1904年 |
日本 |
ロシア |
01.23 |
大韓、日露戦争に対し、中立を声明。
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02.05 |
開戦の詔勅
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02.09 |
旅順港外の戦い
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02.12 |
清、日露戦争に対し、中立を声明。 |
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02.23 |
第一回旅順港閉塞 失敗
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02.26 |
第二回旅順港閉塞 失敗
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05.26 |
日本、金州・南山要塞攻撃し、占領。
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05.02
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バルチック艦隊の極東遠征決定。 |
08.08
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黄海海戦;逃げようとする
ロシア艦隊に日本が攻撃、ロシア司令官が戦死し、指揮系統が混乱し敗走。一部が旅順に逃げ込んだ。
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08.14
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蔚山沖の海戦
;日本、ウラジオスック艦隊を殲滅。
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08.30
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日本は遼陽会戦でロシアに勝利。
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10.08
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沙河会戦;増強して南下したロシア軍に対し、日本軍は積極的に攻め勝利。
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10.21 |
ドッガー・バンク事件;バルチック艦隊、ドッガー・バンクでイギリス漁船を砲撃。 |
12.05
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203高地を占領。旅順艦隊を撃沈。
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1905年 |
日本 |
ロシア |
01.25
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黒溝台会戦;冬営中の満州日本軍に対してロシア軍が攻撃
したが、ロシア軍の連携が悪く、日本は持ちこたえた。
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01.01
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旅順司令官ステッセル、乃木大将に降伏。
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02.19
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奉天会戦;ロシア軍35万、日本軍25万が激突した世紀の大会戦となった。
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01.22 |
ロシアで「血の日曜日事件」発生。 |
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03.05
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ロシアは強大な戦略を持ちながら奉天から撤退。
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04.10 |
バルチック艦隊は南ベトナムのカムラン湾(フランス領)に入る。04.22フランスの要請によりカムラン湾を退去。 |
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05.09 |
ヴァン・フォン湾でネボガトフ率いる第三太平洋艦隊がバルチック艦隊(第二太平洋艦隊)に合流。総数50隻、16万200トン。うち戦艦8隻。日本の戦艦は4隻。 |
05.18 |
鎮海湾の東郷平八郎はバルチック艦隊、ヴァン・フォン湾を出航したことを知る。 |
05.14 |
バルチック艦隊、ヴァン・フォン湾を出航。 |
05.27 |
13:39三笠、バルチック艦隊を発見し、14:00敵との距離8千メートルになったとき、東郷が敵前回頭を命じる。16:40霧と暮色のため、ロシア艦隊を見失うが、水雷艇により夜襲。。 |
05.27 |
15:10ロシア第二艦隊旗艦オスラビーア沈没。17:30負傷した司令官ロジェストウェンスキーは駆逐艦ブイヌイに収容される。19:00すぎ、旗艦スワロフ沈没。 |
05.28 |
全艦隊は鬱陵島に集結。
日本海海戦におけるロシアの戦死者約5千人、捕虜約6千百人。日本は戦死者は百数十人。
日本の損害は水雷艇3隻が沈没。この歴史上の勝利に対して、信じられない、誤報である、日本は損害を隠蔽している、などと報じられたほどであった。 |
05.28 |
ルチック艦隊は全滅。撃沈されたのは戦艦6、巡洋艦4、海防艦1、駆逐艦4、仮装巡洋艦1、特務艦3。捕獲されたのは、戦艦2、海防艦2、駆逐艦1、病院船2。脱走中に沈んだもの巡洋艦1、駆逐艦1。他の6隻はマニラや上海などの中立国の港に逃げ込んで武装解除された。遁走に成功したのは小巡洋艦1、駆逐艦2、運送船1のみ。 |
06.06
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06.06 |
アメリカ駐露大使マイヤー、ルーズベルト大統領の命により、ロシア皇帝ニコライ2世に調停提案。 |
08.10
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米国ポーツマスで日露交渉。
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09.05
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日露講和条約調印。日比谷で講和反対国民大会、政府系新聞、交番など焼討ち。東京府下に戒厳令。
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09.05 |
日露講和条約調印 |
09.11
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三笠 佐世保港内で火薬庫火災により自爆、沈没。
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09.13
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陸軍休戦地域協定
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09.18
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海軍休戦地域協定
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10.14
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講和条約批准。
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1906年 |
日本 |
ロシア |
03.19 |
英米、満州の門戸解放、機会均等を要求。 |
05.05 |
ウィッテ首相を罷免(1905.11〜)
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05.06 |
帝国基本法を発布(ツァーリの至上権を規定)
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05.10 |
第一回国会(ドォーマ)開会。
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07.20 |
支配下のフィンランドで新憲法制定。
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11.26 |
南満州鉄道(株)設立(総裁;後藤新平) |
11.22 |
ストルイピン首相の土地改革;農民の共同体(ミール)離脱と土地私有化を承認。
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1907年 |
日本 |
ロシア |
04.19 |
元帥府会議;帝国国防方針(八・八艦隊構想)を決議
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03.05 |
第二回国会(ドォーマ)開会。 |
06.25 |
ハーグ密使事件;大韓皇帝、ハーグ平和会議に密使を派遣し、日本の侵略を訴える。伊藤博文統監、責任を追及し、高宗を退位させる。
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06.16 |
6月16日クーデター;保守派に有利な選挙法制定
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07.24 |
第三次日韓協約調印;内政指導、軍隊解散。
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07.30 |
第一回日露協約;東北中国の勢力範囲分割に関する協約。
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07.28 |
日露通商航海条約。 07.30日露協約。
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08.31 |
英露協商調印;ペルシア、アフガニスタン、チベットにおける勢力範囲を設定。
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1908年 |
日本 |
ロシア |
04.10 |
ロシアと樺太国境画定書調印。
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03.03 |
オーストリアのバルカン進出に対抗し、ドナウ・アドリア海間鉄道計画を発表。 |
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09.16 |
ロシア、オーストリアのボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合を承認。オーストリアはダーダネルス・ボスフォラス海峡のロシア軍艦通過を認める。 |
1909年 |
日本 |
ロシア |
09.01 |
韓国全羅道の民族運動を弾圧。
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10.24 |
イタリアと協定;バルカンの現状維持とロシアのダーダネルス・ボスフォラス海峡進出、伊の北アフリカ進出を相互承認。
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09.04 |
日清間に東三省5案協約・間島協定成立
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09.29 |
日本、韓国に中央銀行としての韓国銀行設立。
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10.26 |
ハルピン駅で伊藤博文暗殺される。
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1910年 |
日本 |
ロシア |
07.04 |
第二回日露協約調印。 |
06.30 |
ロシア、フィンランドの自治を終わらせる。 |
08.22 |
日韓条約調印;韓国を併合。 |
11.04 |
独露皇帝ポツダムで会談;中近東問題で合意。 |
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