『赤いアモーレ』をめぐって
DAY FOR NIGHT」:映画館主・Fさん
飽きっぽい女のブログトライアスロン実験」:タンミノワさん
TAOさん
多足の思考回路」:めだかさん
ヤマ(管理人)


  No.5355(2005/02/19 22:52)より

-------男にとっては実にイヤ〜な映画-------

(Fさん)
 ヤマさん、こんばんわ。
 イヤイヤ嬉しい。「赤アモ」(笑)見ていただけたとは。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、Fさん。
 嬉しいのは、あの後味の悪さを食らった仲間が増えてってことですね(笑)。

(Fさん)
 『きみに読む物語』を「きみよむ」とかフヤけた呼び名で言うのなら、『赤いアモーレ』も題名縮めて、みんなにダマして見せちゃいたいと思っています(笑)。

ヤマ(管理人)
 あはは、Fさんには相当来たみたいですね、あの毒が(笑)。

(Fさん)
 イヤ〜な映画でしたよねぇ(笑)。なぜイヤかっていうと、実に図星な映画なわけでして。

ヤマ(管理人)
 ですねー(たは)。

(Fさん)
 男がいかに女に対して都合イイことを考えているかが、かなりズバズバと描かれているんですよね。欲しい時にはいて欲しいし、煙たい時には消えて欲しい。都合が悪くなったらサッサといなくなって欲しいし、ホトホト困り抜いた時にはサッと現れて助けて欲しいんです。そしてこっちの言うことは聞いて欲しいんですけど、ガタガタとイヤな言葉は一切聞きたくはない。そんな映画ですからね(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうでしたねー、ほんま(苦笑)。
 でも、イチバン自分の身に沁みてきたのは、そういう都合イイことを押付けて身勝手に振舞うこと自体ではなくて、そのことで負った自分の傷や疚しさを都合よく自分のなかで置き換えてしまう心情や、イカンなぁと思う部分を抱きつつも合理化や正当化を自分に課してまでずるずると乗じていくことに抗いきれない“だらしなさ”の部分でしたねぇ(たは)。
 それってFさんがお書きのように「この女の機嫌をとって甘くオイシイ思いをしたい…。」と積極的に戦略的に臨むのよりも、もっと情けなくだらしないことのように思うんですよ。悪い男にもなれない情けない男ってとこでして(苦笑)。
 でも、それだけに普遍性が高く、他人事じゃないんですよね〜(笑)。ま、実際のところは、なかなか乗じられるような都合のよさなんてものに、そうそう出くわすわけもないんで、杞憂といえば杞憂なんですが(笑)、それだけに実体験でもなく映画で身につまされちゃ、不快の極みってなもんですよ。

(Fさん)
 イヤだけどホントのことだから無視できない。そんな不思議な持ち味の映画でしたよね。

ヤマ(管理人)
 そうなんです、ほんと不思議な持ち味ですよね。筋書き的には似たようなものは実にあまたあるように思うのですが、そこんとこの味にダイレクトに焦点の当たっていた作品というのは、案外と見覚えがないですね。やっぱり娘の不慮の事故による危篤に瀕しての回想である構成が効いていたように思いますね。いやぁ、コワい作品ですよ(笑)。

(Fさん)
 見ていただけてホントに嬉しいです。ぜひぜひみんなで罪の意識を共有しましょう(笑)。
 みんなで持てば怖くない(笑)!

ヤマ(管理人)
 とんでもないですよ(笑)、こんなおっかない作品。
 Fさんにしても感想のなかで最後に「ほんのわずかながら痕跡のように残った“良心のカケラ”のせいかもしれない」などとつい書いてしまい、我々のなかにある“男のいい気さ加減”ってのを露呈されられちゃうわけで、ホント、あぶない映画ですよ(笑)。
 その点、イタリアのあの潔いまでの気丈さって何なんでしょうね〜。やっぱり女性には敵いませんねー(笑)。


-------では、女性から観ると?-------

(タンミノワさん)
 ヤマさん こんばんわ。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、タンミノワさん。

(タンミノワさん)
 「赤アモ」はFさんも書かれていたように、男性に罪悪感を負わせる災難な映画のようですねえ。

ヤマ(管理人)
 ほんと、災難な映画ですよ〜(笑)。

(タンミノワさん)
 逆に女性が見ると、どうなんでしょうね。怒り心頭? あるいは「これほどバカな女もいね〜」で済ませてしまうのでしょうか

ヤマ(管理人)
 どうなんでしょう、これは僕も大いに興味のあるところですから、ご覧になったら、ぜひ感想を教えてくださいね。

(タンミノワさん)
 ・・男と女ってお互い様ってのが原則かなとはしながらも、やっぱね、一筋縄ではねええ・・。

ヤマ(管理人)
 このへんを、相手に向けて求める部分ではなく、自分の向け方のほうに注視したところが値打ちの作品でしたね。

(TAOさん)
 タンミノワさん、私はとても好きでしたよ、「赤アモ」。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、TAOさん。

(TAOさん)
 勝手な男とも、馬鹿な女とも、思わなかったなあ。出会ってしまったんだからしょうがない、という、ある意味で恋愛映画の極致を見た気がしました。

ヤマ(管理人)
 極致とおっしゃりながらも、「しょうがない」とはえらくあっさりじゃないですか(笑)。
 僕としては、TAOパンチを期待したかったのに…(笑)。

(TAOさん)
 私とていつもパンチを振り回してるわけではありません(笑)。

ヤマ(管理人)
 いつも振り回すのは、単なる粗暴ですもんね(笑)。

(TAOさん)
 『CODE46』に似てるとも思ったので、例によって一般的な見解とずれてるかも(苦笑)。タンミノワさんに強くお薦めする自信はないです〜。ただ、女の場合、必要以上に罪悪感を感じる必要はないので、そのへんは安心ですが(笑)。

ヤマ(管理人)
 ほほぅ、『CODE46』、やっぱ観たいな〜。こっちでは上映されそうにもないんですが(とほ)。


-------受け取ったものを素直に表出することの難しさ-------

(Fさん)
 「赤アモ」ですけど(笑)。先に「“男のいい気さ加減”ってのを露呈されられちゃう・・・」と、私の一文を例にしてご指摘されちゃいましたが(笑)。その「いい気な男」(笑)から言わせていただければ・・・

ヤマ(管理人)
 ごめんなさいね(笑)。あまりに図にはまるというか、僕らのそういうとこを炙り出すことに力のある映画だったことが鮮やかに表れている気がして、僕の身代わりをしていただいているようにも思えて(笑)。ま、コワい映画だってことですよ。

(Fさん)
 ヤマさんのおっしゃる「都合イイことを押付けて身勝手に振舞うこと自体ではなくて、そのことで負った自分の傷や疚しさを都合よく自分のなかで置き換えてしまう・・・」ことも確かに言えますが、その言い換えって「人ごと」として指摘していくたびに、無限に増殖していくようなところがありますよね。え〜と、これを説明するにはこの場はちょっと適切じゃないし、たぶん舌足らずになるし言葉のための言葉になりそうですが。

ヤマ(管理人)
 そうですね。
 「“人ごと”として指摘していくたびの無限の増殖」ってお書きのことの指すものを僕自身ちょっと掴みかねていますが、もしそれが、「我が事の独白スタイルではなく他者の言質に対して、対話ではなく一方的な指摘として投げ合いだすと無限に増殖していく」ってな意味ならば、それはまさしくそのとおりだと思いますね。対話として交わしにくくなれば、難儀なものとなっていきます。

(Fさん)
 ただ、おそらくこの映画を見た男は誰でも、自分のやってない事のほうや関わってない事のほうに話を持っていきたいと思うんじゃないでしょうか(笑)。そうすれば少しは罪を感じないで済む(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうなんでしょうか? 僕は、むしろこの映画がそうではなく、身につまされる部分を突いてくるからこそ、不快感を促すのだと思いますよ。そのとき、観ている側は、映画に描かれた彼と同じ事をやってなくても、自分の想起する自分のやった事や関わった事のほうに目を向けていて、そういうものから逃がしてくれない映画が不愉快なんですよ。しかも、その映画自体に描かれていることは、自分の行状ではないのに、そんなもので痛いところを突いてこられるから不快なんです(笑)。

(Fさん)
 それはおっしゃる通りだと思います。ただ、この映画に感じ入った気持ちを外に吐き出す際に、ビミョ〜なすり替えが行われるかもしれないと思いまして、ああいった言い回しになった訳です。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。
 でも、それやると、いいかげん映画で不快になって、そのうえに文章を綴りつつ忸怩たる思いを抱えることになりますから、それだったら、いっそ書かないほうがマシですよね(笑)。ただすり替えと抽象化とか概念化は別ですから、何もベタに綴ることのみが唯一のすり替え排除法とも限らないのですが、そこらへんのところは、けっこう難しくて、逆に生々しく綴ることで演技的過剰さに取り込まれる形で自身のうちで無意識にすり替わることもあり得るでしょうし、何にしても、受け取ったものを素直に表出するというのは難しいものですよね。

(Fさん)
 たぶんヤマさんと僕はマズイ点が微妙に違ってるんですよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 それはそうですね。
 Fさんは、どちらかというと都合のよさを求める男の身勝手さ自体に、マズイ!痛い!(笑)っと反応され、僕はそのこと以上に、その身勝手さへの合理化や正当化、さらには都合のよさのなかに溺れてしまう“だらしなさ”や“情けなさ”にマズイ!痛い!と悲鳴をあげたような気がしています(笑)。

(Fさん)
 それは、僕が実際には女に対して本当に責任をとってきてないという点があるからでしょう(笑)。隠したい部分ですし。

ヤマ(管理人)
 そうとも限らないでしょう(笑)。だいたい責任なんて取って取れるものでもありませんしねー。


-------じわじわ効いてくる、男のタマネギの皮むき-------

(Fさん)
 そんな感じで『レイクサイド・マーダーケース』の男子限定バージョンみたいに、男それぞれに個別にじわじわと効いてくると(笑)。

ヤマ(管理人)
 これは、まさしくそうですねぇ(つくづく)。やっぱコワい映画ですよ(苦笑)。

(Fさん)
 これが女性だとどう見えるのかも興味ありますが。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。男には思い掛けないような意表を突かれるかもしれませんね(笑)。

(Fさん)
 それと、やはり主人公が一見好感の持てるタイプであるのが、この作品のミソだと思いますね。あれだと何らかの感情移入せざるを得ないですから。

ヤマ(管理人)
 ま、娘の生死に際して、昔の愛人を思い出しているなんてのは、普通、言語道断ものなんでしょうけど(笑)、なんか凄くありそうなことのように見えましたね。そこらへんの納得感を醸し出していたのは立派なもんです。

(Fさん)
 そして「自分は本当は悪くない」と潜在意識の中で暗黙のうちに言いたいんではないかと(笑)。
 モチ、ヤマさんは違うでしょうが、僕はそうです(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうですねー、僕はここでもよく言っているように、善悪という観点そのものにあまり興味がないので、自分自身についても、良いとか悪いとかいった視座は欠いてますね(たは)。むしろ美醜とか明暗、応分不相応といった感覚のほうが強いですね。

(Fさん)
 ちなみに僕はこの話って微妙に心当たりがあるんです(笑)。だからこう見えたってところがあると思うんですよ。

ヤマ(管理人)
 上にも書いたように、僕もそうですよ。そうそう出くわすこともないわけですから、今なお怯えるまでもないのですが、映画の外科医と同じではなくとも、少なくとも想起せずにはいられないような心当たりというのは僕の人生経験のなかで、やっぱりあるわけです(苦笑)。だから、あんなふうな日誌になるわけですし、不快になったんですよ。

(Fさん)
 なんかタマネギの皮むきみたいにも見える映画なんですね。

ヤマ(管理人)
 剥いで剥いで、剥がれたところで、僕というタマネギから、これってな形で明白になる正体や核心が現れるわけではないんですが、身を剥がれると気恥ずかしいし、タマネギを皮むきすると泣けてもきますよね(笑)。

(Fさん)
 皮がむける時は痛いものですからね、まして男ならなおさら(笑)。

ヤマ(管理人)
 そう言えば、子供時分に無理して我慢しつつ、そんなことやってましたね〜(苦笑)。特段にそうやって大人に近づきたいと意識してるわけでもなく、また誰に教えられるわけでもないのに、気になるモノの珍しい姿観たさに痛みをこらえてやってたことがありましたね(笑)。


-------男か女かの違いではないのでは?-------

(めだかさん)
 ヤマ様、皆様、こんにちは。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、めだかさん。

(めだかさん)
 ところで、活発な論議で何のお話かしら?と過去ログを辿らせて頂いたのですが、『赤いアモーレ』って面白そうですね。観ていないのが残念です。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、僕にはとっても不快な映画でしたよ(笑)。

(めだかさん)
 最初のはしのFさんのご意見を読んだときには「ああ、そういう女性の映画なのね〜」と大勘違いしてしまいました。そういう男性の話だったのね、とヤマ様の日誌を読んで合点がいきましたが(笑)。
 だって文章だけ読んでたら女性に丸々当て嵌まって思えたんですもの。

ヤマ(管理人)
 確かにそういうこと自体は、性別のいかんによらず、人間のタチみたいなとこですからね(笑)。映画に描かれていたのが男のそれだってだけのことで。でも、その描き出しているニュアンスというのが、いかにもでね〜(とほ)。

(めだかさん)
 女性を信頼しないほうがいいですよ、ヤマ様。戦略的や意図的とまではいかなくとも、老若を問わず相当にしたたかですから(笑)。

ヤマ(管理人)
 そのへんがどうも僕は甘ちゃんで、若い頃「隙のなさそうなキミが、もし躓くことがあるとするなら、それは間違いなく女だろうね」って7歳上の先輩から言われたことがあります(苦笑)。幸か不幸か、あまりたくさんの女性と御縁がなかったというか、僕のような野暮天にでも関心を持ってくれるような方は、みなさん、よい方ばかりで、おかげで僕は大きな躓きもなく来てますよ(笑)。

(めだかさん)
 TAOさんは公平で優しいからよく教えてくださいますけど。

ヤマ(管理人)
 そうですねー(笑)。時に手厳しく、時に優しく、よく教えていただいてますよ(笑)。


-------女心の謎-------

(TAOさん)
 私の場合「赤アモ」では、なんといってもペネロペのあまりの汚さに度肝を抜かれ、…

ヤマ(管理人)
 確かに確かに。

(TAOさん)
 かんじのよさそうな主人公がいきなり豹変したのに驚き、…

ヤマ(管理人)
 クソ暑い日に思わぬ車の故障に苛立ってて、ウォッカがいくら強い酒で思いがけなく余計に飲むことになったにしても、あの豹変はちょっと納得がいかないのですが、出発点のそこを問題視すると話に入っていきようがなくなりますからね(笑)。

(TAOさん)
 たしかに、あれがないと話が始まりませんから(笑)。

ヤマ(管理人)
 ま、なんらかの拍子でってなくらいに受け取ることにしましたね、僕。

(TAOさん)
 でもって、おめおめと女のところに謝りに行ったところで、すっかり許してしまいました。
 あのかっこわるさがぐっときて。

ヤマ(管理人)
 あそこで赦せましたか〜(驚)。ふーむ、女心というのは、やっぱ謎ですな〜(笑)。

(TAOさん)
 あ、「許す」より「赦す」のほうがずっといいですね。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。勝手に変えちゃいましたが、汲んでいただき、嬉しいな。

(TAOさん)
 たぶん男と女って、“かくありたいイメージ”と“求められるもの”が、いつのまにかずれちゃってるんじゃないですかねえ。女は、男のかっこよさなんて、じつはそれほど求めてない気がします。かっこわるくても、ずるずるでも、いいんですよ。

ヤマ(管理人)
 真に受けていいとも俄かには思いがたいところですが(笑)、本当は、かっこいいとかわるいとかってとこで付き合うものではないですよね、人間関係って。もっとこう何というか、巡り合わせのなかで生じる馴れ合いとかフィット感のほうが重要な気がします。そして、そこんとこのフィット感が彼らのその後を引っ張ったんでしょうね。それは確かにそう思うんですが、現実問題としてTAOさんのおっしゃることを真に受けられるほどには、僕は女性を信頼できてないような気がしますね(苦笑)。

(TAOさん)
 むしろ女は、男のかっこわるさやずるずるにつけこんで自分の勢力を拡大しようとするわけですから。いや、必ずしも戦略的なわけではないですけどね。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。こうも伺えば、TAOさんに関しては真に受けてもいい方かとも思いますが、こういうところに、こんなふうに自覚的な女性というのは、やはり相当に少ない気がしてなりませんよ(笑)。

(TAOさん)
 自覚してるとなると、たしかに少ないかもしれないですねえ。ただ、無自覚に、なぜかいつもダメ男にひっかかってしまう女性は、かなり多い気がしますよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 そのようですね。

(TAOさん)
 でも、女も男につけ込んでいるのだから、男性にのみ一方的に都合のいい女なんて、ありえないと思いますよ。

ヤマ(管理人)
 それはそうです。確かにそうなんですよ。だからこそ、アブないんですよね〜。そう考えることが正当だと思えば思うほど、当面得ている都合のよさは、単に自分が都合よく受け取っていることでしかなくて、その都合のよさに怯む必要も疚しさを覚える必要もないってことになるわけで(笑)。でもって、乗じている自分の正当化や合理化に資することに繋がってしまうんですよね。かつて僕は“不合理な申し訳なさ”みたいな言葉にして日記に綴ったことがあるのですが、そういう言葉を生み出すところがまた“男のいい気さ加減”の極みであるようにも思ったりするわけですよ(苦笑)。

(TAOさん)
 ふーむ。どうも好きこのんで「申し訳なさ」を持ちたがる傾向があるわけですね。それより、相手がほんとうに何をのぞんでいるかを知ることに尽力してほしいもんだなあ。

ヤマ(管理人)
 それは、それなりに学習し、心掛けてはいるんですが、どうも根が自分のことしか考えてないもんで、見誤りに対する不安のほうが強いですよ(苦笑)。

(TAOさん)
 ま、めだかさんがおっしゃるように、女も似たようなもんですけど。ただ、女はずうずうしいから、申し訳ないなんてこれっぽっちも思いませんよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 少なくとも、その分、その種の“いい気さ加減の極み”からは免れますよね。また別の種類のいい気さ加減を、女性は女性なりに持ち合わせることでしょうけど(笑)。


-------女の側の“いい気さ加減”-------

(TAOさん)
 そうなんですよねえ。たとえば、「赤アモ」に即して言いますと、ペネロペ(イタリア)は、男の妻が妊娠したと知って、衝動的に子どもをおろしてしまいますね。これってやっぱり女の傲慢じゃないでしょうか。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。僕は、それについては、決定権は女性の側にあることだと思ってるんですが、それが復讐の道具としての行為なら、なんか筋違いという気はしますね。女性の決定権に対する“いい気さ加減”ってことですね。

(TAOさん)
 誰も知らないでおかあさんがぼやいていたように、どうして女だけが子どもを育てなきゃいけないの、という問題もあるにせよ、子どもを復讐の道具にするのは、ちょっとスジが違う。でも、これは昔からあることなんですよ。前にも言いましたけど、ギリシャ神話にも子どもを殺して、裏切った夫に食べさせる話があるくらいだから。

ヤマ(管理人)
 あ、そう言えば、そうでしたね。何という名でしたっけ?

(TAOさん)
 たしかメディアです。夫はイアソン。いや、アガメムノン? だめだ、ごっちゃになってます(笑)。

ヤマ(管理人)
 メディアは、パゾリーニ監督にも『王女メディア』っていう作品があって、僕もレトロスペクティヴ上映会で観て日誌を綴った覚えがあります。イアソンとの間の子供を殺したようには思いますが、食べさせるまでしたっていう形で伝えられていたんですか(ほぅ)。


-------道具としての受胎の問題-------

(TAOさん)
 それはそうと、妻というものは、なぜ夫の気持ちが離れたときを見計らったように妊娠するんでしょう。

ヤマ(管理人)
 ドラマではよくあるパターンですが、現実でもそういう傾向があるんでしょうかね。まぁ、ドラマがそうするのは、そのほうがドラマティックになるし、描くに足る心情や関係の葛藤やもつれが浮き彫りになってきますからね。

(TAOさん)
 ところが、あるんですよ、それが。
 そうか、男の人同士ではそういう話もあまりしないでしょうね。

ヤマ(管理人)
 そうですね。気持ちが離れたとか何とか内側の話をあまりしないですね(笑)。

(TAOさん)
 女には独自のネットワークがありますから、…

ヤマ(管理人)
 千里を走るそうで(笑)。

(TAOさん)
 そういう場合にまるでドラマのようなパターンが起こることにいつも驚いています。たぶん女の身に備わっているリスクマネージメント能力の成果だと思われます(笑)。どこかで読みましたが、戦争中、夫が出征する直前の妊娠率ってとても高いんだそうですよ。

ヤマ(管理人)
 これは心が離れてってことではなく、むしろ逆に最もボルテージのあがっているときでしょうから、要はTAOさんがおっしゃりたいのは、子供を残すチャンスが危うくなり始めると、たちどころに受胎能力が向上するってことですね。じゃあ子沢山なとこって、よく仲がいいとか言われるけど、案外逆で、内情は火の車というか、危ういからこそ次から次へと生まれ出ているってことなんですかね(苦笑)。

(TAOさん)
 それって、ヤマさんちのお話ですか?(笑)
 ふーむ、その可能性もまったくないとはいえませんね(笑)。

ヤマ(管理人)
 あちゃ、そーでしたか(ヤバ)。でも、それで言えば、その後十八年間、受胎なしですから、危うさが克服されたってことですかねぇ〜(笑)。

(TAOさん)
 ヤマさんちはともかく、夫の気持ちが離れたときを見計らったかのように妊娠した「赤アモ」の妻の場合は、しかもそれまで長い間子どもをもつことをためらっていたのに…。

ヤマ(管理人)
 このへんは、この作品については、人生のタイミングのままならなさとして、僕は割と流して観ちゃいました。

(TAOさん)
 彼女も女である以上は、夫の気持ちが別の女に移っていることぐらい気づいているはずなのに、まるで気づかぬふりをしてるしねえ。これまた子どもを道具にしているようで、私なんかは、ああやりきれんなあという気がします。

ヤマ(管理人)
 彼女が愛人の妊娠に気づいていて確信的に対抗手段として講じたのなら、やりきれんなぁというのも解りますね。でも、気持ちが離れている感触を得て、夫婦関係の状況打開に向けたひとつのステージ作りとして子供を持とうという気になったというのであれば、それまでも子供を道具にしていると観るのは、確かにある意味で道具なのですが、僕は許容できますので、道具という観方をしても一概には“いい気さ加減”とは言えないように感じますね。道具という観方を敢えてすれば、人が生きるうえで関わるほとんど総ての事物や人も、道具と言えば道具ですからね〜、意識の如何に依らず。


-------妻は何を気づいていたのか-------

ヤマ(管理人)
 で、ティモーティオは、事の実際の如何はともかく、妻が知らずにいると思っていたからこそ、離婚話を持ち出せなくなったのだろうと思うのですが、知られていると感じていればどうしたんでしょうね。

(TAOさん)
 私も、きっと彼は、妻の知らないことだし、離婚話などできないと考えてたと思います。妻のほうも本能的に危機感を感じてはいたけれども、それを追求しようとはこれっぽちも思ってないんじゃないですか。

ヤマ(管理人)
 このへんは、女性にありがちなしたたかさというか逞しさでもありますね(笑)。

(TAOさん)
 『恍惚』のヒロインとはまるで逆で、ほんとは知ってるくせに自分を守るために、意図的に気づかないでいるように見えました。

ヤマ(管理人)
 『赤いアモーレ』を観た方の見解は、どっちが多いんでしょうかね。「妻、気づいていたか否か」ってお題(興味津々)。

(TAOさん)
 私が思うに、気づいていた妻は、ヤマさんのおっしゃるように次のステージに進むことで、夫婦のモヤモヤを解決できると信じていたのだと思います。

ヤマ(管理人)
 んで、そういう場合も、やはり子供を道具としているやりきれなさをTAOさんはお感じになります?

(TAOさん)
 子どもを産む決定権は、基本的に女性にあるとヤマさんはおっしゃってましたね。私もそう思うんですよ。だからこそ、パートナーを強制的に次のステージに引きずり込むことに関して、私自身は強い抵抗を覚えますね。

ヤマ(管理人)
 ふむ、でも、受胎ってのは一人じゃできないんで、強制的とまでは言えないようにも思いますが、…

(TAOさん)
 えーと説明不足でしたね。女性がピルを常用していて、避妊はもっぱらそれに頼っている場合を前提として、女性が独断ないし思いつきでピルを飲むのをやめられる状態を想定して強制的と言ったのでした。

ヤマ(管理人)
 もうそんなにピルって普及しちゃってるんですか(感心)。

(TAOさん)
 あ、欧米の、いわゆる先進国だけで、日本ではまだまだです。

ヤマ(管理人)
 あの作品は、ヨーロッパ映画ですもんねー。日本は、なんでも“いわゆる先進国”の真似をしたがるのに、これだけは何故なんでしょう? やっぱり製薬会社よりも医者のほうが強い力を持っているからなんでしょうね(笑)。

(TAOさん)
 副作用もあるといいますし、婦人科系の疾患の必要からホルモン療法として処方されることはあっても、避妊のために使っている人はごく少ないと思います。

ヤマ(管理人)
 望む妊娠であれ、望まぬ妊娠であれ、ともかく妊娠が減ると、産婦人科医は商売あがったりってことなんでしょうかね(苦笑)。殊に今の日本のように産みたがらない人が増えてくると、ピルの普及は、産婦人科医にとっては死活問題なのかも。そんなこと考えると、近頃やけに宣伝されている乳ガン検診も、もちろん普及されるべきことながら、マーケット開拓の側面も窺えてちょっと鼻白むようなとこがありますね(笑)。
 それはそれとして、まぁ女性のほうには、妊娠で強制的に次のステージに引きずり込むってなことに抵抗感を持っていただいているほうがいいようには思いますね。おっしゃるように決定権を持っているだけにね。

(TAOさん)
 もしあの立場で妊娠に気づいたら、離婚してシングルマザーになるか、産むのをあきらめるか、でしょう。

ヤマ(管理人)
 ってことは、あの立場には、気づいてなかったということですか?
 じゃあ気づかぬフリをしていたっていうのは、「夫の気持ちが離れた」なり「夫の気持ちが別の女に移っていること」までのとこって読みなんですね。

(TAOさん)
 はい、そうです。
 不安にフタをしたまま、心ここにあらずの夫を頼みとして暮らすのは、あまりに自分がかわいそうな気がします。

ヤマ(管理人)
 そうですよねー、それなのに「夫の気持ちが離れたときを見計らったように妊娠する」んですね(哀)。それがプログラミングされた受胎能力の摂理によるものだとしたら、なんだか酷というか、気の毒ですよね。それだったら、自身の能力を活用して事態の打開を図ろうとすることのほうが、たとえ道具にしているとの顰蹙を買っても、まだしもって気がしますよ。
 でも、そういうときって、それで事態の打開を図ることが出来る確率って、そうそう高いものではないように思うんですが、そこに賭けるあたりの腹の据わりというか、思い切りのよさって、例によって(苦笑)、女性の強さだというような気がするんですよね〜(笑)。

(TAOさん)
 あ、うっかりしてました。子どもを産むという新たな目的をつくることで、夫はむしろ二の次になっていくのではないでしょうか。

ヤマ(管理人)
 なるほど、なるほど。事態の打開は、「二人の」ではなく「自分の」ってことですね。

(TAOさん)
 つまり、女もやっぱり自分のことしか考えてない(笑)。

ヤマ(管理人)
 あは。お互い様とな(笑)。でも、身体張ってる分だけ、エラいですよ(笑)。

(TAOさん)
 ま、子どもを産んで二人の関係が改善するとは限らなくても、少なくとも自分を必要としてくれる対象は得られるわけで。

ヤマ(管理人)
 たしかに、それは確実にそうだなぁ。

(TAOさん)
 もしそうだとしたら、道具にすることへの顰蹙などはなから的外れだし、

ヤマ(管理人)
 でしょ(納得)。

(TAOさん)
 そういう選択肢があることが女性の強さの源かもしれませんね。

ヤマ(管理人)
 あ、確かに「源」ってのは、そこんとこかもしれませんね。

(TAOさん)
 ちょっと唐突ですけど、『マルコヴィッチの穴』コールド・マウンテンのラストを思い出してくださいな。彼女たちがなんと満たされた顔をして女だけの子育てを楽しんでいたか(笑)。

ヤマ(管理人)
 そういう作品、そう言えば、たくさんありますねー、確かに。


-------いい気な「男の本心」というやつ-------

(TAOさん)
 もしティモーティオが妻に知られていると感じていた場合ってことでは、これは私の友人の話ですが、奥さんに浮気がばれたとき、とっさにそんな事実はない、と言っちゃったんですって。それで、ああオレは別れたくないんだなと思ったんだそうです。

ヤマ(管理人)
 ほぅ、そー繋がるもんなんですか、当人のなかで(笑)。僕には経験のない感受パターンというか、僕の得てきた「気づき体験」って、こういう形とはちょっと違っているようです。

(TAOさん)
 で、そこからは確信的にがんばってしらを通したと言っていました。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。

(TAOさん)
 ティモーティオなら、奥さんから詰め寄られたら、あるいは言ったかもしれませんが、…

ヤマ(管理人)
 そういうとこ、感じられますよね(笑)。

(TAOさん)
 でも、自分から切り出すなんてできず、…

ヤマ(管理人)
 ですよねー。

(TAOさん)
 ただ家に帰らず愛人と暮らすとか、なしくずし的に姿を消すということはしたかもしれませんね。

ヤマ(管理人)
 確かに(笑)。僕には、TAOさんのおっしゃる「妻なら知らないはずはない」とまでは思えない“男の甘さ”があるので(笑)、ティモーティオの妻の妊娠にどこまでの思惑があったのかは、映画で特に描かれていなかった以上、敢えて想定せずに“人生のタイミングのままならなさ”のみ受け取ったように思います。

(TAOさん)
 私は自分が女ですからそこのところは少し違いましたが、このことに限らず、愛人と妻が二人合わせて女の本質を表しているようで、やっぱりよくできた脚本だなあと思うんですよ。

ヤマ(管理人)
 原作は女性で、脚本・監督・主演が原作者の夫でしたよね、この作品は。

(TAOさん)
 たぶん男は娘を見るたびに、生まれなかった娘(息子かもしれないけど、ここはなんとなく)を重ね合わせて見ていて、娘が死ぬことで、罪の意識とはべつに、かつての愛人がもういちど死んだような哀しみを覚えたことでしょう。

ヤマ(管理人)
 生まれ出られなかった子どものことを時に触れ、想起することはあっても、生身の我が子に重ね合わせるような乱暴さは、なかなか持ち得ないように僕は思いますが、そんなふうに解するとまた違った味わいが生じてきますね(成程)。

(TAOさん)
 いやいや、たしかに乱暴な発想でした(笑)。妻と愛人、生きている娘と生まれることなく葬られた子どもという2組のペアを表裏一体のものとして発想したのですが、ちょっとキバツすぎるかも。

ヤマ(管理人)
 奇抜というか、観念的過ぎるって感じですかね。図式的には、ははぁ成程ってとこなんですが、実感的には、そりゃいくらなんでもレア過ぎなんじゃ? って感じです(笑)。

(TAOさん)
 ただ彼は罪におののきながらも、それでいてうっとり思い出しているように見えるので、そんなふうにも考えてしまったのでした。

ヤマ(管理人)
 いや、罪におののいてたりはしないんですよ、いい気な男は(笑)。ただ、ああいうときに愛人の死のみならず、なれそめをも含めて思い出してしまうってとこに、意識下に押し込められている罪悪感の存在が窺われるってことです。思い出して回想しているさなかには、うっとりするとこでは、ただ単純にうっとりしてるものなんです、馬鹿ですから(笑)。
 それこそ、目前に死が迫っている愛娘となにがしかでも重ねるようなところがあったら、とてもうっとりとしてはいられないはずです。ティモーティオの回想にうっとり感を覚えたのは僕も同様でしたが、そこんとこも、まさしく男のいい気さ加減というか、きっと本当にうっとりと思い出してたところがあったはずなんです(笑)。そして、TPO知らずなんですよね、心の内側なんてものは(苦笑)。
 ま、心の内側のTPO知らずっていうのは、女性にしたって同じで、人間ってそういうものだろうとは思いますが(笑)。
 それに、生まれ出なかった子どもを愛娘に重ねて見ることはなくても、医者ながら救えぬまま迎える愛する者の死ということで、かつての愛人を想起し、娘の危篤に対する不吉な予感に怯える部分は当然ありそうな気がしますし、ね。
 そこんとこでは、おっしゃるように哀しみと苦しさには苛まれても、罪の意識とは異なる部分での想起ということになるでしょうね。でも、彼のイタリアとの関わり方があのような形で回想されていれば、そこで最も刺激されていたのは罪悪感であり、天罰かとの想いだったように僕には見えましたねぇ。


-------炸裂したTAOパンチ(笑)-------

ヤマ(管理人)
 ところで、TAOさんが赦したとおっしゃる、あそこで男が女の元に謝りに行ったのは、行くまでは確かに彼の本心だったと思うんですけど、…

(TAOさん)
 いえいえ、最初から謝りに行ったんじゃないでしょう。夢遊病者のように、気が付いたらまたあの街に来てしまって、あ、オレはもう一度あの女に会いたいらしいと気づき、しかし、あんなひどいことしたあとに会ってなんかくれないだろうけど、とにかく謝ろう、そんなところではないでしょうか。

ヤマ(管理人)
 確かに確かに。そう解するほうが現実感が強いですね。
 僕は自分がそんなふうな我知らずみたいな感覚に陥ったことがないので、あんなふうに身につまされるところの強い作品を観て、つい自分の行動パターンにはない姿ってのを想定し抜かりましたね(苦笑)。最初から強い謝罪意識を持って訪ねたのであれば、いくら覚悟してた罵倒を浴びせかけられなかったとしても、あんなふうに情けなく衝動に流されたりしませんよね〜。
 あれじゃあ、謝罪を口実にもういっぺん襲いに行ったことにしかならなくて、…

(TAOさん)
 そうとも言えるんですけど(笑)、あそこのペネロペの表情が肝心なんですよ。謝られて、険しかった顔がフッと緩む瞬間があるんですよ。あの瞬間、彼女は男を受け入れ始めてます。

ヤマ(管理人)
 なるほどなー。往々にして勘違いにもなりかねないところですが(笑)、その後の展開が証明しているだけに、まさしくそうだったわけですよね。

(TAOさん)
 まだ完全にではないですけどね、あの表情がなければ、<いやもいやよも好きのうち>の、よくある男の大勘違い映画になってしまうところです。

ヤマ(管理人)
 表情なしだと、そりゃもう相手に対する勘違いじゃなくて、女性に対する大勘違いということになりますが、そういう大勘違いではなくても、そのへんを頼りにすると、表情の読み誤りによる勘違いってのは頻繁に起こりそうではありますが(笑)。だとすると、あの外科医、なかなか嗅覚鋭かったわけですね。でも、嗅覚の鋭さというよりも、たまたま勘違いにならなかった巡り合わせだったというにすぎない気もしますが(笑)。
 そもそも謝りに来ておいてまた襲ってしまう男のああいう心情っていうのは、女性にイチバン理解されにくいとこだという気がします。

(TAOさん)
 いえいえ、女じゃないとわからないところですよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 なるほどねー。でも、TAOさんの場合、かなり異例じゃないんですかねぇ(笑)。

(TAOさん)
 うーん、そう言われると、自信ないです。私が絶賛してる『CODE46』もおおむね不評のようですからねー(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 お目にかかったことがなければ、ほんとに女性?って思っちゃうくらいですよ。

(TAOさん)
 よかったー、会ったことがあって(笑)。

ヤマ(管理人)
 で、彼が謝りに行ったことよりも、僕が認めたのは、彼が砂浜に「俺は女を強姦してしまった…」と書いていた姿でしたね。それが決して勇ましいことをしたと誇っている風情ではなくて、とんでもないことをしでかしたとの思いと共に、自分のしたことを自分に刻んでいるように見えたもので、認めたんです。

(TAOさん)
 ははあ、やっぱり男は自分のことしか考えてない(笑)。

ヤマ(管理人)
 これ、効いたなぁ〜(とほ)。もろにカウンターパンチ喰らって、僕は今、マットに沈んでますよ(笑)。御指摘されると、ほんと図星ですね〜(とほほほ)。作品にふるわれなかったTAOパンチが僕んとこへ飛んできましたね(笑)。見事に決まりました。
 僕は、浜辺の場面があったからこそ、謝罪に行ったのも、彼女の姿を目にするまでは確かにそれが彼の本心だったと受け取っているのですが、それなのに、覚悟してたはずのなじりも罵倒もしない彼女を前にすると、今度は苛立って酔ってなくても、自身の衝動に流されてしまう情けなさが、なんともイヤでしたね〜(笑)。

(TAOさん)
 そんなことより、ちゃんと相手の表情や心理を見て欲しいんですけど(笑)。

ヤマ(管理人)
 はい。深〜く反省します(しおしお)。

(TAOさん)
 そういえば、これに関しては多少の実感があります。つきあいはじめの男女って、ちょっとさかりがついて動物的なかんじになるでしょう? で、ある種の男性は、衝動に押し流された後に「オレってなにやってんだろ」と急に自嘲的になるんですね。すると、喜んで押し流されたこちらの立場はどうなりますか(笑)。非常に疎外感を感じるんですよ。あれはいやなものですねー。相手が自分のことしか考えてないってことがわかる瞬間ですから。

ヤマ(管理人)
 グサ!グサ!グサ!(笑)
 死者に炸裂してくる鞭のようです(苦笑)。

(TAOさん)
 きゃーすみません! いや、もちろん逆もあると思いますよ。アメリカン・ビューティで、冷え切った夫婦がめずらしくその気になったときに、「ビールをソファにこぼさないで」なんていう現実的な妻の一言でさぁーっと醒めるシーンがありますけど、あれはとてもリアルでした。ああいうせちがらいことを女は言いがちかもしれません(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 確かにね(笑)。でも、そういうのは、ちょっとした興醒めで、気力充実してたら、押し流すのはわりあい簡単ですから(笑)。

(TAOさん)
 そうか、そうか、そうですねー(笑)。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、今回はとっても勉強になりましたです、はい(笑)。

(TAOさん)
 ちょっとわかりにくい書き方だったかなと思っていましたが、ヤマさんにはむしろダイレクトに届きすぎたようですねー。どうも失礼しました。

ヤマ(管理人)
 「すぎ」でしたか?(笑) 自分のことしか考えていないってのが想定以上に響いてしまったのは、かねがね僕が疚しくも思ってる当方の個人的事情ですから(笑)、TAOさんにお詫びいただくようなことではありませんが、やっぱり、かな〜り効きました(ふらふら)。

(TAOさん)
 ふらふらと言えば(笑)、ヤマさんは「夢遊病者のように、気が付いたらまたあの街に来てしまっているような我知らず感覚」に陥ったことがないそうですが、私はなぜだかそういう感覚を強烈に感じさせてくれる映画がことのほか好きなんですよ。この話をすると、だいたい男性から悪趣味だとか、対岸の火事見物だとか言われるんですが(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 あは、そうなんですか(笑)。それは別に悪趣味だとかは思いませんよ。むしろ物好きって感じかな、いや、やっぱ好き者のほうがいいかな(笑)。

(TAOさん)
 悪趣味よりは好き者のほうがいいか(笑)。
 それはともかく、最初にそういうのを感じたのはたぶん『ラスト・タンゴ・イン・パリ』です。

ヤマ(管理人)
 あー、確かに確かに。四半世紀前に観たっきりなので、心許ない限りですが、確か最後の場面だったと思いますが、橋のとこを歩いている姿は、ほとんど夢遊病者的ではありましたね(笑)。見失った小鳥は既にもう小鳥ではなく、到底見つけることなどできないし、探しようもないんですけどね〜。

(TAOさん)
 最初は若い女をリードしていたマーロン・ブランドが、最後のほうでは惨めったらしく老醜をさらしつつ女を追いかける姿にぐっと来てしまって…。ほかにも、作品的にはいまいちだったけど『ダメージ』のジェレミー・アイアンとか、イシュトバン・サボーの『ミーティング・ヴィーナス』とか、最近では『CODE46』がそうでしたねえ。

ヤマ(管理人)
 『ラスト・タンゴ・イン・パリ』は強く印象に残っている作品ですが、この二作は僕にとっては、さほどのこともないですねぇ。『ダメージ』は日誌も綴ってますが、困った親父でした(笑)。『CODE46』は、僕にとってはどっちに転ぶんでしょうかねぇ。

(TAOさん)
 ヤマさんにとってどっちに転ぶか、興味あるところですねえ。サマンサ・モートンの魅力でイチコロな気もしますが(笑)。

ヤマ(管理人)
 三つの小さな願いごとってわけですね(笑)。

(TAOさん)
 私の好きな俳優でいうと、レイフ・ファインズの十八番です(笑)。レイフ・ファインズが嫉妬や妄想で目の色を変えると、よ、待ってました!とかけ声をかけたくなります。さすがにこう続くと形骸化してるキライもあるのですが(笑)。
 そして、なぜか女にはこの感覚が似合わない気がします。

ヤマ(管理人)
 そうですか? 映画では描かれることもよくあるように思うのですが。女性が呆然とあてもなく彷徨い歩く姿というのは。

(TAOさん)
 基本的に女は「産む性」であって、ひとりの異性に観念的に溺れるより、子どもを産み、育てるために、適切な異性にスイッチするようにできてるからか、と思ってるんですけどね。

ヤマ(管理人)
 なるほど。このへんの切替の上手下手に個人差はもちろんあるでしょうが、僕のイメージのなかでも過去への囚われは、女性よりも男性のほうが強いように思いますね。
by ヤマ(編集採録)



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