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●慶応元年(1865)
●慶応3年(1867)
●慶応4年(明治元年=1867)
5月20日−〔藤井藍田(らんでん)、大阪で新撰組に捉えられ、6月6日に斬殺される。〕
8月3日−藩主蜂須賀斉祐(なりひろ)がイギリス公使パークスと通訳アーネスト・サトウを徳島城に招き情報収集を行なう。
9月19日−蜂須賀家筆頭家老・稲田稙誠、20歳で他界、弟の封稙(くにたね)が家督を継ぐ。封稙は、家臣の南
薫風、尾方長英、工藤剛太郎らに命じ京都で王事に奔走させる。
11月−蜂須賀斉祐が城下寺島に洋学校を開校。
年末に撫養(むや=鳴門市)の町に“ええじゃないか”が上陸、瞬く間に阿波一円は狂乱状態になる。
1月−13代藩主蜂須賀斉祐が没し、茂韶(もちあき)が襲封すると討幕派に転じ、奥州白川口に出兵する。