■ 「かたいけのぉ」                      平成23年10月24日

 父が亡くなってから35年、母が亡くなってから25年が経過してしまったわが故郷には、よほどのことがない限り帰省することもなくなってしまったが、今年78歳になる姉が体調を崩して入院することとなったため9月26日に帰省した。

 ドクターの所見によれば本人の主訴を精密検査しても引っかかる病因はないとのことで一安心したが、歳を重ねるたびに磨きを掛けてきた姉の耳学問の専門知識がこの所見に抗っているのが気になった。噂にバイアスが掛った専門知識を信じ勝手に病因を特定しているので、ドクターが診断書に病名を書かないことに納得しかねていたからである。そして、何ともないと言われれば余計に不安になってしまう心配性シンドロームとも言うべき症状が見えたからでもある。

 情報過多の時代明日は我が身なのかもしれないが、父母がいなくなってしまった今、目下の心配事は10歳以上も歳の離れた兄と姉の健康状態である。そんな思いに駆られる中、福井駅前(福井では一番の繁華街)にある小さな小料理屋の暖簾をくぐった。

 道々思い悩んでいたことに加え、人出が途絶え喧騒とした賑やかさを失ってしまった繁華街を見せつけられたこともあって心は千々に揺れ、独酌の杯を重ねることとなった。酔いの回りは鈍く杯のスピードに拍車が掛った頃、郷土料理のメニューが貼ってある壁の上部に掛けられた立派な額が目に入った。そこには越前和紙に「かたいけのぉ」と墨書された伸びやかな平仮名が紙面一杯に踊っていた。

 これは福井弁で「お元気ですか?」「元気でいますか?」という意味で、日常会話の中で親愛の情をこめて交わされる言葉である。額縁から独特な言い回しで囁かれた気がして、郷土で育まれた人の心を慮るこの言葉の持つ熱い温もりを感じ目頭が熱くなってしまった。感傷的すぎると言われるかもしれないが、故郷への思いは年を経る毎に強くなっている。そしてその思いの拠り所が家族も友達も街もみんな元気で、活き活きしていた時代に依存していることを思い知らされた。

 うさぎ追いしかの山<駅前>は貧しいながらもお日様<人>が一杯で眩しく、そして兄や姉たちも若く溌剌としていたのである。この度はよほどのことがあって帰省した。まさか、我が望郷の主柱を成す姉が入院するなどとは、加えて一番の繁華街がこんなに寂れてしまうなどとは思いもよらないことだったので、募り・深まる寂しさに歯止めを掛けてくれたこの囁きに涙腺が刺激されたのかもしれない。

 「諸行は無常である」ことを知らない訳ではない。身辺に起る一切の変化を素直に受け止めていかなければならないのであろう。そしてその変化の過程で起こる悲しみや、寂しさに人は耐えていけるように知恵を働かせ、生きてきたのだと思う。それは、温かい言葉や励ましであったり、そっと差し出す温もりの手であったり、人を包み込む微笑みや笑顔であるといった、仏の説く慈悲といえるものであろう。

 杯を重ね「諸行無常」を実感させられていくなか、この言葉に私の心奥を揺さぶり慰めてやまない慈悲深い響きを感じた。私は、思わず心の底から「お―きんのぉ」と応えて最後の杯を空けることとした。 これは「ありがとう(お陰さまで・・・)」という意味である。

 流転は止められない。それでも、街も家族も友達もでき得れば昔を取り戻し元気になってもらいたいと願わずには居られず、そしてにこやかな笑顔で「おーきんのぉ」と応えてくれることを願いつつ、「かたいけのぉ」と初秋の人も途絶えた駅前通りに向かって囁いた。

 2011年、初秋の郷土にて。


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