殻煮って。。。

オープン先延ばしのくせに、懲りずにブログをupします。

海員閣のメニューに摩訶不思議な表記が点在していることは、ヘビーユーザーの方なら周知の事実だと思います。ピータンの日本語表記が「黒い玉子」(←箱根にもそんなネーミングを見かけたような。。。)だったり。生炒肉鬆が「うずらのたたき風」(←これは割と最近)だったり。

中でも看板メニュー「干煎車蝦」の日本語表記に見て取れる「からに」って何??と長年首をかしげていたお客様も多いと思います。今回は、「からに」の謎について綴ってみます。

そもそも、海員閣を開業した初代は、奥様とまだ幼子だった長男と共に日本へ渡って来ました。内乱続きの中国から安住の地を求めて日本へ。日本語が話せるから日本はやって来た訳ではないので、日本へ渡った張家では中国語(広東語)オンリーの生活でした。

来日後、張家は7人の子供を授かり、10人の大家族となるのですが、初代は他界するまでほぼ日本語NGでした。私は広東語が話せないので、祖母と会話が通じず、いつも叱られていたように思います。

少し脱線しましたが、「からに」の命名者は日本で生まれた長女だという説が有力です。長女は日本の学校にも通っていたので、日本語訳を任せられたのだと思います。ただ、その頃は今のようにスマホ一つで何でも調べられる世の中ではなく、和訳に相当苦労し、生み出された言葉が「からに」だったのだと思います。

今現在、スマホで「干煎」を検索すると「ドライ揚げ」(Google翻訳)と表示されます。戦後にはハイカラ過ぎる言葉だと思われるので、当時その和訳を採用するに至るかは。。。

「からに」の「から」が「辛い」を指しているのか、「殻」を指しているのかは不明瞭ですが、代替えを機に「殻付き」だから「殻」を採用させて頂きました。(言った者勝ち??実際、味付けが辛いわけでもないので。)取り留めのない投稿になりましたが、海員閣がリニューアルオープンしてお客様がご来店出来るようになるまでの暇つぶしにお読み頂ければ幸いです。

注)下記写真は左下の人物から時計回りに新店主の「祖母(初代の奥様)」、「母」、「伯母(改装前のレジェンド看板娘)」、「叔父(改装前のコークスマイスター)」残念ながら”からに”命名者は写っていません。家族間の会話は広東語オンリーでした。

 

2018年04月26日