肉類を避け菜食へ

『食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ』
『牛の物食べると牛のようになるぞ。猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の食べ物は定まっているのざぞ。いよいよとなりて何でも食べねばならぬようになりたら虎は虎となるぞ。獣と神とが分かれると申してあろがな。縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ。世界の臣民に知らせてやれよ』
『四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ』。
『日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、みな人民の食いて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ。日本人には、肉類禁物ぢゃぞ。今に食い物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ。今度は共食いとなるから、共食いならんから、今から心鍛えて食い物大切にせよ』
※正しい食べ物とは「五穀野菜の類」のことである。五穀野菜とは、米(玄米)、ヒエ、キビ豆、麦などの穀物類、それに葉菜、根菜、海藻などを言う。また、四ツ足というのは、牛や豚をはじめとする獣類のことを主に指す。ただし、成長期の子供やお年寄りはタンパク質不足になりがちですので、大豆、アマランサス等良質のタンパク質を十分とるよう心がけられ場合によっては卵などでタンパク不足を補うと良いでしょう。

『一二三【ヒフミ 】の食べ物に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は、一二三唱えながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ。これが一二三の食べ方、頂き方ざぞ。神に供えてからこの一二三の食べ方すれば、どんな病でも治るのざぞ。皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱えることによりて治り、肉体の病は四十七回噛むことによりて治るのざぞ。心も身も分け隔てないのであるが、判るように申して聞かしているのざぞ、取り違い致すでないぞ』
『遠くて近いもの一二三の食べ方してみなされよ。運開け、病治って嬉し嬉しと輝くぞ。そんなことぐらいで、病治ったり、運開けるくらいなら、人民はこんなに苦しまんと申すがそれが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの』
『遠くて近きは男女だけではないぞ。神と人、天と地、親と子、食べる物も遠くて近きが良いのざぞ』
『食べるには噛むことぞ。噛むとはかみざぞ。神に供えてから噛むのざぞ。噛めば噛むほど神となるぞ』
『一二三の食べ方心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉し嬉しで食べよ。天国の食べ方ぞ』
※この「一二三唱えながら」というのは、いわゆる「一二三祝詞」を指してます。また、「遠くて近いもの」の遠いというのは、人間の種族から遠いもの(五穀野菜の類)という意味であり、近いとは、自分の住んでいる土地に近いところで採れたものという意味です。

『日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食べ物あるぞ。人民の食べ物間違えるでないぞ』
『一人だけよくない子が出来た、その子には海の藻草や山の菜、野菜を食べさせてくれよ、段々よい子になるぞ』
『ものいただく時は柏手打ちていただけよ。神への感謝ばかりでないぞ、柏手は弥栄ざぞ、祓ざぞ、清めぞと申してあらうが、清め清めて祓てからいただくのさぞ、判りたか』
『臣民一日に二度食べるのざぞ、朝は日の神様に供えてから頂けよ、夜は月の神様に捧げてから頂けよ、それが誠の益人ぞ』
『一椀とって先ず神に供えよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食べ物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食べ物つつしめばよい言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってはひらけん。この判り切ったこと何故に判からんのぢゃ』
『ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申しているが、それが裏腹と申すもの。衣類も家も土地も、みな神からいただいたのでないぞ。あづけられているのであるぞ。人民に与えられている物は食べ物だけぢゃ。日の恵み、月の恵み、地の恵だけぢゃぞ。その食べ物節してこそ、ささげてこそ、運開けるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民干ぼしにならん。心配無用。今の半分で足りると申してあらうが』
『理屈捨てよ。捨ててやってみなされ。みなみな気づかんみち、気つかん病になってゐるぞ憑き物がたらふく食べていゐことに気づかんのか。食べ物節すれば憑き物改心するぞ。先づ百日過ぎたら一年を、三年続けたら開運間違ひなし。病も無くなってうれしうれしとなるぞ三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいなあ、めでたいなあ』
※二分は神様にささげると言う気持ちで、満腹まで食べないことが、開運や健康に繋がります。このことは、科学的にも裏づけられていて、サルのカロリー制限による実験で、70%にカロリー制限したサルは若々しい肉体を保つという結果が出ているそうです。