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●寛永元年(1624)
●寛永10年(1633)
●寛永14年(1637)
●寛永15年(1638)
●寛永16年(1639)
8月11日−将軍家光の弟忠長が甲斐のほかに駿河・遠江でも加増され,駿府藩主となる。
青山幸成、掛川2万6000石を領す。
●寛永12年(1635)
6月13日−暴風雨のため,伊豆・遠江で死者5000人・船800隻破損の被害が出る。
7月−青山幸成、掛川から摂津国尼崎5万石に移封。松平忠重、掛川に移り、4万石。
この年、全国でキリシタンでないことを証明する寺請制度が広がる。
3月−幕府が東海道で道中助馬の制を定める(助郷の先駆け)。
4月−浜松藩主高力忠房、肥前島原4万石に転封。松平(大給)乗寿、美濃岩村より浜松に移り、
3万6700石を領す。
11月2日−諸宿の伝馬が100頭に改定される。
3月−掛川藩主松平忠倶、信濃飯山4万石に転封。本多忠義、播磨姫路より掛川に移り、7万石。