『ジョゼと虎と魚たち』
監督 犬童一心


 『死に花』を観て少々不安を覚えていたら、想外の面白さに大いに満足した。最初に登場する麻雀屋に集う面々からして、いかにもありがちな程度の変哲さをまとった個性が活き活きと息づいていて、地方から出てきた大学生にとって物珍しくもオモロイ人々に馴れてきつつも馴染むにまでは至らない感じがよく出ていた。語り手たる恒夫(妻夫木聡)の女友達ノリコ(江口徳子)にしても個性的な印象を際立たせて登場する。そうして、関西風の「人の個性の強さ」というものに観る側をひとわたり馴染ませておいて、その後に、飛び切り個性的な婆さん(新屋英子)と孫娘(池脇千鶴)を登場させる手際のよさ。そこから、一気に物語に入り込めた。この婆にしてこの孫娘ありという感じになっているところが、自身をサガンの小説からの名前である“ジョゼ”と呼ばせるくみ子のキャラの際立ちを自然な形で納得させてくれる。くみ子の幼なじみである幸治(新井浩文)の幼稚で純な突っ張りヤンキーぶりも併せ、何よりも、息づくキャラの面白さを堪能できるところに一番の値打ちがある作品だったように思う。とりわけ池脇千鶴のずば抜けた存在感と演技力によって、陰影も屈託も覗かせつつグッと飲み込んで強くひねた「ネガ陽性」とも言うべき個性の煌めきを与えられていたくみ子が素敵だった。
 障害に対し、よそよそしい懼れも気遣いも抜きにした一つの個性として認める眼差しというのは、言うは易く行うは難しとしたものだが、障害を一つの武器とも観る視線の提示と併せ、個性を武器にする権利の当然さを自明の前提にして人間を観ているところが窺え、新鮮で好もしい印象を抱いた。おそらくは原作の持ち味ではないかと思う。田辺聖子の原作を僕は未読ながら、そのポテンシャルの高さを損なわずに巧く映画にしたことが偲ばれる脚本と演出だと感じた。

 だが、僕が最も魅力を感じたのは、人が個人的で濃密な関係を維持することへの断念を選択するときの敗北感を強いアクセントで捉えていた部分とその敗北を責めも赦しもしない視線の中庸的な大きさだった。身体障害に限らず、貧困であれ、周囲の猛反対であれ、相手との関係を維持していくうえでの何らかの“負い切れなさ”という自身の限界を思い知る形で濃密な関係を清算するに至ったときの敗北感は、相手に対する想いを残したままであるだけに、恋愛であれ、友情であれ、対異性同性に限らず、強烈な痛手を残すものだ。その敗北に対し、死者に鞭打つような厳しい正義や善をかざして叱責するのは容易なことかもしれないが、もともと人間の個人的な関係というものは正義や善の実現を目的として築いているものではないから、ナンセンスという他ない。兄よりしっかり者の恒夫の弟が、兄のハードルの高そうな恋愛に対して臨む態度は、先を見越した諫めではなく「応援してるよ」であったり、叱責非難ではなく「怯んだな」との呟きだったが、近親者におけるこの距離感のもたらす価値には侮れないものがある。だが、現実には往々にして得られにくいものだ。

 そして、最も印象深かったのが、例によって男の虚弱さと女のタフさというものだった。くみ子に対し、障害を武器に彼氏を盗ったと対峙して非難し、平手打ちを食らわせることのできる香苗(上野樹里)のタフさは、負い切れなさに敗北して還ってきた恒夫が想いを残していることを知りつつ受け容れられるタフさとセットになっていてこそのものだが、男にはなかなか真似の出来るものではないし、くみ子のある種研ぎ澄まされたような強靭さには、全編通じて痛烈なるものがあった。なかでも印象深いのは、彼女が好きな男と来ることが叶えられたら観に来ようと思っていたのが、自分がこの世で一番怖いと思っている「虎」だったことだ。今にして思えば、くみ子は恒夫が負い切れなさに敗北していくことを確信的に予見していて、その喪失感と痛みや失望に耐え得るかということを含めて、恋愛に踏み出す恐れに対する覚悟を新たにするための儀式として、“男と虎を観に来ること”をかねてより心に思い描いていたのではないかという気がする。そのような機会自体が自分には訪れないだろうとの思いを抱きながら、おそらくは、まさかのときの覚悟という形で、自身の負っている障害と付き合っていくうえで必要なことだと予め意識していたように思う。その強さと覚悟があればこそ、我侭なまでに全身で恒夫にぶつかっていけたのだろうし、恒夫を飲み込むくらいに全身で受け容れられたのだろう。泣きの部分がいささかもないこの種の状況受容の強さというのも、女性なればこそのような気がした。障害を負っている者の強さのようには見えてこなかったところが出色の出来だと思う。
 くみ子は、きっと恒夫の敗北を「しゃあないわ」と赦し、恨みや残念よりも思い掛けなくして得られた素敵な気分の事々を大切な想い出や喜びとしていることだろう。他の別れた人との再会は果たせても、ジョゼとだけは二度と会えないと述懐する恒夫との差は、とても大きいような気がする。敗北感というのは、そういうものだ。


参照テクスト1:『ジョゼと虎と魚たち』をめぐる往復書簡編集採録
参照テクスト2:『ジョゼと虎と魚たち』をめぐる掲示板過去ログ編集採録

推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0405-7towa.html#joze
推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2003sicinemaindex.html#anchor001034
by ヤマ

'04. 5.25. 県民文化ホール・グリーン



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