『善き人のためのソナタ』をめぐって
映画通信」:(ケイケイさん)
(TAOさん)
(イノセントさん)
####【みぃ♪の閑話休題】####」:(みぃさん)
Somewhere Before」:(タンミノワさん)
ヤマ(管理人)


  No.7273から(2007/03/24)

(ケイケイさん)
 ヤマさん、こんばんは。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、ケイケイさん。

(ケイケイさん)
 みぃさんも注目のこの作品、やっと観てやっと書いたので、やっとヤマさんのレビュー拝読しました(笑)。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。僕も早速にケイケイさんの映画日記を拝読しましたよ。

(ケイケイさん)
 ありがとうございます。私もすごく気に入った作品だったし、登場人物の描き方に深い陰影があったし、懸念のクリスタも(笑)、痛々しくも愛しい女性だったんで、早くここでお話したかったんです(^^)

ヤマ(管理人)
 嬉しいお言葉!(礼)


-------魅惑的なクリスタ-------

(ケイケイさん)
 以前に「女っぽさにリアリティのある」クリスタについて、どう感じるか興味があると、仰って下さいましたよね?

ヤマ(管理人)
 はい、はい。楽しみにしてました。

(ケイケイさん)
 実に魅惑的な人でした。

ヤマ(管理人)
 おー、そうですか(ほっ)。
 弱さというには酷な気がする彼女の姿をどうご覧になるかと。でも、映画日記にも、あの国家体制の中で生きることの難しさをわかりやすく体現していたのが彼女であって、とても痛々しいと綴っておいででしたね。

(ケイケイさん)
 年増女の色香に加え、女優だという華やかさ、それと反比例するような、壊れやすい繊細な感受性も、男性ならきっと守ってあげたくなりますよね。

ヤマ(管理人)
 ヴィースラーのように守りたくなるにしても、ヘンプフ大臣のようにいたぶりたくなるにしても、いずれにせよ、放ってはおけない風情がありますね。

(ケイケイさん)
 ああいう色香を放つ人が、か弱さや痛々しさで男性の目をひくなんて、すごく新鮮でね。最初彼女を観た時、二昔前のポルノ女優みたいだなと感じたんですよ(笑)。ちょっと崩れた、腐る寸前の果物みたいな、不健康な輝きとエロティシズムのある女性でしたよね。でも下品とは違うところもポイント高し(^^)。

ヤマ(管理人)
 そうそう、そうなんです。僕の好みですね〜(あは)。

(ケイケイさん)
 大臣と車でセックスする場面が、丹念に描かれていたでしょう?

ヤマ(管理人)
 ええ、なんか異様に生々しかったですねー、臨場感満点で。

(ケイケイさん)
 この他にもドライマンとクリスタの、肉体の快楽より心の安らぎが感じられるセックスや、ヴィースラーと娼婦とのセックスとか、私はセックスシーンがすごく印象的でした。

ヤマ(管理人)
 シーンとしては、決して多くはないのに、印象深いですよね。それに引き替え、日曜日に観た『さくらん』は…(とほ)。少しは見習って欲しいものだと思います(笑)。

(ケイケイさん)
 ヴィースラーの「もう少しここにいてくれ」には、もう胸が詰まって。『チョコレート』の娼婦とのセックス場面を思い出しました。両方ともただの排泄行為風に観えて、実は、男性側には心を慰めて温めて欲しいみたいな、深い意味があると感じました。

ヤマ(管理人)
 おぉチョコレート
 この作品についても、ここで談義を重ねたものでしたが、その頃は、まだケイケイさんとは知り合えてなかったですねぇ。御指摘のように、二つのセックスシーンには、確かに『チョコレート』同様の対照が込められていたのかもしれませんね。

(ケイケイさん)
 クリスタが大臣と車でセックスする場面では、逃れたいのにそれが出来ない、いやいやなのに合意の上みたいな、彼女の辛さがすごく感じられました。

ヤマ(管理人)
 形式的には自由意思に委ねた形にしているわけですが、そのことが余計に酷薄な効果を及ぼしているのを楽しんでいる風情が大臣に窺えて、そのねちっこさにクリスタは本当につらそうでしたね。

(ケイケイさん)
 そうですよね。「いやなら恋人の元に返してやろう」と言いながら、キスしておっぱい揉むんですから(^^;)。

ヤマ(管理人)
 権力が人を愚劣にする場合、こういうとこに露骨に出て来ちゃいますよね。その愚劣を通用させることで己が権力のほどを確かめるという面もあって、そのことがまた、更に愚劣のほどを強く印象づけてくれてました。

(ケイケイさん)
 直後シャワーを浴びて、ドライマンに抱きしめられてむせび泣く場面では、私も泣けて泣けて。


-------ドライマンとクリスタ-------

ヤマ(管理人)
 なす術がないと言えばそれまでながらも、ドライマン、どこかそこんとこの問題を避けている風情がありませんでしたか? 下手に触れるよりは遥かに賢明なんですがね。

(ケイケイさん)
 あの時ドライマンは、全部わかっていましたよね。避けたのではなく、私は憔悴しきって泣いている彼女から、真実を探るのは無理だと思ったんじゃないですか? クリスタが薬に頼る精神状態だと知っていたはずですから。クリスタが苦しい自分の現状を訴えないのも愛情なら、あの時何も聞かないのも愛情だと感じました。

ヤマ(管理人)
 勿論そういう面もありますよ。でも、単に愛情だけでは済ませない屈託や悔しさを偲ばせていたようにも思えました。ドライマンの胸中の複雑さを演じていた、セバスチャン・コッホの力量が窺えましたねぇ。

(ケイケイさん)
 彼女が大臣の呼び出しに出かけようとする時は、引きとめましたよね? その描写であの時の説明はつくと思いました。

ヤマ(管理人)
 引き留めつつ、引き留めきらない躊躇が窺えませんでした?
 ヴィースラーの忠告で取りやめたクリスタなんですから、ドライマンの向かい方次第では、ヴィースラーの忠告抜きに取りやめたはず。っていうか、無意識のうちにドライマンにそれを求めてもいたのではないかという気さえするんですよね。もっとも、そうなっていたら、あの映画の物語の展開が違ってきちゃうんですが(苦笑)。
 なにせ僕は、ヴィースラーの目覚めにおける決定的な出来事として、クリスタが彼の忠告を聞き入れたことに着目しているわけですからね(あは)。

(ケイケイさん)
 ドライマンの向かい方次第って辺りね、クリスタも私と同じく優柔不断男が好みですから(笑)、恋しい人は、これ以上は言わないだろうと、わかっていたと思いました。

ヤマ(管理人)
 言わないというか、言えない人だとは判っていたでしょうね。

(ケイケイさん)
 だから打ち明けないで、自分ひとりで苦しむほうを選んだんだと思います。

ヤマ(管理人)
 少なくとも、分かち合えるツラさではないことを彼女は知ってましたよね。

(ケイケイさん)
 クリスタは、か弱く繊細だけど、あなた次第の女性ではなく、常に自分の意思で動いていた人だと思います。あの時ドライマンがもっと引きとめても、きっと出て行ったと思います。

ヤマ(管理人)
 丸々あなた次第の女性ではないですよね。女優だし。女優っていう職業も、そう言えば、微妙ですよね〜。演出家の唯々諾々では、身の入った演技には到達しそうにない一方で、台本や演出の指示に従える素直さがなければ、成り立ちませんしね。

(ケイケイさん)
 この二人は当時の東独でなければ、そのうち結婚して幸せに暮らしていたのだろうと思うと、国家のあり方に怒りも沸きました。

ヤマ(管理人)
 そうです、そうです。国家のあり方についての主張が明確に現れている作品ですよね。

(ケイケイさん)
 その演出の仕方がとっても情感豊かで格調高く、若い監督さんなのに、すごいなぁと、とても感心しました。

ヤマ(管理人)
 ほんとにそうですねー。脚本も書いてるんだから、全く大したものです。

(ケイケイさん)
 『華麗なる恋の舞台で』のジュリアを観た後では、いかにも儚げで頼りないクリスタですが、

ヤマ(管理人)
 華麗なる恋の舞台では、大阪で観ました。間もなくこちらでも上映されるんですが、あのジュリアは、大女優ですからね。クリスタは大女優には至ってませんもの(笑)。

(ケイケイさん)
 やはり当時の政治情勢が強く彼女に影響したのだと思います。

ヤマ(管理人)
 政治状況は無論ですが、加えて僕は、やはり守りたい弱みがあると付け入られやすくなるなってことと、状況が悪いと目を惹くものを備えていることが仇になる哀しさのようなものを感じましたよ。

(ケイケイさん)
 そうですね。仰るとおり。家族を引き合いに出されたり、美貌が災いしたり。まるで時代劇の世界みたいですが、今世界中でそんな現状の国もあるんですよね。
 薬物にしても、女優としてのプレッシャーだけなら、クリスタは手にしなかったと感じました。

ヤマ(管理人)
 なるほど。それはそうなのかも。

(ケイケイさん)
 最後のほうの彼女の浅ましい言動は、私は、薬欲しさだったと感じたので、弱さに同情は出来ても、とても責める気にはなりません。

ヤマ(管理人)
 別に薬欲しさでなくとも、あのように目を付けられた状況では、ケイケイさん同様、僕もとても責める気にはなりません。

(ケイケイさん)
 「私は弱い女なの」と言う彼女に「許してくれ」ってドライマンが言うシーンは、私は哀しいのに羨ましいとも感じました。

ヤマ(管理人)
 羨ましい、ですか! これは、当然ながら、男の側からは叶わない感想ですよね。男の側からは、やっぱ屈託と悔しさに満ちたしんどい場面です。

(ケイケイさん)
 まぁヤマさんたら、男らしい(笑)。私は美しいなぁとため息までついたのに(笑)。

ヤマ(管理人)
 え? 男らしいんですか(驚)? どっちかというと、情けない思いをしている気がするんですが(苦笑)。

(ケイケイさん)
 ヤマさんが男らしいと言ったのは、視点が「世の中のせい」じゃないからです。一人の男性として、忸怩たる思いがあるわけでしょう? 普通は情けない思いもせず、怒りのベクトルが政治に向く人が多いように想像したので。

ヤマ(管理人)
 なるほど、そういうことですか。そりゃまぁ、転嫁よりは引き受けのほうが、たとえ惨敗しててもまだしもですな。社会のせい、政治のせい、時代のせい、他人のせいetc、何かのせいにしたがるものではありますね、確かに。

(ケイケイさん)
 ドライマンの「許してくれ」は「君を守れなくて」が前にくるでしょう? 出来事だけみたら、彼が「許してくれ」と言うのはおかしいですけど、それを超えた絆が二人にはあったんだなぁと思うと、最近絶滅寸前の男女の有り方みたいに感じて、痛みを感じつつロマンチックな気分になりました。

ヤマ(管理人)
 でも、ドライマンとしては、やはり悔しく情けない思いをしているわけですよ。それを思うと、とてもロマンチックな気分にはなれないのですが、女性からすれば、「許してくれ」という彼の言葉で、クリスタに赦しが与えられていることのほうが響いてくるわけですよね。
 なるほどねー、ケイケイさんが映画日記でドライマンという人物に、とても高い評価を与えているのは、そういうところからもくるわけですねー(納得)。

(ケイケイさん)
 仰るとおり。
 優柔不断で人間の器が大きいというところが、ポイントでしょうか?(笑)。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんのような眼差しで見てもらえると、男は随分と救われるなー(笑)。

(ケイケイさん)
 酒場でヴィースラーに、「私は恋人を傷つけていると思う?」と哀しげに聞いたり、思い直してドライマンの元に帰ったことが、彼女の本質なんだと思います。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんが日記に書いておいでたように、「繊細な神経を持つ」女性なんですよね〜。


-------ヴィースラー登場-------

(ケイケイさん)
 それにしても尋問の時、クリスタがヴィースラーを忘れていたのは、私はショックでした。

ヤマ(管理人)
 だって、スタンドバーで一度会っただけじゃないですか。それに、自分のファンだと言ってくるような、演劇に関心のある者が国家保安省の尋問官にいるとは、思いもしないんじゃないですか?

(ケイケイさん)
 そうですか〜? ヴィースラーのお陰でドライマンの元に戻ったのに、私はなんて可哀想な!と感じましたよ。

ヤマ(管理人)
 まぁね、観てる側は、ヴィースラーの変化を目撃してきてるわけだから、人情として、そういう思いにはなりますよね。でも、クリスタが覚えていないのが普通だという気がします。
 確かに、映画なんかでは、ああいう一見であっても、やたら記憶力がよくてしっかと覚えているような登場人物のほうが多いような気もしますが。特にその映画が謎解きものだったりすると、もう超人的にそういうものですよね(笑)。

(ケイケイさん)
 だからヴィースラーが振り向いた時、クリスタがドキッとすると思ったら、素無視だったでしょう?

ヤマ(管理人)
 無視というほどの意図もない、ごく自然な不認知だと受け止めてました(あは)。

(ケイケイさん)
 あれは、常に日陰で犬の如く反政府者を探っていた、ヴィースラーへの世間一般人の目なのかと感じました。

ヤマ(管理人)
 あぁ、それはあるでしょうね、確かに。
 されば、無視する意図は働いていたのかもしれません。なるほどな。

(ケイケイさん)
 いくらシュタージのエリートでも、彼の存在はないも同然なんだ、そんな生活をヴィースラーはしてきたのだと感じました。

ヤマ(管理人)
 おぉ、こう繋がってくるわけですね。
 彼の姿のクリスタへの映り方はそこまでのものではないでしょうが、観客の目に映る彼の姿として、作り手が期待しているのは、確かにそれだったのかもしれませんねー。


-------ヴィースラーが先に惹かれたのは、どっちか。-------

(ケイケイさん)
 それにしても、なるほど『仕立て屋の恋』ですねぇ。

ヤマ(管理人)
 僕には、それでしたね、まさしく(たは)。
 ですから、ケイケイさんが映画日記に、「ヴィースラーは、クリスタよりも先ずはドライマンに強く惹かれていた」というふうにご覧になっていることを綴っておいでなのが、とても新鮮でしたよ。ヴィースラーがドライマンだけではなく、クリスタにも心を寄せたのは、哀しい彼女の心をドライマンが受け止めた時からではないでしょうか? 自分の夢であるドライマンの愛するクリスタは、ヴィースラーにとっても守りたい愛したい女性なのですね。とお書きの部分には、おぉ〜って思いましたもの。
 そうか、そういうふうにご覧になるのもあるのか〜って(笑)。

(ケイケイさん)
 私は反対に、ヤマさんがまずクリスタありきと感じられている部分が新鮮でしたね(笑)。

ヤマ(管理人)
 お互い、ここんとこが最も面白い違いでしたよねー(笑)。
 僕が男で、ケイケイさんが女性なればこそ、さもあらんという気も(あは)。

(ケイケイさん)
 大臣の後、クリスタを抱きしめるドライマンを監視しながら、目をつぶって小首を傾げていたヴィースラーには、ちょっと前にヤマさんとうちの掲示板で、“同化”という言葉についてやり取りをしたことが頭を過ぎりました。あの時ヴィースラーは、ドライマンと同化して、クリスタの心を抱いていたと思いますねぇ。

ヤマ(管理人)
 いやいや、そうまで虚心坦懐にはなれないものですよ、男としては(笑)。

(TAOさん)
 ヤマさん、ケイケイさん、こんにちは。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、TAOさん。

(TAOさん)
 私もケイケイさんと同じく、ヴィースラーは先ずドライマンに惹かれ、ドライマンと情を通じているクリスタにも惹かれたと見ましたよ。

ヤマ(管理人)
 おやおや、TAOさんもですか(笑)。
 女性は、そう御覧になりがちなのかな〜。僕からすれば、これは絶対に反対でして、例の検問抜けを試すときのヴィースラーの見逃しが「今回だけは…」という呟きとともにあったことについても、ドライマンたちへの理解や共感より先に、クリスタへの気遣いがあって、それがヴィースラーのお目こぼしに繋がったのかもとさえ思ったほどでした(あは)。

(TAOさん)
 いや、もっと正確にいうと、二人の関係に惹かれたんだと思いました。

ヤマ(管理人)
 ふーむ、これも思い掛けないご提示(礼)。
 ヴィースラーって、そんなに虚心坦懐に臨んでいたんでしょうかねぇ。なんかえらく立派な奴じゃないですか(笑)。

(TAOさん)
 いや〜ちがうでしょう(笑)。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。
 羨ましく感じていたとは思いますよ、猛烈に。でも、それは、二人の関係にではなく、ひたすらドライマンに対してだったように感じます、僕は(苦笑)。だけど、ヴィースラーは下品な人物ではないので、妬んで壊しに掛かったりはせず、むしろクリスタへの想いのために、見守りに向かっていったのだと思いました。ドライマンは、おまけですよ、おまけ(笑)。でも、おまけに思わぬ見所があったというか、次第に認める気持ちになってきたという感じを僕は受け取りましたねぇ。

(TAOさん)
 そうですね。ヴィースラーにとってドライマンは、初めはただの獲物だったはずなんです。目を輝かせ、舌なめずりしながら、腕まくりして、監視にかかってましたもの。劇場で初めてドライマンを見たときのうれしそうな様子が異常でした(笑)。

ヤマ(管理人)
 確かに、ドライマンは彼にとって獲物だったんですが、最初から、実は普段と違っていたように僕は感じていましたよ。劇場でブルビッツ部長たちから彼らを教えられたのは、盗聴を始める前だったように思いますし、

(TAOさん)
 ええ、そうです。その時、もう目がらんらんと輝いてました。

ヤマ(管理人)
 それに、ミッション自体にヴィースラー的には面白くはない邪心が込められていたでしょ。彼は“国家に忠実な”有能監視官であって、ヘンプフ大臣の横恋慕のためやブルビッツ部長の出世のためにっていうのは、きっと内心、苦々しく思っていたのだろうという気がします。

(TAOさん)
 それでも、いざ目の前に獲物を見せられると萌えちゃうのが、忠犬ヴィースラーの哀しさなんですよ〜。

ヤマ(管理人)
 パブロフの犬ってわけですか(苦笑)。まぁ、条件反射化するほどに染み付いてはいたのかも。
 でもそれでも、「成功すれば、出世できるぞ」などという部長の言葉は、彼の苦々しさを更に煽ったのではないでしょうかね。

(TAOさん)
 獲物という意味では、ヴィースラーにとってドライマンは、言わば見下していた相手なんですけど、盗聴しているうちに見上げる存在になっていくわけです。

(ケイケイさん)
 そうなんですよね。ヴィースラーは、文化的なことは軟弱だと、全く関心がなかったんじゃないですかね。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。

(ケイケイさん)
 それがドライマンの豊かな生活に触れ、自分の住処がいかに偏狭で侘しい場所なのかを知ったんだと思います。

ヤマ(管理人)
 ここで仰ってる“自分の住処”って、下品上司たちが幅を利かせているシュタージのことも指しておいでですよねー。

(ケイケイさん)
 ヴィースラーは、今まで盗聴には百戦錬磨だったはずですよね? 誰にも心動かされなかったのに、ドライマンには違ったということが、いかに当時のドイツの庶民の暮らしが厳しかったかということを偲ばせている気がしました。

ヤマ(管理人)
 そうですねー。厳しく潤いに乏しい社会だったんでしょうね。ただ、「ドライマンには違った」ということには、監視命令の発端が大臣の横恋慕であるっていう事情も少なからず影響していたように、僕は思うんですよね。

(ケイケイさん)
 それは、あったと思います。
 ヴィースラーには、東独の体制は素晴らしい物だと、揺るぎない確信があったと思うのですよ。それを大臣は私物化していて、ヴィースラーにとっては、国家に対しての冒涜みたいに感じたかもですね。

ヤマ(管理人)
 そうです、そうです。そこんとこが「見下すべき相手を見下せなくなる情況に彼は見舞われた」となる端緒だったわけですよ。そして、もっと直接的に彼にそういう思いを抱かせたのがブルビッツ部長の食堂での態度だったのだと思いますね。
 確かに、見下していた相手が見上げる存在になったのだとも思いますが、ドライマンたちへの観方を変えたくなる気持ちに彼を押しやったのは、監視対象である彼らの志や人間性もさることながら、それ以上に、上司たちの下品さへの見下し気分だったように、僕の目には映りました。つまり、見下すべき相手を見下せなくなる情況に彼は見舞われたわけですね。そこから、彼の人間性の発現というか、人間的な心への目覚めが訪れたのだろうと僕は思ってます。

(TAOさん)
 そうそう、そうだと思います。だから、ドライマンが先だと言いたいんですよ。

ヤマ(管理人)
 でも、ヴィースラーがドライマンを見下せなくなること=「“見上げる存在”になったり、惹かれたりすること」とは限らなくて、僕は、ドライマンを通じて“ソナタ”を聴いた彼に訪れた、最も強い心境の変化というのは、ドライマンたちに惹かれること以上に、自分の住んでた世界すなわちシュタージへの違和感と居心地の悪さのほうだったように感じていました。
 だから、僕には、“惹かれる”ということにおいてクリスタが先かドライマンが先かって感じがなくて、そのなかでは後先もなく、クリスタのみって感じです(たは)。

(TAOさん)
 見上げる存在になったと言っても、べつに尊敬するとか、憧れるとかじゃないですよ。自分とは対照的な生き方をしている男なんて、今までならなんの疑問もなくただの獲物扱いだったのに、なんだか自分でもわからないけど、羨ましいという“わけのわかんない感情”が生まれてきて、そこで初めて、彼のアイデンティティがゆらぎはじめるわけです。

(ケイケイさん)
 そうですよね、の二乗(笑)。最初は獲物だったけど、段々あの二人に愛を感じてきたと思います。不毛ではない、愛と片思いの三角関係というか(笑)。

ヤマ(管理人)
 哀しいですよね。クリスタは、ヴィースラーの存在を認知すらしてないわけですし(笑)。


-------ヴィースラーとはいかなる人物であったか。-------

ヤマ(管理人)
 ヴィースラー自身に訪れた心境の変化というのは、まさしくそのような“わけのわかんない感情”という形でやってきてたんでしょうね。その目覚めという状態をウルリッヒ・ミューエは、とっても巧く表現していましたねー。

(TAOさん)
 もうほんとにすばらしかったです! おかげで、私の目にはドライマンがすっかりかすんでしまいました。たぶんケイケイさんも、私も、盗聴を始めた時点でのヴィースラーの人間性は、恋をするほどにはまだ目覚めてないんじゃないかと、言いたいんですよ。

(ケイケイさん)
 うんうんうん!そうですよね、の三乗(笑)。

ヤマ(管理人)
 やっぱり?(笑) 強豪タッグだなー(笑)。

(ケイケイさん)
 ヴィースラーは、今まで女性と恋愛関係になったことがなかったんだと思います。自分には不必要なこと、みたいな認識だったんじゃないですかね?

ヤマ(管理人)
 なるほど。確かに、ちょっとそんな感じでしたね。

(ケイケイさん)
 女性に対するその心の変化を、娼婦に「もう少しいてくれ」で表すんですから、切ないですよね。
 社会派としての厳しさも充分感じつつ、今回ワタクシ、ひたすらロマンチックです(笑)。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、いいですなー、ロマンチック!“ソナタ”効果、絶大だなー。ケイケイさん、善き人なんですよ、きっと。
 そもそも、ずっと己が人間性を抑圧してきていたであろうヴィースラーに、一目惚れの恋ってのは確かに似合わないですよね。ですから、僕も劇場でクリスタを見初めたのではないと思ってます。やっぱり拙日誌に綴ったように、ヘンプフ大臣の要求よりも自分の忠告のほうに従ってくれたところから、見張りから見守りへの転換が生じ、見守りの視線のなかで恋情へと高まっていったのだろうと思います。

(TAOさん)
 ええ、そこに関しては異議ありません。

ヤマ(管理人)
 そして、そこに触媒として強く作用したのが、かの楽曲に留まらない象徴的な意味での“ソナタ”だと思うわけです。特に、TAOさんやケイケイさんと談義してて思ったのは、このヴィースラーの忠告というのは、クリスタへの想いもさることながら、ドライマンたちの行動や態度を倣わずにいられなかったという面があったのかなともと思い始めてきたところです。すなわち、「己が“善きこと”と思ったことを口にし、行動する」ってことですね。

(TAOさん)
 ええ、ええ、そこですよね〜。それがいちばんのポイント。

ヤマ(管理人)
 ヴィースラーは、ずっと観察し、探り、試し、尋問し、と相手を素材にした行動を取るばかりで、自分の思いを表現するなどということはしたことのない人生を過ごしてきてたんでしょうから、あの忠告行動というのは、相当に思い切ったことだったはずです。実に大きな転換点だったように思います。

(TAOさん)
 ヴィースラーって、女の子にまだ関心のない中1ぐらいの男子が、ガールフレンドとつきあっている先輩に感化されて、先輩のガールフレンド、かわいいなあ、と思う、そのぐらいのレベルに近いんじゃないかと思うわけです。

ヤマ(管理人)
 なるほど、なるほど。その感じ、とってもよく分かります(拍手)。

(TAOさん)
 ん、ありがとうございます!

ヤマ(管理人)
 でも、それって別にその先輩への敬意とか関心とかとは関係なくて、自分にとって未知であった素敵なものに出会わされての芽生えで、感化というならば、先輩の“人格”ってことより、ガールフレンドと付き合っている“行為”のほうに影響を受けてるんじゃないですかねぇ?(笑)

(TAOさん)
 ええ、だから彼は、二人の“関係”に憧れているんであって、恋情は抱いても、ドライマンの代わりに自分が、とまでの意識はないと思うんですよね。

ヤマ(管理人)
 そうですね。代わりに自分がとか、妬んで壊しに掛かったりとかはせず、先に書いたように、やはり「クリスタへの想いのために、見守りに向かって」いってたと思います。それで言えば、“関係”よりも彼女そのものなんですが、向かい方が、自分が当事者になる方向ではなく、“見守り”なんですよね。それがヴィースラー流の想い方なんですが、守ろうとしているのがドライマンと付き合っているクリスタなので、自ずと彼らの“関係”を守り尊重しようとしていることにもなるのでしょうね。

(TAOさん)
 奪い取ることよりも想いを託して同化するというのは、性別に関係なく、恋に恋しているような時期にある青少年が抱くには、それほど珍しくない感情じゃないでしょうか。ヴィースラーのようなオジサンには、非常に珍しいですが(笑)。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、でも、僕にしても、ドライマンに代わって自分が、などとは特に思わなかったんですが(たは)。ひょっとして、恋に恋してるのか?<青い僕!(笑)


-------ヴィースラーに魂萌え!る二人の女性-------

(TAOさん)
 そういうことでは、私もケイケイさんと同じく、娼婦を呼んだのは、クリスタへの欲望の代償というわけではなく、人との触れあいを欲したのだと思いましたし。

ヤマ(管理人)
 これは同感ですね。人恋しさのようなものですよね。代用品扱いでは決してなかったですね。もう少し居てくれと求めても応えてもらえない彼の寂しさが沁みてきましたね。単なる欲望の捌け口的なものなら、事を終えりゃ用なしってな態度になるはずですもの。

(TAOさん)
 ですから、ケイケイさんが「あの時ヴィースラーはドライマンと同化して、クリスタの心を抱いていたと思いますねぇ。」とおっしゃるのには、まったく同感!

ヤマ(管理人)
 うーむ、女性たちはこぞってロマンチックだぞ! いつもの手厳しさはどこへ(笑)。ヴィースラーに魂萌えしちゃってるじゃありませんか(笑)。

(ケイケイさん)
 今回はTAOさんといっしょの感想みたいで、恐悦至極に存じます(笑)。

ヤマ(管理人)
 ゆれるでも魂萌え!でも、僕の見解の地点から見れば、お二人は、とても近かったように思いますよ(笑)。

(TAOさん)
 その二作でもそうでしたが、ヤマさんが私たちのようにはご覧にならないのも、納得できる気がします(笑)。

ヤマ(管理人)
 そりゃもう(笑)。僕がヴィースラーに魂萌えするのもヘンでしょ、クリスタに決まってます(笑)。それはそうと、TAOさんが某所にお書きになっていた東ドイツもソ連もたぶんこうして内側からほころんでいったのだなあとの連想は、なるほどーと、納得の主題だと思いました。そのようにして観ると尚更に、ヴィースラーをそれなりの人物として描いているところがよくなりますね。
 彼に比べると、ドライマンは、TAOさんがお書きのようにふつうにかっこいいが、あまり見せ場がない。という気が、僕もしました。ヘンプフ大臣に対し、その最低ぶりがカッコイイと受け取る境地には、僕は達していませんが(笑)、クリスタの崩れかけた豊満な体つきがじつにエロく、繊細な神経を鎮めるために違法のクスリを使っているという設定が効いている。というのは、全くの同感です。


-------ドライマンにも魂萌え!たケイケイさん-------

(ケイケイさん)
 その点では、ヤマさん、TAOさんとも、印象の薄いというドライマンなんですが、私はキャラ立ってたと思います。

ヤマ(管理人)
 いえね、僕は、ですから、ケイケイさんの映画日記を読んで目が覚めるというか、おぉ、そう言われれば、確かにそうとも言える男やんかって改めて思い、ちっともそういう目を向けてはなかった自分が、いかにクリスタに偏ってたかに思い当たって、我ながら笑っちゃうなぁって気分になったわけです。それと同時に、女性はやっぱ男を注視するんだなぁって(あは)。

(ケイケイさん)
 何というか、仕事は出来るけど、日常は優しさが優柔不断とイコール感のあるタイプの男性は、私のタイプなんです〜。

ヤマ(管理人)
 ん? 仕事はともかく、その「優しさが優柔不断とイコール感のあるタイプ」って、僕、わりっと親近感、持てるんですが(笑)。

(ケイケイさん)
 そのうえ教養もあるし、結局は男気も見せるし、私の中では主張しまくりで、ほとんど完璧だったんです(笑)。

ヤマ(管理人)
 さすがに僕も、ここまで行くと、ちょっと親近感とはね〜(たは)。


-------大事なことは後先ではなく目覚めそのもの-------

ヤマ(管理人)
 まぁ、それはともかく、クリスタとの関係でくっついてくるドライマンを“おまけ”と感じるか、おまけどころか、そもそもがドライマンのほうなんだと感じるかでは、大きく違っているようにも思えますが、そう大した違いではないようにも思えたりします。

(ケイケイさん)
 そうなんでしょうね。大事なことは、ヴィースラーが「善き人」として目覚めることなわけで、ドライマンでもクリスタでも、どちらでもいいのかも。

ヤマ(管理人)
 ええ、僕にはそんなふうに思えます。そういう意味では、『ゆれる』談義のときの「稔と智恵子の間にセックスがあったかなかったか」という論点よりは、重要度が比較になりませんね(笑)。ただ、この談義を通じて、僕がいかにクリスタの存在に重きを置いててドライマンを重要視していなかったかに気づかせていただくとともに、ヴィースラーの忠告が単にクリスタへの想いゆえのものではなく、むしろ、その時点では、ヴィースラー自身に自覚はなくとも、ドライマンたちに感化されての行動だったと観るべきものだという気付きを与えていただけたのが大いなる収穫でしたよ(礼)。
 でもって、ドライマンかクリスタかということでは、ドライマンのほうにウエイトを置くほうが、クリスタに重きを置くよりも、幾分かヘソのうえのほうに上がっているようには思いますけどね(笑)。

(TAOさん)
 ヴィースラーが、ヤマさんのおっしゃる「己が“善きこと”と思ったことを口にし、行動する」ことに目覚めたというところがいちばんのポイントで、ドライマンが先か“おまけ”かはどっちでもいいんだと思います、私も(笑)。

ヤマ(管理人)
 盗聴版『仕立屋の恋』とばかりに、クリスタに見とれてた僕も、おかげさまで、少〜しヘソのうえのほうに上がってくることができました(笑)。

(TAOさん)
 昨日は、バーホーベンのブラックブックで、ドライマンことセバスチャン・コッホに再会しました。

ヤマ(管理人)
 わぁ、いいなぁ、こっちでは上映されそうにないんですが。

(TAOさん)
 今度はナチスの将校なんですが、血も涙もあり、やさしくて、でもやっぱり私には「ふつうにかっこいいけどいまいち」でした(笑)。

ヤマ(管理人)
 あらま(笑)。

(ケイケイさん)
 『ブラックブック』、セバスチャン・コッホが出ているんですね。楽しみが増えました。ナチの将校なのにいい人なんて、

(TAOさん)
 だから制服が似合わないんです〜!(笑)

ヤマ(管理人)
 『愛の嵐』のダーク・ボガードも似合ってなかったような(笑)。あやつ、いい人なんて奴じゃなかったけど。

(ケイケイさん)
 セバスチャン・コッポのほうは、この“いい人”の線でしばらく行くのか?(笑)。

ヤマ(管理人)
 役者なれば、きっと濃ゆ〜い役が欲しくなりますって(笑)。

(TAOさん)
 私がドライマンに惚れきれないのは、私の“男らしさ”が邪魔をしてるような…(笑)。私も忸怩としてしまって、ぜんぜんロマンチックな気分になんてなれなかったもの。

ヤマ(管理人)
 女性よりも男性の側に、より感情移入してしまうTAOさんって…(笑)。
 着物をお召しになるのがお好きな方でいらっしゃるのにねー。

(ケイケイさん)
 TAOさん、私は男らしさというより、日々親父化していく自分に忸怩たる思いがあるので(笑)、

ヤマ(管理人)
 そーかなぁ、映画日記を拝見する限り、ちっともそうは思えませんよ。

(ケイケイさん)
 この作品を観る限り、意外に女心もまだ満タンなようで、嬉しい限りです(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうですよ〜(笑)。TAOさんだって、「あの時ヴィースラーはドライマンと同化して、クリスタの心を抱いていたと思いますねぇ」とおっしゃるケイケイさんに「そうそう、まったく同感!」ということなんですから、ヴィースラーが絡んでくると、ロマンチックなんですってば、今回は(笑)。


-------再燃! 何がヴィースラーを目覚めさせたか-------

(TAOさん)
 今朝、イノセントさんの感想を拝読して目からウロコだったのでご報告に来ました(ご本人をさしおいて僭越なのですが!)。
 え〜、イノセントさんによると、まずヴィースラーは対象者の心理分析に関しては自信を持っていて、大臣のことでドライマンはクリスタを責める、うまくいけば国家を罵倒する発言も出るだろうと心理分析していたのではないか。それなのに、ドライマンがクリスタを責めるどころか、黙って抱擁したのを知って驚愕し、初めて自信がゆらいだのではないか。そして、それが、ヴィースラーが変わったきっかけではないかとおっしゃるんです。
 ケイケイさんならきっと「我が意を得たり」ではないかしら?
 私はドライマンの忸怩たる思いばかりが気になって、ヴィースラーがどう感じたかをきちんと考えてなかったことに気づきましたよ。ドライマンが恋人を守れず不甲斐ない自分を責めることはあっても、まさか相手を責めるなんて、考えもしませんでしたからねー。でも、ヴィースラーならきっとそう考えたはずですよね。

(ケイケイさん)
 私も拝読しました。激しく嬉しかったです(笑)。普段の私は、浮気してきた女を許す男なんて大嫌いなんですが、

ヤマ(管理人)
 逆は?(笑)

(ケイケイさん)
 散々懲らしめて許してあげます。そうやって恩を売っときます(笑)。

ヤマ(管理人)
 賢明なご対処です(笑)。恩売る機会が得られて儲けもの、くらいな境地には至りませんか? 流石に(あは)。でも、恩は売っても、怨 売るな!ですよねー。売った怨は、結局、自分も買うことになりかねませんから(笑)。

(ケイケイさん)
 ドライマンは、あの状況、相手を見て、咄嗟に事情を察したんですよね。あれこそ男性の包容力以外に他なりません(きっぱり)。

ヤマ(管理人)
 包容力というか、そうしかしようがなかったという感じなんですが(たは)。事情を察することができれば、自ずとそうなりますよ。

(ケイケイさん)
 そうですか? TAOさんもお書きのように、ヴィースラーは違うと思ったんじゃないですかね? 分析とか統計とか重んじている人なので、痴話げんかなり、お互い無視して不穏な空気が二人に流れるなり、どちらかが、今までのケースには多かったんじゃないですか? 私自身、不穏な空気のほうだと思いましたし。

ヤマ(管理人)
 多い少ないで言えば、確かに仕掛けた罠にすぐに掛かる場合のほうが多いでしょうね。でも、そこが百戦錬磨の腕利きヴィースラーですから、直ちにそうはならない事例にも幾つも当たってきてると思うんですよ。少し締め上げると簡単に白状する者もいれば、精神的肉体的拷問を含め、技巧を凝らさないと音をあげない者もいるし、そうやっても簡単にはいかないツワモノにも何度も出くわしてきているはずなんです。
 でも、相当なツワモノでも、時間には勝てず、執念深く追っていれば、仕掛けた罠やいたぶりが必ず功を奏してくるのが人間だと学んでいたと思います。ですから、即効性が発揮されなくても、さほど驚きはせず、むしろ、そのうちいずれ効いてくるはずと見越していたような気がするんですよ。で、そっちのほうをハズされたことが、けっこうこたえたんじゃないかなぁ。

(ケイケイさん)
 あの事情のなかで、女は抱きしめてという、男は黙って抱きしめる、そんな男女の在りようは、ヴィースラーの辞書にはなかったんだと思います。

ヤマ(管理人)
 稀少例でしょうが、ないことはなかったと僕は思いますね。ただ、その場はそのように対処できても、持続できるとは思ってなかったでしょうね。とりわけ脆い“愛”と言いますか、“男女関係”ですし、ね。

(ケイケイさん)
 ドライマンの抱擁をイノセントさんは許しと感じ、私は受け入れたと感じたんですね。これは彼女の本意ではない、この国の体制のせいなんだと。言うなれば「罪を憎んで人を憎まず」というか(笑)。

ヤマ(管理人)
 それはそうですね。赦しはともかく、受け入れたのは間違いありません。でも、受け入れるにしても屈託は大ありで、実にツライ場面でしたね。そこんとこが効いていて、僕はとてもよかったんですが(趣味悪(笑)。)。

(ケイケイさん)
 その受け入れを目の当たりにしたわけでしょう? 私もイノセントさんと同じく、ヴィースラーの変化は、このことがきっかけだと思いました。

ヤマ(管理人)
 ええ、僕もここでの談義に書いたように、“きっかけ”と観ることに何ら異存はありません。でも、ドライマンがどう出るかということで言えば、彼は、おっしゃるところの国の体制ということに問題意識を強く感じているからこそ、レジスタンス的な意思を持っているわけですよね。だとすれば、力の論理による権力主義の横暴についても熟知していて、咄嗟に事情も察しているのに、それでも相手を責めて八つ当たりできるほど、彼はオバカじゃありませんもの。

(ケイケイさん)
 TAOさんがおっしゃるように、クリスタを責めると考えたはずのヴィースラーが、自分にはないドライマンの“人間というより、男としての豊かさ”に触れたことは、自分自身を振り返るきっかけになったと思うんですよ。あれ以降、ドライマンは、ヴィースラーの希望や憧れになっていったと感じました。

ヤマ(管理人)
 なるほどねー。僕とは少し感じ方が異なりますが、そういう真っ直ぐな転換というのを受け取る観方もありでしょうね。他にも例えば、ブレヒトの本を盗み出して読む行為に対してだって、彼の希望や憧れの思いが現れ出たものだという観方は、当然あるでしょうし、僕なんかのように、それ自体が未知なる世界への探索のプロセスと見る観方もあるでしょうね。

(ケイケイさん)
 これは全然ありですよね。

ヤマ(管理人)
 支持してくれて、ありがとう。

(ケイケイさん)
 文学で人生を学ぶなんて、ヴィースラーの人生にはなかったことですから。

ヤマ(管理人)
 ええ、そうですよね。そして、あのときは、自身が書物から直接学ぼうとする思い以上に“ソナタ”を奏でる人たちの秘密がそこにあるのかどうか、どんなことを書いてあるのか、探りたくなったという感じに見えたんです。実は、僕も今朝、イノセントさんの感想は、拝見してるんですよ。出勤の必要があったので、そのままにしてましたが。
 イノセントさんがここにヴィスラーの確信が揺らぎ始めたのであるとお書きのとおり、端緒はそこからだったんでしょうね。でも、僕は、あの場面では、彼らにボロを出させるべくドライマンに罠を仕掛けて動揺と亀裂を誘ったヴィースラーが少々当てを外されながらも、一度に果報を得られないことも織り込み済みで、罠は次第にじわっと効いてくるはずと冷静に読み込んでいたと受け止めてます。
 あのときのドライマンのクリスタへの向かい方という一事でドラスティックに変化を来すほどには、百戦錬磨のヴィースラーは単純ではなかったはず。かくべつ動揺したり驚いたりはしていませんでしたしね。

(イノセントさん)
 こんばんは。
 『善き人のためのソナタ』またまた盛り上がってますね。TAOさんに呼び出されたみたいで…

ヤマ(管理人)
 そうですねー。TAOさんがイノセントさんの御見解をここに持ち込んでくれて、さらに盛り上がっています。ありがとうございます。

(イノセントさん)
 ヴィスラーのこの時の表情は本当に冷静の表情だったのでしょうか?

ヤマ(管理人)
 ほぅ。

(イノセントさん)
 僕はこの時のヴィスラーの無表情は、「呆然」と受け取りました。椅子に寄り添って聞き入っていたように思うのですが…見方によっては、ケイケイさんのおっしゃったドライマンに同化しているかのようにすら見える。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。

(イノセントさん)
 マレーナって映画(皆さんには不評でしたが…)、あの映画で、マレーナがリンチにあうシーンを呆然と眺めていた子供のシーンを覚えていますか? ヴィスラーの無表情は、この時の少年と同じだと僕は思ったのです。

ヤマ(管理人)
 自分の理解を超えた初めて観る光景に驚き、呆然としていたというわけですね。いくらヴィースラーの人間性の発芽が抑えられていたとしても、目撃体験みたいなところではベテランの域にあり、その幼い少年ほどにヴィースラーが未熟だとは思いにくいところですが、鮮烈に視野に入ってきたということでは、確かに初めてのことだったのかもしれませんね。

(イノセントさん)
 それがあって、ヤマさんのおっしゃる僕なんかのように、それ自体が未知なる世界への探索のプロセスと見る観方もあるでしょうね。に繋がるんだと思うのですが・・どうでしょうか?

ヤマ(管理人)
 自分の理解を超えた初めてのものとして認知すればこそ、探索心が湧くというのは、自然なことですもんね。そういうところは、無論あったように思います。ですが、僕がヴィースラーにとって“自分の理解を超えた初めてのもの”と感じているのは、やはりあのときの二人の抱擁ではなく、その後に破綻が訪れないことのほうだったように思うのです。

(イノセントさん)
 でも、自分が善きことと思うものを口にし行動するまでには、それなりの反芻が必要なはずですから、罠は次第にじわっと効いてくるはずと冷静に読み込んでいたとしたら、ヴィスラーの価値観の崩壊と、新しい価値観の浸透と受容の時間がないことになりませんか?

ヤマ(管理人)
 効いてくるのに要する時間というのは、そんな、何ヶ月も何年もってな話じゃあないと思いますよ。その日そのときは自分たちの見舞われた不幸として共にすることができても、少し時間が経ってくると、そうは共にしていられなくなってくるっていう程度の時間ですから、ヴィースラーの思惑ハズレとなるなかで、彼の価値観に変化を来すうえでの時間ということでは、そんなに無理があるとは僕は思わないんですよ。

(イノセントさん)
 むしろ、僕の指摘した部分で価値観が一気に揺らぐ、その「きっかけ」として、ヤマさんの指摘された、体制側の腐敗が効いているように思うのですが。

ヤマ(管理人)
 勿論そのように御覧になってもよろしいんじゃないかと思いますよ。一気にのほうが、劇性は高まりますし、彼の変化自体は劇的なものだったわけですからね。一気にの急激か、じわっとかは、観る側の受け止め方のバリエーションの範囲のことではないかと思います。
 それで言えば、僕は、二人の抱擁で一気にと観るよりも、二人の間に一向に動揺と亀裂の兆しが見えてこないことのほうがヴィースラーにはこたえたはずで、加えてそこに単に音楽ということではなく、情緒や知性といった人間的なるものの象徴としての“ソナタ”を、彼らを通じて傾聴することで、次第にヴィースラーのほうが揺らいできたのだろうと受け止めたわけです。
 そして、やはり「決定的な出来事」というのは、例の忠告とそれがクリスタにもたらした行動だったのだろうと思ってます。ただ、その忠告は単純にクリスタへの想いがさせたのではなく、自分が善きことと思うものを口にし行動するという意味合いがあったと今では思うようになっていますが。
 話の焦点となっているそのときのヴィースラーの思惑ですが、即効性への期待がどこまでだったかはともかく、仕掛けた罠が効くはずだとの目論見は確かにあったろうと思います。

(イノセントさん)
 ヤマさんが「決定的な出来事」とおっしゃる部分についてなんですが、僕はこう読み取りました。
 クリスタへの忠告という行動に出るにあたって、ヴィスラーは「善きこと」という確信を持っていた・・・というよりはむしろ信じていた社会主義の理想に対する不審が確信となっていた。そして忠告とその後のクリスタの行動の変化は、自分の行為が「他者へ影響力を持つかどうか」に対する試金石だったと思うのです。つまり、確信は既に持っていた。それを行動に移すべきか否かを試す場面として、このシーンは重要であった。と僕は観ます。

ヤマ(管理人)
 僕は、ヴィースラーのあの行動については、ある種の確信からの行動とか試金石との自覚とかはなく、むしろ、反射的というか反応として触発されての行動だと受け止めたんですよね。盗聴を重ねているなかで、例の抱擁を契機に、気になりもし始めてきていたクリスタが、あのゲスな上司の呼び出しに応じて餌食になりに行くのが何とも耐え難いというか。それで思わず行動してしまったという部分のほうが、“善きこと”として思い止まらせのために向かった部分よりも大きいように受け止めています。そして、自身でも思い掛けないような行動を自分が取ったことによって、自身のなかに芽生え始めているクリスタへの想いというものを初めて自覚したと感じています。そうして自覚をしたばかりのところに、彼女が自分の忠告に応える行動選択をしてくれたものだから、一気に「見張る対象ではなく見守る対象へと」変わったのだと受け止めたのでした。

(イノセントさん)
 この映画で「僕」が大事にしたいのは、ヴィスラーの価値観の変化であって、自分の行動が他者への影響力を持つかどうかは、それに付随したものだという気がします。この点について、ヤマさんは映画からどのように感じていらっしゃるのか、掲示板のレスからは、僕の読解力の不足もあってうまく読み取れないまま、くすぶっています。

ヤマ(管理人)
 彼の価値観の変化がどこから始まったかについては、僕は御指摘のとおり、時点についても「決定的な出来事」の作用の仕方についても、明確には言葉にしてませんでしたね。時点については、ドラスティックな転換点を感じてないんですよ。きっかけはみなさんが注目しておいでの抱擁から始まって、二人を注視というか傾聴するなかで次第に、という受け止めですから、明確にはしようがありません。「決定的な出来事」がもたらしたものも、彼らに向ける眼差しの持ちようの転換であって、価値観の変化にまでは至ってなかったと思います。でも、自分でも思い掛けないと感じたであろう行動を自分に取らせたり、眼差しの持ちようを転換させるというような影響力を及ぼしてきたものは何だろうという探求と自省を重ねるなかで価値観の変化にまで至ったのだろうと思ってます。そして、その最大の遠因が自らの職務に忠実だった彼がシュタージに対して、反抗心までは行かない厭組織感のようなものを抱きつつあったことなのだろうと受け止めているわけです。

(イノセントさん)
 ヤマさんのおっしゃる僕なんかのように、それ自体が未知なる世界への探索のプロセスと見る観方もあるでしょうね。とのご意見は、僕が善か悪かはまだその時点では明確ではないのではないかという想いと同じ意見と思っていいのでしょうか?

ヤマ(管理人)
 そうですね。

(イノセントさん)
 『善き人のためのソナタ』というタイトルになびいて、最初から民主主義の体制側が善だと決め付けることには、僕はとても抵抗があります。

ヤマ(管理人)
 僕も、東西どっちの体制が善なのかという決めつけには毛頭、関心がありません(笑)。

(イノセントさん)
 ・・・・・・・・・・と、ここまで書いてふと気づきました!
 ヴィスラーは、ブレヒトの本を盗み出して読んだりしながら、これがもしかしたら「善きことなのかもしれない」と考えた・・・だからヤマさんにとって、クリスタへの忠告は、「善きことなのかもしれない」が「善きこと」へと変わる場面として「決定的」だったのでしょうか?だとしたら、大いに納得なのですが・・・ってもしかして、最初っからヤマさんそうおっしゃってましたっけ?(汗)

ヤマ(管理人)
 いやいや、最初からそんなことまでは、とても、とても(苦笑)。
 ただ、その忠告は単純にクリスタへの想いがさせたのではなく、自分が善きことと思うものを口にし行動するという意味合いがあったと今では思うようになっていますが。と先に書いたように、僕は、そもそもは彼のクリスタへの忠告に、単純に“彼女への想い”と“シュタージに対する反抗心までは行かない厭組織感”みたいなものしか受け止めていなかったわけですから。
 でも、クリスタへの忠告は、彼自身としては“善きこと”、“そうすべきこと”として意識していたと思います。ですが、そこに“自分が善きことと思うものを口にし行動する”実践意識が働いていたとまでは、受け止めてなかったということですよ。

(TAOさん)
 二人の抱擁で一気にと観るよりも、二人の間に一向に動揺と亀裂の兆しが見えてこないことのほうがこたえたはずと言われれば、たしかにそうですね。わはは、またゆれています、私。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、そこんとこが何人も交えて談義することの醍醐味ですよね。対談だと応酬だから、揺れにはどうしても乏しくなりますもん。ゆっさゆっさ揺れると、心地いいでしょ?(笑)


-------包容力と非力、強さ-------

(TAOさん)
 ケイケイさん、私はドライマンには包容力をあまり感じなかったんですよ。むしろ無力ですね、感じたのは。あの状況で、女を“許す”なんていうのは僭越だと思うんです、私。

ヤマ(管理人)
 そうそう(笑)。ドライマン、そんな高みから臨める余裕などない気がしますね。

(TAOさん)
 愛する女を守れない男を許して欲しいと請うべきなのでは。

(ケイケイさん)
 う〜ん、男らしい(笑)。ヤマさんと同じなんですね。惚れてしまいそうな感想ですよ(^^)。

ヤマ(管理人)
 TAOさん、女を守れない男を許して欲しいと請うべきとまで求めますか!(たじたじ)
 誰もがドライマンのようにさえ、あれもしませんのに(苦笑)。

(TAOさん)
 大臣に殴り込みに行けないインテリの非力さも感じたくらいです。それで忸怩としてたの〜。

ヤマ(管理人)
 殴り込みどころか、クリスタの引き留めさえしきれない非力ですもんね。

(ケイケイさん)
 あー、これこれ! 私ね、こういうのに弱いんですよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 そんなら、包容力って、ドライマンより、ケイケイさんのほうなんじゃないの?(笑)

(ケイケイさん)
 この前週刊朝日を読んでいたら(病院に置いてあるのだ)、太宰治といっしょに心中した、山崎富栄の手記が再録してたんですが、思わずのめりこんで読みました。可哀想で、みんな(含む太宰)。

ヤマ(管理人)
 包容力って言うよりも、情の濃さなんかなぁ。感情豊かだし、人情肌ですよねー、ケイケイさんは。

(ケイケイさん)
 私って自分で思ってる以上に、女々しているのかなぁー。

ヤマ(管理人)
 少なくともオヤヂ化懸念は要らないんじゃないの?(笑)
 『善き人のためのソナタ』って、実は『ロマンチストのためのシネマ』だったのかも。

(TAOさん)
 ケイケイさん、なるほどねぇ〜。太宰と聞いて、思わず嫌われ松子の一生を思い出しました!

ヤマ(管理人)
 そう言えば、ケイケイさんは松子ファンでしたよね〜。

(TAOさん)
 ケイケイさんは、女おんなしてるというより、母性が豊かなんですよ。

ヤマ(管理人)
 同感、同感。

(TAOさん)
 有吉佐和子なんかも、本人は骨太でスケールの大きな作家だけど、インテリで優柔不断なやさ男が好きで、どの小説も男は弱く、それを支える女は強いです(笑)。

ヤマ(管理人)
 憧れって、得てして自分にないものを目掛けるんで、非力さに弱いっていうのは、御自身が大きく強い証拠なんでしょうねー(ふふ)。

(TAOさん)
 私は、不器用なオタクには寛容だけど、インテリ男には母性ゼロですね〜。自分自身が頭でっかちだという認識があるもんだから、同族嫌悪なんです(笑)。

ヤマ(管理人)
 同族嫌悪!(笑) なんかワカルなぁ(苦笑)。僕なんか、根が女性に弱いモンだから、女性を同族と観ることができないお陰で、余程のことがなけりゃ、嫌悪なんてことはパーソナルな関係のなかで感じたりしないのですが、同性だと、自分みたいな奴は、ほんっとイヤですねー(笑)。

(ケイケイさん)
 私は、お二人のおっしゃる“忸怩”にしても、全然。ハートマークのため息ついてたのに(笑)。

ヤマ(管理人)
 でも、他方では今回、TAOさんもロマンチストだったからねー(笑)。

(TAOさん)
 そういえば、浮気してきた女を許さない男なんて大嫌いかも(笑)。

ヤマ(管理人)
 まぁねー、浮気ってのは、フツー条件反射とは違うわけで、それなりに故あってのことのほうが多いんですから、交通事故と同じく、責任割合が0対100みたいなことは極めて稀ですしねー。それに、切り捨て絶縁するのではなく、何らかの形で共に先に進もうとする以上、嫌々とか仕方なしというネガティヴな関係でいくよりは、再生に向けて歩み出すほうがいいですよね。それには“赦し”抜きでは臨めないように思います。男女が入れ替わってても、同じことなんですけどね。

(ケイケイさん)
 私は、許す男なんか大嫌いです(笑)。

ヤマ(管理人)
 これまた強硬派だなぁ(たじたじ)。

(ケイケイさん)
 まぁ時と場合によりけりですが。

ヤマ(管理人)
 ですよね。

(ケイケイさん)
 若い子の番組見ていたら、尻軽彼女を簡単に許す男子が多くて、最近真に嘆かわしいと感じています(笑)。

ヤマ(管理人)
 そう言えば、そうだな(苦笑)。

(TAOさん)
 尻軽女はケイケイさんの天敵ですもんね! 私はそういう情けない男子、けっこう好きですよ〜(笑)。許せないのは、よそ見をさせない魅力もないくせに女を縛りたがる男だな。

ヤマ(管理人)
 うん、これはイヤだなぁ、僕も。
 え? もしかして同族嫌悪? これ! それってサイテーじゃないですか(笑)。

(ケイケイさん)
 尻軽彼女ってね、彼氏がいるのに浮気するんですよ。他の男としたいなら、彼氏と別れてからしろと私は言いたい。

ヤマ(管理人)
 男は所詮男なんだから仕方がないにしても、女はそんなに安かないでしょってのが、ケイケイさんの持論だし、矜持なんですよねー(ふふ)。

(ケイケイさん)
 ドライマンとクリスタの場合は、和姦に見せかけた強姦みたいなもんですよね。この場合は、許さん男は大嫌いです(笑)。

ヤマ(管理人)
 彼女は、浮気を楽しんだわけでは決してなく、恥辱と屈辱に見舞われたのですからね。

(TAOさん)
 え〜と、昨日は慌てていて、肝心なことを書いてませんでした。

ヤマ(管理人)
 ほぅ。

(TAOさん)
 私はドライマンに非力と忸怩たるものを感じた一方で、傷ついた非力なもの同士が言葉もなく慰め合うあの抱擁には深い感銘を受けたのです。

ヤマ(管理人)
 そーですねー。まさしく“傷ついた非力なもの同士”の抱擁でしたねぇ(しみじみ)。

(TAOさん)
 私にとっては“赦し”でも“受け入れ”でもなく、ただ「抱擁」と呼びたいのですが。

ヤマ(管理人)
 そうですね。受容よりも、もっと“同士”の、ただの抱擁のほうがいいですね。抱擁も包容も音は似たようなものですが(笑)。

(TAOさん)
 もし、ドライマンが事実を察していなければ、クリスタは恋人に背を向けて秘密を抱えたまま、傷ついた心と後ろめたさにひとりで耐えるしかなかったでしょうし、ドライマンがもしプライドだけの男だったら、傷ついた恋人に背を向けて、おのれの傷だけをなめていたでしょう。

ヤマ(管理人)
 そうですね。だから、あれは二人の奏でた“ソナタ”とも言えるのかもしれませんね。すなわち、情緒や知性といった人間的なるものの象徴という意味で。
 やっぱりTAOさん、今回、ロマンチックじゃないですか!

(TAOさん)
 ラフマニノフを聴きながら書きましたから!(笑)

ヤマ(管理人)
 ラフマニノフの“ソナタ”ですか?(笑) 渋いですね〜。

(TAOさん)
 互いの関係のなかで傷ついたこういう時に、心を閉ざさずに正面から向き合い、互いの弱さをいたわり合える関係はなかなか得難いもので、そこから破局に向かうカップルがいかに多いことか。

ヤマ(管理人)
 ですよね。まぁ、そのために仕掛けたヴィースラーの罠ですから。

(TAOさん)
 そういうカップルをイヤになるほどたくさん見てきたヴィースラーだからこそ、この哀しく美しい抱擁に心を揺り動かされたのだと思います。

ヤマ(管理人)
 うん、少々手強さを感じるとともに強い興味は持ったでしょうね。それがすなわち揺らぎのきっかけとなっていくわけですよね。

(TAOさん)
 ケイケイさんが感じたニュアンスとは少し違うけど、これが私のロマンチックの限界かな〜(笑)。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、充分にロマンチックですよー。

(TAOさん)
 ただねえ、精一杯持ち上げたあとに、また落とすようですが、ドライマンってどこかいい気なもんだという感じがするんですよ。才能に恵まれ、成功もしている人特有の不遜さというかね。

ヤマ(管理人)
 不運に見舞われたイェルスカを気遣うようでいて、無自覚なるままに酷なことをしているようなところがありましたよね。根拠もなく、自分はイェルスカの轍は踏まない自信のようなものを振りまいているようなところがあったような気もします。悪意がないだけに罪深かったりするのですが(たは)。

(TAOさん)
 そうそう、イェルスカはそれを察していましたよねぇ。

ヤマ(管理人)
 このあたりの演出加減ってホント絶妙でしたね。

(TAOさん)
 まあ人間って、自分がその境遇になってみないことには、なかなか他人の気持ちを本当には思い遣れないものですから。
 ん、こういうところも同族嫌悪なのかも(苦笑)。

ヤマ(管理人)
 はは、分かります、分かります(笑)。

(TAOさん)
 でもって、ドライマンには、どこかのんきで、ツメが甘いところがあるし。

ヤマ(管理人)
 あの、ヴィースラーの見逃しだけですっかり無防備になるとこも、甘いっちゃ、甘いんですが、そもそも、ああいう形でシュタージを挑発すること自体、もし盗聴されていたら、やぶ蛇的にリスキーですよね。

(TAOさん)
 そんなだから、恋人を犠牲にしちゃうんだよ〜と責めたくなる(笑)。いえ、欠点があるからこそ人間的でいいんですけど、

ヤマ(管理人)
 その部分も含めて情緒や知性といった人間的なるものの象徴としての“ソナタ”を奏でていたのでしょうね。僕もあの屈託の滲み出た風情やヴィースラーの存在を知ったときの昂揚の仕方など、人間的でいいと思いました。

(TAOさん)
 ええ、あの昂揚の仕方は、彼のナイーブさが出ていてよかったですね。それに、神経の繊細すぎるクリスタにとって、ドライマンの人間的なおおらかさが安らぎにつながっていたと思います。

ヤマ(管理人)
 僕も大らかな方が好きですねー。ナイーヴな方にも惹かれますが、刺激は受けても安らぎはねー。

(TAOさん)
 私の場合は、どうせならより人間的なヴィースラーや悪代官に肩入れしたくなるんですよね。

ヤマ(管理人)
 ヴィースラーはともかく、あの悪代官のほうはね〜(とほ)。
 ん? これもまた同族嫌悪? ヤッバー(笑)。肩入れしとこうかな(てへ)。
 いやいや、車の中でのあのパンツのずり下げ方は、やっぱヤダ!(笑)

(TAOさん)
 もう〜ヤマさんってば、そんなシーンばかり目に焼き付けて!(笑)

ヤマ(管理人)
 だって、ヘンプフ文化大臣のデカ尻が気分悪く大映しにされてたじゃないですか(とほ)。あれ観てなお、彼に肩入れできるTAOさんの大らかさには脱帽ですよ(笑)。

(ケイケイさん)
 皆さんの意見を読んでいる内に、それはそうだなぁと方向転換している箇所が多くなって、最初自分が何書いたか忘れちゃった(笑)。

ヤマ(管理人)
 そこが談義の醍醐味というか、楽しさですよねー。僕も盗聴版『仕立屋の恋』というところから、ヘソの上のほうにかなり押し上げてもらえ、苦笑しつつも喜んでます(あは)。

(ケイケイさん)
 再録楽しみにしていますね。>ヤマさん(^0^)

ヤマ(管理人)
 されば、あれも転記しとかなきゃ(笑)。
 ほら、ケイケイさんがイノセントさんとこに書いておいでた、あの本が、ヴィースラーとドライマン、“二人のこれからの人生への祈りがこもった本”という観方。あれは、とてもいいですねー。過去の東独時代を語った本ながらも、二人にとっては、これからの人生に向けた作品というわけですよね。
 何も書けなくなっていたドライマンに再びペンを執らせ、雑役夫になっていたように見えたヴィースラーに誇りを与えたのだから、確かに“二人のこれからの人生への祈りがこもった本”ですよねー。


-------もうひとつの大事なきっかけについて-------

(イノセントさん)
 みなさんのレス読んだら、もう複雑すぎて、コメントできません(笑)。

ヤマ(管理人)
 それをまた、編集再録しろですって(笑)。
 またまた嬉しい悲鳴をあげることにしようと思い始めてます。

(イノセントさん)
 それはそうと、ヤマさんの日誌を改めて読み直してハッとした部分があります。

ヤマ(管理人)
 知らせにお立ち寄りくださり、感謝感謝。

(イノセントさん)
 国家保安省の若い職員に最高権力者ホーネッカー東独国家評議会議長を揶揄するジョークを白状させる食堂での彼の姿を見つめるヴィースラーのまなざしには、ある意味、彼がずっと律儀に真面目に服してきた職務に対して加えられた侮辱への憤慨とも言うべきものが込められているようにも感じられた。
 ドライマンがクリスタを抱擁する場面、ヤマさんと僕の感じ方は、「じわじわと」「瞬間に」と違いましたが、いずれにしても「確信」に揺らぎが生ずるという点では同じですよね。

ヤマ(管理人)
 ええ、そのとおりです。

(イノセントさん)
 僕はこれがなければ、二人の芸術観や恋愛観に魅かれることはなかったと思うのですが、それより前に、確信が「揺らぐ」さらなるきっかけが、ヤマさんが日誌に綴った上記の場面で描かれていたということに、ハッとしました。

ヤマ(管理人)
 ここでの談義のなかにも既に書きましたが、被疑者たるドライマンたちへの観方を変えたくなる気持ちに彼を押しやったのは、監視対象である彼らの志や人間性もさることながら、それ以上に、上司たちの下品さへの見下し気分だったように、僕の目には映りました。

(イノセントさん)
 それにしても、この掲示板の女性陣、怖いっすね!(笑)

ヤマ(管理人)
 そりゃあ、もう(笑)。
 怖くて、そして、優しいんですよ。すなわち豊かということです(あは)。

(イノセントさん)
 浮気する女を許しても許さなくても責められるんですか(汗)。

ヤマ(管理人)
 そのようです(笑)。

(イノセントさん)
 浮気させた時点で失格ってことですか。

ヤマ(管理人)
 失格ってな感じで切り捨てたりはしないはず(笑)。

(イノセントさん)
 でも、浮気の価値観も100年後はどうなってるかわかりませんよ。

ヤマ(管理人)
 大奥ならぬ多竿とかいって、一妻多夫制が普通になってたり(笑)、60年代に試られたフリーセックス・コミューンが再燃してたりするのかもって? 百年後は目撃できませんが、果たしてどうなんでしょうねー。

(TAOさん)
 イノセントさん、勝手にごめんなさい! もうご存じなものと思って、事後報告すら怠ってしまいました。しかも怖がらせてしまったようですね〜(笑)。(ヤマさん、フォローありがとうございます)

ヤマ(管理人)
 いえいえ、常々思っていることですから〜。

-------女性陣にも人気抜群のマルティナ-------

(TAOさん)
 そういえば、ドイツ映画で『素粒子』という作品、上映予定ありますか?

ヤマ(管理人)
 上映予定も何も、その作品、知りませんでした。

(TAOさん)
 我らがクリスタことマルティナ・ゲデックが出てますよ。予告編を見ただけですが、またまたエロ〜いかんじ。要チェックです!

ヤマ(管理人)
 おぉ〜、そいつは聞き捨てなりませぬ(あは)。
 でも、そもそも『善き人のためのソナタ』すら、上映予定が聞こえてきてない地方都市ですから、そんなのまだまだ望めそうにありませんよ(とほ)。

(TAOさん)
 この人、数年前に『マーサの幸せレシピ』で見たときは、ヤマさん風にいうと、まだ熟してなくて、演技のせいもあって、超ストイックな職業婦人に見えたんですけど、さすが女優。化けますねえ。

ヤマ(管理人)
 それも知らない映画だなぁ(とほほ)。けど、『素粒子』、楽しみですねぇ。

(ケイケイさん)
 『素粒子』やりますよ。6月なんですが、

ヤマ(管理人)
 大阪ではシネ・ヌーヴォですか。ってことは、こっちでは自主上映でもない限り、到底望めそうにない作品だな(とほ)。

(ケイケイさん)
 私もマルティナが出るので観るつもり。みんな彼女に魅了されていますね。

ヤマ(管理人)
 はいはい(嬉)。

(ケイケイさん)
 確かもう40過ぎなんですよ、この人。このしっとり上品かつエロエロな色香はね、アンダー30では出せませんな(笑)。

ヤマ(管理人)
 そーですねー、青い果実なんて、酸っぱくっていけません。やっぱり熟れてこその滋味ですよ(あは)。

(ケイケイさん)
 ところで、ヤマさんもTAOさんも同族嫌悪なんですか?

ヤマ(管理人)
 TAOさんはともかく、僕は、ヤなことに自意識過剰傾向から巣立てず、妙にそういうふうになりがちなところがありますね(とほほ)。

(ケイケイさん)
 私はほぼ右脳というか、感受性だけで生きているので、ドライマン的な人は、とっても憧れます。
 多分私のタイプの人は同族と出会っても、気が合うなぁと嬉しく感じても、嫌悪はないと思います(笑)。

ヤマ(管理人)
 他者に対する嫌悪のタネは少なければ、少ないほどいいですよ、そりゃ(慶賀)。


-------“祈りのこもった本”のもたらしていたもの-------

(ケイケイさん)
 で、えーと、肝心の『善き人のためのソナタ』談義ですが、どこを書いたらいいのか?(笑)。

ヤマ(管理人)
 どっからでも、ご随意に(笑)。どうせ既に再録編集は難儀を極めそうな体を為してきているので、もはやお気遣いは要りませぬ(あは)。

(ケイケイさん)
 そうそう、「祈りのこもった本」というとこにご賛同いただき、ありがとうございます。

ヤマ(管理人)
 いえいえ、ホントにいいなぁって思ったもんで。

(ケイケイさん)
 「これは私の本だ」と微笑んだヴィースラーが忘れられません。ドライマンはヴィースラーに声をかけ感謝を述べる代わりに、2年かかって、あの本を出版したんですよね。

ヤマ(管理人)
 献辞が添えてありましたものねー。一言、二言で済ますには足りないと思った以上、彼の生業からすれば、再びペンを執り、書き上げて献辞を添えるのが最大の回答となりますよね。

(ケイケイさん)
 郵便配達をするヴィースラーは、孤高の風情を漂わせ、ドライマンを寄せ付けない感じがしました。あの時書けない状態のドライマンが、ヴィースラーに声をかけたとて、ヴィースラーは喜ばなかったと思います。

ヤマ(管理人)
 そのへんは何とも、ですが、より誇らしく歓びを与えられるのは、あのような形で公に光を当てて返してもらえたからでしょうね。

(ケイケイさん)
 彼に自分の感謝の意を感じてもらうには、立ち直ること、すなわち新作を書くこと、そうドライマンは考えたんだと思います。

ヤマ(管理人)
 同感です。愛する女性に売り渡されたドライマンが、彼女をそこまで追い遣った者ともども、人間というものに対して失意を抱いたなかで、人間に対する希望というものを回復してもらい、再びペンを執る力を与えてもらったわけですからね。

(ケイケイさん)
 本当に喜んでもらうには? という気持ちが、ドライマンを立ち直らせ、ヴィースラーの未来に光明を与えるのですから、相手を心の底から想うということは、結局は自分をも誠実な方向に導くんですね。犠牲的精神ではないラストで、好感度マックスです(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうそう。犠牲的精神ではないってとこ、重要ですよね。
 ヴィースラーがリスクを負って彼らを守ったのは、犠牲的精神ではありませんでした。自分が“善きこと”と思ったことを、自らの意思できちんと口にし、行動することを学んだわけですよね。ドライマンもまた、それを実行したわけで、確かに、彼らを苦しめ、愛する女性を死に追い遣ったシュタージではあったわけですが、ヴィースラーのような監視官もいたと世に知らしめることを“為すべき善きこと”と思ったんでしょうね。

(ケイケイさん)
 手紙を開封していたヴィースラーの後ろにいたのは、「ホーネッカーのジョーク君」でしたよね。

ヤマ(管理人)
 そうでしたっけねぇ…。うん、そう言えば、そうでしたねー(思当)。

(ケイケイさん)
 彼にベルリンの壁崩壊の速報を言わせるところなんか、細部の演出にも手抜かりなしでしたよね。

ヤマ(管理人)
 ジョーク君を処分しておかないと、ブルビッツ部長の言ったことが彼に白状させるためにしたことだとの証が立たなくなって自身の立場が極めて危うくなりますから、保身と出世に長けている彼がそんなリスクを放置していないことをきちんと示してたわけですね。

(ケイケイさん)
 クリスタはああなりましたが、私は救われた最後だと思います。

ヤマ(管理人)
 保身のために売っちゃってますからね。ある意味、自分の身体よりも重いものを。その弱さを責めることはできないのですが、責自体は重いわけで、彼女の弱さでもって、それを負い続けていく人生よりは、仕舞いをつけてもらえるほうが確かに“救い”だったのかもしれませんね。

(ケイケイさん)
 ドライマンもヴィースラーもそう。ベルリンの壁崩壊から、数年経っているのが印象的でした。

ヤマ(管理人)
 おそらく日本の敗戦のときも似たようなことが起こっていたように思います。
 体制に忠実だった人にしても、それに懐疑を抱き始めた人にしても、さらには抵抗を試みていた人ですら、それが体制に対して取っていたポジションなればこそ、体制の崩壊が彼らの足場を失わせるわけですよね。ドライマンが何も書けなくなったままなのが、僕も印象的でした。

(ケイケイさん)
 物事の良し悪しの結果は、すぐにはわからないものなんですよね。

ヤマ(管理人)
 そうですよー。僕の人生にしても、ケイケイさんの人生にしても(笑)。
 でも、本の力って見過ごせないなって思いました。ヴィースラーに“誇り”の取り戻しを見事に与えていましたよね。人間、やっぱ自負だけではそこまでは支えきれないものなのかもしれません。人が他者を必要とするのは、そういうとこにもあるのでしょうね。


-------そして、視線は『素粒子』へと-------

(みぃさん)
 こんばんは。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、みぃさん。

(みぃさん)
 みんな『善き人のためのソナタ』見てて羨ましいなぁ〜。

ヤマ(管理人)
 僕も高知では観ることが叶ってない映画ですよ(たは)。

(みぃさん)
 TOHOとは雲泥の差で充実している浜名湖向こうのシネコンでも、これは上映がないんですよ。自主上映を期待して待つしかなさそうです。

ヤマ(管理人)
 同じような状況にあります、こちらも。

(タンミノワさん)
 ヤマさん こんばんわ。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、タンミノワさん。

(タンミノワさん)
 『善き人…』でこちら盛り上がってるんですが、それ、まだ未見なんですよ。早く見たいなあ。

ヤマ(管理人)
 是非是非。いやぁ、なかなかのもんですから。タンミノワさんのヘンプフ大臣評を僕は是非とも伺いたい(笑)。

(TAOさん)
 マルティナ・ファンのみなさまへ。

(ケイケイさん)
 マルティナFC、会員ナンバー3です(^^)。1・2はヤマさんとTAOさんに譲ります(笑)。

ヤマ(管理人)
 あは、そいつはどうも(笑)。でも、映画なんかでは普通、ナンバー3あたりのキャラが、実はイチバン立ってたりするモンですよ(ふふ)。

(ケイケイさん)
 『善き人…』は、彼女だからあんなに感情移入できたと思います。

ヤマ(管理人)
 うん。いい女優さんですよねー。

(TAOさん)
 さっそく『素粒子』を見てきましたが、たいへんです! 作品の出来やウエルメイド度では『善き人…』と比較になりませんが、マルティナ・ゲディックのエロさ、すばらしさは『善き人…』以上といってもいいほどなんですよ。

ヤマ(管理人)
 わお、わお、わおお〜(笑)。そりゃあ、観たいですなぁ。そーですか、そないにヨイんですか(笑)。

(ケイケイさん)
 彼女のエロさってピンクじゃないんですよね。上品な薄いパーブル、ヴァイオレットって感じがしません? 紫というと花魁っぽくなるので、ちょっと違うのだな。

ヤマ(管理人)
 幸が薄かったからでしょうかねぇ、濃い色合いではない感じですよね。うーん、『素粒子』、観たいぞ(笑)。

(TAOさん)
 作品そのものも、きっとヤマさん向きではないかと。といえば、ジャンルはわかりますよね(笑)。

(ケイケイさん)
 「愛と性」に満ち満ちているわけすね(笑)。

ヤマ(管理人)
 あれ? 政治的問題を扱った社会派ジャンルのことじゃないの?(笑)。

(ケイケイさん)
 主演は、ジュリア・ロバーツにクリソツのモーリッツ・ブライブトロイでしたね。

ヤマ(管理人)
 ブライブトロイだって? 知らないぞ(あは)。でも、ジュリアみたいな大口よりは、おちょぼ口のほうがよさげよ(笑)。

(TAOさん)
 ぜひぜひどこぞに自主上映を働きかけるか、6月大阪出張を捏造してくださいませ。

(ケイケイさん)
 お待ちしています(^0^)。

ヤマ(管理人)
 うわっ、そーですか、ありがとうございます(ぺこ)。出張は当てにできないけど、この際、遊びに行っちまうか(笑)。
 それにしても、シネ・ヌーヴォ、がんばってるなー。ツァイ・ミンリャンのもやるんですよね、確か、その頃(溜息)。二ヶ月前に日誌をアップした聴かれた女もやるんですよ。で、その紹介コメントに『善き人のためのソナタ』を引用してました(笑)。ふむ、確かに盗聴ものではあった…。そして、エロ・ポップ・サスペンスというわけですか…(たは)。大阪組の方々、その引用の妥当性について是非ご検証ください(笑)。

(タンミノワさん)
 なんかすごいですねえ。マルティナ…

ヤマ(管理人)
 女性に支持されてますからねー。立派なモンですよ(笑)。

(タンミノワさん)
 「マルティナ・ゲディック」で検索すると余り出てきませんが、『マーサの幸せレシピ』の人ですよね? そんなエロそうに観えないんですけど…

ヤマ(管理人)
 それ、観てるんですか(羨)。僕なんか、タイトルすら覚えなし、なんですが(とほ)。

(タンミノワさん)
 『善きソナ』は、大阪では夜しか上映してないんですねえ・・見逃すかも・・

by ヤマ(編集採録)



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