□「平成28(2016)年ブログ」NO.1  平成28年1月1日〜3月31日   ♪BGM 
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  • ■「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦」
    平成28年3月24日
    「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦」
     今月は両国の江戸東京博物館を巡り、いつものお仲間との懇談はちゃんこ鍋を突つくことになっていた。この博物館で常設展示されている「江戸博」は一度見ておきたいと思っていたので、...続きを読む
  • ■「久しぶりの青葉国際交流ラウンジ」
    平成28年3月17日
    「Stone 石展」
     平成26年4月に非営利活動法人(NPO法人)横浜青葉国際交流の会として装いも新たに活動を展開することとなり、この会の正式な会員として、新たなボランティア活動への挑戦を始めたばかりだったが、...続きを読む
  • ■「Stone 石展」
    平成28年3月16日
    「Stone 石展」
     今、神奈川県立博物館でかながわの歴史を彩った「石展」が開催されているので、「再興100回 院展」に続き梯子した。本館には今まで何回となく訪問したが、今展は出入り口がいつもとは逆に設定されており、...続きを読む
  • ■「再興100回 院展」
    平成28年3月16日
    「再興100回 院展」
     ボランティア仲間のOGさんからお招きを頂いたので、横浜のそごう美術館で開催されている「再興100回 院展」を観に行った。同人作家34人の作品と、一般作家50人の作品合せて84点が展示されていた。...続きを読む
  • ■「同窓生との語らい」
    平成28年3月7日
    「同窓生との語らい」
     昨年11月中学校時代の友人の仲立ちで、東京で51年ぶりに高校の同級生と巡り合った。学生時代クラスも異なり付き合いはなかったが、当時を共有する感性は時間軸を超え、まるで親しき友人との再会を彷彿させた。...続きを読む
  • ■「エプソン・アクアパーク」
    平成28年2月23日
    「(続)暖冬の兆し」
     都会のど真ん中に水族館があると聞いて、年甲斐もなく出かけようということになった。品川だから海に近いといえば近いが、再開発後の品川はどう見ても都会のど真中、そんなところに水族館をしつらえるなんてどういうことなんだろうと...続きを読む
  • ■「キャパの十字架」
    平成28年2月17日
    「キャパの十字架」
     毎週月曜日に本屋に立ち寄り、好きな本漁りを続けているが、年金生活者にはハードカバーの高い本には手が届きにくくなってきた。最近では、文庫本コーナを中心にしか回らないことにしているが、...続きを読む
  • ■「満開となった我が家の梅の木」
    平成28年2月13日
    「満開となった我が家の梅の木」
     今年は、例年に比べ寒暖が目まぐるしく変わる日々となっている。1日の中でもその差が大きく変動しているので、体調管理に苦慮している。そんな中、久しぶりに庭に出たら、梅の木が満開になっていた。...続きを読む
  • ■「石川竜一展」
    平成28年2月13日
    「石川竜一展」
     横浜トリエンナーレサポータ「企画・イベントチーム」主催の「ごっつしばいたろうか現代アート」が、横浜市民ギャラリーあざみ野で開催された。講演者は同ギャラリー主席学芸員の天野太郎氏。...続きを読む
  • ■ 「最近思ったこと」
    平成28年2月11日
    「最近思ったこと」
     1月中頃、廃棄食品横流し事件が各報道機関で大きく取り上げられた。またぞろという感じで、各社一斉に廃棄業者をたたきまくっている。確かに、ゴミが食べ物に逆戻りさせられたり、...続きを読む
  • ■「今年の立春に想う」
    平成28年2月6日
    「今年の立春に想う」
     1月は、異国の方との交流のことでまとめをしなければいけなかったことや、帰省しなければいけなかったことなど猛烈に忙しかったので、外に出る暇もなかった。 ...続きを読む
  • ■「(続)我がふるさとの創生に想う」
    平成28年2月3日
    「(続)我がふるさとの創生に想う」
     昨年の11月、JR福井駅の前で巨大な恐竜のモニュメントに出会った。故郷の再生・創生にかける思いが伝わってきた。ところが、今年の2月、このモニュメントは姿を隠していた。...続きを読む
  • ■「(続)かたいけのぉ」
    平成28年2月2日
    「(続)かたいけのぉ」
     1月18日の週に帰省したことは概報したが、それは姉の病が嵩じ弟の小生が後見として面倒を見なければならなくなったからである。諸事の機関に諸事の届け出・申請をしなければならず、先週1週間は申請書作成に忙殺。...続きを読む
  • ■「(続)異国の人との交流」
    平成28年1月25日
    「(続)異国の人との交流」
     先般(1月13日の記事)「異国の人との交流」で我ら隠居の仲間が心尽くしの贈り物を送ったことを掲載したところだが、1月18日に無事届いたことが分かった。...続きを読む
  • ■「怒り心頭に・・・」
    平成28年1月23日
    「怒り心頭に・・・」
     年末にひいた風邪が治りきらないまま、今冬一番の寒気に見舞われたこの週に帰省し、あちこち飛び回らなければならなかったので体調は一向によくならず、本日予定されていたWFP応援団主催の講演会を休まざるを得なかった。...続きを読む
  • ■「大雪のパニックに遭遇した日」
    平成28年1月18日
    「大雪のパニックに遭遇した日」
     この日実家に行かなければならないことがあって、前日までに準備万端整えていたのだが、天気予報については迂闊にも軽く見過ぎていた。前日夜遅くの天気予報をみて明日降雪するらしいことを知り、当日は朝5時ごろに目を覚まし外の様子を確認した。...続きを読む
  • ■「博物館に初もうで」
    平成28年1月14日
    「博物館に初もうで」
     東京国立博物館で新春特集展示「博物館に初もうで」が開催されているので観に行こうと誘われ出掛けた。新年恒例の企画になっている新春特別公開では「富嶽三十六景・凱風快晴」や国宝「松林図屏風」をはじめとする名品が展示され、...続きを読む
  • ■「中島清之 日本画の迷宮展」
    平成28年1月13(9)日
    「中島清之 日本画の迷宮展
     横浜市民ギャラリーあざみ野のお声掛りを受け、お仲間たちと横浜美術館で開催中の「中島清之 日本画の迷宮展」を観に行った。担当学芸員から事前のレクチュアーで、この芸術家のことを初めて知った...続きを読む
  • ■「異国の人との交流」
    平成28年1月13日
    「クリスマスカード」
     平成25年10月に我々隠居仲間が横須賀にWalking Tourをした際、外国語青年招致事業(JET:The Japan Exchange and Teaching Programme)で招聘され、山形で3年間英語を教えてきた英国の女性と偶然な出会いをし...続きを読む
  • ■「七福神巡り」
    平成28年1月5日
    「七福神巡り」
     この日、ご隠居のグループから「七福神巡り」を誘われた。風邪をこじらせたため新年の心構えを固め損なってしまったので、神仏の前で本年の心構えを祈願し、今年1年の決意にしようと思った。...続きを読む
  • ■「新年を迎えて」
    平成28年1月10日
    「新年を迎えて」
     年末にひいた風邪をこじらせ、新年早々から鼻水や咳や悪寒に悩まされ、新年の決意どころではなくなった。ティシュペーパの箱を抱え、鼻をすすりながら雑煮をすすり込む様はここ何十年も記憶にない。...続きを読む

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  • ■ 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦」
    平成28年3月24日
  • 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦」
    「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦」
     今月は両国の江戸東京博物館を巡り、いつものお仲間との懇談はちゃんこ鍋を突つくことになっていた。この博物館で常設展示されている「江戸博」は一度見ておきたいと思っていたので、興味津々の面持ちで出かけた。ところが博物館の前で、特別展を併せて観賞しようとすると鑑賞する時間が足りないことが分かり、二者択一を迫られることとなった。

     特別展とは、万能人と言わている「レオナルド・ダ・ヴィンチの−天才の挑戦展」なのだ。万能人の作品には滅多に出会えるものではない、我々の決断は数秒もかからなかった。もう1時間ほど早めに来ていたら「江戸博」も鑑賞できたのにとの思いを残しながらも、この万能人の作品に出会える幸運に、昂ぶる気持ちを抑えながら入場券を買った。

     絵画や彫刻だけではなく、解剖学、地質学、水力学、果ては音楽家、軍事技師、建築家としても活躍されたことを、乏しいながらも知っていたが、展示されている直筆ノート「鶏の飛翔に関する手稿」や直筆のデッサン、模型などを直接見ることができたことで、改めてかの作家の偉大さを感じた。とりわけ、油彩画の「糸巻きの聖母」(日本初公開の円熟期の作品とのこと)には、観る者を惹き込んで離さないオーラが漂っている気がした。

     入場口で、この絵の前では長い列が出来、20分以上は並ばないと見られないとの忠告を受けていたのだが、30分以上も待たされた。この日、日曜祭日でもなく、真冬を思わせる寒い日であったのにもかかわらずこんな状況。有名画であるゆえの物珍しさもあるのかもしれないが、この絵が発するオーラのなせるわざなのだろうと思った。そして、この前で金縛りになるのは決して大げさではない気がした。

     この展覧会は4月10日まで開催されていますので、人類史上折り紙付きのこの「万能人」に巡り合いたいとお思いでしたら、是非のお出かけをお勧めします。

     なお、本展の詳細はこちらからどうぞ。



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  • ■ 「久しぶりの青葉国際交流ラウンジ」
    平成28年3月17日
  • 「久しぶりの青葉国際交流ラウンジ」
    「久しぶり青葉国際交流ラウンジ」
     平成26年4月に非営利活動法人(NPO法人)横浜青葉国際交流の会として装いも新たに活動を展開することとなり、この会の正式な会員として、新たなボランティア活動への挑戦を始めたばかりだったが、やんごとなきことが重なりその年の8月に所属していた「情報広報部会」を辞退せざるを得なくなった。属していることで却って迷惑をかけるとの判断から決断したところであったが、部会を去ることは断腸の思いであった。なんのお役にも立てず、会のメンバーに迷惑をかけただけではなかったかとの思いに苛まされる日々が続いた。

     それから1年半以上過ぎ、決断がおおむね正しかったことに自信を持てるようになった今年の2月上旬に、ラウンジから電話が入った。3月17日にお手伝いできないかとのことだった。ラウンジにはスポットボランティアの登録だけは残していたので、そこから声がかかったのである。小生の思いは既に過去の彼方へ埋没しかかっていた折なので、思い出すのに少々時間が掛かった。

     未だやんごとない重なりは解消していないので、フルの応援はでき兼ねる状況ではあるが、その日にお手伝いを入れることに問題がなかったので、お役に立てるのであればとの思いからお引き受けさせていただいた。当日は、情報誌の発送と国際児童画展の雑物整理に汗を流した。久しぶりの会議室で、久しぶりのお仲間と、久しぶりの会話を交わしながら、久しぶりに有意義に時間を使うことができ、自分を苛んでいた気持ちが雲散霧消した。そのことは、初夏を思わせる晴れ渡った空が象徴していると思った。

     お仲間の、前向きでひたすらな気持ちには、ますます磨きがかかっているように見受けられ、今回も大いに触発された。久しぶりに充実した1日となったが、未だフルでのお手伝いは難しい。であれば、これからは、お仲間たちの一層のご活躍をお祈りするしかないところだが、この日の晴れ渡った空が暗示していることは、触発されたお返しを求めていることである。それは、ラウンジからの電話を可能な限りお受けすることであろう。暗示に逆らえないことを本日お仲間の熱い心意気が象徴していた。心するしかない。



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  • ■ 「Stone 石展」
    平成28年3月16日
  • 「Stone 石展」
    「Stone 石展」
     今、神奈川県立博物館でかながわの歴史を彩った「石展」が開催されているので、「再興100回 院展」に続き梯子した。本館には今まで何回となく訪問したが、今展は出入り口がいつもとは逆に設定されており、趣向を凝らした展示となっている。かながわの大地を形作ってきた歴史から解きほぐし、それらの石(岩石)を利用してきた神・祭事や、生活の営み、城壁をはじめとした建築や、工芸品等への応用など、考古学、歴史学、民族額、芸術学の幅広い視点から解説、展示されている。

     普段石に関心を持たぬまま過ごしてきたが、人類の歴史にこれほどまでに密着し、人類がどれほど恩恵を受けてきたか、案内の言葉にある「人々のくらしを支え、時には権力の象徴ともなった」ことを改めて思い知らされた。石に思いを馳せ、国家構築や文化の構築に大きな役割を果たしてきた石の歴史を訪ねることは意義のあることと思った次第である。

     この日案内してくれたボランティアの方から、本博物館は近々内装の工事を予定しているので、2年間ほど閉館になるとお聞きした。本日は彼ら彼女たちの最後の説明になるとかのことで、とても熱心に解説していただいたことに拍車をかけられ、一層その思いを強くした。3月27日まで開催されているので、是非足を運ばれることをお勧めしたい。

    なお、本展の詳細はこちらから見られます。




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  • ■ 「再興第100回院展」
    平成28年3月16日
  • 「再興第100回院展」
    「再興第100回院展」
     ボランティア仲間のOGさんからお招きを頂いたので、横浜のそごう美術館で開催されている「再興100回 院展」を観に行った。同人作家34人の作品と、一般作家50人の作品合せて84点が展示されていた。いずれも大作で日本画の神髄を見せつけられた。

     カンバスの隅々まで、どんなに小さい対象物(例えば、花びらや小枝、葉っぱや小動物等々)も繊細、丁寧に描かれており、完成に至るまでどれほどの工数が掛かったのかと想像し、これらの作品の前で釘づけとなってしまった。人に感動を与える作品には、気の遠くなりそうな手数に裏付けられた作家の信念が滲み出ている気がした。

     84点を見終わり、心が、日常のしがらみや喧騒から解放され、ほのぼのとしてきていることが実感できた。日本画の持つ感化力なのであろう。お暇があれば是非ご覧いただくことをお勧めしたい。

     今般は、一般作家の中にボランティアで知り合った方の作品を見つけた。作品から滲み出ているその方の新たな一面を垣間見ることが出来、感動もまたひとしおのものとなった。このような幸運も出かけなければ遭遇しない。幸運に与られるようこれからも美術巡りに出かけようと思った。

    なお、本展の詳細はこちらから見られます。
    また、本展の同人作家34人の作品はこちらから見られます。



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  • ■ 「同窓生との語らい」
    平成28年3月7日
  • 「同窓生との語らい」
    「同級生との語らい」
     昨年11月中学校時代の友人の仲立ちで、東京で51年ぶりに高校の同級生と巡り合った。学生時代クラスも異なり付き合いはなかったが、当時を共有する感性は時間軸を超え、まるで親しき友人との再会を彷彿させた。そして彼の計らいで、2月21日に芝のホテルで開催された関東地区の同窓会総会に引き回され、そこでまた、何人かの懐かしい同級生と再会を果たすこととなった。古稀を過ぎ、故郷を離れた仲間との思わぬ再開に感激もひとしお、会場での話は弾まないはずがなかった。

     その日、その友人と彼の親友に、この続きを3月7日にするから大塚まで出てくるよう誘いを受けていたので、未だかつて降りたことのない大塚駅で彼らを待った。お仲間は小生を入れて4人(先ほどの二人に加え、女性の同級生が一人遠方より駆けつけてきた)。先の親友に連れられていった先は、株式会社〇〇と書かれた3階建てのオフイス(元銀行の支店があったところを買いとったとのこと)。

     オフィスに入ってすぐに2階の会議室に案内された時には、さすがに場違いなところに来てしまったと思ったが、出迎えてくれた社長が何と、総会の時に会った同級生のSさんだった。名刺はもらっていたので社長をされているのは知っていたのだが、まさかこんなに立派なオフィスを構えられているとは・・・。

     先の親友によれば、本日はこの社長のおもてなしを受けながら、先の続きを行うというものだった。早速社長行きつけのお店へと場所を変え、我が同級生の2月21日に引き続く懇談がはじまった。46歳の時に勤めていた会社が倒産し、一念発起して会社を設立したと淡々と語る社長の話に、同期とは思えない大人(たいじん)の風格が滲み出ていた。話の端々に我々の想像を超えた苦労が窺い知れるが、自慢をするわけでもなく、見せびらかせるわけでもなく、ひたすら自分の歩いてきた道を穏やかに語る友の話に、心をえぐられた。

     1年に2日間位しか休みをとれないほど社長業は厳しいものらしいが、その物腰、言動にその片鱗は全くうかがえない。こんな男を同郷のしかも同級生で持てたことを本当に誇りに思った。惰眠を貪ってきた我が身の置き所もなく、「うぅうぅ」と発するばかり。

     先の親友たちも、未だ現役に近い活躍をしている。某大手の出版会社で活躍しているU君が、この社長にその出版社の新書版1,100冊を母校に寄付することを仲立ちした話を聞いた時に、社長はもとよりこの友人にも久しぶりにガツンと気合を入れられ、触発されるということの真の意味に気付かされた思いがした。

     51年ぶりに触発し合える友人を持てたことを幸運に思う。であれば、これからも長く付き合っていかなければならないが、触発されたことを証明していかなければならない。真の友人との付き合いのルールなのだと思う。



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  • ■ 「エクソン・アクアパーク」
    平成28年2月23日
  • 「AQUA PARK」
    「AQUA PARK」
     都会のど真ん中に水族館があると聞いて、年甲斐もなく出かけようということになった。品川だから海に近いといえば近いが、再開発後の品川はどう見ても都会のど真中、そんなところに水族館をしつらえるなんてどういうことなんだろうと興味津々で出かけた。もっとも我々の真の目的は、月に一度飲食(飲みに重点)を兼ね、巷の状況について熱く語り合うことにあるが、いきなり、激しい議論と言うわけにもいかず、最近は美術館巡りをし気持ちを和やかにしてから始めることにしているのだ。

     で、今回は、美術館とは少し異なるが話題性の高いこの場所を選んだのだが、品川駅を降りたとき、今更水族館でもなかろうという気持ちが興味津々を上回り始め、足の運びが重く感じられた。ところが、中に入って驚いた、デジタル技術と生き物が融合したタッチパネル水槽(案内の説明書通り)や、イルミネーションと共生するがごとくのクラゲの水槽や、限られたフロア―・空間を最大限活かした娯楽設備(ボート・オブ・パイレーツ)など、都会ならではの工夫に満ちた仕掛けが施されていたからである。

     圧巻は、イルカのショウである。屋内にこんなプールをしつらえるのさえ想定を超えている。水を何処から運んできているのかとか、こんなに多くのイルカを何処で飼育しているのかなど、興味は尽きない。都会のど真ん中にあるからこそそう思うのであって、小生に限って言えば、この会社の思惑は小生の的を射ていた。

     午後5時を過ぎ退社の時刻になった頃、若い二人連れの入場が目立ってきた。彼らがどういう意図で来ているのかとても気になった。この会社の思惑が、小生の思っているところとはまた別の点にあるのかもしれない。昔の思い出を手繰ってみたがとんと思い出せず、彼らの意図が分からずじまいで、本番の懇談に臨むこととなった。議論が上滑りになったのはこのせいかもしれない。

  • ■「AQUA PARK」
    「クラゲの水槽」
    「クラゲの水槽」
     イルミネーションと共生しているように見えるクラゲの回遊は幻想的であり、最新テクノロジーの息吹を感じさせる。  

  • 「ワンダー・チューブ」
    「ワンダー・チューブ」
     海底から海中の魚の遊泳を見られるのは、この水族館以外にも多々あると思うが、都会のど真ん中であることを思うとひとしおの感慨も湧く。
  • 「オットセイ」
    「オットセイ」
     こんな動物もこんな都会の建物の中にいるとは、俄かには信じ難い。
  • 「イルカのショウ」
    「イルカのショウ」
     圧巻は、イルカのショウである。屋内にこんなプールをしつらえるのさえ想定を超えている。拡大してご覧いただければ、臨場感が味わえます。


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  • ■ 「キャパの十字架」
    平成28年2月17日
  • 「キャパの十字架」
    「キャパの十字架」
     毎週月曜日に本屋に立ち寄り、好きな本漁りを続けているが、年金生活者にはハードカバーの高い本には手が届きにくくなってきた。最近では、文庫本コーナを中心にしか回らないことにしているが、初刊から時間が経過したものでも好きな本に出合うと本当にうれしくなってしまう。先々月から、遠い記憶に引っかかっていた本があった。優先したい本があったので後回ししていたが、先般読み終えて、小生の気に入りの1冊となった。記憶に引っかかってからタイムラグはあったものの、抱いていた好奇心を満足させてくれた知的刺激を久々に味わうことが出来た。この本に出会えたことを、素直にうれしく思う。

     今から3年ほど前、横浜市民ギャラリー「あざみ野カレッジ」で開催された 横浜美術館主席学芸員 天野太郎氏による「キャパ、知られざる実像」の講演を拝聴したことがある。世界で最も著名な報道写真家の一人であるロバート・キャパの作品「崩れ落ちる兵士」:この写真は1936年のスペイン内戦の折、従軍したロバート・キャパが、コルドバで頭を撃ち抜かれ倒れる瞬間の人民戦線兵士を撮ったということになっている:が専門家の間で話題になっているらしいという講義であった。

     本当は、どういうシチュエーションで撮られたのか、ほんとは誰が撮ったのかということだったと記憶しているが、講師の話に惹き込まれ、写真展にも出かけ、その真贋論争に興味を掻き立てられたことが思い出される。3年待って、今般その謎解きに迫るこの本に感銘を受けた。著者の推理力とその想定・構築した論理の証明に奔走する活動力に敬服するしかない。写真の知識に全く乏しい小生が引きづり込まされたこの本の魅力をお伝えしたく、この記事を記すことにした。お暇な折に是非お読みいただけることをお勧めしたい。

          □ご一読お勧めの本
           書名  キャパの十字架(文春文庫)
           著者  沢木耕太郎
           発行  文芸春秋

    「キャパ、知られざる実像」はここから参照できます。

  • ■「キャパの十字架」
    「崩れ落ちる兵士」
    「崩れ落ちる兵士」
     世界で最も著名な報道写真家の一人であるロバート・キャパの作品「崩れ落ちる兵士」:この写真は1936年のスペイン内戦の折、従軍したロバート・キャパが、コルドバで頭を撃ち抜かれ倒れる瞬間の人民戦線兵士を撮ったということになっている:が専門家の間で話題になっているらしい・・・。



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  • ■ 「満開となった我が家の梅の木」
    平成28年2月13日
  • 「満開となった我が家の梅の木」
    「満開となった我が家の梅の木」
     今年は、例年に比べ寒暖が目まぐるしく変わる日々となっている。1日の中でもその差が大きく変動しているので、体調管理に苦慮している。そんな中、久しぶりに庭に出たら、梅の木が満開になっていた。昨年より1-2週間早いのではないかと思う。木の手入れも怠りがちなので枝ぶりがボウボウ。咲く花は主人(あるじ)を見返すように、ボウボウの枝一杯にこれでもかと咲き誇っている。

     この地に住まって30年、小生は、一度も梅の実を収穫したことはなかった。もっとも、この間手入れなどしたことがないので、梅の実は主人の気持ちを忖度することもなく、てんでんばらばらだったこともあって、収穫する気には至らなかったのだ。それでも30年も経つと愛おしさがでて、数年前枝ぶりを少しばかり整えたところ、梅の木もそれに応え、少々ましな実を付けるようになった。

     主人としては、その応えようには満足とまではいかないが、愛いな奴め、と思い昨年思い切って収穫してみた。突然の行動に「どうする積り!」と、畏きお方から激しく抗議を受けたが、思いのほかの収穫に持っていき場のなくなった矛先を横目でにらみながら、一人悦に入った。5kg以上の収穫があった。さすがにこんなに取れるとは思いもしなかったので、少々焦ったが顔に出すわけにもいかず、梅酒を作ると宣言。ネットで作り方を検索し、生まれて初めて梅酒作りに専念した。

     まさか、3gボトルが3本も必要とは・・・一瞬躊躇したが、ええいっ、ままよと勢いに任せ仕込んだ。3か月後(8月末)、待ちに待った最初の一口に狂喜乱舞してしまった。上々の出来とはこういうことを言うのだろう。実の形はいまいちだが酒に溶け込んだエキスはなかなかのもんである。自然と杯が進み健康酒の域を超えてしまうが、一人で飲むには重荷で、最近は一向に減らなくなってしまった。

     今年も収穫の時期が迫ってきたので、最後の追い込みをかけているところだが、果たして間に合うかどうか。それを察してか、花が一段と鮮やかになり、追い込みに拍車をかけてきた。梅酒造りも命がけと言ったところだ。

  • 「まさかの梅酒3ボトル」
    「まさかの梅酒3ボトル」
     まさか、3gボトルが3本も必要とは・・・一瞬躊躇したが、ええいっ、ままよと勢いに任せ仕込んだ。3か月後(8月末)、待ちに待った最初の一口に狂喜乱舞してしまった。上々の出来とはこういうことを言うのだろう。実の形はいまいちだが酒に溶け込んだエキスはなかなかのもんである。自然と杯が進み健康酒の域を超えてしまうが、一人で飲むには重荷で、最近は一向に減らなくなってしまった。


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  • ■ 「石川竜一展」
    平成28年2月13日
  • 「石川竜一展」
    「石川竜一展」
     横浜トリエンナーレサポータ「企画・イベントチーム」主催の「ごっつしばいたろうか現代アート」が、横浜市民ギャラリーあざみ野で開催された。講演者は同ギャラリー主席学芸員の天野太郎氏。この講師のお話は何回か拝聴したことがあるが、とても面白いので(現代アート、とりわけ写真芸術の解説は聴衆を惹きつけてやまない)待ち遠しい講演だった。

     演目は「考えたときには、もう目の前にはない 石川竜一展」。のっけから、写真家石川竜一が近来稀に見る写真家であるとの絶賛から始まった。2-3年前に会って写真を百数十枚見させてもらったとき、1枚も不可と思しきものがなくおどろいた、という。30歳そこそこの若手写真家ではほとんど例がないからのようだ。そして、2014年に最初の写真集を2冊同時に出版したらしいが、普通こんな若手が2冊も同時に出せないことや、余程のものでない限り出版社が引き受けないことからも衝撃的なデビュとなったようだ。

     最初に写真を見たときから、いずれ木村伊兵衛写真賞を取るだろうと確信した、という。それが昨年(2015年)実現したらしく、この偉才への絶賛に拍車がかかった。講師・キュレータの心を揺さぶった写真に興味津々の面持ちで作品を鑑賞したが、どこがすごいのか正直分からなかった。所詮、素人には分かりずらいもんだ、と、自嘲気味に出口近くで講師の言葉を反芻しながら、頂いたパンフレットを読み込んだ時、この写真家の次の言動に惹かれた。

     写真は、そもそも自分の考えている通りには撮れないものらしい。予定していなかったものが映り込んでいたりして、コントロールができないのだそうだ。それゆえに、写真家には予期せぬことの発見が醍醐味でもあるようだが、彼にとっては、物体は写っていても撮った時の気持ちや自分の状況がないと、何も写っていない無意味なものでしかない。だから、そんな思いを一つの写真の中へ詰め込み、気持ちを写真にしてみたい、コントロールしよう、と色々なやり方を模索してきている。と言い、

     さらに、写真を見ることで自分のことや相手のことに気づかされていって、そこから写真ではなくて、毎日の自分というものを考えたり、写真を通して何か経験出来たりしたらいいなと思っている「思考方法としての写真」を、ポートレートやスナップ写真で実践していこうとしている。と言っている。これらの言動に、写真の素養に乏しい小生の心はえぐられ、再度の鑑賞を促がされた。

     言動に触れすぐに理解できたわけではないが、サイケチックな「脳みそポートレート」や「ryu-graph」の作品に、写真家の非凡な思い入れが伝わってきた。とりわけ、「okinawan portraits」からは、人々の素の姿・生き様のようなものが感じ取れた気がした。解説を受けなければ何の印象も受けずに素通りしてしまうが、見方をちょっと知っただけで、作品の奥深さを思い知らされる。いつもながらのことだが、今回も新たな写真芸術の入口まで誘(いざな)われたことを嬉しく思った。これからは写真展にも出かけなければなるまい。

     なお、本展と並行して、ウイリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが世界で最初の写真集を出版した「自然の鉛筆」を読むが開催されている。暗い部屋の外にある像が、壁にあけた穴を通ると反対の壁に倒立した像が映ることは、大昔から知られていたらしいが、その瞬間の像を紙に刻印して残すことについては、19世紀半ばまで実現できなかったとのこと。いわゆる写真の発明である。展示されている写真機等の機材や、作品からタルボットが写真を生み出してきた過程が分かる仕掛けになっている。

     解説者の言葉によれば、このように両方意義のある展覧会を同時に、しかも無料で見られるのは、とてつもなく贅沢で幸運なことの様である。2月21日まで開催されているので、是非お足をお運びいただければと思う。幸運に与れますように!

     なお、本展の詳細はこちらから入れます。

  • ■「偉才の写真」
    「サイケチックな写真」
    「サイケチックな写真」
     言動に触れすぐに理解できたわけではないが、サイケチックな「脳みそポートレート」や「ryu-graph」の作品に、写真家の非凡な思い入れが伝わってきた。
  • 「ポートレート・スナップ」
    「ポートレート・スナップ」
     とりわけ、「okinawan portraits」からは、人々の素の姿・生き様のようなものが感じ取れた気がした。解説を受けなければ何の印象も受けずに素通りしてしまうが、見方をちょっと知っただけで、作品の奥深さを思い知らされる
  • ■「自然の鉛筆」を読む
    「自然の鉛筆」を読む
    「自然の鉛筆」を読む
     暗い部屋の外にある像が、壁にあけた穴を通ると反対の壁に倒立した像が映ることは、大昔から知られていたらしいが、その瞬間の像を紙に刻印して残すことについては、19世紀半ばまで実現できなかったとのこと。いわゆる写真の発明である。
  • 「自然の鉛筆表紙」
    「自然の鉛筆表紙」
     ウイリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが世界で最初の写真集を出版した「自然の鉛筆」の表紙


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  • ■ 「最近思ったこと」
    平成28年2月11日
  • 「最近思ったこと」
    「最近思ったこと」
     1月中頃、廃棄食品横流し事件が各報道機関で大きく取り上げられた。またぞろという感じで、各社一斉に廃棄業者をたたきまくっている。確かに、ゴミが食べ物に逆戻りさせられたり、料亭等で出てくる客の食べ残しを調理し直されたり、有名菓子店で余った商品が再使用されたりといった過去にも起こった、このような事件は正当化できるはずもなく、厳正に処断されなければならない。が、どこかおかしい。以前、このHPでこの問題に関する義憤を掲載したことがあるが、未だこの問題の本質的な追及をし、広く国民に知らしめ、食にたいする意識改革を訴え続けている報道に出くわしたことがない。

     今我が国で、3分の1の食料が捨てられているらしい。先進・一流国の条件であるか如くの思い上がった規制(賞味期限、消費期限)のもと、食べても全然問題のない食料品がバンバン捨てられているのだ。もちろん、冷蔵庫の中で少し古くなったものなどもなんの痛痒も感じなく捨てている。世界で8億人を超える人々が飢餓で苦しんでいるというのに・・・。どこかおかしくないだろうか。

     法を犯す廃棄業者に肩を持つ気は毛頭ないが、食べられる多くの食品を前にして全部捨てろと言われたら、まともに生きてきている者なら気が変になるに違いない。そんな、本質的なところにメスを入れて、思い上がった食への意識を改革していかなければならないのに、今般ものど元を過ぎたら各社口をつぐんでしまった。何もかもが商業主義に犯されているとしか思えない。

     子供のころ、母親や近所の年寄りから食べ物を粗末にすると罰が当たると言われ続けた。我が国が天罰を食らう日がそう遠くない気がしてならない。

     小生の義憤「もったいないに想う]はここから参照できます。



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  • ■ 「今年の立春に想う」
    平成28年2月6日
  • 「今年の立春をに想う」
    「暖冬下の我が谷戸の梅林」
     1月は、異国の方との交流のことでまとめをしなければいけなかったことや、帰省しなければいけなかったことなど猛烈に忙しかったので、外に出る暇もなかった。暖冬と言われていたところ、1月18日に雪に見舞われてから一変寒い冬に戻ってしまったことも影響していたかもしれない。

     やっとひと段落したので、我が家の近くにある里山へ散歩に出かけた。天気に恵まれてはいたが風が冷たく、例年経験する立春直後の季節感であった。ところが、谷戸にある梅林に目をやると、もうすっかり満開に近い梅の花が咲いていた。未だ正調(成調?)には程遠い鶯の鳴き声も聞こえてきた。いつもより1-2週間は早いのではないかと思いつつ、梅の花に見入ってしまった。

     梅の花もいつもより少し赤みが勝っているように見える。暖冬のせいなのだろうか。そういえば、我が畑のスナップエンドウが早く育ち過ぎ、今般の雪にやられてしまった。いつもならもう少し暖かくなったころに茎をのばすところ、早めに伸ばしたため、重たい雪にやられてしまったのだろうと思う。身近なところで暖冬の影響が起こっている。これからどんなところに起こってくるのか、梅の花びらの赤さがとても気になった。



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  • ■ 「(続)我がふるさとの創生に想う」
    平成28年2月3日
  • 「(続)我がふるさとの創生に想う」
    「(続)我がふるさとの創生に想う」
     昨年の11月、JR福井駅の前で巨大な恐竜のモニュメントに出会った。故郷の再生・創生にかける思いが伝わってきた。ところが、今年の2月、このモニュメントは姿を隠していた。何でも、新幹線を通したときの街づくりに邁進しているとのこと。

     それが完成した暁には、元の場所に戻ってくるらしい。いま、駅前広場(右の写真)は、猛烈な勢いで再開発されており、昔の面影は何処を探しても見当たらない。まさかプラネタリームが駅の真ん前に来るとは・・・。

     「我がふるさとの創生に想う」の記事はここから参照できます。



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  • ■ 「(続)かたいけのぉ」
    平成28年2月2日
  • 「(続)かたいけのぉ」
    「(続)かたいけのぉ」
     1月18日の週に帰省したことは概報したが、それは姉の病が嵩じ弟の小生が後見として面倒を見なければならなくなったからである。諸事の機関に諸事の届け出・申請をしなければならず、先週1週間は申請書作成に忙殺。1月31日に再度帰省し諸機関への申請等の対応に追われたが2月3日に一通り初期の対応を終えた。

     ほっとして、食事に行きつけの小料理屋に行き、慣れ親しんだ壁を眺めたら、相も変わらない古ぼけたのれんに墨書された「かたいけのぉ」の文字が昔のまんま踊っていた。郷土の言葉で「お元気ですか」という意味であるが、今回ほど身に沁みたことはない。先般、本題で記事をしたためてからもう4年、年を重ねた分心身の摩耗は加速化されていたからである。

     それでも、でき得れば姉が昔を取り戻し元気になってもらいたいと願わずには居られず、壁ののれんに向かって「おーきんのぉ」と応え、そして、能う限り姉に「かたいけのぉ」と寄り添っていこうと誓い、杯を収めた。

     4年前の「かたいけのぉ」はここから参照できます。



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  • ■ 「(続)異国の人との交流」
    平成28年1月25日
  • 「(続)異国の人との交流」
    「(続)異国の人との交流」 
     先般(1月13日の記事)「異国の人との交流」で我ら隠居の仲間が心尽くしの贈り物を送ったことを掲載したところだが、1月18日に無事届いたことが分かった。彼女はいつも身辺に起こったことをブログに掲載しているので、そこに掲載されたことをいち早くチェックしたお仲間から連絡を受けたからである。ここに掲載した写真は彼女のブログに掲載されたもので我々が送った贈り物が詳細紹介されている。

  • 「ブログに掲載されたお礼のメッセージ」
    「ブログに掲載されたお礼のメッセージ」
     悪戦苦闘、大騒ぎして送ったものが無事に届いたことと、彼女が喜んでくれたメッセージを確認しお仲間の喜びはひとしおのものとなった。彼女は1月からボランティアで3か月ほどタンザニアに行くことを知っていたので、これらの贈り物を手にするのは3月末ごろと思っていたからである。だから、こんなに早い反応が来るとは思いもしなかったことが、喜びに拍車をかけたともいえる。

     そして、25日に彼女から長文のE-mailが届き、深甚なお礼のメッセージとこれからの行動の予定が記されていた。それによると、彼女がタンザニアに向けて出発したのは、22日の金曜日だったようで、出発の準備で大変忙しい中に我々の贈り物が届いたようなのだ。受け取っていただくためのタイミングは絶妙だったと思うが(受領が3か月も遅れるとさすがに鮮度ロスになるからだ)、何せ、彼女は忙し過ぎたことは否めない。だから、思い出のアルバムのビデオは、じっくり鑑賞する暇もなかったらしい。メインの贈り物だったので少々残念な気持ちもするが、そんな忙しいさなかにお礼の長文のメールをよこしてくれたことに、感激は倍加した。

     それにしても、かの国の若者達の世界の隅々にまでいって何でも見てやろう、何でも経験してやろうという旺盛な行動力に、今更ながら頭が下がる。今回も電気や水道など社会的インフラが極端に不備なところにボランティアに出かけられた。我々にまねのできることではない。その精神をただただ称賛するしかない。

     彼女たちの活動が成功を収め、いつの日か再会を果たせたときに、この経験話を聞かせてくれることを願いつつ、この異国の方との交流を続けていこうと思っている。彼女から来たメールの一部を紹介するので、お暇な折にお読みいただき、彼らの活躍ぶりに思いを馳せていただければと思う。

    ※(参考)彼女からのメッセ―ジ
     Because I will live with a Tanzanian family for three months, I don't think there will be running water or even constant electricity at their home. This will be a very new experience for me. I also won't have regular internet access so it will be difficult to keep in contact with friends and family.

    If you are interested in reading about what I am doing, the charity that I am volunteering with has a blog and will write updates about the projects. You can read it here: https://raleighinternational.org/blog/tanzania-ics/

    RaleighinternationalのHPはここから入れます。



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  • ■ 「怒り心頭に・・・」
    平成28年1月23日
  • 「怒り心頭に・・・」
    「怒り心頭に・・・」
     年末にひいた風邪が治りきらないまま、今冬一番の寒気に見舞われたこの週に帰省し、あちこち飛び回らなければならなかったので体調は一向によくならず、本日予定されていたWFP応援団主催の講演会を休まざるを得なかった。楽しみにしていただけに誠に残念の極みであったが、帰省の折、背負わされた役割の遂行を少しでも進めるために、この時間を有効に活用しようとPCに向かった。

     未経験分野の申請をしなければならないので、ネットを利用していろいろ下調べをしなければならなかったのだ。ところが、インターネットが開かない。エラーメッセージに即した自動解析を試みたり、PCの電源を落としたりして考えつくあらゆる方法でリカバリーを試みたが一向に埒が明かなかった。そのうちに、固定電話が使えなくなっていることに気付いた。

     拙宅ではVDSL(モデム・ルータ)RV-230NEを使って、光電話とPCのインターネットを利用しているので、電話がやられたのなら、この端末(RV-230NE)がおかしくなったのだろうと目星をつけて、取説を引っ張り出してチェックを始めた。購入時大分読み込んだつもりだったが、全く忘れ果てており不具合の原因を探すのに四苦八苦してしまった。購入時のPCのOSはWindows Vistaだったのが、今使用のOSはWindows10なのだ、この辺りが原因ではないかと勝手に思い込み、IPアドレスなどをいじくり始めたが、混乱は極に向かうばかり。

     すっかりお手上げ状態に陥り、サービス元のお客様相談室に問い合わせ、リカバリーについて助けを求めた。大変親切な方でPCの状況を確認し、一通りのリカバリーを行ったがPCに問題がないことを突き止め、端末のRV-230NEに問題があると断定した。そしてこの端末のあらゆるリカバリーを試みたが解決には至らず、最後の手段としてこの端末の初期化を行った。これに至っても解決に至らず、リカバリーマニュアルはこの端末のハードに問題がありそうとの診断を下した。

     こうなると、担当が変わるので故障診断チームへと引き継がれた。実際は、教えられた連絡先に電話を入れたのだが、ご存じのように 最終担当者にまでいき着くまでには、何回もガイドされる番号を入れなくてはならず、この上ない面倒さに辟易させられた。加えて、固定電話がいかれているので、携帯でアクセスするのだが、コンクリートに囲まれた部屋の中では電波の受信状況が甚だしく悪く、端末の場所を離れ窓側に行って話さなければ会話ができないので、タイムリーな処置ができず、リカバリーどころの騒ぎではなく混乱は更に極まった。

     あちらこちらにたらい回しされた揚句、分かったことは、当集合住宅で集合配電盤工事をしていることが原因になっているのではないかと、現場で指揮をとっている責任者から連絡が入った。冗談ではない。ほとんど1日をかけて対応し、初期化までしてしまったことは一体何だったのかと怒りも心頭に・・・。5時過ぎに工事が終わった連絡を受け、光電話の状況を確認された。この写真の右側にある端末の上から4番目のランプが点いたではないか。何のことはない、工事が影響していただけなのだ。

     ほとんど1日中、電話もインターネットも使えないことなんて、事前に予告されていない限り考えられないことではないか。当初インタネットが開かなかった時、何かの調子でこの辺一帯が不具合を起こしているのではないかと思い、近間に住む友人の松ちゃんにインタネットに問題ないかどうか確認したのだ。彼のPCでは正常にインターネットが使えているとの状況を確認できたので、それなら、我がPCに問題ありと断定してしまったのだ。早とちりと言われれば二言はないが、1日棒に振ってしまったことに怒りは心頭に発してしまった。

     更に、初期化してしまった端末を元に戻すのに四苦八苦させられ、怒りの矛先を何処にすべきか・・・。友人の松ちゃんに連絡を入れたところ、交通事故と思召さなければ、やっていられない世界になっているのではないかとのご託宣を頂いた。この世界(IT活用の世)に住むのであれば、この世界の交通ルールを知らないと交通事故は防げない。年寄りにはだんだん住みづらくなってきた気がする。

     お蔭で背負わされた仕事は一歩も進まず、明日以降へ持ち越しとなってしまった。来週中には目鼻を付けなければならないことなので、1日棒に振ってしまったことはとても痛い。交通事故と思召しても、当分怒りは収まりそうにないが、怒ったことで、風邪が少し良くなったことがせめてもの救いかもしれない。



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  • ■ 「大雪のパニックに遭遇した日」
    平成28年1月18日
  • 「大雪のパニックに遭遇した日」
    「大雪のパニックに遭遇した日」
     この日実家に行かなければならないことがあって、前日までに準備万端整えていたのだが、天気予報については迂闊にも軽く見過ぎていた。前日夜遅くの天気予報をみて明日降雪するらしいことを知り、当日は朝5時ごろに目を覚まし外の様子を確認した。窓を開けてびっくり。最寄りの駅にたどり着くにも大変な目に合いそうだし、首都圏の電車の運行状況を見ても新幹線にうまく乗れるかどうかも分からない、加えて行先の北陸方面も相当荒れるらしいとの情報が流れていたので、今回は1週間延期しようと決意した。

     それから、切符の払い戻し等について確認しようとネットで最寄りの駅の電話番号を調べたがどこにも表示されていない。今回、JRに止まらず、問い合わせが殺到すようなところでは、問い合わせ用の電話の案内を表示していないことを初めて知った。散々苦労して、電話番号を探りあて、漸く担当のところにアクセスすることができた。当家の立地状況や最寄りの駅まで出るのがいかに大変かを述べまくり、後日、切符(乗車券はもとより座席指定券を含めた)の払い戻しをして頂けるようお願いしたのだが、「新幹線は時間通り運用されているので、払い戻しは最寄りの駅に行って、その切符の指定時間より前に手続きを取られない限り無理です」と、とても丁寧な対応ではあったが婉曲に断られてしまった。

     であれば、行くしかないかと決意を翻し、いつもなら家から新横浜まで40分で行けるところを、3倍程度の余裕を見て家を8:30分に出た。ちなみに、当日の切符は、新横浜10:52発ひかり509号だったので、2時間20分も前に家を出たことになる。家からバス停まで約400mは、じゃばじゃば雪のたんぼ常態、郷里も雪で大変との状況が頭にあったので何十年かぶりに長靴を履いて出かけた。バスは比較的順調に進み、9:00ごろ青葉台に着いたが、ここから思いもしなかった難行苦行が待ち受けていた。

     青葉台駅では改札の入場制限を行っており、駅構内に入るのさえ大変な状況で雨に濡れながら待たされたのは未だかつて記憶にない。構内ではものすごい行列に巻き込まれにっちもさっちもいかず、流れに任せるしかなかった。行くのを止めればよかったと思ったが流れに逆らうことをもできずイライラが募るばかり。幸いと言うのか要領が良かったというべきか、小生の並んだ列が思いのほか早く進んだので、9:20ごろ渋谷方面行きの電車に乗ることができた。長津田経由で行くかあざみ野経由の地下鉄で行くか迷ったが、東急と横浜市営の地下鉄がやや順調との報道もあったのでこの線にかけたのだ。

     ところが、電車に乗れたのは良かったがちっとも発車のベルが鳴らないのだ。反対の車線ではもう2本も発車している。やっぱり長津田経由にすべきだったと悔やんだがどうすることも出来ずひたすら発車を待つしかなかった。いつもあざみ野までは7-8分で行けるので、いくら遅れても10:00までには着くだろう、40分もあるのだからと言い聞かせ、イライラ解消に努めた。あざみ野に10:00に着けば新横浜には10:52までには楽々間に合うだろう。いつもなら15分で行けるのだし、今日の雪にもあまり影響は受けていないはずだからと、思い直すと気分はいくらか落ち着いてきた。

     ところがところが、この日に限って予想は大外れ。各駅で待たされる時間は想定をはるかに超えていた。たった4つの駅間をいくのに1時間近くもかかってしまったのだ。あざみ野に着いたのは10:15ごろ、それでも間に合うぎりぎりのところだったので、急いで乗り換えようとしたのだが、ここでも思いもしなかった改札制限が行われていたのだ。駅構内いっぱいに並んだ乗客の間をすり抜け、ようやっと乗り込んだ電車の出発は10:40を超えていた。

     新幹線の遅れに期待をかけ、何とか間に合うように、市営地下鉄の快走を祈ったが着いた時は11:00を超えていた。駅員に新幹線の状況を確かめたところ、「本日のダイアは今のところ正常に運行されており、(小生の乗る予定だった)ひかり509号は10分ほど前、新横浜を定刻通り発車しました」。と言われ、へたり込んでしまった。

     次の便に変更してもらうために、長い長い列に並ばなければならなかったが、新幹線が混み合うような状況ではなかったので事なきを得、1時間遅れの次便でなんとか帰省することができた。思えば、いつもなら40-50分で着くところ本日は、2時間半を優に超えていた。 こんな経験はかつて経験したことがなかったので、本当に辛かった。改札制限や満員電車に何分も閉じ込めれながら味わう、群衆と化した乗客の無言の圧力と、いつまで待たされるのかといった当てのない不安な心理を表す言葉が見つからない。

     偏に、自らの甘い判断によるものだが、それにしてもなぜあんなに長く電車の中に閉じ込められてしまうのか。一駅1-2分で着くのに(各駅平均してもそんなところだと思う)、各駅で10分を優に超える待ちは、市井の1乗客には理解できないということだ。そんな中にあって、騒ぎたてもせず整然と列に並び続ける我が日本人のメンタリティに敬意を表するしかない。恐らく2-3時間は会社等への出勤が遅れ、お互いに多大な損失や痛みが生じているはずであろう。であれば、無理して定刻の出勤を促すことはせず、出勤のあり方を柔軟に取り扱った方がどれだけ合理的かと思いつつ、それが日本人のメンタリティにそぐっていないのかも、との思いにも駆られながら、遅れた新幹線の中で独りごちた。

     ※後日談
     @長津田経由が一見よく見えたが、当駅での改札制限や1時間に1本の電車運行だったことを考えると、我が選択に誤りはなかったようだ。A北陸方面も荒れているという情報に長靴を履いたまま福井駅に降りたが、そこには雪のかけらもなく薄日さえ照っていたのである。何とも気恥ずかしい思いがしたが、翌日から荒れた天気になり長靴の効用に大いに助けられた。大雪のパニックに遭遇した日に味わったなんとも複雑な気持ちであり、今年最初の愚痴を綴った次第である。馬鹿な愚痴にお付き合いいただき恐縮です。



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  • ■ 「博物館に初もうで」
    平成28年1月14日
  • 「博物館に初もうで」
    「博物館に初もうで」
     東京国立博物館で新春特集展示「博物館に初もうで」が開催されているので観に行こうと誘われ出掛けた。新年恒例の企画になっている新春特別公開では「富嶽三十六景・凱風快晴」や国宝「松林図屏風」をはじめとする名品が展示され、新年のおめでたさにちなみ2016年の干支である「申」にまつわる多数の作品が展示されている。

     見覚えのある葛飾北斎の「富嶽三十六景」の浮世絵にはダイナミズムがあふれ、絵心に乏しい小生でもその巧みな筆跡に感動した。また、長谷川等伯の「松林図屏風」には狩野派一派に対抗しようとした熱いたぎる思いを感じた。日経の朝刊に連載された長谷川等伯を扱った小説を読んだことで、彼の生き様にのめり込み影響を受けていたからかもしれない。

     猿の作品は狩野山雪の「猿猴図」をはじめ、有名作家の絵画や工芸品が展示されている。パンフレットの解説によれば、われわれの祖先は、自分たちとよく似た姿の猿を、絵画や工芸品などの題材にして多くの作品を生み出してきたとのこと。そしてそこには人間の猿に向ける多様なまなざしがあり、実に多彩な猿の表現がみられる。という。さらに、神の使いとしての猿や教訓を与える猿(見ざる、言わざる、聞かざる)など、その切り口の多さには驚かされる、と結んでいる。そんな関わりを深く考えたこともなかったので、作品に対峙すると解説の言葉が心に沁み込んできて、改めて申年の今年に思いを深くした。

     そのほか、国宝、重文クラスの作品が多く展示されているので、鑑賞に1時間半ぐらいしか予定していなかったことが悔やまれた。さらに本博物館では東洋館や平成館、法隆寺宝物館、黒田記念館など多くの展示館で独自の展示を行っているので、じっくり鑑賞するには1-2日では無理かもしれない。後日、日を改めてじっくり鑑賞に参りたいと思った。

    博物館に初もうではこのHPをご覧ください。

  • 「猿猴図」
    「猿猴図など」
    狩野山雪の「猿猴図」など。われわれの祖先は、自分たちとよく似た姿の猿を、絵画や工芸品などの題材にして多くの作品を生み出してきたとのこと。そしてそこには人間の猿に向ける多様なまなざしがあり、実に多彩な猿の表現がみられる。という。さらに、神の使いとしての猿や教訓を与える猿(見ざる、言わざる、聞かざる)など、その切り口の多さには驚かされる。



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  • ■ 「中島清之 日本画の迷宮展」
    平成28年1月9日
  • 「中島清之 日本画の迷宮展」

    「中島清之 日本画の迷宮展」
     横浜市民ギャラリーあざみ野のお声掛りを受け、お仲間たちと横浜美術館で開催中の「中島清之 日本画の迷宮展」を観に行った。担当学芸員から事前のレクチュアーで、この芸術家のことを初めて知った。解説と案内パンフによれば大正・昭和の激動の時代に進取の気風溢れる横浜に生き、型にはまらない、しなやかな感性で「日本画」に挑み続けた画家だったらしい。円熟期に入って横浜青葉区の恩田の森にアトリエを構え、そこで竹林に差す光を主題に大作「緑扇」を仕上げたと聞き、このアトリエが我が家の近くにあることを知り、俄かにこの芸術家が身近に感じられ、興味津々でこの展覧会を鑑賞した。

     解説で際立っていたことは、この作家が豊かな才気と旺盛な好奇心に満ち、常に新しい様式と手法に挑戦し続けたため、一見同じ作家とは思われないほど多彩な作品世界を展開し、「変転の画家」と評されたということである。だから、中島清之という作家像を絞り込もうとする鑑賞者を惑わせ、まるで「迷宮」に誘い込むような魅力を備えているとの解説になるほどと思った。

     素人ながら、初期の「胡瓜」や「花による猫」にみる古典的な日本画の印象と、中期の「おん祭」「雪の子」にみる形式にとらわれない画法は大分異なっており同じ画家とは思われない。更に、垂直と水平線、円と直線による幾何学的な構成で描かれた「方向会の夜」は凛とした旧弊を打破した日本画の印象を受ける。円熟期の、「三渓園臨春閣襖絵」「緑扇」と「喝采」はどう見ても同じ作家とは思われない。激動の時代から受けた影響は大きかったのだろうと思うが、学芸員の解説にあったまるで「迷宮」に誘い込まれる思いがした。

     1月11日で本展覧会は終了したが、我が家の近くにある本作家のアトリエを何としてでも訪ね、「迷宮」に誘い込まれた理由を探らなければと思った。

     「迷宮」に誘われる展覧会はこちらから入れます。迷い込まれないように。

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  • ■ 「異国の人との交流」
    平成28年1月13日
  • 「クリスマスカード」

    「日本語で書かれたクリスマスカード」
     平成25年10月に我々隠居仲間が横須賀にWalking Tourをした際、外国語青年招致事業(JET:The Japan Exchange and Teaching Programme)で招聘され、山形で3年間英語を教えてきた英国の女性と偶然な出会いをし、その後平成26年4月に再会し横浜をご案内するなど交流を続けてきたことは、既に本ホームページで紹介してきたところだが、今般その方から、思いもしないクリスマスカードとお土産が12月27日に届いた。  ※※ 5 Inkyo-sanが御隠居の当て字なのであろう日本人顔負け? ※※

      最初の偶然の出会いの記事はここから参照できます。
      再会の横浜を案内した記事はここから参照できます。

     お仲間にすぐに声をかけ、行きつけの蕎麦屋で一杯遣りながら、何を送るかの相談を行ったが、久しぶりに届いた便りにハイテンションになってしまい、議論百出えらいことになってしまったのだ。おまけに、彼女は今般インドへ友達の結婚式に参加し、その時購入したチョコレートとお茶を送ってくれ、それを飲食した感想を求めてきたのでえらいことにさらなる拍車がかかってしまった。

     結局、思い出の写真のアルバムをビデオ仕立てにしたものと、彼女の名前を漢字に当てはめた名刺を作り、その他個人的に思入れの物を送ることにした。茶道を習っているお仲間は、再会時に必ず自分のお点前を披露する旨のメッセージを用意するなど、各人は12日までに送るものを用意した。日本特有のお菓子もぬかりなく入れたのは言うまでもない。

     国際郵便を利用するのは初めてなので、梱包からあて名書きまで郵便局員を煩わせながらようやっと13日に送付することができた。無事に届くことを念ずるしかないが、届いたとして彼女がどんな反応をしてくれるか・・・・・
     新年早々隠居達の胸はときめき続けている。

  • 「インドのお土産」
    「インドのお土産」
     インドのチョコレートとお茶。焼酎にチョコレートはとっても相性がいいと好評。お茶にこのチョコレートを入れて味わったが高級感の紅茶の味がしこれも好評だった。

  • 「インドの神様」
    「インドの神様」
     なぜ、インドの神様のポストカードを送ってくれたのか憶測が乱れ飛んだ。この神様はガネーシャ、歓喜天(像の頭を持つ知恵・予言・幸運の神;Sivaの息子;Gnapatiともいう)だから・・・。


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  • ■「七福神巡り」
    平成28年1月5日
  • 「七福神巡り」
    1月5日 「七福神巡り」
     この日、ご隠居のグループから「七福神巡り」を誘われた。風邪をこじらせたため新年の心構えを固め損なってしまったので、神仏の前で本年の心構えを祈願し、今年1年の決意にしようと思った。まだ風邪が抜けきらなくきつかったが、お仲間に引っ張られながら無事祈願を成し遂げた。

     今年は目黒方面の「山手七福神」を巡ったが、絶好な日よりに恵まれた。日頃の行いがいいからだとはしゃぐ景色を察してか、まだまだ自己中の精神が抜け切れていない、修行が足りないと言われている気がした。

     七福神巡りはこちらから入れます。ご利益がいただけますように。

  • 「山手七福神」
    「山手七福神」
     今年は目黒方面の「山手七福神」を巡ったが、絶好な日よりに恵まれた。
  • 「八芳園の松の盆栽」
    「八芳園の松の盆栽」
     樹齢300年と聞いてびっくり。
  • 「八芳園の庭園」
    「八芳園の庭園」
     七福神巡りには関係ないが。道すがらにあるこの庭園を避けて通る理由もなく、立ち寄ることにした。もっとも入場料が取られなかったことが御隠居達には一番ありがたいのだ。

  • 「今年1年の決意を祈願」
    「今年1年の決意を祈願」
     風邪をこじらせたため新年の心構えを固め損なってしまったので、神仏の前で本年の心構えを祈願し、今年1年の決意にしようと思った。
     何を祈願したかは・・・。

  • 「七福神巡りを成就」
    「七福神巡りを成就」
     目黒方面の「山手七福神」巡りを成就。絶好な日よりに恵まれ、日頃の行いがいいからだとはしゃぐ景色を察してか、まだまだ自己中の精神が抜け切れていない、修行が足りないと言われている気がした。



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  • ■「新年を迎えて」
    平成28年1月10日
  • 「新年を迎えて」
    「新年を迎えて」
     年末にひいた風邪をこじらせ、新年早々から鼻水や咳や悪寒に悩まされ、新年の決意どころではなくなった。ティシュペーパの箱を抱え、鼻をすすりながら雑煮をすすり込む様はここ何十年も記憶にない。新年の朝一番に雑煮をおいしくいただき、新しい年への心構えを固めさせる真摯な仕来たりも一服せざるを得なかった。新年は心身ともに健全で迎えることの意味を改めて思い知った。

     ひぃひぃとした咳込が続き、10日を過ぎても一向によくならず、このHPの更新も遅滞を重ねてしまったが、小康を得た時間を見つくろい遅らせばせながら、新年に入ってからの記事を幾つか掲載した。今年最初の記事は鼻に栓を詰めながら記述したことをお汲み取りいただければと思う。

  • ■「今年の決意」
    「今年の決意」
    1月1日 「二つの故郷」
     年賀状にも記したが、横浜の地に居着いてから半世紀が経ち、第二故郷への愛着は断ち難くなってきたが、年々故郷忘じ難い思いも募るばかりになってきた。今年は、此の地の芸術・美術の施設を巡り深遠な文化に触れることそして生まれ故郷を温ね己のアイデンティティが育まれたルーツを探ることに心を傾け、二つの故郷を持つ幸運を大事に育みながら人生観を磨いていこうと思う。
  • 「七福神巡り」
    1月5日 「七福神巡り」
     この日、ご隠居のグループから「七福神巡り」を誘われた。風邪をこじらせたため新年の心構えを固め損なってしまったので、神仏の前で本年の心構えを祈願し、今年1年の決意にしようと思った。まだ風邪が抜けきらなくきつかったが、お仲間に引っ張られながら無事祈願を成し遂げた。

     今年は目黒方面の「山手七福神」を巡ったが、絶好な日よりに恵まれた。日頃の行いがいいからだとはしゃぐ景色を察してか、まだまだ自己中の精神が抜け切れていない、修行が足りないと言われている気がした。

     七福神巡りはこちらから入れます。ご利益がいただけますように。

  • 「山手七福神」
    「山手七福神」
     今年は目黒方面の「山手七福神」を巡ったが、絶好な日よりに恵まれた。
  • 「八芳園の松の盆栽」
    「八芳園の松の盆栽」
     樹齢300年と聞いてびっくり。
  • 「八芳園の庭園」
    「八芳園の庭園」
     七福神巡りには関係ないが。道すがらにあるこの庭園を避けて通る理由もなく、立ち寄ることにした。もっとも入場料が取られなかったことが御隠居達には一番ありがたいのだ。

  • 「今年1年の決意を祈願」
    「今年1年の決意を祈願」
     風邪をこじらせたため新年の心構えを固め損なってしまったので、神仏の前で本年の心構えを祈願し、今年1年の決意にしようと思った。
     何を祈願したかは・・・。

  • 「七福神巡りを成就」
    「七福神巡りを成就」
     目黒方面の「山手七福神」巡りを成就。絶好な日よりに恵まれ、日頃の行いがいいからだとはしゃぐ景色を察してか、まだまだ自己中の精神が抜け切れていない、修行が足りないと言われている気がした。



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