神 宮 寺 |
創 建 |
創 建 年 代 |
備 考 |
備後三谷寺
→備後寺町廃寺 |
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斉明天皇7年(661)の誓願 |
「日本霊異記」上巻・第七話
斉明天皇七年八月の頃、百済救援を名目に出兵した倭国軍に参加した備後国三谷郡の郡司(大領)の先祖が、「若し平に還へり来らば、諸神祗の為に伽藍を造立せむ」と誓願し
、出兵する。大領は何事もなく百済の禅師弘済と共に無事帰国し、弘済が中心になって三谷寺を造立する。
即ち、三谷寺は郡(評)による諸神祗のための仏寺であることがはっきり示されている。三谷寺がもっとも古い神宮寺とされる所以である。
○現在では備後寺町廃寺が三谷寺跡と比定されている。 |
越前気比神宮寺
→越前気比神宮寺 |
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霊亀元年(715) |
「藤原氏家伝」下「武智麻呂伝」:霊亀元年建立
霊亀元年近江守であった藤原武智麻呂に気比神の託宣があって気比神宮寺が誕する。(神身離脱の託宣)
「太政官符(天元5年<982>)」:造気比太神宮寺一院事、講堂一宇・南金堂一宇・北金堂一宇・南三重檜皮葺 塔一基(高6丈6尺)・北三重檜皮葺 塔一基(高6丈6尺)・中門一宇 |
若狭若狭比古神願寺
→若狭神宮寺 |
赤麿 |
養老年中(717-724) |
「類聚国史」巻180、天長6年3月乙未条
養老年間若狭比古神の託宣によって神宮寺ができる。(神身離脱の託宣) |
丹波与能神宮寺
→丹波与能神宮寺 |
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奈良期あるいは白鳳期 |
神宮寺跡から白鳳あるいは奈良期の瓦が出土、古代の心礎・礎石も現存、但し古代瓦・心礎などと与能神社・その神宮寺との関係を証明するものは何も無いのが現状と思われる。 |
豊前宇佐神宮寺(宇佐弥勒寺)
→宇佐神宮寺 |
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神亀2年(725) |
「宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起」「八幡宇佐宮御託宣集」巻5・巻6 |
肥前松浦神宮弥勒知識寺 |
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天平17年(745) |
「類聚三代格」巻3 |
常陸鹿島神宮寺
→鹿島神宮寺 |
満願 |
天平勝宝年中(749-57) |
「類聚三代格」巻2 |
摂津住吉神宮寺
→摂津住吉神宮寺 |
円仁 |
天平宝宇2年(758) |
「住吉松葉大記」巻10・勘文部、「古今著聞集」巻1・神祇第5条 |
伊勢多度神宮寺 |
満願 |
天平宝宇7年(763) |
「多度神宮寺伽藍縁起并資材帳」
:満願禅師の建立、
天平宝字7年多度神の託宣によって多度神宮寺が出現する。(神身離脱の託宣)
その後美濃国県主新麿が三重塔建立、さらに興福寺賢mにより三重塔一期造立
「多度神宮寺伽藍縁起并資材帳」
※興福寺賢mは大和室生寺開山と云う。(「「宀一山年分度奏状」」) |
伊勢大神宮寺 |
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天平神護2年(766)頃 |
「続日本紀」:文武天皇2年の「大神宮寺」記事は誤記とされる。
天平神護二年七月二十二日の条:「使を遣わして、丈六の仏像を伊勢大神宮寺に遣らしむ」
「太神宮諸雑事記」:「逢鹿瀬寺永可為大神宮寺」
2009/08/15追加:
伊勢神宮寺釈迦如来立像:瀬戸田耕三寺が所蔵する、流転の経緯などは不明、木造釈迦如来立像(重文)
、平安初期の作と推定。カヤの一木造、像高135cm。 |
豊前八幡比売神宮寺 |
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天平景雲元年(767) |
「続日本紀」:「始めて八幡比売神宮寺を造る」
宇佐公池守が御許山山麓に建立した中津尾寺(観音寺・後身は宮佐古山栄興寺)のことか?。宇佐宮迫坊跡の更に奥が中津尾寺跡と想定される。 |
越前劔御子寺
→越前劔御子寺 |
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神護景雲4年(770)以前 |
劔大明神(劔神社)社蔵梵鐘(国宝)銘:
劔御子寺鐘神護景雲四年九月十一日
「新抄格勅符抄」:「天平神護元年(765)劔御子神■神封十戸」とある。 |
筑後高良神宮寺(弥勒寺)
→高良山高隆寺 |
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奈良期後半 |
「高良縁起」 |
近江陀我大神(御上)神宮寺 |
恵勝 |
宝亀年中(770-80) |
「日本霊異記」下・第24縁 |
下野ニ荒山神宮寺(中禅寺)
→日光山 |
勝道 |
延暦3年(784) |
「沙門勝道歴山水瑩玄珠碑」(「遍照発揮性霊集」巻2所収) |
近江日吉神宮寺
→比叡山山王権現 |
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延暦4年(785) |
「叡山大師伝」 |
大和三輪神宮寺
→大和大御輪寺 |
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延暦7年(788)以前 |
「延暦僧録」第2・沙門釈浄三菩薩伝、「今昔物語集」巻2・第41話 |
山城高尾神願寺(神護寺)
→山城神護寺 |
和気清麿 |
延暦年中(782-808」 |
「類聚三代格」巻2 |
豊前賀春神宮寺(法華院)
参考;→豊前天台寺跡 |
伝教大師 |
延暦年中(782-808」 |
「続日本紀」、「叡山大師伝」
「傳教大師傳」:(弘仁)五年春爲遂渡海願向筑紫國。於八幡宇佐神宮寺自講法華經。乃託宣云。我不聞法音久歴歳年。幸値和尚得正教。自開齋殿手フ紫袈裟紫衣各一枚奉止和尚。其法衣今在山院。又於豐前國賀春神宮寺。自護法華經。于時有紫雲瑞矣。
(近世には「賀春」は「香春」に転化するとされる。)
香春岳東麓に「天台宗賀春山神宮院」が現存するも、詳細は不明。 |
筑前竈門山寺(大山寺)
→筑前竈門山寺 |
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延暦22年(803) |
「叡山大師伝」 |
山城賀茂神宮寺
※賀茂神宮寺 |
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天長年中(824-34) |
「続日本後紀」 |
尾張熱田神宮寺
※熱田神宮寺 |
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承和14年(847)以前 |
「熱田神宮文書」 |
能登気多神宮寺 |
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斉衡2年(855)以前 |
「日本文徳天皇実録」
※能登柳田シャコデ廃寺が気多神宮寺の可能性が高いとされる。
※近世は正覚院・長福院・地蔵院・薬師院などの存在が知られるも、明治の神仏分離で退転、正覚院のみ残存する。 |
近江奥嶋神宮寺 |
元興寺賢和 |
貞観7年(865) |
「日本三代実録」:蒲生郡(現在は近江八幡市北津田町)
※近江阿弥陀寺 |
大和石上神宮寺 |
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貞観8年(866) |
「日本三代実録」 |
山城石清水八幡宮寺(護国寺)
→石清水八幡宮寺 |
行教 |
貞観年中(859-877) |
「石清水八幡宮護国寺略記」、「石清水八幡宮末社記」
↓
石清水八幡宮護国寺略記1:重文、鎌倉期。
貞観5年行教が記した原本を寛喜4年(1232)世尊寺行能が筆写したものである。
石清水八幡宮護国寺略記2:上記略記1の続きである。 |
出羽国神宮寺 |
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仁和元年(885) |
「日本三代実録」 |
和泉大鳥神宮寺
→大鳥山神鳳寺 |
行基 |
和銅元年(708) |
「行基年譜」:和銅元年行基41歳の時建立
「行基菩薩縁起絵詞」:大宝2年(702)以降、行基35歳の頃建立、「号神宮寺、今神鳳寺是也」 |
山城愛宕神宮寺 |
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伊予神門山神宮寺 |
行信 |
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「本朝高僧伝」 |
山城神雄寺
→山城神雄寺 |
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近年出土する。 |
和泉神於寺 |
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岸和田市神於 |