蚕を見たことがなかった。
繭をはじめて手にして見たとき、卵形の可憐なうつくしさに少年は目を奪われた。繭は雪のように白かった。振ると、かさかさと繭の内側で応えるものがあるのだ。わずかに重心が移動するのが分った。
蚕棚から、この東京から来た子供のために三つ四つ鶏卵を容れる無地の箱に、田舎のおばさんが繭をいれて持たせてくれた。
父親は笑って見ていた。
「それをグズグズ煮て糸を紡ぐのよ、むかしよく手伝わされたのよ」
と母親は言った。
「桑をたべるのよ、蚕は桑の葉を齧るのよ」
少年はただ黙って繭の純白のうつくしさと卵形のその奇妙な軽さを手のひらで玩んでいた。この卵形のものが桑の葉を食べるというのはどういうことだろうか。
やがて少年は又、植物採集に熱中しだした。
採集してきた植物を挟む古新聞はしだいに積みあがって、少年を満足させた。繭の箱は机の上に埃をかぶって置かれていた。
ある日、これから暑さが始まるという前の気持のいい朝のことだった。箱の中でがさつく音を、少年は聞いた。いぶかしんで、箱に耳を寄せた。
おそるおそる蓋をひらき、少年は叫び声をあげた。いそいで蓋をかぶせた。
いくつもの蛾が翅をばたつかせていたのだ。中で白い燐粉が散っていた。
腹のふくらんだ大きな蛾が何匹も暴れている光景に、少年は恐怖を催した。燐粉が箱の隙間から吹いていそうで、もう手をふれるのもおぞましかった。いつの間に蛾がはいりこんだのだろう、と少年は思った。
「繭が孵ったのよ。だから、こんなもの貰ってくるのは、やなのよ」
と母親は怒って言った。
蚕を、少年ははじめて見たのだった。母親がそれを箱ごと芥箱に捨てた。母親も気味悪そうにしていた。
あれほど可憐でうつくしかった繭が、汚らしい燐翅目に変わることが少年のこころには受け入れがたかった。繭のままでいてくれるものと信じていたのだ。
だが、その一方で少年はそうなったことを受け入れていた。いつもそうなるのが掟だった。少年のこころにはそういう掟に自分が傷つかないための防禦がつねにあったはずだったのだ。
病院で隣のベッドにいた仲のよい友だちはある日、狂って体温計を齧って死んだ。
少年と同じ病気を患っていて一緒にいつも病棟を遊び場にしていた子たちも、ある日きゅうに浮腫みがひどくなって死んでいったり、あるいは小康を得て退院していったりで、愉しいことはかならず長くはつづかなかったものだ。
それが、掟であった。さからえない掟があることを、いつか少年は落胆とともに知りはじめ、新しくつくった病院の友だちと過ごす時間が愉しければ愉しいほど、それが壊される日に備えて防禦のこころをつくっておくのだった。もう来るぞ、と警戒を高めていたら、それは少年の退院というかたちでやってきたのであった。少年はいやな学校の四年生にいれられた。それまで少年は自分が何年生になったのかさえ考えてもみない暮らしをしていたので、学校生活はつらいだけのものだった。
蚕の事件は、その最初の夏休みだった。
繭が、醜い蛾に変わったことは少年に忘れていたその掟を思い起こさせた。
(退院してしばらくたっていたもので、ぼくはうっかり忘れていたのだ。あんなきれいな繭が、醜い翅をもつ蛾に変わっちまうのはあたりまえのことなのだ。ぼくがいやいや学校に通っているのだって、繭が蛾に変わっちまったからじゃないか。)
少年がその色の美しさに採集してきたムラサキツユクサは、古新聞から取り出すと、つぶれて茶褐色に変色していた。植物の標本作りはいつもうまくいかないのだった。積み上げた古新聞からつぎつぎにべつの標本をとりだしながら、少年は深い溜め息をついた。
車は濃い霧を縫って進む。深夜である。ときおり対向車が、頭から光を放つ深海魚のように交叉していく。後車のライトは見えない。さっきまで前の車の尾灯がかすかに見えていたが、いまは消えている。
「もうじき、れいの地点だ」
運転している矢川が言った。
「………」
私は黙っていた。
矢川は煙草に火を点ける。車内がライターの火に明るみ、矢川の表情を彫りあげる。矢川だって例の話を信じてはいまいが、その表情は少し緊張気味で、私には読みとれない。
私は脱いでいた上着をつける。少し寒くなってきたのは、この濃霧のなかを走っているせいか。
「あの橋だ」
矢川が言った。橋といっても、それと知れるのは橋の上に等間隔に立っている灯りだけである。それも五つばかりが遠近法で、両側にぼおっと見えているていどで、あとはガスのなかに消えている。
「本当に出るのかなあ」
矢川は満更信じないわけではないという表情を、私に向ける。
「どうせ出るなら美人の幽霊に出てもらいたいもんだなあ」
私は言いながら、言い過ぎに気づいて、矢川の顔を盗み見た。
車は橋の上を走りはじめる。
それは、こういう話だった。東京都と埼玉県の県境に架かる橋に、若い女を乗せたタクシーの運転手が、
「ここでいいです」
という背中の声に、車を停めて料金表示器を見ると、さっきまで確かにカチカチと上がっていたメーターの数字が止まっていた。ゼロに戻っているのである。
ちっ、故障しちまった、と思ったとたん、背筋が寒くなった。あることに思い当たったのであったが、同時に背後に人の気配を感じなくなったためである。頭から棒を挿し込まれたような姿勢になって、ミラーを覗いていた。女客は消えていた。
自動ドアである。客はかってに開けられない。
運転手の驚愕といったらなかった。しばらく床に臥せってしまったそうである。
ところで、運転手が思い当たったあることというのは、そこは心中事件にまつわる橋だったことである。男女が飛び込み、男のみ助かった。しばらくして、その橋の辺りから、若い女の幽霊を見たという話が、口伝えにつたわった。運転手はそこを通らず迂回していくようになった、というのである。
「そういう話なのよ」
と、水割りを作りながら、タクシー会社の客から聞いたという話を澄子はした。カウンター越しに対している澄子の表情が、暗い照明のなかでいくぶん青ざめて見える。
テーブル席では、酔ったママが客を相手に嬌声をあげていた。
澄子はふだんそういう話に耳を塞いでいる性質である。その澄子の話だから、みな興味が涌いた。真実味もあるのである。
それは五日ほど前の話である。そして昨日、「蔵」に行ったあと、矢川が「れいの橋に行ってみよう」と言いだした。矢川は、澄子に関心がある。「蔵」に通ってくる常連のだいたいが、澄子を目当てにしているのであるが。
矢川は、澄子を店がはねてから誘いたいのだな、と私は思ったが、澄子はちょっとあわてて、
「行っても仕方ないわよ。矢川さんて、酔狂なんだから」
と言った。するとおれも酔狂ということになる、と私は水割りを口にはこびながら思ったが、黙って澄子を見た。嘘がつけない女だと思った。
そして今日、行ってみることにした。矢川にたいして咎めるものが私にあったからだった。
店に寄ると、澄子はいた。私は矢川にも聞こえるように、これから例の所に行ってみるよ、と言った。澄子は困惑した笑いを浮かべて、酔狂ね、とこれも矢川と私に言った。
濃霧は両の橋の欄干を跨ぐように、左から右に流れていた。車は橋を渡り切った。何も出てこない。矢川はこれで一つの楽しみをなくしたような顔をしてハンドルをにぎっている。私に、言った。
「澄ちゃん、どう思う」
「どおって、いい子だよ。あんな店に長くいちゃいけない子だよ」
私は饒舌になることを押さえ切れない。澄子をほめる。矢川のために澄子へのほめ言葉をつらねている心地になっている。それは矢川の気持ちを澄子にますます傾ける効果をもつことに気づきながら、饒舌になっている自分を抑え切れなかった。咎むものが、私の心にあるからだ。そして、澄子をほめる私の言葉は、本当の気持ちだった。
「澄ちゃんは、でもよ、おれみたいな工員ふぜいの相手じゃないと思うな」
矢川は言う。矢川の気持ちの傾きはその点で歯止めがかかっているのだ。
澄子は、昼間は専門学校に通って絵を書いている。澄子はわりあい順境に育った女がもつ気品を持っている。そのことが矢川の気持ちを竦みあがらせているのである。それを知ると、私は自分の気持ちとはうらはらに、矢川をそそのかして澄子と結びつけたくなる。そんなことは、たいしたことじゃないんだ、と言いたくなるのである。
車は帰路についた。畑や田のある道を通ると、いっそう霧が濃くなり濃白の塊が流れている。まだ時間は早い。「蔵」に行こうと言いだすだろう矢川に、今夜は付き合うことになる。澄子の顔は私と似た表情を浮べることになるだろう。
澄子はあの話をした翌日、私に言ったのである。私は一人で「蔵」で飲んでいた。
「河合さん、あの話、ほんとうなのよ」
「ほんとだったら怖いね。もっともおれは昔から一人でいることに慣れっこでね、お化けだってこわかないけどさ」
澄子はきゅうに真剣な目になった。
「じゃ、行ってみたら。あした、八時ころに」
「時間まできまっているお化けか。あした、って何だい」
「ともかく、あした行ってみれば」
澄子の表情に羞恥がにじむのを見て、
「そうしよう」
と私は言った。そのあしたが、「蔵」の休店日だということに私は気づいていた。どんな幽霊が出るか、私は気持ちが動いていた。
橋のたもとに、澄子が立っていた。停車した運転席の私をみとめると、安心したような笑顔をつくって近づいてきた。
いつもどおり、朝、家をでる。学生服の上に紺のダスターコートを羽織っている。定時制高校にかよっているのである。が、このごろそれにいや気がさしていた。やめたいと思う。目的を失ったと思っている。しかし、そんなものが初めからぼくにあったかどうか。初心忘るべからず。入学の時の校長のことばが浮かぶ。ハハハハ。おれは忘れちまうどころか、その初心さえ持っていなかったのかもしれぬ。
バスを待つ。長い行列がうしろにできる。ぼくの前にも、五、六人並んでいる。きょうは早かったので、わりあい前に並べたが、一寸家をでるのが遅くなると行列のいっとう後ろに並ばねばならない。それは、ぼくにとって苦痛であった。そこまで歩いていくには、人に顔を見られねばならぬ。じぶんを他人の前に晒さねばならぬ。一瞥をくれる人、じいっと見つめてくる人、あるいは知らぬ顔。そのどれもが、じぶんを軽蔑している気がするのだ。屈辱をすらかんじる。こちらも流し眼をかえしたり、胸を張ったりして、それらの眼に反撥する。同世代の眼はとくにいやであった。
バスに乗る。例によってひどく混んでいた。ぎゅうぎゅうと押されながら、なるべく出口のそばを離れまいと頑張る。もっと、奥へ進んでくださあい。車掌が声を張りあげる。かってなことをいってやがる、おれは知らないよ。やがてバスは走りだす。何人かが停留所に残されたようであった。
窮屈である。体が自由にならないのだ。が、これはそれほどの苦痛だとは思わない。これが夏であったら、とぼくは考えた。蒸れた人いきれに、茹だる満員のバス。いつも、その状態の中でぼくは、バス自体がだんだんと腐っていくのではないかという、奇妙な想像にとらわれるのであった。
すこし離れて、女子高校生が立っている。鞄を持っているうえ、大きいビニール袋を持っているから、その少女は大人たちに挟まれてすっかり自由を失っているのであった。顔を苦痛に歪めている。だから、ぼくは鞄を持たないのだ、とぼくは思った。じっさい、鞄にのしかかる重みといったらないのだ。二年に上がる一寸前まで、ぼくは鞄を携えていたのだが、それがいやで堪らなく、朝めざめるときまってそのことを思いうかべ、うんざりするのであった。だから、学校に個人のロッカーが出来、それが渡されると、ぼくは真っ先に教科書類をそこに収め、手ぶらで通学するようになったのである。
ふん、とぼくは心の内で少女を嘲笑う。どうせこの女、ミーちゃんハーちゃんの類にちがいないのだ。いい、ざまじゃねえか。そう、じぶんに対して故意と下卑たことばでつぶやく。いつもの偽悪ぶったポーズを、ぼくはここでもとってしまうのだ。
少女はわりあい整った目鼻立ちをしている。何とかしてやりたいとぼくは思う。思うのはやまやまだが、どうにもしようがない。ふっと、この状態といまのじぶんとの類似を考えた。よく、わからない。が、どこか似ていないか…。
漸く、吊革に摑まる。乗客のかずは一向減ったようすもない。当然である。乗って、すでに十五分くらいたつにも拘わらず、バスは二、三の停留所にとまったきりなのであった。車が混んでいるので、のろのろ運転をつづけている。クラクションが鳴らされる。一台が鳴らせば真似るようにもう一台、そしてもう一台が。クラクションの音でそれと知られる。たまに怒鳴り声が、バスの中でする。が、それは直ぐやんだ。
散々またされて、やっと乗りゃあ、これだもんね。いやンなっちゃうよ。
ほんとにねぇ。
ふだん、二十分もありゃ着いちまうって云うのに、朝は四十分以上かかるんだものね。
どこに、お勤めで?
ええ、K町のね、S…
時計が秒を刻むに比例して、人々の苛立ちはふくらんでいくようである。それが手にとるようにわかった。吊革に摑まりながら、じぶんはわりあい呑気である。そのことに、かすかに引け目をかんじるが、焦っても仕方のないことだと思うのだ。ぼくが会社(と云ったって小さな靴下工場なのだが)に遅刻するのはこの朝のラッシュのせいであり、これはまったく不可抗力なことではないか。ぼくは、ぼくにそんな風にいいきかせる。それは、おのれへの言い訳にすぎないのである。本心は会社を休むきっかけを得たことをよろこんでいた。ぼくは屡々、遅刻を理由に会社を休むのだ。十月に入って殊にそれがひどくなり、もう二十日になるというのに、出勤日数は一週間たらずであった。もちろん家のものは知らぬ。後日、露顕するのはあきらかである。けれど、ぼくはせつな的快楽主義とでも云うのか、そのときになれば、どうにかなるだろう、ぐらいに思ってそう気にならないのであった。
人から見れば、遅刻は会社を休む理由として、正当ではない。家のものにだって、通用するわけがなかった。ぼくは遅刻した場合のことを思う。専務さんはごゆっくりご出勤ね。へえ、又バスが。そう、バスがねぇ、へえ。そんな皮肉を浴びせられるか、あるいはだれもがむっつりとしていて(男たちは圧倒的に女のほうが多いためか、ひどく無口であった)ぼくを無視してかかるのであった。それを思うと、ぼくは会社に行くのがいやになるのである。それで休んでしまう。そんなことを何度かくり返す内に、ぼくはわざと遅刻をして、会社をサボるようになった。つまり、ぼくはぼく自身の良心の呵責を小さくするために遅刻を利用するようになったのである。そうして、ぼくはじぶんのなまけ心誤魔化し、正当化しようとしたのだ。
けれど、きょうはちがう。きょうは、わざと遅刻したわけではなかった。自然にそうなってしまったのだ。だれのせいでもなく、無論ぼくのせいでもない。
ぼくは何となく落ち着いた気分になる。会社へ行くということは、それほど心の負担になっていたのだ。
ぼくの中のなまけ心が、ぼくに誘惑を仕掛けはじめる。頻りに、仕掛ける。まだ、休むと決めたわけではなかった。迷っていた。休むきっかけを摑んだだけにすぎなかった。休むかもしれぬ、ということがぼくを落ち着いた気分にさせたのであった。
あまり休むと、信用されなくなるぜ。年中じぶんが会社を怠けていることを悪ぶって云うと、同級生の一人が軽蔑顔でそう云ったものだ。いつも、じぶんに繰り返すことばである。が、他人からそう云われると、そのことばに現実性が加わってくるものである。そのときは勢いに乗じて同級生のそのことばに反撥はしたが、時折思いだしてはじぶんをやりきれなくさせるのである。頸になっちまうぞ。そう、じぶんに警告する。だめである。じぶんで、じぶんがどうにもならないのだ。同じ後悔をくりかえし乍ら、毎日を送り迎えしている。そんなじぶんに、いいかげん愛想をつかすことがある。結局意志が弱いのである。じぶんをきびしく律するということが、生来できないのだ。そんなじぶんを一方で責めながら、もう一方では許容している。向上心は持っていた。けれど、しっかりした向上心の伴わぬ向上心は、あってもないようなものであろう。
この、怠惰で意志薄弱な性格は、どうやらじぶんの長い病院生活に起因しているようである。腎臓病を患っていたぼくは、幼年から小学校五年ごろまで、出たり入ったりの病院生活を送った。その、投げやりなだらけた日々がいまに及んでいるのではないか。そう、思われる。
バスを降りる。降りるとき、先程の女子高校生のほうを見てみたが、少女はいなかった。すでに降りたらしい。いつ、どこで降りたのか。二人の中学生らしい少女が、駆けてきて、発車寸前のバスに乗り込む。バスは走りだした。
ぼくは、乗り換えねばならない。そのバス停まで歩く。歩きながら、もう、出勤時間をとっくにオーバーしている。どうしようかと迷っていた。仕事にでるか、それとも…。ふっと、あたまに昼食時間を告げるチャイムが鳴った。午休み。そうだ、これが堪らなくいやであった。午後からも、午前中と同じように、女たちの意地の悪い視線を背中に意識しながら、規定の時間がくるまで時の重い歩みを過ごさねばならないからである。それを思うと、ぼくは全く憂鬱になるのだ。うんざりするのである。この状態から、すこしでもちがうところへ、何かの力で拉せられたい。ぼくはそう思う。ぬきさしならぬ状態が、、そう思わせるのである。会社をやめれば、それで済むことであった。けれども、その手続きが面倒くさい。やめれば、つぎの職場をさがさねばならぬのだ。それも億劫である。で、ぼくはずるずるべったりと日を送っているのであった。(ぼくが学校へ通っていることだって、惰性にすぎないのだ)
いい、三枚目だよ、あんたって人は。ぼくが一寸した失敗をやらかしたときだ。いつも髪の毛をボサボサにした血色のわるい女が、口元にアイロニカルな嗤いを浮かべて云った、そのことばを思いだす。いい三枚目だよ、か。あの、スケベエババアめ。
ぼくはそのときの羞恥と屈辱を、生々しくよみがえらす。怒りが込みあげてきた。あん、ちくしょう。おれは、いまの会社をやめるときには、あの女を思い切り引っぱたいてやろうと思う。それは、どんなにか気持ちのいいことだろうか。
行くのをよそうかと思う。一日ぐらい、いいじゃないか。
一日ぐらい、もう一日ぐらい…、いつも、おまえはそれなんだ。だれかが、あたまの奥でささやいたようである。その声を抹殺しようとつとめる。ぼくは完全に誘惑に敗けたのだ。しかし、敗けるであろうことはさっきバスの中で二つの心が葛藤している時、いや家をでるそれ以前から予想していたことのような気がする。
バス停に行くのはよそう。その必要はもうなくなったし、行って会社のものにでも会ったら休めなくなるから。ぼくを支配したなまけ心がそれを危惧していた。
ぼくはちがう方向へ足をむける。とにかく歩くことだ、とぼくは思った。しかし、それはいつものように足早やでなくてもいい。ゆっくりでいいのである。
街の端を歩く。商店街はまだ眠っていた。電柱が一定の間隔を置いて立っている。何となく、そこに貼られてある赤や青のビラを見乍ら歩く。とちゅうからぼくは読む姿勢になった。歩む速度をおそめる。「アメリカのベトナム戦略に反対しよう」 「一九七〇年安保をわれら青年の手で破棄しよう」そんな文句が書かれてあった。読み乍ら、ぼくは「安保研究会」
喫茶店に入る。通りに向いた側のテーブルに腰を落ちつける。ウェイトレスにコーヒーを注文した。店内には〈夜のストレンジャー〉のメロディが流れている。そのメロディにフランク・シナトラの渋い歌声がダブった。ぼくは窓の外に目を向けた。「あそびません こわいくるまのとうるみち」交通安全の黄色いポスターが目に入る。「あそびません こわいくるまのとうるみち」往復して読み乍ら、「欲シガリマセン勝ツマデハ」そんな文句を連想し、クスッとわらった。まるで、おれは戦中派みたいじゃないか。
ミルク入れますか? ウェイトレスがコーヒーを運んできて云った。ああ、一寸ね。ぼくはこたえ、ここでコーヒーを呑むのは二度目だなと思った。
それは、つい先日のことであった。ぼくは学校友だちの相沢や久保と映画を見、それからゲイム・センターへ行き、何もすることがなくなったのでここへ入ったのである。
あいつら、引っ掛けちゃえばよかったね。媚びるように久保がいい、だけど女は二人だぜ。こっちは三人じゃないか。相沢が煙草を銜えながらいった。あいつらとはこの喫茶店にくるとちゅうで会った二人の女のことであった。
ぼくたちは女たちのうしろを歩いていた。人通りのあまりない道である。女たちは、普通のごく自然な歩き方で歩いていた。大人びた恰好はしているが、十六七にちがいない、とぼくは思った。どんな顔をしてるか、見てみようや。ドン・ファンを気取っている相沢はそういうと、急に足を早めだした。おい、よせよ。どうせ、ろくな面をしちゃあいないよ。ぼくはいった。相沢はそれに構わず、女たちに近づき、そして並んだ。と思うと、直ぐ離れ、すたすたと女たちの前を歩きだしたのだ。あいつ、顔を見たのかな、とぼくはいった。久保はわらって、見なかったんじゃないの、といった。
彼女らは、じぶんたちのことが話されていることに気付いたようである。一人がもう一人の女に何か囁いた。と、その囁いた女の手がもう一人の女の肩にかかり、かけられた女の手が同じように女の背中にまわされた。そして、驚いたことに、女たちはそろって腰をふりだしたのである。それらの動作はあきらかに意識的だとしか思われぬ。こいつら、おれたちを挑発しようっていうのか、とぼくは思った。きゅうに、女たちに腹が立ってきた。どうじに、こんなことをやっているじぶんが、ひどく惨めであった。
あとで、相沢はいった。やつら、たいしたことはなかったぜ。まあ、十人並みというところか。胸は小せえし、足だって、あれだろ…。
ぼくはコーヒーを啜る。胸ポケットから煙草を取りだし、喫った。喫い乍ら、ぼくはだんだん惨めな感情に打ちのめされる。ふと、あの相沢や久保は、今時分、汗と油にまみれて仕事をしているだろう、と思う。かれらは仕事だけはまじめなのだ。くらべて、ぼくはとりえがない。ぐうたらで怠けもので、ごくつぶしで…。
ぼくは半分も喫っていない煙草を揉み消す。兎に角休んでしまったのだ。いまさら、悔やんでも仕方がない。あとの祭りというやつだ。ぼくは、ぼくを捉えていた惨めな気持をはじくように、立ち上がり、伝票を持ってレジへむかう。
映画館に入った。上映されているのは成人映画である。さすがに、入るのが躊躇われた。が、相沢たちと入った経験がぼくの勇気をふるいたたせたのである。べつにそれが観たかったわけではない。時間つぶしである。けれど、どうせみるなら、あくびの出そうな退屈なやつより、こっちのほうがいい。そう思ったのだ。キップを買う。中へ入った。
スクリーンではちょうど抱擁シーンが始まるところであった。ぼくは暗がりに目が馴れるまで壁に靠れて観ることにする。突然、白黒であったスクリーンがカラーに変わった。男女が大きく半回転し、女の乳房があらわに見えた。これが、この種の映画の見せ場なのだとぼくは思った。これが見たさに、観客は金を払うし、製作者はそこだけにカラーフィルムを使用するのだ。ストーリーは、その場面を見せるための道具にしかすぎない。ぼくは、その観客と製作者の「需要と供給の法則」をおもしろいと思う。
スクリーンに、乳房は大写しになり、男の手がそれをつかんだ。女は顔を真っ赤にして喘いでいる。ぼくは興奮した。会社の年増女たちが、いやらしい笑い声をたて乍ら話す、セックスの話を思いだす。親指と人差指を「U」の字型につくって、上下にゆすぶり、あんたはこれでしょ? ある女はろこつにそう聞いてきたものである。目の奥で、ぼくを揶揄しながら。
冗談でしょう? ねぇ、そうだわね? 冗談よね。スクリーンの女はいう。さっきのシーンはすでに終り、ちがう男女が写っていた。
ほんとなんだよ、じつは。男がいった。
ぼくは、てきとうな座席に坐る。俳優の下手くそなセリフは聞くにたえない。うとうとしはじめる。やがて、眠ってしまった。ぼくが目を覚ましたのは次の映画の中ごろである。
外国映画であった。四本立ての内、一本が外国ものなのだ。これは他にくらべて長かった。いちいち、スクリーンの字幕をよむのは、億劫である。ぼくは、あきてくる。又、眠ってしまう。
そうして、映画館をでるころには五時近くになっていた。ぼくは慌てて、バス停まで行く。バスはどうやら行った後らしい。二、三人が待っていたが、みな他のバスに乗ってしまう。ぼくは、しばらく待たねばならなかった。
ぼんやりと暮れ泥む空に視線を放ち乍ら、いま見てきた映画の一齣をぼくは思いだす。それは唇のいやに厚ぼったい、色濃くアイシャドウを施した女が、万引きをして発見され、ふてぶてしく居直るところだ。どうでも、好きなようにしてよ。スクリーンの女は、どこかで聞いたような、そんなセリフを吐いたのである。
ひどく咽喉が渇していた。バスは来なかった。コーヒー牛乳でも飲もうか。そう思ったときである。
おい、おれの顔に何かくっついているか。
声をかけられた。真っ赤なカーディガンを着た二十二、三の小柄な工員ふうの男である。ぼくは、何のことか判らず、思わず、えっ、と聞き返した。何ですか?
何ですか、だと。しらばっくれるなよ。さっきからおまえ、おれの顔をじっと睨んでたじゃないか。
ぼくは覚えがない。見ていませんでしたよ。低い声でぼくはいった。
何い、恍けやがって。
べつに、恍けちゃいませんけど…。
こういう受け答えはいけない。ますます男の怒りを煽るようなものだ、とぼくは思った。
が、ぼくにはこういう状況に置かれた場合、なるべくじぶんの自尊心を守ろうとつとめる習性があるのだ。仕方がなかった。
おまえは目付きが鋭いからなあ、気をつけないと、ヤーさんにやられるよ。だれだったか忘れたが、そういわれたことを、ふと思いだした。すると、この男はぼくが何気なく視線を放っていた場所に入り込んだのだな。そして、ぼくの目付きを見て、勘違いしたのだろう。
おれを舐める気か。
いえ…。
文句ありゃあ、やってやってもいいんだぜ。肩を小突かれた。かるく小突かれたはずなのだが、ぼくはちょっとよろけた。男は嘲笑う。痩身を嗤われたと思う。羞恥がキッとぼくを捉えた。
ふん、学生のくせにナマイキだぜ。おれは、おまえとは年がちがうんだよ、年が…。
はあ。
当たりまえだ、何故この男は殊更それを強調するのか。わかってますよ。
わかってるんならあんな目で人を見るんじゃないよ。いいか、今度あんな目で人を見たら、ただじゃ置かねえからな。わかったかい。
乗るはずであったバスはとっくに行ってしまっている。又しばらく待たねばならない。すっかり街は夜であった。
もう一時間目の授業が始まっている時刻である。じたばたしてもはじまらない。
年がちがうんだよ、年が…。 あの男のことばが、呻くような響きをもって纏わり付いて離れない。
何故、あの男はぼくに対して殊更それを強調したのか。突然、ぼくは理解した。あれは、あの男の劣等感の裏返しではなかったか。男は何かのコンプレックス持っていて、他人の目をひどく恐れているのだ。それで虚勢を張って、ぼくにくってかかったのではないだろうか。
あの男もぼくと同病か。吐きすてるようにぼくは呟き、苦笑した。幼時から、じぶんはいくつもの抜きがたいコンプレックスに付きまとわれている。つねに他人の目を意識し、びくびくする。そんな意識が潜在しているのである。それに抗うように、ぼくは殊さら偽悪ぶるのかもしれなかった。
同病だということが、ぼくのあの男に対する怒りを鎮めさせたようである。
そのかわり、何かやりきれぬものがぼくの胸を充たしはじめた。先刻観た映画の中の女の白いからだが、ちらっと脳裡を掠める。この胸のやりきれなさは、あの映画を観たせいか。
しかし、そういう潔癖さはすでにぼくには失われたもののはずだ。ふと、相沢たちの顔が浮かんだ。やはり、ぼくはかれらに同化することができないのであろうか。
校門の灯りに向かって、歩いていく。灯りは周囲の夜の中にぼんやりとともっていた。歩き乍ら、ぼくはふうっと溜息をつく。仕事を休んだことへの後悔が執拗にじぶんを捉えていた。苦い、後悔だ。詮ないくりごとである。わかっているのだが、後悔は一寸したきっかけを得ては幾回も湧きあがってくる。まるで、胃液のようである。
仕事を休み、のみならず学校をも遅刻したわけである。
ダメな男…。ぼくは自嘲的にそう呟いてみる。にも拘わらず、それは罐空を蹴ったときのような乾いた音をたてて、虚しく跳ねかえってきたのだ。
(1969年12月、謄写版印刷の同人誌『珊瑚』第二号に掲載したものに若干の字句の訂正をした。)