言葉は人を褒めるために使うもの

〔言霊は直接は口により、間接には文字によりて人に伝達することができる。口による方は、ともすると喋り過ぎたり、腹のごもくを知らず知らずさらけ出したりして、わりに好結果を得がたいものであるが、文字による方は、その調節ができるから、かえって偉大な効果を上げることができる〕
〔言霊を二大別すれば肯定と否定とである。しかして生成化育は、肯定の言霊の支配であり、消滅遅滞は否定の言霊の支配するところである。ゆえに人は肯定の言霊を愛好し。否定の言霊を嫌悪す。吾人は日常生活において、つとめて肯定の言霊を使用して、やむを得ざる場合の外は、断じて否定の言霊を使用すべからず。このことは人間の気分を左右する鍵であって、非常に重大なことである〕
〔人を和らげ睦ませるものは言霊である。ほめられて怒る者はなく、けなされて喜ぶ者はいない。暴言悪語ほど人を後悔させるものはない。たとえ大悪人にしたところで、その素質の何処かには神を宿している。善言美詞はやがてその神を引き出してやることになるのだ。いくら言霊を用いたって決して減るものでもないから、できるだけ多く善言美詞を使用してその効果を発揮するのが善い〕
『人ほめるものと思え。言霊幸はうぞ。それが人の言葉ぞ。悪き言葉は言ってはならんぞ。言葉は善きことのために神が与えているのだから忘れんようにな』
『人ほめよ。人ほめることは己ほめることぞ』
『人民をほめることよいことぢゃ。ほめて、その非をさとらせよ。罪許すことぢゃ。もの 生かすことぢゃ。生かして使うことぢゃ。神示広めることぢゃ。やって見なされ。必ずうれしうれしとなるぞ。栄えるぞ。嬉しくなかったら神はこの世におらんぞよ』
〔否定の言霊は、非常に悪い影響をおよぼす。善悪すべてを、その位置において肯定せねばならぬ。 例えば、「それは悪い」といわずに、「こうした方が一層良い」というべきだ。「彼は悪人だ」と言わずに、「ああいうふうの人だ」といいたい。悪い言霊は、その相手ばかりでなく全般の人に何となく否定的、壊滅的な気持ちを与えるものだ。ちょっとした言句の使い方で、相手の人へはもちろん、周囲の人へも非情な影響を与えるものだ〕
※人間は自分のマイナス面を認めると心が不安定になる。だから、他人の同じようなマイナス面を攻撃することで、これは他人事として頭の中で処理しようし自己の心の安定を得ようとしがちです。 でもそれは自分の中のマイナス面からめを背けている事でありまた攻撃を受ける人はたまったものではありません。
※人を褒めるコツ 人をほめる時は、できるだけ具体的に、ごく当たり前のことができるのも長所。成果ではなく、その努力の過程ををほめる。笑わずにゆう。素直な感謝もほめ言葉。


〔言葉は少なくして効果あらしむべし。相手に考える余裕を与えるべし。 ただし、打ち解けた同志が、寝そべっての冗談口は別なり〕
『人の悪口この方聞きとうないぞ。まして神の悪口』
〔言葉を慎むべしという事は、虚言悪口は出さぬという事であって、決して強いて口数を少なくせよという事ではない、善言美詞はできるだけ盛んに用ゆべきである。別に差し支えないのに、言いたいことも言わずに、腹へ溜めておるような人間は、神より遠ざかるものである〕
『言葉の生命は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音のキを入れて始めて言葉となるのぢゃ。今の人民のは言葉でないぞ。日本の古語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ』
『人民が正しく言葉すれば、霊も同時に言霊するぞ。神も応え給うのであるぞ』
『神は言葉ぞ。言葉とはマコトぞ、息吹ぞ、道ぞ。マコトとは、マツリ合わした息吹ぞ。言葉で天地濁るぞ。言葉で天地澄むぞ。戦なくなるぞ。神国になるぞ。言葉ほど結構な恐いものないぞ』
『言葉は神であるが、人間でもあるぞ』
『神たたえる辞がコトぞ。あまつちたたえる言がコトぞ。神の申すことはコトであるぞ。コトに生きてくれよ。コトにまつろへよ』