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●文久2年(1862)
●文久3年(1863)
●元治元年(1864)
〔蜂須賀斉祐(なりひろ)、幕府の陸軍総裁に就任し海軍総裁も兼務。〕
3月−徳島藩士難波栄吉(のちの中島錫胤)は小室信夫らと等持院の足利3代の木彫の首をはねて京都・三条河原
にさらすが、捕らえられ、徳島城下の牢舎に投獄される。
6月26日−公武合体を推進する藩儒安芸恭雄(やすお)は、木像梟首事件への批判を背景に京都で刺客に襲われ客死。
蜂須賀家筆頭家老・稲田稙誠(たねしげ)は、稲田家が尊攘派志士を輩出していたことに対して朝廷から天杯(
てんぱい)を下賜される。
幕府から第1次長州征伐に出兵を命じられる。
〔江戸・長久館、八丁堀藩邸の引き上げにともなって閉校。〕