尾花沢
尾花沢にて清風といふ者を尋ぬ。かれは富める者なれども、志卑しからず。都にも折々通ひて、さすがに旅の情をも知りたれば、日ごろとどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなしはべる。
涼しさをわが宿にしてねまるなり
這ひ出でよ飼屋が下の蟾の声
眉掃きを俤にして紅粉の花
蚕飼ひする人は古代の姿かな 曽良
立石寺
山形領に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとつて返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。梺の坊に宿借り置て、山上の堂に登る。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて物の音きこえず。岸を巡り、岩を這ひて仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ。
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
最上川
最上川乗らんと、大石田といふ所に日和を待つ。ここに古き誹諧の種落ちこぼれて、忘れぬ花の昔を慕ひ、芦角一声の心をやはらげ、この道にさぐり足して、新古ふた道に踏み迷ふといへども、道しるべする人しなければと、わりなき一巻を残しぬ。このたびの風流ここに至れり。
最上川は陸奥より出でて、山形を水上とす。碁点・隼などいふ、恐ろしき難所あり。板敷山の北を流れて、果ては酒田の海に入る。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。これに稲積みたるをや、稲船といふならし。白糸の滝は青葉の隙々に落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。水みなぎつて舟危ふし。
五月雨を集めて早し最上川
出羽三山
六月三日、羽黒山に登る。図司左吉といふ者を尋ねて、別当代会覚阿闍利に謁す。南谷の別院に舎りして、憐愍の情こまやかにあるじせらる。
四日、本坊にをゐて誹諧興行。
ありがたや雪をかほらす南谷
五日、権現に詣づ。当山開闢能除大師はいづれの代の人といふことを知らず。延喜式に「羽州里山の神社」とあり。書写、「黒」の字を「里山」となせるにや、羽州黒山を中略して羽黒山といふにや。出羽といへるは、「鳥の毛羽をこの国の貢に献る」と、風土記にはべるとやらん。月山・湯殿を合はせて三山とす。当寺、武江東叡に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かかげそひて、僧坊棟を並べ、修験行法を励まし、霊山霊地の験効、人貴びかつ恐る。繁栄長にして、めでたき御山と謂つつべし。
八日、月山に登る。木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包み、強力といふものに導かれて、雲霧山気の中に氷雪を踏みて登ること八里、さらに日月行道の雲関に入るかと怪しまれ、息絶え身凍えて、頂上に至れば、日没て月顕る。笹を敷き、篠を枕として、臥して明くるを待つ。日出でて雲消ゆれば、湯殿に下る。
谷の傍に鍛治小屋といふあり。この国の鍛治、霊水を撰びて、ここに潔斎して劔を打ち、終に月山と銘を切って世に賞せらる。かの龍泉に剣を淬ぐとかや、干将・莫耶の昔を慕ふ。道に堪能の執あさからぬこと知られたり。岩に腰掛けてしばし休らふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばに開けるあり。降り積む雪の下に埋もれて、春を忘れぬ遅桜の花の心わりなし。炎天の梅花ここにかをるがごとし。行尊僧正の哥ここに思ひ出でて、猶あはれもまさりておぼゆ。総じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よりて筆をとどめて記さず。
坊に帰れば、阿闍利の求めによりて、三山巡礼の句々、短冊に書く。
涼しさやほの三日月の羽黒山
雲の峰いくつ崩れて月の山
語られぬ湯殿にぬらす袂かな
湯殿山銭踏む道の涙かな 曽良