99.8.9 | 99.10 | 99.11 | 99.12 | 00.1 | 00.2 | 00.3 | 00.4 | 00.5 | 00.6 | 00.7 |
日々 すけっち |
8.1
8月は
8月は,戦争の事に全く触れないで通過する事は出来ません。
私の体験は,すでに書いてありますから,くどくど繰り返す事はありません。私にとっては遥か少年時代の強烈な体験として後世に伝達する義務があります。過去の若者の苦難を知らずに,溢れる情報に振り回されて,自分を失い現実と虚像を混同してとんでもない事件を起こしてしまう少年達。こういう環境を作った,私たち年長者は責任を感じなければいけません。
何と言っても,仮想ではなく実際に体験したのですから。
先日亡くなられた梶山静六さんが「多少手荒でも,ハードランデイングしなければ駄目だ」と言われましたが,どうも日本は,かなり手痛いショックを受けなければ目覚めない体質なのでしょうか。
過去の歴史で多くの犠牲者を出した事を知っている筈の長老政治家が黙っているのは何故でしょう。
能力の疑われる人が政治,教育を行っている。
今の内閣で名前を知っているのは森総理と宮沢,扇さんの他は考えても思い付かないとは何という事でしょう。
国中ミスマッチだらけでは,なかなか良くなる様子は見えません。
先日,放送の「室生寺の再生」の文化財調査委員や宮大工のような素晴らしい能力を持った日本人も多くいるという事を,もっと知らせて欲しいと思います。
8.4
八月のある日。生まれた人,亡くなった人。
私の母は,私が6才の8月初めのある日。数日の病の後,亡くなりました。
私は,生まれる前から母の実家の跡取りとして指名され,母の代役という運命を持って生まれてきました。
母は「本が好きな子が生まれるように」と胎教だと本をよく読んでいたと周囲の人から聞いています。
私が,いい加減ながらも駄文を書くのは,その影響かと思っています。
母の記憶はかなりあります。当時,母の実家のあった名古屋城の,お堀端(景雲橋)へはよく連れて行ってもらって(成人後,渡す約束なので)叔母(母の妹)と近くの円頓寺商店街などへ,よく出掛けました。
市場での買い物や,映画館で見た「ターザン」は,怖い記憶がハッキリ残っています。
ガスこんろで「お好み焼」を作って貰ったり,「内科小児科医院」を開いていた父を手伝って,薬剤室 にいた姿も記憶にあります。
母の臨終にも立ち会い,末期の水をあげた事,母の喪主として白の裃を着て葬儀に不安な気持ちで列席 した事は,今も記憶に焼き付いています。
父の勤務地,三重県桑名で生を受け,今や,65才近く,有為転変はありましたが,ここまで生きてこられた事には,今や何もいう事はありません。
生まれた人。
知る人ぞ知る。「さくら道」で有名な,ウルトラランナー「某さん」が,年代は違いますが,この八月の ある日が誕生日だと,かなり前,ある機会にに知りました。
「某さん」は,そんな事には何の係りもなく,伝えて下さったのですが,私は「ほー」と思いました。
私は,多少の宗教知識はありますが「因縁」とか何とか,オカルト的な事は嫌いなので,そんな事とは関係なく,そういう「縁」もあるのかなとその時,思いました。
「佐藤桜」「某さん」「私」のトライアングルは,何かの結びつきがあるのでしょうか。
母の事と結びつけるのは,ちょっと強引ですが,目には見えない細い糸は繋がっているかもしれませんね。
8.5
やはり真夏は休みか
5日からの,三重県桑名市石採祭に6日,行こうと思っていましたが,こうも暑くては昼間,外は歩いていられません。
桑名の祭りは他にもありますが,祭車といわれる漆塗りの豪華な車と,日本一喧しいといわれる,凄まじい鉦と太鼓の囃子がこの祭りの見所なのです。
桑名は,私の出生地。普段訪ねても,何も無い(ごめん)ので祭りに行こうと思っていましたが,この暑さでは行けません。
桑名の街はは空襲で私が生まれた頃の(戦争前)の面影は今は有りません。
もう訪ねる事は無いかなと,ちょっと侘びしい気もします。
その次は「白鳥おどり」夜には弱いので,これもどうかなと思っています。
3日夕,名古屋TVで中継がありました。保存会の人たちの姿が見えました。
だんだん情けなくなってきます。
「名古屋広小路まつり」は昨年,久し振りに見ました。
「にっぽんど真ん中祭り」が昨年から重なったので,違った味わいになりました。
恒例民踊パレードやステージカーは毎度の事ですが,若者が「にっぽんど真ん中祭り」を始めた事は良い事だと思います。
陰湿な出来事が多いこの頃,健康的なパフォーマンスで自己主張を大いにして欲しいと思います。
アイデアとチームワークを大いに発揮して,日本が元気が出る国にして下さい。
今年は54チーム,韓国からも参加。3000人を超えたパフォーマンスが展開されるという事です。
8.6
佐藤桜は消えるか!
木曽川町の「クラボウ」が2001年3月末を以って操業停止する事になりました。
ここには「佐藤桜(ソメイヨシノ)」が数本有ります。「さくら道マラソン」のコース道路沿い,コンクリート塀の中に見えます。
NHK「桜紀行もう一つの道」に一宮裁判所枝垂れ桜に続いて紹介されました。その桜が消える事になるかも知れません。
数年前,私は「クラボウ」に問い合わせた上,資料と,マラソンのビデオを持って会社を訪ね,佐藤桜の事を確認した上で「マラソン」の開催時,ランナーに存在が分かるように,看板とか,幕のような表示物を掲げて頂けないか,お願いに行きました。
「佐藤桜」の事は承知しておられましたが,何も対応はありませんでした。
「クラボウ木曽川」は,昭和17年創業,建物も木造,内部もかなり繊維工業の歴史を感じさせる様子でした。
一時は1000人を越す従業員が就業していましたが,いまは150人も居ないという事です。「佐藤桜」の後ろに見える,寄宿舎は,長い間無人のままでした。売り上げ高は92年の半分。工場が操業を終われば速やかに他の目的に使われる事になるでしょう。
その時「佐藤桜」はどうなるのでしょう。「ソメイヨシノ」は寿命が100年といわれています。
心ある人によって移植されるでしょうか。すぐ近くの「黒田交番」の「佐藤桜」も同じ運命に晒されています。
木曽川町長は文化に理解のある人だと聞いています。木曽川町HPもあるので,どう思われるか尋ねてみようと思います。
木曽川町「クラボウ」の「佐藤桜」は2002年にはその姿を見る事は出来ない事になるかも知れません。
8.8
カウントが0になった
容量調整のため,ファイルの追加,削除をしました。
かなりの数になったので,ローカル(私側)とホスト(プロバイダーサーバー側)の両方での作業が必要になります。
数が少なかった今迄は,一つ一つ,チェックしながらの追加削除でよかったのですが,今回は50ファイルを超えたので,何か良い方法はと,FTPのヘルプを調べてみたら「ミラーリング」という方法がある事がわかりました。
これは,文字どおり,鏡のようにローカルとホストのファイルを照らし合わせて同じにするものです。
ローカルが削除して,ホストに,まだあるファイルは自動的に削除されます。これは「アップロードミラーリング」で,その反対は「ダウンロードミラーリング」です。
「これはいいな」と実行しました。ところが「あれ,カウンターが0だ」。初期化されたのです。実は,オプションで追加削除しない個別のファイル指定が出来るのですが,カウンターはCGIなので関係ないと思い,そのまま「ミラーリング」しました。
それがこういう結果になりました。初めてやる事はこういう事があります。今度やる時は,CGIは対象外指定をした上でやりましょう。コンピュータはこういう物という新しい経験です。
「ミラーリング」事件でした。皆さんもご注意を!。
8.12
今年はなぜか,かなり盆踊り
練習を含めて,今年はよく盆踊りをやっています。
去年は,まだ一昨年の腰痛の後遺症で,オッカナビックリで再開しましたが,今年は殆ど後遺症が感じられなくなったので,やれるだけやれと思って,かなり踊っています。先日の白鳥おどり講習会で「神代」を踊りましたが,生演奏の正調は,延々と踊り続けるので一生懸命では続きません。
いつ終わるか分からない唄に付き合うには呼吸の調整が必要です。その時,気が付きました。今迄は,ダラダラではみっともないので,ある程度格好良くと,張り切ると,とても続きません。
息が上がってきたら,テンポを呼吸に合わせると案外続けられます。それと,スポーツドリンクを時々飲むと元気が回復します。
「これ,マラソンランナーと一緒だ!」と気が付きました。中短距離なら,全力投球姿は素晴らしいのですが続きません。
盆踊りは「ウルトラマラソン」に通じる。こじつけではありません。本当です。
徹夜踊りは「ウルトラマラソン」だったのです。郡上八幡,白鳥がそのルーツというのは,これまた面白いですね。
今日も地区の盆踊りがあります。実行委員でもあるのでビデオの記録と踊りのかけもちで夕方から出掛けます。
8.14
白鳥徹夜おどりに行ってきました。
14日。3.30,観光バス。参加者30人程で一宮出発。正調白鳥おどり保存会一宮出演のビデオを見ながら,あっという間に白鳥に着きました。東海北陸道は空いていました。一宮に向かっている車線は所々渋滞していました。
5時には着いたので,白鳥美人の湯で入浴。食事とビールで7時30分迄,待機。
8時から白鳥駅前の踊り会場へ。朝の4時過ぎまで,踊ったりビデオを撮ったりしていました。
白鳥4,30出発。6,00に一宮に帰ってきました。詳報は後程。
8.16
戦争を考える番組を見る
15日を中心に,戦争を考える番組が多く放映されました。
数多い番組を,その都度,見れないので録画しました。白鳥へ行っている間も留守録をしておきました。
昨日は眠くて禄に見れませんでしたが「学徒出陣」を見直し,今日は「戦争を考える若者達とのデイスカッション」「井上ひさし原爆を語る」を見ました。13日は「55年前ソロモン諸島に墜落した海軍偵察機を遺族が訪ねる」番組がありました。
すでに述べている通り,私も戦争遺児であり空襲の体験もしています。生活面も180度の転換を余儀なくされました。
戦争の被害体験は大きく報道されますが,加害者としての醜い面は覆い隠されがちでした。私が知った事も,公表する事は当事者に迷惑をかける事になるので遠慮しました。殆どが同じような事だったろうと思います。
それが,今の世代に伝えられなかった事に大きな責任を感じます。表現は汚いのですが「すべてグル」で行動する国民性がそうなってしまうのでしょうか。
中坊さんが「理念を持て,たとえそれが理想主義だと言われても」と言われます。
若者が理想を持とうと思っても,大人が「現実はこうなんだ」と押し潰してしまう,これでは希望がありません。
これでは家族の為,戦火に散った先人は悲しむでしょう。まだ私達年代には伝えなければならない事があります。
次の世代の為になるのなら・・。
8.18
何か,ばたばたしている
図書館主催の「2000こどもフェステイバル」のビデオ取材協力を午前中しました。
町内に,ご不幸があって,今夜と明日は立場上お手伝いがあります。
ここ数日, 35度を越す猛暑で高齢の方の様子が心配でしたが,病い気の無かった元気な方が思わぬ事で急死されました。
毎日,家の前で体操をして「私は元気だ」と自慢にしていた方です。永年寝たきりの方で暑さを乗りきる方もあれば,あっけなく亡くなる人もいます。病気と寿命は別のようです。
20日は名古屋の「どまん中祭り」の取材に行きます。今年は 55チームの大集団です。
戦争の回顧も,今一度再確認しなければなりません。まだ色々しなければならない事があるようです。
「学徒動員」はNHKスペシャルの他に,教育TV「ETV2000」で二夜に亙りより詳しく語られました。
やはり体験者は語り伝えなければなりません。
一閣僚が,中国訪問を前に靖国公式参拝をして入国を拒否されました。
当たり前です。無神経と言うか図々しいと言うか遺族の私が腹が立ちます。
8.20
お葬式の受付が IT?
大手葬祭業の葬儀場で町内の方の葬儀が執り行われました。受付が IT化されていました。
タッチペンで画面に対応します。電話番号の数字を押し終わると,過去に,この式場で受付をした事がある人は,住所氏名がパッと表示されます。連名,肩書き,香典の有無,供物の有無など入力を終わり,終了を押すと5人単位で即,プリントアウトされます。完全なデータベースです。遺族にそれは渡され,必要であれば,遺族,或いは近所のお手伝いの方が,今迄の方式の手書きの香典帳や買い物帳,参列者名簿に転記するのです。
データベース化された記録は葬儀業者の手元に累積されていきます。
電話番号,住所など,書きたくない場合は最低限,記名(ペンタッチによる手書き)だけでも受け付けるのですが,つい電話番号から書く順序に従ってしまいます。
「これは便利ですな」と言う人もいますが,これは怖い事ではないでしょうか。知らない間に膨大なデータベースが作られ,それがどう転用されるかわかりません。
IT利用の一面を見ました。これからは,こういう事が日常化しますから,少なからず注意する気持ちを備えるべきではないかと思いました。
8.21
にっぽんど真ん中祭り
8.20。PM6.00からの広小路パレードと,久屋広場グランドフィナーレ総踊りのビデオ取材と,初出場の「白鳥おどり保存会」のパレード最後尾でチョット踊ってきました。
観客動員0(皆が踊る)というのがテーマなので,私もバッグを背にビデオカメラを肩に掛け「世栄」を5分程踊ってきました。
一宮の後藤さん夫妻も普段着で現われ,そのまま参加しました。
一人,男の人も,そのまま参加,ジャケット,ショルダー掛けの女性も踊りました。
私は45分ビデオ撮影。昼間のパレード中,アンプがプッツンしてしまって生のお囃子は片道,2度目のパレードはテープによるアンプ復活で盛り上がりました。
「ど派手」と,凄まじいパワーの若いチームの中で純粋な民謡チームは個性的でした。
「さくら道ウルトラマラソン」で,ランナーの手当てをされる「整体」の先生が地方車の最上部から大声でハッパを掛けていました。
7月末から「白鳥おどり」にはまっていましたが一段落しました。
白鳥おどりは26日まで行われ,9月16日「変装おどり」で幕を閉じます。
8.24
パレードと行列
パレードと行列の違いはどこでしょう。舞台芸術(舞踊,舞踏)では欧米諸国ではバレエ,日本では舞踊が代表されます。
バレエはジャンプを中心に上(天)へ上へと大きく表現します。
日本舞踊などは重心(腰)を低く低く下(地)への接点を重視します。この点では全く正反対です。
「ど真ん中祭り」のパレードは殆どが大きなアクションでジャンプが多くアピールします。これは欧米スタイルでしょう。
現代では日本人の体型とリズム感は欧米に近くなっていると思います。日本の伝統芸能の内面的な表現は難解でテンポも微妙なので地味な訓練が必要で敬遠されがちです。しかし訓練されたものは「美しさと感銘」を感じます。
太鼓のグループは,やたら多くなりましたがメロデイを奏でる笛がありません。
リズムとパワーだけではワンパターンで飽きられます。
日本各地で夏祭が盛んですが,パレード化されて見る人と踊る人が分離されている状態は本来の姿ではないと思います。
盆踊りも,本来の民謡(踊り)を踊れるのは60才以上の人が僅かにいる程度で,かなりいい加減になりました。
そういう点では「正調保存会」は是非必要です。「パワフルで若さ一杯かっこいい」年代と年配でも「美しく風情が漂う正当派」など全世代が参加出来るイベントを継承して欲しいものです。
8.26
暑くて動きがとれない
20日,「ど真ん中祭り」が終わり,夜中に一雨降ってから,又,暑くなり,そのまま1週間過ぎました。
依然,雨は全く降らず,35度を超す暑い日が毎日続いています。6年前の猛暑では,裁判所向かいの,神社境内のソメイヨシノ(佐藤桜と言われる)が枯れかかりました。今年は1本が葉枯れを起こしています。枝は,かなり枯れると思います。
早く一雨降って下さい。夕立も無いので息がつけません。
名古屋の孫に,工作を頼まれていますが,こう暑くては出かけられません。
すこし,涼しくなったら行くから待ってて下さい。
8.29
ホームページ再考
現在,私のHPの容量は16M近くです。
ファイル数は750になっています。この量は適正でしょうか。
普通プロバイダーは10Mが標準です。50M,100Mというプロバイダーもあります。
これからはスピードもアップされ音声,動画なども送る時代が来ます。
電話線では不可能でしょう。DSLも言われていますが,本命ではなく繋ぎでしかないという説があり ます。
光ケーブルが普及するには,まだ5年以上はかかるといわれCATVによるインターネット接続 が急速に普及しています。
光ケーブル利用ではコストが少なくてすむメリットがその理由だと言われま す。
利用料金は,HP容量アップ(20M迄)ファミリーパックを(4台までOK)を含むと¥11,00 0です。
これで家庭内オンライン,24時間接続と高速というメリットは大きいですが,まだ高いという感じがし ます。
ISDNもオプションを加えると結構な金額になります。値下げは進むと思いますが利用する側も 知恵が要ります。
HP容量ですが一般では10Mというのは程々なのかなとも思います。
電話でいう所の一般回線と専用回線との区別に当たるかと思います。
そういう点では私のHP容量はオーバーしていると言えるかも知れません。
しかし画像による伝達は説得力が桁違いです。HPはテキスト中心という感覚はもう過去の事だと私は 思います。
次世代携帯電話が動画,音声対応になりますからモバイル,コンピュータも大容量伝送の時代がすぐ始 まるでしょう。
プロバイダーのサーバー容量も大幅にアップするでしょう。CATV局がどう対応する のかまだ聞いていません。
當地の地元局は現在は最大20M迄です。
サーバーの管理も局が運営するのかどうか分かりませんが,どう発展して行くか注目しています。
8.31
疎開
疎開という言葉の意味は,すぐに分かるでしょうか。
私は疎開の経験者ですが,改めて,その意味はと聞かれると,すぐ返事が出来ません。
辞書を開いてみました。「密集している状態を疎(まば)らにする」とあります。
戦時中,空襲による延焼を避ける為,家屋の取り壊しがありました。これは強制疎開というもので,その為,私の母の実家が住んでいた名古屋の家は立ち退きを迫られ,一宮へ引き揚げました。当時の22号線を20KM,大八車に家具を満載,運んだと聞いています。疎開という言葉は,戦時用語と思われ,日常使われる事は無いのですが,緊急時に蘇ります。
嫌な言葉です。
私の経験は戦争中の学童疎開です。私の居た,名古屋市東区葵国民学校は三河(岡崎)へ集団疎開しました。
私(三年生)は縁故疎開として岐阜県可児郡御嵩町の伯父の家へ五年生の兄と共に預けられました。
空襲が迫る名古屋の家には弟と叔母が残りました。
今,三宅島の子供たちが島を離れて疎開しています。
戦時と違って限られた地域だけの行動ですがそれだけに可哀相に思います。
島に生まれた宿命ですが,大勢の周囲の人達で,労ってあげて欲しいと思います。
子供たちも,その体験を忘れずに力強く成長して下さい。