庭にまた臘梅の香が漂い、あれから一年が立とうとしている。二〇〇四年二月十一日午後十一時三十七分、黒部節子さんは亡くなられた。二月四日の誕生日にはお変わりなかったのに。十二日朝御主人からの電話に絶句した。二度目の脳内出血で倒れられてから丸十九年。その奇跡的ともいえる病床生活の蔭には御主人の手厚い介護があった。いつ意識が戻られてもいいように、と改築された陽光明るい自宅の一室の、カーテン越しのベッド。壁には父上のお手になる絵画とか、日本詩人クラブ賞、晩翠賞のレリーフが飾られていて、目覚めればあの切長の澄んだ眸で辺りを眺め、音がすればそちらに顔を向けようとするふっくらしたあなたには、死が訪れるのではなく、その状態で自然に老いつつ天に近づかれるものと信じていたのに。お通夜は十三日、密葬は十四日、何れも岡崎市に於て御親族と近しい人だけによって営まれ、本葬は三月二十日松阪市にて郷里の人々を中心に執り行われた。
  繰返すが、黒部さんは三重県松阪市の生れ。飯南高等女学校の時、国語の先生であった親井修氏の詩誌「詩表現」に参加。奈良女子大学文学部国文科へ入学後、親井氏の紹介で精神科医であり詩人の中野嘉一氏を知り、詩誌「暦象」創刊に参加。因みに卒業論文のテーマは「近代詩の隠喩」と聞く。詩集には『白い土地』(一九五七年)『空の中で樹は』(六六年)『いまは誰もいません』(七四年・中日詩賞)『空の皿』(八二年)。他に詩画集 久野真構成・黒部節子詩『柄』(六六年)作品集『耳薔帆О』(六九年)がある。更に病臥後小柳玲子氏黒部晃一氏編集による詩集『まぼろし戸』(八六年)小柳玲子氏大西和男氏編集の詩集『北向きの家』(九六年)があり、前者は日本詩人クラブ賞、後者は晩翠賞を受賞されている。
  黒部節子さんとの初対面は一九五八年初夏。詩人で愛知学芸大学(現在の教育大学)外国語教室助教授であった永田正男氏のお引き合わせによるものだった。二人ともまだ二十(はたち)代。その気品溢れる美貌には息を飲んだ。偶然岡崎に住み、生涯の付合いとなるこの出合いを私は天に感謝する。六一年四月、谷澤辿、永田正男、黒部節子三氏の発起により「アルファ」誕生。編集担当の黒部さんはなかなかと手厳しく、合評会での指摘がこわかった。出版記念会とか詩人会の催しにはいつもお誘いを受けた。そこには中部の主だった詩人たちが集まり、紹介に与る私だった。新聞紙上には次々と新鮮な試作品、エッセイなど掲載され、活躍のさなかの七十一年、四十歳であなたは一回目の脳内出血で倒れたのだ。幸い回復は早く、七十四年には編集復帰。たどたどしかった言葉も明瞭になり、右半身不自由にはなられたけれど、懸命のリハビリで左手がいつしか温かみのある文字を綴られていた。創作意欲も旺盛で、「エスキス」と題して病中病後の体験も無駄なく生かされていくのだった。「家に籠っているより表に出た方がいいんだって」と以前にも増して外出する二人。但し今度はあなたが妹役で私に寄り添って。
「疲れてるから詩画展作品持ってって下さらない?」
「朗読会、テープにしたからお願い」いつ頃からこうなったのだろう。体調が崩れる予兆として、新たな秀作を生むと言われてきたあなた。すでに始まっていた連作「本星崎」は薄墨色の光を帯びた町。足を踏み入れたあなたは再び戻ることはなかった。

  五月二十二日、名古屋名鉄グランドホテルで開かれた「黒部節子さんを偲ぶ会」は、しめやかさに傾かず明るく中味の濃い内容となった。詩人、画家、彫刻家等々、故人の交友の広さを示す顔触れで会場は溢れんばかり。スピーチではそれぞれの方が作品論を、或は人物像を語られ、それを恥かしそうに聴いているあなたの気配。スライド、朗読と続くなか、最も注目されたのは長男晃一氏が徹夜で場内を巡り、展示された若き日の写真、そして作品のパネル、詩集等その全詩集だろう。お返しにと頂いたエッセイ集「遠くのリンゴの木」も彼の編集だ。あなた程親族に敬慕される詩人を私は知らない。詩才院釋節子妙想大姉。またの日まで。

かすかな波の音――。あれからそれらしいものを二度ほど耳にしたことがあった。紙に字を書いていた。Sara Saraと書く。 間違えると、その字のまん中に、Suと線を引いて、消す。すると何かが私のもう一つのぼんやりした闇の中で、Suと線を引いて、消している。 「……」とあやしんで、とっさに耳を澄ますのだけれど、何もいわない。私が何かいったのだろうか。 かすかなSara Saraは鉛筆の音ではなかった。あれはやっぱり波の音だったのだ。すると、もういつかの夕暮れの海辺に立っていた。 砂の窪みに小さな蟹が一匹いて、すぐ隠れた。あまりすばやかったので何もいなかったのだ、と思った。 海からやってきた波をはだしの十本の指で受ける。半分は引返し、半分は指の下のしめった宇宙に沁みこんでゆく。 Sara Saraは耳の奥で鳴っている。なぜかとても暗い。「見えない、見えない」と言った。―略―

―――絶筆「本星崎」Xより


 
[黒部節子さんを偲ぶ会]