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ウズラのたたき風

海員閣のメニューには、中国語と日本語両方の表記があります。中国語がわからないお客様にとって中国語表記を注視する機会はあまりないと思います。今回取り上げる【ウズラ(鶉)のたたき風】ですが、このメニューの中国語/日本語表記には変遷があります。

そもそも、この「ウズラのたたき」という料理は、ウズラを一羽丸ごと中華包丁で叩いてミンチにしていたことに由来する名称でした。中国では、お客様をもてなす際、生き物を一匹まるまる提供することで、お客様への最大限の歓迎を表します。なので、海員閣の宴会料理では、一匹まるまる提供されるもの(鶏<ニワトリ>、龍蝦<伊勢海老>、水魚<スッポン>、焼鴨<ダック>)が多く見受けられます。

「ウズラのたたき」という料理の盛り付けですが、キャベツの千切りを草原の草に見立て、カリカリに揚げた中華そばをウズラの巣に見立てています。その巣の上に「ウズラのたたき」が盛られており、草原にひっそり隠れているウズラの巣をイメージしております。

まず、メニューの中国語表記についてですが、創業当初のメニューには、【鵪鶉鬆】という表記がなされていました。それが、ある時を契機に【生炒肉鬆】へと遷移しました。

この契機というのが、正直判然としていないのですが、使用する材料をウズラから豚挽き肉へシフトした頃にメニュー名を【生炒肉鬆】へと変更したようです。(メニュー表の修正印字を叔父から私が引き継いだ頃、約20年前には【生炒肉鬆】へ変わっていたように記憶しています。)

そして、日本語表記についてですが、メニュー上「ウズラのたたき」という名称で定着していたので、突然の変更による従業員・お客様双方の混乱を避ける意味であえてそのまま【ウズラのたたき】という名称を使用することにしました。

しかし、ウズラを使用していないことへの後ろめたさから、この度の代替えを機に申し訳程度に ”風” を最後に付け足すことにいたしました。これが、海員閣メニュー七不思議(??)の一話です。

注)下記写真は【生炒肉鬆】です。見た目はウズラを使用していた当時から変わっていないと思います。

 

2022年10月19日

リニューアル後三周年を迎えて

 先代から海員閣を引き継いで丸三年が経ちました。この三年を支えてくださったお客様・スタッフ・取引先様に感謝致します。ブログを書きなれていないので取り留めのない文章になってしまうこと先にお詫びしておきます。

1.この三年間を振り返って

 先代から海員閣を引き継ぎましたが、諸事情によりこの三年間海員閣の調理場を一人で切り盛りして感じたことは、「人一人でこなせる作業量には限界がある」ということです。
 当初はリニューアル前の海員閣の営業内容をそのまま引継いで、以前と変わらない海員閣をお客様に提供しようと考えていました。とはいえさすがに初っ端から一人で全てが元のままの海員閣をお客様に提供するのは困難だと考え「試運転営業」と称し昼の部のみの営業・提供メニューの削減での船出を決めました。
 そして、実際に営業してみるとなかなかどうして、作業量の多さに忙殺される日々が続き、「試運転営業」から脱却できないまま三周年を迎えてしまいました。まったくもってお恥ずかしい限りです。
 そこで三周年を期に「試運転営業」という文言を取っ払おうと思います。だからといって先代海員閣の営業内容を復活させるだけの余力は未だ備わっていないのでご容赦下さい。

2.今後の営業について

 今後については試運転営業の営業内容で営業していきたいと思います。調理要員を増員して夜の部の営業や一品料理の提供を実現させたいのはやまやまなのですが、増員を快く思っていない関係者もおりまして、今は波風立てずに現行の営業内容を踏襲させていただきます。
 また、営業再開にあたり「一人一品制」を導入させていただいます。「一人一品制」の詳細は以下の文言をクリック(タップ)して下さい。

「一人一品制」詳細へジャンプ!

2021年10月02日

新型コロナウイルス対策として出来ること

2020年3月30日、20時からの小池都知事の会見によると、東京都で発生した集団感染は飲食店で起こったとの事でした。
集団感染の発生場所は銀座のナイトクラブと特定のされ、東京都では夜間の外出、カラオケやクラブ、バーへの入店を自粛するよう要請が出されました。神奈川県知事がこれに追随して自粛を促すかは分かりませんが、飲食店が感染源という言葉が引っかかり、本文を書いています。

私は海員閣店主として、大袈裟ではなく海員閣は人気店だと自負しております。人気店には否が応でも人が集まってしまいます。海員閣の現状からして、お客様の入店待ちから退店まで、新型コロナ対策の【避けるべき三密】に抵触する部分が多数見受けられます。

この事実を鑑みるに全世界的に外出の自粛を唱えている最中、人気店が自覚なく営業を続けるのは如何なものかと思いました。私にとっては従業員もお客様も等しく大切な存在です。感染リスクを負わせてまで来店いただくのは心苦しく思います。

また、尊敬する志村けんさんが身体を張って私達を諭そうとしたのかと考えさせられたのが志村けんさん逝去のニュースです。志村さんの実兄の談話ですが、入院中の志村けんさんに会うことも出来ず、遺体との対面も叶わず、荼毘にふされて灰となって初めて対面出来た事実。

この様な悲しい思いを従業員やお客様、またその家族の方々にして欲しくないとも思い、苦渋の決断ではありますが、新型コロナウイルスの沈静化がみられるまで当面の間(まずは2週間。新型コロナの蔓延状況により更なる延長もあり得ます。)、休業することを決めました。どうかご理解のほど宜しくお願い申し上げます。

再開の目処が立ち次第、随時HP、または、ツイッターにてご報告致します。再開の折にはご来店のほど宜しくお願い申し上げます。

追伸:

取引先の各業者様には多大なるご迷惑をお掛けすることになりますが、ご理解を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

2020年03月31日

どうか力を貸してください

啖呵を切っていざ船出したもののスタッフ不足に慌てふためいています。店主(調理師)以外を人材派遣で賄って何とか開店にこぎつけたのですが、中華街の不評ゆえか、はたまた全国的な働き手不足のためか、開店以降は派遣会社から人員の補充がなされず、現在も試運転営業(詳細は【よくあるご質問>試運転営業詳細】を参照)から脱せずにいます。

老朽化店舗の改装とあって、改装に相当な時間を費やしてしまい、お客様の記憶から海員閣が消えゆく前に何とか試運転営業という形で営業を再開しましたが、肝心要の人材が確保できず、試運転営業もままならないという状況に陥っております。

心苦しいお願いなのですが、「力を貸すよ」と言って下さる方、いらっしゃいませんでしょうか。好条件ではありませんが、本サイトの採用情報をご一読いただき入店をご一考いただけないでしょうか。

この度の改装は、海員閣の働き手に気持ちよく働いてもらうこともコンセプトとして盛り込んでおります。海員閣のプチ働き方改革を体験したいと手を挙げていただけることを切に願っての改装でもあります。海員閣という名の宙船に「あいのり」してください。漂流中のロビンソンクルーソーにどうか愛の手を差し伸べて下さい。お願いします。

2018年11月05日

コークスって??(その2)

続編upします。

話の視点を戻します。海員閣の開業当時、厨房設備が今ほど高性能ではなかったため、高火力を必要とする中華料理には、コークス窯が最適でした(燃料としてのコスト面でも優れていました)。ですから、厨房設備の進歩が高火力を生み出せるに至るまでコークス窯を備えた中華料理店をそこかしこで見ることができました。

ただ、このコークスの焚付けがことのほか大変で、自前でBBQをする際の火起こしの苦労を思い起こしていただければ伝わると思うのですが、コークスの火起こしから調理可能な火力を得るまで1時間程度要します。(私はセンスがないので、結局、改装前のコークスマイスター達にお墨付きはいただけませんでした。)

なので、コークス窯を要した中華料理店の一日の始まりはコークスの火起こしからなのです。イメージとしては、蒸気機関車で石炭をくべる【機関助士】が煤(すす)だらけな姿を想像してください。朝一から機関助士さながらの容姿へ変身させられます。火起こしが苦痛でやめていく若者も少なからずいたようです。(筆者友人の父親談)

コークスは都市ガスのように元栓を開いておけばいつでも供給してもらえるわけではないので、窯内のコークスが燃え尽きる前に新たなコークスを補充しなければなりません。新たにくべたコークスが十分な火力をまとうまで十数分の時間を要します。ですから、改装前の海員閣ではコークスを補充したタイミングで、”逆モグモグTime”(高火力が得られないので、調理出来ず料理が提供できない空白の時間。)が訪れます。

また、コークスの火を絶やしてしまうと朝一のお仕事”火起こし”から始めなくてはいけないので、店舗の営業が終わるまで誰かが火の番をしていなくてはなりません。

ここからは言い訳じみた内容にシフトしていきますが、代替えで独り身の船出となると、改装前同様コークスを使い続けることが困難であることは、前述の内容からご理解いただけるのではないかと思います。

跡継ぎ(働き手)が現れにくい昨今、「調理場は必ず2名以上の体制で、内どちらか1名が火の番をして、営業終了まで2名体制を維持すること。」という制約ありきでコークスを使い続けることへの限界を感じ、仮に一人でも海員閣の跡を継ぐことができるような仕組みを構築することが、今の私の最大の使命だと考えているからこそのコークス窯廃止なのです。

ネット上ではコークス窯の廃止について色々な意見が飛び交っているようですが、「海員閣の末永い存続」という選択肢に重きを置いてしまった新店主の愚行を笑ってやってください。

注)写真は新店主の愚行が招いた改装後の調理場です。

 

2018年05月17日

コークスって??(その1)

懲りずにupします。

海員閣をネット検索するとたびたび目にする「コークス」。このコークスっていったい何ぞや??と疑問視されるお客様も少なくないと思います。今回はそのコークスについて綴ってみます。

ズバリ、コークスとは石炭を乾留(蒸し焼き)にして炭素部分だけを残した燃料のことです(Wikipediaより)。なのでコークスは、ほぼほぼ【石炭】です。Wikipediaより引用し、もう少し補足します。

石炭を高温で蒸し焼きにする乾留工程により、硫黄、コールタール、ピッチ、硫酸、アンモニアなどの成分が抜けます。この工程を経る事で燃焼時の発熱量が元の原料の石炭より高くなり、高温を得ることができるます。

ですから蒸気機関車や鉄鋼業などを中心に、現在においても重厚長大産業には欠かせない燃料となっています。外見は石炭に似ていますが、多孔質であるため金属光沢は石炭に比べて弱く、多孔質は乾留(1,300℃以上)の際に石炭中の揮発分が抜けてできるものであり、結果的に炭素の純度が高まり高温度の燃焼が可能となります。

少し脱線しますが、その昔(昭和初期??)都市ガスを製造するのに石炭を乾留して得ていました。都市ガスを採取した後の石炭がコークスなので、都市ガスの主流原料が天然ガスになるまでは、日本で自前のコークスが手に入ったのですが、昨今では中国からの輸入品が大半を占めており、コスト的にも高騰の一途を辿っています。

もう少し脱線を続けますが、築地市場の移転先である【豊洲】には、以前東京ガスの都市ガス生成工場があり、その工場で都市ガス生成(石炭を乾留して生成)を行っていたため、市場移転前の土壌検査において、当時の都市ガス生成時に発生したと思われる有害物質が、検出されたと推測されます。

少し長文になってしまったので、第1話はこれにて終了といたします。

注)写真はWikipediaより流用したコークスの画像です。

2018年05月04日

殻煮って。。。

オープン先延ばしのくせに、懲りずにブログをupします。

海員閣のメニューに摩訶不思議な表記が点在していることは、ヘビーユーザーの方なら周知の事実だと思います。ピータンの日本語表記が「黒い玉子」(←箱根にもそんなネーミングを見かけたような。。。)だったり。生炒肉鬆が「うずらのたたき風」(←これは割と最近)だったり。

中でも看板メニュー「干煎車蝦」の日本語表記に見て取れる「からに」って何??と長年首をかしげていたお客様も多いと思います。今回は、「からに」の謎について綴ってみます。

そもそも、海員閣を開業した初代は、奥様とまだ幼子だった長男と共に日本へ渡って来ました。内乱続きの中国から安住の地を求めて日本へ。日本語が話せるから日本はやって来た訳ではないので、日本へ渡った張家では中国語(広東語)オンリーの生活でした。

来日後、張家は7人の子供を授かり、10人の大家族となるのですが、初代は他界するまでほぼ日本語NGでした。私は広東語が話せないので、祖母と会話が通じず、いつも叱られていたように思います。

少し脱線しましたが、「からに」の命名者は日本で生まれた長女だという説が有力です。長女は日本の学校にも通っていたので、日本語訳を任せられたのだと思います。ただ、その頃は今のようにスマホ一つで何でも調べられる世の中ではなく、和訳に相当苦労し、生み出された言葉が「からに」だったのだと思います。

今現在、スマホで「干煎」を検索すると「ドライ揚げ」(Google翻訳)と表示されます。戦後にはハイカラ過ぎる言葉だと思われるので、当時その和訳を採用するに至るかは。。。

「からに」の「から」が「辛い」を指しているのか、「殻」を指しているのかは不明瞭ですが、代替えを機に「殻付き」だから「殻」を採用させて頂きました。(言った者勝ち??実際、味付けが辛いわけでもないので。)取り留めのない投稿になりましたが、海員閣がリニューアルオープンしてお客様がご来店出来るようになるまでの暇つぶしにお読み頂ければ幸いです。

注)下記写真は左下の人物から時計回りに新店主の「祖母(初代の奥様)」、「母」、「伯母(改装前のレジェンド看板娘)」、「叔父(改装前のコークスマイスター)」残念ながら”からに”命名者は写っていません。家族間の会話は広東語オンリーでした。

 

2018年04月26日