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●天保2年(1831)
●天保7年(1836)
●天保8年(1837)
●天保11年(1840)
●天保12年(1841)
●天保13年(1842)
●天保14年(1843)
徳島藩測量方の岡崎三蔵ら、約30年を費やして阿波国全土の測量を行ない「阿波国図」を完成。
この数年凶作に悩まされていた北方上郡(かみごおり)では4月から8月まで雨天が続き、困窮を極める。
大塩平八郎の乱により、平八郎の縁者がいるとの理由で、阿波に対する詮議がきびしくなる。
藩中老蜂須賀一角(いちがく=10代藩主の子、直孝)が禁足令を破り盆踊りに繰り出したため改易の処分を
受ける。
12月14日−徳島藩領三好郡山城谷村(山城町)の農民631人が、今治藩領伊予国宇摩郡上山村(愛媛県新宮村)
に逃散する。山城谷村農民は今治藩の後ろ盾もあって、18日帰村。徳島藩より煙草への課税軽減とその
流通税が撤廃される。[煙草騒動]
三好郡から上郡一揆がおこり美馬・阿波郡に波及。
蜂須賀斉祐(なりひろ)、13代藩主となる。