『ブラックブック』(Zwart Boek)
『ドレスデン、運命の日』(Dresden)
監督 ポール・バーホーベン
監督 ローランド・ズゾ・リヒター


 両作品とも六十年余り前になるナチスドイツ支配下当時の人々の姿を描いた映画なのだが、たまたま続けざまに観たことで、その共通点と対照とが興味深く映ってきた。
 レジスタンスの側に足場を置いて描いた『ブラックブック』は、バーホーベン監督作品らしい特異な過剰さが垣間見られるものの、全体的には、予想以上に堂々とした作品だった。『ドレスデン、運命の日』は、高知では上映されなかった『トンネル』を撮ったリヒター監督作品ということで少し楽しみにしていたのだが、細部にいくつか疑問が残るものの、これまた堂々たる作品だった。世紀を越え今になって撮られた大作然とした戦時ものの両作品が、オランダのレジスタンスとドイツの医師という対ナチスの関係において対照的な立場の人々を描きながら、ともにドラマの語り手とも言うべき主軸を女性に置いた眼差しによって時代を見つめていたのが興味深かった。そして、両作品とも従前であれば、いわゆる敵役しか与えられなかった側に、主人公とも言うべき女性が心を寄せる男が配され、鬼畜などでは決してない極めて人間的な存在として描かれていたことが目を惹いた。
 『ブラックブック』では、レジスタンス側に身を置きながらナチス親衛隊諜報部のギュンター(ワルデマー・コブス)と通じていたファン・ハイン(ピ−ター・ブロック)の罠に嵌められて、家族全員を殺され金品を奪われたユダヤ人歌手ラヘル(カリス・ファン・ハウテン)が、エリス・デ・フリースと名を変えたレジスタンス側からのスパイとして、諜報部トップのドイツ将校ムンツェ(セバスチャン・コッホ)と関係を持ち始めながらも、ともに行き場のない孤独な心身の睦み合いのなかで互いに本当に求め合うようになる姿が描かれていたし、『ドレスデン、運命の日』では、父カール(ハイナー・ラウターバッハ)が経営し院長も務める病院で看護婦として働くアンナ(フェリシタス・ヴォール)が、尊敬できる真面目な理想家肌の外科部長アレクサンダー(ベンヤミン・サドラー)と婚約しつつも、傷ついた少年の心を手品でほぐす柔らかみと優しさという婚約者にはない魅力を備えた敵国イギリスの負傷兵ロバート(ジョン・ライト)に惹かれるなかで、ドイツ兵によるドイツ人女性の銃殺を目撃した動揺と怯えから半ば過ちに近い形でロバートと交わったところへ、秘密裏に悪行に手を染めていた父と婚約者への幻滅と憤りに後押しをされる形で彼らとの訣別を決意する姿が描かれていた。両作品ともに戦時という過酷な状況のなかで露呈する人間の弱さと強さが哀しく描かれていたように思うが、バーホーベン監督の作品のほうが、人間の生々しい姿を無惨なまでに描き出すことにより力点を置いていて、リヒター監督の作品のほうが、叙事詩的に歴史に向ける眼差しをより重視していたのが、とても対照的に感じられた。
 『ドレスデン、運命の日』で最も視覚的にインパクトがあったのが、劫火とも言うべき炎に包まれるドレスデンの様子であったり、ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』を彷彿させるような廃墟と化したドレスデンの街並みを画面に映し出したことだったのに比べ、『ブラックブック』では、諜報部将校に気取られないよう大きな鏡に映し出して髪と同様に陰毛を丹念に金髪に染めているエリスの大股開きの姿だったり、オランダ解放後にナチ協力者として収容され裸に剥かれて大樽に溜まった糞便を頭から掛けられるエリスを哄笑する男女の民衆の姿であったりしたのは、まさしくそういうことのような気がする。ヒロインのラブシーンにおいても、展開的にはかなり強引な感じの残る『ドレスデン、運命の日』がまさしく運命的な熱情を演出していたのに対し、『ブラックブック』では、ある種の緊張感とともにリリアナ・カヴァーニ監督の『愛の嵐』にも通じるような倒錯性を帯びた官能が妖しく織り込まれていたのが、やはり対照的に感じられた。
 最も興味深かったのは、人間の姿を描くうえで哀しみの視線が支配的であった両作品において、作り手が積極的に肯定感を前面に出しているよう僕の目に映ったのが、『ブラックブック』のロニー(ハリナ・ライン)と『ドレスデン、運命の日』のマリア(マリ−・ボイマー)という二人の女性だったことだ。周囲からはしきりに勧められながらもユダヤ人の夫ジーモン(カイ・ヴィージンガー)との離婚を拒み、変わらぬ愛に些かの揺らぎもなかったマリアと、生き延びるために戦時はナチ将校との娼婦まがいの愛人生活を送り、戦後はいち早く進駐軍兵士と懇ろになっていたロニーに共通していたのは、時代や世情に翻弄されながらも、決して徒に流され同調することのない強かな逞しさだったように思う。ロニーは、ナチス的退廃にどっぷりと浸かっているように見えながら、彼らを冷ややかに捉える視線を失わず、愛に生きようとしているエリスのムンツェ救出劇に身体を張ってサポートしていたし、マリアは、夫ジーモンから求められても彼を置いて防空壕に向かおうとはせず、アンナに対しても常にサポーターであり続けていた。
 病院でアンナの同僚看護婦だったマリアは、薬剤として供すべきモルヒネを大量に隠匿して溜め込み我が身と家族を守るために軍に横流しをして国外への逃亡資金を蓄えていた病院長カールと対置されており、親衛隊諜報部でエリスの同僚タイピストだったロニーは、戦後いち早く進駐軍に取り入りナチ犯罪の告発協力者を買って出ることで自身の免責を得ようとしていたカウトナー将軍(クリスチャン・ベルケル)と対置されているように感じた。彼ら社会的ステイタスの高い男たちの卑劣なまでに弱く卑小な姿は、対置されていた一般人女性の逞しさに比して何ともみすぼらしく、とりわけカウトナー将軍については、その変わり身の速さということだけならばロニーと何ら違いはないはずなのに、下劣さが際立つように描かれていたのが印象深かった。
 それにしても、ドレスデンでは1945年の空爆で倒壊した聖母教会の瓦礫をそのまま保存していて、五十年もの歳月を経てから、瓦礫を可能な限り元の場所に戻すという途方もない作業によって、十年掛かりで2005年に再建を果たしていたらしく、ドレスデン大空襲に係る実に壮大な“喪の仕事”とも言うべき偉業を成し遂げていることに驚かされた。僕の好みは『ブラックブック』のほうなのだが、アンナの孫になると思われる彼女と瓜二つの女性がその再建落成式に参列している姿で終えていた『ドレスデン、運命の日』のほうが、イスラエルに移住し、ギュンターから取り戻したユダヤ人たちの巨額の資産をキブツ建設費に充て、再びラヘルの名で家族を成して今や平穏な生活を営んでいるエリスの姿を示して終えていた『ブラックブック』よりも、スケール感では大きなものを示していたような気がする。
by ヤマ

'07.11.14. 美 術 館 ホ ー ル
'07.11.16. 県民文化ホール・グリーン



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