社会に犯罪が増え、人が争い耐えないその根本は、人心の荒廃です。
 人心の荒廃は犯罪の増加や、天地を濁らせ病気や災害までもが増える。
中国のとある実験では、人心の荒廃が災害の増加に結びついたという実験結果が出たそうです。
 社会の悪化は一人ひとりの人間の不幸にも繋がり、その結果、皆さん一人ひとりの幸せが減っていく。
 一人一人が本当の幸せを実感できる世にするには、一人一人の心の浄化しかなく、
 政治や社会制度は対処療法に過ぎず、人心の浄化が無ければ根本治癒は出来ません。
 この人心の浄化のことを日月や大本では「身魂磨き」或いは「改心」と述べています。
 日月神示信仰覚書にはその方法論が具体的に述べられていますので是非ともご活用ください。
このページでは、御魂磨きに必要な部分の初歩をまとめました。
ページを保存する(zip形式)  私も含めて初歩から出直し。
※少し注釈を加えさせて頂きました。例えば神を良心であると。厳密に言うとニュアンスが少し異なります。 みかんをオレンジと言っているようなものですが、若い世代の人に神と言ってもピンとこないでしょうから、 理解を深めると言う意味において、そこでの神(良心)と注釈させていただきます。





身魂(みたま)磨きとは


kurozumi


『身魂とは臣民の申す身魂でないぞ身魂とは身(体)魂(心)と一つになっているもの言うぞ。神の臣民、身と魂の分け隔てないぞ。身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ』
[まず人間は、現界における基礎的我たる肉体が健康でなくてはならぬ。次に、理性的、道徳的でなくてはならぬ。この階段をもう一歩昇った時、初めて人間的理知を超越した霊性的となり得る。最初より霊性的とならんと望んでもダメ。順序を追うてこの階段に達っせなくてはならぬ]
※心(魂、霊)の浄化とは言っても、決して心だけでは駄目で肉体も伴った修養が必要となる。健全なる精神は健全なる肉体に宿る。

〔みたまを磨く法といって、別にあるわけではないが、 また、各人によってそれぞれ多少はその道筋も異なるものだが、私の考えを御参考までに述べてみよう。
一、常に、内的にも外的にも神(良心)に向こう様に心がけること
二、一々内省して、遷善改過へと大勇猛心を奮い起こして驀進すること
三、一切を神の御旨(自然の摂理)にまかせて、あるままにあり、なるままになっていくこと〕
〔「身魂を磨く」ということは、元の生粋の分霊の我に還れ、ということである。 いかにすれば、早く身魂が磨けるか。無理をせぬことである。すなわち、生まれ赤子の心にかえることである。 あるがままにあらせよ。なるがままにならせよ。〕
〔ただ、次の、これだけのことが真に悟了できたら、人間は卒業である。 一切は神意(自然の摂理)であること われは一切を神にまかせ奉りて、瞬間瞬間を、赤子のごとき心もて送ること ただ、これだけである〕
『洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず、生まれ赤子の心のうぶ心になりて、神の道守ることぞ。身魂磨きと申すのは、神から授かっている御霊( )の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、神の申すことは背かんようにすることぞ。学や智を力と頼むうちは、身魂は磨けんのざ』
『何も難しいこと申すのではない。自分の内の自分を洗濯して明かに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば、外から近づくものが変わってくる道理』
『身魂磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ』
『そなたの心配一応は無理ないなれど、何処で、どんなことをしていても、身魂磨けてさえおれば、心配なくなるぞ。心配は、磨けておらぬ証拠ぞ』
※自分の心の映し鏡が周りの環境であり、自分の奥の心が綺麗になれば不安など無くなるそうです。

『滝に打たれ、断食するような行は幽界の行ぞ。神の国のお土踏み、神国から生まれる食べ物頂きて、神国の御仕事している臣民には、行は要らぬのざぞ。このことよく心得よ』
〔霊霊といって現界を軽んじてはならぬ。現幽はあくまでも一致するものであって、我らは、如実に現界にあるのであるから、現界における言行こそ唯一の修業であり、人間として生存する目的である〕
※滝に打たれたりするのも一時的には許されても、本来の人の生きる道ではないので、其れのみに生きると、道を踏み外してしまいます。社会生活における言行に気を配ることこそが本来の精神修養であるといえます。

『改心と申すものは、何もかも神にお返しすることぞ。臣民のものと言うもの何一つあるまいがな。木の葉一枚でも神のものぞ』
『臣民に分かるように言うなれば、身も心も神のものざから毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ。それでその身体をどんなにしたら良いかということ分かるであろうが、夜になれば眠ったときは神にお返ししているのざと思へ。それでよく分かるであろうが、身魂磨くと申すことは、神の入れ物として神からお預かりしている神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ』
※これは自分の所有物だから好き勝手にしても良いという心が慢心を呼びます。自分の者と思っている肉体すら、 神様のものだと言う心で居れば感謝の心も湧きやすい。

〔導かれる方の人は、決してあせってはいけない。一日一日、一歩一歩と悟ってゆき、進んでゆくようにせねばならぬ。これらの人々にとっては、反省と忍耐とが何よりである〕
『行き詰まりが有り難いのぢゃ。進んでいるからこそ、行き当たり行きつまるのぢゃ。省みる時与えられるのぢゃ。さとりの時与えられるのぢゃ』
『一足飛びには行かん。一歩一歩と申してあろう。一度に神様を知りたいと申してもそうはいかん。一年生からぢゃ。出直し出直し。子供に大学のことは判らん。十貫の荷物はかつげん道理。進むには、それ相当の苦労と努力要るぞ。あぐらかいて、懐手していては出来ん。時も要るぞ。金も要るぞ。汗も要るぞ。血も要るぞ。涙も要るぞ。善いものほど値が高い』
『しくじりも人間にはあるぞ。しくじったらやり直せよ。しくじりは火と水の違いぞ。このことよく心得てなされよ。しくじり、しくじりでなくなるぞ。何も思案投首一番罪深い』
〔活動と休養とを交互に適宜にとって、つねに清新な気分でおらねばならぬ。こうしておれば、能率は時間は短くてもよく上がってゆくけれども、疲れたのを辛抱したり、眠いのをこらえて、強いて興味のわかぬ仕事をやってゆくというようなことでは、あたら人生をワヤにするもので、次第に陰気な不活発な、不愉快な人間になってしまうのである。疲れきらぬ前に休養すれば、つねに気分は清新だ。疲れきってからの休養は時間を非常に要し、しかも完全に元通りにはなり難いものだ〕
※身魂磨きは、今日行ったから明日結果が出ると言うようなものではなく、失敗を恐れず。焦らず一歩一歩着実に進むことが大切です。


           
  1. 神に祈る
  2. プラス思考へ
  3. 言葉は人を褒めるために使うもの
  4. 悪い癖を直す
  5. 大欲を持つ
  6. 夫婦の道
  7. 和合
  8. 仕事に励む
  9. 食生活を見直す
  10. 心に思ったことは即行動
これらは戒律ではありません。守らないと罰せられるという類のものではありません。指針とすべき事柄です。