天明・寛政・享和リンク⇒ | 東北 | 関八州・江戸 | 東海・北陸・甲信 | 近畿 | 中国 | 四国 | 九州 | 洋上 | 前ページへ |
●天明元年(1779)
●天明2年(1780)
●天明6年(1786)
●天明7年(1787)
●寛政3年(1791)
●寛政5年(1793)
●寛政7年(1795)
●寛政12年(1800)
●享和元年(1801)
●享和3年(1803)
板野郡下庄(しものしょう)村(板野町)の犬伏久助(いぬぶしきゅうすけ=藍久さん)
がすくも(藍の葉からつくる染料)の製法を改良する。
塩深村の農民が土佐藩領へ逃散。
秋−中国や瀬戸内の各地が暴風雨に襲われ、凶作となる。
阿波全域が凶作で農民苦しむ。
伊澤村(阿波町)の亀三郎が吉野川河口域の湿地を開発する。(鴻池新田、後、住吉新田)
4月−徳島藩が城下・塀裏に学問所(後、寺島学問所)を創設し庶民の入学も許す。
板野郡引野村の丸山徳弥が製糖法を学ぶため日向へ赴く。
4月−紀州の心学講舎・修敬舎の上田唯今(いこん)が初めて徳島城下で心学道話を行い、その後も庶民教化を続ける。
7月19日−徳島藩が医師学問所を設置する。
徳島藩が郡代制度を全領で確立。
10月20日−前藩主・蜂須賀重喜、富田屋敷にて死去(64歳)。治昭が襲封。
11月5日−徳島藩領の海部郡浅川村・牟岐(むぎ)浦の農民が、海部郡代の苛政により土佐甲浦(かんのうら)へ
逃散、土佐藩へ非法を訴える。
7月−元海部郡代・佐和滝三郎、百姓逃散の咎により入牢を申付けられる。
8月−徳島藩が藍玉の関束売場株36軒を定める。