Title9-3.GIF (2758 バイト) 日ソ戦争関連年表             


 日清・日露戦争地図 日清戦争関連年表 日露戦争関連年表 日露戦争の経緯 日露戦争時の海軍 日露戦争時の陸軍 日露戦争の背景 

ホーム  テーマ史TOP クロニクル「日清・日露戦争」へ  海戦の歴史

日ソ戦争 関連年表 

 

日本 ソ連・他
1941年  04.13 日ソ中立条約締結  1941年  06.22 ドイツ軍、ソ連に侵攻(独ソ戦勃発)
 12.08 日本軍、ハワイ真珠湾を攻撃(太平洋戦争勃発) 
1943年  03.27 南樺太を内地に編入 1943年  05.12 ルーズベルト大統領はチャーチル英首相との会談で、対日戦では、中国への支援よりソ連の参戦が絶大な効果がある、と述べた。
       05.21 スターリンがコムソモリスク・ナ・アムーレからソヴィエツカヤ・ガヴァニまでの全長475Kmの鉄道敷設を命じる。
       8月米統合参謀本部報告書「ロシアはいずれ対日戦に介入する可能性が高いが、ドイツの脅威が取り除かれるまではそうしない。その後は、己の利益を考えて決断し、わずかな犠牲で日本が負けると思ったときにだけ介入する」
 05.30 大本営がアッツ島玉砕を発表。  11.28 スターリン、テヘラン会談で、ドイツ降伏後の対日参戦を米英首脳に伝達。米英をドイツ戦に集中させようとした。
   06.19 大本営政府連絡会議、北樺太石油利権をソ連に有償譲渡を決定。  12.01 日本の無条件降伏と、満州・台湾・澎湖島の中国への返還、朝鮮の自由と独立に言及した「カイロ宣言」
 1944年  07.22 東條英機内閣総辞職。 1944年  10.17 スターリン、満州における作戦計画を米英に伝える。
 1945年   1945年   02.09 チャーチルは日本に対する米英中ソ共同の無条件降伏声明を提案したが、ルーズベルト大統領は、全土が徹底的に空爆されなければ日本は目覚めない、と応じず。
   04.01 米軍が沖縄本島に上陸。    02.11 米英ソ首脳、ヤルタ秘密協定に調印。ドイツ降伏の2,3か月後にソ連は対日参戦を約束。スターリンの見返り要求である旅順・大連の租借は却下され中国の主権は守られたが、南樺太と千島列島に対するソ連の要求は受け入れられた。
   04.05 小磯国昭内閣が総辞職。
 04.07 鈴木貫太郎内閣が成立。
 04.05 ソ連は日本に翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。
   04.12 ルーズベルト大統領死去。トルーマンが大統領就任。
   04.22 トルーマン大統領、ソ連のモロトフ外務人民委員にヤルタ協定の合意履行を約束。しかし、翌日には、ソ連への不信感からヤルタ協定を破るなら、関係国を拘束しない、と発言。米軍は日本上陸の際の兵士の犠牲を減らすためにソ連の参戦を必要としていた。
 06.22 昭和天皇、御前会議で「戦争の集結」の具体的研究を求める。  05.07 ドイツが無条件降伏(ソ連に対しては05.09無条件降伏)。ヤルタ秘密協定では、ドイツ降伏後2、3か月以内の参戦と定めていたたため、期限は8月9日。
   06.23 沖縄で日本軍の組織的抵抗終わる。    06.18 トルーマンと軍の代表、九州への上陸を11月1日と決めた。
   07.13 佐藤駐ソ大使が特使の派遣希望と昭和天皇の「聖旨」をソ連側に伝達。    07.16 米、原爆実験成功。トルーマンはソ連の参戦に消極的になる。マーシャル米統合参謀総長は、それでもソ連参戦の希望。
       07.24 ポツダムでトルーマンはスターリンに原爆実験成功を伝えたが、スターリンは関心を示さず。知っていた可能性も。モロトフ外務人民委員がトルーマン大統領に、米英がソ連に対して参戦要請を出すことを提案したが、トルーマンは拒否。
   07.26 米英中が日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言を発表。米はソ連に相談せずに宣言を発表。すでに米ソの対立が始まっていた。スターリンは8月15日対日参戦と表明。日本が黙殺したことにより、日本の降伏前にソ連は参戦することができた。米英に不信感を持ったスターリンは、参戦準備を急がせるよう指示。
   07.28 鈴木首相がポツダム宣言を「ただ黙殺するのみ」と表明。    07.26 米ソ参謀長会議;作戦の担当区域を決める。朝鮮北東部の舞水端(ムスタン)から北緯40度東経135度を経て、樺太南端の近藤岬と北海道の宗谷岬を結ぶ線を日本海における米ソの海軍と空軍の作戦の境界線とした。(米軍は、満州、朝鮮北東部、南樺太、千島列島はソ連軍に任せる)
   08.06 米軍、広島に原子爆弾を投下。    ■■■ P20 ■■■
   08.09 米軍、長崎に原子爆弾を投下。    08.08 モロトフ外務人民委員、対日宣戦布告を佐藤駐ソ大使に通告。アントーノフ参謀総長から極東総司令官ヴァシレフスキーに越境命令。
 08.09ソ連軍が満州への侵攻を開始。関東軍が応戦。
 08.10 一度目の御聖断;「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾を各国へ通知。
阿南陸相、ラジオで「神州護持の聖戦を戦い抜かんのみ」と訓示。
   08.11 ソ連軍、南樺太へ侵攻を開始。第88師団が応戦。    08.11 モロトフ外務人民委員、攻勢継続を米英の駐ソ大使に通告。
 08.12 満州北東部の麻山で開拓民が戦闘に巻き込まれ多数死亡。(麻山事件)    
   08.13 ソ連軍、朝鮮北東部の清津に上陸。    08.13 国家防衛委員会がソ連領内にいる捕虜70万8,000人の送還を決定。
   08.14 2度目の御聖断。ポツダム宣言の受諾を各国へ通知。
開拓民約1,000人がソ連軍戦車に襲撃され、戦死または自決(葛根廟事件)。
   08.14 ソ連と重慶国民政府が中ソ友好同盟条約を締結。。
   08.15 「終戦の詔書」放送される(玉音放送)。鈴木貫太郎内閣が総辞職。
 大本営陸軍部・海軍部が各軍に積極侵攻作戦の中止を命じる。ただし大陸命は「現任務を続行すべし」。
   08.15 米軍が戦闘行動を停止。
   08.16 大本営陸軍部・海軍部が即時戦闘停止を命令。ただし、「止むを得ざる自衛の為の戦闘行動は之を妨げず」    08.16 トルーマン宛書簡で、スターリンが北海道の北半分をソ連軍が占領することを提案(翌日、トルーマンが拒否)。
 ベリヤ内務人民委員らが、日本軍捕虜をソ連領内へ移送しないようヴァシレフスキー極東ソ連軍総司令官へ指示。
   08.17 東久邇宮内閣成立。    
   08.18 ソ連軍が占守島を奇襲。第91師団が応戦(08.19停戦)。    08.18 ソ連軍最高司令部が停戦を命じる。
   08.19 沿海地方のジャリコーヴォで関東軍と極東ソ連軍が停戦に合意。    08.19 満州国元皇帝、愛新覚羅溥儀がソ連軍に拘束される。
ソ連軍の先遣隊が新京に入城。
   08.20 ソ連軍が南樺太の真岡を占領。    
   08.22 南樺太で日本軍とソ連軍が停戦(知取協定)。
 早朝に「三船遭難事件」、午後に豊原空襲。
   08.22 スターリン、北海道の占領作戦は待機と命じる。
 ヴァシレフスキー極東ソ連軍総司令官、日本軍の将校と将軍を「スメルシ」に引き渡すよう指令。
       08.23 スターリン、日本軍の将兵50万人をソ連領内へ移送するよう命じる。
       08.26 ソ連軍、満州で虎頭要塞を陥落させる。
       08.27 イヴァノフ極東ソ連軍参謀長が北海道への部隊の接近を禁止。
       08.28 連合国最高司令官(GHQ)が横浜に設置。
   09.02 日本政府と軍の代表が降伏文書に調印。    08.30 連合国最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着。
   09.05 関東軍総司令部の幕領がハバロフスクに連行される。
   09.07 ソ連軍、歯舞群島で日本軍の武装解除を完了。
        09.17 ソ連軍、北緯38度線以北の朝鮮半島の占領を完了・

 このページTOPへ ホーム  テーマ史TOP クロニクル「日清・日露戦争」へ 海戦の歴史

資料  『日ソ戦争』(中央公論新社)麻田 雅文 *1