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●文化元年(1804)
●文化3年(1806)
●文化5年(1808)
●文化6年(1809)
●文化8年(1811)
●文化10年(1813)
●文化12年(1815)
●文化13年(1816)
●文政2年(1819)
●文政4年(1821)
●文政5年(1822)
●文政10年(1827)
●文政12年(1829)
藍玉生産高が30万俵と記録される。
6月−徳島藩が特産の藍玉について大坂に藍問屋をおき,通商を強化する。
伊能忠敬が幕命により阿波の測量に着手する。
2月29日−農政学者佐藤信淵(のぶひろ)が名東郡鮎喰(あくい)川原で大砲を試射する。
『阿淡孝子伝』編集される。
11月−探古室墨海(たんこしつぼっかい)撰・画「阿波名所図会」が刊行される。
徳島藩が大坂入津の阿波藍を蔵物とする。
藩撰の地誌『阿波志』(12巻)完成する。
7月5日−徳島藩が3年間囲籾(かこいもみ=非常用の貯蔵籾)を売り払って拝借銀の弁済にあてる。
5月−仁宇谷(鷲敷町)で、不当な割賦銀割当に反対して,農民2,300人が強訴する。(仁宇谷一揆)
6月−徳島藩領の農民が、庄屋の糧米不法取り集めに対し強訴を企てる。
7月12日−幕府が、伊予国別子銅山鉱毒が徳島藩領でも確認された件を検査し、
鉱滓処理法を指示する。
徳島藩、2年前の仁宇谷一揆に際し、一揆に不参加の者たちに対する村八分を咎めて一揆側村人16人を逮捕、打首、永牢、追放に処す。
徳島藩、新田開発の功績により伊澤亀三郎に小奉行格と三人扶持・7石を与える。
阿淡総人口56万5,618と記録される。
春−高田屋嘉兵衛、徳島藩士分取立てにつき、藩主に伺候。
6月−12代藩主斉昌(なりまさ)に世継ぎがなく、11代将軍家斉の22人目の子を養子(のち蜂須賀斉祐)に迎える。
白下糖(しろしたとう)の生産が20万斤に達する。
6月8日−徳島藩が、国産雁皮紙の他領への移出を禁止し、紙方へすべて納入するよう命じる。