99.8.9月
9月26日
CGIにまだ苦戦
掲示板設置を自分でやろうと、プロバイダーに聞いたり、本を買ってきたりホームページの(rescue)を見たりしていますが、プロバイダーがUNIXではなく(
cgiwrap )を使っているので代行設置も出来ないと書いてあります。もう暫く頑張ってみようと思いますが、電話の接続時間が自由でないので、自由にテストが出来ず、早く通信革命をしてもらわないと日本は取り残されます。NTT(実は株主)は人件費で金縛りですから期待できないので、他のメデイアの登場を待ち望んでいます。今、ISDNにしてターミナルを買うよりソフトバンクなどの高速無線の一日も早い具体化に期待しています。
年功序列の老化自民党には期待できないので宇宙人鳩山さんあたり何とかしてくれないかな・・。
9月23日
雨が降る。
今日も雨が降る。降り方が普通ではない。雷が鳴り稲妻がきらめき叩き付けるように降る。
私の住む街は平野の真ん中なので山崩れも無いし川が溢れる事も無い。下水から水が噴き出す事も無い。その点、有り難い事ですが景観は全く平凡で魅力に乏しい所です。坂も無いので自転車で移動できる範囲はかなり広いのですが自転車が通れる歩道は少ないし、大きい公園も無いので走る楽しみは無いのです。
ですから名古屋の東部へ、よく行きます。名古屋東部はは結構急坂があり歩いた方が良いのです。高級住宅が坂の上に沢山ありますが雪が降ったら困るでしょうね。
ところで美濃、飛騨はひどい事になりました。国道156、41はズタズタです。
昔の人馬が通るだけの街道を拡幅した道路ですからこれほどの雨ではたまらないですね。
東海道の大井川の川止めみたいですが、山では水が引けばよいという訳にはいかないので大変ですね。
積んだ土嚢の撤去、家や道路の補修など大きな負担だと思います。
地球の温暖化がこういう気象をもたらしているのではと思います。生ぬるい対策ではいけないのではないかと、そんな気がしますが、皆さんどう思われますか。
9月22日
子供がいない。
10月 3日、連区町民運動会が開催されます。が、私達の町内(60世帯)には小学生が3人しかいません。
しかも 4.5年生なので2年後には 0になるのです。その後、3年
0のままです。市の周辺学区の中にはマンション、アパートが集中し、学校増設もありますが市の中心部は中高年世帯の割合が高くなっています。私は高齢者ほど交通の便が良い都市に住むべきだと思います。名古屋市は65才から市の関連するものはフリーパスなので縁日などは老人が溢れます。東京都が70才以上のフリ−パスをやめると言っているようですが、老人の外出機会を抑えてしまう事が健康面で逆効果ではないかとの意見があります。
私は名古屋在住ではないし 65才にはなっていませんが、うらやましいと思います。娘が名古屋に嫁いでいるので同居扱いしてもらえばパスが貰えるチャンスはありますが(そういう人がいるそうです)普段、名古屋市に何も貢献していない者がそういう事をするのは税金の横領だと私は思います。
今から名古屋に転居するのは、もう遅いと思いますが、私宅から名古屋駅までは最短
JR 25分(290円)で行けるので名古屋でも周辺区よりは便利なので「まあ、いいか」とは思います。唯、文化面と人間性と情報のギャップはあります。
地方都市と大都会(名古屋は田舎だと言われても)との格差は両方で暮らした私には、はっきりわかります。それを引き摺ったまま、ここまで来てしまいました。情報ネットワークで、ある程度は知る事が出来ますが実感はその場でしかわかりません。情報と体験の双方が必要だと思います。
それと将来、今の子供の数が社会構造を変えてしまう事になります。今から考えておかないと大変な事だと思います。
9月20日
さくら道(156)は寸断の侭。道路を造る余地が無いので取り敢えず長良川鉄道の一部分を埋めて仮舗装一車線を確保。それでも交互通行分だけ。来春の復旧を待つ事になります。
NHK「街道を行く」郡上、白川街道が放送されました。八幡から御母衣湖、平村の紀行が紹介されました。白川街道はダムの底に沈んだのでした。荘川桜の傍に荘川村の出征兵士の碑があります。山の中から出征して戦死した村の男の名前が刻まれています。
9月18日
夏の終りはあっけなく閉じました。
しろとり踊り変装コンクールで、今年の夏は目出度くシャンシャンと終わりにしようと思っていましたが、自然の猛威にはなす術も無く、来年までの持ち越しとなりました。それも来年の宿題と思えば楽しみの延長と考え、又、出掛けましょう。
さくら道迄には復興されるでしょうから、準備を怠らないようにしましょう。
それにしても、ひところ価格崩壊と言われましたが色々な所で組織崩壊が進んでいるのが今ではないのかと思います。会社、教育、保安、金融ひっくるめて国中根こそぎ再構成が起こっているようです。就職難といっても若い人は対応出来ると思いますが40から上の人はどうしたら順応できるのか心配でしょうね。10万円を切ったコンピュータがどんどん出てますから、とにかくやる事ですよね。本をいくら読んでも駄目で動かしてみないと納得できません。それにしても本の多い事。上下のレベル、横の応用の広さ、砂漠の中にいるみたいだけど1本1本植樹してみないと定着するかどうかもわかりません。
9月16日
長良川流域に豪雨。第1報を書きました。
豪雨の恐ろしさは、私も、20代の頃、上高地からの帰りにで経験しました。上高地と乗鞍へ旅行に行った時です。乗鞍では絶好の日和で御岳も目前に勇姿を見せてくれました。翌日の上高地も良い天気でしたが、郡上郡の和良村の親類に用があったので、1日早く、切り上げ高山線の金山から和良村へ行きました。その日から、雨が降り始め豪雨になりました。1泊したかどうか、憶えていませんが、あまりの雨に退屈だし、帰る事にしました。金山駅からの帰途、沿線の飛騨川が凄い事になっていました。いつもは下の方にある渓流が列車の窓を洗わんばかりに、赤茶けた濁流、豪流というべきか渦巻きになって押し寄せていました。
半日遅れたら帰れなくなっていました。高山線は道床が流され線路は宙づり、上高地周辺は土砂崩れで通行不能、雨の中を歩いて脱出のニュースが伝えられました。
何度も行った高山線ですが、河の姿があのように変わってしまうとは知りませんでした。自然の変化の恐ろしさを思い知りました。
何事も、年令が高くなると「又、今度」と言っていると行けなくなってしまうので、チャンスを失する事になります。出来る時に出来る事をするようにしなければなりません。
若い時にどんどん消化しましょう。消化不良でも若い時は身に付きます。
9月10日
掲示板を設置しようと思いCGIを探しましたが、巧くいかなかったのでガイドブックの簡単なのを作ってみました。
まだ、テスト中なのでエラーが出ます。プロバイダーにも問い合わせました。なにしろ、HTMLをよく理解していないので、門さん達の掲示板のHTMLと、私のプログラムのHTMLを比較して、CGIの書き込み行を察して挿入しました。
いずれ入れ替えしますが取り敢えず動くかどうかやってみます。
VBのプログラムもやっていますが、書きながら、即イメージが浮かぶようでないとスイスイとは行きません。
越田さんは文科系ウルトラランナーですが、私は文科系物好きなので、コンピューターやビデオは便利な道具として使う事にしているので絶えず行き詰まります。それでもこれほど便利なものはないので使わなければ損、損と思います。
今、TVで「名古屋ウイークリー」を放送していますが(日本ど真ん中まつり)の実行委員会のメンバーと名古屋市長が対談しています。
若い人が元気に世の中を活性化してくれるよう期待しましょう。
9月 6日
篠井英介わかりました。元禄繚乱に出ていました。大僧正です。以前にも見た記憶はありましたが歌舞伎役者の一人かなと思っていました。そういう雰囲気は充分漂っていますから・・。不勉強で未確認ですが大石主税は勘九郎の息子じゃないかな?・・。
夕方、ホームページに掲示板を設置しようと思い、関連の本を探しに本屋へ行きました。そこに、溝口雅大さん(ウルトラランナー)がいました。ウルトラから一度も、会っていませんでした。コンピューターが、あるルートから手に入ったのでインターネットをはじめたそうです。まだトラブル続出で不安定のようですがすぐ動き始めるでしょう。一宮の他のランナーの活動もネットに乗る事になると思います。若い人は早いから・・。
9月 5日
「北へ555キロ」見ました。いきなり入江さんがアップでした。金井さん、田辺さん、塚本さんが出てきました。名前違っていたらごめんなさい。昨年の岩田さん、越田さん達が走られたレースと同じ企画がどうか私には分かりませんが、ハイビジョンでNHK全国区放送ですから多くの人が見た事でしょう。「さくら道」を皆さんに知って貰う為にもプラスになります。
市長さんからの手紙 市政について、ご意見、提案をという市民FAX、投書BOXが設けられています。白鳥町と一宮市は東海北陸道の接続でより、近くなりました。「さくら道」ルート156からは外れてしまいましたが・・。今年の七夕の、しろとり踊り来演もあり「さくら道」も市内を縦断しています。民間ルートで「踊りグループ」も十年以上前から交流しています。「さくら道」マラソンの声援も小人数ですが継続しています。PR手段を考えて、より多くの人と文化の交流が進めば新しい展開があると思い提案をしました。市長さんから「一宮の民俗芸能をはじめ(さくら道)も含めて内部で検討する」という直筆のコメントを頂きました。細いパイプを段々広げていけるよう考えたいと思います。
9月 3日
明日から「西川流 名古屋をどり」が10日間の公演です。踊りの会は普通一回限りなのですが、「名古屋をどり」は10日間 昼、夜、演目を変えての公演です。第52回と銘打っています。終戦翌年、まだ荒れ果てた名古屋の街に潤いと元気をと「名宝劇場」で先代、西川鯉三郎と一門がリヤカーなどで道具などを搬入公演したと名妓連前理事長「西川喜久さま」の思い出話を聞いた事があります。常磐津、長唄などの古典舞踊を基本のプログラムですが、毎年、著名作家に新作を依頼、発表され定着した名作が数多くあります。今年は市川森一作「魔笛」ですが特別出演に美術の朝倉 摂さんの推薦で「篠井英介」が女形での出演です。
「篠井英介」って誰。私は知りませんでした。舞台やTVドラマで大活躍だと、今度初めて知りました。私は民放のドラマは、まず見ないので全然知りませんでした。演技力が超、素晴らしい役者だそうで「ネオ・カブキ」で女形のトップスター、平成二年頃から引っ張りだことのプロフィール紹介で、物知りを任じていた私の無知に「遅れた・・」と思っています。「名古屋をどり」の発祥は戦前の「浪越おどり」に始まると安田文吉先生の書にあります。公演も終わりに近くなるとTVの深夜番組で「録画放送」される事もありますからチェックされても良いでしょう。邦楽の生演奏に乗っての舞踊会は迫力があります。私は、一度、舞踊会で動けなくなってしまった踊りを見た事がありましたが、地方(演奏者)と後見(演者の手助けをする人、多くは師匠)が必死に調整するのを見て、どうなることかとハラハラしたことがあります。有名な歌舞伎役者が、大失敗をする事もあるそうですから生は怖いですね。市川団十郎が、「勧進帳」を中抜きでやった事があったとの芸談を聞きましたが聞くだけで寒気がします。皆さん怖い思いをしながら精進されるのですね。
人生、死ぬまで本番です。大恥と、冷や汗をかきながら、今日も明日も暮らしましょう。
今夜、NHKドキュメントにっぽん「555K北への道」を期待して見ます。昨年は「おはよう日本」でニュース報道されましたが、今夜は時間も長いので楽しみです。この間の「北海道から九州への盲人の方のラン」は気が付かずにいて放送の終り1分ほどだけ見ました。残念。門さんのルポは見ていたのですが・・・
8月29日
ウルトラマラソン後、会っていない成瀬さんにTELしました。遠くの丹代さんや、門さん、関家さんなどの情報が手に取るように分かるのに、同じ市内に居る一宮のランナーの事がさっぱり分からないので「元気・」と聞いたら「元気だよ」と言っていました。ランナー仲間とは時々会ってバーベキューパーテイなどやっているようです。「夜叉ヶ池」は130Kに統一されて「ついていけないよ」と言っていました。インターネットやっている人がいないなら「私のHPにコーナー設置してもいいよ」と言いましたら「情報揃えて届ける」との事ですから、掲載出来ると思います。
会う人毎にインターネット利用を尋ねていますが、殆どやってません。公務員、飲食店、書店、サラリ−マン、四十才代を境に大きな壁があるようです。インターネットの前に、まずコンピューターという大きな壁が立ち塞がって行く手を阻んでいるのです。コンピューターは馬鹿売れ状態だそうですから、後は、使う人次第でしょう。「ど真ん中まつり」はネット社会あっての成功でHPを見ると掲示板も凄い反応です。以前、「やろまい踊り(今は?)」がありましたが、既存のグループを纏めた地域だけのパフォーマンスでしたからすぐ限界とマンネリになりかかったようで、大人の既存の発想だけでは現代人には受け入れられないようです。
8月28日
Good Timingで夕方からNHKでドキュメント「阿波踊り」と7.30 から「高知よさこい踊り」「郡上おどり」ほかの踊り番組が放送されました。YMOの細野さんや振付けの南流石さんがゲストでしたが、生活にリズム感を失いがちな日本の「癒し」には是非必要なものだと言っていました。歩く、走る、踊る 1.2.1.2 が人には 1番快いテンポだと、郡上の人が言っていましたが納得出来ます。私は街を歩くのが好きで、やたら歩きますが、歩くのが一番自由です。ウオーキングでいうテンポは私には早すぎます。わき目も振らず義務的に歩くのは楽しくないので続かないように思いますが・・。私は脈拍(60)に合わせて自分に合ったリズムで歩きます。3時間ぐらいは歩けます。交通規制も無いし、立ち止まって観察も出来るし、裏道も入れ、人に声も掛ける事も出来ます。まさに自由自在の世界だと思います。
8月26日
名古屋甚句の稽古本を貰いに名妓連を訪ねました。名古屋の芸者さんが集まって芸事のお稽古などをされる所です。東新町にあります。栄から歩いて7,8分の所に名妓連ビルがあります。名古屋の財界の皆さんが「芸どころ名古屋の灯を消すな」とバックアップして設立されたと聞いています。永年、組合長として頑張ってこられた「西川喜久さま」は現役を引かれて相談役になられたとの事ですが名物組合長さんの引退は寂しい事です。名妓連も出演の恒例、西川流「名古屋をどり」が九月四日から十三日迄、中日劇場での公演です。
平和祈念展 松坂屋
手紙(綴られた戦争の諸相)のテーマで手紙、書簡を主に展示していました。特攻隊員の遺書など日中戦争から始まる太平洋戦争の終結までの通知書、命令書、日誌など書類関係が多かったので地味な展示でした。平日ということもあり兵役を体験されたような人が十数人居られました。十年前の戦争展とは様子が違いました。ガランとしています。あの時は前にも進めない大混雑でしたが、時は過ぎたと思います。この間、NHKで「ノモンハンの真相」を放送しましたが「今頃になって何を・・」と思いました。余りにも情報公開が遅すぎます。何故こんなに日本は物事を覆い隠すのか、後ろめたいことが、さぞ沢山あるのでしょうか。見えない所で何かが進められているような気味悪さがあります。
同じ松坂屋で「防災フェア’99」が開催されていました。
1階ホールで名古屋市消防音楽隊とリリーエンジェルスの演奏とフラッグによるパフォーマンスが華やかに行われました。凄い時代の落差です。平和がいかに有り難いか思い直す時間でした。
続いて大須のパソコンショップを覗いてきました。TOSHIBA PC工房でグレードアップの相談をしてきましたが、私のBREZZAは対応終了で自主改造して下さいとの事でした。中身総入れ替えに近い事をするなら買った方が安いのですが、壊れたわけではないので部品追加で使います。息子のGATEWAYもあるし・・。
いちのみや民俗芸能のつどい
8月22日 一宮市民会館
一宮市近郊に伝わる民俗芸能を一堂に会し披露する事を毎年行っています。
今年は10団体の参加で公演が行われました。祭りは、地元で当日見るのが本来ですが、多くの人へのPRとダイジェストで、総てを見る事が出来ます。私は、その内の5個所ほどを、祭り当日、ビデオで継続取材していますが、地域の結束はなかなかのもので、特に、長老の気迫には敬服します。
今伊勢「石刀神社山車まつり」、千秋町、熱田神社「馬場獅子屋形」、丹陽町重吉八幡「甘酒祭り」、今伊勢「馬寄木遣音頭」が大体、取材出来ています。一宮博物館には映像コーナーがあり、市所有のライブラリーを見る事が出来ます。(ちょっと古いですが・・)
名古屋市博物館もビデオライブラリーが充実しています。常設展示「尾張の歴史」では信長の書状をはじめ国宝級の実物を見る事が出来ます。
一宮市「真清田神社」は4月3日「桃花祭」が行われます。私の住む殿町は、神輿渡御に続く、飾り馬奉納の納めを勤める、若殿行列とと奴踊りを行っていました。戦中から、中断していたものを、五十年振りに、平成二年、青年会議所の協力を得て復活しましたが、平成三年、実行で、再び中断しています。祭りの平日開催と、人材、資金、伝達の困難が実行を難かしくしています。状況の展開が無ければ復活は出来ない状態です。
盆踊り
この頃の、盆おどりは大きく変わりました。私も、はじめは民謡でないのはおかしいと思い、抵抗を感じましたが考えが変わりました。純粋に伝統を求める人には現地の保存会や各地の民謡(踊り)団体がありますから、正確に習得される機会があります。若い人には「ダンシ「ングヒーロー」もいいでしょう。幼児には「だんご三兄弟も」いいでしょう。盆踊りまで世代の断絶があってはいけません。誰もが気楽に飛び込んで一緒に参加する事が世代間の意思の疎通の機会だと思います。座っていてはいけません。出来る事を考えましょう。
にっぽんど真ん中祭り
8月20、21、22
今年は、第1回「にっぽんど真ん中祭り」が久屋広場など、四会場で行われました。これは学生が中心になった実行委員会が呼びかけ名古屋周辺の民謡をアレンジした踊りをメインに「鳴子おどり」の元祖、高知「メデイアクロス」や、札幌の「YOSAKOIソーラン祭り」から優勝チーム「平岸天神」の参加を得て企画されました。二十一日は、22グループ、約1000人が、それぞれの振り付けで参加。幼児から、豊川観光音頭で参加した八十才迄のパフォ−マンスで喝采を受けました。熱田の高蔵中学一年は地元の「名古屋甚句」をアレンジ参加しました。「大ぞね」グループも凄いパワーでした。全部を見る事は出来ませんでしたが、若い人にこれだけのパワーがあるのですから有効に生かす機会を与えれば日本も元気になります。大いに希望を感じました。21日は25万人の人出との報道でした。22日はそれに倍する盛況だと伝えられました。メインステージ久屋広場、を始め大須観音境内、ナデイアパーク広場、広小路でパフォーマンスが繰広げられました。学生の実行委員長(水野孝一さん)は「予想を越えた盛り上がりで今後も名古屋の祭りとして定着させたい」と新聞でのコメントですがネットワーク社会での全国ネットのパフォーマンスが可能になった現代のモデルを見たという感じでした。
参加グループ
ZAC(岐阜県可児市)、ANJO市民チーム北斗(愛知県安城市)、鯱(名古屋学生チーム)、生っ粋(東京学生チーム)、中京女子大祭りだワッショイ、バサラ瑞浪(岐阜県瑞浪市)、MAIYA(岐阜県瑞浪市)、情報ライブトウーユー(名古屋テレビ)、猩々(鳴海商工会、名古屋市緑区)、コンコン豊川踊ろう会(愛知県豊川市)、メデイアクロス(高知県)、ビューテイトレーニング(三重県四日市市)、桜嵐洛(京都府)、雷神可児(岐阜県可児市)、岡山楽踊、岡山踊り連(岡山市)、平岸天神(北海道)、アクテイブ大曽根(名古屋市東区)、高蔵 Jガールズ(名古屋市熱田区)、よっちょれ踊ろうぜ(東京都)、東海らんらん踊り子、DoHope(愛知)など、その他、飛び入り大勢
ビデオ撮影をしていたら御縁(五円)結びにと頂きました。
皆さんにも御利益をどうぞ。
よさこい稲荷神社の由来
当社の元の鎮座地は京都河原町の旧土佐藩主山内公の邸内にあり、土佐稲荷と呼ばれて尊ぴあがめられていた。明治椎新後、山内公が邸宅を譲られることになり、明治十一年五月十三日、高知市北奉公人町川岸端へと祀り移した。その後一時、升形の出雲大社土佐分院の境内にあったものを、更に現在地へと祀りなおしたものである。御祭神は京都府の稲荷山にある官幣大社稲荷神社の御祭神と同じで、宇賀魂神(うかのみたまのかみ)、大宮能売神(おほみやひめのかみ)、猿田彦神(さるだひこのかみ)の三大神である。この大神は、皇室の安奉、国家の繁栄を始めとして、衣食住事、土地農産、航海貿易陸上道路の安全、芸能音楽、商工業の事から、一家親族知己朋友等の交際に関する相互和合の福利に至るまで全てを守護し、人々から篤い信仰を集めてきた。また、昭和に入ってからは帯屋町稲荷神社と呼ばれて帯屋町筋商店街を守ってきた。
一方、戦後、夏枯れの商店街に賑やかな祭りをとの提唱で、昭和二十九年八月十日に産声をあげたよさこい祭りは、爾来四十五年、年々隆盛を極め、踊り子派遣先も国内約六十都市、国外十四地域に及ぶとともに、日本全国によさこいを冠する祭りは十都道府県余り、源流とする祭りは六十を超えるほどに増殖している。そして本年八月十二日には、初の全国大会が開催されるように、名実とも戦後生まれの日本届屈指の祭りして発展を続けている。この間、帯屋町筋は祭り運営への積極的な尽力は固より、第一回目以来の連続出場や祭りの中心会場の一つとしての役割を担い、よさこい祭りと帯屋町筋とは、正に一心同体の歩みを刻んできたと言える。
今、よさこい祭り四十五周年にあたり、祭りが全国に門戸を開く新たな時代に突入したことを機に、大神の御守護に感謝するとともに、先人の甚大なる熱意と労苦に敬意の念を表し、祭りの更なる飛躍と、万人の健康と親陸、商店街の文化と歴史の継承と発展を祈願して、帯屋町筋パレード出発地点に鎮座する高知大神宮境内の当社に、土佐名産の樹齢三百年の魚梁瀬杉から切り出し土佐伝統の土佐古代塗を施した一対の大鳴子を御神宝として奉献し、よさこい稲荷神社と改称する。
ここに、当社の由緒に関する由縁の概略を記すものである。
平成十一年七月二十三日大暑
高知大神宮稲荷神社宮司 山村稔晴
協同組合帯屋町筋
広小路夏まつり
8月21日、22日
名古屋広小路夏まつりに行ってきました。朝日神社の由緒ある祭りですが、戦後、改めて始まった四十三回目のこの頃は、商店街振興会、デパート、TV局、新聞社の共催で消防、警察、自衛隊や民間、学校の音楽隊パレード、鼓笛隊、バトントワラーズ、民踊おどり道中の数グループ、阿波おどり、昇竜みこし、山車、ステージカー、などがメインストリートを、夕方5時から通行止めにして伏見−栄のUターンのパレードが9時まで行われました。夜店も沢山で、ポイント地点ではミニコンサートやジャグラー、サンバショー、シャンソンなどで大混雑でした。「ど真ん中グループ」も参加して今までとは一味上がったイベントになりました。22日も引き続き開催されました。