こだわりの探索トレイル(地図の探索と歴史への道しるべ)

 トップ  準備はOK?  

あの街、あの散歩みち
「こだわりの探索トレイル」のこのコーナーでは、首都圏や関東エリアにある、鎌倉など歴史の重みや深みを感じさせてくれる各地の史跡の散策や探索、それに因む人物への想い、また奥多摩、奥秩父などにある野趣溢れるとっておきのハイキングや山歩きのコースなど、アウトドアの楽しみや醍醐味を、私が感じたままにご紹介するとともに、社会の出来事や関心事などについて私が普段感じたり、思ったりしていることを、ひと味違った率直な切り口で触れてみたいと思います。今回は、「東京の辺地、数馬の里」をご紹介します。

これまでのレポート

第1回 - 鎌倉亀ヶ谷坂の散策と薬王寺
第2回 - 八王子「絹の道」散策 - 鑓水商人、進取の気概

第3回 - 鎌倉東慶寺を巡る人間模様
第4回 - 見どころ満載の西沢渓谷と森林鉄道跡
第5回 - 分倍河原合戦 - 時代を駆け抜けた新田義貞
第6回 - 大塔宮、土牢幽閉の謎(鎌倉宮)
第7回 - 多摩都市モノレールと西武ライオンズ

第8回 - 足利歴史散歩
第9回 - 松姫、逃避行と安寧な日々

アウトドアやスポーツに欠かせない、思いがけないアイテムも
ナチュラムアウトドア  MIZUNO SHOP ミズノ公式オンラインショップ GOLDWIN WEB STORE

東京の辺地、数馬の里
東京都の西多摩郡にある檜原(ひのはら)村は、東京都の中では島嶼部分を除いた唯一の村ですが、私が今回訪れた数馬の里はこの檜原村の最西部にあり、山あいを縫って流れる南秋川の最上流部に近い場所にある集落です。数馬の里は、数馬を通って奥多摩湖に抜ける奥多摩有料道路が1973年に開通するまでは、数馬に通じる道が終点となる檜原村最奥の里であり、日本四大辺地(*)の一つに数えられた僻地にありました。そのため、今なお残っている家屋などの建造物や周囲の風景から、独特の風情を感じさせてくれるところです。また、そのような地理的な立地条件から、2014年2月の豪雪の際には、数日間周囲から孤立してしまった集落の一つでした。
(*) 他には、諸説あるようですが、祖谷(熊本)、三面(新潟)、裏山(埼玉秩父)が数えられるようです。
数馬の里には、JR五日市線の終点である武蔵五日市駅(あきる野市)方面から都道33号(通称檜原街道)を、檜原村の中心であり、村役場のある本宿(もとしゅく)に向けて西に進み、そこで左右に分岐する道を左折して南秋川沿いに進んで行きます。五日市から数馬の里までは約33kmあり、車でおよそ1時間程度で着くことができます。数馬は、元々14世紀の南北朝時代に、戦乱から逃れてきた南朝方の中村数馬なる人物がこの地に土着したことから、その名前が地名になったと伝えられているようです。彼が南北朝の争乱でどのような立場でどのような役割を演じたかを詮索することにそれほど意味があるとは思えませんが、辺境の地に土着ということだけを捉えてみると、何か平家の落人部落と同種のような趣があります。また、戦国時代後期に甲州の武田氏が織田氏に滅ぼされた際、武田氏の遺臣たちが数馬に逃れてここに土着したとも伝えられています。
私が数馬の里に興味を抱いたのは、私が住む同じ東京都にありながら、周囲から隔絶されたような全く別の生活環境の中に人たちが暮らしていることに関心を持ったのと、数馬の西に「都民の森」という、自然やそれに付随した設備を楽しめる、健康的でバラエティに富んだ自然豊かな施設が作られたことで、年齢を問わず家族ともども楽しめる時間を過ごせる場所があることと、前述の奥多摩有料道路が「奥多摩周遊道路」と名を変えて1990年に無料化されたことで、数馬から奥多摩方面へのアクセスが容易になったこと(この奥多摩周遊道路の奥多摩湖畔には、「山のふるさと村」という、ここにも家族で楽しめる施設がある)など、潜在的に私の中にある複合的な関心を満足させてもらえそうな感じを持ったことだったと思います。私は以前、自分の家族と数馬の里を経由して「都民の森」を何回か訪れたことがあり、そこでは三頭山に繋がる自然に調和した整備された登山道を散策したり、三頭の滝の壮大さに心打たれたり、シイタケ取りの体験をしてみたりと、半ば童心に帰って精神的にも健康的で楽しい時間を過ごしたことがありました。その際、途中で見た数馬の集落や、その周囲の雰囲気をもう一度ゆっくりと味わってみたいと思っていた私は、今回は家族サービスではなく、自分の関心だけを満足させようと思い立って、数馬の里を訪れる機会を得たわけです(右の写真は、数馬の里の入口近くにある龍神の滝)。
数馬には、東日本に点在する独特の形の屋根を持った「兜造り」の家屋が見られることでも有名です。この兜造りとは、寄棟造りの農家に見られる家屋の造りの一つで、蚕室として用いる屋根裏の妻側の部分の屋根を通気や採光のために切上げ、壁面に開口部を設けた養蚕のために実用的な造りのもので、この切上げた部分の形が兜に似ていることから、このよう呼び方になったと言われています。この兜造りという家屋の工法は、江戸時代に甲州から伝えられたと言われています。現在、数馬の里には約10軒の兜造りの家屋が残っているとのことですが、このうち、三頭山荘、兜屋旅館、蛇の湯温泉たから荘など、温泉旅館としての営業を続けながら、200〜400年前からの家屋の原型を保っているものもあり、別世界に来たような一種独特な雰囲気に息を呑むような存在感があります。数馬の里は、山あいを縫って点在する複数の小集落から成る檜原村の一つの集落で、現在人口は150人足らずですが(檜原村合計の人口は2,500人足らず)、街道に沿って点在する民家からも、兜造りの家屋が与えてくれる独特の雰囲気同様、寂びたような佇まいの雰囲気を私たちに与えてくれ、心の中に僅かに残っている郷愁に似た気持ちに灯を点けてくれるようです(兜造りの家屋を写した左上の写真は蛇の湯温泉たから荘、右上の写真は兜屋旅館)。

数馬の少し手前には、人里(へんぼり)や笛吹(うずひき)という、普通では読めない難しい一種独特の読み方をする、私の感覚で言うとそこが桃源郷であるかのような印象を与えてくれる集落があります。私は以前から、数馬への殆ど一本道の途中に「笛吹入口」というバス停があり、細い曲がった道が南の方の山あいに向かっていることに関心を持ち、いつか機会があればこの笛吹の集落を見てみたいという気持ちを持ち続けていました。今回、数馬からの帰途にこの集落に立寄るチャンスを得ることができたため、胸をワクワクさせながら笛吹の集落に車を走らせました。私は、山あいの木々に囲まれた日当たりのそれほど良くない周囲から隔絶したような集落を想像していましたが、実際には山あいの開けた場所に民家が点在する明るいのどかな集落で、予想が裏切られて少し嬉しい気持ちになりました(右の写真は、笛吹の集落の一部)。
ひと味違った旅やゴルフのプランニングと味付けを


心豊かな潤いのある生活のために
 チケットぴあ


「こだわりの探索トレイル」のトップページに戻る