春子は夜中よくうなされて泣くようになった。揺すぶりおこすと僕を怯えた眼で見つめ、やだよ、やだよう、とうつろな声を放つ。抱くと、はげしく胸や顔を叩くこともあった。
春子を苦しめているものの正体はわかっている。妊娠がわかって以来なのだ。
だが、僕は春子を慮るよりも、それが夜中の木造アパートの一室で発せられる泣き声であることで、気が滅入らさ
プライバシーのちょっとした往来止めにもならぬ壁を僕はにくむ。そのはらだたしさは春子にも反射していく。
むろん春子のそういう状態は、僕に責任があるのだ。そうとわかっているから、なおさら僕は苛つき、はらだたしい。
春子の夢のなかで僕は、処置をせまったものらしかった。彼女のふつうでない神経は、僕のちょっとした言葉つきや発声の高低や容色に敏にそれをかいでいるのかもしれない。
ともかく沈静させることだと、僕はぶこつに体を抱いて髪をさする。春子の癖のない髪の毛は肩にかかるだけの長さだというのに、さいきん枝毛がめだつようになり、あれている気がする。つぶさに見てみれば、髪だけあれはじめているわけではなかった。皮膚がかさついているのは、昼の勤めのせいばかりではないだろう。体の異常に加えて身の丈にあまる不安が春子をいためつけていることは、僕にも察しがつく。
だが、僕には春子の重荷をひとつとして除いてやれる力がないのだった。
勇気もないのである。勇を鼓して処置をすすめることも僕にはできなかった。そんなことをすれば春子がどんなに傷つくか。身体のことより精神的に春子がぼろぼろになるような気がする。いや、それを口に上せただけでも春子は傷つくにちがいなかった。春子の頭はたぶん悪阻を会社の同僚や定時制高校の仲間からどのように隠すかでいっぱいであり、次第にこれは確実に服を下から盛り上げてくるもの、隠しおおせない状態がそのうち来ることについては、頭はまわっていないのだ。ただ漠とした不安が、夜中の眠っている春子を苦しめるのだろう。
こどもをどうするか春子は腹をきめかねている。答えをだすのはこわくもあろう。どっちに答えを出してもこわい。春子は故意と答えを出したくないために焦眉の問題から眼をそらそうとしているのかもしれぬ。そんなふうにも見えるのだった。
たびたびうなされる春子のそれは、すでに答えをもっているわけではなく、春子の不安と動揺の振幅が叫ばせることばなのだ。
僕はといえば、ただ手を拱いているしかなかった。
この場合、僕は毅然として春子に処置を頼むべきなのかもしれぬ。犠牲はちいさくないことだが、そのほうが行く先々いいことなのだ。こどもをもうけて飢えるよりは、そうしたほうが賢明だ。こどもを養っていく力はおろか、春子がこどもを生む費用、その日までの働けない春子と僕の生活費の捻出は僕の貰うものだけではとうていたりないのだった。蓄えなどもちろんない。
僕が一言いうことができれば、春子のなかでぼんやり気体のように浮いている答えが、それで凝固できるのではないだろうか。それを、あるいは春子は待っているのではないか。
だがしかし、口が裂けてもそれだけはいえぬと僕はおもうのだった。依怙地にそう考えているのである。
「ツネオはどうしたいのよ」
春子にそのことを問われる僕のくちは、重い。顎の蝶番が軋みをたてるかとおもわれるほどだ。
「春子のぞむとおりにすればいいよ」
よどみがちにそれは吐きだされるのであった。僕にはそうとしか言いようがなかったから、春子が冷静なこちらを探ってくる眼つきで問うてきても、あるいは癇癪おこしてあたるように問うてきても、そう繰り返すのである。
「ツネオは卑怯よ」
春子が強い眼でそういったことがあった。僕は意表を突かれてたじろいだものである。じぶんでさえ意識していなかった本音を暴露されたのだ。
なるほど僕は卑怯である。けっきょくその僕の春子の気持を尊重するかの体裁のよいことばは、一種の責任逃れのことばでもあった。僕はじぶんの本音を春子に明かさないけれども、春子が自主的に病院の扉をひらくことを、そうしていることで仕向けているのかもしれないのだ。
だが僕にはじぶんが何故それほど頑なになっているのかわかる。
春子を失いたくないからなのだ。これは二人が同居してはじめて見舞った危機であった。しかもへたをすれば永久に埋めえない亀裂を春子との間に引くことになるかもしれぬ。わるい予感がする。それが怖しかった。
一度僕のくちから言ってしまうと、春子のどのような不信を買うことになるか。春子は僕のことばに従うであろうが、僕を見下げることでもあろう。そこに罅が入る。やがて急速に深い亀裂が走りはじめる―。
「いっしょに住んだりしなきゃよかったのよね」
春子はどういうつもりでかそういうようになった。それは投げやりな調子を帯びていたり、こちらの真意を測るようであったりする。
「ツネオとただの友だちでいればよかったのよ」
「春子はほんとにそう思っているの。後悔しているのか」
ふと春子の表情が翳る。
「わからないの。後悔してないわ、そうじゃないのよ…」
春子のことばに嘘はないのである。だが僕は、春子は心のどこかで後悔しているのだと見た。春子はこの逼迫した事態のなかで心を分裂させているのであろう。男の身では予想もつかない生理的な著しい変調もてつだっているにちがいない。
そうじゃない、と春子は僕のことばに否むけれどもその翌日になればまた同じことばを僕のくちから引き出すことになるのであった。度重なると僕の不安はいやましになり、けれどもそうこちらも春子を慮ってばかりもいられぬのである。
人使いの荒いプラスチック工場の勤めは、定時制高校の始業ぎりぎりでないと上がらせてはくれず、疲れた足をフル回転させて教室に駆けつけると出欠を取っている最中だったりする。疲労でくちもききたくないことがあって当然であるのに、春子はそんな僕の状態に頓着ないのであった(もっともそれは春子にしたって同様なので、僕がそれをくちにすれば、「あたしだってそうよ」「あたしは疲れていないっていうの」と言い返されるのがわかっているのだが)。言えば険が含まれるのをおそれて返事もせずに寝そべっていると、春子は春子で焦燥を紛らわすことができぬのであろうか小柄な体をふるわして顔をおおいもせずに童女のように泣きだすのである。僕は隣の住人にそれを聞かれることのみをおそれおろおろし、春子を宥めにかかるのがそういうときのつねであった。
半年前クラスで日曜を利用してピクニックに出かけた。近県の山である。ひごろ互いに勤めをもつ定時制であり親睦の機会がないのだ。数名が欠けたが三十名以上が参加し盛況であった。
春子とはその開放的な雰囲気のなかで親しくなったのである。
蛍光灯の下でばかり見ている顔が、昼の晴れわたった空のもとではどれほど新鮮に映じることか。僕はそれまで気にも留めなかった春子の、集団就職者らしい飾りのない話し方と化粧気のない幼すぎるかもしれない顔立ちに惹かれてしまったのである。僕は定時制に入るまでに三年の間があったので十九だが、ストレートに入った十七歳でもみな春子よりどこか大人びて見えたのだ。
それは置かれている環境がそうさせるのだが、また彼ら彼女らが周囲に順応できる能力を具備しているということでもある。春子の幼い印象は、周辺に容易に順応していけない硬さがそこにあるようなそれであった。
日曜のたび、逢瀬を重ねた。そのある日、僕は春子のくちびるに触れ得たのである。春子はそのぎこちない接吻をあたかも純潔をうしなったかのように考えたらしい。異性にふれたのは僕とてはじめてのことである。僕は春子の単純な考えを寧ろ歓迎した。
「一緒に住もうよ」
僕はとうとつにいっていた。俄かに思いついたことばだったが、
「ほんとに!」春子は眼を輝かせた。
「本気にしていいの」
「本気だよ」僕は強くうなずいてみせた。
「本気の本気?」
「本気の本気さ」はずんだ声で僕は応え、春子を抱きしめた。春子もまた窮屈な腕で僕を抱きしめかえし、
「うれしい」といった。
その日の甘美な一瞬を思い出すと、僕はいつも春子への愛しさに胸をふさがれるのだった。春子は上京いらいずっと孤独だったのだとおもった。
僕と春子が部屋をさがして同居を始めたのはそれから間もなかった。春子が寮を引き払って僕のアパートに越してきたらよいという僕の提案は、春子に頑強に斥けられたのである。僕のアパートでは転がり込んだようで嫌だというのであった。二人の夏のボーナスをその日当たりがよいだけが取柄のアパートを借りるために充てた。つまり僕と春子のボーナスをあわせてもその程度の部屋しか借りられないものだったのである。
それでも春子のはしゃぎようは僕を当惑させるほどだった。
「うれしいな、夢のようよ」
「春子は大袈裟だな」といいながら、僕は春子のことばを満足して聞いた。
「ひとりでいるのがとてもさみしかったのよ。うれしいな、もう、ひとりじゃないんだね。ツネオはうれしい?」
「ああ、うれしい。春子といられて、うれしい」
二人のささやかな城となった部屋を春子はなにくれと飾り始め、買えもしないのに店先の調度品を長いこと矯めつ眇めつしては僕をあきれさせたものだった。
それは愉しい日々であった。べつべつの勤めでも出かけていくのは一緒であり、春子の希望で学校から帰ってくるのはべつだが(クラスメートに知られたくないからというのだった)、戻るところはおなじだというのは、一人暮らしで来た者にとってはどれほど喜ばしいことか。好いた者同士であればなおさらのことだった。一緒に食材を求めに町に出て、二人で小さな流しと赤錆のぼろぼろ浮いたガスコンロに向かって鍋に湯を沸かす。包丁をつかう春子の横で、キャベツを洗う。
春子と食事に対うことになって僕の悪癖がいつのまにか矯正された。ぼくには左の肘を卓に立てて頭をおおうようにして食事を摂る癖があったのである。一人でする食事の習性であろうが、春子はそれを辛気臭いといっていちいち矯した。気づいてみると僕の癖は直っていたのである。
僕と春子が結ばれたのは同居を始めて三月ほどたった夜だった。七月のどこか気だるい湿度が部屋を領していた。意識的にそれを待ったわけではなかったが、充分に熟した実が地に落ちるように僕と春子は体を結んだのである。通常と順序が逆であったが、それを変におもわぬほど僕も春子も初心だったのだ。僕も求めもしなかったし、春子もそれを訝りもしなかった。接吻して僕の腕のなかで眠りに落ちる春子。それが契りでもあるかのように春子は接吻をねだったものであった。
今になって僕は思い当たるのだが、僕に体をゆるした春子をあのとき捉えていたものは、れいの不安ではなかったろうか。
「あんまりふたりの荷物増やしちゃうと、ひとりになったとき辛いな」
と、不意に顔を曇らせて春子はいった。
「なんだよ、春子はおれと別れること考えているのか」
「うそよ、いってみただけ」
「うそでも、そんなこというなよ。おれ、春子とずっと一緒にいる。いやがられても離さないぞ」
僕は春子をはがいじめして、頬ずりしながらいう。
「あはは、ツネオはばかね」
しかし春子には、いいことは長くつづいたりしない、という不動の信念があるようであった。ときおりそうした悲観的なことばを春子はくちにする。それはそうかもしれないけど、苦しいことや悪いことも長くつづいたりしないはずだよ、と僕はモラリストのような口振りを照れながら春子を説得にかかるが、そうじゃないのよ、ともどかしそうに首を振るのだ。いつまでもこの愉しい生活が壊れずにいるわけがないという春子の信念からくる不安が、あの夜、僕に体をゆるしたのかもしれない。少しでも愉悦を長引かせたいという春子のけなげな努力があの行為にこめられていたのかもしれなかった。
だとすると、春子の努力は裏目に出たことになる。春子のけなげな努力に拓かれた関係を僕と春子はおずおずと繰り返して行って、妊娠という事態に至ったのだから。
月経が始まると春子の苦痛はそれこそ転げまわるほどであった。そういう体質なのだろうが、見ていて辛いのである。それでも春子は勤めに出た。もとより零細な春子の勤務先に生休の制度などありはしない。よしあったところで利用するには相当の勇気をひつようとし加えて雇用者に憎まれることを覚悟しなければならぬ。同輩の陰口も聞くことになる。零細企業の特殊な気味の悪さはそこに雇われてみないとちょっとわからない。春子の勤め先は朝鮮人経営者でもっと複雑にそうであった。
春子の苦痛を見かねて、僕が頭痛にも効くと能書に書いてある生理痛の薬を求めてきても春子は断固として使わないと言い張った。薬にたいする異常なくらいの警戒心が春子にはあった。何かというと直ぐ薬をのんでしまう僕と好対照の性格であるけれども、春子を気遣って頭痛薬を買いに走った僕の実意が労われぬことが不満だったものだ。もっとも春子にすればそれどころではなかったろうが。
月経は月初めにきちんと来る。部屋代の催促とおなじだな、といって春子を笑わせたことがある。無ければ大変だけどね、来たら来たで接待も大変だわ、とおどけてみせた。鷹揚にかまえていられるのも月末までで、月が変われば春子の地獄、僕の憂鬱が始まるのだ。春子の歪む顔が月の初め部屋を暗くし僕にまで伝染するので、春子に触れえないことよりもそのことが僕を憂鬱にした。
九月に入ってしばらく経っても春子にそれは来なかった。季節の変わり目には、ずれることもあるんだって、と春子はいうが内心不安そうだった。
今年は夏が短かった。昼の日盛りは汗を絞りあげたが、夜はうってかわって涼しい日がつづく。
春子に訪れたのはまちあぐねていたものではなく妊娠の兆しであった。
「あたしたち、いっしょに暮らしたりしなけりゃよかったのよ。ね、そうでしょ、そうよね」
春子は黙っている僕の背中に繰り言を吐きつづける。もう眠れよ、とさっき春子の区切りがなく不安と動揺につむぎだされることばにたいしていった僕のことばがいつまでも舌に残っていた。そうして僕は春子を腕のなかに抱えていつものように眠りに引き入れようとしたのだが、春子はいやいやをして強い語調で拒んだのだ。
「眠たくないのよ」
僕は僕が怒りださぬことを、よし喧嘩をしたとしても僕が忽ち折れることを計算に入れていどんでくる春子が、業腹に感じることがある。僕はややそういう春子を眺めていたが、我侭にそういちいち付き合っていられるか、という気になったのである。背をむけて眠ることにした。その背中の僕に、取り残されたような声で春子は今夜は妙にくだくだといいつのるのだった。
「ツネオはちっともあたしのこと考えてくれないのね。迷惑なんでしょ、厄介なものしょいこんだって思ってんでしょ。男の人ってみんなそうだっていうわ」
妊娠してから春子の純朴なことばのなかに、けっして相応しくない大人びた寧ろ蓮っ葉な感じのものが混じりはじめ、それを耳にすると僕は疎ましさとともに春子が次第に崩れていくという不安が、叢で羽をすりあわせて鳴く虫のように心の低辺で鳴りはじめるのだった。
春子を救いださなければならぬ。救いださなければならないと突きあげるような思いが僕の体を走ったが、瞬時僕は眠りに滑っていったのか、ばさばさと吐き出されるジュースの雪のように白いキャップが浮かんだのだ。
「このくそ忙しいときによ、いったいいくつおしゃかをつくりゃ気がすむんだよお」
鋳型の機械が開いたときうまく落ちなかったキャップを一、二個見落としてしまったのである。そこに新しいプラスチックのどろどろの熱い溶液を流し込んだので、製品はキャップの丸い形を葡萄のようにつけた白い塊になって鋳型に張りついているのであった。ペンチでそれを剥がしている僕を、工場の古参のひとりが見咎めていったのだ。
「大丈夫か、おいっ、ダンボール箱のキャップに不良品が入っちゃやばいんだ」
「大丈夫ですよ、ミスは今がはじめてなんだから」
と僕は先刻の男のことばに訂正を求めるように返した。
寄ってきて、鋳型の下に据えてあるダンボール箱のなかのキャップを掬って見ていた男は、ふんと鼻を鳴らして立ちあがると、
「気を配ってやってくれよな。あんたは四時半になりゃさっさと学校行っちゃうからいいけどよ、不良品がいくつかでも混じりゃ、後で選り分けるのはおれたちなんだからな。早く上がっちゃうんだから、せめておれたちに労働強化だけはさせないでくれよお。きのうもおとついも、おれたちが上がったのは九時だぜ。九時にやっと晩飯にありついたんだ、九時に」
あたかもその責が僕にあるのだといわぬばかりに男は、九時に九時にというのであった。親会社の無理押しの注文にどうあっても応えねばならぬので残業に継ぐ残業でみな苛々しているのである。それは充分わかるし僕だってそれなりに肩身の狭い思いを感じているのだったが、その男のことばには定時制に行っている僕を面白く思っていないねとついた悪意がこめられていたような気がする。そんなことがあったから、四時半になっても僕は上がり辛く、忙しいときに抜けることを遠慮して機械から離れない僕を、もう、上がっていいよ、おれが替る、と声をかけてきっかけをつくってくれる人も、きょうはその男に遠慮してかよそよそしくプラスチックをミキサーにかけているのだった。
ばさばさと吐き出される白いキャップを、半欠になってはいないか、割れたりしてはいないだろうな。夕方だから少し機械の温度を高めにしなければ不良をこさえることになるぞ。あの男の厭味はくどくて好かん。だいたい不良品の五個や十個混じっていたからって返品してくるなんて横暴だよ。じぶんとこの社員は定時で帰しといて下請けにばかり強引に残業残業といってくるなんて厚かましいな、横暴だよ、組合がストライキやればこっちはとばっちりくうし、横暴だな、横暴だな。とばっちりくっておれは、きょうは学校に遅刻だ。遅刻だ遅刻だと舌打ちするように僕は思っていたのである。
「ツネオう、眠っちゃったの」
春子が我侭を後悔しはじめているような手つきで僕の背中をゆすった。ねえ、ねえという声に僕は返事をしそびれて黙っていた。春子はほんとうに眠れないのだなと考えたとき、春子に一瞬沈黙が起り、それから僕の背中に春子はぶっかってきたのである。僕が眠った振りをしてじっとしていると、僕の背中を抱きながら春子はしくしくと泣いているのだった。細かな震えが背中に伝わって僕をゆさぶった。そうでしかじぶんの抱え込んでしまった不安と動揺の重量を僕には伝えられないのだとでもいうようにそれは聞かれ、僕は寝返りを打った。春子は胸に顔を埋めていった。
「どうしたらいいの、ねっ、どおしたらいいの」
「春子、その話はあしたにして眠ろう」
「あしたになれば、どうしたらいいかきまるっていうの…ツネオはうそつきよ」
「まだいうのか」
「ツネオも井上先生もみんなうそつきよ」
「春子、夜中だぞ。泣くなよ」
「井上先生なんかに相談するんじゃなかった」
「そんなこといったら、先生に気の毒だよ。先生に何かしてもらおうって相談に行ったんじゃないんだ。ちょっとでも春子の気安めなればって」
気安め、というのはよくないなと僕はちらと考え、幸い春子は聞き咎めなかった。春子がその夜藁をつかむような面持ちで井上先生に相談にのってもらうと言い出したとき、気がすすまないながら春子に従うことにしたのは僕にひょっとしたらという甘い期待があったからなのだ。僕のくちからいえぬことを、春子の担任である井上先生という女教師からいってもらえるのではないかという宛があった。だから、学校を終えてから喫茶店で会って貰う約束を僕はとりつけ、春子がその場になって行きたくない、やめると言い出したのにもかかわらず、強引に春子をそこに同道したのであった。井上先生はたぶんまだ三十前の若く美しい教師で、生徒の相談役としても人気があった。
だが、あらましを僕が話していくと先生は虚を突かれたように驚きをあらわし不必要に思われるくらい深刻な表情をつくった。狼狽を見せたじぶんを教師らしい態度で繕いはじめた先生をうけこたえしながら眺めて、僕は僕のひょっとしたらという宛が外れていくのを妙に白々しく感じていたのである。
「病院、あした行ってくる」
と腕のなかでちいさく春子はいった。
「行って、ソーハしてくるわよ」
くぐもった春子の声が熱風のように僕に吹きつけられた。最初のそれは逡巡のからみついた半ば捨鉢なことばで、後のそれは前のにつながって出て行かなければならないと言葉自身が意思しているようにいわれたのだ。ソーハなどということばを春子はどこで覚えたのか、いかにもそれは体のなかを掻きまわすという金属質の匂いのすることばで、僕はきゅうに春子が僕の知っている春子ではないような気がした。
「そんなこと、だれもいってない」
腕のなかにとらえている春子が体を硬くしたのがわかる。
「うそ」
春子の声はさらにくぐもってたちのぼってきた。それは僕の胸板にひびいて、そうだ、うそだ、うそなのだ、と木魂したが僕のくちを突いて出てきたことばは完全に僕の本音にそむいていた。
「うそじゃないよ」
僕は僕に騙られているのではないかと思えるくらい本心からうそではないといっていたのだった。僕自身からして錯綜した心理状態にあるのである。
「うそ、うそ」
のぼってくる春子の声に弱々しい甘えの気持が溶かし込まれはじめたのを僕は絶望的な思いで感じた。好機を逸したのである。好機を逸したという思いが底が抜けたように僕に来た。医師に妊娠を告げられたときの春子の気持はこんなものだったろうかと思った。診察室の扉がひらき出てきたときの春子の蒼白の顔を僕はほとんど正視できなかったのである。
「うそなんかじゃない。生もうよ、生んでいいんだよ」
眼をつむって高みから飛び降りるような気持でいった。舌がもつれた。
「生みたい」
と、春子はいった。
Ⅱ
夫は腹のうちで私を笑っているにちがいなかった。
「そう思いつめて考えるなよ」
そういって慰めてくれる夫の、高くていかにも精力的な感じのする鼻梁は、だがことばの優しさを裏切っている。笑っているのだ。
結婚前にはなかなか偉そうなことをいっていたものだが、いざ現実的な問題を付きつけられるとそのていたらくじゃないか。少し窶れたようだぜ、え、せんせい。意地の悪い笑いが、いつも脂を光らせている鼻翼に、ちらちらたまっているのだ。
「どうしていいのだか、わからないのよ」
「あまり悩むと、おなかの子に障るからな。ほどほどにしないと」
「それは承知してるけど」
夫の内心はよみこんでいるけれど、私はそのことをおくびにもださない。みすみす学生時分の左翼的な言動の責任を夫に追及されたりしたくないからだ。夫だって、内心は面白がってはいても自分の妻をあからさまに笑うことはしないだろう。夫の優しいことばを額面通りに私は受けて、多少の媚態をつくって返す。
夫はひそかに今度のことで、私の教師としての自信が崩れるのを歓迎して待っているのだ。
生徒の妊娠、その相談をしにきた当人たちに、なんら有益なことばも与えることができなかった。いえなかったのである。私とあの女生徒とは、年齢こそ違え同じ立場なのだった。私が来年一月に臨月を迎える身で、どうしてあの男女生徒の苦悶に客観的態度でもって取るべき方策を示してやることができるだろう。まだあなたたちは、未成年じゃないの。子供を生んで育てていけるの。たいへんなことよ、こどもを育てるってことは。あなたたち、生まれてくる子に責任もてて。そりゃ全日制の高校生とはちがって、働いているんですものね、成人しているのとかわらないと先生思うわよ。だけど、子供つくってやっていける。お金だってかかるわよ、やっていける。
年齢のことなど言いがかりにすぎない。十七八だろうが、三十だろうが責任のもてない人間にはもてないのだ。私は相談をもちよられた喫茶店で、当人たちに向かって遂に吐けなかったそうしたことばを、いま集めて反芻してみる。そうすると、それらのことばが私の足元、安定した地盤に置いている足元をくきやかに照らしだすのだ。私の踏んでいる地盤は、彼女たちのように、低地で、ゆるくも脆弱でもない。貧しくもない。そのことを夫のように割り切ることは、私にはなかなかできない。
このあいだ、一部の生徒が「全共斗」名で「教師は在日朝鮮人差別問題の先頭に立て」と書いたビラを撒いた。もちろん無届けであるので、問題になった。それについてひらかれた職員会議で、ある生活指導の教師が、
「こういう要求ともうしますか、主張は、何とも理不尽でかないませんな。大学生の真似で、ま、一種のハヤリでしょうが、朝鮮問題と定時制教師がどうつながるのやら」と、片手にビラをひらひらさせながら苦笑をうかべ、幾人かの同調する笑いをさそったが、私はその教師の鈍感さに呆れ、同調した者をねめつけてやった。この教師たちは定時制の教師だというだけで定時制の生徒たちのことは何も知らないのだ、定時制生徒のなかには在日の子たちも大勢いるではないか、と憤りを覚えた。私は全共闘生徒によるビラを、その教師たちのいうように「理不尽」な主張だとは思わなかった。むしろそれはクラス討論などをさせてもっと深く掘り下げてみるべきだと考えていた。
しかしその私は、あの二人の相談事には理不尽さすら覚えた。たった十五歳で、進学の道を絶たれ、ある者は親元からも引き離されて、働きながら高校に通わねばならぬ子供たちの存在は、社会の矛盾である。いつの日かそれは是正されなければならない問題だ。しかし、社会的な矛盾を私という個人に突きつけられても、私にはどうすることもできないではないか。
もちろんあの二人の生徒にそんな意識はない。ないけれども、そういう受け取り方を私はしてしまう。夫のようには割り切れない。
私の妊娠を二人の生徒は知らないはずだ。同僚でさえ気のおけない二三の女教師が知っているだけなのである。だがいずれわかることだ。人のくちに蓋はできないし、産休も取る。そうなったらもちろんあの二人の生徒も知ることになるだろう。どうなるか。
あの先生はじぶんばかり子供を生む。恵まれた条件のもとでぬくぬくとな。産休を取るって。一日休めばその分給与から引かれていくじぶんたちとは違うものな。なんの憂慮もなく子供をつくれるさ。そんな妬怨の声が聞こえそうであった。
女の子は二年間私が受け持っている生徒だった。余り教室では目立つ子ではない。成績も存在感も並なのである。瓜実の可愛らしい顔つきだが、派手ではない。三十四名のうち、約半数が女の子の、十六七から二十五六のじぶんと同い年くらいの生徒のいる教室では、こういう子は埋没する。みな一様に大人びており、十六七の子であっても世間ずれしていてさかしらだ。
化粧をしたこともおそらくないのではないかと思われる白い膚を見せて、うつむいて嗚咽している女生徒を、逃げたいような困惑した気持で眺めて、私はこの女子生徒のどこに同棲して妊娠にまでいってしまう勁い要素があるのだろうとおもった。それはまったく子供が子供を生むといったもので、私はじぶんが正常な体であれば、迷いもせず、その生徒の妊娠という事件による心理的圧迫を、病院に走らせることでやむない処置だが、救ったとおもう。
あるいはそれが、遊びの交渉や事故とよぶべきものでそうなったものならよかったのだ。どれだけこっちは気が楽だろう。以前、うちの高校の全日制のほうで、妊娠事件が起きた。その女生徒は相手の男子生徒の名前を明かすことを拒み通してけっきょく一人だけ退学処分となったのだが、その話を職員会議での報告事項として話した主事の表情やことばつきは、どこか淫靡であった。昼のほうでも緘口令が敷かれていますから何分オフレコということで。なにが、緘口令だか。ひそかに生徒たちの口の端にのぼっているにきまっているではないか。女ばかりが損な目にあうのだ、と私はその見たことのない女生徒に同情して憤慨したものだった。聞けば、その生徒は主事が言う桃色遊戯どころか、生徒会の役員までやっていた成績優秀の子だったとのことだ。そんな子であれば、なおさら過失を悔やんでいることだろう。退学などにしてしまうのではなく更生の機会を与えるべきなのだ。それが教育というものではないか。学校の体裁、教師の面子、具合の悪いもの、手に余るものはすぐに切り捨てるのだ。
昨年、うちの全日制のほうでも全共闘を名乗る生徒たちがバリケード封鎖をおこなった。大学だけでなく全国的に高校紛争が広がっていたのだが、うちの全日制ではなんの躊躇もなくその日のうちに機動隊を校舎に入れて解除した。校長、教頭たちはいっさい話し合いにはおうじなかった。高校生の政治活動についての文部省の見解に基づいた処置とのことだったが、数人の生徒が退学処分となったと聞く。ぜんたい退学処分のどこに教育的配慮があるだろうか。配慮ではなく、教育の放棄でしかない。
だが、いざじぶんがこういう立場に置かれると、その昼間の先生方の安易さが羨ましくもなってくる。いや職員会議ではそういう処分の仕方に反対した人もいたにちがいないが、それでも問題をそうした場で採決して後に個人的には心理的負担を残さずに決着つけられるというのは、今の私には羨ましいかぎりだった。
私に相談しにきた男女生徒は、しんけんなのだった。遊びの浮ついた感じはみじんもなかった。年齢の若さ、地盤の不確かさから来る危うさはあったが。
男の生徒は隣で泣いているだけの彼女を見ては、ときおり気弱な責め苦にあっているような表情を見せはするものの、しっかりしたことをいい、はきはきと彼女を庇うようにして経緯を述べたものであった。だがその面立ちは、十五歳からきつい労働に従事して雇用者と大人たちの人間関係にもまれてきた者の苦労人の顔が、少年ぽい輪郭と交替しきらないちぐはぐな印象を与えているのだった。ようするに子供なのだ。男女とも子供を抜ける年齢ではまだないのであった。
男の子は彼女をいたわり気遣うことでせいいっぱいのようだった。彼女は体の変調で神経がふしくれだっている。それに二人の地盤の危うさや雑多な不安が重なってあおりたてる。大人の私でさえちかごろは馴致してきたものの当初は生理の変調で不安定な感情をもてあましていたものだ。夫にぎすぎすした態度をとり、癇癪をおこしては夫に物にも当たった。それは相手への甘えでもあるのだが、それがストレートな表現をとれないことが変調なのだ。わかっていても抑止できない。幼い彼女であればなおのことむつかしいだろう。彼はその放縦な彼女の状態にわけもわからず振り回されているように見えた。どうするのが最善なのかをその混乱した状態に宙ぶらりんにさせている感じだった。
「あなたはどうしたいの」
女の子に聞こうとしたのだが、追い討ちをかけるようで気が引け、それを男の生徒に向けた。いったとたん、この質問がストレートすぎたことに気づき後悔した。彼ははきはきとしていたくちを急に淀ませてしまったのである。
「彼女の意思に任せるつもり」
と彼は淀みがちにいうのであった。
鼻をすすりながら、彼女がそこのところで男のほうの意思を注意深く聞いているのが、私にはわかった。彼女はおなかの子を生む覚悟ができつつあるらしい。芽ばえたいのちに執着する気持が、覚悟に凝固していきつつあるところなのだとそのとき感じた。私はこの二人と対しているのが苦痛になってきていた。
私はけっきょく、彼女の意思を尊重してあげるのがあくまで大切だが、と男の生徒にいい、けれどよく二人で相談しあって結論をだしてほしいというしかなかった。場合によっては、定時制も中退して彼が遮二無二働くしかないかもしれないし、実家の援助が受けられるならそれも考慮に入れてみたら、といった。だが、こんなことはもうとっくに彼らはかんがえているだろう。経済援助ができるような実家であれば、定時制になど通っていないのだ。頼って来た者への、私の無力を、そのような効力のないことばで繕ったにすぎない。
二人の男女生徒の意志を尊重するといえば聞こえはいいが、手に負えないものをそのような形で、私は逃げをうったのだ。十七八の男女に荷がかちすぎるもんだいを、その自主性にゆだねるなどとするのはむろん安易で、教育の放擲のそしりをまぬかれがたい。私は複雑な思いで悩んだ。
「おい、いい加減にしとけよ。生徒の問題にかかずりあって、こっちをおろそかにされたらかなわないよ」
と、風呂から上がった夫がいう。なんのことかと思うと、着替えの下着が出ていなかったのだ。いわれていたのにうっかり失念していたので、夫の機嫌をそこねてしまった。
「ぼくはだいたい君がうちで採点したりすること自体、いやなんだぜ。ま、晩くなられるよりはと我慢しているけどね。今より晩く帰られたら、なんのための女房だかわからぬからね、え、そうでしょ。それを、ませた生徒の遊びの尻拭いなんか知らぬけど、そう憂鬱そうな顔して君にいられると、こっちが苛々するんだよ」
「御免なさい」
下手に出るに越したことはないのだ。
「君はその生徒たちとどういう関わりがある。生徒と先生というだけじゃないか。生徒が身ごもったといってどうして君がそんなに悩むことがあるんだ。ざらにあることだ。そいつらに後始末させりゃいい。ひとに尻拭いを泣きついてくるくらいなら、遊びをしなけりゃいいのさ。そこまで生徒の面倒をみなければいけないのかね、教師ってのは。いや、君の理想論はいいよ。現実的にできるのかってことさ。できるっていうなら見せてもらうまでだがね」
「できないでしょうね」
「そうだろ」
「でも…」いいよどんだ私を、夫は呆れたというように見て、
「傲慢だなあ、君は」
私はその女生徒の職場を訪ねたことがある。職場訪問は生徒から受けがわるい。多人数の子を定時制に通わせている大きな所はそうでもないのだが、一人二人の生徒がいる零細な所はそもそも雇用主が労働力のひとりであるから教師の訪問は歓迎されないのだ。それに、通される事務所と工場がつづいていて仕切りさえない所もあって、丸見えの向こうの煤が舞っているような工場で生徒が工員服に身をちぢめるようにして作業しているのが見えるのである。私の視線も窮屈であろうし、何人かの同僚の手前もあろうし、雇用者によっては学校に通うことに無理解なひともあり後で嫌味のひとつも聞くかもしれない。
げんに、学校行事やホームルームで決めた遠足などで勤めを休まねばならぬときがあると、こちらがガリ版を切って雇用主へ「お願い」を出すのが慣習だが、それを入れた茶封筒を生徒に渡してもむこうに渡らぬ場合が多いのだった。生徒が雇用主に渡すことができなくて握り潰してしまうのである。そして催しに出て来ない。出てこられないのだ。いちがいに生徒の気の弱さを責められないと私はおもう。雇用主のおもわく、同僚たちのおもわくを気にしないでは生活していけない環境に生徒たちがそれぞれ置かれているのだから。
定時制の複雑さをおもうと私はやり切れなくて、ああ、全日制に移りたい、と嘆息するのがつねなのだ。今度のような出来事があると、ますます強くそうおもってしまう。そうなのだ。全日制の子の妊娠事件であれば私はこれほど気を病んだりしまい。私の大切なおなかの子と比重を測ったりせぬ。
私が、たとえばある先生のように全日制への転勤を運動したりもせずそこにいるのは、数年前、新卒で来た私と年配の先生のためにひらいてくれた歓迎会で聞いた主事のことばに反撥してのことかもしれない。
狐のようなどこか屈折を顔に宿した主事が、「名刺がわりに」と軍歌を披露したのにも驚いたけれど、酔いに本音が出たのか、「先生もお若いのにご苦労なことだ。不運ですな、ねえ、先生方。みなさん同情してらっしゃるのでしょ。いやまったくね、掃溜めに鶴、そ、これですよ」といったのには、私は驚き呆れていた。掃溜め、とはもちろん定時制のことなのである。他ならぬ定時制高校の主事が―。その言葉に笑いながら同調した数人の教師たち。後になって私はその教師たちがどれほど定時制に職を得ていることにコンプレックスを抱いているか知ることになったのだった。
定時制を掃溜めだと称した学校主事のことばに私は、やや青臭いかもしれなかったが憤りをおぼえたのだ。大学を出たばかりの若い私には、人間を作るはずの教育を貶めるそんなことばがあっていいわけがないと思われたのである。
だが、定時制の教師であることにコンプレックスを感じているひとたちが望むのとは別に、私は全日制に勤めを替えて貰いたいとつくづく思うことがある。それはつまり、若い私がかなり観念的に考えていた教育の、大げさに言えば、理念が、数年の教員生活のうちに崩れたり浸蝕されたりして来たということであるだろう。それはもちろん他ならぬ教育現場によってだ。
私は定時制の生徒が引き起こす問題に教師として向かわねばならぬ時、その問題に彌縫策を打つことはできても、その問題のいずれもが、そもそも六三三四制の教育体制からはみ出している定時制高校を設けねばならない社会的な矛盾にいきつくのを、苦い思いと無力を感じながら思い知らされるのであった。なにしろ私は、大学ではげしいデモ隊の後についておどおど動き回る生活を切り上げて定時制の教員の職にありついた頃、少女の時分に読んだ壷井栄の「二十四の瞳」の大石先生や、大学生になって読んだ石川達三の「人間の壁」の尾崎ふみ子のような教師でじぶんもありたいと願っていたのだ。うろ覚えだが、「二十四の瞳」には、みなと同じような弁当箱を買ってもらえなくて父親のお下がりで昼飯を持ってくる少女に、大石先生が花柄のついた弁当箱を贈るくだりがあったとおもう。そういう教師になろうと、私は漠然と考えていたのだから、そういう甘い思い入れが無残に潰されるのは至極当然のことだったであろう。
私はそして次第に、臆病になっていったとおもう。情熱が現実の厚い壁にくじかれるたび、私はどのみち歯が立たないことなのだ、手をつけまいと、心に言い聞かせ、現実をそういうものとして受け入れようとする心をつくってきたのだった。
生徒に評判のわるい職場訪問を、勤めて二年目に初めてクラス担任になった時だけ一回ぽっきりで止めたのも、そういう私の変化のあらわれであった。
それでも私がその女子生徒の職場をかつて訪ねたのは、ETAの会合に出席を得られない企業主がいくたりか居り、彼女の所がそのひとりであったからである。
私は何となく気が差して重くなる足をその零細な工場がへしあって居並ぶ埃っぽい町に向けた。
その女性徒の職場はスリッパやサンダルを製造していて、ビニールの焼ける臭いが、工場と雇用主の住居が独立して建っている敷地内にたてこもっていた。
いそかしくて余りお相手てきませんけと、せんせー、ハルコくん、とうかしましたか。通された住居の出入口に設えてある、スチール机と電話が引いてあるだけの事務所で赭ら顔の主人がせきたてるようにいった。スチール机の上に色がまちまちのスリッパが片一方ずつ積んであり、主人の奥さんらしい人が運んできたお茶をスリッパの谷間に、どうぞと無愛想にいって置いた。私は、用件をてきぱきと述べなければならなかった。あきらかにこの雇用主は使用人のひとりを学校に通わせることに理解がなかった。私の話が風のようにつきぬけていくのを感じた。話をしたところでこの雇用主はこれまで通りETAの会合にも出て来なければ、生徒の学校優先にも協力を得ることはできないだろう、と私は話しながら思ったものだった。
それではお邪魔しましたと立ち上がった時、紺の作業着をつけて頭を姉さまかぶりにしたその女生徒が顔を出して何かいいかけ、私を認めて驚きをあらわした。
「わざわざ、すみませんでした」
一緒に事務所を出ると彼女はそういって、ぺこんと頭を下げた。その姉さまかぶりも可愛いし、態度も気持のいいものだった。
「変なこといわれませんでしたか」
と彼女は囁くような小声でいった。
「変なこと、って」
「ううん、嫌なこと」
「べつにいわれませんでしたよ、何かあったの」
すると彼女はかぶりを振ってもっと声をひそめ、
「そうじゃないんです。ヨボだから、嫌なこといったかもしれないとおもって」
彼女は好意のこもった眼で、じゃあ、といって工場に入っていった。私は、ヨボ、ということばの意味がわからなかったのだ。それで、私はうかつにも雇用主の言葉の訛りだとおもっていたものが朝鮮人のそれであることに気づき、そういえばここの社名に金山と入っていたことに思い至ったのである。
ヨボなんていっちゃいけないと私は今夜学校で彼女にたしなめようと思った。うちのクラスにひとり、朝鮮人の仲間がいるのを彼女は知らないのだろうか。
歩きながら、私は、今見てきた、彼女の立ち働いている工場を思い浮かべていた。それは木造のいまにも崩れかかるところを辛うじて支えているような平屋の建物なのであった。水を吸って腐れた、炙られたような炭色の建物の奥はひどく暗い。にごった光を虚脱したように点している裸電球の下の彼女たちは、朽ちて崩れおちそうな屋根に圧し拉がれて見えたのだった。朝鮮人はきたないよ、吝嗇でしようがないよ。卒業して行ったある生徒がことあるごとに口走ったことばが私にしたたか甦った。ひしがれた彼女たちの呻きがその朽ちた屋根の下からもれてきそうであった。
私のことばは綺麗すぎる、と私はおもった。そういう入り組んだ現実を反映している彼女のことばの歪みをたしなめる力など私にはないのだった。
傲慢だなあ、と夫が大仰に呆れてみせたとき、私はその町工場の光景を思い出していたのであった。
私は傲慢な思い上がった気持で悩んでいるのではない。そのような傲慢さはもうとうの昔になくしたものである。女生徒の妊娠に、私も同様の体であることで、身動きがとれないという皮肉な状態を呪っているだけなのだ。そしてそれは良心の疼きなどというものではなく、私はただ後日の生徒の非難を恐れているにすぎないのである。私の鼻柱をへし折ってやろうと今度のことを一番歓んでいるのかもしれない夫は、私を買い被っているのだ。いつまでも教員を辞めようとしない私が、夫には学生時分の圭角のとれない発想を結婚してしばらくしても残していたことにつなげて現在もなおそのように見えてならないのであろう。サラリーマンの夫は年嵩が増し仕事に油がのるにつれ、私が家庭に入ることを強く望むようになっていた。私の妊娠はだからもちろん小躍りして喜んだものであった。
いっそ私はあの男女生徒に義理立てしておなかの子をどうにかしたいと夫にいってみようか、と残酷な気持で思ってみた。私が生徒の妊娠とじぶんのそれを重ねて、うまく相談に乗ってやれなかったことを告げると、夫はじつに不快な表情を見せてそんなもんといっしょにするな、と釘を打ちつけるようにいったのであった。もっともその後で優しい言葉を掛けてきたのには、夫なりの窃かな計算がわいたからだろうが―。私はその夫に、そんなふうに残酷な思いつきを投げてみようかとちらと考え、そんなじぶんの一瞬とはいえ空想に、大切なわが子を汚してしまったような気がした。なんで私のところへなぞあの男女生徒は来たのだろうか、と一朶の憎しみの雲が私に湧きあがってきたのだった。
Ⅲ
春子はいつまでたっても帰って来なかった。
彼女の担任である井上先生に僕と会って喫茶店を使って話をした翌日から、春子は学校に行きたがらぬようになったのである。滅多なことで休まなかった春子がこの数日休みがちになり、きょうもあらわれなかった。勤めには行ったはずなのに、とあわてて学校から戻ったのだが、部屋は真っ暗な闇をたたえていたのである。鞄を持って朝は出たのだから学校に行く気はあったのだろうが、どこをふらついているのだろう。不慮の事故にでもあったのではあるまいか、とそんなことを頭の片隅にちらと浮かべたが、まさかと打ち消して、僕はさっきから空腹を訴えている胃袋に何かつめこむことにした。昨晩の残りの冷や飯を、春子の分を確かめて碗によそった。湯を沸かして茶漬けにして食べながら、僕はふっと独り暮らしの頃の感覚を甦らせ、あっと思った。箪笥や抽斗をひらいてみる。春子のつつましい衣類や持物が、僕の杞憂をわらっていた。
春子には故郷の親元以外に帰る所はここしかないではないかと、不安に緊張した気持が弛まずにそのままとぐろをまいていくのを感じながら、それを絶つように思った。
春子が鞄を持って出たというのは、勤めをいつもどおり三十分早く上がるための体裁なのだ。その証拠に、春子の鞄の中身はおとついとおなじ四冊の教科書が入っているはずである。きのうも出て来なかったのだ。だが、きのうは、帰ると春子はプレーヤーでレコードをかけていた。サイモン&ガーファンクル、春子の誕生日に僕が贈ったLPだ。
「またサボったな」
と僕はつとめて軽い口調でいった。
「行く気がしなかったの。いっしょに住んでると、こういうとき、やあね」
春子は電灯の光を集めて回転するレコードに眼を向けたまま苛立つようにいった。
それきり僕も追及しなかった。追及すれば、僕も春子も互いに傷つくことになるような気がしたのだ。三十分、正規の時間より早く勤めを上がるのは定時制の始まる時間と重なるからである。朝、勤めに出る時からおそらく学校に出ないつもりであったであろう春子が、それでも鞄を携えて行ったのは三十分いつもどおり早く上がるための体裁であるとともに、体裁を整えなければ早く上がりにくいからでもあるのだろう。
春子は仕事それ自体の辛さを訴えることはなかったが、朝鮮人経営者やその妻や同僚たちの陰にこもった意地の悪さや、女同士のこうるさい陰口には、ときおり耐えていたものを僕に爆発させることがあった。時間が来てるのを知っているのに小母さんたち素知らぬ顔であれやってこれやってって言いつけるの。時計をちらちら気にしてるひとが知らないわけないわ。いくらなんでも癪にさわるから、あら、もうこんな時間って言ってやるとね、聞こえなかったふりして、忙しくてやんなっちゃうわね、なんて当てこするのよ。まるでパートの自分たちよりいい給料もらってるのに早く上がらせてたまりますか、って言うよう。あんなとこのパートと正社員の違いは、小母さんたちがきちんと勤めれば五六百円、たったそれっぽちしか違わないのよ。いっそあたしもパートにしてくれって言いたくなるわ。仕方ないから終いまでやっていくとね、あらまあ春ちゃん、まだ居たの、てっきり上がったと思ってた、きょうは学校おやすみなの、と、こうよ。あんまり見え透いてて怒る気にもなれない。そういうひとたちですからね、みんな陰じゃ朝鮮人は吝嗇だ、うっかりしてると給与明細を誤魔化しかねないよとか言ってんのに、面と向かうとおせじ並べてごきげんとりに告げ口だってするんだから。
鉄面皮にならないと定時制に通いつづけられないよ、と僕のクラスメートのひとりはいったが、時間が来ると一秒の狂いもなく上がってしまうというその男の割り切った図太さには感歎するけれどもとうてい僕などのよくすることではなかった。春子にはなおさらそうであろう。
僕の眼に、喫茶店の片隅で冷めきったコーヒーを前にいつまでも窓の外を眺めている春子の姿が浮かんだ。あるいは春子は自分の状態とかけはなれた町中の喧騒に身を置いているのかもしれなかった。
そういう時間を持つのにも鞄の擬装をしなければならない春子がひどくかわいそうだった。
変な男にまとわりつかれた。粘ついたいやらしい眼でセーラ服の全身を舐めるように見て誘ったのだ。遊ぼうよ、おカネあげるよ、といったのだと思う。全部を男が言い終えないうちに、あたしは逃げ出していたが、男はしつこくついてきた。ある距離を保って影のように離れないのだった。喫茶店を出てすぐのことだったから、そこにいた客のひとりだろうか。馴染のお店でウェイトレスをしていた子が前に定時制を中退していった子だったから、セーラ服でも入れたのだ。
私服で出ればよかった、となんとなく悔やんだ。セーラ服は男の関心をそそるものがあるらしいと聞いたことがあったので、そう思ったのだった。私服でも定時制はかまわないのだ。けれども、うちの小母さんたちはセーラ服で行かないと納得しない。陰でいろいろ詮索されてはかなわない。それにきょうのように初めから学校に行かないつもりでいる日はなおさら気が咎めてセーラ服を着て出てしまったのだ。おまけに洗濯した作業服を入れた巾着のほかに鞄までかかえていた。出しなに、じゃあ学校でな、とツネオは何気なくいって別れていったが、あれはきのうあたしが学校を休んだので、きょうは出てこいよと駄目を押したのかもしれなかった。工場の小母さんたちだけでなく、ツネオまであたしはこの格好で欺いたのだ。
少し足を速めて、後ろをうかがった。やっぱりついてきている。一定の距離をつくっているのはまだ人通りがあるからで、あたしが行き交う誰かに助けを求めるのを怖れているからなのだろう。商店もぽつんぽつんと開いているのだった。場末とはいえここも都会なのだ。都会の夜も昼もないようなところが、この場合ありがたかった。
もう少し行くと、だが紡績工場の裏手の道に折れる。その大きな紡績工場を囲繞している長いコンクリート塀の背丈がその道をほとんど闇にうずめているのだった。人通りも車も、そこは絶えている道だった。車はたいてい商店街の要である駅を抜けて紡績工場の前の大通りを通り国道か街道に出ていくのだ。だが、アパートへ戻るのはこの裏道か、でなければ引き返してひどく迂回しなければならない。話し掛けられても応じなければ誘惑者はあきらめるものだ、と聞いたけれどもあれは嘘だとあたしは唇を噛む。男はこうしてついてきているのだ。
それにしても、あたしは落ち着いていすぎやしないか、とおもった。恐いと感じているのはじじつだ。その一方でどこか腰の坐ったものがあるのだった。こんなことは以前にはあたしに具わっていなかったはずだ。妊娠しているからだろうか、漠然とそう考えた。独りでいてもひとりではないからだろうか。
電話ボックスの灯りが見えた。そこを過ぎるとすぐれいの暗い道に折れていくのだった。ふたたび背後をうかがう。はっきり顔は見えないけれども、距離のとり具合でさっきからの男だとわかる。こうしてひとりの女をつけて歩いていること自体をあの男は娯しんでいるようにも見えるのだ。あたしは獲物なのだ。ふいに生臭い息を肩のあたりに吹きつけられた気がして、あたしは身を竦めた。そして突如、思いがけない思いが転がるように出てきたのだ。あたしがほしければあげてもいいんだ、と思った。振り向いて男の歩んでくるのを迎え、逆にあたしが誘ってやろうか、と大胆不敵なことを考え、そうしたら男はどんな顔をするだろうとちょっぴり可笑しくなった。そして、その思いに重なって、こないだの夜のツネオの行為をあたしは浮かべたのだった。ツネオはあたしが妊娠して以来たえてなかった行為を、その夜求めてきた。逃げると、どうしてだよ、とツネオはいった。いやなのよ、とあたしは身をふりほどこうとした。ツネオはあたしの胸をはだけ、顔をこすりつけてきた。片方の乳房を吸われながら、あたしは不意に、どうでもいいと思った。ツネオはなめらかに入ってきた。あたしはなめらかに迎え入れたあたしの体に腹がたった。涙が出てきた。ツネオがなにもつけずに入ってきたことが、何よりかなしかった。それは当然のことなのに、それを当然のこととして挑んでくるツネオがいとわしかった。あんなに気を使っていたひとなのに、失敗したとわかるとこうなのか、と思うと涙があふれ、涙はつうと耳のなかに流れこんだ。
つけてきている男は、つけている獲物が妊婦だと知ったらびっくりするにちがいない。あたしは歩きながら、今なら通行人の誰かにあの男を追い払ってもらうことができる、と考えた。不思議とそうする気がおきなかった。
電話ボックスにひとが入っているのが見えた。背が見え、そのひとは話しながら首だけこっちに廻したようだった。あたしを見ていると思った。ボックスの中の灯りに白く溶けている顔が揺れた気がする。と、そのひとはひどく不自然な様子で受話器を戻し、外に出てきたのだ。やあ、といった。
クラスは違うが、同学年の男の子のひとりだった。もっとも年齢はずっと上らしく、どこか老けた顔立ちをしていた。こんばんは、とあたしは返した。
「学校の帰りかい、随分晩いじゃないか、さては、だな」
「いえ、学校はさぼりました、急に用事ができて。どなたにお電話ですか、なんだかいいとこ見ちゃったみたい」
と軽口をいって、何気なく後ろを振り返ってみたが、もうあの影のようについてきた男は退散してしまったようで姿がなかった。
「いいひとに電話してたんでしょ」
「いゃあ」
「あら、顔がそまったわ。図星ですね」
どうでもいいことなのに、あたしの口は勝手に動いている。どこかの影にでもあの男は隠れて息をひそめている気がしたのだ。急にあたしは恐くなっていた。さっきの坐った気持はこの男の子に会ったとたん、どこかに消し飛んでいたのだった。
「そうではないんだよ、じつはむつかしい問題が発生してね、それで、ま、あるひとと今、話していたってわけさ」
しどろもどろにどこか弁解じみたことをいった。あたしには関係のないことだ。
「そうですか、それはたいへんですね」
ツネオは心配していることだろうと思った。食事は摂っただろうか。学校の給食だけではとても腹がもたないのだ。早くアパートに戻らなければ、とこの場を立ち去らない自分をいぶかしく思いながら、さっきの男の影にあたしはまだ居竦まっていたのだった。
「てっきり、あたし、あの子と電話していたのかと」
この男の子と噂のある学校の女の子をさしていった。もう少し話をつづけるための、ほんの軽い気持でいったのだ。
「ふん」
あたしをでなくその女の子を軽蔑するように鼻を鳴らした。
「あんな女、きみ、ぼくはあんな女、眼中にないよ。ぼくのマドンナはインテリジェンスがあって、清楚で、あんなのとはちがうんだ」
マドンナ、という古めかしいことばに思わず失笑したが、相手の尋常でない表情に気づいて、笑いをおさめた。このひと、ちょっと変だ。急に眼が赤味を増して鈍く光っている。あたしは気味がわるくなって、足早に歩きだした。さようなら。
いや、失敬、と言う声があわててあたしの背中に返ってきた。
不意に切られた受話器を手にしたまま、私は立っていた。何が起こったのかとっさに判断できずにいたのである。来るものがきた。怖れていたものが形になって現れた。それだけがわかっていたのだ。それは受話器の無数の孔から威嚇的でいてどこかその作り声を愉しむような若い声で届けられた。
私は蒼ざめ唇を引き攣らせていたのだろう。既に寝床に入って煙草を吸っていた夫が、どうした、誰からだ、と出てきた。私を見るなり異変を察していった。
「おい、どうした。どうしたんだ」
私の手に握られたままの受話器をもぎとるとそれに耳を寄せ、それから電話機に戻していった。
「どうしたというんだ、こんな時間に、誰から掛かってきた。なんといってきたんだ」
膝頭がくずれ、へなへなと私はそこにへたり込んでしまった。夫にいってはいけない、とちらと考えが頭を掠めていったが、それより私は自分を取り戻すことにせいいっぱいなのだった。受身の状態を転じなければだめだ、冷静に起こったことを検討しなければだめだ。男女生徒をひがませてしまった。ひがむのは勝手だ。ひがみが、脅迫となって表現されてきた。これはもう犯罪だ。どうしてこんな無軌道に走るのだろう。私に責任があるのか。教師としてはあるだろう。だが、男女生徒の怒りは私にはいわれのないことだ。それはもっと根本的にはもっと大きなものにむけられてしかるべきなのだ。私という小さな個人になにがしてやれるというのだ。ひがみにすぎない、筋違いの、ひがみだ、と思った。
それにしてもどこで私の妊娠を知ったのか。女同士で気の置けない教師には話してあったのだが、そのうちの誰かからうっかり漏れたにちがいない。誰か知らないが、ひどくうらめしかった。だが晩かれ早かれわかってしまうことだったのだから、咎めることはできない。
あの女の子は、あの日喫茶店で会って以来学校を無断欠席していて、きのうもきょうも来なかったのである。それはつまり、私に対する意思表示であったのだろう。そういうやり方、嫉妬のあらわしかたをする子だったのか。表層ではわからないものだ。冷静を取り戻すにつれ、私は憎しみを男女生徒に強くしていったのであった。居直った気持がそうしむけていた。
十二時近くなって春子は帰ってきた。階段の軋みをできるだけ立てぬように配慮して昇ってくる足音で僕には春子だとわかる。その朽ちて弛んだ木の階段は少し踏面が下に反っているのだった。手すりにつかまりながら昇ってくる春子の慎重さは、つまずかぬための注意を払っているのでもあろう。
「晩かったじゃないか。心配してたんだ」
「御免ね」
春子の声にいつもの屈折がなかった。
「めし残しておいたけど、食べるかい」
僕は自分の声が急に明るくなったと感じながらいった。
「食べるなら、焼き飯でも作ってやるよ」
春子は微笑って、
「いいの、ジャムトーストを食べたから」
「春子の好きなあれか。わかった、あの喫茶店だな、さては」
さりげなく僕はきょうの春子の空白を探った。だが、ほんとうはどうでもよかったのだ。
「そうよ。あすこに入る前は、ちがうお店で三時間ねばっていたわ、コーヒーいっぱいで。何していたとおもう」
「さあ」
ふっふ、と春子はわらった。
「なにしていたんだよ」
「縫い物をしていたの」
「縫い物かあ、おれはまたどっかの男に」
「なによ」
「いや、春子が男をかどわかそうと物色してたんじゃないかと心配したんだ」
「ばかね、ツネオは」
つかのま、幸福な気分が僕と春子の間を充たした。いちばん大事なことに互いにふれあわぬような会話をしている、と僕はおもった。春子がなにか吹っ切れたような明るさを加えていることを僕は喜びながら、しかしどこかひっかかるものがあるのであった。僕の予感が的中しているような気がするのだ。
外を牛乳屋の車が瓶の音をはずませながら通っていくのが聞こえる。暗いがもう始発が出る時刻なのだ。僕はいつまでも眠りにつけなかった。胸の中で春子はすうすうと静かに寝息を立てていた。春子の頭に敷かれている僕の腕は痺れて心地よいくらいになっているのである。僕は、春子のパジャマの背に置かれている手をそのまま下に伸ばして、ズボンと下着のゴムをくぐらせた。春子の臀はひろくて、そして驚くほど冷たいのだ。春子はどうなるのだろうか、とおもった。そして、僕は―。
春子はきっと子供を生むと言い出すにちがいなかった。さっきの春子の吹っきれたような明るさは、きっとそれであろう。そのことはどういう事態になることを意味するのか。
きょうもまた、古参の男ともめてしまったことが、その思いに重なってくるのである。やめるんならやめたっていいんだぜ、と言い放った古参の強気の声が甦って、あらためて僕は屈辱を噛みしめていた。腕利きであり、零細とはいえ会社の経営方針にまでくちを挟めるその男とうまくいっていないというのは収入のみちが危ないということなのである。最近、社長や専務である奥さんがちくちくと叱言を言うようになり、邪険な態度をとるようになっていたのは、その古参におもねってのことであったのだろう。入ったばかりの一年ほど前は、まあ家族だと思って遠慮なくつきあおうや、などと調子のいいことをいいながら、こうやって手のひらを返してくるのである。定時制でも高校卒業の資格がほしくて今まで勤めていたところを辞めてそこに入ったのだが、あすこはもう駄目かもしれないな、とちらと考え、そのことと春子がなにか吹っ切れたような明るい表情を見せていたことが、僕に暗い裂け目を予感させるのだった。おれたちはどうなるのだろう、と思った。こうして抱き合いながら、深い奈落へくるくると転落していくさまが眼に映じて、僕はおもわず薄闇のはりつめた天井の一点に眼を凝らしたのだった。
Ⅳ
証拠物件として押収された物は、大学ノートに春子がこまめにつけていた出納簿と、春子が僕に知られぬように縫いはじめていた十数枚の襁褓がその主だったものだそうであった。縫いかけの襁褓にはまだ針がくつかっていて、出来かけのところを春子は警察に取り上げられたのだ。
それを取調室の眩い卓上ライトの明かりの下にひろげて見せられた時、僕はぐらっと動揺を覚えたのである。それは机の端から伸びている製図用ライトの光が、僕の顔をまじかから直射しているという心理的拷問のせいもあったかもしれない。ひとりだけライトの白い光に晒されているままの取調べが、もう三日も続き、僕はその圧迫感におしつぶされるような苦痛を感じていた。
「なあんだ、きみは彼女がこれ縫っていたこと知らないのかい。彼女、赤ん坊生むつもりなんだろ。きみに反対されて、こっそりオムツを縫ってたというわけか…。きみは、あの先生脅かして中絶の費用をもらうつもりだったのか」
また同じ質問だ。
「やってないんだよ、どう言ったら、あんたら、わかってくれるんだ」
僕がちょっと見せた動揺の寸隙に割り込んできた少年課の穏やかな刑事の顔が、むっとして唇を横に引いた。優しげなもの言いの下には鼠のような狡猾な牙が隠れていて、それは効果を計算して剥き出されるのだ。この何日かで僕はそれが分るようになっていたが、わかっていても効き目は強かった。
「やってねえ、だあ。馬鹿野郎っ。甘えんのも度がすぎるぞ。やってなくて、どうしておまえはここにいるんだ、えっ」
それは詐術であった。この拘禁状態は僕の中にもある衝動を醸しつつあったのだ。口を開くのは危険であった。困憊した僕の神経は苛立ちにふくれあがっていた。
ここにいるのは、あんたらがいきなり引っ張ってきたからだ。あの女教師に夜な夜な電話で脅迫じみたことをしたなどという覚えはまったくない。子供を生んだりしたら、その子を殺してやるとかいう脅しをそいつは繰り返したらしいが、おれはここへ来て初めてあの女教師が妊娠していたことを知ったのだ。脅迫していたそいつは確かにおれじゃない。ぬれぎぬなのだ。ぬれぎぬのおかげで、おれはたぶん職を失ったことだろう。春子も職を失ったかもしれぬ。態よくおれを追っ払えたとあの古参の男は北叟笑んでいることだろう。だが、おれじゃない。おれじゃない、と僕は暗示をかけるように思った。
「な、どうだ、胸のつっかえをおろしちゃえよ。たいしたことをやったわけじゃないんだ。それに未成年でもあるし、軽くてすむのだ、いまならな。だが、こうやって梃古摺らせていると、当然のことだが、心証を害することになるんだぜ。ま、おじさんたちも生身の人間だからよ、わかるね」
鼠の狡猾な牙を穏やかな表情に隠して刑事はつづけた。
「きみの気持はよくわかるんだ」といった。騙されないぞ、と僕は思い刑事を睨みつけた。
「おれの親父は尋常小学校しか出てなくてな、長く警察に勤めたけどけっきょく巡査部長どまりだった。きみは警察をどう見てるか知らないが、警察というところは階級性の強いところでな。いや、大きな声じゃいえないが、あっはっは。それで、親父はおれに口酸っぱくいったもんさ。大学には行っとけ、とな。おれはだから、苦労して大学へ行ったよ。ま、駅弁だけどな。貧乏の味は知ってるつもりだ。今もしがない刑事だから貧乏暮らしだがね、昔はもっとひどかった。製薬会社に血を売ったこともあるんだよ。その帰り道、自分と同じような年頃の女がきれいな服着て、ポマードで頭を撫でつけたヤサ男の腕をとって歩いているのを見たりすると、怒鳴りつけたくなって困ったものだ。ひがむまいと思っても貧乏がひがませるんだな。ひがみ、ねたみ、ひどい貧乏は人間の持っている才能までだめにするもんだとつくづく思ったね。貧乏というやつは、まったく…。おれにはきみがよくわかるんだよ。きみがあの先生を脅かした気持がね、ほんとに同情してるんだ。きみを取り調べるなんて、いやな役回りだ。だが、苦労知らずの刑事さんに調べられるのは、きみだっていやだろうと、おれはこの憎まれ役を買って出たんだよ、そこんところを、きみも、ま、わかってくれないかね」
人情話なんかに騙されるものか、と僕はうつむいていた。きのう、おとついと僕を調べた刑事もこんなふうな話をしなかったかと躍起になって頭をめぐらせたが、思い出せないのである。日付さえあやふやになりそうなのだ。さきおとつい、朝の路上で春子と軽く手を振って別れ歩きだした僕の前に二人の男が左右から立ち塞がったのである。それは四日前のことなのにもう大分以前のことのように霞がかっているのだった。
「春子はどうしてますか」
春子は普通の体ではないのだ。それを僕と同じように扱われてはやりきれないのである。そんなに心配なのかね、よし、ぜんぶ話してくれたら教えてやろう。面会だってさせないことはないぜ、と、きのう、もう一人の刑事は娯しむように僕にいったはずである。面会、ということばに僕はある安心を覚えたものだが、この刑事の答えは僕のそれを裏づけてくれた。
「春子、ああ、きみの彼女ね。共犯の疑いが晴れて、アパートに帰った。いや、泊まらなかったと思うな。泣かれて困ったと担当がいってたっけ。あんな可愛い子を泣かすなんて、きみは男じゃないぞ」
もう一人の刑事よりましだ、と僕はこの刑事に反撥とどうじに好感が湧くのを覚えて、それを心で叱咤しながら、自分に焼鏝を押すようにきっぱりといった。やっていないんだよ、人違いなんだ。ほんとうなんだ。
独特の臭気がこびりついた檻の中で、僕は押収された襁褓について考えていた。石のようになった体は睡眠を欲していたが、頭だけがある種の薬を被ったように冴え返っているのである。それも文脈を持たない断片が浮かんでは消えていくのだった。襁褓のことのみ考えてみようと僕は努力した。意識的にそうしないとそのことも他の断片に座を譲りそうであり、かといって眠りは訪れないのだった。
春子がいつかの夜、喫茶店で縫い物をしていたというのは生まれてくる赤ん坊の襁褓だったのだ。あの時、僕は春子が自分のものや僕のものの繕いでもやっていたのかと深く考えもしてみなかったのである。春子がよく授業中に、これを作る内職をしていたのよ、とアパートに帰って編みかけのセーターの一部を鞄から取り出してみせることがあったので、べつに訝しみもしなかったのだ。そういえば、お揃いのセーターを冬までにこしらえるわ、と張り切って編み棒を動かしていたあれは、どうなったのだろう。春子の妊娠という出来事が、編み棒を止めてしまったのだ。もう冬に入るというのに。
あの縫い物をしていたという夜の春子の、僕を当惑させたあのなにかふっきれたような明るさは、襁褓とつなげれば合点がいった。僕の予感は当たっていたのである。取調室で広げられた十数枚の襁褓に僕が動揺したのは、あの夜、ぼくが春子に感じ取った予感の的中を、押収品として確かめたからであったかもしれない。
春子はどうして生む気持に傾いたのだろう、と思った。僕の曖昧な態度がいけなかったか。女教師の、第三者でありながら、煮え切らない態度が、春子の気持を反撥させたのかもしれない。あの女教師がそんな態度を示したのには、僕や春子の思いもつかない思惑があったのであるが。
いや、反撥だけで春子が子供を生む決意をするわけがないのだ。そこには僕のわかるよしもない女の微妙なものが作用しているようだ。襁褓を警察にもっていかれた春子の泣きべそをかいた顔が浮かぶ。
同房の泥棒だという男が寝言を叫ぶと苦しそうに寝返りをうった。警官に追われる夢でもみているのであろう。
生む決意をしながら、どうして春子は僕に内緒にして襁褓を縫っていたのか、と泥棒の寝言に中断された考えを追おうとして僕はそれを切った。この暗い乾燥した檻の中からいつ出られるかわからないという臨場感がひしひしと僕に迫ってきたのだった。
通過した特急電車は引っ張ってきた冷たい風をホームにぶちまけて行った。額にかぶさった髪を手でもとに戻すと、あたしは木製ベンチの埃を軽く払って腰をおろした。
警察署へ行っても会わせてはくれないだろうという思いがあたしを重く塞いでいた。断られてもいい、行ってみるだけで少しは慰められるのだ。アパートのへやで気を揉んでいるよりもその方がずっといいのだ。だが、万が一面会の許可がでたら、何をいえばいいのだろう、と思った。いうことがひしめきあって唇に押し寄せ、あたしはついになにひとつということができないのではないか、と不安だった。それでもこれだけはツネオの口から聞こうときめているのだった。先生を脅迫していたのは、ツネオじゃないわよね。人違いで捕まったのでしょ、と確かめるつもりだった。しかし確かめるというのはどういうことだろう、とあたしに躊躇が起こる。それはツネオを信じていないということだろうか。信じているけれども、本人の口から確かめて信頼を強くしたいということだろうか。どうもちがうのだ。きれいごとをいったってしかたない。ツネオが脅迫の犯人じゃないという確としたものがあたしにはないのだった。それは警察や裁判所のもちだす証拠というものではなかった。あたしが、あのひとがそんなことをするはずがない、と断定できるものを持っていないということだった。かすかに疑いが頭を掠めていくと、あたしはツネオという人間をどのくらい知っているのだろうと自分が嫌になった。
警察署の取調室であたしは泣きじゃくった。ツネオはあたしのせいで馬鹿なことをしでかしたのだ、と思って泣きつづけたのだった。先生は先生、あたしたちはあたしたちなのに、どうしてつまらない脅迫電話などしたのだろう、と思うと新しい涙がふきあがって、ろくに受け答えもできなかった。
「あなたの知らないことなのね」
と取調べの女のひとがいった。終始、優しい言葉使いをするひとだった。
あたしは深くうなずいていた。
「そうなの。どうして、彼はそんなことしたのかしらね」
あたしはかぶりを振った。
「あなたは赤ちゃんのオムツを作っていたのね。上手に縫ってあって感心しましたよ。その子、あなたは生むつもりなのね。彼も賛成していて」
あたしは気弱くうなずいた。ツネオからはっきりした言葉質を取ったわけではないのだ。ツネオはほんとうは処置してもらいたいのだと思う。それをあたしは知っていて、それでもそんなことは考えてもいないといったふりをするツネオの本心を偽った言葉に縋りつこうとしていたのだった。といって、あたしに子供を生む決意があったということにはならない。ただあたしには、処置してしまうことしか方策がないというのが惨めでかなしかったのだ。あなたは生むつもりなのね、といわれてあたしは自分を覗き込んでいた。
妊娠を知った当初はひどく動転してなにがなんだかわからなくなったのだ。自分が十七年間もつきあってきたはずの体が、自分の意志ではどうにもならない外からの力で揺さぶられているといった感じが、あたしを当惑させ苛立たせた。
あの夜が境になったのだ。ツネオに病院に行って処置して来ると自棄撥にいってみた夜のことだ。あの夜、ツネオの腕の中で自分の吐く息の熱さを顔に感じながら、あたしは初めて心から生みたいと思ったのだった。それでも朝になると、又おなじことだった。二つの答えの間を行ったり来たりして、昨夜のあれは生みたいと思ったのではなくて、生むこともできるのだと思ったにすぎないことに気づいたりした。生んで生活していけるのかということも不安だった。見ようみまねで襁褓を縫い始めた。生む覚悟をしたわけでもないのに変なことだったが、あたしはこっそり縫いつづけた。喫茶店で窓際の席をとり、早い日の暮れを眺めたりしながら縫いつづけているとまるで縫針がお腹の子供のちいさい心臓の鼓動をつたえているかのような気がした。セーラ服はうるさいから、これ羽織ってなさい、とパイプをいつも斜めにくわえている店のマスターが手伝いの女の子のカーディガンを貸してくれたりすると、あたしはうれしくてコーヒーのおかわりを頼んだりして長いことねばったものなのだ。そうして襁褓は一枚でき二枚できしていった。あたしは知らず知らずのうちに、襁褓の枚数を増やすたび自分の気持を一つの答えのほうに追いやっていたのだとおもう。いつしかあたしはその襁褓で自分の子供の輝くような赤い体をつつむことを思い描きはじめていたのだ。
この子が生まれたら、あたしはずっと傍において育てるだろう。たった十五歳で親もとを離れさせたりしない。右も左もわからない、身寄りもない東京の駅で、ひとりぼっちで放り出したりしない。高校にも、大学にだって上げてやろう。襁褓を縫いながら、あたしの空想は、現実をどんどん離れてふくらむ。そんなことがきっと出来るような気がしてくるのだった。
その襁褓はみんな持っていかれてしまった。ツネオはほんとうに無実なのだろうか。あたしは取調室ではツネオが脅迫の電話を入れて先生を半病人のようにしてしまい、怒った先生の旦那さんが警察に訴えでたと聞いて、なんでそんなことをしたのだろうと泣いたのだが、きのう警察を訪っていくと、面会は断られたが、ツネオが犯行を否認しつづけていると苦い顔で担当の刑事さんが教えてくれたのだった。
ツネオは無実かもしれないのだ。ツネオが否認しているなら当然あたしはそれにつくべきなのだった。そう思っても、このこの半年以上の同居生活でなにをやっていたのだろうと悔しむくらい、あたしはツネオを知っていなかった。親きょうだいがどこにいるのか、いやいるのかいないのかさえ知らない。ツネオもしゃべりたがらなかったし、あたしも聞こうともしなかったのだ。ツネオがいままで何軒勤めを変わり、どうして数年遅れて定時制高校に入ってきたのか、今の職場はうまくいっていたのかどうか、これまでに恋愛をしたことはなかったのか、考えればきりがなかった。それをあたしは、おれは中学の頃は成績よかったんだぞとかいって笑わすツネオに、ほんとかしらなどと応じてふざけてしまったのだ。ツネオをよく考えればなにひとつ知らない自分に、あたしは愕然とした。ツネオが脅迫していなかったとは断じきれないかすかな疑惑はそこから湧き出てくるのだ。そしてあたしがお腹に宿している子供は、あたしのよく知っていないツネオの子供なのだった。そんなふうに、よく互いをわかっていない人間の男女にでも子供はできるのだという平凡な事実が、あたしはなんだか、ひどく恐ろしいことのように感じられた。
「その赤ちゃん、生んで育てるつもり」
と、面会を厳しく断られて警察署を出ようとしたあたしに女のひとが、ちょっと、と呼び止めてそう訊ねた。
あたしは怪訝に思ったが、はい、と答えていた。そのひとはあたしを取り調べたあの女のひとだったからだ。
「彼も承知していることなの」
「…はい」
「あなたがオムツを縫ってたの、彼は知らないんじゃないの」
「…知らない、と思います」
「どういうことなの、それは」
「……」
「嘘なのね、彼は賛成していなかったのでしょう」
女のひとは鋭い眼をしていった。
「どうして…そんなこというんですか」
「じゃどうして、あなた、赤ちゃんのオムツをこっそり縫っていたの。変じゃない」
「それは…」
「彼はね、吃驚していたそうよ、あなたの縫ったオムツを見せられて」
「……」
「どうなの、彼に反対されていたのね。そうなのね」
それが何か事件に重大なつながりがあるといった口振りに恐ろしくなって、あたしは追いかけてきそうな女のひとの声を振り切って警察署を出た。
曇天の空だった。風が鳴っていた。丸首の厚手のセーターに襟首がちくちくするのが気になってしかたなかった。襁褓を見せられたツネオがそれにどう吃驚したのだろう、と歩きながらあたしは考えはじめ、不意に投げ出すようにやめた時から襟首が気になりだしたのだ。喫茶店の扉を開くと、サイモン&ガーファンクルのサウンド・オブ・サイレンスがかかっていた。あたしの好きな曲だ。あたしは不意に、晩く帰ったときのツネオとのやりとりを思い出し、心配していて帰りを待っていてくれたひとに何故あんな冷たいことばを返したのだろうと悔やんだ。
「さぼったのぉ、めずらしいわね」
「そうじゃないの、馘になったのよ」
「馘になった、ほんとぉ」
事件が起きて警察で取り調べられた日、あたしは工場を馘になったのだ。ツネオにも留守中に解雇の通知が届いていた。
あたしはいつものジャムトーストとコーヒーを頼むとカウンター席に腰をおろす。定時制を一年足らずで中退していったこの女の子と話をしたかったのだ。午後になると閑散とする店なのでマスターの代わりにウェイトレスのこの子が店をきりもりしている。
「お化粧、うまくなったわ」
とあたしはいった。アイシャドーもルージュも巧みに引かれていて、ちょっとハーフのような顔の造りを誇張している。あたしにはとても真似のできないことだ。あたしは化粧品をろくに持っていない。
「ありがと。ちょっと濃いかなって心配してたんだ。どうかな」
「似合うわ」
注文したものが並んだ。
「それでどうして馘になったのぉ」
「つまんないことなの、馘になってせいせいしてるの」
「あんまし平気な顔でもないわよ」
この子はいつのまにか国訛りを矯正している、とあたしは驚いた。こういう子が東京にすぐ溶け込んでいくのだ。
「うん、じつのところ、そうなんだ」
見透かされるような顔をあたしはしていたらしかった。しかしそれは仕事を失ったことだけではなかった。
「求人広告はひしめいているんだもん。気にしない気にしない、なにしろ金の卵ですものね、わたくしたちは」
わらっていった。気丈な子なのだ。こういう子だけが都会でうまく自分の坐る席を見つけられるのかもしれない、とおもった。この子が集団就職で出てきた子だなんてちょっと見ではわからないだろう。
「あせって、うっかりつまんないとこに就職しないようにね、あたしは懲りてるんだからね」
「そんな変なところに入っちゃったの」
「うん、もう思い出すのもやな会社。男も仕事も最初が肝腎なのよねえ。写真一枚でだまされたもんね、まんまと。ひどいのよお、会社の全景写真だって就職案内に載ってるの見せられて、お人好しの親と田舎娘を安心させといて連れて来られたら、あんな大きな寮まである立派な会社だって親が喜んでたそれがさあ、ふたつの会社だったってわけ」
「二つの会社って」
「つまり、あたしが就職したのは寮だと思ってたほうで、それに重なって写っていた三階建てはべつの会社だった、という手品よ」
「わあ、ひどい」
「詐欺よお、れっきとした。ひどい会社だったのよ、そこは。職安もぐるになってたんじゃないかって思うわ。寮費や食事代や税金や、みんな引かれると約束した給料の半分にもならないし、寮だって二人で六畳間よ、ひどいったらなかったの」
客が入ってきた。
「あら、濡れてるじゃない、え、雨が降ってんのう」
女の子の頓狂な声に窓の外に眼をやると、粉糠雨らしく夕方の買い物籠を持った女たちが走って行くのが見えた。
あの日は吹雪だった、とあたしは思い出した。
朝まだき、上野駅にぞろぞろと降り立ったあたしたちを東京は容赦ない吹雪で迎えた。あたしは周囲の男女の子たち同様寒さに身をかがめ、それだけが新品のボストンバッグの脹らんだ重みをかじかむ手にささえていた。プラットホームに舞ってくる雪が風に巻き上げられて顔面にはりついてくる。あたしは空いている片手のてのひらや、セーラ服の上に羽織っているコートの袖で顔をぬぐった。ぬぐってみても無駄なのに、そうすることが最善だというみたいに何度もぬぐった。と、あたしの後方で女の子の泣き声がおこった。振り返ると、同じ車輌にのってきた子が泣いているのだ。両の手を荷物でふさいで、ちっちゃな子供のように泣いているのだった。その子のオーバーの胸に付けられた番号札がだらしなく取れかかっていた。その泣き声までがかじかんでいるように聞こえ、あたしの胸にはじめて強く心細さが落ちてきた。周囲の子のだれも、泣味噌のその子を嗤わなかった。眉もひそめなかった。かといって庇いも宥めもしなかった。みなそれぞれの不安な思いに堪えるのが精一杯だったのだ。
「ちかいうち、あたしお店やめるつもりなのよ」
耳もとの女の子の声に我にかえって、
「どうするの」
「かっこよくいえば引き抜かれたってわけ。駅裏にちょっとおっきなキャバレーあるでしょ、あそこ。年齢詐称だけどね」
「……」
「うだつあがんないものねえ、こんな喫茶店じゃ。ろくに貯金もできやしないもん」
プラットホームで子供みたいに泣きじゃくっていた女の子は、あたしではなかっただろうか。粉糠雨に濡れて歩きながら、あたしはあの日のかじかんだ泣き声が自分の胸奥から上げられたような錯覚にとらわれているのだった。自分の意志で上京してきたわけではなかったのだ。他のみちが絶たれていて、そうするしか方途がなかったから、十五歳のあたしは集団就職の臨時列車に乗ったのだ。ずっと後になって、あの就職列車は、正式には「計画輸送列車」と呼ぶのだと知って、あたしは胸に名札がわりに付けさせられた、職安の地域名と三桁の数字が記入された番号札を思い出し、東京に集団で売られたような何かおぞましい感じがしたものだった。
あたしは雨を吸ってべとついているセーターのお腹をそっとさすった。育っているかしらと思った。育っているにきまっている。かくじつに育っているのだ。まだ人間の形はしていないかもしれないが、あたしのお腹のなかを必死に泳いでいるのだ。しっかりしなければ、とあたしはおもった。あの喫茶店の女の子のように逞しくならなければいけない。
みんなどおしているだろう、あたしと一緒に都会に出てきた、あの年は八千人に上るという、毬栗頭やお下げの子たちは―。
へんに鮮やかな幟や旗が、吹雪にはためいていた。出迎えの人たちのとげとげしく見えた顔つき。けばけばしい看板の載ったビルディング。線路越しに見える、クラクションをやたらに鳴らす車の列。「今日からあなたは東京の人」と大書された看板。
あたしの仲のよかった子が、あたしをうらめしそうな眼で見た。彼女は神奈川方面の長い列に並び、東京組の列のあたしに、なにか目配せしていっていた。え、わからないよ、とあたしはいった。目尻が熱くなった。大丈夫よ、とあたしは眼で励ましを送った。なにが大丈夫なのか、いったあとでわからなくなった。後で、さよならをいおうと思った。神奈川組は―の会場に向かいまあす、とおらぶ声にはっとすると、その列がぞろぞろと動きはじめていた。ここでお別れなのだ、とあたしは唇を噛んだ。別れを惜しむ時間くらいは与えられると思っていたのだ。裏切られた思いが心に広がった。その女の子はこちらを振り向きながら押されるように歩いて見えなくなった。そのまま消息が絶えている。彼女の就職先に手紙を出したが、転送されてきたのだ。
二度とあんな目にあいたくない、とあたしはその光景を浮かべるといつもそうおもう。しっかりしなければ、あたしがしっかりしなければ。自分の人生なんだからしっかりしなければ。あたしは自分を叱った。
ツネオは襁褓を見せられて、驚いたようだという。どう驚いたのだろうか。釈放されるのだろうか。無実なら釈放されるにちがいない。釈放されないなら、あたしは弁護士事務所で働いているクラスメートに、いい先生を紹介してもらおうかと思う。費用のことは、後でかんがえればよい。けれども、もうツネオとは暮らしていけないだろう。あたしは独りで子どもを生むつもりになっていた。やれないことはないはずだ。賄いだって、旅館の下働きだってなんだってやろう。
ツネオがいつ釈放されるかわからないが、顔を合わせないうちにアパートを出よう。ツネオの顔を見たらきっと今の決意が鈍る、と思った。
容疑が晴れて七日目に釈放になった。
「きみが取調べのさいちゅう反抗的な態度を見せるもんだから、すっかりこっちも犯人だと信じ込んでしまったんだぜ。だが、もうよろしい。れいの電話がまた掛かってきたんだ。先生はその声にまちがいないという。きみでないことが、はっきりした」
警察署の体面を慮るだけの歯切れのわるい警察署長のことばにむっときたが、僕には謝罪を求める気力も残っていなかった。あしのうらで踏みつけにされた、という思いが疲れきった心身を領していた。今はただ早く、この堅牢でむごたらしい匂いのする建物を立ち去りたかった。
建物の汚れた階段を降りた。春子が転落したアパートの階段は朽ちてすこし足の踏み板が下がっているのだ。アパートの階段を降りる時はあれほど注意しろと言っていたのに、春子はそのとき尋常さを失っていたのである。両の手を荷物でふさいでいたという。ひとりで子供を生んで春子はどうやって育てていくつもりだったのだろうか。春子をそうまで追いつめたのは僕自身なのだ。
「おまえにとっては、僥倖だろうな」
春子が流産したことを僕に伝えた刑事は、小鼻をぴくぴくさせてなんだってお見通しさと言わんばかりにそういって肩をぽんと叩いたのである。
階段を降りきると、どかどかと靴音がして制服が数人、作業服の男をひいて階段を昇っていった。ちらと見たその男に僕は見覚えがあった。
「放免ってわけだ」
と、肩を叩かれふりむくと、初めに僕を取り調べた刑事が笑って立っていた。
「あれ、知ってるだろ。植字工だがな、がらにもなくあの女の先生に岡惚れしたってわけさ。ま、いい女だものな、わからんでもないか。やつ、すこし狂ってるんじゃないかな。おっつけ、真相はわかる。まあ、なにだ、きみも二度と警察の厄介にならないように心がけることだ」
事務をとっていた若い女がちらと軽蔑的な視線を僕におくってきた。
寒色に曇っている空を仰いだ。それはまるで、あしのうらのような空だと思った。威圧的に重く被さってくるあしのうらなのだ。踏みつけにされたのは僕ばかりではない。春子もまたそうなのだった。
「ちくしょうめ」
僕は唸った。ちくしょうめ、ちくしょうめ。唸りながら歩いた。
春子の担ぎこまれた病院に僕は向かっていた。複雑な思いで受け取った春子の転落による流産を、僕は春子との再出発のためにひつようだった犠牲として考えようとしていた。春子にもそう考えてもらいたかった。僕は春子との間に入ってしまった罅をしばらくの月日と愛情で埋めることが出来ると思っていたのである。アパートを出て行こうとした春子の心がどんなものであったか僕には想像できる。その時僕が春子の不信の対象であったであろうことも、わかるのだ。そうでなくてどうして春子はアパートを出ていこうとするだろう。独りで子供を生む。育てていく。そんな決意を春子にもたらすような態度を僕はとっていたのであった。
だが二十にも満たない僕にはそれがせいいっぱいの処し方であったと思う。せいいっぱいのそれが、春子をよけいに苦しめたとしてもしかたがなかった。僕はほんとうに春子を愛していた。それ故にそのような処し方しかできなかったのだということを、今も愛情は変わらないということを、春子に率直に伝えよう。春子を失ってはならないとおもった。
そう僕は、春子が去っていくかもしれない強い予感に、戦く心をささえようとしていたのだった。
Ⅴ
春子の故郷を訪ってみようと僕が思い立ったのは、そろそろ街にも人の表情にも年の瀬の遽しさがあらわれはじめた頃であった。
春子が僕のもとを去って一と月以上がたっていた。どうにか僕は玩具の会社に工員の職を得ることができ、残業にあけくれして春子を忘れようとつとめていたのである。学校はあれ以来行かなくなっていたので、そのうち籍を除かれるにちがいない。だが、もういいのだ。僕はどうしてあれほど高卒の紙っぺら一枚を欲しがったのか以前の自分が不思議なほどであった。
一度、あの女教師が訪ねて来たが、僕は部屋に招かなかった。憎しみは抱いていないが、もう顔を見るのも嫌だった。
くたくたになるまで体を酷使すると快い疲労が僕を深い眠りに誘った。休日になると酒場通いをした。ときに、はしごをして、嘔吐した。春子のことを浮かべるのはよそうと、僕は意識操作を行いながら、しかし次第に悔悟と反省の時を迎えつつあったようである。
「もう終わったのよ、終わっちゃったのよ」
心を閉ざすように、春子はいった。
「毎日さみしかったから、ツネオと一緒に暮らせて愉しかったよ。いままでで、いちばん愉しかった。でも、もう終わっちゃったのよ」
そうなのだ。僕にはわかっていなかった。いいことは長くつづいたりしない、という春子のことばはこういうことだったのだ。
色の剥げ落ちた手摺りのベッドで、寝返って向こうをむいてしまった春子の柔らかな耳朶にうっすらと血が滲んでいた。
しゃくりあげながら春子は背中を向けてそういった。それなら何故、と僕は聞いた。何故、最初からやり直すことができないのかと春子が不可解だったのである。
だが、春子は頑なに首をふりつづけた。
春子は行く先を告げなかった。退院するとそのまま去っていったのである。僕も問わなかった。田舎に戻ったのだろうとおもった。そこ以外、春子を迎えてくれるところはないのだ。だが、戻ったところでそこが春子にとって安住の地であるはずはなかった。そこに居られないからこそ春子は就職列車に乗ったのだから。
故郷の住所はわかっていた。向こうから届いた荷物の送り状を、春子は状差しに忘れていった。棄てようとして僕は思いとどまって仕まっておいたのである。春子とのつながりが完全に絶たれるような気がしたからだ。春子もそういうつもりで置いていったのかもしれないとおもった。そこを訪ねてみよう、とおもった。
会いに行くのではなかった。会いに行ってかりに春子が居たとしても、春子は会わないにちがいない。春子の生まれ育った場所をそっと歩いてみよう、と僕はおもったのだ。それはなんだか大切に仕まわれていた小さな木箱の臍の緒の包みをひらいてみるような行為だとおもった。春子の臍の緒にふれて歩くのだ。そして数日をそこで過ごし又こっそり帰って来よう。そうしたというだけで僕はずいぶん慰められるにちがいなかった。
クリスマスが終わって、会社は休みに入った。僕は春子の故郷への始発駅に向かう電車に乗っていた。遽しく人が乗り降りする。なにをそんなに買うものがあるのか大きな買物袋をいくつも持ってデパートの意匠を見せびらかすように年配の女が乗ってくる。僕はドアの所にたたずんでいた。網棚のへしあっている荷物の隙間に小さいバッグを押し込んである。その中に今夜の便の切符が入っているのだ。会社で従業員の帰省切符を給料天引きで一括して買うとき、そこへ割り込ませてもらって手に入れたものであった。
扉の向こうの風景がゆっくり流れ去っていくのを僕は放心して見ていた。さまざまな色彩の看板やビルや点り始めたネオンが、ふいに遮られた。電車が一方の線路に入ってきたのである。並んで走っていた。だいたい同じ速度で走っているらしく、向こうの電車がぼうふらのように浮いて見えた。ふわりと先を行くと又退りはじめる。その時―。
春子! 僕はほとんど叫びそうになった。向こうの混みあった電車の乗客の中に、吊革に手を伸ばしている春子の顔が霞んだように映じたのだ。
春子よ!
それは幻視であったか。眼を凝らして、ふたたびふわりと戻ってきた車輌の人の姿に春子を見つけようとしたが、もう僕の眼を射ることはなかった。
向こうの電車は速力を増して遠のいて行った。