日々すけっち

すけっちへ

99.11

11.30

珍しい山車を見た

町並み探検学の柴田さんに用が有って電話をしたら、二十八日、名古屋市南区の名古屋四観音の一つ、「笠寺観音周辺のウオッチングをするからどうですか」と誘われたので出掛けました。
地下鉄利用でメンバーの一人、黒瀬さんの案内にお任せして4人連れで行きました。
初めて行く所はプラン無しで行くので、ビデオもカメラも持っては行きましたが、附いて歩くだけになりました。取材価値の判断の裏付けが出来ていないからです。資料を再点検して、再度行くかどうかは自分の判断です。
三つのポイントがありました。長楽寺、富部神社、笠寺観音です。長楽寺は動物の供養が主のようで、盲導犬サーブの立派な顕彰碑が立っていました。沢山の動物の塔婆がありました。
すぐ近くの、富部神社も、私はよく知りませんでしたが、本殿が国の重要文化財指定です。
ここに、今は動かない
山車がありました。山車蔵に入っていました。全体は本来は三層の上に、屋形が乗り、松を立て、高砂の人形を置く物ですが、からくりではありません。現状は下二層だけで能人形の身体と、享保年間作の能面、翁と尉が保存されています。
蔵の傍に、親鸞上人お手植えの、茨城県稲田の銀杏の子木というのがあり、そこに居られた老人の方と話をしていたら、閉めてあった蔵のシャッターを開けて中を見せて下さるというので拝見できました。
四層の全体の姿は、社務所に、昭和二十九年撮影の写真が有るからと見せて貰いました。
名古屋型、犬山型、知多型のどれでもないのですが神社資料には津島型とあります。津島の物とは違うと私は思いました。
初めて見る姿でした。お囃子もあったのですが断絶、音の資料も皆無、10月10日の祭礼には山車蔵の中で二層の上部に人形を飾るだけだという事です。
とにかく変わった山車(車楽(だんじり)の変形したもの)を見ました。もう少し調べて、他のコーナーで書けたらと思います。

11.25

NHKTVドラマ「天使のマラソンシューズ

北海道、襟裳岬から宗谷岬への555Kジャーニーランは、9月、NHKTV「どきゅめんと日本。北へ55K」で実録が放送されました。
このマラソンレースを素に
「大地の子」を演出された岡崎栄さんがドラマ化されました。実録をベースにさまざまなエピソードをからませ90分の作品にされました。数ある、ウルトラマラソンの資料を取り入れてあり、レース中のランナーの姿や、ラストの近く、多くのランナーが横一列に手を繋いで走ってくる様子は、さくら道の金沢ゴールのシーンです。
乳癌を克服して、毎年走るランナーは
さくら道Tさんがモデルだと思います。岡崎さんは色々資料を集められたと思います。
ドキュメンタリーは、関係する人以外はあまり見てもらえないので、多くの人に見てもらえるように、有名タレントを起用してドラマ化されたと思います。
実際に経験されるランナーの方が見れば
「なあんだ・・。」と思われるかもしれませんが、なかなか一般の人達には分からないようで、何故そんなに辛い事をするのか不思議な顔をする人が結構多いのです。
エイドの話をしても
「走る人でもないのに、何故そんな事をするの」と言われます。
「賞金も出ないし諸費用(旅費、参加費、装備、食費など)も総て自前で参加するんだよ」
と言うと
「へえーっ。そんな・・」と、又、びっくりします。
ウルトラマラソンが人に知られるようになったのは、NHKが昭和59年放送した
「桜紀行もう一つの旅」「さくら道」の映画化を機会に、くら道国際ネイチャーラン250K」「ウルトラマラソン270K」が始まり、多くのランナーが桜咲く4月に走るようになってからですが、ランナーの走るコース以外の人はよく知らないようです。
来年辺り、NHKが
「さくら道その後」として再度、取材されるかもしれません。
一宮のさくらは紅葉真っ盛りです。枝垂れと山桜は大きく剪定されたので、枝振りは小さくなりました。
来年は、今年ほど豪華にはならないかもしれませんが、ショートカット も又変わって良いかもしれません。毎朝、眺めています。
マラソン開催は、白鳥の満開に合わせていますから、一宮はいつも
葉桜なので満開の様子は HPでお知らせします。

11.22
先生(師匠)はさすが

一宮市消防音楽隊、第21回定期演奏会に行ってきました。
昨年は、20回記念演奏会で、ゲストに
「中国琵琶、名古屋市消防音楽隊とリリーエンジェルス」を迎え、素晴らしい演奏とパフォーマンスでした。
今年は、ポピュラーなクラシックと、
吹奏楽のための交響詩「北アルプスと生きる」。ゲストに越智インターナシヨナルバレエを迎え「組曲くるみ割り人形」のプログラムでした。
一宮市消防音楽隊は、明治二十八年発足。100年以上のの伝統ある音楽隊で高いレベルの演奏技術を誇っています。ポピュラーから吹奏楽の為の新作まで演奏され、特にパーカッションが多彩、コンサートマスターのクラリネットや、フルート、ピッコロ、トランペットなど全員が高いレベルの演奏技術を持っています。
バレエ組曲「くるみ割り人形」。私はバレエはきちんと全曲を見た事はありません。今回は舞台装置はありませんが、多くの人が知っているコンペイトウの踊り、中国の踊り、など最後は花のワルツでした。美しいコスチュームと、若いプリマ達の踊りはファンタジックなムードを醸し出しました。
うなされたのはソロを踊られたプリマでした。先生だと思いますが、スピン、ジャンプ
「凄いな」と思いました。年令は分かりませんが、そんなに若くはない(失礼をご容赦下さい)と思います。さすがです。鍛えられた技術と表現力に唖然とする思いでした。
私事になりますが、少し日本舞踊のお稽古をしました。赤堀流の
師匠に教えを受けましたが、素晴らしい師匠で稽古の時、普通は同じ方向を向いて所作(手順)を教えて貰うのが当たり前ですが、師匠は対面(対面して同じ姿、左右逆が鏡ですがそうではない)で教えて下さる、チョット考えられないでしょう。頭が混乱しませんか。師匠の踊りも沢山拝見しましたが凄い表現力です。
バレエはダイナミックですが日本舞踊は微妙な動きが多く本当に難しいものです。扇使いは必須ですが誠に奥が深いものです。
バレエも日本舞踊も
先生(師匠)と言われる方は生徒(弟子)とは並外れた才能が無いと誰も就いてこない厳しいものだと思います。
自分が稽古をすると身に沁みて分かります。人の上手下手を簡単に批評する人が多いこの頃、一億総批評家なんて言いますが、一度、何でもいいからやってみると良いと思います。オートマチックで簡単にと言うわけには行きません。
舞台の上と、こっちの客席とは全く違う世界です。
機会が有ったら是非どうぞ、違う世界が見えますよ・・・。

11.15
本当の事を知るには・・。

何事も、本当の事を知るには、長い時間と、自分の考えている事が本気かどうかが反映されます。
お祭りの取材の場合、まず出来るだけ行事を詳しく観察する事が必要です。そういう点では、ビデオに記録する事は、後で繰り返し、繰り返し見直す事で、再度、出掛ける事になります。ですから、一度見て
「ああ、これはもう見たから、今度は別の祭りへ」という事にはなりません。興味と疑問が、どんどん湧いてきますから何度も行く事になります。ですから、遠い所へはあまり行けません。
近くでも見ていない祭りがいっぱいあります。
小牧、岩倉にも山車祭りがありますが見ていません。
犬山祭りも、犬山祭りHPの充実した紹介で、よく分かりますが、音と動きは現地へ何度も行かなければ分かりません。
前準備の山車の組み立て、祭り終了後の山車下ろしとなると、住んでいる人でなければ殆ど不可能です。お囃子の練習なども然りです。
外から訪ねる場合は、何とか現地の人とコミニュケーションが出来ないかと思います。その行事がホームページなどで紹介されていると、メールなどでアポイントするチャンスが得られますから助かります。舞台裏、楽屋話などが本当の祭りの姿です。得られた情報は勿論お伝えしなければなりません。
同日、祭礼が重なると、例えば
「筒井町、出来町、西枇杷島」どこへ、どう行こうか考えてしまいます。
「津島秋祭り」に97年行きましたが、50周年記念行事で祭りの総動員、石採祭車三両、七福神まつり、くつわおどり、鬼まつり、山車十六両勢揃い、それぞれ由緒あるものばかり、山車もそれぞれ全部違いますから、生半可な知識では奥を知る事は出来ません。
私の住む一宮には真清田神社の
「桃花祭」があります。かなり古い、由緒ある祭りですが、現在は、神社行事は四月一日からの三日間短冊祭、歩射神事、神輿渡御」が行われ三日目の「神輿渡御」のお旅所往復の復路に、飾り馬奉納が有るのですが、この行事が平日である事と高齢化、子供がいない事などで氏子参加の祭りになっていません。
私の町内は、名前(殿町)が示す
「若殿行列、奴おどり」を祭りの最後に締めくくりとして行う役目ですが今は行っていません。
平成二年、青年会議所からの呼びかけで、五十年振りに復活、不完全ながらも二年続けましたが人材、資金、そして平日という難題で中断しました。私も、その時、年行司でもあり、かなり協力しましたが今は凍結状態です。
準備から実行までの記録は、ビデオと文書で保存してありますから、再開は出来なくはないのですが、組織の再編と人材の問題には時間がかかります。
実際に関わって苦労しましたから、祭りを継続されている方達の御苦労はよく分かります。心から応援のエールを送ります。
愛知県内でも、尾張の事もまだ不充分なので、せめて近い所のお祭りの、本当の苦労と楽しさを知る事が出来ればと、又、出掛ける事になります。

11.10

文化のみちレポ

文化のみち レポを書きました。いささか疲れます。長文(と思っても案外、大した事もないなあ)を書くのは一仕事です。
自費出版で本を出す人の能力に敬意を表します。高齢になってから、戦争体験を出版される人がいますが、息子の嫁さんにワープロを打ってもらったという人もいます。それでも原文は手書きですから大変ですね。
しかし、昔の人(失礼)は言葉が豊富で、漢文を多用して考えを表現されるので迫力があります。
字も達筆で、
「読み、書き、そろばん」がしっかり身に付いています。
昭和 1桁から10年代
(私も)あたりが問題世代のようで、ハードもソフトにも弱い人が多いようです。
新しい物を買うのは大好きですが、使いこなせなくてコレクション化しています。私は手に入れたものは使いまくります。使わなければすぐ陳腐化してしまうので損です。ただし車は業務に必要で買いましたが仕事もやめたので12 年(走行19、000K)で最近やめました。
車より、色々観察して見て歩くのが好きなのです。一宮駅にも近く(自転車5分)頻繁に行く名古屋は公共交通の方が便利なのです。
無いのはどうかなと思いましたが、あまりにも必要がないので、一旦やめて様子を見ていますが今の所、不自由は感じません。

11. 6
逆説? 写真は楽ですが・・・。

写真は、若い頃、引伸ばし迄、自分でやっていましたが、最近ははビデオばかりでした。
HPの為にスナップを撮る事にしましたが、なかなか良いタイミングが無いものだと思い直しています。
ビデオは連続性があり、音と動きがあり説明しやすいのですが、写真はその物だけでは何の事だか分かりません。
ビデオは、ズームと移動で、アングルを変えられます。写真はフリーズ(凍結、或いは凝縮)だと思いますから、それを見て、前後の動きを想像できないと、見流して、それっきり、引き出しの中の死蔵になってしまいます。
デジカメは、記録メデイアに入りますが、それも整理用の検索ツールで処理しないと収拾がつかなくなります。
ビデオは、案外古い物でもリアルに再現出来るので、見直す事がよくあります。
始めて子供が産まれた時、
8ミリムービーをしばらくやりましたが、今見ても動く画面は貴重です。
今は居ない、亡くなった人達も表情が再現され懐かしさを感じます。
今は無くなってしまった建物とか、風景、お祭りなども再び見る事が出来ます。
写真は、少ない情報量で伝達をしなければならないという難しさを思い直しています。

11. 5

文化のみちウオークラリー

11月 3日。文化のみちウオークラリーに参加。
10時から 1時頃まで、名古屋市役所から徳川園まで歩いてきました。
距離は約
5Kという事ですが、寄り道やら、コース外のポイントなどにも行ったので、実際には延べ10K位歩いていると思います。
筒井、出来町の祭礼時に何度も行っている所ですが、落ちこぼれていた場所や、所在のわからなかった所の確認、普段は公開されていない所もあったので、資料、マップなども欲しく行ってきました。
新しい発見や間もなく解体移転されるもの
(川上貞奴の別邸)の今の姿を見てきました。
現状維持の限界など、自分の年令と照合しながら、考えさせられるウオークでした。詳しいレポは何れ、書きます。
NHKTV
「ときめき歴史舘(お江戸のスーパースター)」で市川団十郎を取り上げていました。
終り頃、に十月御園座の
「熊谷陣屋」の一場面と、楽屋インタビューがありました。
この間、見たばかりだったので 「ほー」とした思いで見ました。

11. 1

久し振りに見た民踊まつり

一宮市民会館で「民踊まつり」がありました。私は四十代に島田豊年さんの「民踊連盟」に十年近く所属して民踊まつりにも出演した事が何度かあります。
名古屋市民会館にも美濃白鳥の「神代」で出演しました。一宮市民会館には何度か出演しました。
当時、民謡がブームになっていました。NHKも民謡番組が多く、表現がかなり派手になってきました。
本来の、ひなびた風情が薄れ、芸能化の方向に走り、唄い手も、日本全国、何でも唄うようになりました。
やたら、声を張り上げ、オペラのように唄うようになりました。大きなスピーカーをガンガン鳴らし、衣装と楽器をやたらに斡旋するなど、おかしな風潮になりました。そのうちに、民謡は野暮臭いと、新舞踊なるものが出てきました。
演歌とも民謡とも言えない、キザっぽい、いやらしい出し物が多くなりました。私はその時点でやめました。
今度、久しぶりに見に行きましたが、民謡が八割程になっていました。一時、七割ぐらいが新作でしたが、総て跡形も無く消えていました。時の流れとは言え、あれはバブルでした。しかし、今でも、衣装などは現実とは違う、舞台向きの派手なもので、生活感とは程遠いものです。仕方が無い事でしょうか。
一宮(旧市内)には、私の知る限りでは残念ながら伝承された民謡、お囃子がありません。
いまあるものはオーケストラ伴奏です。
民謡は古来のものは無く、大正期、繊維産業の盛況時
「はっちゃえ節」「いっとしょ節」 が作られました。
これは、中山晋平と北原白秋のコンビで作られた、好景気に沸く一宮の様子を唄った軽快な傑作だと私は思います。
今の若い人には、知らない人が多いので残念に思います。現在、歌詞に表れる風景は無くなっています。
戦後、
ガチャ万景気(織機をガチャンと動かすと万の金が手に入る)の時、復活の発表会があり、島倉千代子の唄で蘇りました。
戦後の盆踊りブームでよく踊られました。
しばらくして、地元出身の舟木一夫が
「織姫音頭」「幸せの星二つ」の二曲を出しました。
これは、今も盆踊りで使われますが、民謡ではありません。あと
「おいち踊り(唄、川崎千恵子)」「一宮ばやし」が作られました。「おいちまつり」は憶えやすい踊りと軽快なテンポで、なかなか良いと思いますが、この頃は、あまり使われません。折角、発表会までやったのに残念に思いますが、矢張り有名な各地の民謡の人気には敵わないのと、関係者が盛り上げようとしない為かと思います。


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