上瀧氏交流掲示板
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[58] こうたきです 投稿者:こうたき 投稿日:2003/04/25(Fri) 22:59  

はじめまして。
上瀧(こうたき)宮崎市在住です。
僕の父は、佐賀県生まれです、そしてこのサイトの事を話すと
祖父は福岡生まれだったそうです。

話は変わりますが、僕の会社の同期に龍造寺がいます



[57] お久しぶりです。 投稿者:「ぷて」改め「落葉 剛」 投稿日:2003/04/24(Thu) 14:53  

どうもお久しぶりです。おそらくは三年ぶりです。

一浪したものの何とか受かったのが佐賀大理工学部物理科。
ということでいろいろ調査ができると思います。
(そして何よりも暇)
早速、「上滝空蝉翁彰徳碑」を見に行ってこようと思います。

あと、「上瀧泰嗣(佐賀市在住)さんという方がおられるようです」と〔42〕の記事がありましたが、佐賀大の教授です。
しかも、教養科目でそのうち授業が受けられるかもしれません。
さらに上滝氏はほかにいなかったけど百武氏が数名いました(全員学生)。
佐賀城跡付近には古いお墓も多いので「両弾二島」のお墓が探したら
あるかもしれません。が、どうでしょう?

それでは。


[56] 気長に・・・ 投稿者:上瀧裕二 投稿日:2003/04/12(Sat) 13:37  

 年度末から仕事に追われなかなか、ルーツ探索ができない状態ですが、気長にやろうと思っています。
 私の住まいは長崎県の佐世保市というところですが、佐賀県小城郡牛津町という所にルーツがあるようなうなので、季節も良くなってきたので、そろそろ訪れてみたいですね。


[55] お久しぶりです。 投稿者:Taiki 投稿日:2003/04/07(Mon) 21:32  

名字の検索の方は順調に進んでますか?これからは季節も変わり暖かくなるのでいろいろ調べるのはもってこいの季節ですよね、お互い頑張りましょう。

http://www9.ocn.ne.jp/~t-sanaba/newpage1.htm


[54] 遅くなりました 投稿者:管理人@太郎 投稿日:2003/02/19(Wed) 01:24  

皆様、お返事が遅くなりまして失礼しました。(^^;

上瀧裕二さんへ
おお!「佐賀の戦国人名志増補改訂版」ですか!
しかし、若干嫌な予感も…。(江戸人名志の時の様な)
佐賀に行った時にでも、本屋を覗いてみようかな。
情報感謝です。(^^)

Taikiさんへ
ご訪問頂き、ありがとうございます。
こちらこそお世話になると思いますが、宜しくお願い致します。
肥前の熊ということはマモルさんのHPですね。
マモルさんとは私も親しくさせて頂いています。というか私の師匠みたいな方です。(^^)
しかし、Taikiさんの言われる通り上瀧氏調べは難しいです。
正直な所、佐嘉の龍造寺家という戦国大名の中ではあまり知られていない大名家の
藤津衆というマイナーな集団、その中でさらにマイナーな武将を調べているんですから。(^^;
やはり情報が少なすぎますね。ほんと、皆様が頼りです。m(_ _)m
それと「かみだき」の読みですが、初めて聞きました。新情報ですね。
ありがとうございます。(^^)

上瀧 一輔さんへ
はじめまして。(^^)
千葉の浦安…ディズニーランドですね!!
(それしか知らない田舎者です)

>先月、次男が産まれまして名前を考える為に、ネットを検索していた所
おめでとうございます。(^^)
よい名前は決まりましたでしょうか?
しかし、細々とやってきたこのサイトが検索していて見つかるなんて…。(ちょっと感動)

>今まで「じょうたき」って珍しい苗字だな〜と感じていましたが、ここまで深く調べようと思った事も無く、
>病院や銀行で「かみたき」とか「うえたき」とか呼ばれつつ「またかよ〜」と思いながらも返事をしている毎日です。
皆さん、同じ経験されてますね。その気持ち良く分かります。(^^;

>現在は千葉県に住んでいますが、出生は母親の実家である長崎県諌早市です。
>上瀧妙である父親は佐賀県藤津郡塩田町です。九州にユカリある苗字だと聞いていましたが、佐賀県だったんですね。
はい、佐賀です。(笑)
一輔さんのお父様は塩田町なんですか。いいですね。上瀧志摩守の領地があった地ですから。(五町田)
お母様の御実家は長崎県諫早市。(むむ!諫早といえば!…干拓事業め。アサリが本当に激減しとるぞ)
ちょっと話逸れましたが…お話を聞くと塩田の方は「じょうたき」さんが居られるんですね。う〜ん。(考え中)
「うわたき」や「わたき」読みの方々が塩田に限らず、全体的に少ないのはやっぱりちょっと疑問ですね。
逆になぜ「じょうたき」は多くなったのか…。(- -;)
やはり江戸時代の立場的(地位的)なものが関係してくるのかな。また宿題が増えました。
それでは今後とも宜しくお願いします。


[53] 千葉の じょうたき かずすけ です! 投稿者:上瀧 一輔 投稿日:2003/02/12(Wed) 20:11  

はじめまして。
千葉県浦安市に住んでます、じょうたき かずすけ です。
よろしくお願い致します。先月、次男が産まれまして名前を
考える為に、ネットを検索していた所、コチラのサイトを
見付けました。
今まで「じょうたき」って珍しい苗字だな〜と感じていましたが、ここまで深く調べようと思った事も無く、病院や銀行
で「かみたき」とか「うえたき」とか呼ばれつつ「またかよ〜」と思いながらも返事をしている毎日です。
現在は千葉県に住んでいますが、出生は母親の実家である
長崎県諌早市です。上瀧妙である父親は佐賀県藤津郡塩田町です。九州にユカリある苗字だと聞いていましたが、佐賀県だったんですね。親戚ともども、家系にはあまり興味が無い様で、私自身、祖父の代までしか遡れませんが、今度本家の
方へ聞いてみようと思います。家紋もたしかあったはずです。
ちなみにワタシのフルネームでGoogle検索すると、ワタシの持ってるオートバイを紹介したページが出てきます。
またカキコミさせて頂きます。




[52] 始めまして 投稿者:Taiki 投稿日:2003/01/30(Thu) 02:13  

これから色々、御世話になると思いますが宜しくお願いします、自分は「肥前の熊」さんの方から来ました、これから難しい家臣の情報収集となりそうですが、楽しみに見させて頂きます、頑張ってください、因みに読みですが、自分は上瀧で「かみだき」と言う人と知り合いが居ますが、家系の事は分からないと言っていました、なかなか難しそうですが応援しています、では。

http://www9.ocn.ne.jp/~t-sanaba/newpage1.htm


[51] 参考図書が出版されたそうですよ 投稿者:上瀧 裕二 投稿日:2003/01/26(Sun) 11:33  

本日付けの長崎新聞に
「佐賀の戦国人名志増補改訂版(川上茂治著)」佐賀新聞社
とう紹介記事がありました。

ご購読の方は、上瀧の名が記載されていれば、教えて頂ければ幸いです。


[50] おっと! 投稿者:管理人@太郎 投稿日:2003/01/25(Sat) 00:35  

おっっと!
書き込みしたと思ったら先に…。(^^;

>前の投稿後、よくよく調べたら、天和(てんな)2年という記述を見落としていました。西暦でいうと1681年です。
ちょっと分からないのですが、お墓の最も古いデータが西暦1681年だったとの事でしょうか?

>ところで、佐世保市の当家の家紋は、「丸に剣かたばみ」です。牛津のお寺の墓の家紋は、「丸に剣かたばみ」に似ていましたが、
>花びらが3枚ではなく5枚でした。桜の花紋ではなかったようですが、墓石が古く、よくわかりませんでした。
う〜ん、「丸に剣かたばみ」ですか…。この家紋は初めてですね。ちょっと調べてみますが、家紋は難しいですからね。(^^;
「かたばみ」は漢字で書くと「片喰」になりますが、「片喰」という花を象ったものが「片喰紋」です。(桜ではないです)
片喰紋には花びらが4枚の物はありましたが、5枚は無いですね。(あくまで一般的にはと云う意味です)
オリジナルの家紋とも考えられますが(実際あります)、恐らくは桔梗紋(剣桔梗)や別紋ではないでしょうか。
大変失礼ながら、分家した際などに「丸に剣桔梗」だったものを「丸に剣片喰」に勘違いして用いたとか…。
まぁ、そういう事も考えられます。(^^;
裕二さんの言われる様に、御住職にお聞きになるなり、現在のお墓の持ち主である福岡の方に連絡してみるとか、聞いた方が早いでしょうね。


[49] ありがとうございます 投稿者:管理人@太郎 投稿日:2003/01/24(Fri) 23:38  

上瀧 裕二様

こんばんは、太郎です。(^^)
え〜っと、「永福寺」ですね…ありました。牛津町下砥川とあります。
佐賀地名大辞典からの引用です。
「永福寺は本尊釈迦如来を安置し、境内に天文22年建立の六地蔵、
 享保21年銘の石工平川与四右衛門作の地蔵菩薩がある。」
う〜ん、関係ありそうな事は書いて無いですね。
同資料には石工平川与四右衛門は著名であったとはありますが…。

>ご想像通り、墓石の字は読めませんでしたが、詳しくはメールしますが、お寺の歴史が約700年、当家の墓の最も古いデータは西暦1711年でした。
やっぱりそうなりましたか(読めない)。(^^;
でもそれは仕方ないですね。今から300年近く前に建てられたのお墓ですからね。
しかし、300年前のお墓とは凄いですね。(^^)
えっと、西暦1711年ということは正徳元年ですね。
悪評高い「生類憐れみの令」が廃止されてそう間もない頃ですね。
う〜ん、江戸期の小城藩の事はそう詳しくないので何とも言えませんが、お墓がある事自体それ相応の身分であったとの証明だし。
やはり、「じょうたき氏」は鍋島藩成立後もその藩政に組み込まれて、藩士として活躍していたと思います。
因みに小城藩のその頃の藩主は三代藩主鍋島紀伊守元武です。
以下に簡単ですがちょっと資料等を読んで、考えた纏めですが…ちょっと自信ない。(^^;
「じょうたき氏」の祖であろう上瀧能宗(兵太郎)は最初鍋島茂里に属していた。(朝鮮出兵にも参戦)
しかし関ヶ原合戦後に西軍に付いた立花家の討伐の際、茂里の指揮下で戦うが戦死。
その後、佐嘉鍋島藩が成立。能宗(兵太郎)の子供(この頃恐らく20〜30代)は鍋島本藩の藩士となる。
小城藩初代藩主、鍋島紀伊守元茂は小城藩を創立する際に本藩から祖父直茂の家臣八十三人を譲り受け、
またその後、父の勝茂が小城藩家中に七十七士(人)を送る。
恐らく後者の際に能宗(兵太郎)の子供が小城藩に移動したのだと思います。
※前者の八十三人のリストには「上瀧」の名前はありませんでした。
ちょっと自信無いですが、一番簡単に考えるとこうなりますね。(^^;

>それと、小城にある中原公園の上滝の碑の事は、お寺もご存じでしたが、当家と関わりのあるものということです。
そうでしょうね。上滝空蝉(うつせみ・号を芝山と称す)は小城藩の右筆でしたから。
江戸末期にどの程度「じょうたき氏」が分家したかは謎ですが、遠い親戚にはなるでしょうね。
しかし、一つ謎が…。空蝉は読みが「わたき」となっているんです。う〜ん、分からない。(悩)
ちょっとここで空蝉の事に触れますが、マモル氏によると学者で右筆ということは藩主の秘書レベルだったのでは?との事でした。
私も空蝉が明治期にも政府に発言力があったなどの事から空蝉の藩政における地位は高かったと思います。

>最後に、言いそびれていましたが、当家の「瀧」の漢字の字体は、右下部分が横線3本ではなく、横線2本の下に縦線1本、
>分かりやすく例えると、郵便局の記号のような、特殊な字で、パソコンでは当然変換できずに困っています。
は〜い、存じております。何故なら私の家もそうだからです。(^^)
因みに武雄市朝日町の上瀧にある神社もそうなってました。
これを発見した時は、「佐嘉の上瀧村がやっぱり発祥の地か!」と自信を深めました。
もしかしたら旧漢字とかの所為かも知れませんが、詳しくは分かりません。(^^;

またちょっと長文になってしまいましたね。(^^;
失礼しました。
それではメール楽しみにお待ちしております。(^^)


[48] Re[48][47]: こんにちは 投稿者:上瀧 裕二 投稿日:2003/01/24(Fri) 23:28  

前の投稿後、よくよく調べたら、天和(てんな)2年という記述を見落としていました。西暦でいうと1681年です。
ところで、佐世保市の当家の家紋は、「丸に剣かたばみ」です。牛津のお寺の墓の家紋は、「丸に剣かたばみ」に似ていましたが、花びらが3枚ではなく5枚でした。桜の花紋ではなかったようですが、墓石が古く、よくわかりませんでした。
後日、住職さんがいらっしゃるときに、お伺いしようとおもいます。



[47] Re[47]: こんにちは 投稿者:上瀧 裕二 投稿日:2003/01/24(Fri) 18:50  

さっそく、本日、余暇を利用して牛津町にある先祖の墓がある
「永福寺」を訪ねてきました。
祖母の話では、ここの住職さんが、うちの上瀧家と縁のある人物と聞いていましたので、楽しみにお伺いしたのですが、住職さんは御留守でした。
しかし、奥様から貴重なお話を伺いましたので、後日整理してメールにて連絡します。
ご想像通り、墓石の字は読めませんでしたが、詳しくはメールしますが、お寺の歴史が約700年、当家の墓の最も古いデータは西暦1711年でした。
それと、小城にある中原公園の上滝の碑の事は、お寺もご存じでしたが、当家と関わりのあるものということです。

ちなみに、牛津の墓は、現在は福岡県在住の上瀧(じょうたき)さんという方が守られているそうです。(当方全く存じ上げない方ですが、間違いなく親戚でしょうから、いずれお会いしたいものです)
牛津のお寺に、当家の他に3つの上瀧家の墓と、1つの上滝家の墓がありましたが、いずれも「じょうたき」と読むそうです。
以上本日の件を簡単に紹介しました。

最後に、言いそびれていましたが、当家の「瀧」の漢字の字体は、右下部分が横線3本ではなく、横線2本の下に縦線1本、
分かりやすく例えると、郵便局の記号のような、特殊な字で、パソコンでは当然変換できずに困っています。


[46] こんにちは 投稿者:管理人@太郎 投稿日:2003/01/19(Sun) 14:34  

上瀧 裕二様

はじめまして、管理人の太郎です。(一応、ハンドルネームです)

>大変興味深く拝見し、感銘を受けました。
>この資料等の研究のご苦労を思うと、頭が下がります。
>本当にお疲れ様です。そして、ありがとうございます。
こちらこそ有り難うございます。喜んで頂いた様で嬉しいです。(^^)
元々当HPは、裕二さんの様な「上瀧って珍しい名字だけど、ルーツはどこから?」
という全国の上瀧(上滝)さんのルーツ解明のきっかけになればと思い、開設しております。
今回、正にそのきっかけになって御自身のルーツに興味を持たれ、私もその役割を果たせたと喜んでいます。

>早速、パソコンには縁のない親戚一同に印刷(系統図以外)して皆で自分達のルーツについて考えたいと思います。
系図印刷につきまして、ご配慮頂き有り難うございます。m(_ _)m ペコっ
これは皆さんに言っている事ですが、自分と同じ名字の系図があったとしても、それと安易に鵜呑みにしない様にお願いします。
正直言いまして、私の掲載している系図も間違っている可能性が十分にあります。もしかしたら偽造系図かも知れません。
今はそう家柄とかそういった事を気にしないようになっていますが、昔は富があっても家柄が無い、もしくは悪いとかといって
系図の偽造が行われていました。豊臣秀吉や徳川家康等も同じ様な事を行っています。
またそういう事を職業としている人を私は思いっきり軽蔑しますし、(一部の心ない人による転載等によって)手を貸したくありません。
だいたい、そんな風に創られた系図を所有して何になるのか?自分の本当の先祖に申し訳ないと思わないのか?
先祖が昔に人間を大量虐殺した人だろうが、盗みに盗みを重ねる泥棒だろうが先祖は先祖です。命を繋いで貰った事を感謝しましょう。
先祖の行いが恥ずかしいと思うのであれば、自分がそうしない様生きれば良いだけで、また後世(子孫)にそうしない様、想いを残す事です。
ちょっと熱く書いてしましましたが(脱線気味)、こういう理由から転載、二次使用を一切禁じています。
ルーツを考えると同時に、こういう事も一緒に考えて頂けたらと思います。(^^)

>昨年まで仕事の激務に追われていた私は、最近余暇ができたので、祖母が存命の内に、
>上瀧のルーツを辿るため、佐賀県牛津町にある、本家の墓や、その地方を訪ねようと考えていました。
>たまたま、このページを見つけ、その決心ができました。
それは良いですね。(^^)
是非、その時には武雄の上瀧に…と言っても今は何も無いですが…。(^^;
一部ダムになっている所がありますが、そこに「猪熊山」という山があります。
そこは昔「猪の熊の塞(砦)」という砦でした。今は老人ケアハウスが山頂に建っています。
ちょっと解り難いと思いますが、昔の砦の名残があって面白いと思います。(^^)

元々は佐賀で牛津にお墓があるということですよね?
曾祖父様が佐世保に家を構えたという事ですので、曾祖父様のお墓は佐世保と考えて、
牛津のお墓はその前の方(曾々祖父様?)が眠っておられると考えて宜しいでしょうか?
おじいさんが大正元年生まれということはその前の前ですので江戸末期から明治初期。
おお!江戸まで遡れますね。(^^)
ん?牛津?…牛津町って小城郡か……ああ!!そうだ小城だ!!
またもや「じょうたき氏小城藩士説」に一票を投じるようなデータが。(^^;
お墓に彫ってある内容も注意して御覧頂くと面白いかも知れませんね。
明治初期のお墓だと字も薄れて見にくくなっているかも知れませんが。

もし宜しければ訪問後のご感想もお聞かせ頂けたらと思います。
長文になりましたが、こちらこそ今後とも宜しくお願い致します。


[45] 佐世保市の じょうたき ゆうじ です 投稿者:上瀧 裕二 投稿日:2003/01/18(Sat) 11:28  

 長崎県佐世保市に生まれ、長崎県公務員として長崎県内を転々としている転勤族の28歳です。
 昨春から、佐世保市に転勤で舞い戻っております。
 まず、管理人様へ、
 大変興味深く拝見し、感銘を受けました。
 この資料等の研究のご苦労を思うと、頭が下がります。
 本当にお疲れ様です。そして、ありがとうございます。
 早速、パソコンには縁のない親戚一同に印刷(系統図以外)して皆で自分達のルーツについて考えたいと思います。

 まさに偶然!!
 昨年まで仕事の激務に追われていた私は、最近余暇ができたので、祖母が存命の内に、上瀧のルーツを辿るため、佐賀県牛津町にある、本家の墓や、その地方を訪ねようと考えていました。
 たまたま、このページを見つけ、その決心ができました。
 本当にありがとうございます。

 参考になるかどうかわかりませんが、
 私の父は上瀧清和60歳、佐世保市山祇町生まれ。
 祖父は亡くなりましたが、上瀧福市、大正元年、佐世保市潮見町生まれです。
 元々、佐賀県 に住んでいた曾祖父(?)が、戦争で海軍機関長として佐世保に転入し、佐世保市潮見町に家を構え、祖父はその家で生まれ、祖父が佐世保市山祇町に家を構え、私も、父もその家で生まれました。
 本家の墓は、佐賀県牛津町にあり、わたしは、小学校低学年の頃、一度だけ連れて行かれましたが、場所は全く覚えていません。(残念なことです・・・近日訪ねます)
 佐世保市には、私の親戚の他にも、別に一軒「上瀧家」がありますが、私の家とは、無関係です。(ルーツは交差するかもしれませんね)

 以上が、簡単ですが我が家の状態です。

 数少ない上瀧ですので、今後とも宜しくお願いします。
 


[44] 今年も宜しく 投稿者:管理人@太郎 投稿日:2003/01/05(Sun) 20:35  

あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。(^^)

石井様
あけましておめでとうございます。
>我々の先祖も、子孫どうしがルーツのために交流があるなんて、思っていないでしょうね。(笑)
そうでしょうね。(笑)
インターネットなんてものが普及して、パソコンを通じて交流出来たり、あの時代では考えられないでしょうね。
石井さんと知り合えたのもお互いの御先祖様の御陰です。
ご先祖様に感謝です。(^^)


[43] 謹賀新年 投稿者:石井 投稿日:2003/01/04(Sat) 03:25  

上瀧殿、新年あけましておめでとうござりまする。
今年も何卒よしなに…。

お互いルーツ解明のために頑張りましょう!!
我々の先祖も、子孫どうしがルーツのために交流があるなんて、
思っていないでしょうね。(笑)




[42] ありがとうございます 投稿者:管理人@太郎 投稿日:2002/12/01(Sun) 00:36  

石井様
情報提供ありがとうございます。
またレスが遅くなり、失礼致しました。

上瀧泰嗣さんは前にネット検索した時に「お!上瀧氏には画家もいるのか」と、
その子孫の方々の幅広さを感じました。
二紀会というのがどういうものか私には分かりかねますが、
賞も多数受賞されているようですね。素晴らしいです。
これからもどんどんご活躍いただきたいですね。(^^)


[41] 上瀧さん発見 投稿者:石井 投稿日:2002/11/28(Thu) 13:05  

美術系の社団法人に二紀会というのがあるのですが、ここの佐賀支部に上瀧泰嗣(佐賀市在住)さんという方がおられるようです。おそらく太郎さんとは同祖同血ではないかと・・・。ご参考までに。

二紀会佐賀支部URL http://www.hpmix.com/home/nikisaga/

では♪


[40] どうぞよろしく 投稿者:管理人@太郎 投稿日:2002/08/26(Mon) 09:50  

石井さま
どうも、初めまして。管理人の太郎です。
「鍋島藩石井一門」ですね。存じております。(^^)
こちらこそ、リンク宜しくお願い致します。

まだまだ情報不足で完成に程遠いHPですので、
参考になるかどうか…。

マモルさんの所にもたまに出没してますので、
見かけた時は相手してやって下さい。
こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します。


[39] はじめまして 投稿者:石井 投稿日:2002/08/26(Mon) 02:04  

上瀧さま
はじめまして。石井と申します。
「鍋島藩石井一門」というサイトを主催しております。
私の先祖も、上瀧さんと同じ佐賀人です。
もし差し支えなかったら、私のサイトと相互リンクを
お願いしたいのですが。。。
ご検討をお願いします!

これからもちょくちょく立ち寄らせていただき、貴サ
イトを参考にさせていただきたいと思います。

これからもよろしくお願いします!

http://nabeshima-ishii.hoops.ne.jp/


[38] 右筆の上瀧氏 投稿者:管理者@太郎 投稿日:2002/07/06(Sat) 01:30  

ネットで調べ物していたら佐賀の小城に上瀧氏の碑があるらしい。
そこで手元の資料で調べましたら、富士町の中原公園に「上滝空蝉翁彰徳碑」があるそうです。
この人物は幕末の小城藩で右筆の職にあったようです。
(う〜ん、右筆って結構地位は高かったような…。)
取り敢えず、これで小城藩に上滝氏が存在していた事は確かなようです。
もし近くの方で御存じの方がおられました、御一報を。

↓は関連HPです

http://www2.saganet.ne.jp/juncyan/image/f05.htm


[37] 重要:広告について 投稿者:管理者@太郎 投稿日:2002/05/16(Thu) 22:13  

この掲示板において、当HPの主旨に関係のない宣伝、広告等の書き込みを禁じます。
また、その様な書き込みは発見次第、削除致します。


[36] K瀧さんへ 投稿者:管理者@太郎 投稿日:2002/05/16(Thu) 22:08  

K瀧さん、はじめまして。

>家紋は三つの鎖です。
とうとう三鎖紋の方がこのHPに…。(嬉)
今迄公表しませんでしたが、実は私も三鎖紋なんです。
この三鎖紋は恐らく、全国に居られる上瀧氏(佐嘉上瀧村出身)の中で本家筋の家紋になります。
何故、筑後に移り改姓した「コウタキ」氏が本家筋の家紋を用いているか、何故に三鎖が本家筋なのか?
今日はお話しませんが(長いので…)、いずれお話します。

それでは今後とも宜しくお願い致します。


[35] はじめまして 投稿者:K瀧 投稿日:2002/05/16(Thu) 19:14  

福岡に住むコウタキです。
親との会話で何となく家系図の話やら、先祖が剣豪だったやらが
出たので検索したら 此処に来てしまいました。

聞いたような家系図がそのまま載っていて驚きました。
 
家紋は三つの鎖です。
(´・ω・`)
秋月の明覚寺に一族の墓があるとの事です。


[34] 「佐賀の江戸人名志」 投稿者:管理者@太郎 投稿日:2002/04/07(Sun) 05:15  

久々の書き込みです。更新が滞ってしまい申し訳ありません。

先日、佐賀の書店にて川上茂治氏の「佐賀の江戸人名志」を購入しました。
実はこの川上氏とは前に御会いした事があり、色々と話を伺いました。
結果は御先祖調べの参考にはならなかったんですが、川上氏の本と資料を御好意で頂けました。
まぁ、実は私が系図の情報を提供したからなんですが…。
と、今日の本題はここからです。

話は戻りまして、佐賀の書店でこの「佐賀の江戸人名志」を目にしたとき、「おっ!」と思い、
ぱらぱらと内容を立ち読みしていました。すると、「上瀧」の名前が!!

「むむ!もしや、江戸期の上瀧氏の新情報が…」

わくわくしながら、その上瀧氏の内容を見てみると…。

「おっ!この前、提供した情報のまとめやん。さてさて、どうまとめてあるかなーと…」
  
3分経過…。
  
「ヤバい…この内容はヤバいやろ?滅茶苦茶やん!!(怒)」(方言混じり)

内容を読んでみたのですが、提供した情報がほとんど間違えて掲載されているのです。
もし、この本を購入された方は「上瀧志摩守義郷」(この名前も間違い)の項目は間違っていると
認識した上でお読み下さい。

どこがどう間違っているかは、後日掲載致します。
また川上氏にもこの事実を知らせたいと思います。


[33] こんにちは 投稿者:管理者@太郎 投稿日:2001/10/15(Mon) 01:20  

上滝(うわたき)さん、いらっしゃいませ。
貴重な情報有り難うございます。

おお、温泉&お茶で有名な嬉野ですね。(^^)
嬉野町吉田を少し調べましたが…手元の資料では情報が少ないです。
吉田に皿山(皿屋?)という地があり、蓮池藩初代藩主鍋島直澄が有田より陶工を招いて開窯した…と資料にありました。
この「有田よりの陶工」がちょっと気になります。
もしかして 皿山に陶芸とかしている上滝さんはいませんか?
まぁ、これは勝手な憶測ですが。

恐らくは、江戸期頃、(小城あたりから?)嬉野に上滝氏の有力者が移り住み、その一族の方々が吉田の地に多く居られるのではないかと思います。

今後とも宜しくお願いします。(^^)

追伸:風邪で体調が悪いので、もし変な所がありましたらお許し下さい。m(_ _)m


[32] はじめまして 投稿者:上滝 投稿日:2001/10/09(Tue) 11:22  

はじめまして。上滝(うわたき)といいます。上滝志摩守が住んでいた五町田、今は塩田町になっていますが、そこから10キロぐらい山手に入った嬉野町吉田というところにいます。そこには、10数軒「上滝(うわたき)」という名字の家があってほとんど同じ一族だそうです。嬉野町の歴史をまとめた嬉野町史(上)にも少しだけですが、上滝氏について書いてあるので、参考になるかと思います。


[31] 更新滞ってます 投稿者:管理者@太郎 投稿日:2000/06/04(Sun) 23:20  

タイトル通りです。申し訳ございません。
私の仕事の為に上瀧氏調べに時間が割けず、なかなか更新出来ません。
更新を楽しみにされている方々には申し訳ありませんが、
もう暫くお待ち頂ける様、御願い申し上げます。


[30] ○○たき さんへ 投稿者:管理者@太郎 投稿日:2000/02/16(Wed) 02:59  

初めまして。
掲示板の書き込み有難うございます。
これからも上瀧氏調べを頑張っていきますので、
今度ともどうぞ宜しく御願いします。


[29] はじめまして 投稿者:○○たき 投稿日:2000/02/15(Tue) 13:40  

はじめまして
私も上瀧です。
父親から先祖は佐賀県って聞いていましたが、
なんとなく信じられなかったのですが、
ここへ来てビックリ!
私の父親は嘘つきじゃなかった・・・
ちょっとばかり安心しました。
がんばって色々と調査してください。



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