すけっちへ
日々すけっち
2.28
桃花祭
私の住む一宮市には「桃花祭」という春の祭りがあります。
しかも、私の住む殿町一丁目は、祭りの締めくくりを努める「押え馬」を出すという重要な役割が与えられています。この馬が、真清田神社の拝殿に到着すると太鼓が鳴り、祭りが終わった事が告げられ三日間の行事が総て終わります。現在は行われていませんが、若殿を中心に上下姿の警護の露払いと、供侍、それに鋏箱を担いだ奴と、踊り手の奴を先頭に行列をしました。
戦中の中断のまま経過していましたが、平成4,5年に不完全ながら復活しましたが再び中断しています。
私は尾張各地の祭りを眺め、HPに掲載していますが、桃花祭は氏子の参加が少なく、平日開催ということもあり親類の招待も無く、会社に出勤したり普段と変わらず仕事をしている状態になりました。
公的機関は当然、何時もの通りです。
祭りは衰退しましたが、歴史は古く「尾張名所図会」にも描かれています。
他の地域の祭りを取材していると「一宮の祭りはどうですか」と訊ねられるので、これは紹介しなければいけないと思います。
先の事は分かりませんが「一石を投じる」きっかけでもできればと思います。
2.24
進学の夢遥か
今、時間があります。これから、どうするか考えていましたが、何となく時間を送る事は、あまりに成り行き任せなので勿体無い事だと思います。恩返しとして地域のための仕事もしますが、それとて処理の仕事が主で前向きではありません。
僅かでも利権には拘わりたくないので、程々にすれば良いと思います。以前、ある役をしましたが、身分と、しがらみの難しさを感じ微妙な呼吸がある事を経験しました。
私は戦後の混乱で、止む無く勉学の断念をしたので、今、その機会を天から与えられたかと思います。今更、総合的な知識は日々の暮らしから得られるので、専門知識をマスター出来ればと思います。
お金と体力は無いので、物(ハード)よりソフトになります。
高校(3年)、大学(4年)、又は専門学校(2年)位の単位と、時間割を考えて、ちょっと大きな目標を作って、こつこつやるかと思います。
既に、やる事をやってしまった人は、そんな必要は無いのでしょうが私は、まだ不完全燃焼のままですから燃やし尽きるまでは、自ら水を掛けてしまう事はしたくないと思います。
先日、ちょっとご紹介した木越さんが、同じ新聞のコーナーで「空母鳳翔」(大正11年就役、昭和21年解体。世界最古)の乗組員や関係者との友の会総会の案内が載っていました。
気迫ある人生の先輩には頭が下がります。
2.20
洋上慰霊祭
2月17日 中日新聞 情報広場 戦友会に、第9回洋上慰霊祭参加者募集がありました。
平成13年2月1日から28日迄にっぽん丸で南洋諸島、ハワイ、ミッドウエイを慰霊の船旅をするという。
私が、以前お世話になっていた「曙光」(フイリッピン関連の戦友会、遺族の交流誌)の木越さんの参加記を以前、拝読しました。もう、かなりの高齢になっておられる皆さんが、尚、続けておられる事に敬意を表します。木越さんは、空母「雲竜」乗員3000余人と共に、東シナ海で昭和19年12月19日夕、魚雷攻撃を受け轟沈。生き残り142名の一人として、その後、フイリッピンで生死をさまよい帰國されました。平成1年第4回洋上慰霊祭では500余人の関係者が各海域で、後甲板で慰霊祭の後「ふるさと」「赤とんぼ」などを合唱。遺族や戦友はたべもの、花などを海面に投下。
テープを投げ「このテープにとまって一緒に帰ろう」と泣き叫ぶのだそうです。船は汽笛を3度鳴らし洋上を一周するのです。沈没した艦船は海軍273、輸送船1132にのぼり戦没者は40万とも50万ともいわれています。
参加者の句 南海の 千尋の底に眠れるか みたま悲しき 無念を憶ふ
2.19
裸祭り
愛知県稲沢市国府宮はだか祭り
新聞写真より。てんつく隊。難追布のついた笹竹奉納 裸男の群れ
新聞報道(中日新聞尾張版)によると「お祭り隊てんつく」舟橋武志隊長のメンバー11人が残雪の道を下帯、足袋で参加しました。成瀬さんも参加した筈。新聞写真では冷たくて辛そう。
後ろ姿が成瀬さんかな。「もう足の感覚はないですよ」とのコメント。往復13.5Kを完走されました。溝口さんはどうしたのか聞いていません。
3人は 「さくら道ウルトラマラソン」 参加です。「さくら道ネイチャーラン」は白鳥町より発表されました。
「WINDOWS2000」発売されました。95の時のような騒ぎにはなってないようですがNT上位というコメントと16ビットのアプリは動かないという事などで、ゆっくり普及する模様。
RC2で登録しておいたので店頭では¥14800(実売13800程)で入手(8月末打ち切り)出来るので順次、情報収集の上導入します。レポートはいずれ・・・。
2.17
大雪が降っている(十二年ぶりとか)
一宮裁判所佐藤桜 しだれ桜 (これでもカラーです) (右) しだれ桜 (左) 山桜
正月過ぎてから、雪が降り、積もる積もると二度言われ、その度、空振りで過ぎてきましたが、今日は大変。
情報では、当地は17cmといっていますが、カーポートの屋根の雪は今30cm積もっています。
まだ大雪警報発令中。これだけ纏まって降ったのは佐藤桜の四季の撮影をして以来です。
今年の佐藤桜は、秋に大きく剪定されたので、あの時のようなボリュームはありません。撮影はしてきます。
明日は当地方では有名な、稲沢国府宮の裸祭り。成瀬さん達が下帯、足袋姿で13.5kの早駈けをする筈。雪はたっぷり残るでしょうし、道路も凍るから気を付けて走ってください。
雪景色にかえってファイトが沸くのかも・・・。
2.12
昨年はインフルエンザで・・・
寒いのと、昨年のインフルエンザの経験で、1月から人ごみを避けて外出を控えていたら、運動不足で歩くと、ふくらはぎが痛くなったり、消化不良気味になったりで、そろそろ街歩きを始めなければと思います。
なにしろ、昨年は3月になってからおかしくなり、かかりつけの友人のドクターは「インフルエンザの最終便だ」と言いましたが、味覚が異常に敏感になり一週間飲まず食わずの状態になりました。
ポカリスエットも受け付けなくなり、水がやたらと欲しくて、それだけで生きて(?)いました。
注射は1本射ちましたが、それだけで持ち応えました。「やばいな」と直感しました。命の危険を感じました。ここ1.2日で入院かと思いましたが回復に向かったので、やれやれでした。
こんな酷い目にあったのは始めてでした。しばらく味覚異常は残りましたが、軽い脳性があったのかも知れません。恐いですよ。
回復出来たので、「さくら道」の応援もできました。そういう事があったので、慎重にしていましたが、他の病気になってもいけないので考えないとね。
去年は、3月になってからの事だったので油断はできません。今のところは家族は何事もなく無事です。
2.7
ウルトラマラソン呼びかけ人小野健一さんの話
小野健一さんの事は、私がウルトラマラソンに関わる事になった’96年。
JRバスを訪ねて頂いた資料に書いてありました。
どういう方なのか、わかりませんでしたが、越田さん撮影のビデオの「ウルトラマラソン」スタートでの海宝さんの挨拶での時、小野さんは亡くなられて家族の方が来ておられ、稲沢赤池佐藤桜にも立ち寄られました。
改めてどなたかに訊ねる事もなく今日まで来ましたが「門さんのウルトラマラソンのお部屋」のコーナーで海宝さんの「故小野健一氏との約束」を拝読しました。佐藤良二さんの姿と重なりました。
「さくら道」はいろいろなドラマが含まれています。坂上松華堂さんの事は「’97さくら道ウルトラマラソン270Kに記録」北斗映画製作の中で須藤さんがインタビューされています。
坂上さんは「若いとき以来、感動する事があまり無かったけれども、こんなに感動できる事に出会ったのは嬉しい。毎年開催される日を指折り数えて待っています」と話しておいででした。
ウルトラマラソンのコース下見に Tシャツを着て訪ねられたのが小野さんや酒井さん越田さん達だったのですね。はじめて知りました。
一宮裁判所佐藤桜のエイドは、道路なので雨天の場合はテントなどは設置出来ません。が応援はさせていただきます。
横断幕は、裁判所フェンスに付けると裁判所が関わっていると思われるのは困るといわれたので道路側に付けるようにしました。
木曽川クラボウの桜も、当日だけでも何か表示物をとお願いに行きましたが返事はありませんでした。
黒田交番の桜は警察の人も木曽川町の人も経緯は知らないと言われました。
JRバス職員の方の話では、佐藤さんは桜の苗を沢山持ってきては、皆さんに植樹を託され、随分あっちこっちに植えたと話されました。稲沢の操車場にも植えた記録がありますが、さくら道からは離れていますから忘れられているのでしょう。
枇杷島小学校の桜は、枇杷島橋から東へちょっと距離がありますから、訪ねる人は、あまりいないのではと思います。
いろいろなエピソードがあります。心を和やかにするさくら道を大事にしたいと改めて思います。
2. 5
今、おじいさんは山へ柴刈りに?
以前の昔話は「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」ではじまりました。
今おじいさんはどこへ行くのでしょう。おばあさんはどこへ行くのでしょう。
いました。おじいさんは図書館に大勢います。冷暖房完備本やビデオがあり疲れたら居眠りもできます。ただし、会話はあまり出来ません。
おばあさんはどこに。いました。9時過ぎの喫茶店はおばあさんがいっぱいです。おばあさんは話好き。おじいさんとは違います。お父さんや、おじいさんは黙って新聞や雑誌を読んでいます。
昔の山や川に代わる場所を、もう一度探しましょう。
2. 3
父母恩重経
「われ誕生の日は、母苦難の日」
この言葉は、今は亡き、奈良薬師寺管長、高田好胤さんが、お釈迦さまの言葉として、よく話しておられました。
実は、今日は私が生まれた日です。父の出向先、桑名で生まれました。
二才頃には名古屋に戻っていましたから、記憶にはありません。
十年ほど前、訪ねてみましたが桑名は空襲を受け、昔の家並みはありませんでした。
唯一、手元にあった勤務先の五井病院の写真を持って、旧地番を探しましたが病院は廃院し、周囲には全く面影は無く、スーパーが営業しているところが元の病院の跡だと近所の人に教えてもらいました。
五井さんの家族は各地に転居されて一家族がおいでたと聞きました。
当時の看護婦さんが健在だと聞き、後で、電話で話しました。
父を知っている人が居られたことは有り難いことでした。
祭りの取材をしていますが、桑名は八月に「石取祭」という鉦と太鼓の日本一喧しい祭があります。
甥の家族が住んでいるので、一度訪ねようと思っています。真夏なので大変ですが。
2. 1
やはり冬は寒い
「破れ障子に、うぐいす書いて、寒さこらえて、春を待つ」
津軽おわら節の一節です。東北、北海道に住んだことはありませんが、民謡で「じょんがら節」や「あいや節」で寒さの凄さは察せられます。雪に閉じこめられ、座敷で酒を酌み交わし、津軽三味線に撥を叩きつけ、振袖にタスキがけ、傘や扇で思い切り、手踊りを踊りまくる気持ちはよくわかります。
「梅は咲いたか、桜はまだかいな、やまぶきャ、浮気で色ばっかり、しょんがいな」
という端唄もあります。これは踊りを習いました。春夏秋冬それぞれの世界があります。
この頃は、季節感が薄れたといいますが、気持ち次第です。
情緒の世界は無限です。テクノストレスに潰されないよう、時には違う世界も訪ねてみましょう。