“生肝体移植を受けて”
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さて、私には健康上の問題点がありまました。
C型慢性肝炎と言う厄介な病です。
この病は、ウィルス性のもので、肝臓が炎症を起こし、長い期間をかけ徐々に、肝硬変になり、再起不能になります。
ウィルス自体は、伝染力は余りないのですが、この肝炎の人の血が傷口に直接付いた場合や注射及び輸血で感染します。
ウィルスに感染していても、症状の出ない人が沢山いて、キャリアと呼ばれています。
恐ろしいことに、日本人の1%以上、1億2千万人の内、2百万人が感染しているとのことです。
こんなに沢山の人が感染している理由を訊いたり調べたりしましたが納得できるものは見つかりませんでした。
医師からも、書籍や公開資料からも見つかりませんでした。
やっと、2000年に入ってから、日本政府が公式に、可能性を認めて、テレビの放送でも特集番組が組まれたりしました。
輸血も請けた事の無い私が、この肝炎に罹った理由は、小学校時代の予防接種しか考えられません。
私たちの世代が小学校の時は、出席番号順に、生徒が腕・肩を出して並び、校医が、一本の注射器を持ち、刺して、薬液を入れ、「次!」と呼んで、そのまま、同じ注射器と針で刺してゆきました。
年配の人は、皆さん、記憶のあることと思います。
今の時代の予防接種では、針は使い捨てです。
一度、生徒に刺した針を次の生徒に刺すことは、絶対に行いません。
感染の危険があり、禁止されています。
もし、前の方の生徒さんに、もし、C型肝炎ウィルスの保有者が居ると、注射針を通じて、次々とウィルスが感染して行くことになります。
私の小学校時代の出席番号の前後の人達は、肝炎で亡くなっています。
ご記憶のある方もいると思います。
国会議長の河野洋平さんが息子の太郎さんから肝臓の一部を貰って、肝臓移植をされ、又元気で活躍されています。
このニュース以降に、終戦後の占領軍に強制され、日本の医療機関も同意して、徹底的にやった予防接種が、肝炎などの病気蔓延の要因になったとの報道が目に付きました。
B型肝炎では、裁判が結審しており、注射針の不適切な使用により羅病したとして、国が敗訴しています。
C型肝炎でも、まったく同じことがおきます。
「血液製剤フィブリノゲンによる感染訴訟のC型肝炎だけが取り上げられていますが、注射針の不適切な使用によるC型肝炎が無視されているのは解せないことです。」
肝炎が発病すると、疲れ、動けなくなります。
血液検査をするとGOT(AST)、GPT(ALT)が上がっており、黄疸などが出ています。
治療すると、症状が収まり、働けるように戻ることがあります。
完全に治れば良いのですが、ウィルスが退治できないので、徐々に悪化していくことが多いようです。
悪化のバロメータは、血小板の数です。
正常値は、150〜350(千個/mm3)ですが、この数値が徐々に下がります。
血小板は、怪我などの出血を止める役割を担っています。
この数値が徐々に減少し、20を割ると、状態は深刻です。
その場合、肝臓ガンが発生し易くなります。
発生率は、年に10%ほどと、書かれたものを読みました。
ガンにならなくとも、肝硬変となり、肝臓が機能しなくなります。
皆さんご存知の肺と言う内蔵の機能と同じような働きを肝臓は、しています。
全身から酸素を消費して戻ってきた血液を、肺でCO2を除去し、酸素(O2)を血液に満たし、心臓に戻します。
一方、肝臓の機能は、血の流れに大いに関わります。
身体全体から戻る血液が、肝臓で、老廃物を代謝や解毒の作用を受け、ブドウ糖・アミノ酸などの栄養分の供給を受け、心臓に戻されます。
再び、身体全体に血が廻り栄養やエネルギーを送ります。
肺と大きく違う点は、肺では酸素を蓄えてはいませんが、肝臓は栄養素を蓄えています。
内臓から吸収した栄養素を含んで戻ってきた血液を、肝臓は受け入れ、栄養素を吸収し、保存できる形に変えて、肝臓自身に蓄える機能を持っています。
そこで、老廃物の代謝だけでなく、蓄えから補給することができるのです。
肝臓は、複雑な機能を持ち、血管だらけの構造を持っています。
肝硬変が起きると、この機能が妨げられるとともに、血が通り難くなり、血液の流れが妨げられ、滞ります。
その結果、様々な不具合が発生します。
静脈から肝臓に入る血の流れが妨げられるため、手足の静脈瑠、食道の静脈瑠が発生します。
アンモニアの浄化(尿素への変換)が不十分になり、腎機能に悪化、その外の臓器も弱ってきます。顔色の悪化、皮膚の炎症なども目立ちます。
それが進むと、腹水が溜まり、脳にも支障が出ます。 中々深刻な事態に陥ります。
インターフェロンで肝炎ウィルスが退治できることあります。
その場合は、肝炎から逃れる事ができるそうです。
ウィルスのタイプ・型や、残された体力、体質に、成功の割合が依存します。
2000年に入る頃から、インターフェロンの投与の仕方、併用する薬などが、大幅に改善され、成功率が上がってきたそうです。
それでも、ウイルスが完全撲滅できれば、それは、ラッキーなケースです。
私の肝炎が発病したのは、35才の頃。 3人の子供たちが、小学校・幼稚園にいる時で、家庭的には、一番楽しい時期でした。
仕事の面でも、充実して、自信が生まれていた時期でした。
入院、その後、通院、服薬と、病院通いが始まり、仕事の面でも、体力的なハンディキャップを背負って行くことになりました。
その頃は、C型肝炎のウイルスがまだ発見されておらず、ノンAノンBタイプの肝炎と云われておりました。
治療法も対処療法で、ウイルスを退治する根本的治療は研究途中でした。
確立した治療方法が無いなか、最新の治療薬を投与してもらっていましたが、先の見えない不安な状況でした。
検査入院、インターフェロン投与のための入院と重なりました。
入院するたびに、私の奥さんは、見舞いの病院通い、子供の世話と、家事と、大変だったと思います。
彼女は、一言も、大変とか、辛いとか、言いませんでしたが。
仕事の面では、体力的なハンディキャップに加え、次の病状悪化の恐れ=仕事からの離脱という、極めて大きな制約=恐怖が課せられました。
将来の期待が持てない人生が、肝炎発生からスタートしてしまいました。
一時的に症状が収まり、やや健康な状態が数年続いた時期がありましたが、無理が利きませんでした。
何とか、健康状態を保ち、現状維持をはかり、恐る恐る社会生活を続けました。
とは言っても、割り切ってやるしかないのですが…。
この頃です、専門書まで読み漁って、肝炎の原因、進行具合、何が危険レベルか、など調べたのは。
職場の近くの医院に通院していましたが、銀座に職場があった時期があります。
そのときの先生が信頼が置け、安心ました。職場を移っても、づっとその先生にかかることにしました。
肝臓が専門ではなかったのですが、調べて、聞いて、最先端の情報を元に、投薬をしていただきました。
ありがたいことです。
インターフェロン投与もはやい時期に受けましたが、その結果は、一時的にウィルスの数が減少しただけで、直ぐに数も戻ってしまいました。
後遺症として、耳鳴りが残りました。
その後、45-6歳の頃から、血小板の数が減少し続け、だんだん、危険レベルの“20”以下に近づいてきました。
次 → も少しお待ち下さい。