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●延享元年(1744)
●延享4年(1747)
●宝暦元年(1751)
●宝暦4年(1754)
●宝暦5年(1755)
●宝暦6年(1756)
●宝暦7年(1757)
●宝暦8年(1758)
4月13日−将軍吉宗が郡上藩主金森頼錦(よりかね)に居城の尺度の測量を命じる。
7月−大垣藩が11月までに藩士177名を召し放つ。
郡上藩領の庄屋らが,加役撤廃・年貢軽減を要求して,江戸の藩邸へ出訴する。
8月10日−郡上八幡領農民1000人が、新徴税法(有毛検見法)阻止のため強訴。在国三家老が善処を約して解散させる。
以降,宝暦8年まで藩との抗争がつづく(郡上藩宝暦騒動)。
翌年春に朝鮮使節(洪啓禧[こうけいき])が往来するため、墨俣(すのまた)に舟橋がかけられる。
2月4日−加納藩主安藤信尹(のぶただ)が,家中の乱れにより1万5,000石減封され隠居させられる。
5月22日−薩摩藩の木曽川治水工事が完成,幕府役人による検分がこの日までに終わる。
7月−幕府・美濃郡代青木次郎九郎、郡上藩領庄屋に新徴税法の承服を強要、請印をとる。
11月26日−〔郡上藩領の農民代表が江戸に出て老中酒井忠寿へ駕籠訴。村預けとなる。〕
9月−郡上藩主金森頼錦、翌7年2月にかけて訴人農民の入牢者をすべて釈放する。
12月18日−気良(けら=現明方村気良)村の甚助を一揆の首謀者として斬首。
2月4日−郡上藩領の農民がふたたび一揆をおこし、藩側と乱闘になる。(歩岐島騒動)
12月25日−郡上藩主金森頼錦が苛政の罪で改易、奥州南部藩へ永預けとなる。かわって丹後国宮津から青山幸道が移封。