日本海海戦 勝利の要素 |
一斉砲撃 |
砲術長の指揮により、距離を決め、各艦の砲が一斉に射撃される。「一艦の照尺の統一」として採用されたロシア艦は、各砲が個別に射撃する。これでは着弾点に多くの水柱があがり、どれが自分の撃ったものがわからず、その後の修正がしづらい。日本はまず一つの砲を撃ち、その着弾点を確認してからすべての砲が一斉に火を吹く。このため命中率が高まり、それも一発があたるのではなく、砲撃が雨のようにあたったという。また、鎮海湾でバルチック艦隊を待っている間に“狂ったように”射撃の訓練をし、命中率を上げたという。
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装甲巡洋艦 |
日本の海軍は山本権兵衛が作ったが、巡洋艦を多く作った。防御力の弱い巡洋艦は主力決戦としては評価されておらず、遊撃向きであり、戦艦と同数の巡洋艦を建造していることについて、イギリスからは不合理である旨の忠告までされている。しかし、実際に巡洋艦が威力を発揮し、やがて世界中の海軍が有力な主砲をもつ装甲巡洋艦を開発することとなる。
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戦艦三笠 |
日本の4隻の戦艦のうち三笠、敷島、朝日は15,000トンクラスの巨艦であった。ロシアの戦艦は8隻であるが、旗艦スワロフ以下4隻の戦艦は13,000トンクラスながら、三笠よりも新しかった。しかし、全体としてはロシアは老朽艦を引き連れており、その分艦隊全体の速力はかなり遅かった。
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戦艦と砲門 |
ロシア側は戦艦の数と9インチ以上の巨砲において優位であり、日本は巡洋艦の数と8インチ以下の速射砲において優位となっている。
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指揮 |
東郷は第三艦隊にバルチック艦隊を誘導させ、常に哨戒させて進路を確認し、沖ノ島の狭い海域でかつ風上にたって敵を迎えた。風が強い日であり、風上の方が断然砲弾の命中率は高くなる。これに対してバルチック艦隊は戦術運動すら訓練が未熟であり、司令官が思うようには戦隊が整わなかった。当時、戦隊を思うように動かせるのは世界の海軍の中でも、イギリスと日本くらいであったかもしれない。また、進路確認のためには第四駆逐隊の司令官鈴木貫太郎中佐(のち太平洋戦争終結時の首相)は、危険を冒して敵前を横切って正確を期したりした。
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戦術 |
日本は弱者の特権として、ひたすら考えた。日本海海戦でも、秋山真之の「七段構えの戦法」や初戦で東郷や命じた「敵前回頭」により、敵の先頭を抑圧する「T字戦法」などによって敵の先頭艦への砲撃を集中させた。
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下瀬火薬 |
日本の砲弾は下瀬火薬が使われており、火力が強いが、敏感な伊集院信管とともに使われた。装甲を貫く徹甲弾ではなく、艦上で炸裂し、高熱で鉄をも燃え上がらせ、敵艦の戦闘力を著しく減じることとなった。日本はこれだけを使ったのではなく、7〜8千メートルの長距離からの徹甲弾では敵の装甲を貫通させることが困難であり、3千メートル以内の近距離になった段階で徹甲弾を使った。ロシアはこのようなことを考えていなかった。
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無線機 |
ロシアの無線機はよく故障したということもあるが、ロジェストウェンスキーはその保守性からも無線機を信用せず、信号旗によって命令を伝達した。(しかしそれは十分とはいえなかったが)一方、東郷は無線機を重視した。
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