日々 すけっち

すけっちへ

12.30
’99は、そして2000は・・・。

今年はコンピューターが大量に売れたという。
来年以降、これがどういう形で展開していくのか興味があります。
なにしろ、高性能になったものが、かなり安い値段で普及しました。この後は、扱う人次第という事ですが、入力手段も、音声入力の変換認識が 95%以上というのですから呆気にとられます。
私は、スキャナーで文章の読み取りをしますが、認識変換の後、音声で読み上げてくれますから唖然とします。
認識力は原稿次第ですが、新聞はそのままでは厳しい所があり、一度コピ−してコントラストを鮮明にすれば精度が上がります。
癖のある手書きは無理ですから、音声入力が有効な手段でしょう。
携帯電話も iモードからインターネット読み出しが出来て、ノートパソコンを持ち歩かなくてもよくなったとか、どんどん便利になってきました。コストも下がっていくでしょう。かなり、分かり易くなった、といっても相変わらず難解なのはプログラムの作成。
書店にはVBなどのの本が沢山並んでいますが、まだ、手作業が多く、プログラマーは特殊な人という感じは変わっていません。これではいけません
今、活躍しているプログラマーは10年以上の熟練者で、いわゆる職人芸、苦労人ですから、これから出てくる若い人とは衝突するでしょうね。
これからのプログラマーは、高性能のコンピューターと周辺機器、既成のツールを駆使して能率を上げる事を考えると思います。
それでなければ、プログラマーが育ちません。若い人は面倒くさい事は嫌います。今までの方法ではあまりにも非能率ですから。
標準的なものは共通ソフトで賄い、それ以上の事は、応用できる所は既成のツールを購入して形を整える事になるでしょう。
職人芸で 0 から始めるのは、伝統工芸作家や、宮大工さんのような仕事と同じ感覚の人です。
これからは、そういう事にはならないでしょう。世界標準から外れたシステムは排斥されます。
第二次世界大戦前に、国連を脱退して戦争に突入していったような愚行は出来ません。
嫌でもそのようにならないように構造改革をしなければなりません。
古い前例に囚われずにグローバルな感覚を持った若い人達に期待します。
新しい世紀が来ても、考え方が替らなければ何の進歩も夢も開かれないでしょう。

新世紀。新しい感覚の人達の奮起にエールを送ります。

12.25
Windows 2000 RC2 は

パソコン誌に一斉に掲載されました。Micro Softの大戦略。
NTと98の合体が一度に手に入るのだからソッポを向く事もできません。
そこで、正月、2000年問題が通過したらインスツールにとりかかります。今のシステムはバックアップするようにとのご宣託。
一番簡単なのは、新しいHDDを入手して入れ替えてしまって、そこへ入れるのが簡単という。
そうすると、今のシステムは、しばらくお休みになります。他の方法としてはCDR−Wに丸ごとコピーです。
この場合は対応したドライバーが要ります。どちらの方法を取るかはまだ決めていません。
いずれにせよ
2月18日の製品版発売による完全グレードアップ迄、当ホームページは休止になります。
その後も、周辺機器、ハード類が完動するかどうか不明なので、その度、メーカーHPの対応を探さなければなりません。
完全復活は何時になるか未知数です。
次へのステップアップですから、やむを得ません。
命に別状は無いでしょうが、煩わしいので 31日と1日はコンピューターは動かさない方が良いといわれていますからスイッチは入れません。新年のご挨拶はそれからで、その後、作業にかかります。
2000年はNewOSからという事になりますか。しばらく、ごたつくかもしれませんね。

12.23
寒いけど。

冬はイベントもめっきり少ないし、風景も殺風景、街歩きも風が身に沁みる。
若い時は、冬はつまらんと思っていましたが、私ぐらいの年令になると、時間と、チャンスと、行動力を考えると、冬でも活動しないと、何もしないうちに1年が過ぎてしまいます。一つ一つの事がそれなりに完結していきますが、達成感と同時に寂しさもあります。
ですから、又、新しい事を始める事になります。因果な性格です。
唯、ノルマが有るわけではないし、頼まれてやるのでもないので、あくまでも自分の気持ちしだいです。
その気がなくなったら
「イエローカード」ですが「レッドマーク」を掲げられる迄はやっているしかないでしょう。
それにしても、高齢ウルトラランナーの気迫には頭が下がります。

12.21
年賀状作りは。

本屋さんへ行くと、年賀状作りのソフトが付いた本が一杯。それが、安い値段で中身一杯。
利用すれば、簡単に印刷屋さんのサンプルと同じ物が作れます。
「これは便利。版画を彫ったり、絵手紙なんてやってられないな」と一瞬、思いますが、よく見ていると段々味気なくなってきます。
出来栄えが良すぎるのです。版画を10年程、続けましたが、くたびれて今はやっていませんが、出来損ないや、摺り損ないだらけでした。
それが、却って
「自分の、この手で一枚一枚やっているんだよ」とアッピール出来たと思っています。
不完全さが人間らしさ、ビジネス用には印刷機械に託すのもやむを得ませんが、せめて一言、コメントは添えたいものです。
今年の私の年賀状は、今まだ未発送ですが、総手作りではなく、ハイテクもミックスして省エネ
(本音は、さぼり)でご無礼としました。
これと、全く同じ物は世の中に無いという、せめてもの自負はあります。

12.15
この所、子供のお相手

学校が、土曜隔週休みなので、校外活動に協力されている父兄の方から、先月、行事「焼き芋会」が雨の時、ビデオのプロジェクター上映を頼まれました。
そのつもりでいましたが晴天だったので、
「焼き芋」をはじめ「大縄跳び」「グラウンドゴルフ」のビデオ撮影をしました。
我が家の子供の在学中に、10年程、子供会活動をしましたが、違う形でカムバックです。
今月は、青年の家の調理教室を借りて
「ケーキ作り」、6人*5グループ、30人とお母さん方でクリ−ムの泡立てからデコレーション迄をしました。
撮影したビデオは、その日の内にダビングして届けました。雨天で行事中止などの時、上映会が出来ます。
17日は孫の
「遊戯会」が名古屋市北区役所講堂ホールであり、撮影を頼まれているので出張です。
子供たちを見ていると、もう
「次の次の時代だな」と思います。今の世代は、恵まれていたように見えて、実は真空(総理まで)な時代で、無重力な人間が多くなってしまって、新しい産業が育たず、時代遅れの企業からのリストラと、採用減で困った事です。
これからの世代を、どう育てるか真剣に考えないと、日本は従属した二流国に転落でしょうね。
兆候は既に表れています。金融、保険、自動車がそうです。まず、
今の世代が、しっかりしなければなりません。

12.11
ビデオキャプチャーボードが色々

12月8日。大東亜戦争勃発の日。マスコミは殆ど反応無し。僅かに新聞のコラム欄に有っただけ。
現役の担当者も、殆ど戦後生まれで、戦争は昔話になってしまったのでしょうか。

さて、ビデオ撮影の話。ホームページ用の写真が要るので、カメラとビデオカメラの併用をしましたが巧く行きません。
ビデオ撮影は、ストーリーを考えながら撮影をしますから、写真の為に中断するとズタズタになってしまいます。
そこで、再びビデオのキャプチャーを考えました。SONYのビデオ静止画ボードは¥40、000以上します。
パソコン誌を眺めていたら、DV(IEE1394)キャプチャーボードが¥15000〜20000で数社から出ています。
動画、静止画編集ソフトが付いています。メーカーHPを見ました。高速CPU、ビデオボード、最新のW98SEに対応です。
アナログ(S端子あり)JPEG1対応ボードが I ODATAから出ています。SVHS、Hi8、VHSも取り込めます。DVとは違い劣化はします。
静止画42万画素(640*480)ですが、HPには何とか使えそうです。動画はこれでは駄目です。雑誌CDのDEMO程度が限界です。
パソコンノンリニア編集はまず百万円位は用意しないと駄目でしょう。天文学のような大容量のDATAとハードが必要なのでアマチュアの範囲を超えます。プロに挑戦する人は御自由に。
私は身の程を知っているつもりですから、あくまで素人で行きます。
プロのような
「やらせ」はしません。本当の記録がアマの武器だと思っています。
42万画素は、今のデジカメの200万画素とは比較になりませんが、ビデオにこだわる以上、止むを得ません。
WINDOWS2000が出ます。高速通信も始まるのでお金の用意を怠らないように・・・。

12.8

12月 8日は・・・。

十二月八日はどういう日、と訊ねて「大東亜戦争が始まった日」とすぐ言う人は戦争を実感した人でしょう。
実感の無い事はすぐには反応出来ません。かく言う私も、さすがに薄れてきました。半世紀(50年)を過ぎると「時は過ぎたか」と思います。時々、開催される戦争関連の催しも人がまばらになりました。戦争資料館の話もタイミングを失したように思います。
内外を含め、数百万の人々が亡くなりました。空襲でも名古屋では8000人。東京大空襲では一夜で10万人(広島と同じ)が亡くなりました。
広島、長崎の原爆被害は大きく報道されますから、よく知られていますが、身近でも戦争の影響が大きくあった事は若い人には案外、伝えられていません。名古屋東区の空襲を掘り起こす集会に出席して、体験を話しましたが、出席していた高校生が、この名古屋の空から爆弾、焼夷弾が降り注ぎ大きな被害が有った事は、信じられない。
今、街は奇麗になり、華やかな雰囲気に溢れています。
この会場(東区生涯学習センター)の上空に50余年前、ボーイングB29数十機が現われ、名古屋を火の海にした状況を、多くの体験者から直接聞いた事は、心に深く止まったようです。
戦争の事は段々埋没していきます。
直接、戦闘に参加された方達(少年兵を含め)も七十才以上になられました。
この方達に何かをお願いする事は、もう出来ません。
遺族(父の姿を知らない)も五十五才を過ぎました。
二十世紀の終りと共に、一つの時代が通過して行くのでしょう。あくまでも通過点ではありますが・・・・・・。

12. 2

12月と言えばどうしても8日

私の世代では、12月と言えばどうしても続く言葉は8日。大東亜戦争(太平洋戦争)勃発の日。
この事は8日に書く事にして、世は師走と言う。今の先生は何かで走るのでしょうか。
先生は忙しいといいますが、何が忙しいのでしょうか。テストの問題作りと採点ですか。
その割りには学力低下が甚だしくて、大学を出ても即戦力が無くて、就職が出来ないとは、若い時間を無駄遣いしていて勿体無いと思います。
戦争が始まって60年、日本(人)は何をしていたのでしょうか。
全世代の責任です。殊に高齢者ほど責任重大です。何を、後の世代に伝えたのか。伝えなかったのか。避けた(逃げた)のか。
変な宗教団体が問題を起こしていますが、総て、お金がらみです。
私の持論は、「何事も百年かかる」ですが、それは結果は自分では確認は出来ません。
やるだけやって後は任せるという事です。次の世代に夢を託して・・・。

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