鉱床と鉱石の特徴

鉱床と鉱石の特徴

鉱床とはその鉱山で採掘される主となる鉱石の成因に関係する型を分類したものである。
例えば銅鉱山のなかでも鉱床は高温交代鉱床・網状鉱床・正岩漿性銅鉱床など多種多様に分かれる。

専門的な鉱床分類はさておき、探索に影響する各鉱石の特徴や精錬方法などを、
現在の技術とは大きく変化する昭和20年頃の状況で取りまとめておきたい。

非常に専門的な部分もあるが、各地鉱山跡で発見した精錬施設や焙焼炉のメカニズムが少し紐解ければ面白いかもしれない。

銅(Cu)

-沿革と状況-

我が国において銅が初めて産出されたのは、元明天皇の和銅元年(708)頃で、貨幣「和銅開宝」が造られたことは有名だ。
その後、8世紀に奈良大仏を鋳造するのに523tもの銅が使用され、採掘も盛んになった。
仏具、仏像、貨幣に使用された銅だが、15,6世紀には中国・オランダに相当量の粗銅を輸出した。

20世紀初めには世界第2位の産銅国となったが、その後世界における銅の需要は電気工業の発達に即されて、
各国に大鉱床が開発されることとなり、それに伴い日本の産銅量は7位以下となってしまう。

昭和18年(1943)には約500の銅山が稼行され、9万tの銅量採掘、12万tの精錬と最高の記録に達した。
ところが昭和26年(1951)には稼行鉱山175か所、銅量4.5万t、精錬所の年産銅量9.2万tとなってしまう。
当時の主要鉱山10か所で全体の60%の産出量を占めることから、中小鉱山の多さが特徴となる。

-探鉱、採鉱、選鉱、精錬-

銅鉱床の露頭は著しく目につく鮮やかな2次銅鉱物で示されるため、露頭のある場所に沿って開発されている。
地下深いものでも1,700mと海外の様に3,000m級の深さに達する鉱山は無い。
つまり探鉱においては、銅鉱物のみの鉱床は無く、硫化鉄鉱や金属硫化物を伴うので、
坑道による電気探鉱や試錘が一般的だ。

採鉱においては鉱脈と層状鉱床が多いのでシュリンケージ法、上向階段法などが一般的で
鉱体が粘土に包まれていることが多く、採掘と保坑に手間がかかり通気に努力が払われている。
坑内水は強酸性のためポンプや各機器に耐酸性の防錆処理が必要となる。

採掘の対象とされる銅鉱物はほとんどの鉱山で黄銅鉱であるため、その選鉱も浮遊選鉱がメインとなる。
北海道では下川鉱山(手選・比重選鉱・浮遊選鉱)、伊名牛鉱山(優先浮遊選鉱)、余市鉱山(優先浮遊選鉱)などが機械選鉱所として繁栄した。

精錬の具体的方法は原鉱石を塊鉱と粉鉱に分離し、粉鉱は焼結と団鉱の工程を経てコークス/石灰石、そして塊鉱と共に溶鉱炉に投入する。
そこで冶金ハ(=matte)とスラグを分離し、 ハを転炉で精錬し粗銅を電気分解する。

-利用・需給状況-

銅鉱物は稀に孔雀石のように研磨して装飾用に用いられることもあるが、一般には精錬され金属銅として利用される。
銅の特性として電気伝導率が極めて高く、最高の銀を100とすると98以上である。展伸性と圧延性が高く柔軟性に富み化学的抵抗性、腐食に強い。
よって通信ケーブルや電線としての需要が80%を超える。合金としてや、化合物として農薬、顔料、医薬の分野に使用されることもある。

昭和の初めから20年間の銅山の産銅量を見ると、過半量が常に少数の重要鉱山で占めている。
つまり500〜200か所の銅山のうち別子・足尾・花岡・上北など上位10か所で6割を占め、残りを数百の銅山が担っていることとなる。

わが国は明治時代まで、銅の輸出国として繁栄したが、軍備拡張時代に電気工業が発展し銅が世界的に不足がちになって以降は、
最大の産銅国であるアメリカやカナダ、チリからの輸入に努力を払っている。

北海道の著名銅山として以下を示す。

北見(伊名牛)鉱山                              国光鉱山                                余市鉱山                                    神恵内鉱山

鉛(Pb)亜鉛(Zn)

-沿革と状況-

鉛は銀と共に西暦675年対馬の対州鉱山から朝廷に貢いだのが採鉱の始まりだと言われている。
鉛の精錬は方鉛鉱を木炭と混ぜ焙焼し、少量の鉄屑を加えて溶錬すればよいので、極めて単純で小規模に経営できる。

それに比べて亜鉛の歴史は浅い。銅と亜鉛の合金である真鍮は古代から知られていたが、亜鉛の精錬は12世紀以降となる。
そして精錬困難な閃亜鉛鉱は銅山や銀坑では邪魔者扱いで、明治38年頃に海外からの注目を受けるまでは積極的な採鉱はされなかった。
しかしこの頃から神岡鉱山、三池鉱山などが大規模に稼行しはじめたが、軍需に於ける強制乱掘と終戦時の鉱価暴落によりほとんどの亜鉛鉱山は休山に追い込まれる。

第2次大戦末期には銅や鉄の増産により鉛・亜鉛鉱山は抑制され、昭和18年には35鉱山、昭和27年には110鉱山の営業が記録されているが、
鉛60万t・亜鉛300万tと言われる埋蔵量も政治的制約、販路の収縮がネックとなっていた。

-探鉱、採鉱、選鉱、精錬-

鉛亜鉛鉱物はそれらのみで産出することは少なく、銅鉱物、硫化鉄鉱などと相伴って産出する。
鉱床地域の坑内水、土壌、着成植物のイオンを「チヂゾン」という有機試薬で検出、定量、PH測定しその値の異常分布を測定する探鉱方法がよくとられる。

黄銅鉱と閃亜鉛鉱が微細に混在している場合が多く、単体分離度が低く閃亜鉛鉱の浮遊性を抑制するのが困難で優先浮選に重液選鉱を併用することが多い。

方鉛鉱から金属鉛を得る乾式精錬は古くから知られ、精錬所とは別に旧鉱付近にその痕跡が残存することがある。
産出した硫化鉛鉱を焙焼し粗鉱を得る「焙焼反応法」、木炭などを混じて還元精錬する「焙焼還元法」、鉄屑と共に溶かした後に置換する「鉄還元法」などが
粗鉱を生成する方法だ。これらは金・銀・不純物を含むので乾式法/または電解法にて更に精錬を行う。

乾式法は粗鉛を鉄鍋/反射炉で送風酸化させ、酸化鉛滓と金・銀を含む柔鉛に分離し、その後亜鉛と混合分離したり徐々に冷却して乾式鉛を得る。
電解法は粗鉛を陽極板に鋳造して別の鉛板の陰極と電解液の中で電解し、陰極上に鉛を析出させる方法である。

亜鉛精錬に於いては乾式精錬として「溶鉄炉製錬法」「電気製錬法」、湿式精錬として「亜鉛溶出法」などがあり、
「溶鉄炉製錬法」は鉱石と還元剤を溶鉱炉に入れ、蒸発した亜鉛を採取する。
「電気製錬法」は鉱石にコークスを加えて特殊な電気炉で溶融凝縮し亜鉛を抽出する。多大な電力を必要とするため発電所や変電設備を併設することもある。
「亜鉛溶出法」は焙焼溶出しした鉱石の溶液を蒸発濃縮、石灰等を加えて亜鉛を沈殿させる。

-利用・需給状況-

鉛はハロゲンと結合し、稀酸には侵されにくいが耐酸性は少ない。また第一イオンには毒性がある。
板・管などに加工され、蓄電池の電極などに用いられる。錫や銅と合金となり、砒素を加えて硬度を高め散弾の原料ともなる。

亜鉛は常温では脆いが100℃以上では展性・延性を増し、薄板や針金に加工される。酸に弱く、表面に塩基性炭酸塩の被膜を作り防錆効果がある。
電池の原料となり、工業的には亜鉛メッキの原料となる。

昭和25年にその生産額のピークを迎えた亜鉛・鉛鉱山であるが、当時、世界8〜16位の産額を占め55箇所の鉱山が稼行していた。
北海道の著名鉛・亜鉛鉱山として以下を示す。

御園鉱山                                          洞爺鉱山                                八雲鉱山                                    大江鉱山

金(Au)銀(Ag)

-沿革と状況-

金、銀の発見は、674年対馬で銀を、749年宮城で砂金を発見したのが最初と言われている。
秀吉・家康時代には産金銀奨励が大いに功を奏して多数の金、銀山が開坑されることとなる。
明治初めには金100kg/年、銀3,000kg/年に満たなかったが、明治20年には500kg/35,000kg、明治31年には1,200kg/60,000kgと飛躍的に増大する。

20世紀に始まった全泥青化精錬によりますます産額を増し、昭和16年には25,900kg/368,900kgと未曽有の生産を記録した。
しかしながら、戦時状態が緊迫した昭和18年には、金銀が直接戦力に役立たないという理由で銅や鉛の精錬材(熔材珪酸鉱)を産出する20金山を残して、
すべての金鉱山が休山に追い込まれる。ただし戦後の産金政策を見越して、優秀金山には政府からの補助金で坑道保護を行うこととなった。
これが「保坑鉱山」である。たとえば道内では鴻之舞鉱山、千歳鉱山が保坑鉱山、轟鉱山、北隆鉱山が休山などとなった。

戦後はインフレや生産費の上昇で金山の復興は遅々たるもので、昭和23年当時での産額は160kg/月と微々たる状態となった。

-探鉱、採鉱、選鉱、精錬-

金銀鉱の採掘は、砂金から残留鉱床へ、そして露頭採掘から堀下り、竪抗から着脈後堀上がり、掘下がり、疎水坑掘削というのが小規模鉱山の通例だ。
製錬については「灰吹法」と呼ばれる、鉱石を粉砕し水で練り分け、鉛を加えて圧風を送り、灰と共に熱をかけ数度脱鉛を繰り返すことで金を得ていたが、
明治時代以降になると、鉱石中に含まれる金銀を水銀に溶け込ませ、生成したアマルガムを再加熱して
水銀を先に蒸発させ、融点の高い金を残存させて抽出する「混汞法(こんこうほう)」が利用された。

その後、1891年に発明されたシアン化(=青化)化合物を利用した「青化製錬法」は明治29年(1896)に日本に伝わり、
泥鉱、全泥法として主流となる。これは金・銀がシアン化合物によく溶ける性質を利用したもので、粉砕した泥鉱を青化液中で侵出する。
これが湿式精錬の代表例だ。ただしこの廃液を河に排水したことで多くの河川の汚濁公害をもたらした。

それに対して明治の初めから行われた乾式精錬は溶鉱炉で高熱の粗銅の中に金銀を吸収させることにより、高い採集率を誇った。
一時は湿式精錬が主流となったが、買鉱が多くなると乾式精錬に切替が進んだものの、産金が奨励されると再び湿式精錬が奨励された。

昭和に入ると、それまでは回収困難だった細かな金銀粒を浮遊剤を利用して回収する「浮遊選鉱法」が開発された。

-利用・需給状況-

金は展性・延性に富み、1gの金を0.0000000023mmの薄さまで打ち展げることができる。
空気、水に侵されず普通の酸、アルカリには溶けないが青化アルカリには良く溶ける。

銀は比熱が高く熱伝導率が良く、展性、延性とも良好だ。

金銀ともご存じのとおり、装飾品や金箔、銀箔として建築物や仏像にも古来から利用されてきた。
歯科分野や人造繊維に工業用として利用されたり、その物理的特徴を生かして合金として多様の金属と用いられる。
また金本位制に基づいて、貨幣としても利用された。

北海道の著名金・銀鉱山として以下を示す。

北隆鉱山                                          沼の上鉱山                                恵庭鉱山                                    轟鉱山



鉱山跡探索へ

トップページへ