はようやく納得しました。

ヤマ(管理人)
 確認できてよございました(笑)。

(TAOさん)
 ヤマさんなら、恋人の部屋に弟(昔の男)の写真集があってもノープロブレム、というわけですねー(笑)。

ヤマ(管理人)
 実体験があるわけではないので、直面すると違ってくるのかもしれませんが、自分的には、そんなことぐらいでナーバスになったりはしない気が…(あは)。鈍感なんでしょうかね? おめでたいのかな?(苦笑)

(TAOさん)
 ヤマさんがさして気になさらないというのは分かりましたが、女のほうは、いちおう気を遣うと思いますよ。

ヤマ(管理人)
 うん。それはそうなんだろうなーと。そこらへんは慎重というか周到な女の人のほうが多そうですもんね。だから、部屋は使ってなかったのかもしれませんね、まだ(笑)。あ、いや、僕的には、であって、稔と智恵子の間にセックスがあったってことを強いてはいませんからね(念のため)。


-------“家”にこだわる人とそうでない人の分かれ目-------

(イノセントさん)
 ところで、“家”にこだわる人とそうでない人の分かれ目は?

ヤマ(管理人)
 ここでのサンプルでは、これまでは男女差でしたが、イノセントさんが加わって男女差ではなくなりました(笑)。都会と田舎という住処の差も同時になくなりました。そうですねぇ、当たり前っちゃ当たり前ですが、“家”の重みをキチンと受け止めている人とそうでない横着者ってのが今のところの分かれ目でしょうか(苦笑)。

(イノセントさん)
 ヤマさんの日誌を改めて読み直して、ヤマさんが猛の心の揺れを相当敏感に感じておられるのに対して、僕はほとんど稔の揺れのみに心を奪われていたところが決定的に違うと思いました。だから、僕には智恵子の存在感も軽く映り、ヤマさんにとっては重かったのでしょうね。

ヤマ(管理人)
 これは面白いですね。もちろん兄弟両方の心の揺れが描かれてはいたのですが、直接的には、むしろ猛の揺れのほうが前に出た作りになっていたように思います。だのに、イノセントさんが稔のほうに心奪われていたのは、やはり“家”という問題が御自身にとって切実なものだったからなんでしょうね。そういう点では、納得というか、整合性が取れてますよね~。
 けどなぁ、そういうことからすると、僕は、長男で兄なのに、“家”より“女”ってことになるのかよ(たはは)。

(イノセントさん)
 はははっ。横着者ですか! “女”ですか!
 確かにヤマさん、この掲示板では、よく女に執着してます(爆)。

ヤマ(管理人)
 アタタタタ、やっぱ露呈してますか(とほほ)。稔同様に形無しだな~(苦笑)。でもねー、一大関心事なんですよ、正直(笑)。

(イノセントさん)
 いやいや、それは家や家族の「ありがたさ」をヤマさんが実感しているからでしょ。家を背負って自分を生かせるか生かせないか、…

ヤマ(管理人)
 いやまぁ、そんな大層で立派な話じゃないんですけどね(苦笑)。単に女好きなんでしょうねー(たは)。

(イノセントさん)
 僕は家への責任を放棄した社会の負け犬ですからね。

ヤマ(管理人)
 30代独身だと、男も“負け犬”なんですか(苦笑)。

(イノセントさん)
 あらっ、ヤマさんフォローしてくれるかと思ったのに(笑)。

ヤマ(管理人)
 あ、そーでしたか(失敬、失敬)。僕ねぇ、そもそも流行言葉としての“負け犬”って好きじゃなくてね。その言葉をフォローする発想自体がなかったのでした(たは)。別に、そういうことって勝ち負けだと思ってないんで、フォローの必要自体を感じていないってのが本音(あは)。

(イノセントさん)
 でも、負け犬と思われつつ、自由に暮らすのは悪くもないですよ。負け惜しみか(苦笑)

ヤマ(管理人)
 なんら、負け惜しみだとは思いませんね。悪くもないと思えていることが、なんで負けでありましょうぞ。


-------女性陣の厳しい視線に晒された男としての稔像-------

(TAOさん)
 先にヤマさんが「そんなふうに考えちゃうと“智恵子”であることに意味がなくなり、“猛の元恋人”という意味しかなくなっちゃいますものね。それで死にまで追い遣られちゃ哀れの極みですよ。」とお書きになっていたことについても、イノセントさんが代弁してくださってるとおり、監督の意図としてはそのように見えるんですよねえ。なにしろ監督も女性ですから(笑)。

ヤマ(管理人)
 智恵子の存在は、監督の意図した兄弟の確執の「炙り出しのための【きっかけ】」ってことなんですね(笑)。もはや名前どころか、“猛の元恋人”にはあった「人」の字さえも消え、哀れ智恵子、「人」でなし(苦笑)。でもなぁ、確かに「なにしろ監督も女性ですから(笑)」ね~。

(TAOさん)
 ヤマさんが「とりわけ稔のように“もてない確信”に囚われ続けてきた男にとって、心を寄せた女性の存在は軽いものではなく、智恵子を失ったことでこれからの人生に意味を見出せなくなったのだ」とおっしゃるのは、とてもらしくて、よく分かるのですが、私は、稔が抱えていたのは、“もてない確信”よりもっと根深い問題じゃないかと。というのは、監督がエプロン姿に託したのは、いわば“去勢された男”だろうと思うんです。

ヤマ(管理人)
 去勢とまでおっしゃいますか!(苦笑)

(TAOさん)
 すみません、エプロン姿にこだわります(笑)。

ヤマ(管理人)
 いや、あのエプロン姿の演出は、出色ですよ。こだわるべきところだと思います。でも、あのアイデア、実は監督ではなく、演じた香川のアイデアだったのではないかと思ってるとこがかねがね僕のなかにはあったんです。何の根拠もない“男の勘”ですが。

(TAOさん)
 まぁ、それは置いといて(笑)。そういうエプロン男が、時間をかけてひとりの女性に好感をもってもらえるようになり、いよいよリーチという状態を迎えたんだけども、期待に胸を躍らせつつも、彼はちょっと怖じ気づいていたんじゃないかと。これはヤマさんもおっしゃってましたね。この時期がいちばん難しい時期だって。

ヤマ(管理人)
 ええ、僕にはそんなふうに映ってるんですが、ここんとこは、TAOさんも同じように受け止めておいでなんですね。リーチ前のイーシャンテン時でのセックスの有無についての心証が違ってるだけで。もっとも、それに絡んで稔の人物像は、随分違ってくるようには思いますが。

(TAOさん)
 そのたいせつな時期に、よりにもよって、訳ありで手の早そうな弟にみすみす彼女を送らせたのは、見せつけだの自信だのではなく、むろん不注意でもなく、去勢されてしまった男ゆえの“怯み”というか、好ましいと思う女性と本格的につきあっていく事への“懼れ”がどこかにあったのではないかと思うんです。

ヤマ(管理人)
 ほぅ、怯みとか懼れですか(意表)。そこまで神聖視してたんでしょうかね、智恵子を。まぁ、TAOさんは、彼ら二人にはセックスもなかったと見てるわけですから、その文脈に従えば、そういう感じもわからなくないですね。

(TAOさん)
 いえ、神聖視ではなく、単純に智恵子にスキを見いだせなかったのだと思います。

ヤマ(管理人)
 なるほど。

(TAOさん)
 そろそろお泊まりしてもOKよ、なんてサインを智恵子が出していたとは思えません。

ヤマ(管理人)
 だから、スキを待っててもダメで、猛のように押さなくっちゃってことですね(笑)。赤いアモーレ同様、TAOさん、押し込みがお好きですねぇ(あは)。

(TAOさん)
 イノセントさんがご指摘のように、智恵子にはいまだ猛への未練があるのですから。猛の写真集を目につく場所に置いていたってことは、智恵子は、稔を自宅に上げたことも上げる予定もなかったということですよね。

ヤマ(管理人)
 僕は、イノセントさんのレスにも書いたように、既に遠い“過去の人”だったろう、と。過去への潔さにおいて女性は強かだと思いますので、写真集が稔の不在証明にもならないような気がするけどなー。

(TAOさん)
 稔は、セックスどころか、へたすりゃ手も握ってないのじゃないかなあ。せいぜいドライブと食事どまりだと思うのですよ。

ヤマ(管理人)
 まぁねぇ、イノセントさんへのレスにも書いたように、去勢男のうえに“トンデモ妄想男”ってことなれば、まぁ、それもありやろなと(苦笑)。なんか哀れ度、半端じゃないんだけど(笑)。

(TAOさん)
 明確に意識してしたことではないでしょうけど、やっぱり私は、遅く帰ってきた弟にあんな悪趣味な鎌かけをした背後には、女性への懼れがあったんじゃないかと想像するんですよねえ。

ヤマ(管理人)
 なるほどねー。
                                                                    でも、ふと思ったんですが、あの鎌かけの言葉って、もしかしたら、その言葉を発すること自体が“見せつけ”のつもりだったのかも。鎌かけてリアクションを見ること以上に、発すること自体に意味があったような気もしてきました。

(TAOさん)
 ええ、そうですね。オレだって、おまえのしらない智恵子を知ってるんだぞ、という負け惜しみ発言に聞こえます。去勢ならぬ虚勢ですね(笑)。

ヤマ(管理人)
 “去勢男のうえにトンデモ妄想男”の張った“虚勢”ですか、いやはやもう形無しどころじゃありませんなぁ(苦笑)。しかも、“おまえのしらない智恵子”の見栄張りは、“おまえ”のほうが一周忌に一日帰ってきただけでしっかと知ってて見栄張ったほうが知らないだなんて…、女性の想像力の手厳しさって凄いね(笑)。
 哀れ、稔。多勢に無勢だけど、僕は、君が智恵子に対し、きちんと男を立てたことがあると支持してあげるからね~、たとえエプロンしてても(笑)。

(ケイケイさん)
 ちょっとお休みしていたら、どこから書いたらいいのかわかりません(笑)。

ヤマ(管理人)
 凄いことになってるでしょ(笑)。

(ケイケイさん)
 TAOさんの“去勢された男”というのは、稔を表現して言い得て妙ですよね(感心)。

ヤマ(管理人)
 取り合えず、ここから来ましたか(笑)。“家”の件に続き、女性お三方揃い踏みで…(苦笑)。ほんま形無しやなぁ、稔(同情)。

(ケイケイさん)
 三人でご飯を食べていた時、智恵子のことがあった直後なのに、父親のお酒の御代わりに、すっと稔が立ち上がったでしょう? あの辺もまるで“妻”だと思ったんです。妻って、何があっても家族の世話をするようにインプットされてますから。母親が亡くなってたった一年で、何なんだこの自然さはと、あの時も「ゆれ」ました。

ヤマ(管理人)
 お母さん、亡くなるまでも病床、長かったんじゃないでしょうかねぇ(笑)。


(ケイケイさん)
 ああいう自然さって、昨日今日じゃないと思いますよ。

ヤマ(管理人)
 だから、たぶん年季が入っていたんだろうと思いますよ。でも、そうやって一家の御台所として家を守り、長男として家を継ぎながら“去勢男”にされたんじゃあ、智恵子にも劣らぬ哀れさだよなぁ(憐憫)。

(ケイケイさん)
 上の子って親や家に何かあると、一番に責任を感じるものなんじゃないでしょうか?

ヤマ(管理人)
 そーですね、やっぱりそういう傾向ってありがちですね。伯父の修はそうでもなかったように見えますが、語られないだけで、それなりに葛藤があり、意識してもいればこそ、弟の勇にあんなことを言うんでしょうしね。

(ケイケイさん)
 稔の場合は、長男というより長女のそれっぽいですね。去勢も昨日今日のことではないと思われ(笑)。

(TAOさん)
 そうなんです、ケイケイさん、“長女”ですよね、稔は。そして、一年やそこらのなじみ方じゃないんです、あのエプロン。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。それは、僕もそう思います。

(ケイケイさん)
 思春期から猛に対しては、容姿や性格などにコンプレックスがあったんじゃないでしょうか?

ヤマ(管理人)
 しかし、思春期からですか、去勢…(苦笑)。

(タンミノワさん)
 稔のような人は、きちんと妻と子を持ってこそ人にも認められるのに、独身のまんまゆれている存在だから、“去勢された男”なんて見えちゃうんですよねえ。

ヤマ(管理人)
 うひゃあ~、強烈だなぁ、こりゃ(笑)。
 僕なんかも独身のまんま揺れてるとヤバかったかも(苦笑)。エプロンは、しそうにないっぽいんだけど、田舎の長男だからな~(おろおろ)。

(タンミノワさん)
 ああいう人こそ、田舎ならではのおせっかいおばさんの力によって所帯を持たされるべきだと思ってしまいます。

ヤマ(管理人)
 有無を言わせず、去る前に放出させようってわけですね、“セイ”を(笑)。

(ケイケイさん)
 この作品、採録と思っていますが、これは大変ですね。でも楽しみにしています、と逃げられなくしたりして(笑)。

ヤマ(管理人)
 うわっ!(笑) 「なんか凄いことになってきちゃいました」と書いたあたりから、採録構成はもうむずかしいかなって思い始めてたんですが、そーですか、楽しみですか(嬉)。確かに、ちょっとお休みしてた間のって追いにくいでしょうしね(笑)。まぁ、その節には、頑張ってみたいと思います~。


-------去勢男からの再生-------

(TAOさん)
 “去勢男”なんて不名誉なレッテルを貼りつけた責任を感じ、ちょっとフォローを。

ヤマ(管理人)
 ここでは今やこぞって稔の代名詞と化してます(笑)。でもって、TAOさん、去勢じゃなくて、性同一性障害だなんて、フォローじゃありませんよね?(笑)

(TAOさん)
 私が言いたいのは、でも、面接室のガラスの向こうから弟を挑発していた稔は、ついに“心のエプロン”をはずしましたよね、ということです。

ヤマ(管理人)
 おー、ナイス! ここは去勢であろうがなかろうが、まさしくあのエプロンを外し去った稔の姿でした(納得)。そう観ることで、彼の変貌における肯定的側面が浮かび上がってくるわけですね。なるほどなー。

(TAOさん)
おお、納得していただけてうれしいです!

ヤマ(管理人)
 あの変貌の姿は、見事でしたよ。さすが香川!ってなもんです。

(TAOさん)
 そういうわけで、“死と再生”が何より好きな私から見ると、この作品は、なによりもまず稔の再生の物語なんですよ。猛は一貫して触媒の役割を果たしているだけ、とも言えます。

ヤマ(管理人)
 でもそういうことなら、エプロン外しが再生を意味するのは、家の重さに抑圧されてた長男という図なればこそ、ですよね。猛の取り戻し涙がむなしいものになっちゃいません? 7年前の面会室で稔の再生は既に果たされてたなんて(笑)。それで7年後に「兄ちゃん、帰ろう!」って叫ぶ猛は、それだと、まるでピエロになっちゃうじゃありませんか(笑)。 まぁ、それが近親者の間に起こるズレと思い込みが浮かび上がらせる皮肉だという痛烈にシニカルなラストだと観るのも、なかなかの味わいではありますが、猛の涙、救われないな~(苦笑)。

(TAOさん)
でも、今考えると、物語のはじまりが母の法事だというのは暗示的ですね。主婦のいない家で母の代わりを務めていた稔は、本来、智恵子に主婦の座を譲り渡すことで、エプロンをはずせたはずなのに、それはなしえず。

ヤマ(管理人)
 そうそう。この悲劇こそが物語の発端ですもんねー。

(TAOさん)
けれど、智恵子の死の責任を全面的に引き受け、みずからも社会的にいったん死んだことによって、再生(=エプロンはずし)を果たしたわけです。

ヤマ(管理人)
 稔的には、めでたし、めでたしとなるわけですから、最後の笑みに屈託が宿ろうはずがないわけですね。なるほどね。うーん、ようやくここに至って稔は、7年前に果たせなかった“見せつけ”をあの笑みによって果たせたんですね~。なんかコワイ話だなぁ(笑)(支援)。
7年前の“見せつけ”のときは、稔が哀れなピエロで、7年後には猛が哀れなピエロに逆転しちゃうってことになりますね。まぁ、兄弟間の相克ってそんなものなのかもしれません。

(TAOさん)
 あの瞬間をターニングポイントに、ラストシーンの彼は、もはや去勢男ではなくなっていたと思います。

ヤマ(管理人)
 じゃあ、やっぱ取り戻しちゃいけないんだ、猛は。従業員の岡島クンの話にも乗らずに、ぐっと我慢しなきゃいけないわけですね。追い探すなんてもってのほかってことになるなー(たはは)。

(タンミノワさん)
 すごいなあ……なんだか深読みのしすぎで、見ながら何感じてたのか、わからなくなってきましたが、それもまた楽し。

ヤマ(管理人)
 そうそう(笑)。作り手の意図などというモノは、とおの昔に、揺れる吊り橋の上から、ブチ落とされておりまする(笑)。

(タンミノワさん)
 この映画のすごいとこって、人一人ブチ殺して、人一人がやっと再生するという物語になってるとこで、殺人を肯定とまではいかないにしても、否定もしてないとこなんですね。

ヤマ(管理人)
 稔の再生物語として観ればね(笑)。それはそれで筋が通るんですが、なんか僕には話がコワすぎで…(たは)。

(タンミノワさん)
 なんというか、稔の再生に関しては、智恵子という生贄は必要だったと言いますか。(どうして私はこうも智恵子に冷たいのだろう?)

ヤマ(管理人)
 女性同士のほうが潔くなれるものだそうですよ(笑)。

(タンミノワさん)
 稔ほどになっちゃった人は、それこそ人一人ブチ殺すくらいのことしないと再生しないよ、ていう話じゃないですかこれ。

ヤマ(管理人)
 コワすぎでしょ?(笑)

(タンミノワさん)
 もちろん他にも再生の仕方は沢山あるんですが、一度死なないと(社会的な意味で)再生も出来ない。そこで一人殺させてるんですもんね。なかなかすごい話やなと思うわけです。でもって、あの兄弟ですが、智恵子は稔を再生するために死んでいる。別に本人はそんなことしたくもなかったのに。人の生き死にって、えらいことで決まるもんやなと。

ヤマ(管理人)
 まぁ、そーゆーものかもしれないんですけどねー。でもなぁ、やっぱ僕は、稔の再生物語として観られるほどにはタフじゃないみたい(あは)。出所した7年後の時点では、稔はまだ再生してないと観てましたもの。だから、屈託の宿った笑みだと…。

(タンミノワさん)
 自分の言いたい放題でごめんなさい~。

ヤマ(管理人)
 いえいえ、各々が思い思いを語り合うのがいいとこです。
 そして“ゆれる”のがこの映画の醍醐味ですもの。


-------『ゆれる』に描かれていた“優しさ”とは-------

(イノセントさん)
 ここまで白熱してくると、監督の意図を超越したレベルになっているのかもしれませんね。あるいは、監督の複線の多さに驚かされると言うべきでしょうか。

ヤマ(管理人)
 常々思ってるのですが、鑑賞者としては、作品を介したコミュニケーションとして、作り手の意図に思いを巡らすのも楽しいものの、作品として外に出た以上、本来的に作り手の意図を超えて一人歩きしていくものですから、「そもそも」的な作り手の意図など、どうでもいいことのような気がします(たは)。これだけ触発し合ってもらえたら、作品も作り手も本望でしょう(笑)。

(イノセントさん)
 もう一つ、稔の鎌かけや面接での遣り取りに対し、ヤマさんは稔を計算高い人間と受け取られたようですが、僕は、逆に稔の鎌かけは、実は弟に智恵子との関係を直接的には聞けず、気の弱さから(それは稔の優しさでもあると思うのですが)ああいう形でしか確かめることができなかったのだと思います。

ヤマ(管理人)
 ここんとこはビミョーですねー。それこそ大いに“ゆれる”とこです。ただ僕が稔の計算高さと綴った部分は、僕が稔をそう観ているというのではなく、それこそ、計算高い狡さや身勝手さということで自分を罵倒し挑発してきた兄に対して、猛が返すように“計算高い狡さや身勝手さ”について、そりゃあ兄ちゃんのほうじゃないかという形で反応したように受け止めているということです。  自分に対して向けられた非難の言葉をそのまま相手のほうだと感じる反応っていうのは、非難の応酬時に最もよく見られる情動ですからね。で、そんなふうにイクスキューズを添えて綴ってはおりますが、イノセントさんが御指摘のように僕自身がそう観ている面もあります。ただし、面であって、核ではない(笑)。ですから、おっしゃる“気の弱さ”というのも、併せて“面”としては、僕は稔に強く感じています。  ですが、あの場面での直接的に聞けないところを以て“優しさ”だとは断じて思いません。イノセントさんも、あの場面のことについて言っているのではなく、稔の気の弱さ自体について、それが彼の優しさにも通じているとの趣旨でお書きなんでしょうが、…

(イノセントさん)
 そのとおりです。

ヤマ(管理人)
 僕は、彼の気の弱さについては同感ですが、あの場面に限らず、あの映画のなかで僕の目に映った稔は、健気ではあっても、少しも優しい男だとは思えないでいます。

(イノセントさん)
 過去の稔は、家でもスタンドでも猛の前でも智恵子の前でも、相手の気持ちに対して、自分がでしゃばるということがありませんでした。正確に言うとできなかった。こういう行為をもって普通は「優しさ」と言いませんし、相手もそれを優しさだとは受け止めないでしょうが、相手の心を感じ、相手の気持ちに対して自分の言動を考えるというのは、優しさの原点だと僕は思うのです。

ヤマ(管理人)
 そうですね。

(イノセントさん)
 この映画の登場人物に優しさのない人間なんて一人もいないのですが、…

ヤマ(管理人)
 ここは少し見解が違っていて、僕は、田舎を出た兄である伯父修と田舎に残った兄稔の二人には、優しさをついぞ感じなかったように思います。ついでに言えば、智恵子も。

(イノセントさん)
 確かに、伯父修には優しさ、ないかも。でも稔は、例えばスタンドでの智恵子の接客の失敗をフォローしたりしてましたからね。岡島が敬意を払うのは当然だと思われます。智恵子にしたって、母を一人残して東京へ出ることを諦めて面倒を見たわけですから、仮に本人は納得をしてなくても、優しさと見ますけどねぇ。僕は。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。

(イノセントさん)
 優しさを相手に伝えるというのは、これまた優しさとは別の技量と自身のアイデンティティがなければいけませんよね。

ヤマ(管理人)
 そうですね。でも、観て取る分には、表出されたものでしか測れませんから、そういう意味で、僕は、その三人には優しさを感じなかったわけです。

(イノセントさん)
 僕とヤマさんとは優しさの置き所が違うだけで、ヤマさんが「優しい」と思っていないことは十分納得できます。稔はそれが極度に強く、しかし気の弱さから、自身で納得できないままに受け入れてしまうため、他人にはうだつのあがらない奴と受け止められてしまう。稔は優しさの種をいっぱい持っているんですよ。でもそれが発芽しないでいた。人間関係にワンクッション置ける従業員の岡島のような人物だけが、時たまそれを見つけてしまうのかもしれません。

ヤマ(管理人)
 あぁ、それはそうだな~。僕の目に映った即ち映画で描かれていた稔には、優しさはなかったと断言できますが、同時に、あの映画では、岡島がそれを受け取っていたことを確かに偲ばせていましたね。岡島クンは、とっても優しい男でしたよねぇ。

(イノセントさん)
 そうそう、多分僕と同じくらい優しい男だと思いますよ!(爆)

ヤマ(管理人)
 いや、冗談抜きにそうなんじゃありませんかね(感心)。さきほどの例示でも、スタンドでの従業員の接客ミスへの経営者によるカバーだとか、母親を置いて東京に出ては行けなかったことを外聞や義務感とは見ないで、そこに優しさを先ず汲み取ることができるのは、その証左ですよ。

(イノセントさん)
 ヤマさんは、カバーだとか外聞や義務感という風に見るんでしょうか? 優しさに対して厳しすぎるような。

ヤマ(管理人)
 いやいや、僕がそういうふうに観るということではありません。僕自身は、敢えてそんなふうに観るということもなく、単に稔や智恵子には優しさというものを見出してなかったに過ぎません。前記のような書き方をしたのは、行為の事々というのは、それ自体を示しているに過ぎず、その性質をも示すとは限らないので、そういった事実も、観方によっては異なる性質を帯びて映ってくるという可能性を示しつつ、イノセントさんには、そういうふうには映ってこなかったから、冗談口ではなく、実際に優しい方だということになりますよってな意味です。

(イノセントさん)
 ヤマさんは、猛と父の勇のどこら辺に優しさを感じるんでしょうか?

ヤマ(管理人)
 優しさというものをイノセントさんが上にお書きの「相手の心を感じ、相手の気持ちに対して自分の言動を考えると言うのは、優しさの原点」として考えると、拙日誌に「高いところも揺れるところも苦手な兄が、なぜあの吊り橋を渡ったんだろうと思いを巡らせていた猛」には、自ずと宿っていることのように思います。実際にした行為は、どれをとっても兄稔には恨み言に繋がるものでしかなかったかもしれませんし、智恵子の期待に対しても、応えたりはしていませんが、そのつれない回答にしたって「相手の心を感じ、相手の気持ちに対して自分の言動を考え」てのものだったと思います。でなけりゃ、敢えて「クソしてくるわ」とまでは言わないように、僕は思います。
 そこんとこを身勝手と受け止めるか、そうとも思わないと受け止めるかは、作り手側や作品そのものが指定していることではなく、受け手が創造に加担する部分だと僕は思っています。だから、常々ここでも語っているように、当否正誤の問題ではないわけです。
 父勇については、やはり、智恵子の母親に恐らくはなけなしのなかで金を作って差しだしたときの風情において、金銭を支払うことで“親としての帳を消そう”としている感じよりも、拘置所に留め置かれている稔に代わって、精一杯できることをせめて…、と考えての行動として僕の目に映ってきたからですね。自分とは弟と兄という立場の違いはあれ、共に“田舎に残された者”との思いがあって、出ていった猛に当たるのとは対照的に、稔に対しては「相手の心を感じ、相手の気持ちに対して自分の言動を考える」部分が持ちやすかったろうと思います。

(イノセントさん)
 いや、ここのところは、優しさというものを僕が書いた「相手の心を感じ、相手の気持ちに対して自分の言動を考えるというのは、優しさの原点」として考えるのではなく、稔と智恵子に優しさを見出せなかったヤマさんの視点で、どう思われたかをお聞きしたいのです。というのも、それが多分ヤマさんと僕のこの映画に対する見方の違いに繋がるのではないかと思ったから。

ヤマ(管理人)
 そうですか。それでは、僕の視点をお話ししますが、自分自身の視点を率直に言うと、僕は人を、優しいとか優しくないとかいう視点では、あまり観ないんですよね(苦笑)。だから、イノセントさんが“優しさの原点”として定義づけをしてくださってて、とても助かったというのが本音です。  岡島くんのように際立っていれば、なんの問題も生じないのですが、早川家の四人や智恵子を以て優しいか優しくないかというふるいにかけること自体が僕の視点からは生まれてこないって感じなのですよ(たは)。優しいって言葉、実は苦手なんです(詫)。

(ケイケイさん)
 ヤマさん、みなさん、こんばんは。まだまだ続く盛り上がり(笑)。

ヤマ(管理人)
 ご所望いただいた編集採録なんか、とても出来そうにはないくらいの盛り上がりで、嬉しい限りですよ(笑)。

(ケイケイさん)
 イノセントさんの智恵子の優しさというところは、そう見えるのかと、ちょっと嬉しくなりました。

ヤマ(管理人)
 人は観たいものを観るという話も出てましたが、優しい人の目には優しさが宿って映るのだろうと思います。

(ケイケイさん)
 私も長女なんで、智恵子は優しさというより、当たり前の義務感に感じました。

ヤマ(管理人)
 殊更に義務感っていうほど嫌々ながらっていうのではなく、“当たり前の”義務感って感じですよね。なんかしゃあないやんってな。だから、取り立てて優しいとかいうのではないですね、僕にも(あは)。
 実は僕自身、大学進学は東京にまで出ていながら、こうして戻って、おふくろと隣屋の渡り廊下で繋がった住まいで暮らしてるから、よくお歳を召した方から“優しい”って言われたりするんですが、別にそういうことではないような気がしてますもん(たは)。

(ケイケイさん)
 智恵子本人は、母親のために自分を犠牲にして都会に出て行かなかったとは、当時は思っていなかったと思います。

ヤマ(管理人)
 犠牲とか何とかじゃなくて、ただ“行けない”ってことなんですよね~。まぁ、本当に“自分を殺して”残ったというのも、ありえなくはないのですが、僕的にもケイケイさんがおっしゃるような感じのほうがしっくりきます。

(ケイケイさん)
 私も兄弟の父が、智恵子の母にお金を渡そうとするところに、子供にはわかりにくいであろう、この人の愛情を感じました。

ヤマ(管理人)
 そうそう、“愛情”なんですよ、僕もしっくりくるのは。“優しさ”というのとは、少~し違うんですよね、本当は。でも、イノセントさんのくださった定義である「相手の心を感じ、相手の気持ちに対して自分の言動を考える」ということには、ズバリ嵌ると思いました。

(ケイケイさん)
 二層式の洗濯機、エプロン慣れした稔、家政婦さんを雇うなり家事を簡便化するなりしなかった、そういう節約を通り越して吝嗇な印象を受けた人でしたので。

ヤマ(管理人)
 ええ、僕もそれは感じてましたね(あは)。

(ケイケイさん)
 私はこのシーンでこの人の印象が変わりました。愛の見せ方がわからない人なんですね。

ヤマ(管理人)
 早川家の男たちは大なり小なり、みんなそうなのかもしれませんね。

(ケイケイさん)
 智恵子が断っていたら、だけではなく、母親が生きていたらでも、この事件はなかったんですよね。

ヤマ(管理人)
 家のなかに女の人がいるといないでは全然違いますよねー。母でも嫁でも妹でも娘でも、何だっていいんです(笑)。

(ケイケイさん)
 智恵子の母も、智恵子は裏切られたように感じたかも知れませんが、老後に智恵子の重荷になってはいけない、そういう気持ちがあって再婚したのかも知れませんね。

ヤマ(管理人)
 老後というよりも「現に」のほうが大きかったのではないでしょうかね。娘を縛り付けている“罪悪感”ないしは“後ろめたさ”みたいなものがあったということなんでしょうね。この作品のキーワードですし、僕にとっては(笑)。


-------稔のなかに巣くっていたもの-------

(イノセントさん)
 ところで、「あれでなかなかしつこいだろう?」の場面では、結果的には相手をはめたことになり、こんな聞き方ができる稔に驚きもしましたが…でも、この台詞、監督の意思としては鎌かけでしょうね。

ヤマ(管理人)
 たぶん…。でなければ、後から父勇の口から智恵子があまり酒の飲めないクチだということを猛に知らせる台詞を設える意図が僕には見えなくなりますもん。

(イノセントさん)
 面接での遣り取り「お前は殺人犯の弟になりたくないだけだ」などと言うのは、稔が初めて負の感情をストレートに口に出した瞬間だったと思うし、…

ヤマ(管理人)
 そうですね。“エプロンを外した”わけです(笑)。

(イノセントさん)
「お前は俺からすべてを奪い去った。智恵子までも。」(確かこんな台詞があったと思うのですが)と言うあたりも、僕は稔の積年心に秘めた思いが爆発した瞬間で、計算高く考える余裕があったとは感じませんでした。そして「智恵子【までも】」と言うところに、智恵子だけではない鬱積を思い知らされ、むしろ“家”のしがらみの大きさが一気に露呈した場面だと思いました。

ヤマ(管理人)
 智恵子について、稔が猛に「奪った」と明言した台詞があったようには僕は受け取っていないので、拙日誌にも「智恵子とのことは避ける形で、積年の恨みとして弟の計算高い狡さや身勝手さを容赦なく罵倒してきた」とか「むろん猛は稔に明言していないし、智恵子も伝えてはいないので、証拠もないまま稔からは切り出せないわけだけれども、猛に掛けた鎌かけで稔は確信していたはず」などと綴っているのですが、そんな台詞がありましたかね?(おろおろ)

(イノセントさん)
 あれっ? ありませんでしたっけ?? 僕の記憶も怪しい。僕の思い込みかも…(汗)

ヤマ(管理人)
 いや、この点に関しては僕はもう自他共に認める『明日の記憶』オヤヂになり果ててますんで、イノセントさん以上に自信がないのですが、僕がその台詞を受け取ってなかったことは間違いなく事実ですね(たは)。

(イノセントさん)
 TAOさんが挙げた台詞「智恵子が重いだろ。だから殺してやった。」は僕も覚えてないのですよ(汗)。こうなったらTAOさんの記憶におすがりしましょう。

(TAOさん)
 問題の台詞ですが、ヤマさん、イノセントさん、すみません。改めて記憶を辿ると、ニュアンスがかなり違うように思います。「おまえだって智恵子が重かったんじゃないのか。オレが殺してホッとしたんじゃないのか。」これも正確ではありませんが、こんなかんじ。

ヤマ(管理人)
 ふーむ、それだとあってもおかしくない気がしますが、やはり「そう言えば」という感じで思い当たるには至りません、僕(とほ)。やっぱ、再見して確かめてみたくなりますね。稔が猛に「智恵子を奪われた」と明言したり、智恵子の死が猛の安堵に繋がる面を挑発としてであれ、恨み言としてであれ、面会室で稔が指摘していたのかどうかを。

(TAOさん)
 私の記憶では、猛のうしろめたさや偽善を指摘してカッとさせるために、なかば計算尽くで挑発したような言い方でした。

ヤマ(管理人)
 少なくとも猛がそう受け取っても仕方がないような感じでしたよね。もし、「なかば計算尽くで挑発した」のなら、そこには“復讐心”が潜んでそうです。
 それはともかく、稔のほうに“爆発”を感じたならば、計算高さとは思わないでしょうね。僕は、稔の罵倒には爆発ではなく“挑発”のほうをむしろ感じたのです。そして、面会室での罵倒や挑発の瞬間以上に、これまでの一連のことの全てが兄の“計算高い”計略だったように猛には思えてきただろうという推察は、兄から自分の“計算高い狡さ”を指摘されて、反射的に、それはそっちだろうと逆上したことで初めて猛のなかで意識化されたことによって生まれたものだったように思うわけです。
 そして、猛が故なきことではない痛いところを突かれて反射的に逆上する際に、そうなっても道理と思えるほどの、猛の“常にはない兄への献身”と“稔の鎌かけへの気付き”が用意されたうえでのことだったように思えました。

(イノセントさん)
 なるほど、納得です、この意見。僕がちょっと早合点してたようです。ヤマさんの感想を。

(TAOさん)
 「しつこいだろ?」の台詞も、計算づくめの鎌かけととるより、嫉妬に駆られドロドロした感情が思わず言わせてしまった不用意な言葉だと解釈するほうがふさわしい気もしてきました。

ヤマ(管理人)
 このあたりへの僕の思いは、イノセントさんへのレスに書いたとおりなのですが、TAOさんにおいて、このようにお感じになるのは、すっごく分かりますねぇ。

(TAOさん)
 ただ、あのときの稔の切り出し方は、不用意どころか、さりげなさを装いつつあらかじめ考え抜いた台詞を言ったように見えましたよね。

ヤマ(管理人)
 はいな。だから、多くの人が鎌かけと受け止めたようですし、作り手自身が父勇の台詞を設えて、作為性を仄めかしていましたからね。ただし、イノセントさんの“想いのしつこさ”という解釈は、その点をもクリアしているように思えます。だから、とっても面白かったんですけどね。

(TAOさん)
 そのへんも監督の「ゆらし」のテクなのかなあ。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、瓢箪から駒みたいなもんじゃないですか? 流石に(笑)。

(イノセントさん)
 でも、妙に冷静な口調だったところは気になりますが…。

ヤマ(管理人)
 ある種 病的というか、ヤバいとこ蓄えているキャラには逆に似つかわしいのかも。

(イノセントさん)
 あの台詞は、TAOさんのおっしゃる「嫉妬でどろどろ」とまでは思いませんが、あの二人が昔の関係に戻ってしまうのではないか不安で不安で落ち着かない状況だったと想像します。

ヤマ(管理人)
 僕にしても「妙に冷静な口調だった」とイノセントさんがお書きのあの口調が、不安で不安で落ち着かない状態で発せられたようには感じにくいのですが、状況的にはそうだったのかもしれませんね。

(イノセントさん)
そんなところに、玄関のドアが開く音がして、猛が帰って来、慌てて冷静を装った。僕だったらこんな風に考えますね。

ヤマ(管理人)
 ほぅ、あの「妙に冷静な口調」というのは、装ったものだったと。なるほどねー。取り繕いのもたらす不自然さってのはありましたしねー。


-------「稔と智恵子に性関係あり」への賛同者の初登場-------

(灰兎さん)
 ヤマさん、ゆれてる皆さん、はじめまして。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、灰兎さん、はじめまして。ケイケイさんとこやFさんとこでお見かけしておりましたが、ようこそお越しくださいました(礼)。

(灰兎さん)
 ケイケイさんの掲示板へ感想を書いたところ、ヤマさんと同じような感想でしょうか?とのご指摘に、初めてヤマさんのレビューと皆さんの感想を拝読させてもらいました。

ヤマ(管理人)
 ラストでの稔についての受け止め方ですね。「このシーンはまさに、稔と智恵子のあの事件があった橋のシーンが再現されている感じがして「触らないで」って、弟に言いたいのかも?って思いました。」とお書きでしたからねー。
 僕も、稔が“家”よりも猛を拒んでいると受け止めていたので、同様ですね。

(灰兎さん)
 私の感想はちょっと驚きなのですが、限りなくヤマさんでした(笑)。

ヤマ(管理人)
 おぉ~、ここでは多勢に無勢の状況ですが、そ~なんですか!(嬉)
 灰兎さんは、女性ですよね?

(灰兎さん)
 女なのですが、映画の感想は場合によっては、殿方に近かったり(汗)。

ヤマ(管理人)
 ってことは、当初ここで受け止め方の違いについて、性差か?って話が出たのですが、イノセントさんの参入に続き、反証が得られましたねぇ。
 それにしても、場合によっては殿方に近いとは、頼もしい(笑)。僕は、失敬にもTAOさんをオヤヂ呼ばわりしたりしてるのですが、…

(灰兎さん)
 ジじゃなくて、ヂなんだ(笑)。

ヤマ(管理人)
 ボラギノールは必要ありませんが(笑)。
 それはともかく、男性的センスを理解し備えておいでの女性ってカッコイイものです。

(灰兎さん)
 男女とも異性のセンスを理解し合えた方が、物事が上手く行ったりして平和ですよね。

ヤマ(管理人)
 平和のみならず、豊かにもなりますよね。男にしたって同様で、女性的センスゼロだと暑苦しいものでしょ?(笑)

(灰兎さん)
 でも私は、男性のサイトだとFさんとヤマさんのお宅くらいしか、お邪魔しないので涼んでばかりなんですわ~。

ヤマ(管理人)
 おぉ~、そうでしたか。それは貴重なことじゃないですか!

(灰兎さん)
 そしてそこへ集まる皆さんも、類は友を呼ぶって感じで素敵な方が多いですよねっ!

ヤマ(管理人)
 ええ、うちも来訪者の方々には、とっても恵まれてま~す!


(灰兎さん)
 それはそうと、私のなかでも猛の罪悪感がキーワードですが、稔の美学喪失もキーワードだったかも? つまり二人の再生だったような気が。

ヤマ(管理人)
 稔については、兄・長男としての美学喪失でもあるし、エプロン外しでもあるし、優等生仮面の取り外しでもあったわけですよね。でもそれは、灰兎さんが奇しくも“喪失”とお書きのように、自らの意思で脱ぎ去ったものではなく、橋の上で起こした“逆上”がもたらしたもの。だから、稔にとっては、一旦は智恵子の存在同様に“失われたもの”として意識されたように思います。そこからまた稔のなかで揺れが始まるわけですよね。

(灰兎さん)
 猛の部分はヤマさんと同じようなので、稔について書かせていただきますと。
 私は、稔と智恵子には関係があり、一夜限りの事として水に流すという男の美学が残酷にも木っ端微塵! 男を男たらしめるもの、あるいは人を人たらしめるものを完全に失った稔には復讐というエネルギーくらいしかなかった。

ヤマ(管理人)
 おぉ~、僕が猛のなかに生じた想念として想像したものと全く同じじゃないですか!
 やっぱ、おいでたんですねぇ、そういう方も。あれだけの逆上を、そういうことの一つもなく妄想だけでっていうのも確かにあり得ることではありますが、僕的にはしっくり来ないとこなので、稔と智恵子の間には、それなりのことはあったと受け止めたのでした。

(灰兎さん)
 火薬それ自体では発火しない、ズバリ私もそんな気が。

ヤマ(管理人)
 おぉ、ご賛同、ありがとうございます。

(灰兎さん)
 でも、その手前の映像のなかで、私はそれなりのことはあったと。川で稔は懐かしい思い出に浸ってはしゃいでいました。 単純にそれだけ? 稔に余裕があったからこそ、猛と智恵子を二人にしてあげてた優しさに見えたので。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。実際には当てが外れたわけですが、稔には智恵子は手の内との確信があっての余裕をかませてたと見るわけですね。小遣い銭まで渡して二人だけの再会を世話がったのも、鎌をかけたのも、見込み違いの余裕かましであったわけですが、さればこそ、稔にそんな余裕を持たせるだけの得意を与えた既成事実がきっとあったのだろうということですね~。  そして、鎌かけで、その当てが外れたことは知ったものの、「ここまで来ているものを棄てる気は毛頭なかった」稔としては「水に流すだけの気持ちの準備」を覚悟したことで再び余裕を取り戻したと。すなわち、弟の猛が智恵子を引き受け東京に連れて出るはずはないのだから、と。結局、智恵子は自分の手の内に戻ってくるしかない!との見込みは、またしても外されちゃうわけですが、稔がそこまで余裕かませるのは、一旦は手の内にしたとの確信の持てる事実がないと腑に落ちませんよね。そういう感じ、すっごくよく解りますよー。

(灰兎さん)
 ひょっとすると、智恵子は自分では気が付かなくても(←完璧2サス)、彼氏に求める理想のなかに、オプションで父親の理想まで入れてる気がして。

ヤマ(管理人)
 母子で過ごしてきた過程からは、ありえなくはないですね。特に、異性の外見的なかっこよさに目を奪われがちな若いときを過ぎ、自分が本当に欲しているものを振り返ることができるようになると、よけいにそういった面が出て来ちゃうのかもしれません。さすれば、稔には保護的役割を果たす準備は万端なので、若いときに、かっこよさで惹かれた猛よりも稔のほうに現実的な将来を、というような想いが生じ始めていたとしても、不思議ではありません。しかし、猛は、東京ですっかり垢抜けて、智恵子の想定を超えるかっこよさを身にまとって帰って来ちゃったわけですよね。うん、これもまた、面白い着眼だな~(礼)。

(灰兎さん)
 稔があるがままの智恵子を受け止めたがっている、あるいは満たしてあげたがっている裏には、その行動に出る事によって自分も合わせ鏡の様に浄化されるからかも?って思ってました。

ヤマ(管理人)
 ほほぅ、このあるがままの智恵子というのは、すなわち久々の再会で見違えた猛に揺れてしまうことを含めてってことですか。でもって赦しによる浄化みたいな感覚なんでしょうか。これは全く想起してませんでしたよ。いろいろ出てきて、面白いものですねー。

(灰兎さん)
 猛に対しては、殺人者の兄を持つ弟に上手い事できたわけですが、それで終わり? 私にはここからが始まりだった気が(←2サスの観過ぎって噂も)。

ヤマ(管理人)
 いやいや、僕もここからが“兄と弟の再生物語”の本当の始まりだと受け止めました。つまり、バスに乗る時点では、兄の稔はまだ再生していないとね。だから、彼の笑顔に屈託が宿っているように感じたわけです。
 最近になって予告編で手紙という映画のことを知ったんですが、あれは兄が殺人を犯したことで恋人も職も何もかも失った弟という兄弟を描いた作品のようなんですよ。『ゆれる』を観た後の僕の目に、どのように映ってくるのか、ちょっと楽しみなんです。

(灰兎さん)
 『手紙』、そーなんですか? それは、ちょっと楽しみですね。
 ところで、稔の実りのない苦労とは、概“家”ですが、私には、猛に食事代など出したりしたピエロみたいな屈辱も含め、これを自由奔放で成功まで手にした猛に役を入れ替えさせる事で初めて終わるのではないかしら? と。というわけで、ラストは兄弟が完全に逆転して見えてしまいました。おしまい(笑)。

ヤマ(管理人)
 あ、そーか、7年前の“殺人者の兄を持つ弟”に仕立てあげただけでは終わってなくて、7年後に入れ替わらせるところまで仕上げて完成させた復讐劇だったというわけですね。いやぁ、これまたコワい話だなぁ(笑)。しかも、それをもって「二人の再生」とおっしゃる! やっぱ女性はタフだなぁ(感心)。
 でも確かに、今にして思えば、猛は猛で、田舎を出、自由奔放に過ごしたうえに成功まで手にしてたわけですが、常にうつろさが伴っているように描かれてましたよね。智恵子との情事のさなかにおいてさえも(笑)。

(灰兎さん)
 何しろ情事以外にも、車もうつろでしたよね(笑)。小銭が入って、ついうっかり気取っちゃったみたいで(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうではなかったのはラストだけでしたねぇ、「兄ちゃ~ん、帰ろう!」って。
 猛にとっての取り戻しというのは、兄のみならず田舎も必要だったのかもしれませんね。

(灰兎さん)
 なるほど、本当にそうかもしれません。また涙でそう(汗)。

ヤマ(管理人)
 猛は帰る場所を見つけての「兄ちゃん、帰ろう!」だったのかもしれませんよね。されば、今度は稔の復讐が猛の再生をもたらしたということになりますか、なるほどね。亡母の遺品フィルムで兄を取り戻し、兄の復讐計略で結果的に田舎を取り戻した猛の再生物語というふうにも見えますねぇ、言われてみれば。
 こうなると、コワい話ともばかりは言えなくなるなぁ。いやぁ、面白い!
 とても興味深い視点をいただきました。ありがとうございます。

(灰兎さん)
 こちらこそ奥行きを広げていただけて、ありがとうございました。

(TAOさん)
 灰兎さん、はじめまして!

(灰兎さん)
 TAOさん、いつもお見受けしておりました、こちらこそはじめましてです!

(TAOさん)
 うわ~! なんだかものすごく説得力のある見方です。あの会心の笑みは復讐の成功を確信して、だったんですね! 私、やっぱり甘かったかも(笑)。

(灰兎さん)
 映画の感想に、甘いも辛いもございませんがな(笑)。ここでは作者の意図なんて、とうに蹴り落とされているのが素(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうでんがな、そうでんがな(笑)。

(灰兎さん)
 ここで皆さんのご意見に再びゆれて、お得感バリバリ感じております。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。それが楽しくて設けてる“間借り人の部屋”なので、そう言ってもらえるのがなによりです(礼)。

(ケイケイさん)
 それにしても灰兎さんの、意外な男目線に出会えて新鮮です。うちの掲示板では、とっても女らしくていらっしゃいますので(笑)。ますます気が合いそう(^^)。

ヤマ(管理人)
 「ケイケイさんの掲示板へ感想をかいたところ、ヤマさんと同じような感想でしょうか?とのご指摘に、初めてヤマさんのレビューと皆さんの感想を拝読」ということでお訪ねいただけた方です。どーもどーも、ありがとうございました(深々)。

(灰兎さん)
 国語の成績が辛うじてアヒルが泳がなかった程度(笑)の私の文章に対し、噛み砕いてご理解いただき、本当に嬉しい限りです(礼)。

ヤマ(管理人)
 とんでもありません。こちらこそ、諸々刺激をいただき、感謝です。


-------満員電車の吊革みたく、ゆらゆら揺れたり揺れなかったり-------

(タンミノワさん)
 久々にのぞいてみたら…案の定…毎日のぞかないとついていけないですね、これ。

ヤマ(管理人)
 ふふ、2000/08/27 の掲示板開設来でも五指に入る盛り上がりかも。9/20.No.6843 のケイケイさんの書き込みから、二十日以上続いていますからねー(凄)。
 それはそうと、人は観たいものを観るという話では、先頃、知人の男が真珠の耳飾りの少女の拙日誌を読んで呆れてましたよ。僕がそういうとこばっか観てるって(苦笑)。
 だいたい『ゆれる』の談義なら、あれは事故なのか殺人なのかって話で盛り上がるのが普通で、稔と智恵子の間にセックスがあったと観るか観ないかで盛り上がるってのは、かなり特異と言いますか、珍しいような気がしません?(笑)

(タンミノワさん)
 ある方のところで、ここの『ゆれる』談義のことがそういう風に語られてました。「殺したか否か」でなく、「ヤったか、ヤってないか」とかだ…とか。(笑)確かに。でもポイントですもんね。

ヤマ(管理人)
 この談義に乗ってくださった方々においては、もちろんそうですよね。それぞれ見解は分かれても、その点では一致しているのが嬉しいとこでした。

(タンミノワさん)
 でもって、私、皆さんの色々なご意見を一通り読みゆれた末(笑)今は、
 ・ラブホまで行ったけど、女に不慣れな稔ゆえ、不手際があり、満足いく結果にならなかった
 ・キスでとまったまんま
 とかいうなんかそんなこんなで(笑)「SEX未満 友人以上」な関係だったのでは…でも、稔に期待させるものは十分だったと考えると、やはり、しようとして出来なかったとか、かなあ?

ヤマ(管理人)
 故なしではないにしても、智恵子に節操のなさみたいなものは与えずに、稔に対しても、去勢男のトンデモ妄想ってのは、さすがに哀れだからって、程のよさを取ろうとすれば…ってことですかね(笑)。

(タンミノワさん)
 あと、灰兎さんの「男を男たらしめるもの、あるいは人を人たらしめるものを完全に失った稔には復讐というエネルギーくらいしかなかった。殺人者の兄を持つ弟に上手い事できたわけですが、それで終わり?」を読んではっとしました。

ヤマ(管理人)
 ここに続く灰兎さんの「私にはここからが始まりだった気が。」には、まさしく我が意を得たりで嬉しく思ったものでした。

(タンミノワさん)
 私も見終わった後、人の意見を読んだりして自分の中で物語を再構築してるのですが、それってやはり割りと自分にとって納得がいきやすい話に見ようとしている作業も入るんですよ。

ヤマ(管理人)
 ですよね~。特に、観終えてから、あれこれ“ゆれた”作品なら、尚のこと(笑)。
 でも、これに関して言えば、こちらには御本人は確か一度も書き込みをくださってないのに、お母様が書き込んでくださったことのある四季さんが、御自身のブログで「『ゆれる』座談会(の感想?)」というのを 書いてくださっているのですが、あれこれ興味深いコメントを寄せていただいているなかで、最も面白く感心したのが、御自身の感想について「ソレにナニより 『ゆれて』ナイのが致命的・・ (*T‥T*)b)とお書きになっているところでした(ふふ)。
 『ゆれる』観て“ゆれて”なかった私って…ってとこなんでしょうか。これはなかなか書けない素晴らしい感想だな~って思ったのでした。あの映画を観て、これはこういう話なんだと自分なりに受け止め、微動だにしない感じの納得感とともに観終えた方というのも、きっとたくさんいると思うんですよね。

(タンミノワさん)
 私が映画そのものを見ながら感じたのは、灰兎さんの書いたようなことなんです。稔が最後に、弟の姿を見つけてうっすら微笑んだ後、バスで表情が隠れるんですが、私、その後は、「冷たい憎悪の表情」に変わるのかな?と瞬間思ったんですよ。

ヤマ(管理人)
 あの稔の笑顔自体に屈託が宿っているように見えた僕とも重なってきますね。僕は、その後の表情までは想像しませんでしたが。

(タンミノワさん)
 でも見た後はそのへんが薄まっていき、兄弟の再生物語として見たいという願望がどんどん反映されていくわけです。

ヤマ(管理人)
 人は観たいものを観ようとするって話ですよね。まして、それが納得感の持てる形で語られるのを伺うと尚更ですしね。で、それで「自分にとって納得がいきやすい話」が得られれば、それも大いなる収穫ですよね。
 ここでトーク・トゥ・ハー』談義を延々と重ねるなかで、自分が最初に観て取っていたヴィジョンと異なるイメージを与えてもらって大いなる収穫気分に拙日誌に追記を施したときのことは、いまだに鮮烈ですもん。

(タンミノワさん)
 あ、でも「智恵子の部屋の写真集問題」に関しては、私も、稔を部屋にあげなかった証拠だと思います。

ヤマ(管理人)
 写真集って凄い重みがあったんですねー。

(タンミノワさん)
 そこまでは心を許してなかったということですよね。

ヤマ(管理人)
 だから、「「SEX未満 友人以上」な関係だったのでは・・」と今思ってるということなんですね。

(タンミノワさん)
 それにしても、男にとって女の「さわらないでよ!」は、とどめさす言葉なんですねえ。気をつけよう(笑)。

ヤマ(管理人)
 あら? 覚えがおありのようですね?(笑) もっとも、ただ言うのではなく、反射的な反応として“生理的嫌悪感”ってのを露わにしているとこのほうが決め手なんですけどね。

(シューテツさん)
 女の「さわらないでよ!」って、それはもう、男側からすると(ヤマさんのコメント見ると“私にとっては”という注釈がいるようですが…)完全否定の言葉ですよね(爆)。私なら、それを言われた時点からは、もう二度とその人と会う(目を合わす)事はしないでしょうねぇ(笑)。

ヤマ(管理人)
 やぁやぁ、シューテツさん、ようこそ。
 まぁ、確かに、それが概ねだとは思いますね(笑)。むしろ例外的に、嫌がるかもと思いつつじゃれ気味に触れて、たしなめられるようにそう言われたときは、当然ながら、まぁそんなに「完全否定」とは受け取らないだろうってことにすぎません。
 で、そんなことなど決してしそうにないシューテツさんには、言うなれば、想定外ケースなんでしょうね(笑)。まぁ、僕もそういうこと、割とできないほうなんですが。猛と違って(笑)。
 でも、たとえ、たしなめられるかもって予測してても、そこに反射的な生理的嫌悪感って形で返ってきたら、こたえますよね、「さわらないでよ!」の言葉なくても(笑)。

(シューテツさん)
 ヤマさんの言われる、反射的な生理的嫌悪感っていうのも、それって、私などはジムなどの混んでいるレッスンでたまぁに見かける光景なんですが、…


ヤマ(管理人)
 満員電車とかも危うそうですね。田舎にはありませんが。
 ジムで踊っているなかでは、誤って触れて「反射的な生理的嫌悪感」を示されることがあっても、痴漢呼ばわりされるにはいたらないのでしょうが、満員電車だとそうとも言えない場合が多々ありそうですよね。


(シューテツさん)
 ジムでは、自分もその種の嫌悪感を示されてはいないかと気になる部分で、混んでるレッスンでは、周りの人に当たらないように極力気をつけようと心がけていますよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 それに越したことないと思います(笑)。


-------対照性の作品なのか、対照性を越えた作品なのか-------

(イノセントさん)
 この映画には、いろんな対比が描かれていますが、僕はもう一つ、稔と猛の心の揺れの質の違い、というのも大きく感じました。感情をストレートに出せない稔の内面へと向かう微振動。そして刹那的で常に感情を表に出してしまう猛の激揺。

ヤマ(管理人)
 僕は違いよりもむしろ早川家の男たちに共通して逆上型パーソナリティを感じていたので、この対照というのは新鮮に感じます。そして、これを稔猛の兄弟の対照として感じるよりも、イノセントさんが稔に認めておいでのものを僕は猛にも感じ、猛に認めておいでのものを稔にも感じてますねぇ。

(イノセントさん)
 最後は田舎を出る稔と田舎に戻る猛の逆転現象というより、自身の心の奥底を見てしまった稔と刹那の感情から先に進めない猛、感情の深さの逆転現象だと見ましたが。

ヤマ(管理人)
 僕はそんなふうに二人を対照的には捉えてはなくて、むしろ外形的には対照的に見えるのかもしれないけれど、質的には同質性のほうを強く感じています。ここんとこの違いが、受け手として際立ってくるというのは、事象の受け止め以上に本質的なところに関わってくる気がするので、とても興味深いですね。

(イノセントさん)
 理性で生きるか感性で生きるか、彼らは若干あるいは大きくそのバランスを崩していると思うのですが、僕は両者のその崩れた部分にとてもいとおしさを感じます。

ヤマ(管理人)
 こういう対照も僕の発想のなかには全くありませんでした。むしろ、そういう視点で人物造形をしているようには見えないところが、この『ゆれる』という作品に僕が惹かれたところだったような気がするので、イノセントさんのこの感想も僕にとってはとても新鮮でした。
by ヤマ(編集採録)



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―