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●寛延2年(1749)
●寛延3年(1750)
●宝暦4年(1754)
●宝暦6年(1756)
●宝暦9年(1759)
●宝暦11年(1761)
12月25日-徳島藩が江戸詰め藩士の高利の借金を返済させるため低利で金を立て替える。
公儀より日光御手伝普請を命じられ出費が増大する。
蜂須賀重喜(しげよし)が秋田藩佐竹家の分家から養子に迎えられ、10代藩主となる。
11月16日−徳島藩の藍統制に反対する、名西(みょうざい)郡高原村(石井町)の農民が一揆を企てるが、
未然に弾圧されて高原村の常右衛門ら4人が磔刑となる。藍玉一揆(五社宮騒動)。
新藩主・重喜が、旧例や家格に捉われない「役席役高制」導入を明らかにする。
重喜が、藍の専売制と緊縮財政を柱に「宝暦・明和の改革」を実施する。