瑞巌寺
十一日、瑞巌寺に詣づ。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎、出家して入唐、帰朝の後開山す。その後に雲居禅師の徳化によりて、七堂甍改まりて、金壁荘厳光をかかやかし、仏土成就の大伽藍とはなれりける。かの見仏聖の寺はいづくにやと慕はる。
石巻
十二日、平泉と心ざし、姉歯の松・緒絶の橋など聞き伝へて、人跡まれに、雉兎蒭蕘の行きかふ道そことも分かず、終に道踏みたがへて、石巻といふ湊に出づ。「こがね花咲く」とよみて奉りたる金華山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立ち続けたり。思ひがけずかかる所にも来たれるかなと、宿借らんとすれど、さらに宿貸す人なし。漸まどしき小家に一夜を明かして、あくればまた知らぬ道まよひ行く。袖の渡り・尾ぶちの牧・真野の萱原などよそ目に見て、遥かなる堤を行く。心細き長沼に添ふて、戸伊摩といふ所に一宿して、平泉にいたる。その間廿余里ほどとおぼゆ。
平泉
三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。まづ高館に登れば、北上川、南部より流るる大河なり。衣川は、和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて、南部口をさし堅め、夷を防ぐと見えたり。さても、義臣すぐってこの城にこもり、功名一時の叢となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。
夏草や兵どもが夢の跡
卯の花に兼房見ゆる白毛かな 曽良
かねて耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散り失せて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、すでに頽廃空虚の叢となるべきを、四面新に囲みて、甍を覆ひて雨風を凌ぎ、しばらく千載の記念とはなれり。
五月雨の降り残してや光堂
尿前の関
南部道遥かに見やりて、岩手の里に泊まる。小黒崎・みづの小島を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この道旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて、やうやうとして関を越す。大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて舎りを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留す。
蚤虱馬の尿する枕もと
あるじのいはく、これより出羽の国に大山を隔てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。「さらば」といひて人を頼みはべれば、究境の若者、反脇指を横たへ、樫の杖を携へて、われわれが先に立ちて行く。今日こそ必ず危ふきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行く。あるじの云ふにたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜る行くがごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水を渡り、岩に蹶いて、肌に冷たき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せし男子の云ふやう、「この道かならず不用のことあり。恙なう送りまゐいらせて、仕合はせしたり」と、喜びて別れぬ。後に聞きてさへ、胸とどろくのみなり。