人気のない駅の外の崩れかけた庇でかろうじて強い日差しを避けているベンチに、女は腰をかけ男に顔をむけている。
K湊で宿が取れぬと知った時の女の落胆した様子といったらなかった。
「日帰りの旅なんていやだけど、しようがないわ」
と、捨鉢に言って、男に顔をそむけた。その気持は泣きたいくらい昂ぶっていただろうと考えると男は、K湊から二駅先のこの町に、女を励ましてつれてきた甲斐があったと思った。そして、しんそこ助かったと思った。
丁寧に礼を言い、好人物そうなおばさんに電話代だけ手渡して案内所を出た男は、女にはまず無念そうにかぶりを振って見せ、やっぱりと消沈させたところで、このおばさんが書いてくれた紙切れを差し出してやろう、とそんな茶目っ気を見せる余裕さえうまれていた。だが心細げにこっちに眼を曝している女を見たとたん男は笑いをつくって見せ、それが女の側からは逆光になっていると気づくと、大ぶりに手を振ったのだった。
「とれたのね」
女の表情が輝いていた。
「ああ、とれた、とれた」
小走りにとんできた女の両の手をふさがらせている自分の方の荷物を受けながら、男ははずんで言った。彼の腕を取って、女は、
「よかった。どうなるかとおもっちゃったわよ。ああ、よかった」
男をほめそやしはじめた。
女のそれを耳にくすぐったく聞きながら男は、さっき女の眼に映ったであろう自分の手を振っている姿を、影絵のように思い浮かべた。
鄙びた木造の駅の建物も、ブロックを積み上げ長く延ばしていったような吹曝しのホームも、線路の向こうの積み残しのような丘も、二十年ほど前とそれほど変わらない印象だった。なんとなくそれで、男はほっとしていた。K湊に来るまでの電車のなかで次第に増してきていた圧迫が、ホームに降り立ってぐるりを見渡した拍子にかなり消え去っていた。なんだ、こんな他愛ないことだったのか、と男は思った。それはかつてあれほど遠方に感じていたこのK湊が、たったの二時間余りで着いてしまう東京に近接した土地だったという奇妙な現実感と重なり、そしてどこかずれていた。
K湊へ来るということが物理的に身体を移動させることだけなら、これまでにも機会はあった。それが二十年もかかったのは、他愛ないことではけっしてなかった。こんな他愛ないことだったのか、という男のおもいは二十年の間勝手にふくらませた仇敵にたいする憎悪が、いざ仇敵に臨んだ時やすやすと降参され腰砕けになったような、かってのちがったおもいなのだった。
駅から両側に真直ぐに伸びて、遠近法で狭まった正面に環状線が見えている短い町並みは、さすがに開けてしまって見覚えがなかった。この町並みのなかに床屋があれば、そこが男の記憶にあるかつての床屋であるはずだった。鄙びた町にそう何件も床屋があるわけがないとおもうのだが、見当たらぬ…。
学園を去る数日前、入園していた子どもたちは順繰りに散髪に行かされた。彼が坊ちゃん刈りに刈られ終わった時は、もうみな帰ってしまって外は暗くなっていた。雪もちらついていた。
学園に一人で戻るともう広い食堂はがらんとしていて、炊事場でアルマイトの食器を重ねる金属質の音が水の流し台を叩く音とともに聞こえるだけだ。寮の各部屋からは消灯までの自由な時間を与えられた子どもらの羽目をはずしたさんざめきがたちのぼっている。
一人取り残された心細い思いにひしがれて渡り廊下を歩いていると、保健室の女の先生に見つけられ、
「お帰り。あたま、さっぱりしたね」
と、声をかけられた。「晩御飯はこっちよ」
グラウンドが一望にできる大きな部屋に連れて行かれた。そこは発熱した時などに寮室から移されて寝かされた和室だった。そこに彼の分だけ食事が残されていた。一人で食べ終わると、どこかから戻ってきた先生が葛餅をはこんできた。
「葛餅も召し上がれ」
「葛餅は大好物です」
いつにないその先生の優しいふるまいに、彼はちょっと阿ってこたえた。
「そう、よかったわね。こぼさないように召し上がれ」
あらかじめ黄粉と黒蜜をかけてあるそれを、甘いものから遠ざけられていた子どもみたいに粉を息で吹き散らかしながら(テーブルに散った粉を先生が見ていぬうちに手のひらで消しながら)頬張った。そして頬張っている頬の感覚から、いつか彼がそそうをして、ちょうど寮母が寝込んで代わりに来ていたその女の先生に廊下にぬれて生温かいパンツ一つの裸で立たされ折檻されたことを思い出した。折檻を受けることになったのは、彼に原因があった。彼が一言も謝らないばかりか、皆の手前、きまりの悪いおもいをなるたけ無表情をつくることで耐えようとしていたこともあって、それが傍目には傲慢なさまに映ったのである。おまけに、やられ慣れた者の知恵でいつくらうかもしれないビンタに備えて、頬をおもいきり膨らましていたのだ。
「まあ、憎らしいね。叩かれても痛くないようにほっぺたをふくらましているんだよ。そんなことするんなら、こうしてやるよ」
ヒステリックに叫ぶと彼の河豚のような頬を爪が食い込むほど強くつまみあげ、
「ほんとにかあいげのない子どもだよ」
と、さらに手をふりまわして言った。
あまりの痛さに涙がでてきたが、まだ雨戸を閉めてふとんのぬくもりのなかでこれを聞いているだろう、一枚だけ開かれた障子のむこうの暗がりのなかの子どもたちの嘲笑を思うと、意地でも泣けないとふんばっていたのだ。
その連想から彼は、こうして葛餅を食べている平和がいつひっくり返され、かあいげのない子どもだねというヒステリックな声が掛けられるかわからない不安に脅えはじめた。するとそのおぞましい情景がすぐにも現出しそうな不安が高まり、その先生の顔がいかにも、がつがつ食べているね、といった屈託ありげに見えだすと、もう葛餅どころではなくなった。
「歯が痛くなったからもうよそおっと」
ひとり言のように言って、まだ二切れほど残している葛餅を惜しむ気持にひかれながら、ごちそうさまでした、おやすみなさいとたてつづけに言うと、
「はいおやすみ。歯が痛くともきちんと濯いで寝るのよ」
あくまでも優しげな声が返ってきた。
その日、彼が優しくされたのはもう退園までいくばくもないという彼女の感傷からだったかもしれない。
彼はK湊の学園生活三ヶ月のうちで、三度ばかり寝小便の記憶をもっていた。頬を抓ねあげられたのは、三度目の時である。初めのは覚えてないが、二度目の時はさいわい下着の腰のあたりのぬれにはっとして目覚め、敷布に染みていないのを手ざわりで確かめると、背中合わせに寝ている子を起こさぬようにそっと床のなかで動き、シャツの濡れそぼっているところをたくし上げ、下穿を足のほうに丸めて、それでも染みたりしないように苦労して朝を待ったので、これは露見しなかった。背中と腹を裸にし尻を剥いて、生理的な震えよりも内心から湧きおこる生温かいどこか呆然とした震えにとらわれながら、朝を待つ、小学五年の自分を思うと、彼はわれながらその子どもが不憫だった。これ見よがしに寮の外の鉄棒に干しだされたふとんを、居場所をなくした小動物の恨めしいおもいで横目に見て、どうしちゃったのだろうと合点がいかなかったものだ。K湊に来るまで彼には夜尿の癖などなかったのである。
まっすぐに伸びている町並みのとばくちは左側に二股の、勾配の小道をもっている。そっちへ登って行くのだ。女は男の後について歩きながら、数歩先を性急過ぎるくらいにして歩いている男を、まるで思い出の品を撫でさすりしては溜息ついている者を傍らで見るような微笑ましげな眼をして眺めている。少し登っていくと、濃い緑の繁みが前方にこんもりと顕れる。道の両側は低地で畑がひろがっている。青々とした畝が秩序よく並び、静かな風が頭をそぎおとしてわたっていく。
男はもう、いったん踏み込んだからには逆戻りはできないというふうに、どんどん歩いた。それは、肝だめしで墓場になげだされた子が、どのみち出てくるものなら早々と出てきてほしいとはらをくくって、それでもおっかなびっくり、闇をかいくぐっていくようなものだ。それに真犯人を勿体つけてひた隠そうとするへたくそな探偵小説に苛つき、ついには腹をたてて、結末をめくってしまうような、あの苛々した情緒と頁のめくりかたにどこか似ていた。
ときおり男はじぶんの余裕を確かめるように振り返って、女に笑ってみせる。男にも意味不明の笑いだから、なおのこと女は、男の笑いを受けとめかねて曖昧に笑いをつくってかえす。女の顔は日が照り映えていた。なんだかきょうはきれいだな、と深刻な話の腰を折るように言ってみたくなったが、あら、きょうだけ。答えがわかってしまうようで、それだけでうんざりした気持になって、べつのことを男は言っていた。
「舞台に上がらされた役者みたいだよ」
言ったとたん、そうだった、日の光がまばゆすぎて、晴れがましいおもいにさせられていたのだと気づいた。
「そうよ、みんなしーんとして観てるわ」
通じっこないと思ったのに、女はこれから劇的対面でも起こるのを待つような面持ちで言った。
「それじゃ、照明係にクレームつけに行ってきてよ、なにもそんなにぼくを照らしださなくたっていいじゃないかって」
「女優だっているのにね」
軽口をきいたせいで、男の緊張がいくらかほぐれた。
傾斜がちょっときつくなった。足の重みをかんじた瞬間、楽になっていた。平らな道に出たのである。
その正面に、青々とした生垣をつくり、緑を繁らせた石門と青い屋根がすえられていた。
やっぱりあった、と男は思った。昔ながらのたたずまいだ。がっかりしているような、なつかしがっているような、K湊の駅に降り立ったときのあの情緒とおなじようなものが男をとらえていた。昔よく駄菓子屋でやった、小さい矩形の紅生姜色の紙をなめて当てる籤のことを、ちらと思い出して男はちょっと気が滅入ってきた。どうせスカとしか浮き上がってこない籤をいっしんに捲り破りとっては舐めている、その粗末な紙のざらっとした舌ざわり、そのまま溶けていきそうな感触をまで思い出して男は徒労をかさねてきたような疲れをおぼえた。
だが、その石門に嵌め込まれた銅版に、「○○区立K湊養護学園」という文字を見た時、男は胸にひりひりと痛むものをかんじた。傷は乾いちゃいないな、と思った。カサブタの下の肉はまだみずみずしく赤味がかっている。カサブタを剥がしはじめたら気になってしかたなくなり、きれいに終いまで剥がしてしまうような一種自虐を含んだ気持で彼は石門をくぐった。
松が枝を門の両側から跨ぐようにふりかぶっていた。入りくちは庭になっていて、それから吹曝しの屋根だけついている渡り廊下が向こうに広がっている校庭とこっちを遮っている。右が二階建ての校舎で、左が平屋と一部二階のまじった寮とか食堂とか職員たちの個室などの建物になっていた。つまりほぼ馬蹄型をしていて、それが二階の教室から見下ろすと「L」の字を横に寝かしたような具合になり、家に帰る方の門が塞がれているという途絶感をそそられたものなのだ。はじめの頃は強烈な焦燥にかられて、かなり経ってからは底の抜けるようなあきらめをともなって。
ところがあの焦燥感の正体が、いまにしておもうと、わからなかった。
K湊へ来て三四日経ったある夜、ちがう寮室の子どもが脱走した。
寮母がそのことをみなに伝え、いま警察の方や町の人が捜索してくれているから大丈夫だとおもうが、鉄橋があるので心配だ、と言った。鉄橋―それは追随者を出さぬための威嚇であったかもしれないが、彼には遠島送りになった罪人がはるかに本島を眺めやるようなひびきでおちてきた。寮の裏手がすぐ線路で汽車が煙をあげながら通っていくのである。いつもなら、枕木を渡っていくその響きは強い郷愁を誘うのに、その夜ばかりは彼には、いま暗い鉄橋におそるおそる踏みだした少年に背後から迫っていく黒い動物の跫音のように聞かれたものだ。
職員たちのあわただしい動きを感じながら、子どもたちの誰もが興奮し、おしゃべりになっていた。寮母が部屋に入ってきて、まだ見つからないが心配はいらない、と言った。だれもが、心配で興奮しているわけではなかった。まだ日も浅いこととて脱走した子の名前はおろか顔すら思い浮かばないのだ。だがそう言われると、その子の身を案じていたような神妙な気持にだれもがなった。少し早い消灯になった。ふだんなら、敷かれたふとんの上に正座して、東京の方角に向き直り、おとうさん、おかあさんおやすみなさい、と唱和してから、先生、おやすみなさい、皆さん、おやすみなさいとつづくのだが、その夜にかぎってなぜか東京が略されたことが、子供たちの異常を深めた。
まだ眠っていないことが伝わってくる隣の子の背中を意識しながら、彼は、逃げた子どもはあの子にちがいないと思っていた。K湊へ来る列車のなかで一人うつむいてマジックバックを抱えていた子だ。その前、見送りの親と別れる時泣き喚いて後を追った子である。その愁嘆場を見て、彼の母親もせつなげな、眼のやり場に困ったような、赤くなった顔で息子を見た。彼はなんだか恥ずかしくなって、素気なく別れを言ったものだった。
ところで、その子どもを彼が覚えていたのはそのことではなかった。そのマジックバックなのだ。四年、五年、六年の総勢九十人の子どもたちはまるで遠足に出たみたいに、菓子を持ってきていて、座席の前後ろで交換をはじめた。あらかじめ生活用品と学用品は行李に詰めて現地におくっていたのだ。
その子のところにも行った。
「お菓子なんか、持ってないよ」
と、その子は言った。
「うそだろ」
マジックバックがひったくられ、開かれたが、下着とかタオルが詰められているだけだった。
「ほんとだ、お菓子持ってこなかったの、へえ」
返されたバックを閉じると、今度は恥ずかしそうに俯いてしまった子を彼は横目で見て、母親が自分のために入れてくれたドロップ一罐といくつかの甘い菓子の袋を、母親の内職をしている姿とともに感傷的に思い浮かべていた。これは交換などしないでだいじに食べるんだ、とひそかに思っていたのに、K湊に着くなり菓子は没収されてしまった。三時に、おやつとして出すというのであった。彼は自分が食べるものとばかりおもって母親が買ってくれたにちがいない菓子を、没収されたことで、母親の気持が蹂躙されたような、その気持にすまないような気がした。何も持ってこなかったあの子だってその菓子を公平に食べるんだ、と悔やしさと憤ろしさを覚えた。彼の、封も切っていなかったサクマのドロップ罐への執着は日に日にふくらみ、おやつごとに眼を光らせて、その一粒にでも再会したいと待ち望み、横流しされてへんな女の口にむさぼられている夢まで見たが、とうとうドロップはおやつに出なかったのである。
お菓子の入っていないマジックバック、その子にちがいないと彼は思った。かすんだ印象の顔が浮かんでいた。翌日、確かにその子の顔がなかった。無事に保護されそのまま東京の親元に帰されたとのことだった。寮母も先生たちもあまりそのことに触れたがらなかった。むしろその話を避けようとする空気の漂うなかで、子どもたちの見てきたような講釈が羨望といくぶんかの嫉妬をまじえて喜劇仕立にしかも情熱的にひろまりはじめたのだ。
おい、こら、おまえトウキョウの子だべ。こっちさコ。おまわりさんがつかまえようとしたら、あいつ、川にざぶざぶ逃げていったんだ。終いに歩けなくなって、杭につかまってアップアップしながら、家に帰してくれなかったらぼく死んじゃうから、って頑張ったんだ。
その事件が彼にあのころ強烈な焦燥感をもたらしたのかもしれない。つながりはある気もするが、わからなかった。だいいち彼は家に帰りたいとはおもっていたが、いわゆるホームシックではなかった。彼は、家族といるより一人の病院暮らしのほうがずっと長かったのである。隔離されて暮らすのは慣れっこになっていた。それは苦にならないどころか、じぶんがらくらくと呼吸できるいわば洞穴なのだった。
そうだった、と男はいま思いだす。洞穴だ―。鉛筆で洞穴の断面図の絵を描く楽しみを、じぶんはいつからやめたのだろう。
それは想像のなかのどこかの森の奥の洞穴である。その洞穴に人が寄ってくることはない。人が来ることはない場所なのだが、その少年一人が入れる洞穴の入り口には草などで迷彩がほどこしてある。内部には外的に備えて銃とか槍が置いてあるのだ。
洞穴のなかに籠もっている少年は、もちろん男である。じぶんに見立てた少年が稚拙な線で洞穴のなかにうずくまるように描かれている。
壁には棚がしつらえてあり、本や救急箱やラジオが載っている。水は雨水を濾して呑むようにしてある。これは当時、男が親たちと住んでいた借家が井戸水を汲み上げて濾して使っていたからだろう。食料は、どうだったか。あまり食料のことはあたまになかったような気がする。もしかすると男は、病院の食事のように、時間になるとワゴン車がトレーに載せた食事を運んでくると思っていたのかもしれない。そのころ男にとって、食べる問題は頭になく、ひとりになれることが先決だったのだろう。
だが、いまおもうと、洞穴にラジオとは何だろう。
ラジオというと、病院のベッドの上で鉄筋の建物では音波をとらえにくいゲルマニュウムラジオを何とか聴こうとして苦心していたことを思い出すが、あれは四百五十六人の死傷者をだした国鉄常磐線三河島事故のころか後だったか。死者のなかに一人だけいつまで経っても身元が不明の人がいて、ラジオがその人の人相、身なりを伝えて協力を呼びかけていた。警察が出したチラシも見たことがある。手に数珠を握って死んでいたという話を聞いて、しばらくは夜の病院を気味悪く思ったものだった。赤木圭一郎がゴーカートで重症事故をおこしたのを聞いたのも、病院のラジオだった。しばらくして意識を回復したというニュースがあったのに、つづいて死亡のニュースが流れて、びっくりした。赤銅鈴之助を毎日欠かさず聞いていたが、あれは男を可愛がってくれたおじさんの病室に夕方になると通って行ったのだ(あのおじさんも男の入院中に死んでしまったが)。
だが、森のなかの洞穴にラジオを持ち込むというのは、妙に現実的である。一人でいることを苦痛に思わなかった少年が、それでも社会から完全に疎外されることを怖れる気持のあらわれだろうか。社会というのは、そのころ小学生の少年だった男にとって、まさしく洞穴の外のことだったのである。
K湊は洞穴の外にむりやり引き摺りだされた、男にとってはじめての社会生活だった。規律正しい生活、集団行動、対人関係、学校の勉強、どれをとってもはじめて尽くしなのである。そしてどれをとっても抑圧でないものはなかった。毎日が、苦痛でしかたなかった。いつも自分が剥き出しにされているようで、子どもの目、大人の目が痛くてならない。息をつくところがなかった。男を貶め、傷つけるために学校があった。それがそのまま寮での子どものなかの彼の位置をきめていた。フットベースボール大会や遠足やK湊の学園行事は、男には狩られて曳かれていく惨めでうら悲しい気持を味わわされるものでしかなく、ほかの子どもたちのはしゃぎように、かえって心を閉ざしてしまうのだった。
学園では、ひそかに洞穴の絵を沢山書いた。みなが外にでて遊んでいる時、男は寮室の畳に腹ばいになってじぶんの殻に閉じこもった。書きはしたが、それを毎日の絵日記にしたことはなくほかの誰にも見せたことはなかった。森の奥に迷彩をほどこした洞穴があるように、洞穴の絵もまた少年の秘密であった。洞穴の絵を書くことは少年の唯一の慰めではあったが、絵を描けば描くほど学園の日常生活の辛さが重量を増すことになった。焦燥がつのった。あと何十日の辛抱と、どうにもならない現実を耐えるしかなかったが、病院生活を思い出しては、かってのちがった理不尽なおもいに、わけのわからない焦燥が少年をおそうのだった。家に帰りたかった。いやじっさいは病院に帰りたかったのだ。その時は、男はそうとは自覚しなかったけれども、家に帰っても待ち構えていたのはK湊の集団生活とはちがえ、けっきょく近所の小学校へ通うという社会生活だったのだから。
その脱走事件が、あのころの男のいわば退行意識に働きかけたものは小さくないはずなのである。けれどもたとい男がそのためにある焦燥感におそわれるようになったとしても、男は脱走を企てるとか、泣き喚いて家に帰りたいと訴えることなどなかったはずである。それどころか、ほかの子どもたちにも面会日の両親にもそんなことはおくびにもしなかったものだ。意気地がないと笑われるのが見えていたし、そういうじぶんの生身の感情を極力押し隠そうとする性向があったからだ。男は少年のころから意地っ張りだった。喜怒哀楽の生な感情をおもてにあらわすのが下手だった。長じるまで挨拶さえまともにできない子だったから、それでずいぶん可愛い気のない子とおもわれて損をしたにちがいない。そういう男の性質は、だが男自身の自尊心にかなっていたものなのだ。というより、洞穴のような虚構の世界で、男が無垢の、おろしたてのような自尊心を持っていると信じているかぎりでの、いびつな自意識にかなっていた。現実の男は、自身でさえ自らを恃むなにものもなかったのだから。あのころ、男が自尊心などと口にしたら冷笑の的になったにちがいない。
(きみたちは知らないだろうが、ぼくはピエロを演じているだけなんだ。ほんとうの姿は見せられないが、じつはある国から重大任務をもってやってきて、ここにいるんだよ)
病院で読んでいたおどろおどろしい江戸川乱歩の怪人二十面相にこんな設定がなかったか。げんじつの世界では嘲笑にしか値しないじぶんも、それは韜晦した仮の姿だと思えば傷つくことはない。こっけいなことであったが、それが唯一あるかなしかの自尊心を守るよりどころなのである。それは演技だけではだめであった。役者が与えられた役柄になりきろうとするように、男は自らを手玉にとるような、こみいった意識操作をしなければならないのだった。観客はだれもそっぽ向いていたにちがいないのに。舞台のかぶりつきの客に、男はせめてヤジをとばされまいと汗だくになっているのだった。そして喜劇役者が演技以外のところでは極端にシリアスな表情を見せていたり、むっつりしていたりするように、男は生身の感情を押し隠して、相手が立ち入ってくるのを拒んでいたのであった。立ち入られれば、なによりも自尊心が傷つくことになる。たといそれが虚構の世界以外なんのよりどころのないものだとしても、男はそのじぶんの姿にせいいっぱい胸を張るしかなかった…。
男は運動場にも、もちろん建物のなかにも入らなかった。いまは外部の人間にすぎない男が、見咎められでもしたら返答にこまってしまう。二十年ほど前、三ヶ月をここで過ごしました。一日千秋というが、それはそれは長い辛い毎日でした。それがどうしたと言われてしまうだろう。もう昔の寮母さんも学校の先生も当然のこといやしまい。生徒も療養を兼ねて入園したとおなじく、大人たちもどこかしら健康をそこねた人たちが療養をかねて、そこに勤めていたのだから。だが、かりにまだいたとしても、男のことはおぼえていないにちがいないのだ。
目の前を遮っている吹曝しの渡り廊下のぎりぎりの境界のところまで行って、向こう側を覗いてみた。茫洋とした広がりだけを男は感じた。なにか記憶を結ぶものはないかと思い、冷静に目を凝らした。ゴールデンウェーブがあった。ヨーロッパの民族衣装の裾広がりのスカートのような鉄棒の遊具である。広がった裾に摑まり、走って勢いをつける。地を蹴って、足をちぢめると、それは不安定な円を描いて廻るのだ。その遊具に下級生の女の子を摑まらせて廻してやったこともあった。だが、それはK湊へ来て日がいくばくもなかったころだ。すぐ彼の実体が知れてしまったから。あの男の子は学校の成績がペケだということになったのだろう。そそうをしたことも、たちまち広まったはずだ。
彼は一人でゴールデンウェーブを廻しながら、伸縮する円い輪の立体的な影にぶらさがっている猿のような自分の影を楽しんでいたものなのだ。
「テナこと言われて、その気になって」
そのころ学園の子どもたちがよく歌っていた植木等の歌を、その部分だけなんども口吟みながら。影がその形をした穴であり、彼が足を地面につけると、そのまま落下していってタイムマシーンのように別の世界へ行かれるのではないか。そんなことを彼はよく思った。
彼がその遊具で遊ばなくなったのは、同級生の一言だった。一人で廻っていた彼のそばへ来て、まだゆるやかな余力で宙に浮いていた彼に、同級生は言った。
「子どもみたいだな、きみ」
こましゃくれた表情で、軽蔑しきったように言われた彼は、着地にしくじって、よろめいた。すると、恥ずかしさが首筋にあつまった。侮辱された憤しさよりも年齢相応のことがなにひとつできない自分の幼稚さを言われたようで、彼は狼狽と強い羞恥におちていた。
ゴールデンウェーブのちかくにブランコがあった。ジャングルジムもあるわけなのだが、ここからでは、わからなかった。だが、いい、と男は思った。とにかく昔のままのゴールデンウェーブを見つけたのだ。確かに二十年ほど前にじぶんがここで三ヶ月を送ったことがはっきりしたわけだ。そして、いまの彼がK湊のころと地続きだということも。坂を登りきって、その正面に、学園の門を眺めた時の、やっぱりあった、というがっかりしたような、なつがしがっているような困惑した思いは、はっきりなつかしさに絞られていた。それもちりちりと疼くような、その痛みに快感すら覚えているなつかしさなのだ。
さっきはわからなかったが、籤を舌で舐めている連想が男を滅入った気分にさせたのは、どうやら男のなかに気後れしているところがあったためらしい。借金をしっぱなしになっている旧知の人に、巷で突然声を掛けられ、うまく目をあわせられないような、その日一日が、滅入った、どこか投げやりなものになり、やることなすこと精彩を欠いて徒労だけを感じてしまうといった、それに似たものだった。K湊の学園に、男は借金の相手に感じるうしろ暗さや恥ずかしさやまごつきや怯む気持やをどっと感じたのだ。たぶん男のなかにあった気後れがわざわいして、まんまと敵に呑まれたのにちがいない。
だが、もう大丈夫だ。男はシーソーの両端に跨ったじぶんと、K湊の学園、いやK湊の土地全体との平衡をかんじた。
「入って行かないの」
飽きたというかんじで、女が言った。入りくちの平凡な庭など見ていたってつまらないわけだ。建物も、女には興をひかれるものでないのはとうぜんだ。
「ああ」
と、男は言って、それじゃ来た甲斐がないじゃない、といいたげな顔になった女に、
「入ったってしようがないもの」
「そうなのぉ」
「不満そうだな。きみが期待してるような、ドラマチックな、ごたあーいめーん、てのはないよ。そんなもんないよ」
「べつに、そんなのあてにしてないわよ」
と女は言った。
「ごたいめんはないけど、とっておきがあるんだよ」
「海?」
「どうしてわかった」
「さぎりきゆるみなとへの、ふねにしろしあさのしも」
と、童謡の「冬景色」を口早やに歌ってから、
「この歌、思い出があるって言ったじゃない」
と、きめつけるみたいに女は言った。
「そうだっけ」
K湊のことはあまり話していない気がするのだが、その歌を知っているところをみると、酔ってそんなことを口にしたのだと思った。K湊の学園でおぼえたこの歌がふいに口にのぼる時、男はきまってK湊の美しい海を想起する。それは美しい海につながる歌なのだった。
K湊のことは長く男の恥部になっていた。ぜったいに話したくないことがらだった。触れてみるのもおぞましかった。竜宮城の乙姫から貢がれた浦島太郎の玉手箱じゃないが、蓋をひらくと、数珠のようにぞろぞろと羞恥の品々が顕れて、それは百八個どころではなく、いくらつまぐっても尽きるところがないのだ。
K湊から帰って、通い始めた小学校で、ある日こんなことがあった。
ふだん口も聞いたことがなかった子が、放課後、彼の細い首に腕をまわして、
「いっしょに帰ろう」
と言った。いやに親しげでそこに薄気味悪い思惑をかんじたが、ひょっとしたらこれが友だちを作るきっかけになるかもしれないというおもいが、彼を頷かせた。彼にはいつまでも友だちができなかったのだ。ところがそんな様子ではなかった。その子はにやにやしながら、
「どうしてそんなに顔も手も白いのさ。勉強しすぎじゃないの」
「きみ、隣の女の子、好きなんだって。でも、あの子言ってたぜ。きみのこと気持悪いって。襟元から手入れて、体かくのやめろよ。きみ、疥癬かい、みなそういってるよ」
などと彼にからみはじめた。彼は無視をきめて、さっさと歩いた。自分には、きみらにわからない重大な任務があるんだ、きみに言うわけにはいかないけど、とれいの演技をはじめながら。自分が侮辱を受けたあまりの恥ずかしさに狼狽しているのをさとられないよう無表情をつくって。
「なに、きみ、そんなに急いでるんだよ」
背中のまあたらしいランドセルにのしかかられ、彼の痩躯は弓なりになった。顔が青くなるのがわかった。きゅうに饒舌になりはじめる自分にいたく傷つきながら、彼は言い開きめいたことを顔を引き攣らせてしゃべっていた。ふん、と鼻を鳴らして、相手は彼を突き放した。すると彼はいま饒舌になったことに命乞いの醜態を見せてしまったみたいな恥ずかしさをおぼえた。みぐるしい姿をそれでとりつくろうと、ランドセルをはずし、背負いの皮が食い込んだ肩を、痛そうにして撫でさすってみせた。
「大げさだなあ」
相手は笑って言った。
「ちがうよ」
彼は消え入るような声で、
「体がよわいんだよ」
「ふん」と相手は冷笑を浮かべ、
「おれ、みんな聞いちゃったんだぜ」
と突然言い出したのだった。そして相手はにやにや笑って、手のうちを見せた。
「ねしょうべん、垂れたんだろ」
K湊のことなのだ。それ以外なかった。どうして、あのことが知れてしまったんだろう、と考える余裕もなく、彼はひどくうろたえた。
「そんなこと、嘘だよ」
「そうかなあ」
「…うそ、だよ」
「ねしょうべん垂れるなんて、恥ずかしいなあ」
相手の子は彼の抗弁に関係なく言った。
「みんなに、言っていいかい。おれ、言っちゃおうかなあ」
「やめてよ、そんなの」
「やめたっていいよ。やめたら、なにくれる」
「なにもないよ」
「切手とかプラモデル、あるだろ。漫画は? それ持ってきなよ」
翌日彼が数枚の切手を渡すと、
「まいんち、もってきなよ。でないと、あのこといいふらすぜ」
いかにも卑劣な所業にふさわしい言葉使いで、その子は囁いた。ぬすっと、乞食、と彼はじぶんの大切にしているものを献上するつど、心のなかで叫んでいたのだ。
そのうち脅迫者に、彼にたいする負い目のような色があらわれるのを、めざとく見出すようになると彼は、自尊心を慰撫されるような満足を覚え、ほくそ笑んだものなのである。そして復讐のように、せっせと物をあげつづけ、ついに相手が、もう、いらないよ、と言い出しても彼はやめなかった。日曜日でさえ、彼は相手の家に訪ねていって献上品を差し出したのである。いつまで、せびられるかわからないため、彼はあげる物を小出しにしていたのだ。自分の持駒をできるだけ多く残し、かつ相手に負担を覚えさせる量、それが一回分であった。いきなり、家を訪ねていった彼を、相手はほとんど驚愕の面持ちで迎え、あわててサンダルを履いて出てきた。
「いらないよ、いらないってば。もうあのこと言ったりしないから、きみもおれのこと黙ってて。ね、わかった」
それは浦島太郎の玉手箱からなんかの拍子にはみだしてしまった羞恥の品々のひとつというわけだ。K湊でのことは、K湊の玉手箱に封じ込めてきたつもりなのだから。
K湊のことはいっさいが男の恥部だった。
愉しいことや嫌でない思い出もあったはずなのに、そんなものは沢山の辛さや恥ずかしい記憶に光をうしなっているのだ。十代の終わりころまで、それは思い出したくもないことがらに属していた。
いつからかそれが話したってかまわないことに属するようになった。男が大人になってそれなりに世間智がついて自信も出てきたからであろう。男は十数年前に学生運動に関わり、その過程でおさない劣等感を一気に払拭していた。
ところが、そのころになれそめをもっている女に、男は一言もK湊のことを話さなかった。それはやっぱり話しにくいことだったからだ。話し辛いというわけではなく、玉手箱の蓋を開けても、どこをどうつまぐっていったらいいのか、困惑してしまうのだ。K湊の学園の建物のなかに、へたに足を踏み入れて咎めだてられるのをおそれるようにである。いま女と二人、こうして吹曝しの渡り廊下の前に立ち入っていることさえ、いつ人が見咎めて理由を尋ねられるかと、男は落ち着かないものがあるのだった。尋ねられてもとうてい相手を納得させる話しはできそうになかった。たとい順序だててしたところで、伝わるものでもなさそうだった。口籠もってしまうのがおちなのだ。そして態よく追い出されるのが。女にたいしても、そういった、あきらめとも億劫ともつかぬものが男の口を噤ませていた。いやそのはずだったのだ。それなのに、女は、男がK湊で覚え、ひそかに口ずさんだ歌をうたい、その歌に思い出がからみついていることを知っているという。
「いつ話したんだろ」
「忘れちゃった」
「口軽いからなあ」
と男はおどけて言う。
「おしりもかなり軽いけどね」
と女もどうけて言った。
「何を」
男は手をあげるまねをし、
「海を見に行こう」
と、言った。
「いこう、いこう。近いの?」
と聞く。駅からここまで、どうめぐらしても海は見えなかった。見えないどころか、潮の匂いさえしていなかった。それとも風向きがあるのだろうか。
「すぐそこだよ。裏に廻ろう」
と男は言った。海が近くにあることを知らせずに唐突に海を見せたら、どんなに女は驚き喜んだだろう。男に収入がなかったばかりに、この小旅行になったのだ。女はもっと遠方に旅行らしい旅行がしたかったのである。女の収入がこれに充てられていた。そのことに女は不平を言ったりしない。そんなことは慣れっこになっているというように、いいじゃない、と言った。
近いとこでもいいのよ。行きましょうよ、行きたいのよ、二人で。
K湊へ行こう、と男は言った。
どこに、あるの。千葉県、内房線に乗って。あれはどこから乗るんだろうな。だめ、だめ、あなた方向オンチだもの。とにかく、K湊に行こう。K湊ならただの小旅行ではなくなるのである。やがて一緒になる女に、K湊を見せる。恥部を見せる。それは必要な手続きに思えた。それとともに、自分のせいで遠方の旅行ができなくなった女へのすまなさが、意味のある土地を選ぶことで軽減される気がした。
政治活動に明け暮れて、専従のようにしている男には一定の収入がなかった。いつも女の収入におぶさっていながら、この旅行の時だけ鬱気を感じるのもへんな話であったが、K湊を選ぶことでいくらかは免罪されるにちがいないと思われたのである。なにより男は世間の恋人同士のように人並みに旅行がしたいという女の気持に副いたかったのだった。
「K湊で小さいころ、親から離れて三ヶ月暮らした。病弱な子どもを集めて環境のいいところで集団生活させよう、って施設だった。あれは一種の集団疎開だったな。大人になって戦時中の集団疎開の体験談を読んだら、ぼくの経験した養護学校暮らしと瓜二つだったよ。戦後十余年しか経っていないんだからな、おそらく戦時中の疎開生活のノウハウを持ち込んだのだろう。もしかすると、疎開時の先生が、そのままぼくらが教わった先生だったかもしれないな」
そんなふうに、ちょっとだけ男はK湊を選ぶ理由を言った。なつかしの土地、と女は受け取ったに違いない。いくら女の勘がよくても、K湊の三ヶ月の中身を想像することなどできない。
男は、女の喜ぶ顔が見たかった。遠方に旅行がしたかった女へのすまなさもあって。海はとっておきの場所だった。海が近くにあることを知られてしまったので、それがちょっと残念だが、それでもあの凄い崖がある。カラス貝やちいさな桜貝のうちすてられた砂浜がある、と思った。あの砂浜を雪が一面おおって、寒気のなかに絹のようになめらかな光を跳ねていた光景は、彼のK湊での唯一の美しい記憶になっていた。冬景色の歌はそれにつながっていた。女にもいつかあれを見せてやりたい、と男は思っていた。
吹曝しの渡り廊下を、校舎のほうから出てきた子どもが、スキップを踏んで、寮の棟に入っていった。入る前にぴょこんと跳ねあがる時、ちらと二人に訝しげな眼をとめたので、それを汐に二人は外に出た。たぶん、授業が終わったのだろう。子どもたちの笑い声が建物におこっていた。
今夜の宿泊先が確保できて、二人ともほっとしていた。とくに男は、女のおもいとは別に胸をなでおろしていた。
これで宿がとれなくて日帰りにでもなったひには、ほんとうに立つ瀬がなかった。シーズンともなるとK湊のような鄙びたところでさえ観光客が押しかけるのだった。高をくくって予約をしないでやってきた男は、女をすっかりしょげさせてしまった。あんなとこ、どこだってがら空きだよ、大丈夫、と言い捨てた男の言葉が、女も一緒に入って聞いている公衆電話のかけた先によって、つぎつぎと裏切られた。男は気落ちした顔を見せずに、下手な鉄砲も数打ちゃあたるさ、はい、つぎは、と女に言った。女はガイドブックを閉じると、番号を言った。そして、これでおしまいよ、と破裂寸前の風船みたいな顔をした。
女の落胆もかあいそうなほどだったが、男だって女をこれ以上がっかりさせたくないと強く見せていただけなのだ。どうしてこんなに、やることなすこと、裏目に出てしまうのだろう、と憾むように思っていたのだ。常ならそこで、これはじぶんの僻み根性だなと、つづけて思うのに、あのときはそんなことを思いいたせないくらいに、男もがっかりしていたのである。それは学園の帰りに出てみた海、K湊の海のせいであった。
観光ホテルのレストランの眺望はよかった。大きく截られた窓からは、群青色の海が見えた。波が無数の白い玉に引っ張られて、浜に寄せていた。
それは、K湊の海より数倍も生きていた。五月の日を吸って、生きている海だった。
「きれいね」
「うん、…ずっといいな」
「あとで歩いてみようよ。旅館の方、まだ大丈夫でしょ」
「ああ、夕方までに入ればいいんだから」
「じゃ、そうしよう」
「そうだね。跣になって、貝殻を拾おう。黒くて大きなカラス貝や、爪のような桜貝を」
「そんな貝があるの」
山育ちの女には理解がとどかないらしい。
「あるさ。カラス貝はほんとうに鴉の羽みたいなんだ。桜貝は脆くてね、きれいだから脆いのかな。やさしく扱ってやんないと壊れちゃうんだよ」
女は笑った。
「乙女チックね、あなた。つばとばして議論をしている時のあなたと、別人みたいだわ」
「あははは。乙女じゃなく詩人といってほしいな」
「では詩人さん」
と、女はつづけた。
「でも、あんまり期待しないのがいいわ」
先刻眺めた、K湊の海のことを言っているのだ。
「なんであんなに、変わっちゃったんだろう」
珈琲を啜って、男は言った。
女に言った映画の一シーンみたいな甘い情景は、K湊の海浜でそうしようと思い浮かべていたことなのであった。旅行先をK湊にきめたときから男が考えていたことなのであった。そうやって、女をもてなしてやりたかった。
わくわくする気持を抑えて外から学園の裏手に廻った。そこに海に出るとき使う小さな門があった。閉ざされていた。その前に線路が敷かれていて、郷愁を呼びながら汽車が通過していくのだったが、いま廃線になっているらしく地面に敷居のように錆付いてあった。
「ほんとにここから、出られるの?」
女が訝った。
まあ見てなと言うように男は頷き、草を踏み、線路の枕木を渡った。濃密な草いきれがした。丈の高い草を払いながら赤土をふんで斜面を下った。女は足元を庇いながら縦いてきた。
そこまでは、男の記憶にたがわなかった。
いきなり裏切られたのである。眼の前にひらけた海は、にび色に黒ずんだ海であった。眩しいばかりの明るい日もそこだけ照らしかねたように黒い海が、男の眼を射たのだった。
黒いのは、砂浜だった。いや、もはや砂浜などなくなっていた。それは黒い土ばかりの穢しい浜なのだ。段差をつくりながらそこに寄せている波もよそよそしかった。惰性にまかせて、力なく変わり果てた浜辺を洗っているのだった。
男は高台を見上げた。そこには赤銅色に地肌をむきだしてそそりたつ崖があったはずなのだ。そのもっとも手前のきりぎしなどは風や波に浸蝕されて、腹がごっそりと抉られ、頭部が外側にせり出して、その異形はおそろしいくらいだったのだ。
なくなっていた。すべてがなくなっていた。男は足場から揺すぶられるような困惑を感じた。
思わぬ伏兵が待ち構えていたものだな、と男は思う。先刻まで、シーソーの両端に跨った自分の重量と、K湊の土地全部の重量との平衡を感じていたのだった。それが、とつぜん相方に降りられてしまい、男の体がそのはずみで地面に叩きつけられたかっこうであった。
崖の上には瀟洒な家が立ち並び、白い柵をめぐらしていた。もうそこには記憶をつなぐよすがの何ものもないのであった。
それでも歩き回った。記憶違いかもしれないと、ぜったいに間違うはずのない記憶を疑ってみるふりをして、黒土の波打ち際を歩き廻った。かつてあんなにも採集できた貝殻が、いまなくなっていた。焚き火の跡に焼けた鳥の骨が捨てられていた。波が打ち上げた塵埃もそこここにあった。ちょっと行くと、灰をまぶしたような白さの砂地になったが、やはり荒んだかんじは拭われなくて、かつての男の記憶のなかの海とはほど遠いのだった。
男は、歩き回りながら、女にたいして恥ずかしさをおぼえていた。見栄の張りようのない土壇場にたたされたおもいだった。この海を見た時の女の、なんだというおもいが、男にひりひり感じられて、それがまるで自分自身の甲斐性のなさにまで反射していくように思われるのである。つまらなそうな女に、
「こんな、海じゃなかったんだ」
途方にくれたように男は言った。だがかつての海の美しいありさまを言葉で復元できそうになかった。それは弁解じみて、言った途端、女への負い目を深くしていたのである。女はいたわるように笑いをつくったが、一言も答えなかった。
「K湊の海は埋め立てる予定地になってるんだわ」
と、旅行ガイドを見ていた女が言った。
「どれ」
「ほら、F地区の北部は京葉工業地帯の最南拠点として大規模な埋め立てによる開発計画が…」
わかった、もういいと遮った。それでも女は、
「あすこは北部かしら。えーと、東に
ちがう頁の地図を指で挟みとめて、ねかしたりおこしたりしながら調べ始めている。女はすっかり元気になっているのだ。げんきんなもので、そうなると今度は男を慰めようと手をつくしているのである。
男は女の手からガイドブックをひったくるみたいにして取り上げると、テーブルに伏せた。埋め立てる様子なのは察しがついていたのだ。K湊の海に船が見えていた。船と陸とを筏を長く並べて結び、クレーンのような機械が作動していたのである。あれを浚渫船とそのとき男は見誤ったのだが、その種の作業をしている船だったのかもしれない。さむざむとした海であった。
女は男の顔色を窺うように、見ていた。いま、ガイドブックをひったくる時、じぶんはどんな顔つきをしたのだろう、と男は思い、
「さあて、海に出て、ちょっと遊んで、宿に入ろうや。それからちょっと寛いで、湯に浸かって、めし前に町に出てみよう」
笑ってみせた。
K湊の海が、おどろくばかりに変わり果てていたことは、二十年も前の風景が自分の内側に深くとりこまれたということなのだ…。
食事がすんで列車のなかで買ったいくつかの乾き物を肴にウイスキーを呑みながら、男は何度もおなじことを思った。風呂上りの女も浴衣姿になって奥の部屋にふたつ並べて敷かれたふとんに転って、テレビを見ていた。ときおり笑った。
くつろいでいる女の姿に眼をやりながら、男は思う。…あの風景をもう、だれもこうだったなどと証言できやしない。土地の人間ですらそうだ。なおさらそうだ。近代的な駅が建つ。街が一変する。もうだれも昔の木造の駅など覚えてやしない。あれとおなじだ。忘れることで生きる。ひとは生きられる。
たぶん男と同期にK湊の学園生活を送った連中は、男のようにはK湊を振り返らないにちがいない。二十年も前の男の固執など一笑に付されるのがおちだった。夫になり、妻になり、人の子の親になっているのも沢山いるだろう。かつて男をなぶり、踏みしだいたことなど思い出すこともないのにちがいない。まして男がこの二十年を、それぞれの顔を浮かべつづけながら、生きてきたことなどは。
三ヶ月のK湊の学園生活中、二回、面会日というのがあった。東京から親たちが会いにくるのである。その面会日を彼は怖れていたものだ。K湊の息子に会いに来る父親や母親が、先生や少年たちから何をきかされるか、それを思うと落ち着けなかった。じぶんがからかわれているところを親たちは見てしまいはしないか、学業のこと、寝小便のこと、材料はいくらでもあるのだ。そればかりでなく、彼の存在には、子どもたちの嗜虐をそそるものがあるらしかった。彼はかっこうの餌食だったわけだ。K湊へ来て、彼に仇名がついた。仇名など貰ったことがない彼の、最初にして最後の仇名は、シュウサイ君である。頭の良さそうな顔で、おまけに日に焼けたことがない膚はだれよりも白く、まさしくガリ勉のイメージというわけだった。じぶんの責任の負えないかんばせにまで彼ははずかしい思いをしなければならなかった。じぶんを呪うしかないのだ。
シュウサイ君、と大声で呼ばれるたび彼はきりきりと胃が痛むようだった。この仇名はたちまち女の子にまで広がり、先生たちの前でさえ使われて訝しがられた。
その仇名が、親の耳に入りはしないだろうか。毎日付けさせられていた絵日記はきれいごとばかり書いていた。寮母が読んで、赤ペンで短い感想をつけて返してよこすのであった。
小学五年の彼は、そそうをして怒られた日の日記に、そのことに一言も触れない日記を提出して、寮母がどう思うだろうかと忖度して、恥辱をおぼえながら、しかし率直に書くこともできなかった。彼はいつものように洞穴に籠もって、屈辱に耐えるしかなかった。
その絵日記を面会日に親も読むのである。どうにかやっているな、と親たちは思うだろう。共同生活をしたことのない息子も、人並みになんとかやれているようだ。どうだ、この朗らかさは、子どもらしい屈託のなさは。そうおもい安心を感じることだろう。ときおり東京の家族に書かされる葉書どうようだ。親に不必要な心配をもたせないようにようにと文面を検閲される。風邪をひいたことをちょっと書いたら、叱られた。早く家に帰りたいと訴えた子もいたが、書き直しさせられた。ウソの手紙と彼はあのころ思っていた。絵日記も嘘であった。辛くて堪らないことを書けないのだ。そのほかに、毎日毎日なにを書くことがあっただろう。ありもしない、きょうはだれそれ君と遊びました、などということをせっせと書いていたのである。ウソでいっぱいの日記、それは彼の現実の姿がやはり偽りの姿だと彼がひたすらおもいこもうとしていたように、そうでしかなかった。彼の本当の姿は、洞穴のなかにしまわれているのだ。それ以外は、手紙も日記も、シュウサイ君と呼ばれる自分の日常も、嘘っ八の、人を欺く仮の姿でしかなかった。しかしそれは、K湊の大人や子どもにはこの顔を、親たちにはこの顔を、といった詐欺師のような使い分けをしていたのであった。面会日は、彼にとって、つまり彼に騙されている当事者同士が顔を突き合わせてしまう日であったのだ。
彼は親たちに、いい子でありたいわけではなかった。よく見せようにも何の術も彼にはない。
かなり小さいころから、彼は親たちに負い目を覚えていた。じぶんのために親たちの苦労がたえず、じぶんのためにうちは貧しさから逃れられないと思って来た。入院生活の長さは負債の重さとひとしなみだった。
親がK湊へやってくる。彼が、シュウサイ君と呼ばれている由来をすぐさまさとるであろう。その由来は、息子のK湊の生活実体そのものだ。
そのときの親の気持はどんなであろう。その恥ずかしさは、その不出来の息子を自分たちの責任にひきつけて、いたわる気持はどんなものだろう。彼は想像しただけでも心が切り裂かれるようだった。そんなことになったときの親たちの、とりわけ母親のせつなさが、彼の負債を負った気持の上におおいかぶさって、誰もが待ち焦がれている面会日がいっそ来ないでくれればいい、と願った。その日をほとんど憎んだ。
K湊の海は、その日、彼が彼を訪ってやってきた家族を、子どもたちの嗜虐にみちた眼や口から遠ざけるために誘い出した場所だった。綱渡りのような心地でいたのだ。当事者同士がかちあうことで犯罪が露見するのをおそれる詐欺師のおどついた心境そのものだった。せっかくの久しぶりの家族とのまどいも、彼は心愉しまないのであった。
母親のこしらえてきた稲荷鮨を食べたり、砂地にビニールを敷いてふんだんに広げられた菓子をむさぼりながら、遠くの浜に人影を見つけると彼はそれだけで心が怯んだ。母親たちがめずらしがって拾い集めた貝殻も、光の帯をたゆたわせて広がっている群青色の海も、奇形のきりぎしも、たちまち一変して色あせてしまいそうな不安に彼は脅えていたのだ。
杞憂であった。どの子どもたちもむさぼるように親に甘えていたのだ。彼に牙をむけるために、親とのわずかな時をわざわざ割く子どもなどいはしなかった。彼の一人相撲なのだった。彼の生活がすべてそうであるように。詐欺師がその手のうちを読まれているのも知らず、騙したつもりになっているように。げんに彼の親は彼のK湊での生活ぶりを、学業成績も含めて細かく知っていたものだ。もちろん、そそうのことも寮母から伝わっていたはずである。
あたりまえのことだが、親にだって彼の内面は見えない。彼の洞穴は覗くことができない。
K湊の生活が辛い、家に帰りたい、の一言もおくびにもださぬ息子に、母親は聞いたものだ。がまんできそう。やっていけるみたい。大丈夫だよ、彼はそう言って話を変えてしまった。母親のほうがよっぽど辛そうだったからだ。夕方、門のところまで見送った。ほとんどの子どもが泣きべそをかいたり、後を追って泣き喚いて、なかには母親が泣き出してしまうのもいた。彼を苛め、莫迦にしている連中もその醜態であった。
他人のものでもそういう生な感情の流失を見ると、彼はその場にいるのさえ戸惑ってしまうような気恥ずかしさにおそわれる。じゃ、またね。また、来るからね、と母親は涙ぐみそうな眼をして言った。父親はやはり愁嘆場に弱かったのだろう。こそばゆそうに、二つ三つまばたきして、さりげなく、げんきでやりなと言った。彼は頷き、弟たちのバイバイという声に小さくバイバイと返して手を振った。その間、不必要なくらい彼は感情をひた隠しにした表情を見せつづけていたのだった。
別れを辛そうにしていた母親も、じぶんが後を追ったりしないことで、少しは慰められ、気も軽くなるにちがいない、と彼は考えていた。それが小学五年の彼の分別であった。父親はじぶんのことを気丈な子だと頼もしくおもったにちがいない。くらべて、あの連中の醜態はどうだ、めめしさはどうだ、と彼は笑ってやりたかった。K湊の海辺で、脅えさせられていたことのせいいっぱいの復讐でもあった。
そのいっぽうで彼は、泣かぬまでも少しは悲しさを見せたり、愛想をふりまいたりすればよかったと後悔がわくのであった。とくに別れの時は素気なさすぎて、母親はかえって淋しい思いをしたのではないか。そんなことをあれこれ床のなかで思い巡らせて、彼は一人だけ浜にうちあげられたような、せつない、咎人めいた感傷に胸がうずくのだった。涙がそのときはじめて閉じた瞼から溢れ、頬と耳をぬらした。
あのK湊の海には、まだまだ沢山の思い出があったはずなのだ。薄墨色の水平線を眺めて、あの向こうに、きっとじぶんと似たような子どもがいるはずだ、と男はなんど思ったことか。嵐の去った翌日の浜に立って、荒く波を打ち返している海を見つめながら、何億何千の気の遠くなるような歳月を変わることなく生きている海という大自然に、まばたきですらない今のK湊の生活、たった三ヶ月をおもいやって慰めていたこともあるのだ。
だが、いま海は変わってしまった。
K湊の海は、かつての姿を失くした。そこに置いてきた、二十年前の男の風景、男のいたいたしい感情をぬりこめた海もかき消されてしまった。あの鱗のような光を跳ねらせた海、美しい海はもうどこにも失い。男がこの二十年で変わったように、K湊の海もまた変わってしまったのだ。
「…一瞬にして、人間の顔は変貌する。人間は一瞬の閃光で変貌する。長い長い不幸が人間を変貌させたところで、何の不思議や嘆きがあろう」
男は、原民喜の原爆を描いた小説の一節をつぶやく。詩や短歌をそらんじるのは、酔った時の男の癖だった。
「何」
と、女が言う。
「なんでもない」
と、男は返す。
つねなら男は、自分が生まれた年に鉄道自殺を遂げた作家について、一くさり講釈をするところなのだ。女はそういう男の話にしかたなくつきあう。だが、きょう、男はそういう気分ではなかった。
「またあなたの文学癖がはじまったわね」
と、女は顔をテレビに戻して、ふふと笑った。しっかり聞こえていたのだ。
このせつな、男に早くこの女といっしょになって、人並みの人生を生きてみよう、というおもいが強くわきおこった。
K湊の海はいま、じぶんの内側に深く入ってきたと、ふたたび確かめるように男は思い、ふらっと立ち上がって、女の側の閾を踏んだ。