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夫婦の道を守る

『神界の乱れ、イロからぢゃと申してあろう。男女関係が世の乱れであるぞ。お互いに魂のとりやりであるぞ。この世ばかりでなく、あの世まで続くのであるから、くどう気付けておくぞ』
『神界の乱れ、イロからぢゃと申してあろう。男女の道正されん限り、世界はちっともよくはならんぞ。今の世の様見て、早う改心、結構致しくれよ』
『出足の港は夫婦の道からぢゃと申してあろう。真理と申してあろう。これが乱れると世が乱れるぞ』
『出足の地場は夫婦からぢゃ。夫婦の道は神示の道ぢゃ。和ぢゃ』
〔いかにしたら真に、より幸福に人類は共同生活を営み得るか、という問題に対して、私はまず第一に、男女融和問題を提供したいと思う。今までの道学者は、このことにつき、しいて人情の自然を偽って、変にこじつけて解釈していたようである〕 男女問題にしたところが、社会の安寧秩序を、大して侵さぬかぎりは、なるべくは大目に見るが良いなり。いまさら、身分家柄も長男もへったくれもあったものにあらず。本人同士が真に好き合うているならば、こころよく結婚させてやるべきなり。〕
〔結婚の問題のごときも、どうしても双方が充分に得心しあった上で、取り決めねばならぬ。一、二回の交際やみやい等によって、決して、人の気質が知れるものではない。本人同士が好きでないならば、他に如何なる好適の条件があっても、断じて結婚さすべきものではない。一時の犠牲的感情等に支配されてはならぬ〕
〔自分が特筆大書しておきたいのは、男女ともに思春期に達したならば、早速結婚すべきであるということである。何とならば、人が思春期に達したということは、すなわち、神様が「おまえは結婚しても良いぞ」と免状を下された時なのであるからだ。 現代のごとき世知辛い世の中にありては、経済上の関係からして、やむなく次第に晩婚に傾くのは致し方ないが、そうでなくして、単に「まだ早い」とか「何も世の中を知らないから…」とかの理由によって、わざわざ結婚を遅らす必要はどこにもないと思う。これは実に不自然なことである。 結婚してから年も寄るし、充分世の中を知る事もできる。未婚者は要するに半人前なのである。一時も早く一人前の人間になりたいと要求しているのが人情であるのに、何を苦しんでわざわざ長い間、人間一人を半人前にしておく必要があろう〕
〔ある人は言う。「自己が愛している者のため、あるいは、愛されたいと思う者のために働くことほど満足はない」と。そうであろう。また言う、「心から、自己の成功を喜んでくれる者を持たず、また、喜ばしたいと思う者を持たぬことほど、淋しく、たよりないことはない。こうした張り合いのない、気の抜けたような生を送っている自分を諒解して下さい」と。私は、よく、その人の心持ちがわかる〕
〔とにかく、人間は真にあいゆるした一人を欲しているのだ。その一人がいないということは寂しいことに違いない〕
〔何と言っても夫婦の真にそろうていることほど、この世に幸福なことはない。外のことはこれさえ真のものでありさえすれば、どんなことでもまだ辛抱しやすいが、実際、確実な60年の不作なのだからやりきれない、いくら心の持ち方ひとつだといっても〕
〔若い人は、夫婦になる前にしっかり考えなければならない。なったあとは、どんなことがあっても両方が別れまい、いっしょにいようという決心でいかなければならない。夫婦になってどうにでもなれというような気持ちになりだすと面白くない。また、初めから理想の夫婦というものはあまりないものである。特に今のような世の中ではそうである。そこで愛を培うということが大事なことになる。…愛がお互いの忍耐と努力によって培われていきさえしたら、必ず金剛不壊の愛の殿堂が建つのである〕
『愛は養わねばならん。夫婦は命がけで、お互いに築き合わねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのぢゃ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ喜びあるぞ』
〔夫婦愛だけではなしに、本当の情愛というものは、兄弟愛も主従の愛も、友達の愛も人類愛も同じものであって、自分がつくさなければ、自分が世話をしなければ生じるものではない、お互いが世話をし合うところに愛情は生じてくる。それをよくしっていなければ駄目である。思うに、夫婦は結婚当初のことを忘れず、相互にいたわり合い、同情し合い、人格を尊重し合い、例え、しばらくの遠く離れ住む時も、相互に祈り合い、魂を通わし合うことを怠ってはならない〕
『妻にまかせ切った夫、夫にまかせ切った妻の姿となれよ。信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸開けるぞ。富士晴れるぞ』
『家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ』
〔女房によって夫は働かされるものである。女房以上に、男は力を発揮することは難しい〕
『夫婦ケンカするでない。夫のみいかんのでない。妻のみ悪いのでないぞ。お互いに己の姿を出し合っているのぞ。よく会得せよ』
『家内和合出来んようでは、この道の取次とは申されんぞ。和が元ざと申してあろうが。和合出来ぬのはトラとシシぞ。どちらにもメグリあるからざぞ』
※霊界物語においては、結婚は二度までで、一度結婚したら、よほどの事情が無い限り、再婚は許されない。飽くまでも物語の話とは言え。現界においても、それなりの心づもりが必要でしょう。