日光
卅日、日光山の麓に泊まる。あるじのいひけるやう、「わが名を仏五左衛門といふ。よろづ正直を旨とするゆゑに、人かくは申しはべるまま、一夜の草の枕もうち解けて休みたまへ」といふ。いかなる仏の濁世塵土に示現して、かかる桑門の乞食順礼ごときの人を助けたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめてみるに、ただ無智無分別にして、正直偏固の者なり。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気禀の清質もっとも尊ぶべし。
卯月朔日、御山に詣拝す。往昔、この御山を「二荒山」と書きしを、空海大師開基の時、「日光」と改めたまふ。千歳未来を悟りたまふにや、今この御光一天にかかやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏やかなり。なほ憚り多くて、筆をさし置きぬ。
あらたふと青葉若葉の日の光
黒髪山は、霞かゝりて、雪いまだ白し。
剃り捨てて黒髪山に更衣 曾良
曾良は河合氏にして、惣五郎といへり。芭蕉の下葉に軒を並べて、予が薪水の労を助く。このたび、松島・象潟の眺めともにせんことを悦び、かつは羈旅の難をいたはらんと、旅立つ暁、髪を剃りて、墨染にさまを変へ、惣五を改めて宗悟とす。よって黒髪山の句あり。「衣更」の二字、力ありて聞こゆ。
廿余丁山を登つて、滝あり。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落ちたり。岩窟に身をひそめ入りて滝の裏より見れば、裏見の滝と申し伝えはべるなり。
しばらくは滝に籠もるや夏の初め
那須野
那須の黒羽といふ所に知る人あれば、これより野越えにかゝりて、直道を行かんとす。遥かに一村を見かけて行くに、雨降り日暮るる。農夫の家に一夜を借りて、明くればまた野中を行く。そこに野飼ひの馬あり。草刈る男に嘆き寄れば、野夫といへどもさすがに情知らぬにはあらず。「いかゞすべきや。されどもこの野は東西縦横に分かれて、うゐうひしき旅人の道踏みたがえん、あやしうはべれば、この馬のとどまる所にて馬を返したまへ」と、貸しはべりぬ。小さき者ふたり、馬の跡慕ひて走る。ひとりは小姫にて、名を「かさね」といふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、
かさねとは八重撫子の名なるべし 曾良
やがて人里にいたれば、価を鞍つぼに結び付けて馬を返しぬ。
黒羽
黒羽の館代浄坊寺何某の方におとづる。思ひがけぬあるじの喜び、日夜語り続けて、その弟桃翠などいふが、朝夕勤め訪ひ、自らの家にも伴ひて、親族の方にも招かれ、日をふるままに、一日郊外に逍遙して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原を分けて、玉藻の前の古墳を訪ふ。それより八幡宮に詣づ。与一宗高扇の的を射し時、「別してはわが国の氏神正八幡」と誓ひしも、この神社にてはべると聞けば、感應殊にしきりにおぼえらる。暮るれば桃翠宅に帰る。
修験光明寺といふあり。そこに招かれて行者堂を拝す。
夏山に足駄を拝む首途かな