崇神天皇の都は、大神神社の少し南の金屋にあっ
たとされますが、箸中山古墳との間に三宮はあり
ません。都の位置は神武天皇の都に対応し、墓の
位置は神武天皇の墓に対応していますから、三宮
がないというのは不思議です。
崇神天皇の時代、龍王山のふもとに大和神社が祭
られ、三輪山のふもとに大神神社が祭られまし
た。それぞれ神武天皇の墓と都に対応すると見る
ことができます。ところが祭られているのは神武
天皇ではなくて、オオクニヌシなのです。これま
た不思議です。
どうやら崇神天皇は出雲大神のたたりを恐れて、
邪馬台国の聖地にオオクニヌシを祭ることでその
怒りを鎮めようとしたようです。地図にそのこと
がよく表れています。
おそらくこれに連動して、邪馬台国の象徴である
三宮も作られなくなったと思われます。
大和神社は、長岳寺と龍王山を結んで三宮のよう
にも見えますが、事情があります。はじめ大和神
社は作ることに失敗したので、祭り主を替えて、
ようやく成功したとあります。おそらくこの時
に、三宮が取りやめになったのでしょう。
次は、飛騨へ飛びます。ここにも面白いものがあ
ります。
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